読切小説
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美しい狐二人が、ちっとも美しくない件について
「よう、狐のカタチした狗、が!」
「……なんですか、薄汚い野良狐が!」
 妖狐と稲荷が、睨み合っていた。

 美しい狐二人が、ちっとも美しくない件について。
「次の会議の議案にしようか、これ」
「冗談……」
 新興企業コンコムの共同経営者二人は、愛する妻である妖狐と稲荷が、今にも取っ組み合いを始めそうな状況に対してクールを装うとした。
 無駄な努力と解っていても。

 これは予行演習のつもりだった。
 共同経営者という立場上、今は兎も角、今後は夫婦で公の場に出る事も多くなる。
 ついでに言えば、どうも商売事を始めると人は何かと縁起を担ぎたくなるものらしい。
 縁起など根拠の無い空元気、と言ってしまうのは容易いが、そんな空元気でも無ければやってられない時もある。
 そしてそんな空元気を起す薬はまだ開発されていないのだから、それは無いよりはマシで、起こればめっけ物なのである。
 そして二人の妻は、見ての通り妖狐と稲荷、狐であった。
 狐は古くから豊穣を司るとされ、そんな彼女らがこの若い経営者の傍らに甲斐甲斐しく寄り添っているだけで、何より商売相手と出資者達からは、なんとなし心強く見えるらしい。
 それこそ気休めなのではあるが。
 実を言うと、そんな妻の為にやはりこちらも甲斐甲斐しく商売に勤しむ二人の経営者の姿が、出資者からすればそれなりの担保に値するのであって、狐に対する験担ぎはその漠然とした評価を言い表す代用語であった側面もあった。ただそんな二人を知らない者からすれば、狐を侍らせた経営者と言うものは、それなりに絵になった。
 それも二人の共同経営者共に、嫁は狐なのである。
 つまり、この組み合わせで、である。

 似た者同士は仲が悪いという言葉の通り、同じ狐の妖狐と稲荷は仲が悪いような気がしていた。以前から相手の事を話題にすると、妻の言葉がきつくなったし、不機嫌になった。
 最初は杞憂か、せいぜい焼き餅程度と思って、でも念のためにと稲荷の夫の家に、妖狐とその夫を招いて顔合わせをしてみた。

「ド淫乱な妖狐!」
「ムッツリ稲荷が!」

 そして、このざまだった。
 つまり、公式の場でこんな光景が展開されるのだ。このままでは。
 このままでは、と言ってみた所、このまま行くしか無いのだが。どうにも……。
 二人の経営者かつ夫達は、どうしようもない溜め息をついた。
 ついぞ、少なくとも仕事では、どんな困難を前にしても味わった事の無い無力感だ。

「ふん、人間の信仰対象として人為淘汰されて作られた"品種"が! それで祀り上げられていい気になるなよ。人間に都合良く踊らされて魔力の照射幅さえ狭められた、狐の出来損ない!」
 妖狐は、稲荷という自分の紛い物を嫌悪するかのように言い捨てた。
 すると稲荷は、したり顔で言い返す。
「ええ、向ける相手も解らずに、無節操に魔力をお漏らししている誰かさんとは大違い」
 しかし、その澄まし顔が怒りで破綻寸前である事は明らかであった。
 そんな稲荷を、妖狐が吠えたてた。
「飼い犬風情が!」
 稲荷が吠え返す。
「五本程度の尾っぽ持ちが、偉そうに!」
 個人攻撃に転じた稲荷に、妖狐は待ってましたと言わんばかりに鼻でせせら笑う。
「八尾も尻尾を誇ってまぁ……どんだけ男を搾ったのよ。夫でもない男にあられも無く啼いて強請ったんだね? それでガキこさえて、慌てて夫婦の契りを上げた、淫乱って意味でご立派な稲荷様!」
 その言葉に稲荷は絶句した。
 妖狐の言う通りなのだ。
 男に対する欲望は妖狐と変わらないが、貞操感だけは強く縛られている筈の稲荷。その稲荷である筈の彼女が、契れぬうちに子を孕んでしまった事を言われるのは、何より一番トラウマであった。
 それも、よりにもよって、淫乱のままで「がまん」の「が」の字も頓着しない妖狐なんぞに。
 稲荷の真っ赤にした頬が、ぷぅと膨れ上がった。
「お黙りなさい、巾着の餅抜きが!」
「なっ……」
 今度は妖狐が絶句する番だった。
 あの稲荷は、妖狐らの間に子が無いのを、中身が無いタネナシだと言っているのだ。
 だが淫乱な妖狐だって、愛する人の為に我慢する事だって、"多少"はする。
 狐の愛し方と、人の愛し方は違う。人同士が愛し合ってもその違いはあるのに、違う種族同士なら尚更だ。その違いに苛まれてしまう事だってある。
 淫乱な妖狐でも躊躇って、人のように愛したくて、男を狐のように貪れなくなる時もあるのだ。

