一日だけのシンデレラ ― Stand by me ―
暖かな月光がその部屋を満たす。
今では見かけなくなった一リッターのコカ・コーラ瓶や石臼など、有象無象のガラクタが犇めく中見事な彫刻が施された一際大きな姿見に一人の少女の鏡像が浮かんでいた。
― 私は・・・まだ・・ ―
そう呟き、少女は悲しげに微笑んだ。
「学園」の正門前、一人の少女がそわそわと誰かを待っていた。
落ち着いた桜色の袴、あずき色の腰まである艶やかな髪、そして目にも鮮やかな緋色の振袖と、少女は少々時代錯誤な出で立ちをしていた。しかし、魔物娘が多数通う「学園」では人の姿をとっているだけまだましな方だ。当然、「学園」に通う魔物娘が半裸同然の恰好をして警官に厳重注意を受けるところも此処では日常となっている。
「璃音様はまだかしら・・・・」
・・・・この少女は待ち合わせの一時間前から正門前に待っている。しかしながら、「学園」という特殊性を考慮するのなら間違いではない。魔物娘というのは非常に好色だ。既に伴侶や恋人を得ているのなら別だが、独身である場合は常に出会いに飢えている。人間の貞操観念からみて驚くべきことだが、魔物娘達はお互いが納得した場合なら二人の魔物娘が共通の「伴侶」を得ることもあるのだ。実際、学園では中学生くらいの少年が二人のクー・シーとサハギンと一緒にいる姿もよく見掛ける。
― ・・・・・・ ―
少女がチラリと辺りを見渡す。チラホラと魔物娘達がいるが彼女を見ても別段特に関心を持つことはなかった。しかし、彼女の恋人がここに来たら・・・・・。彼を口説く魔物娘の一人くらいは確実にいるだろう。
― ワタクシは璃音様を信じております。でも・・・・ ―
彼女が自らの身体を見る。
ドクン！ドクン！
胸の中、熱き血潮を送り出す心臓の鼓動を感じる。その力強さが彼女に勇気を与えてくれた。
― 大丈夫・・・、今のワタクシは「普通」だから ―
キキッ！
一台の軽自動車が彼女の目の前に止まる。
― 富士重工業製スバル３６０ヤングＳＳ ―
高度経済成長期を担った希代の名車であり、そのルックスから同じ空冷式水平対向エンジンを持つフォルクスワーゲンの愛称である「かぶと虫」に準え、「てんとう虫」や「アジアのフォルクスワーゲンビートル」と言われ親しまれていた。後期モデルのヤングＳＳはそのスバル３６０のスポーツバージョンだ。よくある内装のみをスポーティーに変えただけではない。エンジンにも手が入れられ、最高速は１２０キロ、ゼロヨンは２２秒の高性能マシンだ。
ガチャ！
小気味いい音と共にスバル３６０の特徴である前開き式のドアが開き、清潔な白いシャツに上質な生地を使ったベストを合わせた青年が車から降りて来た。
「ごめんなさい咲良さん。ちょっと待たせちゃたかな・・・」
「いえ、ワタクシも今来たところですの璃音様」
そう言うと少女、「天道咲良」は微笑んだ。
ブロロロォォォ・・・・
空冷式の水平対向エンジン独特の音が響く。もう４８年も前の旧車ではあるが所有者の世話がいいのだろう、水冷式と違い騒音が大きくなりがちな空冷エンジンとはいえ、不快な音を立てることはない。
「咲良さん、狭くありませんか？」
彼女がその肢体を預けているのは助手席で、小柄な璃音から見てもソコは少々狭く感じるであろうことは明白だった。そのため、車における上座、つまりは後部座席に座るように咲良に声を掛けたが彼女は頑として聞かなかった。
「いいえ。ワタクシはこの席がいいのです！だって・・・・」
咲良が璃音に身を寄せる。
「ここなら璃音様の体温が感じられますもの・・・」
