連載小説
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魔物らしく
「俺も好きだ、イェンダさん」
仕事を無事に終えて帰ってきたイェンダにコペルは言った。
戦後の処理で慌ただしい中、少しだけ二人にしてくれ、とイェンダを連れ出して伝えた言葉だ。
何の捻りもない言葉だった、場所も人のいない場所を探してたどり着いた薄暗くて鉄臭い武器庫の中だった、ロマンチックさの欠片もない。
しかしイェンダにとってそんなことはどうでも良かった。
「はい」
こちらも何の捻りもない返事を返した。そうして二人で見つめ合った。
この時にどの位の時間を見つめ合っていたのかは二人とも記憶が曖昧だ、世界に二人だけになったかのような時間は長くて短くて……。
そこで倉庫の外からイェンダを呼ぶ声が聞こえた、コペルにも促されてイェンダは後ろ髪を引かれる思いで倉庫を後にしたのだった。
別行動を取っていたルフューイも主から伝わる歓喜の感情を感じ取って事の顛末を理解し、場所も考えずに喜びを爆発させ。
戦後処理の書類を水浸しにして顰蹙を買ったりした。
これからバラ色の日々が始まるのだ、二人共そう確信していた。




コペルは街の酒屋に居た、酒屋と言っても酒を売るだけでは無くその場で立ち飲みが出来るようにカウンターが設置されている。
一緒に当ても出したりしているので実質酒場のような場所だ。
大量の瓶が立ち並ぶその店は入り組んだ路地の奥にあり、知らない人間は辿りつけないような場所にある。
普段畑に付きっきりで滅多に街に立ち寄らないコペルの数少ない行きつけの店だった。
コペルはカウンターに寄り掛かり、グラスに注がれたウィスキーの琥珀色の水面を眺めていた。
ちなみに普通に立っていては背が届かないのでちゃんとコペル用の台が用意されており、その上に立っている。
ちょっと絵にならないがこの店とコペルの親密性が伺える小道具である。
「で、進展はあったのかい?」
その横に並んで立ち、グラスを揺らしているのはイミだ、こちらはそうしてカウンターに寄り掛かる姿もやはり絵になる。
無論、台の上には立っていない。
「進展?」
視線をグラスに落としたままコペルが聞き返す、むっつりとした表情はともすれば不機嫌なようにも見えるがそうではなく、これが彼の普通なのだ。
「お二人さんと、さ」
ちび、とグラスに口を付けてイミが言う、無論、イェンダとルフューイの事だ。
「……二人、と言うのはおかしい、イェンダさんならともかく」
相変わらず視線を落したままコペルが言う、グラスには手を添えたままで口に運ぼうとしない。
「うーん」
イミはグラスを持ったままくるりとカウンターに背を預けた。またちび、とグラスの中の液体を舐める。
「二人共って発想は出ないかね、そこで」
「有り得ん」
「二人は魔物だぜ?人間とはそこのあたりの倫理観は違う」
「……俺にそんな甲斐性は無い」
「……甲斐性云々の問題じゃないんだけどなあ」
コペルはグラスを持ち上げるとぐい、と一息に干してしまう。
「もう一杯、くれ」
カウンター奥のマスターは黙って置かれたグラスに先程と同量のウィスキーを注ぐ。
コペルはまたその水面を見つめる。
「ま、君が考えあぐねていても辿る道は同じだと思うけどね」
「どういう意味だ」
「魔物は待たないって事さ」
コペルはじっとイミの顔を見る、イミは笑っている。
「そっちはどうだ」
「どうって?」
「笑えそうか?」
「うーん」
イミはいつも通りの朗らかな笑みを浮かべた
「笑えてないかい?」
「笑えていない」
「そっかぁ」
イミは頬をぴしゃぴしゃと張った。絵に描いたような笑顔だ。
「まあ気長に頑張るさ」
「うん」
コペルは再びグラスに視線を戻すとぐい、と半分ほどを流し込む。
イミは今度は少し多めにウィスキーを口に含んだ。




イェンダとルフューイは森の中にいた、精霊であるルフューイとエルフであるイェンダは街の暮らしに馴染んではいたが。それでもやはり自然の中に身を置きくなる時もある。
付近を清流が流れ、日差しもよく届くその場所は二人がそんな気分になった時に行く場所だった。
しかしそのお気に入りの場所にいるにも関わらず二人は悩ましい顔をしている。
「……で、進展が無くて悩んでいる、と」
「……」
二人はこっくりと頷く。
そう、付き合い始めた後の二人は中睦まじく食卓を囲み、語らい、たまに仕事に付き合ったり……つまるところ、付き合い始める前から何の変化もないのだった。
そんな悩みを抱える二人の傍に立ち、腕組みをして話を聞いているのは一人のケンタウロスだった。
艶やかな茶の毛並みに覆われた馬体は駿馬らしく引き締まっており、民族衣装のような服を纏う女性の半身もその馬体に劣らぬしなやかさを有している。
切れ長の目元が凛々しさを感じさせる顔立ち、それを彩る髪は毛並みと同じ色合い、独特の三つ編みに纏めて背に垂らされている。その髪のサイドから覗く耳は本人の気性を表すかのようにぴいんと立っている。