 だが、それを言うなら稲荷とて、同じなのだ。
 貞操感も契りも忘れて、ただ求めてしまう事もあるのだ。
 ただの優しさと、ただ唯一の人を愛する情との区別がつかず、そしてその分別がついた時、それが解っても尚、別れられずに体を重ね続けた挙げ句、孕んでしまう事だってある。
 稲荷とて、触れてしまったものに呑まれるようにして、淫乱のままに訳も解らずに求めてしまう、どうにもできない感情が芽生える事もあるのだ。

 結局の所、稲荷だ妖狐だと言った所で、狐は狐であって、かと言って同じ狐であっても、まぁ色々とあると言う事なのではあるが。

「このクソ稲荷! もういっぺん言ってみろぉ!」
「淫らな妖狐! そのくせ学生時代から夫と関係を持って、それなのにまだ尾っぽは五本、いまだ子も無し、それでも狐かい?! この出来損ないが!」
「出来損ないはどっちだ! 狐の出来損ない稲荷の、更にその貞操感も焼き切れた稲荷の出来損ない女が!」
「言うたな!」
「言ったわよ!」
 きぃぃーーーっ!

 そしてそんな時、稲荷の夫は、
「ああ、怒りに頬をぷるぷる震わすのも可愛いなぁ」と呑気に思ってた。
 またそんな時、妖狐の夫は、
「罵られて全身の肌を真っ赤に香らせるのも、また色っぽいなぁ」とやっぱり呑気に思っていた。
 彼等は眼前の光景に感嘆を禁じ得ない。それは妻の意外な一面を発見できて、新鮮な驚きを彼等に与えてくれるものだった。
 そしてここは、努めて蚊帳の外のつもりである。
 起業家にとって、スルー能力も立派な必須スキルである。
 でも彼等は、現実逃避に失敗した。
 現実は、彼等を見逃しやしなかった。
 狐の爪が、飛んで来た。
「イタッ!」
「イテェッ!」
 二人の夫は、頬にそれぞれ相手の奥さんの狐に引っ掻き傷を刻まれた。
「何で僕なの」
「俺かよっ」
 怒りが定数に達した二人の狐は、とりあえず、互いに相手の夫の頬にお見舞いしていたのだ。
「お前んとこの嫁さん、どうかしてるぜ」
 稲荷にバリ掻かれて、妖狐の夫は稲荷の夫に向かって言った。
「それはこっちの科白」
 やはり妖狐にバリ掻かれた、稲荷の夫も言い返す。
 そして二人の夫は声をハモらす
「なんで?」
 すると二人の狐も、声をハモらした。
「だって、女の肌を傷つけるよりは、男の肌でしょ?」
 あーなんでしょうか、どう反論すれば良いのか解らないや。
 どう考えても妻たちの方が理不尽なのに。
「それとも、愛する妻の頬が血まみれになる方が良い、と?」
 ああ、もう反論できない。

 そんな中、遠くから柔らかくて小さくて可愛い、少し覚束ない様子で床を踏みしめる気配が近づいて来た。
 その場違いな足音に、稲荷が振り向いた。
「かぁさまぁー」
 振り向いたそれに向かって、とてとてと、一人の子狐がこの修羅の国と化した部屋に入って来た。
 その怖いもの知らずは、稲荷の娘であった。
 すると稲荷は、先ほどまで鬼の形相等かなぐり棄てて、蜜柑色の瞳に柔らかな光をたたえ、我が子を腕の中に迎えた。
 一瞬で部屋の雰囲気がお花畑になる、子供とはなかなか卑怯な存在なのかもしれない。
 そしてそれを見る妖狐の金色瞳が、星のようにきらきらと瞬く。尻尾が忙しなく、ふりふりふり、としていた。

