連載小説
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4-4 剣を置いた理由
 2人は数十キロ先の町を目指して歩いていた。飛ばされたところから彼方に小さく見えた塔が、その足元にある町を高い気温と砂塵から防ぐための魔導機構だということはミラが知っていたからだ。
 スプル山脈から北の一帯は、南北を山に囲まれた大きな盆地のような地形のため、乾燥し気温が上がりやすい。そんな中で生活するには町を魔導機構によって一種の結界を張り、快適に保つ必要があるのだ。
 ただ、今ノルヴィとミラは砂塵と熱に晒されて歩を進めていた。
「ノルヴィ、大丈夫?」
「俺なら平気よ。ミラっちこそ大丈夫?」
「ええ」
 2人は道のりの途中の森で一夜を明かし、今日また炎天の下を歩いている。気温は高く、遠くに見える町は陽炎に揺れていた。
 魔物のミラはともかく、人間であるノルヴィには堪えるものだと思っていたが、まだ疲弊の色は見えない。
「みんな無事かしら…」
 ミラは他の3人の身を案じていた。トーマは傷を負っているし、トレアも精神的にダメージを受けている。そしてキャスの身も危険かもしれないというのは、いつの間にかミラの荷物に紛れ込まされていた1枚のメモが示していた。
「どうだろうねぇ…まぁ確かに心配だけどさ、俺たちはあいつらが何とか切り抜けたと信じてメモの指示通り動かなきゃしょうがないんじゃない?」
「…そうね」
 紛れ込んでいたメモは、キャスが書いたものだった。そこには、時限式の空間転移の魔法陣をトーマ、トレア、ノルヴィ、ミラに2人ずつが同じ場所に飛ぶように仕込んだこと、そして魔力量の関係でキャス自身は空間転移ができない旨、最後に落ち合う場所の指示が記されていた。
「にしても、なかなかやるじゃないのよ、あのちびっ子。あの短時間で4人に魔法陣仕込んで、こんな指示を残すなんてさ」
「ええ、おかげで助かったわ。…でも、もし騎士たちに見つかってたりしたら…」
「ヤな事言わないでよ、ミラっち…」
「…そうね、ごめんなさい」
 ミラはそう言って、落とした目線を再び遠方に揺らぐ町に戻した。だが、すぐに目線はノルヴィへと向かいそうになる。
 その理由は、並んで歩いている彼がその左手に携えている剣と、前日の彼の戦闘中の態度だった。
 なぜ行商人であるはずのノルヴィが剣を隠し持ち、その剣を見事に使いこなし精鋭の騎士たちと戦えるだけの腕を持っていたのか。そしてそれをなぜ隠し、ミラとトレアを護衛として雇っていたのだろうか。
 ミラが気にかかってしまうのは当然のことだった。だが、昨日はそんなことを聞く暇などなく、心の中で引っかかってしまっていた。
「ねぇ、ノルヴィ…」
 ミラは横目でノルヴィを見つめていたが、今であればその理由を聞く時間は十分にあると思い、訊ねてみることにした。
「ん?なに、ミラっち」
「聞きたいことがあるんだけど、その剣は…」
 と、彼女がここまで口に出したところでノルヴィは立ち止まった。
「どうしたの?」
 ノルヴィは2人の左側を目を細めて凝視した。
「あれってば…」
 彼はそう呟くと、眺めていた方向に向かって走り出した。
「ちょっと、ノルヴィ!?」
 ミラも慌てて後を追った。するとそこには小さな池があり、水面が眩しく太陽の光を反射していた。
 ノルヴィは屈んで水を手ですくい上げ、口に運んだ。
「ふむふむ、綺麗な水だし飲めそうねぇ。ミラっち、容器かなんか持ってない?」
「え?あぁ…えっと、ちょっと待って、確か…」
 ミラは馬の胴体の方に携えた荷物の中を漁り、水筒を取り出した。薄い鉄板でできた簡素なものだが、何の問題もない。
「さっすが〜。いや〜、実は喉カラカラだったのよぉ。助かった〜」
 ノルヴィは水筒に水を入れるとキャップを閉め、次に直接手ですくって飲み始めた。
「ぷっはぁ〜〜、生き返った〜〜。ミラも飲んどいたほうがいいんじゃない?」
「…そうね」
 ミラは足を折りたたんで体勢を低くして水をすくった。
「おいしい」
 彼女が水を飲む横で、ノルヴィは靴を脱ぎ始めた。
「なにしてるの?」
「いやぁ、ついでだし、ちょっと体冷やそうと思って」
 ノルヴィはそう言うと、ズボンの裾を膝下まで捲り上げると、冷えた水の中に入って行った。それほど深くなく、脛の半分くらいまでの深さだ。なので、ここは『池』と言うより、窪みに雨水のたまった水溜りという方が合っているかもしれない。
 気温に反して水は冷たく、気持ちよく感じられた。
「おう、冷てぇ〜。もうちょい先まで行ってみっか〜」
 ノルヴィはチャプチャプと音を立てながら中ほどまで進んでいく。
「もう、調子に乗って溺れたりとかしないでよ!?」
「平気だって、どうせそんなに深くッ―!」
「あ…」
 その後水場を過ぎて歩く2人だったが、ノルヴィの様子は一変していた。
 頭の先から足の先までずぶ濡れで、怒られた後の子供のような顔をしている。要するにテンションが低い。
「もう、だから言ったじゃない」
「…しょうがねぇじゃん、だって、あんなところに縦穴が開いてるなんて思ってなかったんだもんよッ!」
 ノルヴィが落ちたのは人の見の丈ほどもある細長い縦穴で、ノルヴィは命辛々這い上がってきたのだ。ミラからは一瞬で消えたように見えるほど、きれいな落ち方だった。
〔…はぁ、まったくもう…〕
 半ば呆れながらノルヴィを横目に見るミラであったが、その表情には微笑みが浮かんでいた。