祖父から受け継いだ骨董店を経営している璃音は自分の事で精一杯で、婦女に恋愛感情を抱いたことはなかった。寧ろ、昔の名も無き職人が作り出した作品を古臭いと言い放つ近頃の女性には嫌悪感すら抱いていた。だが、「彼女」は違った。モノクロの古写真から抜け出したかのような咲良。魔物娘でありながらも奥ゆかしく、旧家でありながらもそれを鼻にかけることすらない高潔な人柄。彼が恋に落ちるのは時間の問題だった。しかし、彼と彼女が所謂「普通」の恋人になるには多くのハードルが残されていた・・・。
「一応、東洋観光社で映画を見てからランチの予定だけど、それまで咲良さんは何処に行きたい？」
「えっと、璃音様映画というのは活動写真でよろしいですか？」
「それでいいよ。じゃあ・・・ビリヤードとかはどうかな？」
「まぁ、撞球ですか！父や兄が良くやっているのを見ていて、いつかワタクシもやってみたいと思っておりました！」
「これから行く東洋観光社には落ち着いたビリヤードバーがあるんだ。トレーナーもいるし、僕も教えられるから上映時間まで一緒にプレイしよう！」
「ええ！」
― 東洋観光社 ―
ヴァンパイアの夫婦が経営するここは名画座とレストラン、そしてバーが一緒になった複合施設で、映画好きな夫婦が世界中から集めた貴重な映画フィルムを厳選して上映していることで有名だ。また「１２モンキーズ」の原作である「ラ・ジュテ」、ウルトラセブンのエピソードである「第四惑星の悪夢」のイメージソースとなった「アルファヴィル」といった知る人ぞ知る作品も多く上映している。
璃音と咲良は比較的わかりやすいルールである「ナインボール」を楽しみ、トレーナーがサービスで見せてくれた様々なトリックショットに歓声をあげた。
そうこうしていくうちに上映時間となった。
璃音が悩んだ末に選んだ映画はバスターキートンの「キートンの船出」。単純なコメディ―映画だ。ＳＦ映画好きの璃音としてはハリーハウゼンの「世紀の謎！空飛ぶ円盤襲来す」が気になるが、咲良との「デート」であるため、さすがにそれは止めた。
「ああ、面白かった。ごめんなさいね、はしたなく大笑いしてしまって・・・」
「コメディアンにとってはお客さんが笑ってくれるのが一番の喜びさ。それに僕も楽しめたしね」
映画を楽しんだ二人がいるのは東洋観光社に併設されたレストランの一つで、少々早いランチをとっていた。上質なパストラミがふんだんに使われたルーベンサンドとコーヒーのセットで、男性である璃音でも満腹になるボリュームだったが、咲良はそれをペロリと平らげて食後のコーヒーをゆっくりと味わっている。
「永くこの世界におりましたが、殿方とこうして触れ合えるとは、ワタクシは思ってもおりませんでした・・・まるで夢みたいですわ。璃音様、ワタクシだけ楽しんでしまって申し訳ありません」
そう言うと咲良は目を伏せた。璃音が彼女を見つけ出すまで彼女が感じていた孤独の深さを彼は知らない。だからこそ、今の彼に出来ることは心から彼女を愛することだ。
「咲良さん、今日はホワイトデーだからそんなに謙遜しなくていいですよ」
「ほわいとでー？」
「う〜〜〜ん、わかりやすく言うとそうだな・・・今日は女の子がお姫様になれる日かな」
そう言うと、璃音は咲良に微笑みかけた。
「・・・・！」
咲良の細く白い指が璃音の手に重なる。
「その・・はしたない女でごめんなさい。璃音様・・・ワタクシにお情けをくださいまし・・」
頬を桜色に染める彼女の願いに璃音は静かに頷いた。
ホテルのスィートルーム、その白いシーツの中、一組の男女が睦合っていた。
「咲良さん・・・その・・痛くはありませんでしたか？」
璃音が傍らの咲良に声を掛ける。
「ええ・・・。パオラ先生がおっしゃった通り、この身体は殿方からのお情けを受けることができるのですね」
