優しい人の騙しかた
良い男を探すと言うのは、とても大変な事だと思う。
自分の好みに合う男なんて、一つの村に居るかいないか、だ。
仮にいたとしても、大概は既に妻帯者である場合が多い。
良い男は最高の財産だ、欲しがらない雌の方がおかしい。
だからその妻を妬んだりしなかったし、奪い取るような事もしなかった。
どれくらいの時間が過ぎただろうか？
いくつの街を渡り歩いただろうか？
いくつの幸せな家族風景を横目に歩いてきただろうか？
気がつけば、私は随分と遠い所にまで来ていた。
「あの魔物共に頭ヤラれてる地域からたぁ、随分と遠くから来たもんだなぁ、おい」
嫌魔族派の人間が住まう地域、薄暗い宿の一室。
ベッドの上で初老の男性は呆れるような、感心するような表情で私を見つめて来た。
皺と傷の多いその顔を見つめ返しながら、私は静かにうなずく。
「で、ここで金が尽きたから身体売ったと」
彼の呆れの表情に苦い色が混じる。
私がもう一度うなずくと、彼は大きな溜息をついて、
「妙にスレてなかったのはそういう事か。アホだろアンタ」
苦い呆れ顔をしながら人差指で私の額を突く彼に胸が高鳴るのは、長旅で知らぬ間に心が弱っていたからか、それとも惚れた弱みか、
「あの……。貴方、傭兵さん、なんですよね……？ その、お願いが、あるんです……」
きっと両方なんだろうな、なんて心の中で思いながら、私は嘘をついた。
嘘。彼を巣穴へと導く甘い罠。彼を捕まえる為の一本の綱。
その罠が、綱が、私を締め付けて啼かせることになるなんて、その時は知らずに。
〜エキドナ被害報告書〜
『優しい人の騙しかた。』
言動は粗野で、酒好き、女好き、煙草好き。
相手を殺す時に躊躇せず、女の抱きかたも乱暴。
まぁ、年も食っているし、顔だって私好みではあるが、美しい訳ではない。
街や仕事で彼を見た他の女達は口を揃えて姦しく彼を罵る事だろう。
だが、私は知っている。
彼が隠れて孤児院に多額の寄付を行っている事。
子供に取り囲まれた時、困り果てた顔でうろたえる事。
いかなる仕事であろうとも、しっかりと筋を通す事。
名前の刻まれていない墓の前に花を添えていた事。
この身を乱暴に抱きしめる前に、ほんの少しだけ怯えるような表情をする事。
そして、それらを指摘した時に、少しだけ拗ねたような表情をする事。
決して清く正しい訳ではない。
だが、決して悪人ではない彼が、私はたまらなく大好きだ。
「そろそろ満月か。辛いか？ 嬢ちゃん」
「いえ、この病は潮のように満ち引きするのではなく、その時に一気に押し寄せるものですから……」
「そうかい」
僅かに欠けた月の光の下、野営の準備をする。
風にざわめく草の大地を照らす月を見上げれば、胸の奥で何かがざわつくのを感じる。
月の光は魔物を興奮させる。代表的なのはワーウルフだが、他の魔物も同様に月の光によって己の理性を失い、餌に群がる醜い獣と化す。
高い魔力と知性を持つこの身でさえ、月の光の魔力に抗うのは辛い。
いや、正確には、実に遺憾ではあるが、抗いきることは出来ない。
満月の夜。その時だけは、この身さえも情欲の炎に焼かれて理性が遠のく。
―――情けない。
何度、月の魔力に酔ったまま彼と交わっただろうか。
何度、目覚めた時に人間の両足が有る事に安堵しただろうか。
エキドナ。私は魔物の母とさえ称される高位の魔物だと言うのに、己の身さえ満足に制御できないのか。
こんなことでは、彼にバレてしまう。
月の事が無くても頻繁に身体を求める私を、少なからず彼は不審に思っているのに。