「あんたー、あれ欲しい、私も欲しい、ちょうだい、プレゼントしてーっ!」
 妖狐は帰るなり夫をベットに放り投げ、絶妙な時間差でそれに飛びかかった。抜かりは無く、自分はすっかり素っ裸になり、夫をそうする算段も整っている。自分が彼に着弾した数瞬で、彼も素っ裸だ。
 まぁそれは、いつもの光景でもあるのだが。
 あれとは、子狐だ。
 稲荷の娘の余りの可愛さに、もう妖狐はめろめろになっていた。
 それにタネナシなどと言われた手前もある。
「あんな稲荷なんかでも、もうあんな可愛い子狐を持ってるんだぞ、私も欲しいーっ! あんな娘が欲しいーっ!」
「その娘も、その稲荷なんだけどな」
 余計なことを言った。
 彼女はすっかり我を忘れて、というか、そんな事を言う夫なんかを無視して子作りに励む事にした。つまり、狐で摘んだ。
 しかし、化かされて自分を見失った夫にすぐに寂しくなり、妖狐は五本の尻尾で夫の身体をくすぐり起こし、おねだりする。
「愛してよぉ、私もあの稲荷のように、愛されて子供を作りたいよぉ。そうすればきっと、あの娘のような可愛い娘が私たちにもできるよぉ」
 応える間を与える事無く、溢れ返る愛情を強引に呑ませようとする妻に、妖狐の夫は友人でもある稲荷の夫を半分恨んだ。
 ただ半分だけ。
 今日の彼女は可愛くて仕方が無い。自分によく感情をぶつけてくる。溢れ返る自分への想いに身を震わせる、そんな妻の姿がいじらしくて可愛かった。
「あの稲荷には、感謝しなくちゃね」
 思いがけない妻の言葉に、夫は驚いていた。
「だって私自身を弁護して戦って守るってのは、愛しい夫を守る事なんだもん。私は戦い切った。だから私は今充実している、私はあんたが大好きだ」
 そう言い切って妖狐は、その想いの丈を確認するようにまずは激しく、噛み付く様な接吻をする。
 夫は噛み付き返すようにそれに応えた。
 夫の想いの丈も唇で感じで、妻は実感する。
「敵の存在が、私に大事なものを強く想わせる。
 私はいけ好かない稲荷からそれを守った。
 あんにゃろうめ、私とあんたとの関係が薄々だって言ってやがった。だから、見ていやがれ!
 あんたも、男見せてみろよ、私に可愛い子狐を孕ませてよ」
 夫は妻の妖狐を組み敷いた。
「今のお前の気持ちで溢れた俺のものなら、きっと可愛い子供ができるだろうな」
 妻が当てて来る自分への気持ちに、それに応えようとする何かが出そうで、それを押さえ込むのがやっとだった。
 彼女に溢れそうな自分を一滴残らず注いで、自分が溢れる程に愛いされる事を感じている事を、この愛してくれている妻に知らしたかった。
 その互いに溢れさせたもので、子を授けてやりたくてしょうがなくなる。
 夫のそんな少し不器用な言い方に、妻はそんな機微すら愛おしくてそれで待ち切れずに、機微も何もかんもを引き摺り壊すように、半ば強引にして迎え入れる。
 そして夫のその熱いものを受け止めて、今日程強くその愛しく感じている夫の鼓動と重ねるように、重ねた粘膜越しに伝わるその血潮を感じる度に、それでもまだ自分の気持ちには足りぬと、もっと夫を求めるかのように、何度も、何度も、妖狐は止め処無く吹き出す夫への想いに啼き上げていった。

