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狂戦士と双角の上官
【狂戦士と双角の上官】

 平地を行軍していた一個師団がその足を止める。警戒に周囲を見回す偵察兵のラッパが高々と鳴り、土煙と共に各兵が抜剣から一列横隊を基本とした陣形へと変化。その様子にも戸惑う事はなく、崖から駆け下りた兵が、高々と名乗りを挙げた。
「我等は南方領が一軍、第一猟兵小隊!」
両手に片手持ちの戦斧、全身には刺青として刻まれた魔術式、上半身を革の胴巻きだけで固め、額当てには魔神の名前。その姿に軍列が乱れ、畏怖と恐怖の叫びが何処からともなく漏れる。心臓を鷲掴みにする咆哮の中、彼等の刺青が鬼火を思わす青白い輝きに揺れた。
「逃げろ・・・!逃げろ!」
ベルセルク、バーサーカー、ベーオウルフ、それらの名で呼ばれる戦場の悪鬼が舞い踊る。血風と共に肉と血が破砕の嵐に散り、臓物から飛び散る胃液や腸液の臭いが、血臭に混じり、さながら地獄の悪臭としてまだ生きる者達に絶望を植えつける。
「狂戦士だ!」
魔術の爆炎と剣戟の中、叫んだ男もまた、斧の鈍い刃に頭頂から両断された。


 ――――――――――――――――――――――――


 戦塵に荒れる南方領と南海領の境界線。親魔物領と魔物廃絶領というだけでなく、海岸線の交易権を目的とした戦乱は、互いの玉座を遥かに離れ、誰もが噂でしか知る事のない領土の境界線上、遠い僻地で繰り返されている。
 砂と荒野。農耕地に為り得なかった国の最果て。駐屯地を中心とした街を除けば、南方領と南海領を隔てる数箇所の砦しかない。しかし、海流の影響で大規模な海軍の展開ができない両者にとって、この境界線からの移動が、唯一の交通手段とされている。
 そんな中、最大規模である中央駐屯地も、本来ならば地味で味気ない軍の拠点のはずだったが、とある理由から奇妙な発展をしていた。近くに狩場があるという事で、冒険者や傭兵の滞在地として繁栄してしまった事が原因である。今では娼館や行商人を中心とした商店街が盛り上がっている。
 そういった様々な人種の集まる酒場の一つに、刺青で身体を覆った異様な集団が居た。南方領の中核、第一猟兵小隊は、構成人員である『狂戦士』の名を冠した狂戦士小隊という名の方が知られている。砂漠の民の精霊憑依法と西方魔術によって補完された東方の古代技法『狂化《ヒトツゴ》』は、その身に限られた時間だけ一騎当千の力を与える。
「今日、運ばれたのは?」
四十代半ばの巨漢、隊長であるラムダの問いに副長であるミノタウロスの女傑、セシルが応えた。
「オーラム、ベヨネッタ、アレンの三人。炎系の魔術で重度の火傷」
「前線に煉獄の魔術師が出てきたか。新入りは?」
「なんとか無事です」
長身の青年が手を挙げる。こちらは二十歳前後、乱雑な白銀の髪に返り血の色が混ざったまま、搾り滓の浮かぶ安い葡萄酒を呑んでいた。扁平な顔立ちの中、細眼だけが特徴で、刺青さえなければさほど印象にも残らないだろう外見が、どうにもこの場にはそぐわない。
「報酬はここで手渡す。以後、明日早朝の集合まで解散。以上だ」
ラムダの言葉と共に、皆がそれぞれに散っていく。血を流したものは治療に、精力の残っているものはその処理に娼婦や男娼を買いに。荒々しい獣性の代償の一つであるが、これは瑣末な要素でしかない。貨幣の詰まった皮袋を手にした新入りは、自身も酒場の席から立ち上がった。
「イサリ、お前はどうする?」
副長であるセシルの言葉に、イサリは困ったように笑った。
「・・・飯食って帰りますかね。少しばかり血が足らない気もしますし」
「そうか?血色は良さそうだが。馴染みの娼婦の所へ顔でも出さなくていいのか?」
「あー、ここには、そういうのは居ないもんで」
乾いた表情。どこか空虚な様子に、セシルは怪訝な表情で問う。
「何かあったのか?」
「そうじゃなきゃ狂戦士なんてやってませんって。酒、奢りなら話しますけど」
「乗った」
座り直した二人は、セシルの奢りで高額の澄んだ葡萄酒を呷った。
「それでどうした?」
「酒を奢ってもらってなんですが、あんまり面白くありませんよ」
銀髪の青年、イサリ曰く。彼が童貞を捨てたのは17だったという。小さな交易商の家に次男として生まれ、王立学院で学生でいた頃、年上の令嬢と酒の席で酔いに酔って同じベッドに飛び込み、ついには一夜を共にしてしまった。
 その次の日、彼女が馬車の事故。大怪我をした彼女は、何か負い目でもあったのか、尼になってしまった。
「それから二年後、交易商の駆け出しとして、一人で行商をやっていたのですがね」
商談も良い塩梅でまとまった夜、商談相手に誘われ娼館に行った。馴染みの商人の紹介とあって、ベッドで迎えてくれた女も極上、それは見事なブルネットの美女で、自身の粗末なものを存分に使い、一夜の夢を楽しんだ。
 その次の朝、彼女が階段から転げ落ちて大怪我。しばらくを病院で過ごした後、治った身体で夜逃げしてしまったという。
「それから一年、行商も繁盛こそしないものの、なんとか食うに困らない生活は続けられまして」
旅の途中、嫌忌剤やらまじないの護符を安く買い叩いた所為で、夜の山中でレッドスライムと鉢合わせ。口には出せぬ甘美ともとれる一晩を終え、萎えた腰のまま必死に逃げようとした所、突然の落石でレッドスライムが潰されてしまう。
「相手が再生しないうちに逃げましたが、もう自分には神殿で坊主になるか、狂戦士にでもなって運命の女神に喧嘩を売れるようになるしかないと、行商も止めてこちらに出向いた次第でして、血の適正やらもなんとかあり、狂戦士を商売にさせてもらったわけです」
笑うべきか、慰めるべきか解らないままセシルは首を捻る。
「よく解らない理屈だが・・・」
「まぁ、嫉妬の女神が背中から見張っているのか、運命の女神が、失敗を笑っているのか知りませんが、狂戦士だと、悪運だけは強くなるそうですからね。なんとか、不運を上回る悪運を手に入れたいってなわけです」
「まぁ、そんな噂は聞くが」
戦場の活躍からか、古の神殺し、東方の英雄もまた狂戦士であったという逸話からか、狂戦士は死を知らぬ強運の持ち主と言われている。真偽の程は長く戦場にいるセシルにも解らないだろうが、少なくとも、戦場で死ぬ狂戦士は少ないという。
「大抵はベッドの上で死ぬ事になる。その理由は解るか?」
「さぁ?想像もつきませんねぇ」
理由を口にしようとして、セシルは言葉を止めた。
「・・・理由はまだ知らなくともいいだろう。だが、忘れるな。私はここで数十年生きているし、ラムダもだ。我々は戦場において悪鬼に等しくとも、それでも生ある者だという事だ。死ぬ時と生きる時、それを別つのは唯一つ」
セシルがその胸を叩く。巨大な胸元が豪快に揺れる。
「決意や、信念と呼ばれるものだ」
動機が不純極まるイサリは、困り顔のまま一応で頷いた。