人間の形を模した足を撫でていると、不意に視界いっぱいに彼の顔が映った。
それに一瞬遅れて、唇に柔らかな物が触れ、湿り気を帯びた柔らかな肉が私の口の中へと入ってくる。
口づけされている。
そう理解した時には、私は草の上、逆光で影になった彼の顔を見上げていた。
「良いか？」
唾液の糸を引きながら問う彼の表情は、たとえ影になっていても解る。
子供のように、僅かな怯えを滲ませた表情。
「……こんな状況で聞くのはズルいと思います」
彼の頭を抱き寄せると、乱暴な口付けが来た。
自惚れかもしれないけど、彼は沈んでいた私を慰めてくれているんだろう。
抱くとき、いっつも怖がってるくせに。
こんな風に悩むのを止めてくれる。
彼は優しい。
他人の機微に敏感で、不器用だけど大切にしようと頑張ってくれる。
だから、だからこそ、辛い。
彼を騙している事が、この身がヒトではないことが
この身がヒトのものであれば、普通に彼と結ばれたのに。
この身がヒトのものであれば、彼の不器用な優しさを何の負い目もなく受け止めれたのに。
―――ごめんなさい
蛇の性か、人間の物と同じ形をした両足で彼を捕まえながら思う。
彼を捕まえるために嘘をついている自分が嫌い。嘘で彼を繋いでいる今が辛い。
嘘がバレてしまった時が怖い。どうしようもなく、怖い。
―――ごめんなさい。
＊
「なんとか到着したなぁ……」
「道中、無茶させちゃいましたよね……。……ごめんなさい」
「あぁ？ 気にするもんじゃねぇよ嬢ちゃん。こっちぁ酒場でパァっとやれるんだから、文句なんざありゃしねぇんだからよ」
満月になる日の昼。私達は無事に街に到着することが出来た。
実際にはもう一日遅れて到着する予定だったのだが、私が無茶を言って無理矢理到着した。
自身が無かった。この満月も人間に化けたまま耐え切れるとは思えなかったのだ。
「じゃあ、宿の部屋を二つ取ってきますね？」
「あいよ。んじゃ、俺はそこら辺で飲んでるわ。後で鍵だけ持ってきてくれや」
無茶な移動に対する文句も言わず、無茶をした理由も聞かずに酒場へと向かう。
その背中に私は罪悪感を覚えながら、ありがとうと、ごめんなさいと、呟いた。
＊
やはり、耐えきれなかった。
煌々と輝く月の光の下、柔らかなベッドの上で私は一人情欲の炎に包まれ、悶える。
既に変化の術など消え失せていて、頭から伸びる二匹の蛇は私が噛みついている枕に巻き付き、長い蛇の尾に戻った足は快感に震えている。
浅ましく蜜を漏らす穴に指を突き立て、ぴんと先端が屹立した乳を鷲掴みにして、
枕を噛んだ歯の間から獣のように浅ましい吐息を漏らす。
「んん……っ ん。んぅ……っ！ んんんっ！」
卑しい穴をかきまわし、荒々しく乳を揉みしだく。
彼がしてくれるように、彼にされているように。
卑しい蛇の化け物。彼が散々抱いてきた女の正体を知ったらどうなるのだろう？
罵るだろうか？ それとも何も言わずにナイフをこの胸に突き立てるのだろうか？
苦々しい顔をして、冷たい敵意でこの首を掻っ切るのだろうか？
―――嫌だ。
去ってしまうの？ どこかへ行ってしまうの？ もう会えなくなるの？
わたしのこと、きらいになるの？
―――やだ。
行かないで、置いていかないで、一人にしないで、
ごめんなさい。
嘘ついてごめんなさい。
「ふあっ、あ、ぁあ、あっ、ああぁ」
巻きつけようとした尻尾は空を切って、ぷらんと力無く垂れた。
彼が、居ない。
いない。
「やぁっ、ああ、ぁっ、あ、あっ」
居ない、ここに居ない、どこかに行っちゃった、どこかに
「ごめん、なさい。ごめんな、さい。やだ、やだぁっ」