 日も暮れて涼しくなってきた頃、2人は町に到着した。
 町に一歩入れば肌寒さを感じることもなく、砂埃が舞うこともない。魔導機構のおかげで快適そのものだった。
 町の様子は南側とは一変し、土壁の建物が目立ち、人々は少々露出の多い格好をしている。やはり、ところ変われば様子も変わるといった感じだ。
「さってと、町にも着いたし、寝どこでも探すか」
 ノルヴィはそう言ってキョロキョロと辺りを見回した。
「そうね」
 2人は歩きながら宿を探した。この辺りも親魔領だけあって魔物も多いが、南側ではあまり見かけない魔物が多い。
「お、あったあった」
 10分も経たないほどで宿は見つかり、2人は早速そこに泊まることにした。
「いらっしゃい」
 中のカウンターには色黒の男がいた。
「一泊したいんだけど、部屋は開いてるかしら?」
「ああ、開いてるよ。あんたたち旅人かい?」
「ええ、そうよ」
「おいおい、冗談だろ。そんな格好じゃこの辺を旅するのは無謀だぞ」
 男は呆れ気味で言った。
「いやぁ、それが昨日、荷物盗まれちゃってさぁ…」
 ミラは驚いてノルヴィを見た。
「なんだって!?ホントかい?」
「ああ、武器とちょっとの荷物は無事だったんだけど、食料とかも持っていかれてさぁ」
 ミラは今目の前にいるのは何と言う男だろうと思った。こうも口から出任せをすらすらと言えるものだろうか。だが、確かに本当のことを言えないのも事実なのだ。
「じゃあ金は?」
「そいつは大丈夫だ、多少は手持ちにも残してあったからな。あ、いや…けどなぁ…」
 とノルヴィはわざとらしく困って見せた。当然店主は「どうした?」と心配してくる。
「あぁ、荷物盗まれちゃったもんで、必要なものはまた買い揃えれば済むんだけど、そのための資金がねぇ…いや、ギルドで仕事でもこなせば収入はあるんだけど、1回の実入りなんて知れてるでしょ?すると長居しなくちゃいけないんだけど、実は急ぎの用も当てウダウダしてらんない訳よ…どうしたもんかねぇ…」
 ミラは呆れて頭を掻いた。そして隣で1人呆れてる間に話はとんとん拍子で進み、宿泊料を二泊で一泊分の値段にしてくれることになった。
 部屋に着いたノルヴィは、剣をベッドの傍に立て掛け腰を下ろした。
「ノルヴィ、さっきのはあんまり感心しないわ」
 後から腕組みしながら入ってきたミラは、弓を置きながら言った。
「しょうがないじゃんよ、まさか『南側から遥々魔法で飛ばされてきました』なんて言えないし。それに嘘付くのは多少気が引けるけど、急ぎの用ってのはあながち間違いってわけじゃないし、お金がないのも事実でしょ?」
「…それはそうだけど…」
 ノルヴィは靴を脱ぎ、ベッドに横たわった。
「んじゃ、俺っちもう寝るから。お休み」
「あ、ええ…お休み…」
 ミラはそう言うと自分も休もうとランプを消し、シーツを取って体に巻いて座った。ケンタウロスである彼女は、寝る時横にならない。
(…さっきの言葉…嘘を付くのに気が引けるのは『多少』なのね…)
 ミラは暗い部屋でどこを見つめるでもなく目を開けた。そしてノルヴィについて考えた。
(彼…戦えるのに、どうして私たちを雇ったのかしら?あの剣捌き…絶対に護身のため程度じゃなかった……そういえば、彼はあいつらを騎士団の精鋭部隊だってわかっていたわ…)
 彼女は彼の一々不可解な言動が頭から離れなかった。今すぐにでも寝ているノルヴィを起こして聞き出したいような気すらしているが、流石にはばかられる。
 当分眠れないだろうと思ったミラは、夜風に当たろうと静かに部屋を出て行った。
 そして戸が閉まった後で、ノルヴィのイビキが止まり、彼の瞼が開かれ瞳が天井を見つめた。
(…『さっきのは感心しない』ねぇ…それじゃぁさミラっち…俺はあんたに嫌われるかもよ…)
 ノルヴィの口から、小さく溜め息が漏れた。

