読切小説
[TOP]
日常の中にある物語
 そろそろ寝ようかな。
 ランプを消そうと机の上にあるランプに手を伸ばす。ずっと同じ姿勢で本を読んでいたためか背骨がミシリと鳴った。明日は運動しよう、静かに決める。机の上で突っ伏していると、コツコツと誰かが扉を叩いた。
 誰かと言っても、この狭い家の住人は二人だけだ。もう一人の住人に向けて「開いてるよ」と言ってやると、扉が静かに開いた。
 ひょっこりと扉の隙間から顔を出すと、こちらが起きている事を認め喜んで入ってきた。傍まで駆け寄ってきたので、机から身を起こして小さな同居人の頭の上に手を乗せる。パジャマ姿のクリクリとした瞳が印象的な少女は、目を細めて微笑んだ。

「どうしたの、フレデリカ?」

 ブロンズの髪を撫でる。特別な手入れはおろか、櫛さえ通している訳でもないのに絹よりも滑らかな肌触りがする。

「アレスに、本を読んでもらいたくて・・・」
「あぁ、構わないよ? おいで」

 小さな声で俯きがちにねだったフレデリカだったが、二つ返事で返事をしてやると嬉しそうに顔を輝かせた。椅子から立ち上がりベッドに腰を降ろすと、ちょこんと膝の上に座りコチラを見上げてそれから安心したように体重を預ける。女性特有の甘みを帯びた香りと、子供独特の日向のような匂いがする。
 布越しに温かい体温を伝える少女は、普通の人間ではない。耳は左右に飛び出て側頭部には短い角が二本あり、おまけに背中からは小さな羽根、お尻からは先端がハート型をしたチャーミングな尻尾が生えていた。
 彼女は魔物だ。
 サキュバスの突然変異であるアリスという魔物らしい。交友関係のあるサキュバス夫妻が旅行に行く間だけ預かって欲しいと頼んできたのだ。一応、聖書は持っているものの興味本位で開いているだけだし、魔物に対して特別な感情は持っていない。ただ、数日の間だけなら、という条件で引き受けたのに、かれこれ一週間戻って来ていないのは困りものである。
 「教育しても良いのよ?」とは二人に言われたのだが、覚えていなかったとしてもフレデリカには手を出したくない。

「早く読んでよぉ〜」
「はいはい、急がない急がない・・・」

 早くして、と膝の上でせがむフレデリカを苦笑しながら宥めて本を開く。魔物とは言っても魅力的な女性というより、まだまだ幼い子供だ。読み聞かせている間にすぐに寝てしまうだろう。

「じゃ、読むよ?」
「うん!」
「昔々あるところに緑豊かな国がありました・・・」

 読み聞かせを始めると、フレデリカは食い入るように小説にのめりこむ。最近は絵の少ない本も読んで聞かせて欲しいとねだり始めた。
 今、フレデリカに読み聞かせているのは、一人の白馬に乗った王子様が悪い魔法使いに捕まったお姫様を迎えに行く話。誰もが知っているような、ありきたりな童話だ。地方によって多少詳細は異なるようだが、大まかなストーリーは変わらない。
 学習能力が元々高いのか、それともアリスの特徴なのだろうか、はたまた自分が親馬鹿なだけなのか。いずれにしろフレデリカが成長してくれるのは自分の事のように嬉しいものだ。



 優しくて勇敢な王子様と賢くて美しいお姫様が治めている国で。その国はとても豊かで、魔物も人もお互いに自分の良いところを生かしあって、仲良く暮らしていました。



 フレデリカは嬉しそうに微笑み、ゆったりと左右に尻尾を揺らした。皆仲良く暮らしているのが嬉しいようだ。作中の人物に心を重ねているのかもしれない。フレデリカは優しい子だ。この前は育てている植物に水をあげていたな。ちょっと水をあげすぎていた気もするけど、優しい気持ちは褒めてあげないといけないな。



