読切小説
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白蛇の試練
 夏季には緑の葉を若々しく茂られていた木々も、秋が来れば次第に紅色に葉を染め始め、やがては紅も落として雪で化粧をするようになる。冬の森は、虫や獣が雪の奥で寝静まり、鳥の声も聞こえない程白く塗りつぶされた音の無い世界だ。
 しかしそんな森にも、一カ所だけ音の満ちる場所があった。普段は人の踏み込まぬ森の最奥にある、一本の滝だ。
 長い時を掛けて山に染み渡る雨水。それは地中でゆっくりと寄り集まり、次第に地表へ流れ出る。そして幾筋ものそれらが交わり、絡み合い、紡ぎ出される糸のように川を作る。
 山の恵みは滝となり流れ落ち、森の命を育みながら、やがて人里へと流れゆく。
 この滝は山と里との境界だ。滝の向こうは水神の棲む世界だと村では信じられている。むやみに人が入ってはならない、神々の聖域だと。
 その滝が流れ落ちる岩間から、白い飛沫の靄を抜けて一人の女が現れる。
 飛沫にも負けぬほどの白い肌には何も身に着けておらず、冷厳としたその表情には周囲に畏怖さえ感じさせるほどに人間離れした美しさをたたえていた。
 腰元まで伸びた黒髪と赤い唇だけが、彼女が生きた人間である事の証明のようだった。
 一人の男が木の陰から飛び出し、女の身体に巫女装束を羽織らせる。
 純白の生地を浅葱色の糸によって縫い上げられたそれは、女の脚がほとんど露出してしまう程に短い。一見して衣服としての役割を果たせていないようにも見えるが、しかしこの衣装こそが、この土地に伝わる神の使いの正装なのだった。
「姉さ……巫女様。お召し物を」
 男は着物越しに伝わる女の肌の冷たさに息を飲み、力を籠めようとするのだが。
「人の子よ。無用な気遣いは必要ない。身の程をわきまえよ」
「しかしっ。……出過ぎた事をいたしました。申し訳ございません」
「それでいい。付き添い、感謝する。では行こう」
 里へと続く雪道を歩き始めた女の後に、男は顔を伏せて続いた。
 裸足の女の足は、雪を踏むたび赤らんでいく。しかし男には何も言えなかった。ただ唇を噛み、女の後について歩き続ける事しか出来なかった。


 その村には、昔から年の瀬に行われる一つの儀式があった。
 一年の感謝と、翌年の豊作を願う水神降ろしの儀式。
 巫女を水神に見立て、酒と料理をもって村を上げて巫女をもてなす事で一年の感謝を表すとともに、巫女もまた村人達を労い、翌年の豊穣を約束するという形で翌年への祈りとする。
 この儀式は村人達にとって神を敬う大切な神事であるとともに、一年の労をねぎらい合う一番の祭でもあった。
 だが、その年の儀式にて、異変は起こった。
 神社の本殿で行われる神降ろしの儀の最中。水神が、本当に巫女に降りたのだ。

『人の子達よ、聞くが良い。間も無く、百年に一度の厄災がこの村を襲う。日照りと大雨が繰り返され、大地は押し流されるであろう。
 だが恐れる事は無い。それを逃れるすべは、ある。
 白蛇の柱を立てよ。さすればその神通力により、村は災いを退け、さらなる繁栄を得るであろう』

 予想外の巫女の言葉に神社の神主たちは驚き、困惑した。水神降ろしの儀式でこんな事が起こるのは全く初めての事だった。
 果たして巫女の言葉は本当に水神のものだったのか。言葉を発した巫女自身も、自分が何を言ったのか、何が起こったのか、当時の事を全く覚えていなかった。
 神主たちの意見は割れた。
 水神になり切り恍惚状態になった巫女の妄言ではないのか。狐狸の類に化かされただけではないのか。
 しかし、もしも巫女が本当に水神を降ろしていたのだとすれば、村は未曾有の厄災に見舞われ、全滅する可能性もある。
 誰も確証をもてぬまま、時が経つごとに険悪な空気だけが色濃くなっていった。そして誰もが楽な方、つまりは水神の言葉自体を無かったことにしようと考え始めた頃の事だった。
 最長老の神主が、書庫から一冊の書物を探し出してきた。
 村の歴史が書きつづられたその書物には、この村が太古の昔から定期的に大災害の危機に見舞われていたことが書き綴られていた。
 書物によれば、災いは水神が代替わりを迎える時期に合わせて定期的に訪れるとされていた。
 水神は常に村とその周囲の水の気を安定させ、村から災いを遠ざけ、豊穣をもたらしてくれている。しかし、その代替わりの時期だけは水神の力が弱まってしまうのだという。
 つまり、水を治める者が不在になってしまうために災いが起こってしまうのだ。
 ただし水神の眷属である白蛇がそばに仕えていれば、水神の力が弱まっていたとしても災いは最小限に食い止められると伝えられていた。
 この事実を知ってなお現実を受け入れられない程神主たちは愚かでは無かった。神主たちは態度を一変させ、村の存続の為に一致団結を見る事となった。
 幸運だったのは、書庫には白蛇を呼ぶ方法を記した書物もまた保管されていた事だ。
 白蛇の試練。
 女性のみに許される、命を落とす危険すらあるこの過酷な試練に対し、手を挙げたのは水神降ろしを行った件の巫女だった。


 女と男は一刻程かけて山を下り、村へと戻った。
 山際の水神を祭る神社に下りるまで、二人は人間はおろか獣一匹ともすれ違う事は無かった。
 雪で真っ白に染められた参道に、二人が踏みしめる雪の音だけが響いた。まるでこの世に生き残っているのは女と男の二人だけ、そう錯覚してしまう程世界は静かだった。
 本殿の前まで女の後に続いた男は、そこで頭を下げて女を見送った。
 扉が閉まった音を聞いて、男はようやく顔を上げた。
 男はその場にしばし佇み、本殿の中の女に想いを馳せてから、神社の脇に建てられた居住用の離れへと足を向ける。
 玄関の戸を開くなり、男の身体を暖気と焚火のほのかな匂いが包み込む。
 障子越しに人影が揺れていた。
 草鞋を揃えて置き、男は障子に手を掛ける。
「失礼します」
 囲炉裏を囲んでいた数人の男と女が、そろって男に視線を向ける。
「巫女様が無事水難の試練を終えられました」
「そうか。司郎よ、何も粗相は無かったんだろうな?」
 宮司の射るような視線を真っ直ぐ受け止めながら、男、司郎は頷いた。
「そうか。ご苦労だった、中に入って暖まるといい」
「……いえ、私は自室にて次の儀式の確認を行っておきます」
 司郎は部屋に向かって一礼すると、障子を閉めてその場を後にした。