出会い、恋人となった咲良と璃音の生活は同棲というよりも同居生活と言った方が正しかった。性行為はおろか、キスすらなかったのだ。種族的な、よくある貞操観念といったことが障壁となっていたわけではない。咲良の、「魔物娘」としての問題だった。
「それはそうと、咲良さんはお腹は空かないかい？此処のレストランも・・・！」
璃音の唇を咲良の唇が塞ぐ。
「ごめんなさい・・・。ワタクシ・・その・・またシたくなってしまいまして・・・」
魔物娘にとって、セックスはお互いの愛を確かめ合う行為だけではなく、魔物娘が生きていく上で必要となる「精」の補給行為でもある。つまりは ― 身も蓋もない言い方ではあるが ― 「食事」といっていい。
「咲良さん・・・」
「咲良と呼んでくださいまし」
「咲良。僕も君と・・・・」
璃音が咲良と唇を重ね、彼女の体躯をベットに横たえる。
「璃音様・・・！」
「咲良、僕も璃音と呼んでくれませんか？」
「ええ、璃音さん」
照明の落とされた部屋に二人の影が再び重なり合った。
―「学園」内、パオラ・クライン博士の診療室 ―
人間を遥かに凌駕する身体能力を有する魔物娘と言えども、当たり前のことだが病気に罹患することもあれば怪我を負うこともある。しかしながら、そういう場合は良質な「精」を補給して暖かくして寝ていれば大概は翌日に治るが、問題は頭の中つまりは「心」の病気の場合だ。こればかりは精の補給だけで改善することはない。
診療室の白い清潔なベッドに身を委ねるのは璃音とデートを楽しんだ咲良だ。あれほど生を謳歌していた彼女からは生気を感じることはできず、まるで死んでいるかのように見える。
「咲良さん、生身でのデートはどうだったかしら？」
彼女の「主治医」であるリッチのパオラ・クラインが「彼女」に呼びかける。
シュオォォォォォォ・・・・
彼女のも言わぬ身体全体から青白い焔が噴き出したかと思うと、それは人型をとる。ナイトドレスを身に着けたその人型は半透明であり瞳の色も違うが、その整った顔立ちは咲良そのものだ。
「今日という一日をくださり、ありがとうございますパオラ先生」
半透明の咲良がパオラに深々と頭を下げる。
― ゴースト ―
愛し愛されることを知らずに亡くなった女性の魂が魔力と結びつくことにより生まれる魔物だ。このゴーストという魔物は少々変わった特性がある。生まれたままでは実体化できず、対象に取り憑き妄想を流し込みつつ精を得るのだ。そして、吸い続けた精により実体化したゴーストは晴れて伴侶と結ばれる、それが一般的なゴーストの生態だ。
― だが、もしそのゴーストが生身の身体に強い未練があったら？ ―
魔物として大成できず、未練や悲しみに苛まれることになるだろう。
ゴーストとして「学園」に通っていた咲良にその兆候が診られたため、学園のスクールドクターの一人であるパオラが彼女の恋人である璃音の協力を得て、今回咲良の「認知行動療法」を行うことになったのだ。
― 認知行動療法機材「pinoko」 ―
コチラで解析された「オートマトン」の技術をベースに幹細胞を使用した、意思を持たない特殊な「フレッシュゴーレム」だ。かの「漫画の神様」が書いた医療漫画に出てくる、身体の半分以上が人工臓器で形成された少女の名が名づけられたコレは、対象の記憶を読み取り生前の姿そっくりに姿を変えることができる。食事や性行為すら可能で、妊娠できない以外はまさに「魂のない人間」と言っても差し支えないだろう。しかし、これは不安定なゴーストに仮初の身体を与えることが目的ではない。
使用目的は「ゴーストが持つ生身の身体への未練を断ち切ること」。
pinokoに対象のゴーストを宿らせた上で、本人に「生前やりたかったこと」をさせるのだ。精神そのものが魔物化したゴーストに人間の身体は窮屈だ。その状態で愛する者とのセックスを経験させれば、人間としての精神からゴーストとして、魔物としての精神へと覚醒が促される。