 翌日、朝から2人は市場に出向いていた。理由はもちろん必需品の調達だ。
 ミラの荷物に入っていたのは、応急処置用の医療品と水筒、小さな毛布だけで、これでは旅などできはしない。雑貨屋でテントと毛布を購入し、それぞれの店で魚の燻製、干し肉、日持ちする野菜を購入した。
 雑貨屋で手に入れたのはテントと毛布だけではない、マントもだ。繰り返すようだが、この辺りは町を一歩出れば暑さと砂塵が襲ってくる。地肌を強い日光に晒すのは危険なため、フード付きのマントを纏い、それによって砂塵も防ぐことができる。
 2人はさっそくそのマントを羽織った。しっかりと編み込まれた茶色い絹の生地は日光と砂塵を防ぐには十分だ。
「これで、この辺り歩くのにも困らねぇな」
「ええ、そうね…」
 ミラは着心地を確かめながらも、隣のノルヴィに目線をやっていた。いつ質問しようか見計らっているのだ。
「さてと、こっからどうすっかな」
 ノルヴィは左右を見渡した。ミラは話の途切れたこのタイミングであれば聞き出せるかもしれないと考えた。気まずい話であれば宿に戻れば済む話だ。
「ねぇ、ノルヴィ…」
「あ、そうだ」
 ノルヴィは思い出したようにミラの切り出した話を遮った。
「ギルド行って手頃な依頼受けてこないと」
 そう言うと、ノルヴィはスタスタと歩き始めた。そして少し行ったかと思うと立ち止まって振り返り、「ミラっち、行かないの?」とさも自然な流れで言った。
「…ええ、そうね…」
 ノルヴィはもうこのタイミングから逃げてしまった、ミラはそう思って諦めた。
 依頼を受託し、そして町の外で依頼を遂行している間、ずっと彼女は微妙な顔をしていた。その理由はただ一つ。
 一年近く共に過ごしたきた男が、なにも話さず、まるで彼女から逃げるように隠している事実が、ひっかかって、気になって、心配で、不安だった。
 ノルヴィはそのことを知ってか知らずか、努めて普段通りの軽いノリで過ごしている。だがそれが、かえってミラの感情を煽った。
 