うそついてごめんなさい。
あやまるから、もうしないから
「きらいに、きらいにならないで、いあ、ひとりに、しないでぇっ」
＊
やけにエロエロしい女に依頼され、彼女の故郷までの帰り道の護衛を始めてから、随分と長い時間が経った。
初めから変わった、というか、おかしな女性だとは思っていた。
わざわざまっすぐ来ても1年はかかる場所にまで来ておいて、特に何をしたわけでもないのに帰ると言う時点で十分に不自然だし、身体を売っただけの男に何度も行為を求めたり、満月になるたびに正気を失ったように身体を求めてくる、なんて普通じゃあり得ないことだ。
何度も問い詰めようとは思った。だが、どうしても聞くことは出来なかった。
この歳にもなって誰もが見惚れるようなエロい美女を抱ける役得を手放したくなかったのもあるし、何より、そういった事を抜きにしても俺は彼女を好ましく思っていたからだ。
献身という言葉を体現するかのようにこちらに尽くし、不器用ながらも頑張る姿に惚れたのは彼女の護衛の仕事についてすぐだった。
彼女から身体を求めて来たことから大分自惚れていたし、護衛の仕事が終わったら告白でもするか、と冗談めかしつつ思っていたほどだ。
―――魔物だったとはな。冗談でも笑えねぇ。
気分良く酔って宿へ来てみれば、護衛対象の部屋から押し殺した喘ぎ声。
見るなって方が無理だろう。こっちぁ惚れてんだからよ。
で、ドアを少し開けて覗いてみれば、そこには半身が蛇と化した護衛対象様がいらっしゃいました、と。
ジパングから来たっていう野郎から聞いた話に似たような話が有ったな。
ドアを開けなけりゃ今までどおりの生活が出来たのに、本当の事を知っちまったせいで分かれなきゃいけなくなる。
その話を聞いた時は、何でわざわざ見たのかね、アホだねぇと笑い飛ばしたものだが、実際に我が身となっては乾いた笑いも出やしない。
―――どうする？
腰に帯びた短刀に手を伸ばしながら思考を走らせる。
これまで無事に過ごしてきたが、これからもそうとは限らない。
なんせ相手は魔物だ。何をしてくるか、わかったもんじゃない。
殺そうと思えば殺せる距離だ。こちらに気づいていない今なら、相手が動くよりも先に心の臓に刃を突き立てることが出来る。
だが、相手は彼女だ。依頼主。何度も身体を重ねた相手。長い間一緒にいた女だ。
殺す？ んな馬鹿な。惚れた女の首を掻っ切れって言うのか？ ふざけるな。
腰の短刀に伸ばした手が震える。魔物に対する恐怖か、自分の思考に対する恐怖か、
んなもん判りゃしないが、震えた。
―――女子供なんて散々殺して来ただろうが、何を今更ビビってんだクソ野郎
―――だけど相手は彼女だ。あの子を殺すって言うのか？ 殺す意味が解らん。ふざけんな。
―――アイツは魔物だ。殺さなきゃ何するか分かったもんじゃねぇ。解るだろうが。
―――少なくとも、今まで何度でも俺を食うなりなんなりする機会はあったろうが
―――目的地に着いてからバラして食うかもしれねぇだろうが
―――それでも、今わざわざ生かしている意味がわかんねぇだろうが
頭ん中が滅茶苦茶だ。訳がわかんねぇ。
魔物は敵だ、こっちを食おうとする化け物だ。殺さなきゃいけねぇ。
だが相手は彼女だ、長い事一緒にいた仲間、惚れた女だ。殺せるはずがねぇ。
この二つが言葉を変えながらグルングルン頭の中で走りまわって結果なんざ出やしねぇ。
「ごめん、なさい。ごめんな、さい。やだ、やだぁっ」
……？
「きらいに、きらいにならないで、いあ、ひとりに、しないでぇっ」
……。
………。………っ。