彼女「天道咲良」は華族の長女に生まれその人生は順風満帆だった。しかし運命は残酷だ。彼女は当時不治の病と恐れられた肺結核に蝕まれ、その人生を広い邸宅に一人で過ごし・・・そして死んだ。友も無く、屋敷の大鏡に話しかけることのみが彼女の日常。死後にその魂は大鏡に宿り、古物商を営んでいた璃音がその大鏡を引き取ったことにより彼と彼女は出会ったのだ。
「一日人間として生活してみた感想は？」
「ええ、まるで夢のような一日でした。でも・・・・・」
「でも？」
「そのあれだけ望んだ生身の身体なのにしっくりこなくて・・・・やっぱり私はもう人間じゃないってわかりましたわ。これで明日から生まれ変わった気分で璃音さんと生きていける様な気がします。あ・・・もう私死んでいるんでしたね」
「ハッピーバースデー、咲良さん。自分の死を受け入れることがアンデッドにとって前を向いて進む第一歩よ。璃音さん、これを」
パオラは璃音にクラシカルな様式でまとめられた香水瓶を手渡すした。
「パオラ先生、これは？」
「ゴーストなどの霊魂タイプ用に調合された精補給剤よ。これを香水のように吹きかけて使用すれば時間制限はあるけど、精の足りないゴーストでも実体化できるわ」
そう言うとパオラは咲良にその補給剤を吹きかけた。
「ほら、璃音さん咲良さんを抱きしめてあげて」
恐る恐る璃音が咲良を抱きしめる。
「暖かい・・・・」
「璃音さん・・！」
咲良が璃音を抱きしめ返す。
「一応、一回程度ならその身体で普通のセックスも可能よ。中身が無くなったらいつでも来てね」
「パオラ先生、なんとお礼をすれば・・・」
「お礼なんていいわ璃音さん。それよりも二人とも頑張ってね。今日はなんといっても女の子がお姫様になれる日だからね」
そう言うとパオラは二人にウィンクした。
今では見かけなくなった一リッターのコカ・コーラ瓶や石臼など、有象無象のガラクタが犇めく中見事な彫刻が施された一際大きな姿見に一人の少女の鏡像が浮かんでいた。
― 私は・・・まだ・・ ―
そう呟き、少女は悲しげに微笑んだ。
「学園」の正門前、一人の少女がそわそわと誰かを待っていた。
落ち着いた桜色の袴、あずき色の腰まである艶やかな髪、そして目にも鮮やかな緋色の振袖と、少女は少々時代錯誤な出で立ちをしていた。しかし、魔物娘が多数通う「学園」では人の姿をとっているだけまだましな方だ。当然、「学園」に通う魔物娘が半裸同然の恰好をして警官に厳重注意を受けるところも此処では日常となっている。
「璃音様はまだかしら・・・・」
・・・・この少女は待ち合わせの一時間前から正門前に待っている。しかしながら、「学園」という特殊性を考慮するのなら間違いではない。魔物娘というのは非常に好色だ。既に伴侶や恋人を得ているのなら別だが、独身である場合は常に出会いに飢えている。人間の貞操観念からみて驚くべきことだが、魔物娘達はお互いが納得した場合なら二人の魔物娘が共通の「伴侶」を得ることもあるのだ。実際、学園では中学生くらいの少年が二人のクー・シーとサハギンと一緒にいる姿もよく見掛ける。
― ・・・・・・ ―
少女がチラリと辺りを見渡す。チラホラと魔物娘達がいるが彼女を見ても別段特に関心を持つことはなかった。しかし、彼女の恋人がここに来たら・・・・・。彼を口説く魔物娘の一人くらいは確実にいるだろう。
― ワタクシは璃音様を信じております。でも・・・・ ―
彼女が自らの身体を見る。
ドクン！ドクン！
胸の中、熱き血潮を送り出す心臓の鼓動を感じる。その力強さが彼女に勇気を与えてくれた。
― 大丈夫・・・、今のワタクシは「普通」だから ―
キキッ！