 依頼の内容はごくごく単純なものだ、町の外にある洞穴の奥から鍛冶に使う鉱石を取ってくるだけ。
 町の東に数百メートルのところに少々地面の隆起したところだあり、その一か所に人1人が通れるだけの穴があった。
「私は入れそうにないわね」
 ミラの半馬の体では無理があるのは一目瞭然だった。
「そうっぽいねぇ。じゃ、ミラっちはここで待っててよ、俺が採ってくるから」
「ええ、お願い」
 ノルヴィはそう言うと洞穴の中に半身で進入し始めるが、すぐに引き返してきた。
「どうしたの?」
「いや、この先がまた低くなっててさ…こいつ持って行けなそうだから預かっといてよ」
 そういうとノルヴィは持っていた剣をミラに渡した。
(え―!?)
 彼女は見た目よりもズッシリと重い剣に驚いた。
(なにこれ、見た目よりも全然重い…こんなのを片手で振り回してたっていうの!?)
 ノルヴィは、恐らくその心境を少なからず表していたであろうミラの表情を気にすることもなく、再び洞穴の奥へと入って行った。
 彼が採掘している間、ミラはずっとその穴の前で、時折吹く風を心待ちにしながら、陽と砂に晒されて待っていた。辺りは静かで、する音は風が隆起した地面に当たった音やミラのローブを靡かせている音くらいなものだ。
 そんな状況なら、誰しも一番気になっていることを考えるのは自然だろう。いや、もし目の前に美しい自然や絶景が広がっていたとしても、彼女には今それを心から楽しむということはできていないに違いなかった。
 頭に浮かぶのはノルヴィの事ばかり。どうして剣を隠し持ち、どうしてあれほど慣れた様子で戦うことが叶ったのか。この見た目以上に重い剣を片腕で軽々と扱うことができたのか。なぜその事について話さず、話そうとしないのか。
 ミラ1人でどれだけ考えようと決して答えの出ることのないその疑問を考えるうち、彼女はあらぬ想像までしてしまっていた。たとえば、ノルヴィは過去に傭兵だったのではないか、多くの人を殺めてきたのではないか、と。こういうとき悪い方に行きやすいのは人も魔物も同じだ。
 普段からは想像もできなかったノルヴィの『戦える』という一面。発情していたとはいえ、一度愛を求め、惹かれ、抱き合い交わった相手。そんな男のことを知らないことが、やけに哀しく、寂しく感じた。
 そんな気持ちからか、無意識に預かっていた剣を見つめていた。と、ミラはあることに気付いた。
(あら…?何かしら…)
 ノルヴィの、その両刃と同じ方向に向かう軽く装飾された鍔の中央の一点。そこに彼女の目は向けられていた。
(ここだけ周りと金属が違う…?)
 直径1センチほどの楕円の形に薄く盛り上がった箇所があった。剣を裏返せば、もう反面にも同じような箇所がある。そこだけが周りの金属と光の反射具合が異なっていて、よく見ると丁寧な作りの他の場所に対し、そこだけが表面に緩やかな凹凸があり、荒いその淵の下からは鍔などと同じ素材の滑らかな装飾らしき凹凸が顔を覗かせていた。
(後から付け足したのかしら…だとしたらなぜ?、まさか、ノルヴィが理由を離さないのと関係が―)
「たっだいま〜ッ」
「わっ―!」
 急に後ろから声を掛けられたのに驚き、剣は取りこぼし石に直撃させたミラは反射的に後ろ足による蹴りを繰り出していた。
「のわッ―!!」
 蹴りは、咄嗟に避けたノルヴィの後ろの隆起した地面を削り、彼はその威力を目の当たりにして鼓動を早くしながら固まっていた。
「ご、ごめんなさい」
「あ、うん…脅かした俺も悪いし…」
 とお互い気まずい様子で言った。
「あと、剣落としちゃった…」
 とミラは足元の剣を拾い、ノルヴィに渡した。
「ああ、大丈夫だよ」
 剣を受け取り、軽く砂を払った。
「鉱石は採れた?」
「ああ、バッチリよぅ。はやく戻ろうぜ」
 ノルヴィはハニカミながら言うと、親指で町を指した。

 宿に戻った2人は、身に着けていたマントを脱ぎ荷物を置いた。
「割と実入りは良かったねぇ」
「そうね。これで次の町でも何とか宿は泊まれると思うわ」
 簡単な依頼だったが、思った以上にいい報酬だったことに2人とも気をよくしていた。するとノルヴィは「さ〜てと…」と言って、着ていた少しくたびれたような薄茶色のベストを脱いでベッドの上に放った。
「風呂、お先にいい?」
「ええ」
 彼はバスルームへ入っていた。
 残されたミラは壁の向こうから聞こえるシャワーの音を聞きながら、荷物の整理を始めた。買ってすぐ無造作に入れた食料や道具を鞄から取り出し、それぞれ小分けしながら取り出しやすいように入れなおしていく。
 干し肉を鞄に入れながら、彼女の目はふとノルヴィの剣に向かった。干し肉を机の上に置くと、ゆっくり剣に近づいた。持ち上げるとあの柄の中央の一点を凝視していた。
(…剥がれかけてる…)
 何かを覆うようなその金属の淵が浮き上がっているのを見つけ、やはりその部分は後付されたのだとわかった。
 好奇心だった。ミラは恐る恐る指を伸ばし、その被さった金属を爪で引っ掛けた。ポロッとあまりにも容易くそれは剥がれた。接着が不十分だったのか、落とした時に接着が緩んだのか。
「えっ―?」
 ミラは予想だにしていなかった、その現れたものに言葉をなくした。

