連載小説
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period 1
 鷹崎いろはは平凡な高校生男子である。何処にでも居るような平均的な少年であり、長所と言えば小学生の頃からずっと続けている剣道によって鍛えられた体くらいのものだ。
 学業は平均ラインを行ったり来たり、剣道以外のスポーツもあまり得手では無い。
 容姿は――悪くは無いが良くも無いと言ったところだろうか、と自分で判断を下していた。
 だというのに――
「ねぇ、イロハ。こっちを向いて?」
「………」
 彼は夏休み以来、銀髪紅眼の巨乳美少女につきまとわれていた。日光を浴びて銀色に輝く髪はまるで上質な絹のようで、澄んだ光を湛える紅の瞳は深い深淵の輝きを持つルビーのよう。もちろん顔の造作は神に愛されているとしか思えないほど整っている。
 彼女はいろはと同じ高校のシャツに身を包んでいるが、そのプロポーションが規格外なためか胸元のボタンが弾け飛びそうになっている。また、腰の位置が高いのだろう、同じ服を身につける他の生徒と比べると、彼女の足の長さは否が応にも目立った。
 はっきりと、規格外の存在であった。それでも周囲から浮きすぎることなくしっかり溶け込んでいるあたり、その魔性が垣間見えるというものだ。
 いろはとて健全な高校二年生である。普段なら鼻の下を伸ばすどころか鼻血を吹いても全く不思議でない幸せ体験なのだが、残念な事にこの件に関して彼は素直に幸せを享受できない立場にあった。
 そもそも、この閉鎖的な島国において銀髪だとか紅眼だとかのDNAが存在すること自体、異常事態である。そして、そんな明らかに日本人でない少女は、ネイティブであるいろはから見ても自然な日本語を操るのだった。
 そんな現実逃避気味の思考に耽って少女の存在を無視していたいろはだったが、少女は諦めない。その整った顔をわざとらしく憂いに曇らせ、そっと囁く。
「もう、イロハったらつれないのね。あの夜はあんなに情熱的だったのに」
「ちょ、お前何言ってんの!?」
 唐突な爆弾発言を無視し切れず、いろはは突っ込んだ。
 傍らの少女はその隙を見逃さず、迂闊にもそちらを向いてしまったいろはの首に、その白魚のような手を絡めてくる。
 その動きは艶めかしくも俊敏で、まるで愛し子でも抱くかのようだ。
「あの時、いろは黒々としたモノを力強く私に突き立ててきたわよね……そして私は精いっぱいそれを受け止めたわ」
 いろはの顔を固定したまま、少女は告げる。先ほどまでの憂いに曇った表情はどこへやら、その顔に浮かぶのは紛れもない笑みであった。
 その紅い瞳に何かの魔力が籠っているみたいに、いろはは眼を逸らせなくなった。
「強引に押し倒してきたり、熱く滾るモノをぶちまけてきたり……あの夜のイロハは、たまらなかったわ……」
「それは確かに事実だが、大いに語弊がある。そういう周囲に誤解を与えるような言い方は止すんだ」
「良いじゃない、私と貴方の仲よ」
「それは狙う者と狙われる者の仲という事か?」
 狩人と獲物の間に恋愛感情など芽生えない。
 ちなみに、今彼らが居るのはいろはの通う高校の昇降口である。当然、周囲には大勢の学生の姿があった。
 彼らは興味津津と言った様子で、しかし決して一定以上近づかずにいろはと少女の睦み合いを眺めている。しかし、向けられる視線の半分は何か不潔なものを見る視線で、また半分は嫉妬と怨念の籠った視線だった。
 少女はそんな視線を全く気にしている様子は無いが、常識人を自負するいろはにとってはぐさぐさと身に心に突き刺さる視線である。
「くそ、鷹崎のヤロー……」
「いつか……フフフ……」
「鷹崎君……不潔……」
 そして、時折聞こえてくる不穏な呪詛が、地味にいろはに危機感を抱かせた。だが、当事者の片割れ――少女にはそういった感情は無いようだ。
 周りの有象無象など眼に入らない――そう言外に告げるように、ひたすらいろはにのみ話しかける。
「はぁ、なんでいろははこんなにつれないの? 私が嫌い?」
「良いから放せ。もうすぐ教室だ」
「そうね、キスしてくれたら放してあげる」
 そう言って、少女はコケティッシュな笑みを浮かべた。誘惑するような、悪魔的な笑み。
 その笑みには、確かに抗いがたい魔力が籠っていた。
 同時に、少女は首に絡めた手に力を込める。いろははその力に抗いきれず、徐々に彼我の距離が縮まって――。
「おいそこな少年少女。青春の迸る情熱をぶつけ合うのは一向に構わんが、そのような乳繰り合いは人目につかん所でやるのが華というものだぞ?」
 ちまい。ちっさい。こんまい。マイクロ。
 そんな表現が似合うミニマムなサイズの女性が止めてくれなければ、いろはは危うく(本人の意思とは無関係に)キスをするところだった。
 少女は今まさに公衆の面前でいかがわしい行為に及ぼうとしていた疾しさなどおくびにも出さず、自分たちを止めた人間に優雅に挨拶を投げる。無論、いろはは拘束されたままだ。
「あら、倉名先生。おはようございますわ」
 本名、倉名小枝。この高校で最も身長が低い人間で、今はデフォルメされたくまさん柄の子供用パジャマの上に白衣を羽織るという人間性を疑いたくなる格好をしていた。
 あろうことか、このがきんちょにしか見えないファッション破綻人間はいろはの通う高校の世界史教師である。年齢不詳の童顔に、常時不敵な笑みを浮かべている謎の女性教師だ。
 しかし、問題は彼女のファッションセンスだけではない。その性格も破綻している。彼女は面白ければなんでも良い、という己の欲望に忠実な快楽主義者なのである。
 こんな人間失格でも、彼女の授業は何故か面白い。
「ああ、因みに少女ミレニア、少年鷹崎。あと14秒で朝のSHRだ。急げよ」
 廊下の向こうに消え去る直前、付け足すように倉名は告げた。
「ちょッ、あと14秒!?」
 遅刻確定だ。ちなみに、いろはが全力で走っても教室まで30秒はかかる。
「良いじゃない。どうせ遅刻なら、もう少しここで遊んで行きましょ?」
 気が付けば、先ほどまであれだけいた他の学生の姿はあたりから消えていた。それに気付かなかった己の迂闊さを嘆きながら、いろはは少女――ミレニアの戒めを突破しようともがく。
「ちょっと! 俺の話を聞け! っていうか放せ!」
「もう。貴方は私の夫になる男なのだから。少しくらい未来の妻のわがままを聞いてあげたらどうなの?」
 そう言うミレニアに引きずられながら、いろはは思った。ああ、平穏無事だったあのころが懐かしい、と。
 いろはとミレニアしかいない廊下に、無情なチャイムの音が響き渡った。