 司郎は板の間の廊下を巡り、本殿を臨む事の出来る縁側に出ると、そこに胡坐をかいて座った。
 突き刺さるような冷気が骨身に凍みる。だが、この程度で寒いなどとは口が裂けても言えなかった。姉の、柊の身を襲う冷気に比べればこの程度は暖かいと言ってもいいくらいだろう。
 真冬の滝に打たれ、雪の上を裸足で帰り、誰とも触れ合えず、声も交わせない事に比べ、自分は服を着る事も草履を履く事も許されている。こんなに恵まれている事があるだろうか。
 装束越しに手の平に感じた柊の冷たい身体。儀式の事など忘れ、この身で温めてやりたかった。大切な姉にあんな苦行を任せ、見ていることしか出来ない自分が許せなかった。
 だが、儀式中の巫女に触れる事は許されない。儀式の最中は、選ばれた神官以外は巫女の姿を見る事すら許されないのだから。
 姉を手助けしたい一心で周囲の猛反対を押し切ってようやく神官役として認めてもらえたというのに、自分はまだ何の役にも立てていない。
 いや、そもそもどうすれば姉を助けた事になるのだろうか。
 姉を応援するという事は、儀式をつつがなく迎えられるように手助けをする事だ。だがその儀式自体が姉の心身を苦しめる。姉を思えば思う程姉を追い詰めてしまう。
 大切にしようと思う程に相手を苦しめてしまうという矛盾が、冷気以上に司郎の胸を蝕んでいく。
「やせ我慢はせん方がいいぞぉ」
 唐突に掛けられた声に、司郎は顔を上げる。
「長老」
 いつからそこに居たのか、司郎の傍らに背の低い老人が佇んでいた。
 老人は人懐っこい笑顔を浮かべると、どっこいしょ。という掛け声とともに司郎の隣に腰かけた。
「もう引退した身じゃ。前のように爺ちゃんと呼んでくれんかの」
「しかし」
 この老人、見た目は好々爺然としているものの、その実若いころは村の神事や行事を一人でまとめていた凄腕の宮司なのだった。水神降ろしの儀式で混乱していた若い宮司達に活を入れ、書庫から書物を探し出してきたのもこの老人だ。
 当然司郎のような若輩者が爺ちゃん呼ばわりして良い相手では無いのだが……。
「子どもの頃は何度直しても爺ちゃんと言って聞かなかったくせになぁ。全く、図体ばかり大きくなりおって頑固なところは全く変わっちょらん」
「申し訳ございませんでした。しかし今は人の目がありますので……」
「なに、こんな寒いところになど誰も来んよ。それに疲れるじゃろうその喋り方」
「まったく、爺ちゃんには敵わないな」
 長老はふっと笑って司郎の背を叩いた。
「それにしても司郎よ、ずいぶん悩んでおるようじゃな」
「悩む事なんて。儀式は順調に進んでいるよ、怖くなるくらいにね」
 司郎は姉の休む本殿を見上げる。
「人の食べ物を絶ち、わずかな水神の泉の水と、果物だけで飢えに耐える不食の試練。
 神に近づくために、滝行を行って肉体に膨大な水の気を蓄える水難の試練。
 そして肉体を捨てて神の身になる、肉体の試練。
 三段階ある白蛇の試練のうち、今日で水難の試練までが終わってしまった」
 柊が行っている儀式、白蛇の試練。司郎は話を聞いた当初、それは神の世界から白蛇をこちらの世界に呼び出す召喚の儀式か何かだと思っていた。
 しかしその儀式の実態はそんな生易しいものでは無かった。
 白蛇の試練の正体とは、施術者自身の肉体自体を人の身から水神の使いである白蛇へと変じさせる、恐るべきものであったのだ。
 儀式が成功すれば、柊は白蛇になってしまうだろう。
 果たしてその時、柊は柊のままいてくれるのだろうか。自分の事を覚えていてくれるのだろうか。
 そもそも、柊は無事生き続けられるのか。司郎は気が気ではなかった。
「書物と言い伝えによれば、太古の昔、大災害によってたくさんの人々が死んでいくのを憐れんだ水神が、死にゆく一人の娘に力を与えて白蛇へと変え、村の守護者としたのだそうじゃ。
 それからこの村は水神を崇め奉るようになり、水神もまたこの村を守って下さるようになった。
 言ってみれば、この試練は水神の祝福とも言えるんじゃよ。大丈夫じゃ司郎。お前の恐れているような事にはならんよ」
「爺ちゃん、俺には自信が無いんだ。俺には無事柊……姉さんに試練を終えさせてやれる自信が無い」
 司郎はもう限界だった。痛々しい柊をただ見ているだけなど、耐えられなかった。この身に抱きしめて温めてやりたい。村や試練の事よりも、司郎にとっては柊の方が大切だった。
 なぜならば……。
「何を言っておる。お前以上に柊を支えてやれる者はおらんのだぞ」
「そう、だよな。分かってる。でも……」
「司郎。お前は姉が、柊が試練を通して命を落とすのではないか。それを恐れておるんじゃろう? 確かにこの試練は過酷じゃ。失敗すれば命に関わるかもしれん。じゃが、試練を乗り越え儀式さえ上手く行けば、お前も柊も、村のみんなも祝福を与えられる……」
 そうだ。自分は何よりも柊を失う事を恐れている。村や、村人のみんなを失う事よりも。
 なぜならば、自分は誰よりも深く柊を愛してしまっているからだ。家族としてではなく、姉弟としてでもなく、一人の女として。
 祝福? そんなものはいらない。自分はただ、ずっと柊と居られればそれでいい。離れ離れになるくらいなら、いっそ一緒に死んだ方がいい……。
「儂は無事にお前達が試練を乗り越えられると信じておるよ。儂はもう行く。お前も、あまり身体を冷やすなよ」
 長老を見送り、司郎はため息を吐いた。
「柊。俺は、どうしたらいい」
 司郎の絞り出すような声は、白い息と共に誰に届く事無く消えていく。
 