 ――――――――――――――――――――――――


 失敗は些細なものだった。だが、その些細なもの一つで、戦闘は一変する。
 主力部隊とは別、右後方からの奇襲を行っていた狂戦士小隊の失敗だった。
 副長セシルを軸に突撃していた右翼の部隊の動きが重装兵によって停滞し、その隙に魔術師部隊と弓兵の一部が立て直した。
 乱戦の中、それでも手斧が唸りを上げて人体を叩き斬る。重量と速度が斧という凶器の力を倍化し、狂戦士の速攻が敵を駆逐していく。その中、新人のイサリが、斧を振り抜く。
 雑兵と甘くみていたわけではないが、岩塊を思わす強固な手応えと共に、手の中で斧が砕け散っていた。しかしそれでも前へ動く。
 魔術障壁に気付くと同時、イサリが先行した。
「魔術師団を確認!遠距離攻魔来るぞ!」
ラムダの叫びに呼応し、狂戦士達が散開する。後退していた歩兵集団を追い抜き、先に動いていたイサリが障壁を展開しようとしていた魔術師団へ接近。残った片手の斧を投擲し、障壁を担当していた前面の魔術師を潰しながら跳躍した。前蹴りで一人、前転からの浴びせ蹴りで一人殺し、続く拳打で集団の中へ踊りこんでいく。
「待て!突出するな!」
「その男を殺せ!」
隊長と司令官の叫びが重なる。しかし、その間もイサリの進行は止まらない。
 即座に隣接用に術式を組み替えた一人が電撃を収束させる。咄嗟に後退した足元に電熱の牙が突き刺さり、体勢を崩したイサリの周囲から、構築された魔術式の気配が濃厚に漂い始める。死と呪いを撒き散らす攻撃魔術を前に、イサリの下半身から肺を突き抜け、長い犬歯の並ぶ口から咆哮が放たれた。
「ゴァァァァァァァァァァアァァァァァァァァアァ!」
『咆哮震《ドランク》』と呼ばれる狂戦士の技能。咆哮を通して衝撃波が膨れ上がり、反応のできなかった周囲が吹き飛んでいく。
 収束や指向性の指定ができない為、集団戦では用いられないが、瞬間的に周囲を威嚇する殺意の波動は魔術の軌道を指定しようとしていた魔術師の脳内処理を撹乱した。
 攻勢に転じようとした右翼側の部隊まで余波が広がり、副長を始めとした狂戦士も撤退に成功した。
 そちらへ敵軍の意識が向いた不意を見逃すはずもなく、イサリも自身の健脚を駆使して一目散に逃げていく。
「くそ!追え!それとこちらの損害は!?」
「三名が死傷!数名が先程の衝撃波で昏倒しました!」
「遠距離攻魔用意!各チームは追撃の準備をしろ!」
そうは言うものの、しんがりを引き受けたイサリを信じたのか、既に狂戦士小隊は背を向けて撤退を始めている。苛立ちに自ら高位魔術による攻撃を行おうとしていた隊長格の魔術師だが、その全身が、巨大な火球を受けて焼き尽くされていく。続けて飛来する矢の嵐を前に、障壁を張りつつ残った魔術師達も後退を余儀なくされる。
「くそ!魔術師の混ざった弓兵部隊が側面から奇襲をかけてきた!後発の部隊は撃破されたものとして行動!死ぬ気で撤退する!」
親魔物領と反魔物領の違い、魔物と人間の混戦部隊による奇襲は、その機動力と柔軟性において南海領軍を上回る。ケンタウロスによる機動射撃を軸に撤退戦が開始され、南海領軍の貴重な魔術師団は、損害こそ抑えたものの敗者として戦場を去って行った。


 ――――――――――――――――――――――――


 彼等の集会所として利用されている酒場の中央、命を拾った狂戦士小隊の面々に、生きて帰ったイサリは手荒い洗礼を受けた。刺青に覆われた背中を掌で打たれ、生き残った人数分の手形が赤々と手形を刻んでいく。
「上等だ新入り。よく生きて帰ってきた」
一際大きな手形を残すラムダの言葉に、イサリは返り血の固まった顔を苦笑いに変え、深く溜め息を吐き出した。
「散々でした、まったく。得物もありませんし、たまったものじゃありませんって」
軽口に口元を緩めていたイサリだが、ふと、改めた表情をラムダへ向ける。
「先だっての大規模な部隊、続いて魔術師団の投入。どうにも、荒れてませんかね?」
「それは感じていた。ここに居る人間の多くがだ」
同意を示した小隊の人間が頷く。眉間に深い皴を刻んだラムダは、小隊宿舎の会議室から奪ってきたのか、戦場を中心とした南方領と南海領の境界線付近が刷られた地図を前に、相手の部隊展開と交戦位置をペンを使って書き込んでいく。
 交戦回数、交戦部隊の構成、交戦日時、どれも、ラムダの記憶する戦力と合致しない。
「間違いなく兵力が違い過ぎる。今まで、危ないながらも均衡が保たれていた兵力のバランスが、今は南海へ傾こうとしているように見えるな」
難しい顔で唸るラムダ。狂戦士小隊だけでなく、酒場に居た冒険者達も騒ぎ出す。
「今日は解散する。とにかく、上層部に議案として今の話を押し込んだ後、早急に会議を開始してもらう。お前らは装備の点検と補充の後、各自自由にしていていい。では」
無駄のない動きでラムダが去っていく。残された面々も、何時も通りとはいかないものの、周囲へと去っていった。


 ――――――――――――――――――――――――


「新人。いや、イサリ。補給部隊の所で武器を調達して来い。斧が無ければ、使えそうなものでもだ」
今まで見えなかったが、セシルから申請書類を手渡される。武器の受領書を含むそれらの紙きれは、ここでの道理を通す為のアイテムである。無手で戦う事と比べれば、ありがたくて涙の出る扱いだった。
「うわ、ありがとうございます」
へらへらと戦場の陰りを一切持ち込まなイサリの顔を直視できず、セシルは僅かに顔を伏せた。
「いや、礼を言うの」
躊躇いながらも、しっかりと、その唇を開いた。
「私の方だ。どれだけ感謝しても足らない」
副長であるはずのセシルが、深く礼をする。あまりに突然の行動にイサリが細い眦を見開くが、その視線は揺れる胸元へと動いていた。
「お前のおかげで、私のチームが死なずに済んだ。あれだけの真似を強いたのも、私の不手際だ」 
「いえ、そんな」
規格外のサイズを視線で測ろうとしていた自分を戒め、筋肉質だが、自分より肩幅の狭いセシルの肩を軽く叩く。
「いいですって。仲間だからと恩を着せるつもりはありませんけど、人殺しを褒められるのも嫌なんで」
斑に赤黒い染みに覆われた手、そこには、自身の傷もあった。それでも、力なく、目の前の相手が無事な今に、安堵して笑う。
 その笑みの強さが、まるで心臓を締め付けられるようにセシルには嬉しかった。
 自身の無事を喜んでくれる人間が、まだ居た事に。
 イサリの手を包むように両手で握ったセシルは、顔を赤くしながらも、言葉を続ける。
「それでも、だ。あ、あり・・・ありがとう」
可愛い。自身より年上の女性へ、思わずそう零しそうになるが、自分の節操なさに恥ずかしくもなる。
 上官に一瞬でも抱いた感情を消したイサリは、汚れた手を慌てて自身の服で拭き、鼻先を突き付けるような距離から身を離した。
「いいんです。また、貴方と酒が飲める」
「奢ろう」
「はい、また」
立ち去る頼り無さげな背中が走り去るのを、セシルはずっと見ていた。
 そこではっと正気に戻ったように顔を背け、何度も頬を叩いて彼女も逃げていく。
 返り血を洗い流した後、イサリは補給部隊の管理する物資格納庫へと向かう。