一台の軽自動車が彼女の目の前に止まる。
― 富士重工業製スバル３６０ヤングＳＳ ―
高度経済成長期を担った希代の名車であり、そのルックスから同じ空冷式水平対向エンジンを持つフォルクスワーゲンの愛称である「かぶと虫」に準え、「てんとう虫」や「アジアのフォルクスワーゲンビートル」と言われ親しまれていた。後期モデルのヤングＳＳはそのスバル３６０のスポーツバージョンだ。よくある内装のみをスポーティーに変えただけではない。エンジンにも手が入れられ、最高速は１２０キロ、ゼロヨンは２２秒の高性能マシンだ。
ガチャ！
小気味いい音と共にスバル３６０の特徴である前開き式のドアが開き、清潔な白いシャツに上質な生地を使ったベストを合わせた青年が車から降りて来た。
「ごめんなさい咲良さん。ちょっと待たせちゃたかな・・・」
「いえ、ワタクシも今来たところですの璃音様」
そう言うと少女、「天道咲良」は微笑んだ。
ブロロロォォォ・・・・
空冷式の水平対向エンジン独特の音が響く。もう４８年も前の旧車ではあるが所有者の世話がいいのだろう、水冷式と違い騒音が大きくなりがちな空冷エンジンとはいえ、不快な音を立てることはない。
「咲良さん、狭くありませんか？」
彼女がその肢体を預けているのは助手席で、小柄な璃音から見てもソコは少々狭く感じるであろうことは明白だった。そのため、車における上座、つまりは後部座席に座るように咲良に声を掛けたが彼女は頑として聞かなかった。
「いいえ。ワタクシはこの席がいいのです！だって・・・・」
咲良が璃音に身を寄せる。
「ここなら璃音様の体温が感じられますもの・・・」
祖父から受け継いだ骨董店を経営している璃音は自分の事で精一杯で、婦女に恋愛感情を抱いたことはなかった。寧ろ、昔の名も無き職人が作り出した作品を古臭いと言い放つ近頃の女性には嫌悪感すら抱いていた。だが、「彼女」は違った。モノクロの古写真から抜け出したかのような咲良。魔物娘でありながらも奥ゆかしく、旧家でありながらもそれを鼻にかけることすらない高潔な人柄。彼が恋に落ちるのは時間の問題だった。しかし、彼と彼女が所謂「普通」の恋人になるには多くのハードルが残されていた・・・。
「一応、東洋観光社で映画を見てからランチの予定だけど、それまで咲良さんは何処に行きたい？」
「えっと、璃音様映画というのは活動写真でよろしいですか？」
「それでいいよ。じゃあ・・・ビリヤードとかはどうかな？」
「まぁ、撞球ですか！父や兄が良くやっているのを見ていて、いつかワタクシもやってみたいと思っておりました！」
「これから行く東洋観光社には落ち着いたビリヤードバーがあるんだ。トレーナーもいるし、僕も教えられるから上映時間まで一緒にプレイしよう！」
「ええ！」
― 東洋観光社 ―
ヴァンパイアの夫婦が経営するここは名画座とレストラン、そしてバーが一緒になった複合施設で、映画好きな夫婦が世界中から集めた貴重な映画フィルムを厳選して上映していることで有名だ。また「１２モンキーズ」の原作である「ラ・ジュテ」、ウルトラセブンのエピソードである「第四惑星の悪夢」のイメージソースとなった「アルファヴィル」といった知る人ぞ知る作品も多く上映している。
璃音と咲良は比較的わかりやすいルールである「ナインボール」を楽しみ、トレーナーがサービスで見せてくれた様々なトリックショットに歓声をあげた。
そうこうしていくうちに上映時間となった。
璃音が悩んだ末に選んだ映画はバスターキートンの「キートンの船出」。単純なコメディ―映画だ。ＳＦ映画好きの璃音としてはハリーハウゼンの「世紀の謎！空飛ぶ円盤襲来す」が気になるが、咲良との「デート」であるため、さすがにそれは止めた。
