連載小説
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プロローグ
私はシスター・アルバ。かつてはこの街の人間でしたが、最近堕落神様の導きによってダークプリーストになりました。ですがここは反魔物領、魔物化した事が発覚すれば命はありません。表向きは主神教会のシスターとして、魔物とバレないように堕落を布教する日々です。

そんな堕落の使徒たる私ですが、魔物である以上伴侶を求めるものです。私も好きな男性がいるのですが、どうにも進展がなくて…噂をすればその方がやって来ました。彼はゲオルグ、大柄なシルエットなので遠くからでもすぐ分かります。祈る彼の周囲にだけ荘厳な空気が流れ、窓から差し込む朝日に照らされた姿は神々しさすら感じますね。もうちょっと彼を見つめていたいのですが、他の住民の方達もお祈りにいらっしゃいました。私も彼らと一緒にお祈りを済ませてしましょう、私だけ祈るのは主神にではなく堕落神様にですが。

お祈りが終わったら、悩める皆様のお話に耳を傾けます。そして彼らに悟られないよう堕落に導いて差し上げるのです。

「近頃は物価が高く、生活が苦しくなる一方です。仕事終わりの一杯も神はお赦しにならないのでしょうか。」
「清貧な暮らしで心も貧しくなるのでは本末転倒です。お酒を嗜む程度の豊かさは神もお赦しになられるでしょう。」

「夫が不倫し出来た子を育てる事になったのですが、その子を愛せる自信がありません。」
「その子を育てる決断こそが貴女の愛です。神の教えに従い子を育てれば、きっと幸せになるでしょう。」

「…シスター・アルバ、すまないがいつものを頼む。」
「呪いの治療ですね、お話が終わったら伺いますので少々お待ちください。」

「彼女が欲しくて毎日お祈りしていますが、未だに出会いがありません。私は伴侶もないまま孤独に死ぬのでしょうか?」
「…行動あるのみです、神に祈るだけでは良縁は見つかりませんよ。」

「シスター、私は愚かな男です…
「シスター、私は…



…………

ふう、ようやく人が少なくなってきましたね。
…あれ、今日も堕落そっちのけで普通に助言してただけのような。こんな調子なので、まだ誰一人堕とした事がなかったりします。こればかりは人だった頃からの性分なので仕方ないです…よね?

多忙な時間がひと段落したので、改めて彼をじっくり眺めます。逆三角の上半身に服の上からも分かる分厚い胸板、極太の腕と頭部より太い首は流石元聖騎士です。顔も筋肉質で、切れ長で意志の強そうな目と凛々しい眉、常に少しシワの寄った眉間に固く結ばれた大きな口…風貌は如何にも強面ですが、目を閉じて祈る時の彼の表情はとても穏やかで、笑うとすごく優しい顔になるんです。後ろで束ねられた黒い長髪は遅れ毛一つなく、揺れる後ろ髪はしっとり濡れています。日課の鍛錬の後らしく、石鹸と彼の汗の薫りを鋭敏な魔物の嗅覚が捉えます。きっと鍛錬の後に身体を洗ったのでしょう。一糸纏わぬ彼の岩山のような身体が、熱って赤く上気するさまを想い浮かべ、下腹部に熱が集まるのを感じます。

「おはようシスター・アルバ!!私をボーっと眺めてどうしたのかい?」

「!おはようございますゲオルグさん。大丈夫です、少し考え事をしていただけですので。」

…いけません、怪しい妄想をしていたら本人に話しかけられてしまいました。慌ててピンク色の思考を振り払います。

「先程から沢山の相談を受けていたのだ、誠実な貴女の事だから、思い悩むのも無理はなかろう。」
「…ありがとうございます、本当に大した事ではありませんから。」
「そうかそうか。私が力になれる事があれば、何でも言ってくれたまえ!はっはっは!!」

そう言って彼は朗らかに笑います。まさか自分でエロい妄想をされてたとは考えもしないでしょう。屈強な肉体に高潔な精神。堕落への誘いも魔物の誘惑も彼には通用しません。
…それが私にとっての問題、もとい進展が無い理由でもあります。

「ところで、ゲオルグさんは何か悩んでいる事はありますか?」
「悩み事か?ふむ…心辺りはないな。」
「…誰にも言えない悩みに耳を傾ける事も私のお仕事です。良ければ話して頂けませんか?」
「…う〜む、やはり思い当たる節がない。この質問を貴女からされるのも3回目だが、もしや何か心配をかけてしまっているのだろうか?」
「いえ、そういう訳ではないのですが…」
「…それを聞いて安心した。もし悩みができたら、その時は貴女に相談するとしよう。」

ではまた、と言って彼は去っていきます。呼び止める理由も見つからず、私は遠ざかる後ろ姿を眺める事しかできませんでした。


…………

夜になり、恋の駆け引きに敗れた私は死んだようにベッドで突っ伏しています。
…今日もダメでした。悩みにつけ込み堕落させる手段も彼には通用しないようです…しかも、同じ手を使い過ぎて少し不審に思われたかもしれません……
それとも、私ってそんなに魅力がないでしょうか…姿見で自分を眺めてみます。あどけなさを残しつつも整った顔立ち…丸目だが少し垂れた目尻に、微笑むだけで理性を溶かす魔性の唇。亜麻色の長髪は修道服で殆ど隠れていますが、前髪は切り揃え、もみあげは胸に届かないくらいの長さで整えてあります。魔物になった事で、人間時代の薄い身体はウエストはそのままに淫らな肉を蓄えており、もし脱げば大抵の男は欲望を耐えらない自身はありますが…この街では急に胸が大きくなると魔物化したと怪しまれるので、普段は潰して隠しています。改めて見てみると、身体を隠しても見た目はそう悪くないはずです。
…いつまで落ち込んでいてもしょうがない、と自分の顔を両手でぺし、と叩きます。好きな男性すら堕とせないようではダークプリーストの名折れ、そろそろ他の手を考える必要がありますね。しかし、直球でエロい手段に頼れば私が魔物である事に気づかれてしまいますし、彼の腕っぷしなら抵抗されるかもしれません。そもそも彼とは教会で何度か話した程度の仲です、彼を堕とす計画を立てる前に、彼をもっと知る必要があります。そうなれば善は急げ、明日から情報収集と行きましょう。