 ――――――――――――――――――――――――


 この世界で畏れられている職業は幾つかある。王国図書館死蔵院の司書、最高位のダンジョンマイスター、古代の遺失魔術を遣う古代魔術師、戦場医、他にも色々。しかし、狂戦士は含まれない。ワーウルフのように感染もしなければ、狂化の術式や技法はリスクを数え切れないほど含んでおり、通常ならば死地に赴く使い捨ての捨て駒としか用いられない。
 その狂化技法を実用にまで高めたものが、狂戦士小隊設立を行った東方の魔術師集団だったのだらしいが、その置き土産が格納庫の中に眠っていた。
「・・・使います?」
「・・・他にない?」
いつだって空になりかねない在庫と向き合う補給部隊の中、面倒見良く付き合ってくれたホルスタウロスが所蔵品リストから発見したのは『大刀』とのみ書かれた一振り。東方剣、俗に言う刀と呼ばれる品であった。彼等は埃にまみれた異貌と向き合い、思わず黙り込む。
 刀というより鉈、それも、折れず曲がらぬであろう、巨大な黒金の塊だった。幅広で短い刀身に長い柄と、確かに狂戦士の使う斧に近いが、大きさは片手斧の倍、幅広の鞘だけで腰骨の上から尻までが隠れてしまうほどに大きい。試しに握ってみたイサリだが、まるで吸い付くように掌に馴染んだ。
 どこか禍々しい気配を感じるが、怖気より共感のようなものを感じる。魅せられた、とでも言うのだろうか。不思議と悪いものとも思えなかった。刀身に比して軽いのは鍛鉄法の違いだろう。
 鋼鉄で成形された鞘の表面に何か文字らしき模様が刻んであるものの、イサリも補給部隊の彼女も読めなかったので無視した。
『タタカワセテ欲シイ」
 そんな幻聴まで聞こえた。禍々しい何かの潜む刀身の奥から、まるで闇より深い深遠が溢れ出そうとしているように強い存在感も感じられる。
 長い革紐を使い、腹を覆うように巻いて固定すると、やはり双対の斧より軽い。何とか扱えそうなので、ホルスタウロスのお嬢さんに礼を言ってイサリは物資庫を出た。
 会議が終わるまでは自由という話だったが、とりあえず飯を食おうと酒場に戻る。その途中、珍しい東方衣装に身を包んだ青年が、枯れた噴水の縁に座っていた。
「・・・盛者必衰之事?」
腰に固定した鞘の文字を読んだらしい。
「読めるのか?アンタ」
「一応だが」
要約すると、どんな勢いのある者でも、いつかは必ず衰退して滅ぶという意味を指していると青年は話す。東方流の術式の気配もするが自分の扱うものとは術式の作法が違う為、その効果や意味は解らないと、その暗い眼をすまなそうに閉じる。
「いいって。この武器に何か有るって解っただけでも良かったよ。お礼に奢ろうか?」
「人を待っている。名だけ聞いておこう」
普段名乗るイサリの他、本名であるイブサリム・ローランも教える。砂漠の民特有の語感に、シェロウと名乗る男は意外そうに眉を上げた。
「何故、こんな遠い地に?」
「訳あって兵隊をやっていてね。まぁ、機会があれば酒でも飲みながら」
「そうか。すまないが、刀を貸してくれないか?」
 そう言ったシェロウと名乗る男へ、ついイサリは大刀を抜き、手渡してしまった。唄のような長々とした呟きが彼の口から漏れると、刀身に小さな溝が刻まれた。よく見るとそれは鞘と同じような東方の文字。イサリには読めないものの、その文字が刻まれた瞬間、まるで刀身が脈動したように見えた。
「これは?」
それは『科戸之風(しなとのかぜ)』と書かれた文字であったが、シェロウは教えずに刀を返した。
「幸運の印、とでも思っていろ。武運を祈る」
「・・・ありがとう」
西南の僻地へ行くという彼が、鉄の杖を肩に立ち上がる。連れであるという美女と共に街を出て行く姿を見送っていると、門の傍、雑踏の中にセシルを見つけた。
 珍しく男連れかと驚いたイサリだったが、隣に並ぶ相手を見て、細い眦をさらに細める。全身鎧で身体を覆った相手の紋章は南方領守護騎士団を示す盾に波をモチーフとしたもの、つまりは首都に居るべき存在だった。
 デュラハンの女は頭の位置を直して兜のフェイスガードを下ろすと、取れそうになった首を固定する。足早に去る背中が街道へ消えるよりも早く、セシルへ近寄ったイサリは、刺青に覆われた剥き出しの背中へ、周囲を憚り、抑えた声を向けていた。
「誰です?あれって?」
「昔の同僚。諜報部からの情報を報せに来た」
気付いていたのか、セシルは驚きもしない。何を考え込んでいるのかとイサリが覗き込んだ顔には、心の奥底より浮かぶ苦悩が見てとれた。
「状況は最悪」
苦悩に苛立ちが混じる。イサリに向き直ったセシルは、呪いの言葉を彼へ告げる。
「南海領と聖域守護教団が同盟を結んだ。このままだと全面戦争規模の軍勢が迫ってくる」
その一言を聞いた周囲は、一瞬にして静寂に包まれていた。


 ――――――――――――――――――――――――


 聖域守護教団とは、南海領より北の方向、諸王領の隅に居を構える小規模な教団で、その教義は人間至上主義に近い。天は神、地は人によって治められるべきものだと説き、魔物とはこの世において人間となれなかった怪異であると。それだけなら迷惑な宗教で片が付くのだが、規模に反し、教団には寄与された金鉱という巨大な財源が存在した。
 その結果、傭兵を使った異教徒狩りを始めるという、異常者の集団と変わり果てた。
「・・・典型的な宗教の転び方ですな」
一言で斬って捨てるイサリを、書類片手のセシルが睨みつける。駐屯地休憩室には、現在二人しかいない。
「その殺戮宗教に殲滅されたらどうする?」
「死にきれませんね」
分厚い刀身の手入れを続けるイサリの鼻先へ、長柄斧《ボールアックス》の先端が突きつけられる。
「真面目に考えろ」
「真面目なつもりですが、どうにもやりきれなくて」
刀身から油を拭う。濡れたように輝く刃には、欠片の曇りもない。
「正直、私には殺す理由もないままに殺してますので。狂戦士になる時の契約だから仕方なくってのが今ですし、ここで宗教まで持ち出されたかないませんよ」
「自分の芯になるものは、本当にないのか?」
「決意や信念って食べれませんしね」
「守りたい相手や、やりたい事は本当に?」
「あー、一つだけありますけど」
泣きそうな顔で笑う。いつか見た、感情が磨耗したような表情。
「一度でいいから、抱いた女の笑顔が見たいもんです」
笑い話にしようとした過去にどれだけの感情が秘められていたのだろう。もし、惚れた相手が死ぬような不運が本当にあるとして、運命というスライムのように捉え所のない存在を相手に武器も手段も一つとしてない。このままであれば、彼は生涯を孤独に過ごさなければならない。
 帰る家も、思い出の地も、未来の希望もない。一人で死ぬまでを想像し、どれだけの絶望があっただろうか。
 それに気付いたセシルは、彼の抱えたやりきれない思いに対しどこかで共感していた。自分だって、狂戦士という答えに辿り着くまでの苦悩は少なくなかった。
 そんなセシルと違い、イサリが縋った狂戦士の悪運という手段も、死地へ続くレールでしかなかったのかもしれない。
「もう一つ、答えがあるのではないか?」
これは失敗だろう。それも生涯を不意にしてしまうような。そう思いながらもつい、セシルは言ってしまった。
「何です?」
「悪運に負けないほど強靭な女であればいい」
唖然とした顔でイサリが停止する。そこから腹を抱えて笑い出した時には、暗い表情一つない、実に清清しい顔をしていた。
「盲点!盲点があった!それはいい!」
「・・・やはり、言うんべきではなかった」
慣れない真似をしたと、顔を背けるセシル。だが、笑えるだけの活力が戻ったのならと、許容するような笑顔が浮かんでもいた
「あぁ、本当に、副長はいい女だ」
その言葉に固まったセシルであるが、駆け込んできた小隊の人間に、顔色が変わる。
「敵襲!砦の前、丘陵地帯で交戦しました!」
大刀と長柄斧を手に、それぞれが立ち上がった。