「ああ、面白かった。ごめんなさいね、はしたなく大笑いしてしまって・・・」
「コメディアンにとってはお客さんが笑ってくれるのが一番の喜びさ。それに僕も楽しめたしね」
映画を楽しんだ二人がいるのは東洋観光社に併設されたレストランの一つで、少々早いランチをとっていた。上質なパストラミがふんだんに使われたルーベンサンドとコーヒーのセットで、男性である璃音でも満腹になるボリュームだったが、咲良はそれをペロリと平らげて食後のコーヒーをゆっくりと味わっている。
「永くこの世界におりましたが、殿方とこうして触れ合えるとは、ワタクシは思ってもおりませんでした・・・まるで夢みたいですわ。璃音様、ワタクシだけ楽しんでしまって申し訳ありません」
そう言うと咲良は目を伏せた。璃音が彼女を見つけ出すまで彼女が感じていた孤独の深さを彼は知らない。だからこそ、今の彼に出来ることは心から彼女を愛することだ。
「咲良さん、今日はホワイトデーだからそんなに謙遜しなくていいですよ」
「ほわいとでー？」
「う〜〜〜ん、わかりやすく言うとそうだな・・・今日は女の子がお姫様になれる日かな」
そう言うと、璃音は咲良に微笑みかけた。
「・・・・！」
咲良の細く白い指が璃音の手に重なる。
「その・・はしたない女でごめんなさい。璃音様・・・ワタクシにお情けをくださいまし・・」
頬を桜色に染める彼女の願いに璃音は静かに頷いた。
ホテルのスィートルーム、その白いシーツの中、一組の男女が睦合っていた。
「咲良さん・・・その・・痛くはありませんでしたか？」
璃音が傍らの咲良に声を掛ける。
「ええ・・・。パオラ先生がおっしゃった通り、この身体は殿方からのお情けを受けることができるのですね」
出会い、恋人となった咲良と璃音の生活は同棲というよりも同居生活と言った方が正しかった。性行為はおろか、キスすらなかったのだ。種族的な、よくある貞操観念といったことが障壁となっていたわけではない。咲良の、「魔物娘」としての問題だった。
「それはそうと、咲良さんはお腹は空かないかい？此処のレストランも・・・！」
璃音の唇を咲良の唇が塞ぐ。
「ごめんなさい・・・。ワタクシ・・その・・またシたくなってしまいまして・・・」
魔物娘にとって、セックスはお互いの愛を確かめ合う行為だけではなく、魔物娘が生きていく上で必要となる「精」の補給行為でもある。つまりは ― 身も蓋もない言い方ではあるが ― 「食事」といっていい。
「咲良さん・・・」
「咲良と呼んでくださいまし」
「咲良。僕も君と・・・・」
璃音が咲良と唇を重ね、彼女の体躯をベットに横たえる。
「璃音様・・・！」
「咲良、僕も璃音と呼んでくれませんか？」
「ええ、璃音さん」
照明の落とされた部屋に二人の影が再び重なり合った。
―「学園」内、パオラ・クライン博士の診療室 ―
人間を遥かに凌駕する身体能力を有する魔物娘と言えども、当たり前のことだが病気に罹患することもあれば怪我を負うこともある。しかしながら、そういう場合は良質な「精」を補給して暖かくして寝ていれば大概は翌日に治るが、問題は頭の中つまりは「心」の病気の場合だ。こればかりは精の補給だけで改善することはない。
診療室の白い清潔なベッドに身を委ねるのは璃音とデートを楽しんだ咲良だ。あれほど生を謳歌していた彼女からは生気を感じることはできず、まるで死んでいるかのように見える。
「咲良さん、生身でのデートはどうだったかしら？」
彼女の「主治医」であるリッチのパオラ・クラインが「彼女」に呼びかける。
シュオォォォォォォ・・・・
彼女のも言わぬ身体全体から青白い焔が噴き出したかと思うと、それは人型をとる。ナイトドレスを身に着けたその人型は半透明であり瞳の色も違うが、その整った顔立ちは咲良そのものだ。