…………

朝5時。太陽が上りきらないうちから、私はゲオルグの家の近くで張り込んでいました。彼は既に起きているようですね、早速偵察魔法で家の中を覗いてみましょう…あれは、何かをハンマーで砕いていますね…どうやら凍らせた鶏ささみのようです。あっ、飲み込んでしまいました…食事はかなりストイックみたいです。
私が次に打った手、それはストーキング…もとい彼の生活を観察する事で、彼を堕落させる突破口を見つけるという寸法です。自分でもどうかと思いますが、これ以上何も進展が無いのは嫌なので、もうなりふり構っていられません。


…………

30分後。彼が練習用の槍を持って家から出てきました。これから鍛錬の時間のようです。私は武器は素人ですが、彼の何気ない所作から熟達した使い手である事が分かります。


…………

4時間後。太陽はすっかり昇っていました。朝食(低脂肪高タンパク)の後、今度は剣の練習のようです。食事以外ずっと槍を振っていたのに、まるで疲れを感じさせません。彼は剣も優れた使い手のようです。


…………

さらに4時間後。朝食と同じ献立の昼食の後、今度は体術みたいですね。早朝から始まった鍛錬は午後になっても終わらないようです。彼はほぼ休まず動き続けていますが、身体のキレは落ちるどころか冴えわたり、ペースが落ちる気配は微塵もありません…かっこよすぎてずっと見ていられますね。それにしても、息抜きどころか休憩すら殆ど取ってないのに、大丈夫なのでしょうか?


…………

またまた4時間後。沈む陽射しが辺りを茜色に染める頃、彼もようやく鍛錬を終えました。それにしても、一日ずっと鍛錬してましたね…こんな生活を毎日続けているのでしょうか。
…本当はこのまま見つからないように隠れているつもりでしたが、何だか彼を労わりたくなってしまいました。

「…鍛錬おつかれ様でした、ゲオルグさん。」

私は姿を現すと、偶然通りかかった風を装ってゲオルグに声を掛けました。

「…シスター・アルバ?なぜこんな場所に?」
「たまたまトレーニングする貴方をお見かけしたので、少し眺めていたのですが…恥ずかしながら、つい魅入ってしまいまして。良ければ、こちらをお飲みになって下さい。」

少し怪訝そうな顔をする彼に水の入った容器を手渡します。長丁場を見越して用意した自分用の飲み水でしたが、少し多めに持って来てよかったです。

「おお、これは有難い…やはり、運動後の水は沁みますな!」
「よろしければ、まだお飲みになりますか?通りがかりでしたので、大した労いもできませんが…」
「とんでもない!努力は隠れてするものだが、こうして労って頂けるのは嬉しいものだな。」
「ところでゲオルグさんは、毎日このような厳しい生活を…?」
「ん…?まあそうだな。それがどうかされたか?」

やはり彼は、こんな生活を毎日続けているようです。感心するよりも、少し心配になってしまいました。一日観察して思いましたが、彼の生活はあまりにも無駄がなさすぎます。幾ら清貧で高潔をモットーとする元教団騎士とはいえ、少しやりすぎではないでしょうか。

「…そうです!私に、貴方を労わせて頂けますか?」
「…む?今労って頂いたばかりだと思うが…」
「そうではなくて…後日、きちんとです♪」

ゲオルグのストイックさは尊敬しますが、無理をしすぎていないか心配です。ですので私が息抜きを手伝って差し上げましょう、そしてゆくゆくは…彼を堕落に導いて差し上げるのです♡

「お気持ちは嬉しいが…私が趣味でやっているだけの事だ、褒められるような事ではない。」
「私がして差し上げたいのです…ご迷惑でしたか?」
「迷惑という事はないが…うーむ…」
「……♡」(ニコッ)

返事を渋る彼に、私はただ笑ってみせます。笑顔はどんな殺し文句より強力です。同時に魔物のそれは、男を堕とす魔性の笑みでもあるのです。彼に断るという選択肢は与えません。

「…はは、わかった。少々照れ臭いが、宜しく頼む。」
「…はい♪」

ゲオルグも観念したのかOKしてくれました。もう暗くなり始めていたので、帰りは彼に送って頂きました。道中、彼との進展の第一歩を踏み出せた事が嬉しくて、踊り出しそうなのを抑えるのが大変でした。
思った成果とは違うけど、頑張るゲオルグの為に何かしてあげたいと思ったのは本心なので仕方ありませんし、彼と時間を過ごす口実が出来たので結果オーライです。しかし油断は禁物です、これからどうやって彼を堕落させましょうか…そんな事を考えながら、この日の夜は更けていきました。
23/07/26 12:37更新 / 飢餓
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■作者メッセージ
一話が短めの連載に挑戦していこうとおもいます。
短編の合間に執筆するのでスロー更新となりますが、よろしくお願いいたします。

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