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 遮蔽物のない丘陵地帯、その左右から狂戦士小隊が強襲した。振り上げた拳から繰り出された一撃が全身鎧を吹き飛ばし、携えた大刀一閃、一帯の敵兵が土砂と砂塵ごと爆砕された。今までの戦闘でも一番槍だった事からも解るように、元行商人の健脚は、隊で最も速かった。
 雄叫びと共に狂戦士小隊が雪崩れ込む。それだけで周囲には悲鳴と轟音が響いた。
 岩を砕くかの破滅的な衝撃が舞い踊る。一人で悪鬼に等しい狂戦士が折れる事のない剣として数十人も暴れ周る。敵軍の悪夢がどれだけのものか計り知れないが、そこからでも希望や絶望を見出すのが、戦士としての生き死にを決める要素、セシルの言う決意や信念と呼ぶべきものだろう。
「おぉぉぉぉ!」
大上段からクレイモアが振り下ろされる。切り込んできたセシルが長柄斧で受けると、重圧が彼女へと圧し掛かり、その猛攻を止めた。
「装甲兵団だと!?」
名の通った傭兵団の名を叫びながら腰の手斧を抜いて追撃。側頭を砕かれた兜が空高く弾かれた。横薙ぎの一撃に昏倒した男を他所に、苦戦をし始めたメンバーの援護に回る。
「三時の方向から遠距離攻魔!全隊警戒!」
そう叫んだ魔術兵が障壁ではなく迎撃術式を展開、高空から飛来する攻撃魔術式を撃ち落とす。
「せいっ!」
重装兵をクレイモアごと衝撃波で屠ったラムダが、敵陣へ切り込む。斧の一撃で爆裂する砂塵は、目晦ましであると共に遠距離攻撃への盾として彼を捉えさせない。その砂塵と土砂に紛れ、ラムダの後ろからセシルや他の小隊員も続いていく。
「新入りはどうした!」
「見当たりません!離脱したとの報告も!」
「居ますってばここにぃぃぃ!」
吹き上がる土砂の上、衝撃波に乗ったイサリの姿が空に見えた。銀の髪を泥に汚しながら、敵陣の頭上で得意技の溜めに入っている。
「ゴァァァァィアァァァァァァァアアアアアアアアア!」
暴風を巻き起こす『咆哮震』によって、周囲へ遠距離攻魔が逸らされた。敵陣の頭上へ落ちる火球弾や氷槍の中、刀身の短い大刀を構えたイサリが降下してくる。さらに空中で縦に回転し、その炸裂地点から周囲へ、通常の倍近い爆砕の嵐が吹き荒れた。
「小隊止まるな!突撃する!」
怒声と咆哮の入り混じる全隊突撃。更に、側面に回りこんでいた弓兵部隊からの援護射撃が重なり、傭兵の混じる南海領側の撤退が始まった。
「イサリ!無事か!?」
セシルの駆け寄る先、爆心地の中心として陥没した場所から、半ばまで土砂で埋まったイサリが顔を出す。
「怪我は?」
「途中から頭が真っ白になった位ですかね。相手に援軍の気配は?」
「無い。それより無茶をしたものだな」
「覚えてませんけど」
攻勢から撤退戦の様相へと移りつつある南海領は、そのまま戦線を離脱し、戦場へ残された重傷者は南方領で回収、交渉人による解放協議が行われるまで、駐屯地での治療と監禁が行われる。
 前回の鬱憤を晴らすような戦いは、南方領側の勝利という形で幕を閉じた。


 ――――――――――――――――――――――――


 砦側が提供した馬車による帰路。泥に汚れたイサリは、他の隊員から御者として手綱を握る役目を担わされていた。その傍らには、あの斬撃、爆砕を行ってさえ、僅かの歪曲もない大刀があった。咆哮の後、前後不覚に陥ってからの大斬撃に関わっているようにも思うが、事態が好転したらしいのだから良しとしておいた。
 盛者必衰之事。東方の男が訳した言葉は、どんな意味を持っていたのか。それは、内側に潜む強大な何かがもたらす事象、変革すべきこれからを象徴しているのではないかとも思う。
「イサリ」
名前を呼ばれ、イサリが顔を向ける。いつからかは思い出せないが、最近は新人とも呼ばれないようになっていた。
 荷台から顔を覗かせたセシルが御者台まで出てくる。その横腹には、戦場での浅い切り傷が残る。
「傷の具合はどうです?」
「それはこちらの台詞だ。あの一撃、意識が無かったらしいが」
「咆哮で散らした時に、こう、手にしたこの剣から流れこんでくるものが」
「その刀から?」
不信そうに隣に置かれた大刀を手に取るセシル。大刀の拵えを見て、不思議そうに刻印された文字を眺めている。
「盛者必衰、だそうです」
「東方の言葉だったか。人の世を謡ったものらしいが」
「らしいですね。東方言語に関しては?」
「大陸側なら挨拶くらいは解るが、これは極東の島国のものだ。さすがに読めはしない」
「有効なら利用させてもらうだけですがね。副長、隊の予定は?」
「隊長は大規模な侵攻があると予測している。その前に、一部有志を募って、南海領本陣への奇襲を予定しているそうだ」
「出来るんですか?」
「作戦はあるらしい」
更に尋ねようとしたイサリだが、その瞼がほとんど閉じている。
「どうした?」
「いや、身体が重くて・・・」
そのまま崩れ落ちるイサリ。浅い呼吸と共に眠った彼から手綱を奪うと、セシルは肩越しに背後を見る。こちらに誰も気付いていない事を気配から察知し、彼女は抱き締めるように肉の少ない身体を支えた。寝顔に締まりはなく、緊張も警戒もない表情で呼吸だけを繰り返す。その温かさを脇に感じながら、安らいだ様子のセシルの顔からも力が抜けていた。
 幸せなのだろうか。
 思わず自問自答する彼女の傍では、イサリがセシルの角に額を擦りつけ、甘えるように首筋へ顔を埋めていた。