 
 司郎は果実がいくつか乗った盆を持ち、本殿の前に立った。
 不食の試練が始まってからは食べ物を取る事は基本的に許されない。しかし、この果実だけは別だった。
 桃の形に似ているが桃では無く、桃よりもさらに霊力の強いとされる、水神の泉の周りに実る不思議な果実。試練の最中でもこれだけは食べる事を許されていたが、それも今日で終わりだった。
 これから、最後の試練が始まるのだ。
 肉体の試練。それが始まってしまえば、柊はもう何を口にすることも許されず、世話役の神官だった自分とも顔を合わせる事も無くなってしまう。
 三日の間、何も食べず、誰とも会わず、ただひたすらに水神に対する祈りを捧げ続ける。それが肉体の試練なのだった。
 司郎は呼吸を整え、扉の前に盆を置くと、中に声をかける。
「巫女様。最後のお食事をお持ちしました」
「ご苦労だった。下がれ」
 司郎は動かなかった。ただ息を殺して、その時を待った。
 やがて足音が近づき、扉が開いていく。
「っ! しろ……ひ、人の子よ、なぜ」
 中から顔を出した柊は、司郎の存在が全くの予想外だったらしい、驚愕に目を見開いてその瞳を震わせた。
「柊」
 司郎はぽつりとつぶやき、立ち上がる。
 巫女装束から伸びる白い手足。今はまだ艶を残し、削げ落ちたのも余計な肉だけだが、これから何も口にしなくなれば痩せ細っていくのは明白だ。
 この美しい姉から命の輝きが失われ、骨と皮になり、いつしかやつれて死んでいく。
 そんな事は、司郎には耐えられなかった。
「柊!」
 衝動のまま腕を伸ばし、愛しい女の身体をその身に抱いた。何日かぶりに抱く姉の身体は、やはりやせ細って軽かった。
 背中や腰をまさぐるたびに浮き出た骨が指に触れる。
「もう止めよう、柊。柊が苦しんでいるのをただ見ているだけなんて、俺にはもう耐えられない」
 柊は司郎の身体を無下に離す事は無かった。ただ柔らかく微笑み、愛しいわが子にするように優しく彼の髪を撫でた。
「大丈夫ですよ司郎。全部姉さんに任せておきなさい。姉さんが守ってあげますから」
「違うんだ、俺は柊を失いたくない。村なんて捨てればいいじゃないか。みんなでどこかに逃げればいい」
 司郎はしがみつくように、強く強く柊の身体を掻き抱いた。
「愛しているんだ、柊。姉としてではなく、女として愛している」
「私もですよ、司郎。誰よりもあなたの事を愛しています。だからこそ守りたいの。あなたと、あなたとの思い出がいっぱい詰まったこの村を」
 開きかけた司郎の口を、柊は強く唇を押し付けて塞いだ。
 繊細な物を扱うように、大切な物に触れるように、愛おしむように柊はその唇で、司郎の唇を愛撫する。
 そして両手で彼の頬を包み込んで、にっこりと微笑んだ。
「おやすみなさい」
 呆然とする司郎の腕の中から柊の身体がすり抜ける。
「柊!」
 そして司郎の目の前で、柊は扉の向こうの消えた。


 司郎は茫然自失のまま、離れに戻った。
 宮司達への報告もよそに、司郎は自室へ戻ると嘯いて席を立つ。冷えた床板を早足気味に渡り、向かった先は姉、柊がかつて住んでいた部屋だった。
 襖を開けて入った場所からは、しかし柊の匂いはしなかった。身辺を整理し、数日も前に部屋を出たのだ。それも当たり前の事だった。
 それでも司郎は柊の残り香を探さずにはいられなかった。
 箪笥の中、押し入れの中、化粧箱の中。しかしもう、どこにも柊のものは残っていない。
 司郎は畳の上に崩れ落ち、うな垂れる。
「柊」
 生まれた時から一緒だった姉、柊。
 その柊への恋慕の感情に気が付いたのはいつの頃からだったろうか。


 村の同年代の男衆が次々と村の娘や都の女に恋をする中、司郎だけは外の女に対して興味を持てずにいた。男に女を勧められても、女に言い寄られても、司郎は特別な感情を持つことが出来なかった。
 司郎が見ていたのは、ただ一人、柊だけだった。
 そんな事は誰にも言えなかった。
 母が居なかったから、姉に対して母への気持ちも重ねてしまっているのかもしれない。そう考えた事もあった。
 あってはならない事であることは司郎自身も理解していた。無理矢理に他の娘を好きになろうとしたこともあった。だが、駄目だった。何をしても、常に頭に浮かぶのは柊の事だけだった。
 いっそのこと、柊が身を固めてくれたら。そう思ったこともあった。
 しかし柊が誰かに抱かれる姿を想像するたび、司郎の胸は嫉妬の炎で焼け爛れた。愛しい姉を自分以外の男に取られる事もまた耐え難い事だった。
 このままでは前には進めない。こんな気持ちを抱えて生き続けるのは耐えられない。ある日司郎はこの部屋に押し入り、柊に思いのたけを打ち明けた。
 拒絶されるのは分かっていた。そうすれば諦められると思ったのだ。徹底的に拒絶され、否定されれば諦めて村を出やすくなると。
 だが、柊が返した言葉は司郎の予想だにしていない物だった。
『私も愛しているわ。司郎』
『安心して、私は誰のものにもなりません。私の身体は、このまま巫女として一生神に捧げます。でも心だけは、心だけはずっとあなたを愛し続ける』
『だからお願い。あなたも……私のそばに居てください』
 司郎は何も言わずに頷いた。その時に自分も神職に就き、一生柊を支え続ける事に決めたのだ。
 周りのような男女の関係になれずとも構わない。ただ柊のそばに居られればそれでいい。
 これまでのまま二人で居られればそれで良かったのに。こんな事になってしまうとは誰が想像出来ただろうか。


 畳に涙が垂れ落ちて、司郎は慌てて目元を拭った。
 その瞬間、わずかに柊の香りが鼻先をよぎる。
「柊?」
 司郎は顔を上げ、その源を探すのだが、部屋は相変わらずのがらんどうのままだった。
 自分の身体に視線を戻し、司郎はようやく匂いの元に気が付いて、自嘲気味に唇を歪めた。
「そうか。さっき抱き締めたから」
 司郎は自分の身体を抱くように、着物の中に顔を埋める。
 柊の匂い。香も、香油も使いたがらなかった柊の、柊自身の匂い。
 三日も経ってしまえば、こんな僅かな匂いなど残っていないだろう。そしてそのころには柊は、もう……。
 司郎の身体を強烈な寒気が襲う。
 手足が震え、もう立っている事が出来なかった。