 ガチャッとバスルームのドアが開き、中から髪をまだ濡らしたノルヴィが現れた。
「上がったよぉ、ミラっちも入れば〜?」
 髪をタオルで雑把に拭きながら彼は言ったが、ゆっくりと振り向いたミラにキョトンとした表情に変わる。
「あれ、どったの?」
「…ノルヴィ、あなた…騎士団に居たの?」
 ミラが剣を見せると、ノルヴィの表情は一瞬だが驚きに染まった。ノルヴィの持っていた剣の柄の中央には、しっかりと騎士団を象徴する2本の剣が交差するデザインのエンブレムが刻まれていた。
「その剣って騎士団のだったの?いやぁビックリだわ、たまたまいい剣があったから売るのもったいないなぁと思って持ってたんだけどねぇ」
 ノルヴィは白々しく言ってのけたが、ミラの目線がそれることはなかった。
「ならあなたが戦えたのはどうして?」
「え?それはまぁ一応護身術程度には…」
「そう、あなたの護身術は騎士団の精鋭相手に太刀打ちできるのね…」
「あ、いやぁ…」
 ノルヴィは言葉を詰まらせた。
「お願い、本当のことを言って…あなたは、誰なの?」
 ミラは真剣な少し哀しさを含んだ顔で言った。彼の困った表情はすぐに真面目な顔に変わり、どうしたものかと言わんばかりに目が泳いでいた。そして瞼を瞑り、微笑しながら目を開け彼女を見た。
「やだなぁ…俺は俺だよ。ミラっちも知ってるでしょ、ノルヴィ・リックマンっていうただのおっさんだよ」
「…誤魔化さないで、ちゃんと答えて」
 ミラは声の調子を強めた。
「誤魔化してなんかないって〜。んじゃ俺先に飯食ってくるから…」
 とノルヴィは振り返り歩き出そうとした。
「いい加減にしてよッ!」
「っ―!」
 ミラは思わず怒鳴っていた。
「ミラっち…」
「…あなた、どうしてそんなに話したがらないの?…ずっと話を逸らして、私が偶然とか自然な流れとか思ってるとでも思ったの!?
 馬鹿にしないでっ、もしあなたが騎士団にいたことがあったってなんだっていうの?私がそれくらいであなたを嫌うわけないじゃないッ!みんなが嫌うわけないじゃないッ!
 それに…それに、私はあなたが好きッ!なのに好きな人のことを知らないのよッ。だから、もっと知りたいと思うのはおかしいこと!?いけないこと?それに1人で抱え込んだって、それってずっと辛いだけじゃないの!?」
 ミラがここまで感情を見せるのは珍しかった。確かに以前、発情してノルヴィにお色気全開だったことはある。だが今回は素面だ。つまり、それだけその想いが強かったということをノルヴィもやっと理解した。
「…わかった、話すよ」