 けれど、ある日の事です。突然暗雲が立ち込めるとお城に一人の魔女が現れました。西の塔に住んでいる魔女でした。魔女はそっと王子様に耳打ちをします。
「今度、東の魔女がこの王国に恐ろしい病を広めようとしているそうじゃ」
 国民が病気になって苦しむ姿は見たくありません。王子様は驚いて訊ねます。
「一体どうすれば、良いのですか?」
 ニヤリと笑って魔女は答えます。
「私に任せなさい。代わりに王子様のお姫様を貰いたい」



 作中に魔女が出てくると、フレデリカはそっと本を持つ手を握り、不安げに尻尾を腰に絡めた。こんなに見え透いた「お約束」でも心を揺らされてしまうのは、やっぱり魔物でも子供なようだ。少しだけ笑ってしまうとプクッと頬を膨らませた。



 王子様は困ってしまいます。王子様にとって国民は何にも代えがたいものです。けれど、それと同じくらいお姫様は大切な人でしたから。困りに困った王子様は、お姫様に相談します。するとお姫様は「私の事は心配しなくて良いですよ」と言いました。
「国民のためならば、喜んで行きましょう」
 お姫様はニコリと笑います。それから王子様の頬にキスをすると耳元で囁きます。
「満月の夜に迎えに来て下さいな。 必ず逃げますから」
 王子様は頷きます。それから小指を絡めて約束すると魔女の方に向かいました。
「もう良いのかな? それでは行こうか」
「では王子様。 お元気で」
 魔女が手に持った杖で床を叩くと二人は雲に乗って西の方へ飛んで行ってしまいました。



「お姫様、大丈夫?」
「さぁ、どうだろうね。 西の魔女は恐いからね」
 ちょっとだけ脅かしてみる。城に乗り込めるのに無理矢理連れて行かなかったり、律儀に約束を守ったりするので西の魔女は、悪い奴ではないのだけれど、フレデリカにとっては許せない悪党のようだ。
 唇を尖らせて、じぃ、と本に書かれた魔女の挿絵を見つめている。



「ひっひっひ、お姫様も手に入ったし。 大成功だね」
 魔女は西の塔へ帰ると随分と上機嫌でした。
 お姫様は魔女の召使のように働かされてしまいます。魔女にご飯の用意をさせられて、部屋の掃除と魔女の着た服も洗濯もやらされます。おまけに夜は魔女が寝付くまで子守唄を歌わされます。これでは休む暇もありません。
 そんな事をしている内に満月の夜がやってきました。魔女は何日もぐつぐつと煮込み、怪しげに泡を立てている鍋の中身を移します。
「今日は東の魔女の所に病気を広めさせないように行ってくるけど、良いかい?
 絶対に部屋から出るんじゃないよ? 出たら晩飯は抜きだからね」
 お姫様に向かって硬く言いつけて、箒に跨り東に飛んで行きました。



「チャンスだ! お姫様、早く逃げないと」
「おやおや、約束は守らなくても良いのかい? 言いつけられたんじゃないの?」
「良いの! だって王子様が迎えに来ちゃうもん! それにあんなに悪い奴のいう事なんか聞く必要ないよ!」
 魔女はこんなに良い奴なのに、フレデリカは随分とご立腹なようだ。「そうだね」と頭をポンポンとしてやると早く続き読んでと急かす。



 隙を突いてお姫様は部屋から抜け出します。塔の下まで降りると、白馬に乗った王子様が待っていてくれました。
「さぁ、乗って。 あの魔女が来ない内に」
 王子様はお姫様を馬に乗せて走り始めます。
 けれど、丁度魔女が用事を済ませて帰ってきてしまいました。部屋を開けて、お姫様がいなくなって驚きます。
「逃げたな! あのお姫様め・・・ とっつかまえて! 御仕置きしてやる!」
 怒って魔女は大声で叫びます。杖を振るい、風に乗ってお姫様を追いかけます。
 さぁ、大変
 王子様はお姫様と一緒に白馬に乗って逃げるけれど、魔女は風に乗って追いかける。ぐんぐんぐんぐん迫って来る。あぁ、もう手を伸ばせば届いてしまいそうだ。



「王子様とお姫様・・・ 大丈夫?」
 振り返り大きな瞳で訊ねる。童話なのだから物語はハッピーエンドで幕を引くと相場が決まっているというのに、不安げな瞳でこちらを見上げている。恐くないよ、大丈夫。そっと頭に手を乗せると小さく俯いた。