 本殿の中。水神像を仰ぎながら、柊は一人合掌をして祈りを捧げていた。
 しかし……。
「はぁんっ。く、ううぅ」
 唇を噛みしめ、頬を染めて堪えようとするその表情は、とても心静かに祈祷を捧げている巫女の顔では無かった。
 柊の巫女装束のあちらこちらが、不自然に膨れては戻ってを繰り返している。胸元が盛り上がったと思えばその膨らみは脇腹を回り、背中を巡り、脚の間にとどまり、かと思えばへそを巡って胸へとせり上がってくる。
 周りには何者の姿も無い。にもかかわらず柊の巫女装束だけが盛り上がるように蠢き、淫らに形を変えている。
 ふいに白い鱗が巫女装束の胸元から顔を出す。赤い小さな双眸を持ったそれは、小さな白い蛇だった。
 白い蛇は目を潤ませて歯を食いしばる柊をあざ笑うかのように、再び装束の中へと潜り込む。
 鱗に肌を擦られ、柊はまた小さくよがり声を上げる。しかし、目じりに涙を浮かべながらも合わせた手を離す事は無かった。
 柊の体中を這い回り蠢く白い蛇は、肉体の試練が始まると同時に、本殿に水神像と共に安置されていた白蛇の像が変じたものだった。つまりこの蛇は神の使いなのだ。
 その証拠に、蛇は決して柊を傷つけようとはしなかった。
 これが水神が自分に与えた最後の試練なのだ。きっと肌の上で蠢き続けて集中力を乱そうとすることで、意思の強さを試しているのに違いない。それに打ち勝たなければ村に未来はない。柊は自分にそう言い聞かせてひたすらに祈りを捧げようとしていた。
 だが、集中しようとすればするほど柊の心は乱れた。
 思い浮かぶのは村の平和の事よりも、一人の男、司郎の事だけだった。
 白い蛇が衣装から抜け出て、柊のあらわになった太腿にまとわりつく。ゆっくりゆっくりと舐めるように絡み付き、這い回る。
「はぁっ、はぁっ、……しろう。だめです、私達は」
 これまでの試練の最中も、柊は司郎の事を忘れたことは無かった。
 食事も取れず体がふらつけば、たくましい司郎の腕に抱かれたいと願った。滝行で冷えた体をその肌で温めて欲しかった。
 儀式の事など放り捨てて、何度その胸の中に飛び込もうとしたことか。
 しかし、その度に村の事を、何よりも司郎の命を案ずることによってその誘惑を乗り越えてきたのだ。
 だが……。
 数日にわたりろくに食事も採らず、滝行によって身も心も疲弊していた柊は、いつしか蛇の動きを愛しい男の手のように感じ始めていた。
 司郎に抱かれる。それは長年閉じ込めていた柊の強い願望だった。
 願わくば何のしがらみもなく逞しくなった弟に抱かれ、肌を重ねたい。だがそれは許されない事。それに今は大事な儀式の最中なのだ。自分は村を守るため、いや、世界で一番愛する司郎の命を守るために、この儀式を成功させなければならないのだ。
 柊は理性を絞りだし、最後の一線だけは越えまいと堪えて居たのだが……。
「ひっ。いやぁ」
 いつの間にか二匹に増えていた蛇が、柊の左右の足に絡み付き、強く締め上げて彼女の脚を広げさせる。
 水神像に向かってあられもなくほとをさらけ出す柊。
 いつの間にか、彼女の目の前にはとぐろを巻いた三匹目の白い蛇が居た。
 赤い舌をちろちろ覗かせながら、白い蛇は狙いを定めているかのように柊のまたぐらをじっと見つめ続けていた。
(水神様、お止め下さい。私の身体は)
 とぐろが解かれ、それはしゅるしゅると音を立てながら柊に近づいてくる。
 白い頭が巫女装束の裾の中に潜り込む。自分の中に入って来ようとする蛇の感触に、柊は声を上げそうになる。
(私の身体はあなたであっても渡したくない。……助けて。助けて司郎!)
 きつくつむった柊の目じりから涙が零れ落ちる。柊は身を硬くしながら、ひたすら心の中で叫び続ける。
 だが、無情にも白い蛇の進行は止まらなかった。
「あっ」
 何かが入ってくる感触と共に、柊は意識を失った。