気がつけば、俺は閉めたドアに背を預けて座り込んでいた。
魔物は人間の敵だ。何してくるか分かったもんじゃない。さっさと殺してしまうのが良い。
だが、許しを請う手を振り払って切り捨てれるほど、無慈悲にゃなれない。
泣いてるガキを切り捨てれるなら、孤児院に金を捨てたりなんかしない。
―――嫌いにならないで、ねぇ。
言っている相手は親だろうか？
恋人が居るならわざわざこんな所に一人では来ないと思うんだが、
まぁ、なんせ相手は魔物だ。風習とかが違うのかも知れない。
―――なんにせよ、失恋だな、こりゃ。
何で俺に散々抱かれてるか、なんでこんな所まで来たのか。
解らない事は多いが、まぁ相手は魔物だし考えるのは止めておこう。徒労に終わりそうだ。
少なくとも、この歳になって抱いた恋心は実らず終わりそうだ。
魔物にゃ、魔物の恋人がいるだろうし。
―――これから、どうすっかねぇ？
変に警戒とかすると彼女に気付かれるだろうし。
かといって、彼女が魔物だと知った。なんて言ったらどうなるか分からん。
ここで彼女に逃げられたら、この任務に費やした時間の意味が無くなる。
それに、彼女を抱ける役得もなくなっちまうし。いや、これはまぁオマケ程度の理由だが。
―――ジパングの話に習うのが一番かねぇ
本当の事をこちらが知った事を相手が知ったから、相手は逃げ出した。
こちらが知った事を、相手が知らないままでいれば関係はそのままだ。
―――目的地に着いたら、まぁその時はその時でどうにかすりゃ良いだろ。
それまでは、嘘をつこう。何にも知らない愚かな男のままでいよう。
そうすりゃ、一人で泣いてるあの子のそばにいる事が出来るのだから。
だから、嘘をつこう。
ドアの向こう、いつの間にか静かになった彼女を思いながら、そんな事を呟いた。
自分の好みに合う男なんて、一つの村に居るかいないか、だ。
仮にいたとしても、大概は既に妻帯者である場合が多い。
良い男は最高の財産だ、欲しがらない雌の方がおかしい。
だからその妻を妬んだりしなかったし、奪い取るような事もしなかった。
どれくらいの時間が過ぎただろうか？
いくつの街を渡り歩いただろうか？
いくつの幸せな家族風景を横目に歩いてきただろうか？
気がつけば、私は随分と遠い所にまで来ていた。
「あの魔物共に頭ヤラれてる地域からたぁ、随分と遠くから来たもんだなぁ、おい」
嫌魔族派の人間が住まう地域、薄暗い宿の一室。
ベッドの上で初老の男性は呆れるような、感心するような表情で私を見つめて来た。
皺と傷の多いその顔を見つめ返しながら、私は静かにうなずく。
「で、ここで金が尽きたから身体売ったと」
彼の呆れの表情に苦い色が混じる。
私がもう一度うなずくと、彼は大きな溜息をついて、
「妙にスレてなかったのはそういう事か。アホだろアンタ」
苦い呆れ顔をしながら人差指で私の額を突く彼に胸が高鳴るのは、長旅で知らぬ間に心が弱っていたからか、それとも惚れた弱みか、
「あの……。貴方、傭兵さん、なんですよね……？ その、お願いが、あるんです……」
きっと両方なんだろうな、なんて心の中で思いながら、私は嘘をついた。
嘘。彼を巣穴へと導く甘い罠。彼を捕まえる為の一本の綱。
その罠が、綱が、私を締め付けて啼かせることになるなんて、その時は知らずに。
〜エキドナ被害報告書〜
『優しい人の騙しかた。』
言動は粗野で、酒好き、女好き、煙草好き。
相手を殺す時に躊躇せず、女の抱きかたも乱暴。
まぁ、年も食っているし、顔だって私好みではあるが、美しい訳ではない。