 ◆◇◆◇◆


「で、彼女から逃げるためにわざわざここまで来たと。御苦労だな、鷹崎少年」
「そう思うなら助けてくれませんか?」
 昼休み。普通の高校生なら待ちわびる平穏無事な自由時間だが、例によっていろはに平穏は訪れない。
 彼にとって昼休みとは、ミレニアに邪魔されずに昼食を摂る場所を探すという試練の時なのである。
 その隠れ場所の一つとして、彼は最近歴史資料室で弁当を広げるようにしていた。
「夏休みに散々助けてやったではないか。今でも思い返される、あの熱い個人レッスンの数々――忘れたとは言わせんぞ?」
 いろはの向かいで――というか、彼が勝手の机を占拠しているのだが――コンビニ弁当を広げるのは、未だパジャマの上にくたびれた白衣を羽織る倉名だった。イスの背を目いっぱい高くしても机まで背が届かないのだろう、彼女はイスの上に箱を一つ載せて座っていた。
 倉名は割り箸を割りながら言う。
「そもそも、かの少女につきまとわれるのも少年に原因があるだろう? 大人しく諦めたらどうだ?」
 君が彼女に手を出したのだからな、と言う倉名に、無駄と知りつついろはは訂正を入れる。
「いや、手なんて出してないですから。というか知ってて言ってるでしょう」
「おやおや、男とはいつもそうだな。夏休み、彼女を攻略したいからと私に助力を乞うたのは何処の誰かね? それともただの遊び感覚か」
 全く嘆かわしいな、と倉名はオーバーに天を仰ぐ。しかし、倉名の口元が僅かに笑っているのを目ざとく見つけたいろははため息を吐きたくなった。
「……彼女の攻略に助力のお願いしたのは確かですが、それにはれっきとした理由があったのはご存知でしょう」
「しかしまあ、それは紛れもない君の意思だった訳だ。その結果がどうなろうと、それに付き合う義務が君にはあると私は思うがね」
 はあ、といろははため息を吐いた。
「それにな。君はもっと胸を張るべきだ」
「はい?」
「成り行きとはいえ、ミレニアのような少女に見初められるなど、本来なら感涙に咽び泣くところだぞ?」
 それはどうなんでしょうね、といろはは箸を止めて言う。
「俺はミレニアとは住んでる世界が違う人間です。あっちの事なんか殆ど解らないですし、これから解るようにもなりたくありません」
「そう。だから彼女の方からこちらにやってきたではないか? 全ては君を想ってのことだろうに」
 ひょい、と倉名はいろはの弁当箱から出し巻き卵を奪って行った。妙な縁あって夏休み以来、この変人の奇行を見慣れているいろはは、この程度の事でいちいち目くじらを立てたりはしない。
 それに、奪った出し巻き卵を嬉しそうに食べる倉名の顔が幸せそうだったというのもある。
「少年。不満なのかね?」
 出し巻き卵をもぐもぐと咀嚼し、こくりと嚥下した後での、唐突な問いであった。
 珍しくその顔は真顔で、童顔であるはずなのに妙な迫力があった。
「同じ年頃の少年らに比べれば、君は十分以上に恵まれていると思うが」
「それは解ってます……でも…」
 いろはは今までミレニアが行ってきた数々の蛮行を思い返す。彼女はこちらの常識に疎いためか、平然と常識外れの事をやってのけるのだ。
「まあ、慣れてゆくしかなかろうな」
 そう言って、倉名はいろはの弁当箱にサラダを投入した。少しだけ、とか、食べられなかった分だけ、とかではなく、自分のコンビニ弁当に入っていた分全てを、である。
「……野菜食べないと体に悪いですよ」
「承知の上だ」
 まあ、この人の健康など気を使うだけ無駄なのだが、といろはは考え直し、素直に渡されたサラダを食べきる。
 はぁ、といろはは再びため息を吐いた。