「……らぎ。柊!」
 懐かしい声がして、柊は目を覚ました。
 白い蛇はどこにも居なかった。柊は自分の身体を抱き起していた男の頬に手を当て、うわごとのように呟いた。
「司郎、どうしてここへ。私は?」
 意識を失う前の事を思い出し、柊は我に返る。
 身体の中に白蛇が入ったのだった。自分はとうとう、愛しい男よりも先に別の物を体に受け入れてしまったのだ……。
 深い悲しみが柊を襲う。だが、それで涙を流してしまう程彼女の意思は弱い物では無かった。
 これで司郎の命は救われる。私達が育った村で、司郎は自分の分まで生きていけるのだ。それを思えばこの身に何が起ころうと構わない。
 だがそんな柊の強い意志でも耐えられぬような一言が、他ならぬ司郎の口から発せられた。
「試練を止めさせるために来た。水神などに柊は渡さない」
 司郎は親の敵を見るような目で水神像を睨みつける。
「何を言っているのですか。私達の守り神に向かってそのような事」
 視線を追い、柊はその目を疑った。
 白い蛇に変わったはずの白蛇像が何事も無かったかのようにそこに鎮座していた。
 それでは、あの白い蛇は何だったのか。試練で朦朧とした自分が生み出した幻だとでも言うのだろうか。
 しかしあの生々しい感触が幻だったとは、柊にはどうしても思えなかった。
「俺から柊を奪うものは、敵だ。それが村人であろうが、神であろうが、そんなもの関係ない」
「司郎。まさかあなた、村のみんなを」
「まだ何もしていない。黙って抜け出して来ただけだ。みんなは年越しの準備で大忙しだよ……柊が、独りでこんなに苦しんでいたというのに」
 肩を力強く司郎に握りしめられ、柊は呻いた。
「司郎、痛いわ」
「……柊。俺は今から、お前を犯す」
「何を言って」
「柊が清らかな身体でなくなれば、きっと白蛇に変わる事も無くなる。そうなれば柊も死なずに済む」
 獣のような、思いつめた迷い子のような揺れる双眸に見つめられ、柊は言葉を失った。
「柊の居ない人生に意味など無い。お前を犠牲に生き延びようとする村人の事など、知った事か。俺に大事なのは柊、お前だけだ」
「司郎。私は村の為じゃ無く、あなたに生きていて欲しいから」
 本堂に、ぎりり、という司郎の歯ぎしりの音が響く。
「ふざけるな! じゃあ柊は、俺が同じことをして耐えられるのか? 俺が柊の身代わりに死んで、それで平静で居られるのかよ! 俺には耐えられない。耐えられないんだよ柊……」
 顔を背ける司郎に、柊ははっと息を飲んだ。
「いくら愛していると言っても、柊にとって俺はただの弟かもしれない。それでも俺は」
 泣いている。何があっても表情を変える事すら少なかった司郎が、自分の事を想って涙を流している。
「司郎、私だって……」
 私だって愛している。しかしそれを言ってしまったら全てが終わってしまう。今日まで長年耐えてきた気持ちも、そしてこの試練も。
 柊は何も言えなかった。だが、司郎は止まらなかった。
 柊の襟元を掴むと、巫女装束を引き千切らんという勢いで左右に開いたのだ。
 真白く豊かな柊の乳房が柔らかく揺れながらまろびでる。艶やかな柊の白い肌は暗闇の中で良く映えた。
 一瞬の驚きの後、柊は慌てて胸元を隠そうとする。しかし手の平はいつの間にか司郎の手によって握りしめられ、身動きを取る事すら出来なかった。
 淡い桃色の小さな果実に、司郎はためらう事無くむしゃぶりつく。
「だめ、だめよ司郎……。んっ」
 舌先で転がし、甘噛みし、歯を使って擦り上げ、口全体を使って吸い上げ、啜りあげる。
 柊の背筋に電流のような感覚が走り、全身から力が抜ける。
「柊、駄目なのは俺だって分かっている」
 司郎は脱力した柊の身体から着物を脱がすと、その帯で柊の両腕を縛り付けてしまった。
「分かっているけど、もう止められないんだ。柊が欲しい。そのためなら、他の全てを失ったって構わない。
 柊は、嫌か?」
 柊は何も言えない。嫌なわけが無い。司郎に抱かれるこの瞬間を何年も待ち望んでいたのは自分も同じなのだから。だが彼女に残った理性がそれを口にすることを許さなかった。
 司郎は寂しげな笑みを浮かべると、衣服を脱ぎ捨てて柊にのしかかってきた。
「ごめん、柊。でももう、我慢できないんだ」
 柊の脚の付け根を、司郎の指が少し乱暴に撫で回す。蜜の溢れる割れ目を撫で上げ、蜜を指に絡ませていく。
「あぁ、司郎っ」
 そしてついには柊の中に指を入れ、掻き出すように動かし始める。
 くちゅくちゅという音が、膣内を動き回る指が、柊の理性を溶解させていく。弟に、司郎に、愛しい男に抱かれたい。一つになりたい。全て忘れて快楽に身を任せたい。
 のけ反るように首を背けると、水神像が二人の事を見下ろしていた。
 水神の加護が無くなったら。村も、私達も……。
 戻りかけた柊の理性はしかし、司郎の手によって遠ざけられる。
 司郎の指は激しく音を立てながら柊の中を引っ掻き回し続ける。空いた片手が柊の後頭部を抱き寄せ、無理矢理に唇を奪い、舌を絡める。
「んんっ。んんん!」
 柊の瞳から徐々に理性の光が失われ、強張った体からも緊張が抜けて柔らかく蕩け始める。
 柊自身も、もう自分を止められなかった。ついには自ら舌を絡め、自ら欲しがるように腰をゆすり始めてしまう。
 彼女の中には、もう巫女としての柊も姉としての柊も居なかった。残っているのはただ貪欲に想い人からの愛を求める女としての柊だけだった。
 司郎の指と唇が離れると、不満げな声さえあげた。
「いや。司郎、いかないで」
「柊、一つになろう」
 その言葉に、柊は唇を緩ませて笑った。司郎の身体を迎え入れるべく、自ら足を広げさえした。
 熱く硬くそそり立った司郎の男根が柊の入り口に押し当てられる。問いかけるような司郎の視線に、柊は頷いた。
「司郎、来て」
 司郎は泣きそうな顔で笑い、愛を囁きながら柊の細い腰を掴む。そして、迷いを振り切るように一気に柊を貫いた。
 肉棒が無理矢理に膣壁を押し広げる感覚。それは自分が司郎を受け入れているという確かな証だった。
 敏感で大切な部分が擦れ合う。わずかな痛みと、それを押し流すような大きな喜びが下腹部から全身に広がり、柊の身体を満たしていく。
「司郎。司郎っ!」
 司郎は息を荒げながら抜ける寸前まで腰を引くと、再び一気に柊を突き上げる。喜びが、さらなる快楽で上塗りされる。
「あああああっ」
 柊は身体を揺らしながら艶のある声を上げた。
 両手は縛られ、声を抑えることも出来ない。出来るのは司郎との接合部を見ながら、淫らにその白く豊かな柔肉を振るわせる事だけだった。
 司郎に突き上げられる度、柊の全身は熱を持っていき、次第にその顔つきからも上品さが消えていく。
 目じりが下がり、だらしなく口元を緩めて涎を垂らすその顔はどう見ても巫女では無く快楽に蕩けきった情婦のそれだった。
 何かが下腹部から登りつめ、全身に広がっていく気配に柊は眩暈がするようだった。だが、それでも彼女の意識ははっきりと男に抱かれる快楽を感じ、そして愉しんでさえいた。
「熱い。熱いの司郎」
「あぁ柊、俺もだ。柊の中、すごく熱い」
「全身が熱い。中でもあなたと繋がっている部分と、脚が熱いの。どろどろに溶けてしまいそう」
 柊も司郎も、初めて抱いたお互いの身体に、その心地よさに夢中になっていた。
 司郎は柊の身体を貪るようにひたすらに腰を打ち付け、柊は柊で柔く敏感な部分を硬く滾った司郎の男根に突き上げられる快楽にただ酔い痴れ続けていた。
 激しく交わる傍らで、色白だった柊の脚からさらに色が抜けてまるで雪のような色になっている事にも、ぬばたまのようだった黒髪からも色が抜けて白に近づきつつある事にも、司郎はおろか柊自身も気が付いていなかった。
「柊、愛している。誰よりも」
「司郎、ちょうだい。あなたの愛の証を、私の身体の中にっ」
 柊の言葉に応えるように、司郎は柊の奥深くまで一気に侵入してきた。
 その瞬間、柊の下腹部で蓮の花が咲き乱れる。その感覚は下腹部にとどまらず、全身に広がって柊中で花を咲かせていく。
 震える司郎の身体を抱き締めながら、柊は今まさに自分が司郎によって白く染め上げられたことを知った。