 けれど間一髪。
 城門の内側に滑り込むと、王子様とお姫様の後ろで門が閉まりました。待ち構えていた兵達は一斉に魔女を捕らえます。優秀な兵士達が魔女を縄でグルグル巻きにすると、ついに魔女も諦めたのかガックリと頭を倒しました。



「やった!」
 フレデリカは無邪気に喜ぶと膝の上で小さくガッツポーズをした。
 「単純だなぁ」そう思いつつも、フレデリカの頭にあごを乗せる。片手で本を持つと空いた腕でフレデリカを優しく抱く。本のページを親指で繰ると、魔女が縄で巻かれて兵士達に囲まれている挿絵が描かれていた。
 魔女が大粒の涙を零しているのを見ると、アリスはご満悦だった。
「フレデリカ、この魔女どうすれば良いかな?」
「牢屋に閉じ込めておく! だって、お姫様を攫ったんだよ! 許せないよ!」
「そうかなぁ?」
「うん! 絶対そうだよ!」



 兵士達は憤ります。魔女は親愛なるお姫様を攫ったのですから当然でしょう。すぐにでも牢屋に入れるべきだと主張します。
「確かにそうかもしれない・・・ けれど、お姫様は無事じゃないか?」
 王子様はお姫様と一緒に兵士達の前を歩き、魔女に歩み寄ります。そっと魔女の涙を拭ってあげると優しい声で訊ねます。
「どうして私の事を攫おうとしたの?」
 魔女はしゃくりあげながら答えます。
「寂しかった・・・ 一人で、ずっと塔に居るのが。 だから友達が欲しかった」



「・・・」
「どうすればいいかな?」
 フレデリカは俯いて首を振る。魔女は悪い事をした。けれど、反省もしているようだし、なによりも寂しかったようだ。許せないけれど、許してあげたいと矛盾した気持ちがフレデリカの中にある。一生懸命悩む。けれど、結局答えはでなかったようだ。
 それでも、悩むのは良い事だ。きっとこれからの人生で役に立つから。



「ならば、罰として私達のお城に来て下さいな」
 ニッコリと笑ってお姫様は提案します。王子様もそれは良いと手を打ちます。
 魔女は驚いて顔を上げます。王子様は魔女を縛る縄を剣で切り裂くと、手を差し出しました。おずおずと手を伸ばした魔女の手をしっかりと握ると立ち上がらせました。
 それから三人は末永く仲良く暮らしましたとさ
 めでたしめでたし



「ねぇ、アレス。 それで三人はどうなったの?」
「仲良く暮らしたんだろうさ・・・ ほら、今日はもうお休み」
 パタンと本を閉じると、フレデリカは少しだけ不満げに唇を尖らせた。
「あのさ・・・」
 フレデリカは本を受け取ったものの、その場でボンヤリと立っている。「どうしたの?」と訊ねると顔を赤らめて俯いた。恥ずかしそうにもじもじしている。言いにくい事なのか落ち着かないのかダラリと垂らした尻尾を左右に揺らした。
「一緒に・・・ 寝ても、良い?」
 蚊の鳴くような声で呟いた。

 なんだ そういう事か

 小さく苦笑いをして、端に寄りフレデリカが寝るだけのスペースを空けてやる。空いたスペースを軽く叩いて「ここで寝な」と言ってやると嬉しそうに横に寝転んだ。ランプを消して毛布を掛ける。フレデリカは腕の中に潜り込むと、そのままジィッと大きな瞳で見上げてくる。

「おやすみ、フレデリカ」
「おやすみ、アレス」

 そっと手を置くとフレデリカは心地良さそうに微笑み、そして、優しい闇が二人を包み込んだ。
11/02/07 01:31更新 / 佐藤 敏夫

■作者メッセージ
悩んだり 落ち込んだり
生きていれば誰だって感じる当たり前の事だけど
その時に手を差し出してくれる人って意外と多いと思います
そんな事を考えつつ筆を執ってみる

読んだ後に

「世の中って案外捨てたもんじゃないかなぁ・・・」

そう思えるような、優しい作品が書きたい

そして、誰か優しい人・・・ 感想下さい

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33