連載小説
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「なべて世は事も無し」
 その国の空は黒く濁って淀んでいた。陽の光は大地に差さず、そこにあるのは荒れ果てた大地と漆黒の闇――常人が触れたらたちどころに発情し、理性を失って猿のように盛り始めてしまうほどの強烈な魔力が凝縮し出来上がった、闇のベールのみであった。あちこちに立ち並ぶ家屋や商店街の中にも闇が充満し、中には自ら戸を開き、気が狂うほどの魔力を自ら受け入れているところもあった。そうして闇に彩られた街並みの至る所で嬌声が響き、誰も彼もが溢れんほどの愛欲と共に日々を過ごしていた。
 暗黒魔界。外の人間は、この地をそう呼んでいた。一方でまた別の物は、この地を不死者の国とも呼んでいた。アンデッドとそれに魅入られた人間が住まう、呪われた国。愛する者達が倫理と道徳をかなぐり捨て、日がな一日快楽の沼に沈んでいく、堕落の極みと化した世界。主神から見放されし、悪徳のはびこる邪悪な世界。
 
「……みたいな感じで、外ではここをそう呼んでいるんだよ。他にも色々呼び方はあるけど、その殆どが悪口だね」
「ふうん。へんなノ。ここはこんなニ住みやすいノに」
 
 そこを知らない者は、決まってここを悪しざまに罵る。それがユーリスには理解できなかった。ここでなら何物にも縛られず、好きな人と好きな時に好きなだけ愛を交わすことが出来る。教団も禁忌も関係ない。愛さえあれば、後は何もいらない。
 ここはまさに楽園。そうであるはずなのに、どうして誰もその素晴らしさを理解してくれないのだろう?
 
「きっト、堕ちるのが怖いンじゃないかしラ?」
「どういう意味?」
「人間としテ生まれた以上、人間らしイ暮らし方をしないトいけない。ルールに従わないトいけなイ。みんなそう思い込んでいルのよ」
「そんなの変だよ。ルールのために自分の気持ちを誤魔化すなんて、やっぱり間違ってると思うな」
「うン。私もそう思うヨ。だってそうじゃナきゃ、こうして兄さんト一緒にいられなイもの」
 
 ユーリスと彼の実妹リリィは、同じベッドの上に全裸で並んで寝転びながら、そんな世の理不尽を嘆いていた。彼らに宛がわれていた一軒家の玄関ドアは開け放たれ、ベッドの下にはドス黒い闇が充満していた。
 
「兄さんハどう思ってるノ? やっぱり、決まりに従ウのは大事だと思っているのかしラ?」
「そりゃまあ、確かにルールは必要だよ。でも人の気持ちを踏みにじるようなルールは、絶対にあっちゃいけないと思う。人の人生を狂わせるようなふざけたルールも、絶対に存在しちゃいけないんだよ」

 そこまで言って、ユーリスがリリィを抱き寄せる。大好きな兄の温もりを素肌で直接感じ取り、リリィがうっとりとした表情を浮かべる。そしてもっと兄の温もりに包まれたいと思い、背筋を曲げ胸元で両手を折り畳み、兄の体の中で丸くなる。
 そんな欲張りな妹を愛しく思いながら、ユーリスが言葉を続ける。
 
「だから俺は、ここに来てよかったって心から思ってるよ」
「兄さん……」

 小さくなったリリィの体をさらに抱き寄せる。妹の髪が鼻先にくっつき、そこから放たれる華やかな匂いが彼の鼻腔をくすぐっていく。一般的にゾンビは腐った死体とされているが、彼はそうは思わなかった。こんなにかぐわしい香りを放つ愛らしい娘が、どうして腐乱死体などと思えるだろう?
 