 ノルヴィはそう言うと自分のベッドにミラへ背を向けるようにして座り、髪を拭いていたタオルを首に掛けた。
「そう、ミラっちの言うとおり、俺は昔騎士団にいた。魔物と戦ったことも、傷つけたことも、当然ある」
 口調こそ普段のようではあるが、その声は低く淡々としたものだった。
「でも、それは昔のことよ…それに、騎士団だった人間なんてたくさんいるわ」
「…俺が騎士団に入ったのは、成人して間もない時のことだ。今から…そう、もう15年前の話かねぇ。俺が入ったのは戦闘専門の精鋭部隊で5年も経つと進軍に加わる事もあってさぁ、それで何年も無事にいたんだ。ってことは少なくとも、俺はミラっちたちから恨まれても何も言えないことをしてるのはわかるでしょ…?」
「…それはっ…でも、仕方のないことでしょ…」
 ミラはノルヴィを励まそうとした。
「どうだろうねぇ…色々やったからねぇ…。
 人間同士の紛争にだって介入した。宗教間対立って奴だ、つっても『魔物との共存』っていう考えを起こした奴らに対する駆逐と制裁行為だけどねぇ。
 んでまぁ、軍部の中じゃそれなりに知られるようになった頃、俺はある任務を任されたわけ…」
「…ある、任務…?」
「偵察任務さ。侵攻するにあたってのね。俺は数人の仲間と共に親魔領に送り込まれた。…正直、その時は今すぐにでも剣を振るってやりたい気分だったってのが事実。なんせまだ『あっち側』だったし…。
 俺と仲間はそれぞれに分かれて旅人を装って行動した。魔物に遭遇することも多々あったが、親魔領内で荒立った行動はできない、適当に相手して追い払うか、厄介な奴ならとっとと逃げるか。まぁ、とにかく俺たちはそうやって諜報活動をしてたわけ」

 そしてノルヴィは一呼吸挟んで、少し笑っているかのような声で続けた。
「…ところがどっこい、調べれば調べるほど、見えてくんのは人間と魔物が幸せそうに暮らしてる現実。町の中じゃ、明らかに反魔領より治安はいいし、人はみんな穏やか。そいつぁ人だけじゃなく、魔物だってそうだった…。
 …ある時な、一緒に行動してたやつが報告に戻って俺一人だったことがあったんだ。
 その日俺は崖沿いを歩いてたんだけどもよ、運の悪いことに足元が前日の雨で緩んでやがって、急に崩れちまった。咄嗟に掴まって命と腰にぶら下げてた剣はなんとか助かったが、食料やその他荷物はパァ。そのまた運が悪いのが、所持金まで無くなっちまったもんだから、町に行っても飯が買えねぇ。それどころか町がその辺りにはほとんどなくてな。
 山の中を歩き続けて、疲れ果ててとうとう倒れちまって、行き倒れなんてダセェ死に方覚悟したよ。でもそん時運よくその近くの家に住む夫婦に助けられた。奥さんがホルスタウロスでな、すっかり衰弱した体がミルクのおかげで元通り、3日後には旅に戻った。
 ただ、俺は今まで見たこと、感じたことで、魔物に対する意識がだんだん変わってきているのに驚いて、戸惑ってた。なんだか、『神の御心のため、我ら人のため』って今まで戦ってきた俺の手が、とても汚れて見えたんだ」

 ノルヴィは自分の手を見つめた。後ろに立っているミラは、彼が今どんな顔をしているのかは見えない。ただ、背中がとても哀しそうに見えた。
「俺は、一緒にいたやつに言ったよ。『騎士団をやめる』ってな。当然理由を訊かれて、俺は正直に言った。今思えば、いくらでも言い訳はあったろうに、馬鹿正直にな…でもさ、そいつが間違いだった。
 あいつは教団の思想に従って、俺に剣を向けた。戦いたくなんてなかった、何年も一緒に過ごした奴だったからな…。ただ、俺も死にたくはないわけで、剣を交えた。説得しようとした、けど結局ダメだった…。
 俺たちは戦ううちに谷川の傍に場所を移していった。最後には、競り合いになって2人とも谷川に落ちた。俺は何とか助かったけど、あいつはどうなったか…今じゃ生きてるのかどうかもわからないしねぇ…」

 ミラはいつの間にか剣を両手で抱きしめるように握っていた。そして、だんだんと『聞くんじゃなかった、聞かなければよかった』という思いが湧きつつあった。なぜなら話をするノルヴィが辛そうにしていることが、ミラは辛かったからだ。
「そして俺は行商人として生きることにした。他に仕事はあるだろうけど、町に根付くよりも、放浪しながらの方が気持ちを整理できると思ったからな。
 ただし旅に危険は付き物、盗賊、野生の魔物…そいつらを退けるには剣を取らなきゃならないこともあった。でもそれじゃいつまでたってもどうにもなりそうにない、剣を完全に置かなきゃならないと思った…」
「…だから、私やトレアを雇ったの?」
「ああ、もう2度とその剣は握るまい…と、思っていたんだけどな。だが…」
 彼は天井を仰いだ。