街や仕事で彼を見た他の女達は口を揃えて姦しく彼を罵る事だろう。
だが、私は知っている。
彼が隠れて孤児院に多額の寄付を行っている事。
子供に取り囲まれた時、困り果てた顔でうろたえる事。
いかなる仕事であろうとも、しっかりと筋を通す事。
名前の刻まれていない墓の前に花を添えていた事。
この身を乱暴に抱きしめる前に、ほんの少しだけ怯えるような表情をする事。
そして、それらを指摘した時に、少しだけ拗ねたような表情をする事。
決して清く正しい訳ではない。
だが、決して悪人ではない彼が、私はたまらなく大好きだ。
「そろそろ満月か。辛いか？ 嬢ちゃん」
「いえ、この病は潮のように満ち引きするのではなく、その時に一気に押し寄せるものですから……」
「そうかい」
僅かに欠けた月の光の下、野営の準備をする。
風にざわめく草の大地を照らす月を見上げれば、胸の奥で何かがざわつくのを感じる。
月の光は魔物を興奮させる。代表的なのはワーウルフだが、他の魔物も同様に月の光によって己の理性を失い、餌に群がる醜い獣と化す。
高い魔力と知性を持つこの身でさえ、月の光の魔力に抗うのは辛い。
いや、正確には、実に遺憾ではあるが、抗いきることは出来ない。
満月の夜。その時だけは、この身さえも情欲の炎に焼かれて理性が遠のく。
―――情けない。
何度、月の魔力に酔ったまま彼と交わっただろうか。
何度、目覚めた時に人間の両足が有る事に安堵しただろうか。
エキドナ。私は魔物の母とさえ称される高位の魔物だと言うのに、己の身さえ満足に制御できないのか。
こんなことでは、彼にバレてしまう。
月の事が無くても頻繁に身体を求める私を、少なからず彼は不審に思っているのに。
人間の形を模した足を撫でていると、不意に視界いっぱいに彼の顔が映った。
それに一瞬遅れて、唇に柔らかな物が触れ、湿り気を帯びた柔らかな肉が私の口の中へと入ってくる。
口づけされている。
そう理解した時には、私は草の上、逆光で影になった彼の顔を見上げていた。
「良いか？」
唾液の糸を引きながら問う彼の表情は、たとえ影になっていても解る。
子供のように、僅かな怯えを滲ませた表情。
「……こんな状況で聞くのはズルいと思います」
彼の頭を抱き寄せると、乱暴な口付けが来た。
自惚れかもしれないけど、彼は沈んでいた私を慰めてくれているんだろう。
抱くとき、いっつも怖がってるくせに。
こんな風に悩むのを止めてくれる。
彼は優しい。
他人の機微に敏感で、不器用だけど大切にしようと頑張ってくれる。
だから、だからこそ、辛い。
彼を騙している事が、この身がヒトではないことが
この身がヒトのものであれば、普通に彼と結ばれたのに。
この身がヒトのものであれば、彼の不器用な優しさを何の負い目もなく受け止めれたのに。
―――ごめんなさい
蛇の性か、人間の物と同じ形をした両足で彼を捕まえながら思う。
彼を捕まえるために嘘をついている自分が嫌い。嘘で彼を繋いでいる今が辛い。
嘘がバレてしまった時が怖い。どうしようもなく、怖い。
―――ごめんなさい。
＊
「なんとか到着したなぁ……」
「道中、無茶させちゃいましたよね……。……ごめんなさい」
「あぁ？ 気にするもんじゃねぇよ嬢ちゃん。こっちぁ酒場でパァっとやれるんだから、文句なんざありゃしねぇんだからよ」
満月になる日の昼。私達は無事に街に到着することが出来た。
実際にはもう一日遅れて到着する予定だったのだが、私が無茶を言って無理矢理到着した。
自身が無かった。この満月も人間に化けたまま耐え切れるとは思えなかったのだ。