「俺はお前と一緒にここに来れて、本当によかったと思ってる。後悔もしてない。お前と一緒なら、どこへだって行ける」
「私も同じ気持ち、ダよ? 兄さんちイ、いっしょに、いられて、とってモ、嬉しい……!」

 若干拙い口調に戻りながらも、リリィが必死に己の気持ちをユーリスにぶつける。ユーリスもまたそれを正面から受け入れ、愛する妹をますます強く抱きしめる。
 彼ら兄妹がこちらの世界に来てはや一週間。彼らは他の移民者と同じように、既にこの魔界の環境に順応しつつあった。
 
 
 
 
 例のショッピングモールでの乱交騒ぎが終わった後、現地に直接赴いていたケルヴィンはそこで生まれたカップル達を集めて二つの選択肢を用意した。すなわちこちら側の世界で生きていくか、ケルヴィンと共に彼女の治める国に移り住むかである。
 結論から言うと、カップルの大半がケルヴィンと共に「向こう側の世界」に移ることになった。ゾンビ達の気持ちを汲んで向こうで暮らすことを決意した者、ただ単に好奇心から魔界に行ってみようと決心した者。または退屈な日常から抜け出そうと新天地を目指す者。動機は十人十色であったが、伴侶であるゾンビを幸せにしてやりたいという気持ちは誰もが等しく抱いていた。
 なお、これはケルヴィンとしても嬉しい誤算であった。自分の導きによって恋仲となった者達が、自分の目の届くところで愛の営みに溺れていく。これが嬉しくなくてなんだと言うのだろうか。
 
「安心してください。最低限の衣食住に関しては、全てこちらで用意しますわ。もっとも、服に関してはあまり必要ないかもしれませんが」

 そしてケルヴィンは己のあげた成果を喜ぶだけでなく、アフターフォローもぬかりなく行った。彼女は自分に従って不死者の国へ赴いた者達の前でそう告げ、実際にそれらを用意してみせたのだ。少なくとも彼らがケルヴィンの国に足を踏み入れた時には、既に全カップルに行き渡るだけの空き家が用意されていた。
 またその空き家の中に置かれていたクローゼットには、十分な数の衣服が綺麗に折りたたまれて仕舞われていた。食べ物は予め蓄えられていた物で十分対応可能であり、そちらに関しても問題は無かった――もっとも、その大半が魔界産の作物であるのだが。そしてそれの危険性を「こちら側の世界」の住人が認知するのは、彼らが実際にそれを口にした時であった。
 
「でも、なんだか申し訳ないっすね。俺達のためにここまでしてくれるなんて」
「とんでもございません。全ては愛のため。あなた達の新たな人生のため。このくらいの苦労などわけありませんわ」
 
 おかげで向こう側からこちら側に移ってきた者達が必要以上に不安を抱くことは無かった。また、元々こちら側の世界の住人であったユーリス達も、彼らと同じように安堵の気持ちを抱いた。どうやってこれだけの用意を済ませたのだろうと疑問に思う者は、この時点では皆無であった。
 
「何も心配することはありません。ここでなら好きなだけ、好きなように愛を囁きあうことが出来る。このわたくしの命にかけて、あなた達の幸せを妨害させはしませんわ」

 そうして一通りの説明を終え、穏やかな表情で移民勢を見つめるケルヴィンの瞳には、強い覚悟の光が宿っていた。気高く、気品と気迫に満ちた彼女の姿は、新たな門出を前にして不安を抱く面々の心を等しく救済していった。この人にならどこまでもついていけると無条件で思えるだけの威厳が、確かにそこにあった。
 
「ですからあなた達も、これから魔界の一員として、存分に乱れ交わりなさい。喧嘩をしてはいけませんよ?」

 それ故に、そう念を押すケルヴィンに対して、その場の全員が頷いて答えた。彼らは既にケルヴィンを主として認め、彼女に対して全幅の信頼を置くようになっていた。
 そしてそんな彼女への信頼は、日を追うごとに強くなっていったのであった。
 
 
 
 
 ユーリスとリリィも、そんなケルヴィンに信頼を寄せていた。そして彼女の言葉通り、二人は新居を得て以降、猿のようにセックスに耽っていった。二人並んで外出することもあるにはあるが、基本的には家から一歩も出ず、ただひたすらに互いの肉を求めた。
 なお二人がこちら側に戻ってきたことや、リリィが蘇ってユーリスとくっついたことなどに関しては、二人の両親にはまだ伝えていなかった。それ以前に、この兄妹が両親と直接顔を合わせたこともまた一度も無かった。これはリリィとユーリスが決めた事であり、自分達のような「不浄」なカップルと出会ったがために両親に無用な危害が加わるのを避けるためであった。なおその話を聞いた時、ケルヴィンも同じように「今はここでじっとしていた方がいいと思う」と口にした。
 