 呼吸をするたびに甘酸っぱい柊の匂いが胸に沁み渡っていく。
 司郎は柊の胸に顔を埋めながら、かつてない程の幸福感と満足感に浸っていた。
 自分勝手な行いであることは理解していた。犠牲にしたものの大きさも分かっていた。それでも尚、司郎はこうせずにはいられなかった。
 死ぬ前に一度だけでも心から愛する者を抱く喜びを知りたかった。
 そして愛する柊にも、それを知って欲しかった。
「はぁっ。はぁっ。し……ろう……。とても、素敵だったわ」
 柊は息も絶え絶えになりながらも、司郎の耳元で甘く囁く。
「柊、二人で逃げよう? みんなは許してくれないかもしれない。でも、俺は柊と、一緒に生きていたい。……身勝手だって、分かっているけど、でも俺は死にたくないし、死なせたくない」
「えぇ、どこまでも一緒に堕ちましょう? もう、何があってもあなたを離さない」
 思っていたよりも艶のある声に、司郎は困惑しつつも喜びを隠せなかった。
 柊が自分を受け入れてくれた。自分の気持ちを、愛を受け入れてくれたのだ。姉弟で想い合うという禁忌を乗り越え、ようやく自分達の気持ちが一つになったのだ。
「柊……、柊?」
 司郎は顔を上げ、そして驚愕に目を見開いた。
 柊の髪が雪のように真っ白になっていた。そしてよく見てみれば変化しているものはそれだけでは無かった。
 腰にきつく巻き付いていたはずの柊の脚が、いつの間にか蛇のそれへと変わっていた。
「白蛇……様」
 柊の姿はもはや人間では無かった。その姿は、過去の書物に描かれた水神の使い、白蛇の姿そのものだった。
 司郎は恐れおののき、すぐに身を離そうとするのだが。
「嫌ですっ。司郎、離れないでください。離れないで。お願いだから……」
 即座にしゅるしゅるという音を立てて真っ白な蛇の尾が滑り、司郎はさらに強く柊の身体に密着させられた。
 蛇の尾に足を巻き上げられ、腰を締め上げられ、胴回りを絞り上げられ、離れるどころか身動きを取る事すらできなくなってしまう。
 繋がったままだった男根がさらに深く挿入される形になり、司郎は呻き声を上げる。
「で、ですが。俺のような人間無勢が、神の使いである白蛇様に対してこのような」
 司郎は歯噛みする。油断をすると腰を振ってしまいそうだった。愛では無く、ただ欲情するがゆえにだ。触れる事すら恐れ多い神の使いに対し、罰当たりな感情を抱いている自分が許せなかった。
 しかし司郎のそんな葛藤も知らず、柊の膣はまだ不満足だとばかりに司郎の男根を手放そうとはしなかった。それどころか、さらに司郎へと快楽を与えるべく揉みほぐすような蠕動を繰り返してさえいた。
 その心境とは裏腹に、司郎の男は萎えるどころかさらに硬く熱く屹立してしまう。
 司郎はどうにかして腰を離し、尻尾の拘束から逃れようとするのだが、もがけばもがくほどに白い鱗は強く二人の肌に食い込んでいく。
 白蛇は眉を八の字に歪めながら、いやいやをするように首を振った。
「どうしてですか? 私が人間で無くなったら、司郎は愛してくれないの? 私は命を落とす覚悟で試練に挑んで、神に罰せられる覚悟であなたの愛を受け入れたのに。それなのに司郎は……」
「愛しているさ。でも、水神の使いなんて、もう俺の手には」
 その一言に、柊の目つきが変わる。
 司郎の背中に回されていた柊の手のひらが急に熱を持ち、灼熱の感覚が司郎の中に流れ込んできた。
「あ。く、あっ」
「嫌……。嫌よそんなの。どんな姿になっても司郎を想う気持ちは変わらない。例え司郎が嫌がったとしても、私はもう司郎を手放す気はありませんから……」
 柊の手が司郎の髪を愛しそうに撫でる。
「あなたが、悪いんですよ。あなたが私に火をつけた。だから今度は、私があなたに火をつけます。……消せるのは、私の中の水だけ。もう私無しではいられない身体にしてあげますから。
 大丈夫、この身体の良さも、たっぷり教えてあげますからね」
 柊は舌なめずりをすると、司郎に唇を重ねる。
 司郎の口内に侵入してきた舌は、容易く司郎の舌を巻きあげる。そしてなお余りある細長い舌が、司郎の頬の内側を、歯の付け根を、喉奥までも侵入し、舐め上げていく。
 その人間離れした粘膜同士の触れ合いに、再び司郎の中の雄が首をもたげる。
 柊は大きく口をあけながら司郎の口を解放する。唾液で濡れた舌がのたくりながら赤い口に戻って行く妖艶な光景が、司郎の中に灯り始めた火をさらに激しく燃え盛らせる。
「私の中で、さらに大きくなりましたね。いいですよ司郎、もっともっと、私を愛してください」
「ひい……らぎ……」
 柊は赤子にするように司郎の頭を撫でながらも、小刻みに腰を振り始める。
 変化しているのは外見だけではなかった。白蛇となった柊の膣は、人間であった時よりもさらにきつく司郎自身に密着し、撫で上げるように、搾り上げるように緩急をつけて司郎の陰茎を包み込む。
 擦れた襞の間から漏れ出た蜜が壺に満ちる。無数の襞がかり首に、竿に絡み付き、根元から鈴口まで余すことなく蜜を塗りたくり、揉み上げる。
 本堂に、再び淫らな水音が響き始める。
「司郎の、とっても熱い。それに、すっごく擦れて……。分かりますか、私が濡れてきてしまったのが」
「分かるよ。さっきの柊も凄く良かったけど、今は、もっと……」
 司郎には、もう蕩けた柊の表情しか見えていなかった。もう柊が人でも神でもどうでも良くなっていた。ただ目の前で愛しい柊が自分を求めてくれている。司郎にとってはもうそれだけで十分だった。
 朦朧とする意識の中で、体は軋みを上げ始める。男根だけでなく、全身を蛇の身体に締め上げられていた。
「あぁ、柊。綺麗だよ。蛇になった柊も、本当に綺麗だ。
 お前にだったら、いい。全部くれてやる。俺の命も、人生も。好きなだけ、搾り取ってくれ」
 柊はにたりと笑い、何かを小さくつぶやいた。
 すると柊の素肌から、蛇の尾から、不思議な粘液のような液体が汗のように滲み出す。
 甘い匂いのする粘液は蛇腹の滑りをさらに良くしてゆく。
 肌に触れては離れる鱗の質感に、鱗の下に感じる柔らかな肉の感触に、司郎は下半身に自分の全てが集中し始めるのを自覚する。
 全身を粘液まみれの蛇の尾に擦り上げられる人外の快楽に、司郎はもうまともに思考することもままならなかった。この快楽を永遠に味わっていたい。自分の全てを飲み込んでもらいたい。そんな願望と共に、司郎は柊の腰元にきつく腕を回した。
「あぁ、司郎。私も、私もあなたに全てを捧げます。だからこれからずっと、ずっと一緒に居ましょうね」
 柊の口づけに、司郎はとうとう限界を迎える。全身を震わせながら、大量の精を柊の膣内にぶちまける。
 柊は幼子のような満面の笑みでそれを受け入れ、司郎の頭をかき抱いた。
「あぁ。しろうのせーえき。いっぱいきましたぁ。しろうのせーえき、おいしい。おいしいですよぉしろう。もっとぉ、もっとほしいです。しろうぅ」
 柊の責めはそれで終わらなかった。脈動を続ける男根に、さらに射精を促すように膣肉が緻密に絡み付く。
「もっとよくしてあげる。ようやくかんかくがつかめてきたの。ね、しろう。いっしょにどこまでもおちていきましょうね」
 柊の薄桃色の唇が開き、歯並びのいい白い歯が覗く。
 黒く湿った口の奥から滴りそうな程に涎に塗れた真っ赤な舌がぬるりと這い出て司郎の口の中を蹂躙し始める。
 司郎の身体の奥からかつてない程大きな射精感がこみ上げる。
 だらしなく射精を続ける男根をさらに奥へとねじ込むように脊髄反射的に腰を突き上げ、そして爆発するような感覚と共に、司郎は塊のような精を放射した。