「今日という一日をくださり、ありがとうございますパオラ先生」
半透明の咲良がパオラに深々と頭を下げる。
― ゴースト ―
愛し愛されることを知らずに亡くなった女性の魂が魔力と結びつくことにより生まれる魔物だ。このゴーストという魔物は少々変わった特性がある。生まれたままでは実体化できず、対象に取り憑き妄想を流し込みつつ精を得るのだ。そして、吸い続けた精により実体化したゴーストは晴れて伴侶と結ばれる、それが一般的なゴーストの生態だ。
― だが、もしそのゴーストが生身の身体に強い未練があったら？ ―
魔物として大成できず、未練や悲しみに苛まれることになるだろう。
ゴーストとして「学園」に通っていた咲良にその兆候が診られたため、学園のスクールドクターの一人であるパオラが彼女の恋人である璃音の協力を得て、今回咲良の「認知行動療法」を行うことになったのだ。
― 認知行動療法機材「pinoko」 ―
コチラで解析された「オートマトン」の技術をベースに幹細胞を使用した、意思を持たない特殊な「フレッシュゴーレム」だ。かの「漫画の神様」が書いた医療漫画に出てくる、身体の半分以上が人工臓器で形成された少女の名が名づけられたコレは、対象の記憶を読み取り生前の姿そっくりに姿を変えることができる。食事や性行為すら可能で、妊娠できない以外はまさに「魂のない人間」と言っても差し支えないだろう。しかし、これは不安定なゴーストに仮初の身体を与えることが目的ではない。
使用目的は「ゴーストが持つ生身の身体への未練を断ち切ること」。
pinokoに対象のゴーストを宿らせた上で、本人に「生前やりたかったこと」をさせるのだ。精神そのものが魔物化したゴーストに人間の身体は窮屈だ。その状態で愛する者とのセックスを経験させれば、人間としての精神からゴーストとして、魔物としての精神へと覚醒が促される。
彼女「天道咲良」は華族の長女に生まれその人生は順風満帆だった。しかし運命は残酷だ。彼女は当時不治の病と恐れられた肺結核に蝕まれ、その人生を広い邸宅に一人で過ごし・・・そして死んだ。友も無く、屋敷の大鏡に話しかけることのみが彼女の日常。死後にその魂は大鏡に宿り、古物商を営んでいた璃音がその大鏡を引き取ったことにより彼と彼女は出会ったのだ。
「一日人間として生活してみた感想は？」
「ええ、まるで夢のような一日でした。でも・・・・・」
「でも？」
「そのあれだけ望んだ生身の身体なのにしっくりこなくて・・・・やっぱり私はもう人間じゃないってわかりましたわ。これで明日から生まれ変わった気分で璃音さんと生きていける様な気がします。あ・・・もう私死んでいるんでしたね」
「ハッピーバースデー、咲良さん。自分の死を受け入れることがアンデッドにとって前を向いて進む第一歩よ。璃音さん、これを」
パオラは璃音にクラシカルな様式でまとめられた香水瓶を手渡すした。
「パオラ先生、これは？」
「ゴーストなどの霊魂タイプ用に調合された精補給剤よ。これを香水のように吹きかけて使用すれば時間制限はあるけど、精の足りないゴーストでも実体化できるわ」
そう言うとパオラは咲良にその補給剤を吹きかけた。
「ほら、璃音さん咲良さんを抱きしめてあげて」
恐る恐る璃音が咲良を抱きしめる。
「暖かい・・・・」
「璃音さん・・！」
咲良が璃音を抱きしめ返す。
「一応、一回程度ならその身体で普通のセックスも可能よ。中身が無くなったらいつでも来てね」
「パオラ先生、なんとお礼をすれば・・・」
「お礼なんていいわ璃音さん。それよりも二人とも頑張ってね。今日はなんといっても女の子がお姫様になれる日だからね」
そう言うとパオラは二人にウィンクした。
18/03/14 21:05更新 / 法螺男