「じゃあ、宿の部屋を二つ取ってきますね？」
「あいよ。んじゃ、俺はそこら辺で飲んでるわ。後で鍵だけ持ってきてくれや」
無茶な移動に対する文句も言わず、無茶をした理由も聞かずに酒場へと向かう。
その背中に私は罪悪感を覚えながら、ありがとうと、ごめんなさいと、呟いた。
＊
やはり、耐えきれなかった。
煌々と輝く月の光の下、柔らかなベッドの上で私は一人情欲の炎に包まれ、悶える。
既に変化の術など消え失せていて、頭から伸びる二匹の蛇は私が噛みついている枕に巻き付き、長い蛇の尾に戻った足は快感に震えている。
浅ましく蜜を漏らす穴に指を突き立て、ぴんと先端が屹立した乳を鷲掴みにして、
枕を噛んだ歯の間から獣のように浅ましい吐息を漏らす。
「んん……っ ん。んぅ……っ！ んんんっ！」
卑しい穴をかきまわし、荒々しく乳を揉みしだく。
彼がしてくれるように、彼にされているように。
卑しい蛇の化け物。彼が散々抱いてきた女の正体を知ったらどうなるのだろう？
罵るだろうか？ それとも何も言わずにナイフをこの胸に突き立てるのだろうか？
苦々しい顔をして、冷たい敵意でこの首を掻っ切るのだろうか？
―――嫌だ。
去ってしまうの？ どこかへ行ってしまうの？ もう会えなくなるの？
わたしのこと、きらいになるの？
―――やだ。
行かないで、置いていかないで、一人にしないで、
ごめんなさい。
嘘ついてごめんなさい。
「ふあっ、あ、ぁあ、あっ、ああぁ」
巻きつけようとした尻尾は空を切って、ぷらんと力無く垂れた。
彼が、居ない。
いない。
「やぁっ、ああ、ぁっ、あ、あっ」
居ない、ここに居ない、どこかに行っちゃった、どこかに
「ごめん、なさい。ごめんな、さい。やだ、やだぁっ」
うそついてごめんなさい。
あやまるから、もうしないから
「きらいに、きらいにならないで、いあ、ひとりに、しないでぇっ」
＊
やけにエロエロしい女に依頼され、彼女の故郷までの帰り道の護衛を始めてから、随分と長い時間が経った。
初めから変わった、というか、おかしな女性だとは思っていた。
わざわざまっすぐ来ても1年はかかる場所にまで来ておいて、特に何をしたわけでもないのに帰ると言う時点で十分に不自然だし、身体を売っただけの男に何度も行為を求めたり、満月になるたびに正気を失ったように身体を求めてくる、なんて普通じゃあり得ないことだ。
何度も問い詰めようとは思った。だが、どうしても聞くことは出来なかった。
この歳にもなって誰もが見惚れるようなエロい美女を抱ける役得を手放したくなかったのもあるし、何より、そういった事を抜きにしても俺は彼女を好ましく思っていたからだ。
献身という言葉を体現するかのようにこちらに尽くし、不器用ながらも頑張る姿に惚れたのは彼女の護衛の仕事についてすぐだった。
彼女から身体を求めて来たことから大分自惚れていたし、護衛の仕事が終わったら告白でもするか、と冗談めかしつつ思っていたほどだ。
―――魔物だったとはな。冗談でも笑えねぇ。
気分良く酔って宿へ来てみれば、護衛対象の部屋から押し殺した喘ぎ声。
見るなって方が無理だろう。こっちぁ惚れてんだからよ。
で、ドアを少し開けて覗いてみれば、そこには半身が蛇と化した護衛対象様がいらっしゃいました、と。
ジパングから来たっていう野郎から聞いた話に似たような話が有ったな。
ドアを開けなけりゃ今までどおりの生活が出来たのに、本当の事を知っちまったせいで分かれなきゃいけなくなる。
その話を聞いた時は、何でわざわざ見たのかね、アホだねぇと笑い飛ばしたものだが、実際に我が身となっては乾いた笑いも出やしない。