「後、マスターとコペルさんの想いが通じ合ったのはとてもおめでたいんですけど、どうもコペルさんは私も一緒に、という考えがないみたいで……」
「ふうむ、まあ、人間は基本的に一夫一妻の風習が一般的らしいからな……ところで、何故私に相談を?他の二人では駄目……だな」
「ええ、その、コルホズさんとか、イオさんは、その」
方や天然、方や戦闘狂の二人を思い浮かべて三人は溜息をついた。
「まあ、私に助言できる事と言ってもたかが知れているがな、四人とも伴侶を求めてここに来た訳だから当然経験は無い訳で」
「それはそうなんですけど……」
「……こんな事を相談できるのは、ヴィスケットさん、だけ」
二人に言われてヴィスケット・オルスタレイは頭を掻いた。
「月並みだが……私達は魔物だ、魔物らしく行けばいいだろう」
「らしく、とは?」
「押し倒してしまえ」
二人の顔が瞬時に染まる、気のせいかピーッというやかんが沸くような音も聞こえた気がする。
「そ、そうは言っても、段階というか……手順というものがあって……」
「まだ……その手を使うのは……」
俯いてごにょごにょ言い出す二人をヴィスケットはふん、と鼻で笑う。
「段階?手順?二人の感覚で段階を踏んでいたらそのコペルさんはじいさんになってしまうぞ、悠久の時を生きるお前達と違って人の生涯は短く、出会いは一期一会だ、それに」
ヴィスケットはびし、と二人を指差す。
「恋人同士になっても性的な目で見られないイェンダ、友達感覚なルフューイ、原因はその積極性の無さにあるのではないか?ぬるま湯な現状に甘えてしまっているからではないか?」
「うっ」
「む……」
二人は考え込む。
言われてみれば進展以前にコペルが二人に対して性的な感情を抱いた場面は思い浮かばない。
もしそんな場面があれば魔物である二人が男性の欲情に気付かない筈は無いのだ。
「基本的に男性は魔物の魅力には抗えないものだ、話に聞く限りコペルさんも腑抜けではないだろうから二人が女を見せれば向こうも男を見せてくれる……」
そこまで言ってヴィスケットは二人を指していた指をくるくると回して視線を逸らした。
「んじゃあ、ないかな?私も未経験だから知らんが」
「いえ、いえ……!的確なアドバイスだと思います、ありがとうございます!」
「……がんばる」
頭を下げるルフューイにぐっとガッツポーズをするイェンダ。
「うむ、その、何だ、焚きつけておいてなんだが余り無茶は……」
「善は急げです!早速プランを練りましょうマスター!」
「ん」
何がしかのスイッチが入ったらしい二人は呼び止めるヴィスケットの声にも耳を貸さずに飛んで帰ってしまう。
後にはヴィスケット一人が残された。
「……まあ、コペル氏には頑張ってもらうか……」
そう言って頭を掻いたヴィスケットの周囲の草木が彼女を中心に渦を描くようにざあざあとたなびき始める。
その風が止んだ時、いつの間に現れたのか若草を思わせる薄緑の肌と鳶色の瞳をもった少女がヴィスケットの馬体にその小さな体を寝そべらせていた。
「にひひ、経験もないのに先輩ぶったこと言っちゃっていいのかな?ますたー」
少女は風の残滓に髪をたなびかせながらにやにや笑いを浮かべて言う。
ヴィスケットは溜息をつく。
「仕方ないだろう、相談されたのだから答えただけだ、後、そこは将来の旦那様専用の場所だと何度言えば……」
「いーじゃんいーじゃん、どうせまだ当分埋まる予定もないんだしー?はいよー!ますたー!」
そういって少女は馬体に跨ってぴしゃぴしゃと尻を叩き始める。
ヴィスケットは無言で腰に差していた独特な形状の短刀を抜くと後ろも見ずにその鞘を背後に振り降ろす。
「うぉう!?」
すぱーんといい音で頭頂部を叩かれた少女は素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「いたーいー!ひどーいー!精霊に暴力振るったー!罰あたりだー!契約解除だー!」
きゃあきゃあと背の上で騒ぎ立てる少女の声にヴィスケットはまた深い溜息をつく。
「イェンダの精霊が羨ましい……」




顔が熱い。少しばかり飲み過ぎたか、とコペルは思った。
自覚はしていなかったが久々の友人との語らいでコペルなりに浮かれた所もあったのだろう、いつもより多く杯を進めてしまった。
(次の日に支障が出ないければいいが……)
などと思いながら自宅のドアを開けた瞬間コペルは思わず固まった。
「おかえりなさい」
「おかえり……なさい」
いつもの二人がいたからだ、いや、二人が家に居るのは別におかしい事では無い、家には好きに出入りしていいと伝えてある。
しかし基本的に遠慮深い二人はコペルが居ない間に家に入るという事はしないものだった。
それだけではない、玄関に迎えに来てくれた二人の様子がどうもいつもと違う。