「うふふ。しろう、しろう。わたしのしろう。だーいすきです」
 にこにこと無邪気に笑いながら頬ずりしてくる柊に、司郎は苦笑いをしながらも髪を撫でて応えてやる。
 司郎が限界を迎え、もう煙も出ない程になってもなお、柊の膣はいまだ彼を離していなかった。蛇の尻尾もぬらぬらとしたぬめりを帯びながら司郎の体中に巻き付いたままだった。
 交わり始めた時には真っ暗だった本堂も、今では日の光が差し込んで十分に明らんでいた。今や誰の目にも、目を凝らさずとも淫らに絡み合う人と蛇の姿がはっきりと良く見えた。
 神聖であるはずの社の中は、二人の行為の激しさを物語るかのように濃い淫臭で満ちていた。不用意に人間が忍び込めば発情してもおかしくない程であったが、今のところ、誰かが様子を見に来るという事は無さそうだった。
 本来であれば命を懸けた祈祷の最中なのだ。邪魔する不届きなものなど、そうそういるはずが無い。
「もうおしまいですか? わたしへのきもちはそのていどなんですか? わたしは、もっともっとしろうとまじわりたい。しろうのせいえきを、もっといっぱいおなかに」
「俺だって、そうしたいよ。でも柊、少し休ませてくれ。お願いだ」
 司郎は息も絶え絶えに言う。司郎は肉体も精神ももう憔悴しきっていた。
 一晩中に渡る、絶え間ない愛撫と、度重なる射精。意識を失いそうになるたびに、法力とも霊力とも言えぬ力を流し込まれ、強制的に回復させられ、勃ち上げさせられ、そしてまた交わりをねだられる。
 幸福な時間ではあったが、しかし疲れは否めなかった。
 ため息を吐く司郎に、柊ははっと息を飲んだ。
「そう、ですね。ごめんなさい司郎。私も夢中になり過ぎていたみたいです」
 柊の瞳の奥に理性の光が戻り、司郎はほっと息を吐く。
「苦しかったでしょう。でも、どうか嫌わないでください。私もそれだけ司郎の事を想っていたのです。私だって、ずっと我慢していたのですから」
「苦しいなんて、とんでもない。とても甘美な時間だったよ」
 柊は頬を染めながら下を向き、そしてさらに真っ赤になった。
「どうした柊」
「……私達、一晩中繋がっていたのですね」
「そりゃ、離してくれなかったからな」
 柊は何も言わず尻尾の拘束を緩めた。
 一晩に渡り密着していた二人の肌が、ようやく離れていく。
「あ、擦れっ、ふあぁっ」
「くっ」
 繋がり合っていた部分が最後に強く擦れ合い、二人は声を上げて身を震わせる。
 やがて、ごぽっ。という音と共に司郎のものが抜けきると、柊の蛇と人の付け根にある桃色の花びらから白い蜜が溢れだした。
「こんなに、いっぱい」
 柊は溢れ出る蜜を指でせき止めて受け止める。
 そして蜜の絡んだ指を目の前にかざすと、うっとりと目を細めた。
「美味そうな精じゃのう。わらわにも一口くれぬか?」
「駄目ですよぉ。司郎の精は、私だけのものなのですから」
 迫りくる口から逃れるように柊は指を引き、長い舌を伸ばして即座に舐め取ってしまう。
「ちぇ、ケチじゃのう。一晩中、その身にたんまり精を浴びて溜め込んでおったくせに」
「量は関係ないのです。司郎の愛は私だけのもの、ただそれだけ……って、え?」
 柊はそいつに対して噛み付こうとし、そしてようやく見知らぬ何者かが自分達の傍に佇んでいたことに気が付いて息を飲んだ。
 いつからそこに居たのか、司郎と柊の目の前には一人の女の子が佇んでいた。
 ふっくらとした頬、紅の引かれた若々しい唇、長いまつ毛、きらきらとした勝気そうな目。年を経れば間違いなく美人になるであろう素質を秘めたその娘は、しかし人間では無かった。
 着物から覗くその下半身は、人のものよりもむしろ柊のような蛇のものに近い。しかしそれは完全な蛇というわけでは無く、蛇には無い鬣を持っていた。
 さらにその腰に当てられた両腕も鱗に覆われており、人のものと言うよりは、
「水、神様?」
 そう、側頭部より小さな角を生やし、琥珀色の髪飾りをつけたその立ち姿は、小柄ながらも伝承に伝わる水神そのものだったのだ。