 ◆◇◆◇◆


「あ、いろはさん。一人ですか?」
 放課後、いろはが1人で帰途についていると、昇降口で声をかけられた。声の方を振り返ると、そこにいたのは黒い髪をポニーテールにした優しげな少女だった。
 ミレニアとはまた違う、清楚な大和撫子を彷彿とさせる和服の似合いそうな少女である。
 そして、実際に彼女の実家は地元の神社であった。
「ああ、渚か。うん、一人だけど、それがどうかした?」
 少女の名は永瀬渚。背中にバッグと一緒に竹刀袋を背負っているのを見れば分かる通り、剣道部員であり、いろはの後輩でもある。
「今日はあの人居ないんですね……」
「あの人って……ああ、ミレニアか。今日はなんか用があるとかで一人で帰ったよ」
 上履きから靴に履き替えながら、いろはは言う。
 そうなんですか、と渚は答えた。
「あの、私も今日一人なんです。良かったら一緒に帰りませんか?」
「うん、別に良いよ」
「ありがとうございます!」
 いろはが了承すると、渚は大仰に頭を下げた。
「いや、そんなお礼を言われるような事じゃ……」
「先輩、いつもミレニアさんと一緒ですから……。ご存じないですか? 剣道部では、最早先輩の武勇伝を知らない人なんていませんよ」
「あー……そうなのか」
 平凡な人物でも、一つくらいは意外な長所を持っているものだ。これでも、いろはは剣道で全国大会で優勝を争えるレベルの選手だった。だった、というのは彼がとある事件で利き手を痛め、一時現役を退いているからである。
 実はある人物のおかげで手は既に癒えているが、人間の再生能力を鑑みるに明らかに早い。公表は避けた。
 だが、武勇伝とはなんだろうか? いろはには、夏休みの一件を除いて誰かに自慢できるような事をやってのけた記憶は無い。その一件とて、ありのままを話しても誰にも信じてもらえない類の体験だ。
 身に覚えがなかったいろはは、渚に疑問を投げた。
「でも、武勇伝って何だ?」
「先輩、手を痛めた原因をずっと黙ってましたよね。夏休みに不注意でけがをしたって。――でも、実は皆知ってるんです」
 え、といろはは固まった。
 いろはが手を痛めたのは夏休みの事。当時は知り合いでもなんでもなかったミレニアの引き起こした事件に巻き込まれたのが原因である。その際、普通に生きていれば一生体験せずに済んだ異常事態に巻き込まれたりしたのだ。全く、利き手を痛めた程度で命を落とさずに済んだのは本当に運が良かった――。
 それ程の事態だ。おそらく、全部正直に話したところで誰も信じてはくれないだろう。
 だが、それを皆知っている――?
「夏休み、街で不良グループと一戦交えたんですよね? 三十人くらい居たチンでピラーな人たちをちぎっては投げちぎっては投げ……」
「ちょっと待て。君はその話を誰から聞いた」
 え? と渚は首をかしげた。
「えっと、部内で噂になってましたから……でも流石ですね、先輩! 武器を持ってる三十人相手に先輩は手を痛めただけ……それも相手の卑劣な不意打ちだったとか!」
 確かに手を痛めた原因は不意打ちであった訳だが、その他の情報があまりにも間違いすぎている。
 いろはには、こんな噂を流す知り合いに心当たりは一人しかなかった。
「ミレニアめ……」
 ただ嘘を広めるのではなく、微妙に事実を混ぜ込んでいる手口の巧妙さから見て、犯人はミレニアで決まりだ。何せ、夏休みのあの日、いろはがどうして手を痛めてしまったのかを知っているのはいろは自身とミレニア、あとは倉名だけなのだから。
 いろはは新たな面倒事の予感に頭を抱えたくなった。
「済まん渚、俺はちょっと用事が出来た。先に帰る」
 それだけ言って、いろはは家に向かって駆け出した。
「え、先輩!?」
「悪い! 後で必ず埋め合わせはする!」
 ただ一緒に帰ろうと誘われただけなのだから、そこまでする必要はないかもしれないが、何事も筋を通そうとするのがいろはの美徳でもある。
 結局、渚は何も言えずにいろはを見送った。