「ぷぅー」
 稲荷は膨れっ面であった。
 夫と一緒の布団に入り、さっさと着ているものも脱いで、あまつさえ夫の愛撫で身体を火照らせているのに、心ここにあらずという感じだ。
 あの妖狐が、娘のそらに気に入られたのが、よほど気に入らないらしい。
 五本の尾っぽで戦隊もの宜しくポーズを決めて、あの娘の喝采を受けたのだ。娘はすっかりあの妖狐を気に入って、そんな彼女と啀み合う母親を、めっ、したのである。
 それが心底悔しいらしい。
「あの女狐がぁっ」
「君もだろう」
 余計なツッコミだった。
 彼女はすっかり拗ねてしまって、そっぽを向く。
 夫は妻にそっぽを向かれるのが何より辛い。布団の上に大の字になって寝転んだ。
「ああ、もう! 今日は僕を好きにしていいよ!」
 Goサインを受けた稲荷は、無抵抗に腹を晒して寝っ転がる獲物に飛びかかった。
 あの妖狐との憂さを、まるで体の中からほじり刮げ落とすように、夫のものを呑み込んで掻き回した。でもそれが、何かと自分の欲求を隠したがる稲荷の言い訳で、本当は自分がそうしたいだけである事を夫には察しがついていたし、妻自身も半ば自覚しているらしかった。
 だから余計に忌々しい、あの妖狐め! と彼に激しく当たり散らしていた。
 ……でも、あの妖狐には少し感謝しなくてはなりませんね。
 とも、稲荷は思っていた。
 妖狐と罵り合った興奮が、まだ冷めない。あの罵声から、まるで私たちが肉のみを求める関係のように言う汚い言い口から、私は彼を守れたのだろうか。私はこんなにも彼を愛しているのに、悔しいたらありゃしない。
 夫の何処にも異常が無いか、妖狐菌みたいなのに感染していないかを調べるように。そしてあの罵声の反証を探すように、彼女は夫を組み敷いて丹念に執拗に責め立てていた。
 夫を、こんなに、激しく求めるのは、久しぶり……。 
 そして夫は思い知らされていた。狐が肉食獣だって事を。そして稲荷の一番の好物は稲荷鮨なんかじゃなくて、実はお肉である事を。
 妻にある意味食べられながら夫はそんな事を考えていたが、すぐに妻の、いつも以上の激しさに意識が飛びそうになる。
 だが、気絶するには余りにも勿体無く、稲荷の夫はそれに堪えて、それ以上の愛情を与えるように、覆い被さるように襲いかかる妻を迎えて、愛して、その隅々を撫でて、時に摘んで、自分の腰の上で必死に腰を振る彼女に、労るように手を添えて、彼女の自分への気持ちの邪魔にならないようにしながら、自らもそれを突き上げた。
 自分をいつも以上に感じている妻に、より自分を感じさせたくて、夫は妻に応えていった。
 それは稲荷でもあってあの妖狐もそうであるが、二人にとって、二組の狐の夫婦にとって、それはとても幸せな一晩となった。

 稲荷と妖狐は似た者同士だからか、仲が悪いらしい。
 合わせれば、火に油を注ぐようなものなのかもしれけない。
 並の魔物などよりも尾の数だけ魔力を扱う彼女らだけに、油揚げを揚げる油どころの話では無い。シャレにならない。
 混ぜるな危険とは、こいつらの為にあるのではないかと勘ぐる時ある。

 でも結局それは、当人達からすれば、愛しの夫と燃え盛る為の、着火材程度の意味なんだろうか。
 互いに化かして利用し合う。彼女らは狐だし、僅かにデテールの差異があるだけの似たのも同士なのだから、よく解っている。相手も悪い気がしない筈だ、悪いようにはしていない。
 狐たちはそう思いながら、心置きなく啀み合い、その傷を心置きなく夫に舐めてもらうのか。
 引っ掻かれたのは今回、夫の方であったが。

「あの馬鹿稲荷の傷、まだ痛む? なら舐めて上げる」

「あの妖狐がうつります! 消毒して差し上げます。ええもう、徹底的に!」

 期せずとも二人の夫は、共に妻に頬を舐められていた。彼女らは、愛おしさをぶつける口実を新たに見つけてはしゃぐように、金色か蜜柑色の目をギラギラとさせていた。
 そしてやっぱりと、なんとなし夫たちは、その真相を確信したようであった。



 ちなみに、翌日のコンコム社の非公式ミーティングの議題は、
「美しい狐二人が、ちっとも美しくない件について」
 であった。



11/12/13 02:21更新 / 雑食ハイエナ

■作者メッセージ
 妖狐は拡散波動砲で、稲荷は火炎直撃砲だと思う。(謎)
 あと、取り敢えず生きてます。(そこ、舌打ちしない)

 以前他SSの感想で、妖狐と稲荷を区別する機械を、というものがありまして、確かにというか、そういやこいつら何で別種なの? と、前からなんと無し思っていて。
 それで思い浮かんだのがこれであり、
 あるいは、

 男に一途に尽くして自滅するのか稲荷で、
 男のケツを叩きながら破滅するのが妖狐。

 というフレーズが思い浮かんだ。
 正しいのかどうかは解らないけれど、なんかそんな気がする。
 なんで自爆してんだよこいつら、というのはさておき。
 そして妖狐と稲荷は仲が悪い、という設定が公式であったようなと勘違いしたのが、そもそものこの話を書き始めたキッカケだなんて事はヒミツだ。


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