「いかにも、わらわこそこの地の水を治める者。龍の竜胆なり」
 えっへんと薄い胸を張るその姿は威厳こそまだ無いものの、見る者誰もに保護欲を抱かせる可愛らしさがあった。
「柊、司郎。お前たちの情熱的な交わり。しかと見定めさせてもらった。互いを想い合い、躊躇い合う姉弟だからこそ激しく愛し合い燃え上るその姿に、わらわも涙するとともに胸がきゅんきゅんしておったぞ」
「きゅん、きゅん?」
 司郎は呆然として呟く。
 対して柊は、本能的に何かを悟ったのか頬を染めて顔を伏せる。
「つまり白蛇の試練と言うのは、あらゆる禁忌を犯してでも愛を貫けるか、それを見る試練だったのですね?」
 竜胆は大きく頷き、歯を見せて笑った。
「そうじゃ。試験は合格じゃ。わらわの側仕えとして、そなたら以上の者はおらん」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。じゃあ今までの試練は一体何だったんだ?」
 司郎は目の前にいるのが敬うべき水神そのものだという事も忘れ、食って掛かるように問い詰める。
「柊が不食の試練で飯もろくに食えなかったのも、身を切るような冬の滝に打たれて苦しんでいたのも全部無駄だったのか?」
 司郎の厳しい言葉に、竜胆は素直に頭を下げた。
「その事に関しては、済まなかったと思っている。じゃが、あれは必要な事だったのじゃ」
 激していた司郎も、そのしおらしい幼龍の様子に毒気を抜かれて口をつぐんだ。
「いくら我ら龍族に力があるとはいえ、人の身体を変化させることはそう簡単ではないのじゃ。
 あの二つの試練は巫女の身体を我らに近づけるための準備。口にするものを虜の果実という霊力の高い食べ物だけに限り、わらわの力を込めた水を浴び続けさせる事により柊の身体を白蛇に近づけておったのじゃ。
 そして最後に先代の白蛇の霊力を帯びた蛇をまとわせる事により、ようやく準備が完成した、というわけじゃ」
「準備?」
「そう。準備じゃ。最後に愛に満ち溢れた交合をすることで、ようやく術は成るのじゃよ。司郎」
 呆然と聞いていた司郎の手に、柊の手のひらが重ねられる。
 戸惑う司郎に、柊は柔らかく微笑んで頷いた。
「つまり、俺が柊を白蛇に変えてしまった?」
「そうです。でも、私はとても嬉しかったわ。ずっと、ずっと司郎に抱きしめられたいって思っていましたから」
 自分が早まらなければ。そう思いかけた司郎だったが、当人に微笑みながら身を寄せられては後悔することも出来なかった。
「素直に人を愛することは大切な事じゃ。人一人愛せぬ者に、大勢の人間を愛し、守れるわけもないからの」
 司郎は柊の髪を撫で、穏やかに頷いた。
 確かに柊の肉体は白蛇に変わってしまった。その事への戸惑いは、全く無いと言えば嘘になる。
 だが、自分の柊への気持ちも、柊の自分への気持ちも変わっていないのだ。
 それどころか、柊はかつてない程に幸せそうな顔で自分に身を寄せてくれている。
 これの何を後悔することがあるだろうか。
「村はどうなるのですか?」
「白蛇が顕現した以上、あとはお主の頑張り次第じゃ、司郎」
 竜胆はからからと笑って司郎の肩を叩いた。
「本来であればわらわが天候やら何やら安定させる為に頑張らねばならぬのじゃが、わらわはまだ幼いゆえに力も少なくての。済まぬのだがしばらく村はお主たちが守る事になる。
 なに、昨晩のようにたっぷり交わって柊に精を出してやれば、それだけ柊の力も増して操れる水の気も大きくなる。
 あとは柊が心穏やかにありさえすれば、水の気もそれに沿って安定する事じゃろう」
「はぁ……」
「水の気を大量に身に宿している我らは、ただそこに居るだけで水の気を安定させてやる事が出来るのじゃ。しかし、それには我らの精神の安定もまた必要になるゆえにじゃな」
 よく分からないと言った感じの司郎に対し、竜胆はやれやれと肩を竦めて息を吐いた。
「あーもういい。つまりじゃ、お主はただ柊を寂しがらせず、精一杯愛してやればよいのじゃ。分かったか?」
「わ、分かりました」
 竜胆は再びため息のような息を吐き、うな垂れた。
「まぁ、その点は心配してはおらんのじゃがな。お主らの情愛の深さは、よく見定めさせてもらったゆえ。
 ……わらわにも、禁忌を犯してでも愛してくれる殿方が現れてくれるかなぁ」
「もちろんですよ。竜胆様」
 柊は竜胆に視線を合わせて微笑み、我が子にするようにその頭を撫でてやる。
「そうかなぁ」
「そうですよ。だってこんなに可愛らしいお方なのですもの。世の男性が放っておくとは思えませんわ」
 まるで親子か仲の良い姉妹のような柊と竜胆のやり取りに、司郎は思わず苦笑いを浮かべた。
 本来白蛇は水神に仕える身なのだが、この様子からではとても主従関係があるようには見えなかったのだ。
 だが、これはこれでいいのかもしれない。
 柊は昔から子ども好きで、どんな時でも子どもが居たら相手をせずにはいられない人だった。白蛇になっても、やはり柊は柊なのだ。
「……司郎も?」
「もちろんですがたとえ竜胆様でも司郎だけは渡しません。司郎が愛するのは私だけですから」
「くっく。分かっておるよ」
 二人はそろって司郎の方を見る。
 からかうような竜胆の視線と、少し狂気を含んでさえ見える柊の熱っぽい視線に、司郎はただ笑うしかなかった。
「さて、続きは山頂の社にてしよう」
「山頂の社?」
「我々龍と白蛇の住処じゃ。もっとも今はわらわ一人じゃが……」
「先代の龍や白蛇は」
「別の地の人間達を救うために、父上も母上もお付きの白蛇夫婦を連れて出向しておるのじゃ。……何じゃその目は。べ、別にわらわは一人だって平気なのじゃぞ? ただ、あそこの方がこの地の水の気を操りやすい。それだけじゃ」
 頬を膨らませ、ぷいっと顔を背ける竜胆。
 司郎はふっと息を吐くと、柊の顔を見て笑い合った。
「行きましょう。司郎」
「ああ。神の国だろうがどこだろうが、ずっと一緒だ」


 本堂の中が無人になっている事に最初に気が付いたのは、最長老の老人だった。
 開いたままになっていた扉から中に入り込み、老人は一通の手紙を見つけた。
 それは柊と司郎が村の皆あてに残した手紙だった。全ての事の顛末が書かれたそれを、老人は静かに読み終え、胸の中にしまう。
「言った通りじゃったろう。司郎よ」
 老人は本堂から出て、神の住まうという山を見上げる。
「達者で暮らせよ。司郎、柊」
 晴れやかな表情で言った後、老人はかかと笑った。
「しかし、これから水神様の婿探しとは。これはまだまだ死ぬわけにはいかんなぁ」


 水神の住処である山頂の社は、水難の試練を行った滝よりさらに奥にある。それほど登るのが難しい山では無いのだが、距離を考えれば決して近いわけでは無かった。
 それだけ、村からも離れる事になる。
「柊、後悔してないか?」
 司郎はふと足を止めて、後ろの柊を振り仰いだ。
 柊もまた歩みを止め、不思議そうに首を傾げる。
「何の事ですか?」
「さっきは言えなかったが、柊がその身体になってしまったのは俺のせいだ。もし俺がもっと早くにお前を連れて村から出ていれば、俺達は二人とも人間として……」
 柊は首を振る。
「後悔は無いわ。白蛇になると決めたのも、自分から進んでの事ですもの。
 でも、最初は死んでしまうか、白蛇になった私だけが龍の世界に連れて行かれるものとばかり思っていたけど」
 柊はにっこりと笑い、司郎に腕を絡めて抱きついた。
「まさか、こんな風に司郎と一生添い遂げられるとは思わなかった。人間のままだったら、きっとこんな気持ちにはなれなかったと思う。
 司郎。私、幸せよ。この幸せは、全部あなたのおかげ」
 踏みしめる雪道も、吹き荒ぶ風も冷たいにも関わらず、司郎の身体は不思議と暖かかった。
「これからもよろしくな。柊」
「こちらこそ。私の愛しい旦那様」
 身を寄せ合い、口づけを交わそうかというところで、道の先から騒がしい声が二人の唇の間を通り抜けていく。
『こらー。休んでおらんで早く歩くのじゃー』
 坂の上で拳を振るう幼い龍に手を振り返しながら、二人は互いに手を取り合って、再び坂を上り始める。
 寄り添う人の足跡と、蛇の跡を残しながら、二人はこれからも歩いていく。
 どこまでも。どこまでも。
13/01/13 21:13更新 / 玉虫色

■作者メッセージ
初めての方も、前の作品から読んで頂いている方も、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

今回はちょっと文体を変えて挑戦してみました。読みづらかったかもしれませんが、私も常に修行中という事でご了承いただけたら幸いです。

白蛇への魔物化について、公式な設定としては明確にされてはいませんが、『蛇神の儀式』や白蛇の『龍に仕える巫女』といった側面からこんな感じの妄想をしてみました。
設定の解釈については色々な見方があると思いますが、これも一つの妄想として見て頂けたら幸いでございます。

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