 
 ――――――――――――――――――――――――


 夜。大斬撃による余波か、御者台で眠ってしまったイサリは、深夜、宿舎の屋根の上に居た。眠れなかった。
 手にするのは鞘ごと外した刀身の短い大刀。斧とも鉈とも見える剣を覆う鞘には、東方の人間曰く、『盛者必衰之事』と刻まれた文字列が並んでいる。魔術には発動する為の鍵となる動作や言葉が存在し、火球弾ならば属性である『火』を含む単語と、造詣を含む『球』に関わる単語をどこかに含んでいなければならない。だが、それが東洋の術式となれば、どこまで常識が通用するのだろうか。
「ジョウシャヒッスイノコト。まさに呪文だが」
握ったまま呟いた途端、刀が呼応した。脈動や呼吸に似ているが、それだけでもない。
傷の重なりが、偶然か、文字列に見え、まるで呼んで欲しいと誘っているようだ。
「ケルヌ・・・何だろうな?」
揺らぐような独特のオーラによって、刀そのものの実体を捉えきれていない感触がある。しかし、捉えられていないままであれだけの力を発揮したというなら、この中にはどれだけの力が潜んでいるのだろうか。
 そして、自身の手に渡った意味とは。
 おそらくそれも偶然だけではないと、イサリも感じている。この刀も待っていたのだろう。寂しさに震え、自己を満たす為に戦争に加担するほど切羽の詰まった絶望を抱えた人間を。あわゆくば取り込む為か、それとも、救ってでもくれるのか。
「解らないもんですな」
適当な言葉遣い。半端な態度。それでも生き残ってしまったのは才能によるものか。それすらもどうでも良かった。
 問題は愛す愛さないなどというものではない。抱いた女が端から死にかけるのだ。まるで自分自身が引き金のように死の臭いを感じるというのは、知らずに人を磨耗させる。どうでもいいし、誰でもいい。どうもしないし、誰もいらない。何も求めないのであれば死にたくもならない。
 出口のない難問の名前が、絶望と知ったのはつい最近だった。
「寒い」
裸の上半身、下穿きから覗く膝やら脛、普段ならば皮膚感覚すら操作できる刺青だらけの身体は、夜の空気が孤独を増大させるのか、妙に寒くも感じる。刀を抱えるように背中を丸めると半月の明かりを見つめた。白い輝きに気付いてしまうと、
まさにその魔力を感じて背筋がぞくりと震える。
「イサリ?」
「はいはい」
下方、廊下の窓から声がかけられる。気配を消していたわけではないが、何故、誰かであるまで言い当てられたのかは不思議だった。
 懸垂の要領で窓枠を掴んだ腕が身体を引き上げ、足が窓枠を蹴飛ばして跳躍。爪先から一秒と経たず顔が通り過ぎると、双角の副長が空中で一回転、音も無く屋根の上に着地した。見事な筋肉の流動を見て拍手したイサリは、武装していない副長を見て首を傾げる。
「どうかしたんですかい?」
「いや、知った匂いがしたので、気になってな」
「あぁ、だから個人まで特定できましたので」
恐るべきは魔物の嗅覚。しかし、牛とは嗅覚の優れた動物だったのかという疑問も沸いた。
「牛って、嗅覚に優れていましたっけ?」
「人間よりは、だ。逆に視覚は鈍いが」
「へぇ」
会話が無くなった。話す事も、元々はそんなにない。
「イサリ」
「はいはい」
「暇なら私のベッドに来るか?」
「はぁ」
脳内で情報がぐるぐるする。顔を背けるセシルの反応。彼女のベッドという単語。回答が出るまでに呼吸三回分の時間。
「迂回な性行為の強要で?」
「違う!同意が無くとも連れて帰るが!」
「強要ではなく脅迫で」
「嫌なのか!?」
「はぁ、正直に言えば」
途端に傷付いた顔をするセシルに対し、イサリはすまなそうに笑う。
 いつか見たのと同じ、泣きそうな笑顔で。
「お話したような気もすんですが、今度こそ抱いた相手が死ぬかもしれませんので」
鞘を腰には戻さず、手にぶら下げたままイサリが立つ。
「さっさと寝て明日に備えませんかね。俺の粗末なものなんぞに興味を示さなくても、廓になら色男がいくらでも居ますよ」 
「・・・そんなつもりではない」
やや抑えた声で呟くセシルの不可解さに足を止め、イサリがしゃがむ。
「欲求不満では?」
「貴様は私をどう思っているのだ?」
「副長、美人、気前がいい、筋肉、懐が深い、ミノタウロスなのにホルスタウロスより乳がでかい」
「待て、最後の文章について拳で訂正していいか?」
「自分で聞いてそれは勘弁していただきたいかと」
ミノタウロスのセシルが人間のイサリの首を掴む。しかし、狂戦士という技能の為か、腕力に差はない。
 軽く掌を外すと、イサリはビー玉のような眼で彼女を見る。
「そろそろ本題にいきましょうって。それで、俺を誘ったのにも理由があるんでしょうよ?」
突然、セシルが言葉を詰まらせる。はっきりとした普段からは想像もできない躊躇いの後、むっつりとした顔で宣言した。
「私が、お前の不運を打破してやろうかと思った」
「それは剛毅な」
半ば呆れ、残りの感謝を苦笑いで示したイサリは、しばらくの沈黙を挟み、真面目な顔を真っ赤に染めて黙り込むセシルへ向き直る。
「では、約束なんぞしませんかね?」
「約束?」
じろりと、頬の赤みが収まってきたセシルが睨む。
「はい。この作戦で生きて帰ったら、やりましょうってな約束です」
セシルの瞼が、短い瞑想のような表情で閉じられる。そこでどんな考えがまとまったのか、清廉な笑顔を彼女はイサリに向けた。
「覚えておけよ」
「はい」
二人を照らす月が陰る。群雲に姿を隠す半月は、どこか不吉にも思えた。


 ――――――――――――――――――――――――


 ラムダの作戦とは、足の速い部隊が森林部を横断、側面から敵の本陣へ強襲、敵指揮官の殺害もしくは捕縛の後、司令部を確保しての戦闘の終結。これは以前から計画されていたものの、本陣が首都近くに展開されていた事と、南海領の保有する大型の防御結界がネックとなって、今まで承認されなかったという。
「不幸中の幸いだが、傭兵部隊を首都近郊に居留させる事を嫌った上層部が、仮設駐屯地を前衛のすぐ後ろに設置した事が偵察から判明している。その管理も行わなければならなくなった司令部も近くに移動し、傭兵が近くの近隣に暴挙を働かぬよう始終見張っているらしい」
国の為に戦ってない以上、戦力とはいえ傭兵は兵士ではない。そこで一度言葉を区切ったラムダは、早朝の砦を背後に声を低め、抑えられた口調で最後の激励を告げる。
「最大にして最後となるかもしれん。南方領はこの作戦の為に、機動弓兵部隊の一部と、第一猟兵隊の全てを前線から外した。
この意味が解らない人間はいないと思うが、南海領が本格的な攻勢に出た場合、作戦如何によっては帰る場所もなくなる。では」
喉の奥、腹筋から肺までの全てが脈動し、号令が発された。
「作戦を開始する!死にたくなければ斧を構えろ!」
咆哮と共に、狂戦士小隊は行動を開始した。