―――どうする？
腰に帯びた短刀に手を伸ばしながら思考を走らせる。
これまで無事に過ごしてきたが、これからもそうとは限らない。
なんせ相手は魔物だ。何をしてくるか、わかったもんじゃない。
殺そうと思えば殺せる距離だ。こちらに気づいていない今なら、相手が動くよりも先に心の臓に刃を突き立てることが出来る。
だが、相手は彼女だ。依頼主。何度も身体を重ねた相手。長い間一緒にいた女だ。
殺す？ んな馬鹿な。惚れた女の首を掻っ切れって言うのか？ ふざけるな。
腰の短刀に伸ばした手が震える。魔物に対する恐怖か、自分の思考に対する恐怖か、
んなもん判りゃしないが、震えた。
―――女子供なんて散々殺して来ただろうが、何を今更ビビってんだクソ野郎
―――だけど相手は彼女だ。あの子を殺すって言うのか？ 殺す意味が解らん。ふざけんな。
―――アイツは魔物だ。殺さなきゃ何するか分かったもんじゃねぇ。解るだろうが。
―――少なくとも、今まで何度でも俺を食うなりなんなりする機会はあったろうが
―――目的地に着いてからバラして食うかもしれねぇだろうが
―――それでも、今わざわざ生かしている意味がわかんねぇだろうが
頭ん中が滅茶苦茶だ。訳がわかんねぇ。
魔物は敵だ、こっちを食おうとする化け物だ。殺さなきゃいけねぇ。
だが相手は彼女だ、長い事一緒にいた仲間、惚れた女だ。殺せるはずがねぇ。
この二つが言葉を変えながらグルングルン頭の中で走りまわって結果なんざ出やしねぇ。
「ごめん、なさい。ごめんな、さい。やだ、やだぁっ」
……？
「きらいに、きらいにならないで、いあ、ひとりに、しないでぇっ」
……。
………。………っ。
気がつけば、俺は閉めたドアに背を預けて座り込んでいた。
魔物は人間の敵だ。何してくるか分かったもんじゃない。さっさと殺してしまうのが良い。
だが、許しを請う手を振り払って切り捨てれるほど、無慈悲にゃなれない。
泣いてるガキを切り捨てれるなら、孤児院に金を捨てたりなんかしない。
―――嫌いにならないで、ねぇ。
言っている相手は親だろうか？
恋人が居るならわざわざこんな所に一人では来ないと思うんだが、
まぁ、なんせ相手は魔物だ。風習とかが違うのかも知れない。
―――なんにせよ、失恋だな、こりゃ。
何で俺に散々抱かれてるか、なんでこんな所まで来たのか。
解らない事は多いが、まぁ相手は魔物だし考えるのは止めておこう。徒労に終わりそうだ。
少なくとも、この歳になって抱いた恋心は実らず終わりそうだ。
魔物にゃ、魔物の恋人がいるだろうし。
―――これから、どうすっかねぇ？
変に警戒とかすると彼女に気付かれるだろうし。
かといって、彼女が魔物だと知った。なんて言ったらどうなるか分からん。
ここで彼女に逃げられたら、この任務に費やした時間の意味が無くなる。
それに、彼女を抱ける役得もなくなっちまうし。いや、これはまぁオマケ程度の理由だが。
―――ジパングの話に習うのが一番かねぇ
本当の事をこちらが知った事を相手が知ったから、相手は逃げ出した。
こちらが知った事を、相手が知らないままでいれば関係はそのままだ。
―――目的地に着いたら、まぁその時はその時でどうにかすりゃ良いだろ。
それまでは、嘘をつこう。何にも知らない愚かな男のままでいよう。
そうすりゃ、一人で泣いてるあの子のそばにいる事が出来るのだから。
だから、嘘をつこう。
ドアの向こう、いつの間にか静かになった彼女を思いながら、そんな事を呟いた。
10/04/03 05:23更新 / ○もち。