ルフューイの笑顔はいつも通り朗らかに見えるが、何かいつもと違う。
イェンダの方も最近になって少しずつではあるが笑顔を見せてくれる事も多くなってきた、だが今夜の笑顔はやはり何か質が違うように感じる。
具体的に言うと目の輝きが違う、とてもきらきらと輝いていてそれは愛らしいのだが……愛らしいと同時に何故か見る者に危機感を抱かせる。
「うん、ああ、ただいま」
どもりながらも返事をすると二人はそっと歩み出て二人でコペルの手を取って家に上げる、ばたん、とドアが背後で閉まる。
なんなのだろうか、この危機感は。
「今日はどうしたんだ?」
「今日はですね、ご褒美を受け取りに来ました」
コペルは一瞬何の事だかわからなかったが、少し考えて思い出した。
「出撃前の……?」
「はい」
確かに噴水の前で別れる直前にご褒美がどうとか言っていた、このところイェンダの事で手が一杯ですっかり忘れていた。
「忘れていましたね?」
「すまない」
むくれた顔になるルフューイにコペルは謝る、しかしルフューイはすぐ笑顔に戻る。
「まあ、いいんです、ご褒美は今日もらうんですから♪」
言っている間にも二人はぐいぐいとコペルの両手を引っ張って行く。
ご褒美をあげるのはいい、それはいいが、何故。
「イ、イェンダさんも一緒なのは何故なんだ?」
「補助です」
とても簡潔に答えられたがさっぱりわからない、ご褒美に補助が必要とはどういう事なのだ。
わからないままに引っ張ってこられたのは浴室だった。元々両親と共に暮らしていたコペルの家はそこそこ大きい家であり、湯浴み用の場所も結構広く作られている。
しかし、コペルはやはり何が何だかわからない、ご褒美の話をしながらどうして浴室に連れて来られるのか、そもそもお湯も溜めていないのに。
「はーい、到着です」
「ルフューイ、こことご褒美はどういう関係が」
「あのですね……」
ルフューイ咳払いをした。
「お背中、流させて下さい」
「……うん?」
「お背中、流させて下さい」
「ああ、いや、聞こえている、ただ、それがどうしてご褒美に……」
「だ、だってぇ」
急にルフューイは哀れっぽい声になる。
「出会ってから、殆ど指一本触らせてくれないじゃないですかあ」
「……」
ルフューイの横でイェンダも無言ながらもどことなくじとっとした目で見ている。
コペルはそうか、と思った。
ルフューイが余りにも朗らかで明るいから、イェンダが余りにも静謐としているから、すっかり失念していた。
二人は魔物なのだ、男の精を欲する魔物なのだ。
自分はイェンダを、二人を大事にしたいと思う余り無意識にそういった感情を向けないようにしていたが、それは二人にしてみればお預けを食らわされているような物だったのだ。
同時に事の推移を考えると、二人でコペルを共有したいと考えているらしい……。
コペルは思わず苦笑いを浮かべた、人間の倫理という狭い枠に捕われた考えをしている自分が馬鹿みたいに感じられたからだ、結局の所自分もルフューイの事を……。
「わかった、好きなようにしてくれたらいい」
そのコペルの言葉を聞いた時の二人の表情を何と表現したものか。
どろり、と二人の表情が蕩けたのだ、初めて見る表情だった。
それを見て改めてコペルは思う、そう、二人は魔物だ、男の精を欲する雌であり、捕食者だ。
「それでは、準備をしますので……ちょっと、服を脱いで来てもらえますか?」
もはやそのとろんとした雌の貌を隠そうともせずにルフューイがコペルを脱衣室に送り出す。
準備、と言う事は今から湯を張るのだろうか、そう思いながら衣服を脱ぎ、腰にタオルを巻いていると浴室から声が掛った、予想外に早い。
そんな短時間で湯が張れるものだろうかと思いながら入って見ると既に温かな湯気が充満しており、浴槽にはたっぷりの湯が張られている。
そういえば水の精霊である彼女にならば容易い事か、と思い周囲を見回す、その彼女はどこだろう。
「ここですよ」
声はすれど姿は見えず、混乱するコペルの姿を見ているのかふふっと笑う声も聞こえる。
「ここです、ここ」
声の発生源を見てコペルはぎょっとした。
お湯だ、お湯の一部が盛り上がってルフューイの上半身を形作っている、というよりもその浴槽に張られているお湯そのものがルフューイなのだろう。
「さあ、どうぞ、背中を流させて下さい」
両手を広げてルフューイが言う、いつもの彼女からは想像できない眩惑的な表情だ、恐らく言葉通りに背中を流すだけで済まない。
コペルは腹を決めると浴槽に近付いて行った。
14/06/29 23:56更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
イミとの間に意味深なやり取りがありますが、まあ、次回作の予告みたいなもんです。

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