「辛いかもしれないけれど、今はどうか耐えてくださいませ。いつか教団の影響力も薄れ、そう遠くない内に彼らの存在も形骸化することでしょう。そうなれば、必ずご両親に会えるようになりますわ」

 ケルヴィンはそう言ってフォローしたが、そう漏らす彼女の顔は浮かないままだった。それが何を意味するのか、兄妹は深く考えないことにした。そもそも「妹と再会してみないか」とケルヴィンに誘われた際、当時のユーリスと両親は彼女から「下手をすると、もう二度とここには戻ってこれないかもしれない」と念を押されていたのだ。こうなることは覚悟の上だった。
 きっと両親も、それを覚悟してくれているだろう。ユーリスとリリィはそう考えることにした。同時にまったく親不孝にも程があると、二人はそんな自分達の思考回路に自己嫌悪を抱いたりもした。
 
「ねえ兄さン、今日もいっぱい、しヨ?」
「そうだな。まずは体を温めないとな」
「私の中も、暖かくしてくれないと、嫌だからネ?」
「わかってるよ」

 しかしそんな感情は、今の彼らにとっては些細なことだった。この兄妹は今やケルヴィンの望み通り、心の底から肉欲に堕ちていた。両親への負い目よりも、愛する者と肉悦に浸ることを優先するようになっていた。そしていつからか服すら着なくなり、精臭でむせ返る部屋の中で、ひたすら爛れた日常を送るだけとなっていった。
 魔物になるとは、要はそういうことであった。そしてここに来た者全員が、彼らと同じように等しく堕落していった。
 
「そうダ、兄さん。せっかくだから、お母さんたちモこっちに呼んで、一緒に楽しく過ごさなイ?」

 そんな中、リリィが不意に提案をする。彼女のその言葉は、真人間である両親を自分達と同じ堕落の道へ誘おうというものであった。
 そしてそれを聞いたユーリスは目を輝かせた。その手があったかと、妹の聡明さに驚嘆を覚えた。
 
「そうか。そうすれば、俺達も気兼ねなく二人に会えるな」
「そういうこト。それにこんなに素晴らしいコト、お母さんたちニモ教えてあげたいって思ってたノ」

 愛する兄から精を注がれ続け、それによって感情と自我を取り戻したリリィは、人間だった時以上に美しく賢い娘へと成長を遂げていた。これは自分が魔物娘に生まれ変わったからであるとリリィは考えており、その点からも彼女はケルヴィンに崇敬の念を抱いていた。
 もっともケルヴィン本人は、リリィが美しく変われたのはユーリスの愛の力によるものだと言って譲らなかった。自分はあくまできっかけを作っただけであり、今の結果を生み出したのは二人の功績であるとしてこの兄妹の深い愛を讃えたのだ。
 なおリリィの背丈は、成長して以降もあまり変わり映えしなかった。しかしそれを指摘すると途端にリリィは不機嫌になるので、ユーリスは最初にそれを話題に出して彼女を怒らせて以降、自分から話のタネにすることはしなくなった。
 怒った顔もまた可愛いのだが。
 
「でもその前に、まずは体を温めないとな。寒いまま外に出たら風邪ひいちゃうよ」
「もう、兄さんてば。私達はもう風邪なんかひかないデしょ?」
「気の持ちようだよ。それともリリィは、こういうことするのは嫌か?」
「嫌な訳ないじゃなイ。私も兄さんとこういうことするノ、大好きだヨ」

 そしてケルヴィンの見立ては全く正解だった。ゾンビとインキュバスへ変貌した二人の兄妹は、今日もいつものように体を重ね合わせ、愛のままに汗と精を混じり合わせた。それを言われると彼らは謙遜するだろうが、この兄妹は他の者達以上に肉欲の沼にどっぷり浸かっていた。悦びを分かち合い、唾液を全身で絡ませ合い、心を通わせ合った。
 魔物の理想とする一つの形が、確かにそこにあった。
 
「兄さん」
「なんだ?」
「大好き、ダヨ」
「俺もお前のこと、大好きだぞ」
「うふふッ……♪」




 暗黒の世界の下で、二人はどこまでも幸せに暮らしたのであった。
17/02/08 21:48更新 / 黒尻尾
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