 ――――――――――――――――――――――――


 周囲へ敷設された魔術式を、ケンタウロスの背の上から魔女が書き換えた直後に騎乗したケンタウロスの背に倒れこむ。これで、隊の数少ない魔術師の最後が倒れたが、荒らされた土の臭いと、集まった人間達が携えた鉄の臭いを、その場の魔物達が敏感に嗅ぎ取れる距離まで接近していた。
 本陣が近い。誰もの背中が、冷たい汗で濡れる。
木々の根元に隠れながら集合した面々。荒い呼吸が熱く立ち込め、破裂の瞬間を、静寂の中で待っている。
「抜刀」
低いラムダの声と共に、手にした武器が抜かれる。汗と土の臭いに、鉄臭さが僅かに混じった。
 沈黙は短い。膝を付いたラムダは、押し殺した声で呟いた。
「・・・吶喊っ 」
音もなく全員が疾走した。木々の隙間を抜け、平原へと飛び出す。
微かな土煙を残して矢のように駆ける狂戦士達は、己の刺青に光を宿し、その身体を異形に等しく変化させた。
「きょ、狂戦士!?」
「警笛鳴らせ!速くしろ!」
恐慌に包まれた櫓へ、ケンタウロス達が弓を射る。正面に位置する数箇所の櫓から人が落ちると同時、打ち込まれた巨大な樹木による外壁を足場に跳躍し、ついには彼らが司令部の中へ飛び込んでいた。
「全隊突撃ぃぃ!」
咆哮が上がる。次々と壁を蹴って進入してくる狂戦士達を前に、巡回中だった歩哨が警笛を鳴らした。途端、詰め所から重騎士や魔術師を皮切りとした予備戦力が一挙に出現し、狂戦士達を目標に隊形のを組み始める。
「遅いですって!」
単身切り込んだイサリが大刀を薙ぎ払う。吹き荒れる血風の中に次々と狂戦士達が続き、重戦士達の防御より速く後衛の魔術師達を駆逐していく。散発的に放たれる魔術を跳躍して避けた狂戦士達が四方へと散り、司令部の襲撃を目的に、各個撃破によって敵内部を切り崩していく。
「セシル!イサリと共に北側から攻めろ!俺と後ろを固めるメンバーは門を封鎖する!」
号令の最中にも、大戦斧を振るうラムダが突進する。正面から叩き潰された重騎士を他所に、歩兵と槍兵を中心とした防御陣形の部隊が狂戦士を足止めし、背後から残った魔術師と弓兵による攻撃というパターンが増え始めた。
「ぐっ!」
右肩に矢を受けたセシルがバランスを崩す。その隙を狙って先走った歩兵が剣を振り上げるが、大刀を振り抜くイサリによって鎧ごと叩き潰される。
「副長、いけますか!?」
「まだ動けるぞ!」
「そんなら包囲を抜けますよ。真面目に潰し合ったらこっちの身がもたないし、そろそろ頭を狙って動けるだけの注意は引き付
けましたって」
「よし!覚悟を決めろ!」
「はいよっ」
二人の狂戦士が走る。防御陣形の歩兵と槍兵も追って動くが、俊敏な彼等を止められず、司令部の控える後方へと二人が跳んだ。射掛けられる矢の雨を抜け、宿舎の屋根を這うように進む。既に司令部周辺は、殲滅していた狂戦士達によって正常な機能が失われている。建物内部から魔術による迎撃が行使されているものの、後は時間の問題かもしれない。
 そう思った瞬間だった。
「イサリ!退け!」
回避行動をとったイサリの頭上から巨大な火球が連続して落下する。周囲を焼き尽くす業火に逃げ送れた狂戦士数人が巻き込まれ、影すら残さずに焼き尽くされていく。
「ふん、前線が攻め入る瞬間を狙っての奇襲か。常道ではあるな」
二人の頭上。浮遊、障壁、障壁、火炎魔術の継続詠唱、多重に展開された幾重にも重なる術式の中心に、南海領の軍服姿をした男が杖を手に漂っていた。
 肩幅の広い長身、整えられた金髪と真紅の瞳。三十代半ばと思わしき苦みばしった顔には、威圧的な表情が浮かんでいた。
「煉獄のセンチネル」
そう呟いたのは巻き込まれて焦げた歩兵の男。罅割れた唇を歪める顔からは、涙すら蒸発していく。
「死んじまえ。てめぇらなんか、死んじまえ」
ぼろりと、男の身体が崩れてしまう。灰にも成り損ねた遺骸を前に、男は短く言葉を発した。
「すまん」
謝意と言うには簡素な言葉。しかし、センチネルと呼ばれた男の周囲、取り巻く炎の勢いは増していく。
 炎、煉獄の呼び名。それだけで二人の記憶の中、燃え滾る炎を纏う男の記憶が喚起された。前線の司令官であるというだけでなく、狂戦士小隊の中、初戦のイサリが震える声で雄叫びを上げた戦場で、三人もの戦士をいとも容易く焼き殺そうとした男だという体験までが二人の脳裏に過ぎる。
「副長、片手斧一本貸してくださいよ。ついでに、可能なら隊長達を連れて来て欲しいのですが」
後ろ手、身体の影を死角にイサリが手を伸ばす。時間を惜しむ様子に仕方無く片手斧を渡したセシルも、長柄斧を支えに立ち上がる。
「私だけ逃げろと?」
「逃げ足なら俺の方が速い。タイミングはそっちで合わせろ。正面から突っ込みますから」
焦りがあるのか、言葉遣いが荒くなっている。背後を一瞬だけ振り返ると、その顔は緊張に強張っていた。
「・・・死ぬなよ」
「いや、死にたくはありませんよ?」
強張った表情のまま半笑いのイサリ。情けなくも泣きそうな顔だが、それでいて抜刀した大刀と斧を、力の限り握り締めていた。
「戯言は終わりか?」
センチネルの言葉にイサリが頷く。向き直ったイサリと、鋼鉄の杖を構えたセンチネルが睨み合う。
「散れ!」
潔いまで吶喊。燃え滾る爆炎の嵐が渦を加速させる中、退いたセシルとは真逆の方向、イサリはセンチネルへと突貫する。
「ゴァァァァ!」
熱風が肌を焦がそうと迫った。刺さるような痛みを感じながらも、彼の咆哮による衝撃が脅威から紙一重で身体を守る。
「甘い」
杖の一振り、詠唱も無く火球弾が大気に出現した。大きさこそ小さいものの、その膨大な数にイサリは大刀と斧を構える。
 矢に勝る速度で殺到する火球弾を叩き落す。暴風を巻き起こす大刀と片手斧の連撃だが、飛び散る炎の残滓だけで肌へ黒々とした火傷が痕に残る。
「狂戦士である事に慢心しておらぬ決意、それだけは評価しよう」
火球弾の雨を振り払い、翼のように両手を広げるイサリ。呼吸すら制限される熱気の中、身体の汗は蒸気と消えていた。
「元々は行商人なもんで。慢心ってどうやればできるのかも解りませんって」
「まさに戯言だ」
火球から切り替えられる魔術。巨大な槍が天を突く柱の大きさで出現し、イサリへ向けて空高く振り上げられる。炎熱の波動を纏った穂先の一撃は、どう考えても回避は出来そうになかった。
「この場の人間、全員を殺すつもりですかね?」
「周囲を見ろ。撤退は済んだ」
「・・・狂戦士一人に大仰な事で」
一対一の状況。火の粉の舞う中、イサリは既に泣いている。恐怖や後悔に絶望、表現しきれない感情全てが乾いた頬を伝っては焼けた地面へ落ちていく。
「賞賛しよう。まるで道化のように大仰に踊ってくれた事を」
火球を叩き落した技か、それとも爆炎の嵐を咆哮で遮った事か。
「女一人に命を賭けた。最高だろう?」
イサリの顔は引きつっている。しかし、それでも笑って見せた。
「貴方と酒が呑みたかった」
「奇遇だな。私もだ」
鉄面が始めて歪む。眉間へ深く刻まれた皴の下、薄い唇が高速詠唱に細かく上下した。
 槍が迫る。対して、こちらには片手斧と刀身の短い大刀だけ。狂戦士の魔術耐性は戦士としては高いものの、魔術師とは比べる事もできないほど低い。
 昨晩から今まで発生した死亡フラグの数を数え、その細い眼をゆっくりと閉じる。
「よし、死んだら神を殺しに行こう」
片手斧を捨てた。両手で長い柄を握り、大刀を炎の槍へ叩きつける。
 神を見捨て、ただ全てを己の刀身へ預けていた。
「はははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
哄笑。自暴自棄の断末魔。なのに。
イサリの声が消えない。
「・・・何だと?」
センチネルの驚愕は、己を揺るがす馬鹿げた現実を僅かでも拒絶しようとしている結果ではないだろうか。
「ははははは・・・・・」
炎の穂先と、大刀の刃の拮抗。受け止めた一人の人間は、狂戦士という素養を除けば何の取り得もない不運な元行商人。その声が掠れるように萎んでいき、頭の中に氷漬けのような冷静さが訪れた。虚無感に似ているものの、まるで恐怖を感じない心の有り様は静謐そのものだった。
 制御のみを続けていたセンチネルの周囲に魔術式が展開される。多重詠唱による魔術の増幅率上昇。それに反発し、刀身もまた、イサリに呼応して何かが這いだそうとしている。
「盛者必衰之事・・・」
東方の冒険者が刻んだ文字から光。くろがねの刀身から蠢く鼓動は、禍々しいだけではなく、遠吠えそっくりにイサリの内へ切なげな声を響かせる。この巨大な炎槍を支える遠吠えの主は、自身の名を求めて堪らず、まるで泣き叫ぶ子のように強い衝動だけに突き動かさ続けている。
 呼応しているものも解った。狂化術式の媒体である刺青。ここが、互いを繋ぐラインとなっている。
「っ」
呼吸が詰まる。支えていた大刀を上回る量の魔力が供給されてくる。炎熱の濃度を増し、ほとんど溶岩の密度へ炎槍は変わりつつある。
 その衝撃、不運への罵倒の中で頭の中に思い付いた単語に笑う。涙は既に乾き、憎々しげなまで不適な笑顔が浮かぶ。そして、単語を思いつかせた双角の美女へ口内で呟く。
 約束ってのは本当に大事ですってね。今、貴方を抱き締めたくてたまらない。
「矢を射る時、指先一つで的から外れるが、それは不運と思いますかい?」
両腕の筋肉が盛り上がる。拮抗する炎槍を前に、イサリの心から畏れが消えた。
「ここでもまた神様だ。あぁ、狩猟の神様がそっぽを向いた、ってね」
血液より速く循環する刺青の光が強く輝き、半裸の身体を真っ青に照らし上げる。
「そんな神の一注、この剣に刻まれたものは、麗しき美女と同じ双角。不運の女神より、運命の女神より信じられる」
風が舞い上がる。炎槍は、次第にその先端を押し戻されていく。
 読めなかった文字列が、今はどこまでも鮮明に捉える事ができていた。
「大刀ケルヌンノス。それをコイツの銘とします!この刀との出会いを感謝して!」
大刀が振り払われる。炎槍の矛先が反れ、巨大な火柱は、地面を深く抉った。
「お前のその力は・・・・!?」
センチネルの眼光を前に、大刀を肩にしたイサリは、楽しくて堪らない様子で笑っていた。
「愛の力って事で!」
大刀を構えたイサリは、再び展開された魔術式の中、センチネルへと突進した。