 ミラはノルヴィの雰囲気が少し変わったように思えた。何がどうとは説明できないが、例えるならば…そう、まるで目の前の人間が一瞬で別の人間に変わってしまったかのような感じだ。
「もしかすると俺はそんなことを本気で思っていたわけじゃない…迷っていたのかもしれない。
 『戦いの中に一度身を置いたものが、そう容易くその血の沼から抜け出すことはできない』、だったか…」
「え?」
「俺の師の言葉だ。その意味が今やっとわかった気がする…」
「ノルヴィ…」
「本当に剣を2度と握らないつもりなら、捨ててしまえばよかっただけの話だ。封印しても持っていたのは、その沼から抜け出せなかったからなんだろうな…」
 ミラはかける言葉を見つけたかった。いや、事実かけられる言葉はいくつもあっただろう。ただ、そのどれもが薄っぺらいもののような気がしていた。いまどんな言葉をかけたとしても、目の前にいる『戦士』を慰めることも救うことも叶わないのを、ミラは分かっていた。
 部屋には沈黙が続いた。彼女はただ剣を抱き持ってたたずんでいるだけだ。
(…あ〜あ…私、勉強しに行って賢くなったつもりだったのに…もう、なんて声かけていいのか分からない…)
 ミラはその淡く桃色づいた唇を、悔しそうに噛んだ。

「…俺は…」
 沈黙を破ったのはノルヴィだった。
「…俺は…この手で多くの人間や魔物を傷つけ、時には命も奪ってきた…最後に奪ったとすれば、恐らく俺は友人を死なせた。そんな愚者を…ミラ、お前はどう思う…?」
 ミラは思わず息をのんだ。
 ノルヴィがミラを普通に呼んだ。それは別に不自然なことではない、むしろいつもなら少し嬉しいような気持ちで「どうしたの?いつもみたいに呼ばないのね?」と彼女は返すだろう。だが今だけは違う、とても居心地が悪い。
 『どう思う』という言葉の意味が、ミラには『慰めてほしい』という意味でない気がした。そしてその向こうにまだ彼の『真意』が隠れていると、そんな気がしていた。
「…どう…返してほしいの?」
 彼女は質問に何と返せばいいのか分からず、そう訊ねた。
「…どうとでも、お前が感じていることを言ってくれればいい」
 その答えを聞いたとき、ミラは少し悲しく険しい表情をした。そう、何かを感じ取ったかのように。
 そして剣をベッドの上に放り投げるように置き、次の瞬間にはベッドに半身を乗せるようにしてノルヴィに背中側から抱きついていた。
「っ―!」
「…怒るわよ…」
 一言目にそう言った彼女の声はとても哀しそうな、今にも泣きだすかと思うような声だった。
「…あなた…私がどう答えたとしても、姿を消すつもりだったでしょ…?」
「・・・・・」
 ノルヴィは何も答えなかった。それはつまり肯定したと同義だ。
「…そんなの許さない…絶対に嫌っ…」
 ミラのノルヴィを抱きしめる力が強くなった。その言葉に込めた思いの強さを表すかのように。
「ミラ…」
「私がどう思ってるかなんて…そんなの『あなたが好き』以外にあると思うのっ?
 あなたが過去にどれほど愚者であったとしても…私は…私が、その咎を一緒に背負うわ…いなくなるなんて、許さない―」
 ノルヴィは何か胸を締め付けられるような感覚を感じていた。今までほとんど忘れていた、知らなかったにも等しい感覚だった。
「トレアも…トーマも…キャスだって…みんなあなたがどこかへ行くのを絶対に許さないわよ…。
 何より…私が一番そんなの嫌なんだからっ…!」
 普段からは想像できないミラの言葉を聞いて、胸を締め付けるような感覚が強くなった。
 人が時に『切なさ』と呼び、時に『愛しさ』と呼ぶその感覚が、ノルヴィの手を動かし体に抱きつくミラの手に重ねさせた。

「ありがとう」

 不意に出た、本当にポロッとこぼれ出た言葉だった。
 そしてノルヴィは上半身と顔を後ろに向け、涙が頬を伝うミラの唇に自分の唇を重ねた。
12/06/11 02:03更新 / アバロンU世
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■作者メッセージ
普段三枚目なのに、じつは二枚目っていうおっさん。
憧れるなぁ…

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