 ◆◇◆◇◆


 いろはの家はごく普通の二階建て住宅だ。しかし、両親が海外に長期出張中なため、家にはいろは一人しか居ない。
 しかし、いろはが家に帰ってみると、そこには先客がいた。
「イロハー! おかえりー!」
「……俺はお前にこの家の合い鍵を渡した覚えは無いんだが」
「私達の愛をこんなドアごときが阻もうなんていい度胸だわ。鍵なんて愛の力でどうとでもなるの」
 お前に聞いた俺がバカだった、といろはは嘆息した。
「さて。今日こそ私達の愛を邪魔する無粋者は居ないわ。ゆっくり愛を育みましょ?」
 鷹崎家の玄関で本来の主であるいろはを迎えたのは、白髪紅眼の少女だった。だが彼女は昼間の色気も何もないシャツでは無く、すでに胸元や背中が大胆に開いたデザインの白いワンピースに着替えている。
 本来、白いワンピースは清楚さを際立たせる衣服だが、ミレニアが纏うと清楚さよりも妖艶さが増してしまう。その事実に、いろはは感心すら覚えた。
 だが、そんな衣服よりも、より一層この娘の艶やかさを引き立てているものがあった。
 その白い髪をかき分けて生えた黒い角。ワンピースの開いた背中部分から覗く、蝙蝠のような翼。そして、先端が矢じりのようになった尻尾。
 そんな異形でさえ、自身の魅力に加えてしまう。ミレニアの美貌は、正に妖艶という表現が似つかわしいものだった。
 それもそのはず。彼女は異世界から来た悪魔の王、魔王の娘なのだから。
「……ミレニア。なんでそんなにも俺に構う。お前ほどの女なら、誰でも好きな相手と付き合えるだろう」
「あら。冷たい事を言うのね――」
 そう言って、ミレニアは玄関に立ついろはの顎に手をやる。そんな一挙動一動作さえ優美に、かつ自然にこなす彼女に、いろはは反応出来なかった。
「貴方はこの私に打ち勝ったのよ? 強い者に惚れるのは乙女の性じゃない」
 ミレニアは――異界の王女は言った。かつて、夏休みに起きた事件の顛末に思いを馳せるように、目を閉じて。
「まさか、一対一の勝負でこの私が敗れるなんて――。そんな事が出来るのはお父様とお母様を除けば貴方だけだわ。イロハ」
 そうだ。
 高校二年の夏休み。鷹崎いろはは何の因果か異世界の王女・ミレニアと対決し――あまつさえ勝利を拾ってしまっているのである。
 倉名やその他様々な人たちの助力があったとはいえ、それは動かし難い事実だ。
 倉名の言ったミレニアを攻略云々は、決して嘘でも勘違いでもない。
「あの時から、私の気持ちは貴方だけのものなのよ」
 我ながら、とんでもない事をしでかしたものだ、といろははため息を吐いた。
12/01/05 15:28更新 /
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■作者メッセージ
本当にお久しぶりです。湖です。
 長い間音沙汰なしで済みません。長い間更新も無しで済みません。
 またこれから、少しずつ活動していきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

 今回のお話ですが、大分世界観の情報が少ないです。
 続きのお話で補完していく予定ですので、もしよろしければ続きをお待ちください。
 では、ここまで読んで下さった皆様に、最大限の感謝を。

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