 ――――――――――――――――――――――――


 司令部正門では、外部から押し寄せた後方部隊によって激しい戦闘が続いていた。戦場の悪魔たる狂戦士達とはいえ、無限の体力も無ければ傷付かぬ無敵の身体もない。傷だらけで退路を切り開こうとした一人が、騎兵の放った一撃に倒れる。血に汚れた同胞を庇い、セシルが長柄斧を振るった。焦燥と苛立ちの中、背後で燃え盛る炎の音がイサリの生の続いている証拠と信じて。
 重騎士のクレイモアを掻い潜り、長柄斧が叩き込まれる。速度も鈍り始め、打ち倒した重騎士も、吹き飛ばずに転がった。
「背後には煉獄、目の前には地獄」
ラムダの重々しい声は戦場においても不思議なほど通る。それもまた隊長という人間の才覚なのかは解らないが、返り血を浴びて仁王立ちするその姿は、心の折れそうな狂戦士達を存在するだけで鼓舞している。ここを抜けるには後一手が足らず、居座るだけでは活路はない。
 危険を承知で転進したくとも、猛攻に阻まれ、それもままならない。
 ここに煉獄が来れば全てが終わる。しかし、焦る彼らは動けぬまま傷付いていく。
 そんな時、駐屯地の方向から爆音が轟いた。巨大な魔力の乱れによる空間の振動が、脳髄まで彼らを揺するように響く。魔力耐性の無い歩兵の何人かがそれだけで倒れ、敵陣にも動揺が奔った。
「散開!」
その隙を狂戦士達は見逃さなかった。司令部の各所へ彼等は散り、追おうとする部隊を一気に引き離した。
「このまま煉獄を倒す。退路はもう無い!」
「隊長!あれを!」
狂戦士の一人が叫んだ瞬間、青い閃光が瞬いた。
「イサ、リ?」
呆然と呟くセシルの目の前、青白い燐光に包まれたイサリが、煉獄のセンチネル相手に互していた。


 ――――――――――――――――――――――――


 雷迅より鋭い大刀が炎の旋風を切り裂いた。魔力の構成が霧散し、炎が崩れる。更に踏み込もうとしたイサリの前へ炎の壁が出現し、跳躍した先には炎の剣が乱舞する。切り払い、叩き伏せる太刀筋は鬼神の如く荒々しくも、月の如く美しかった。センチネルの炎もまた、苛烈に攻め立てながらも鮮やかな輝きを放つ。大刀の暴風と炎の爆裂全てがまるで円舞。
 イサリの身体は肉を焦がすほどの火傷を幾筋も刻まれているが、対するセンチネルも無傷ながら顔は色を失い、生命の気配が薄れつつある。
 そしてついに、大刀の余波が軍服の肩を捉えた。生地が裂け、僅かにセンチネルのバランスが崩れる刹那。
 彼等の視線が絡み合う。最後の勝負である事を互いに理解していた。
 犬歯を剥き、高く跳躍したイサリ。眉間に深い皴を刻み、多重に反響するセンチネルの詠唱。
 大地を割る大切断と、天を焼く炎の世界が衝突し、互いの圧力と反発に、全てが衝撃に飲み込まれる。
 閃光。
 熱波。
 暴風。
 激震。
 咄嗟に伏せた狂戦士小隊の面々の目の前、その場に存在した建築物を舞い上げる。世界が無くなってしまうような破壊の中、障壁を張り巡らせたセンチネルが空へ逃れた。続け様の詠唱が向けられるのは震源の中央、大刀が叩きつけられたクレーターの中心。あれだけの一撃の後、動けるはずのない瞬間を狙っての攻撃だった。
 しかし、砂塵と暴風を突き抜ける青い光が宙を跳ぶ。振りかぶられたイサリの手に得物はなく、焼けた拳が握力の限りに固められている。
 途中で手放された大刀ケルヌンノスだけが地面へ突き立つ。その横腹に刻まれた『科戸之風』とは、極東において罪や穢れを吹き払う風の意味を持つ言葉だった。
 だからだろうか。
 拳槌の一撃が障壁ごとセンチネルを大地へ打ち落とした時、狂戦士達からは怒号より激しい歓声、南海領の兵からは、驚愕の叫びが吐き出された。それこそ、子供の喧嘩を見ていた悪餓鬼達のように、その瞬間だけは誰もが血と死臭に満ちた戦場を忘れた顔で。
 かくして、馬鹿な狂戦士と煉獄の名をもつ魔術師による意地の張り合いの結果、南方領と南海領の戦争は、鼻血に顔を濡らした前線司令官の撃墜という形で、停戦が決定された。
 呆気なく、そしてまるで夢のように。
 戦争は終わったのだ。


 ――――――――――――――――――――――――


 早朝、荷馬車に手馴れた様子で荷物を纏める男。それが、ほんの数週間前に命の遣り取りを繰り広げた結果、停戦をもたらした英雄であるなど誰が気付くだろうか。黒い外套の下、身体を旅装束に包んだイサリという狂戦士。彼は今、夜逃げの準備を行っていた。
 傷は深く、センチネルによる降伏宣言直後を聞く事も無くイサリは昏倒した。常人であれば瀕死の重傷であったが、幸いにも彼は常人に該当しない。
 熱傷深度第V度に分類される傷で即日搬送。駐屯地内の半数近い衛生兵や治癒魔術師による治療が行われた。壊死や炭化した筋肉の回復と、精神力の減退症状、つまりは、魔力消耗などによる脳死寸前まで追い込まれた神経や魂の修復が繰り返されたわけだが、命の危険を早々に脱し、すぐにも通常病棟へ移された。
 そのイサリへ届いたのは、戦場の英雄としての賞賛より先に、南方領軍部からの拘束命令だった。
 罪状は格納庫内で管理していた魔剣の無断使用と、戦場での独断先行を咎めての反逆罪など。軍法会議に備え、逃亡を未然に防ぐ為の拘束命令が発令されたという。
 看護婦のサービスされた独房の中、面会に来たセシルの説明によると。
「武器商人と癒着していた高官グループが、戦場の英雄を反逆者に仕立て上げているうちに、証拠の隠滅を図っているらしい。加えて、狂戦士小隊による奇襲作戦が失敗する事を前提に、新規の武器売買契約を計画していたというのだから、憤死しそうなほど小隊の連中も怒っていたぞ」
停戦協定を目前に、自らの悪行が明るみになりそうになった途端、焦った馬鹿が別の火種を捏造して時間を作り、隠蔽に汗水垂らしているという。呆れた話である。
「監察も動いている。直に自由の身となるはずだから、安心していい」
「そりゃ安心しました」
その会話から三日後、動けるようになったイサリは絞首刑が宣告された。
 ほとんど心中の様相を呈した処刑を前に、逆恨みで絞首台に立たされたるイサリだが。
 手枷もそのままに逃亡。壁を蹴って処刑場から逃げ出していった。
 何故か狂戦士封じの鎖が繋がれておらず、何故か足枷が損壊しており、何故か執行官が寝坊していたというのだから、まさに人望の差だろう。命令した軍部高官もその日の内に逮捕。お仲間と共に、今度は彼等が絞首台、まさにいい気味だと周囲からは笑いが漏れたという。
 逃亡中のイサリは、大刀と荷馬車を奪い、そのまま南方領軍を去ろうとしているのが今である。まだ傷も残っているものの、刺青は元通りに治癒し、通常の生活には支障もない。
 停戦の時と同じく、立ち去る彼もまた、潮の満ち引きのようにあっさりとしたものだった。
「行くのか?」
唯一の見送り、ラムダが荷を手渡す。荷台に敷き詰められた荷物は少ない。
「やっぱり、こちらの方が性に合っているもんで。殺し合いに慣れていくのも少しばかり怖い」
苦笑い。しかしその姿からは、どこか吹っ切れた清涼な空気が感じられる。運命というものが初めてイサリを導いたからだろう。もう、怯える必要もないと、あの戦いから何かを学んだと。
「お前は優秀な戦士だった。理由も無く、敵であるだけで人を殺せる。そう自分を御していた」
「人殺しを褒めないでくださいって。戦争だからと割り切れてもいませんし」
「褒章の一部を退役基金への寄付、それと、正式な除隊手続きも受理した。狂戦士としての術式解除はできないが」
「貰い過ぎたくらいです。金も、そして力も。狂戦士ってのも慣れれば悪くないもんです」
「長生きはできんぞ」
「自分で望んだ事ですしね。今のところは後悔もありません。あ、これ」
紙の便箋が、ラムダへ手渡される。表に書かれたセシルの綴りに、ラムダの顔が僅かに曇る。
「会わずに行くつもりなのか?」
「まぁ、約束、延期するつもりなんで」
「そうか」
何も言わず、手紙を宙へ放り投げるラムダ。驚くイサリが便箋を掴もうとした途端、飛翔する長柄斧が紙を破砕、通りへ繋がる裏門を貫いた。
「え・・・?」
「すまん」
渋面のラムダの呟き。それを上回る荒い呼吸が、宿舎裏手に響いていた。
「親切のつもりだったのだが」
「・・・この傷で戦ったら、確実に死にますな」
両手を挙げ、降伏を示すイサリの襟首が掴まれた。片手で吊り上げるセシルは涙目、怒りに口元を震わせていた。
「お前は!勝手に!また!二度と!」
脈絡の無いセシルの言葉を前に、イサリが視線だけラムダに向ける。黙礼を一度。それを最後に去っていた彼の背には、何のアドバイスも読み取る事はできなかった。
「セシル、とりあえず落ち着け」
「なっ!?」
まともな口調、というより、気安く名前を呼んだイサリに、怒りと照れの入り混じった表情が向けられる。首筋にも巻かれた包帯を指差され、仕方なくという様子でセシルも手を外した。
「御者台で良ければ話を聞くけど?」
「・・・お前、その言葉遣いは?」
「だってもう上官じゃないし。ラムダが手を回してくれたおかげで俺はもう除隊したから」
「除っ、そんな簡単にっ」
長柄斧を拾っていたセシルが慌てて振り向く。鼻息の荒いペルシュロン種の青毛馬を宥めていたイサリが、口元に指を当てる。
「見つかったら面倒になるのは変わらないんだから、騒がないでくださいよ」
「何故、私が、叱責されねば・・・」
ぶつぶつと文句は言うものの、背中の鞘へ長柄を戻したセシルが、無言で御者台に座った。
「何してんだ?」
「私も除隊した。乗せていけ」
「え?」
イサリがようやく気付く。魔力の放射元である刺青を露出している為に、布の少ない服装とはいえ、その格好は間違いなく旅装姿。身体を覆う外套の下には荷物鞄を手にしていた。
「俺の除隊に合わせて・・・じゃないか。どうしたんで?」
僅かに悩むような素振り。しかし、もうどうでもいいとばかりにセシルは溜め息を吐く。
「お前を連れて諸王領のどこかへ逃げるつもりだった。一昨日から準備していたのに、全てが無駄とはな」
「あまりの男気に惚れ直しましたよ」
イサリが手綱を操る。短い嘶き一つで賢い青毛が従い、馬車が走り出す。人の気配の消えた早朝の街を、ただ車輪が路を打つ音だけが響いた。
「約束」
ぽつりと、セシルが漏らす。その言葉に、悩んだイサリは素直に頭を下げる。
「傷が開くから延期してくれ、かな?」
「なら一緒に行く」
「これから諸王領へ向かうつもりなんですけど」
「何処だっていい。一緒にだ。これからは二人で、ずっと」
「あー、それはつまり」
二人の眼が合う。甘い言葉を囁ける性格でもなければ、上手く言葉にできるほど多弁でもない。そんな、似通った二人には、口にしたい言葉と、口に出したいが留めてもいたい言葉が、それぞれ喉の奥に詰まっていた。
 何かを言おうとしたイサリの尻を、セシルが全力で蹴飛ばした。もう照れ隠しなのか八つ当たりなのか、自分でも解っていない。けど、自らの不運に怯え、今もまた、否定しようと口を開きかけたイサリの気勢を制す。
「私では不満か!?」
半泣きで叩かれるイサリは身体を丸め、痛みに痺れる尻を押さえる。どう言えばいいのかと思案こそしているものの、自分の中でも結論は出ている。
「女運、悪いけど」
「構わん!だいたいその言い方だと私が外れ籤のようではないか!」
「後悔する」
断言するかの口調。しかし、それにもセシルは怯まない。
「させてみろ」
そう、彼女は。
運命より強い。
イサリの泣きそうな笑顔。戦っている時とは違い、今は、嬉し涙で顔が曇っていた。
「・・・参った」
頬が緩む。笑い出す彼を再び蹴ると、セシルは苛立ちを隠そうともせずに睨む。
「俺は根性無いのに。すぐに弱気になって逃げたくなるのに」
「構わん。弱気かもしれんが、誰かを見捨ててまで逃げられる図太さもない」
鼻息一つで聞き流される。それ以上、イサリが言い募る事はなかった。真剣なセシルを、力任せに引き寄せ、傷だらけの手で肩を抱いた。本調子であれば、本当に抱いてしまいたいくらいに嬉しかった。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「それは私が言うべき台詞じゃないのか・・・?」
「俺も言いたくなったんです。貴方へ」
女らしい台詞の一つも言えれば、そう思ったのも事実だ。しかし、そうも出来ないのが自分だ。
 それで、彼とならいつか。
「・・・それで、諸王領に何の用がある?」
今までの行為が、よほど恥ずかしかったのか、離れたセシルは、顔を外套に半ばまで埋めて赤い顔を隠す。
「諸王領の一つに、学術公国領という場所があるんだが、友人を案内する事になっているんだ」
「友人?」
「あぁ、ほらあそこに立っている男だ」
肩幅の広い長身、整えられた金髪と真紅の瞳。三十代半ばと思わしき苦みばしった顔には、威圧的な表情が浮かんでいた。
「センチネル、悪いが荷台に乗ってくれ」
「あぁ」
「おい!待て!?」
馬車を発進させたイサリの襟首が締め上げられる。怒鳴るセシルを他所に、酒瓶から直に葡萄酒を飲むセンチネルが口元を拭う。
「苦しいー」
「何故!殺し合いをした相手が敵国の領に居る!」
「お、俺と同じで戦犯にされそうって話を聞いたんで、一緒に逃げないか誘ったんだ」
「どういう神経をしている!こいつは仲間を焼き殺そうとしたんだぞ!」
「俺も散々斬り殺したけど、だからって自殺はしたくないし」
「あぁ、もう!話が通じない!」
御者台で暴れるセシルを横に、センチネルから手渡された葡萄酒をイサリが飲む。
「実は私は女で、呪いを解く秘宝を持つ南海領に従っていた。だが、イブサリムの話では統括院という場所なら呪いが解けるそうでな」
「何だその話は!本当か!?それにイブサリムとは誰だ!?」
「俺の本名。イブサリム・ローラン」
「何で私より先に奴へ教えている!?」
「うちの故郷では友人と認めた相手と、自身の妻にしか教えてはならない掟なんだ」
「そ、それは本当なのか!?」
「嘘だけど。あ、センチネルの話はどうなんだ?」
「八割嘘だ」
「お前ら殺す!」
騒がしい三人組の馬車が軋む。
 イサリの手の中で酒が揺れ、センチネルの横顔に飛沫がかかる。斧を抜こうとしたセシルが御者台に立ち上がろうとした時、三人の背後では朝日が昇ろうとしていた。




                                     ――――― fin ――――― 

 
10/03/05 09:24更新 / ザイトウ

■作者メッセージ
この時は少年漫画的なテンションで軍事ものを読み易く、というコンセプトだった気がします。結構前なんで、いまいち不完全ですけど。

ご意見ご感想にはレスすると思いますよー。

ラプターさん乙。

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