読切小説
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続・我が家のダメ吸血鬼。


     1


ここは魔界のとある名家の御屋敷。
その庭先では三人の美女姉妹による優雅なお茶会が開かれていました。

「ねぇ、エリスお姉様。」

「どうした?ユアナ。」

「本日は何故、外でお茶会を?いつもはお姉様かわたくしの部屋で行いますのに…。」

「そういえば変ね。それにお茶会に誘ってくるのはいつもユアナ姉さんのはず。エリス姉さんが誘ってくるって事は何かあったの?」

「ああ、それはだな。」

長姉はカップを一度テーブルに置き、トントンとテーブルを指で叩く。
するとテーブルの上に置いてあったポットが宙を舞い、空になった長姉のカップに熱い紅茶を注ぎ込んだ。
自慢のきらびやかな銀髪を手慣れた動作でかき上げてフッと笑う。

「我が家の庭園には色とりどりの美しい花々が咲いている。それを楽しみながら紅茶、というのもなかなか洒落たものじゃないか。」

「ふふふ、珍しい事もあるものですね。…で、本心は?」

「…やれやれ、せっかくもっともらしい事を言ったのだ。少しぐらいはに冗談付き合ってくれても良いだろう。」

「なーんだ、エリス姉さんの冗談かぁ。頭でも打ったのかと思ったわ。」

「ほんの少しの戯れだ、許せ。…まあ、これ以上隠す意味もないのだが。」

「で、何故ですか?エリスお姉さま。」

「今回、外でお茶会を開いた理由は…。」

ドゴォォオォオオオォォォン!!!!

「これだ。」

突如、屋敷の二階のバルコニーから業炎が噴き出す。
爆風で窓枠ごと飛んでいったガラスが地面に叩きつけられ、耳障りな甲高い音を立てて砕け散った。
それでも何事もなかったかのように続けられるお茶会。
三女は呆れた笑いを浮かべながら「ああ、またなの…。」と小さくつぶやいた。

「ふふふ、さて今日は何があったんでしょうか?」

次女が瞳を細めて、紅茶に口をつける。
それと同時にバルコニーから一人の男が投げ出されるような格好で外へと飛び出した。

「わ、ワシは悪くないぞ!!悪いのはお前なんだぞ、ブリギット!!ひ、ひぃぃっ!?」

捨て台詞さえも言わせぬように炎弾が男めがけて再び襲い掛かる。
その火勢に躊躇の二文字は見えない。
こう巨大な火球が空を飛び回っていては、せっかくの庭園の色鮮やかな風景も台無しだ。

「くぅっ!!…も、もうこんな家は知らぬっ、ワシは出て行くぞ!!う、うわぁああぁぁああぁっ!!!」

銀髪の男は服についたホコリをはらい、屋敷とは反対側の方向へ駆けていく。
端正な顔立ちを涙でグシャグシャに歪めながら…。
三女の口から渇いた笑いが漏れ出る。
長女はやれやれと眉間をおさえて、背もたれに寄りかかった。

「まあ、何と言えばいいのか…。いつも通り…としか言いようがないな。」

咲き誇る花々(と隕石のように降り注ぐ炎弾)のなか三姉妹の微笑が響き渡る。
こうして自分達が『自分達の日常』の中にいることを改めて実感するのであった。


     2


「で、環人。結局のところどうなんだ?」

「…は?」

俺の友人、桜場雪広が格闘ゲームの筐体から目を離さないまま俺にそう聞いてくる。
雪広がプレイしている隣でぼんやりと画面を眺めていた俺は、その脈絡も何もない質問に首を傾けた。

「何がだ?」

「とぼけんなよ。優華とリザノールちゃん、どっちが好きなんだ?」

「またその話かよ…。前にも話しただろう、今はどちらとも付き合う気はないって。」

「いや、それは聞いたけどよ。正直それじゃ納得できな…、あぁっ!!クソっ、負けちまった!!」

せわしなく動いていた両手をピタリと止めて、雪広は身体を俺のほうに向ける。
そして血涙を流すような表情で俺の肩を掴み揺さぶる雪広。
おいおい…、格ゲーの鬱憤を俺で晴らさないでくれ…。
視界が上下に振動したまま、顎がガクンガクン重力法則に従う。

「あぁ!?勝ち組気分ですか!?それともセレブ気分ですかっ!?あんなに可愛い子二人に言い寄られて!!俺だったら両方即ベッドインするぞっ!!まあどうせしてるんだろうけど!!」

「お前と一緒にするな!!その前にお前はその節操の無さをどうにかしろよ!!」

「クソッタレがぁっ!?どうしてなんだ、どうして俺じゃなくお前なんだ!?頼むから一人こちらに回してくださいよ畜生!!元カノにふられてからこっちは欲求不満なんだぞ!!!」

「知・る・か!!本心と下心、両方丸出しだからだろ!?それとも本心イコール下心か!?」

「男は股間で愛を語るんだ!!お願いします環人様、ご慈悲をぉっ!!」

涙ぐみながら雪広は俺にすがりつく。
タチの悪い酔っ払いのようでうっとうしい事この上ない。
自然とため息が口から漏れでた。
最近毎日のようにため息をついてるな、俺。
とりあえず恥ずかしいからこんな所で土下座しようとしないでくれ。

「何を恥ずかしい事やってんのよ、バカ広。」

俺の後ろから聞き慣れた声がする。
振り返るとそこには森本有純と栗原優華の姿があった。
有純の姿に気付いた雪広は飛び上がるように立ち上がり、ファイティングポーズをとる。
完全な警戒体勢だ。

「な、なななにをしにきたっ、有純!?」

「別にアンタにゃ用事はないわよ。用があるのは環人。ほら、優華いっておいで。」

「あっ…、うん…。」

有純に背中を押されて、優華がこちらに歩み寄ってくる。
ドクン。
鼓動が一度大きく跳ねた。
居心地の悪い沈黙が俺と優華の間に形成される。

「それとバカ広、ちょっと付き合いなさい。」

「ひぃっ、嫌だぁっ!!!俺はまだ死にたくないぃ!!後生だ、頼む、見逃してくれ!!」

「別に取って食おうとしてるわけじゃないでしょ!!男なら女の子のエスコートぐらいしなさいよ!!」

「女子のエスコートは喜んでする!!だがメスゴリラは対象外だぁっ!!」

「シャラップ!!!誰がメスゴリラよ!?」

「お前だ、お前!!怪力で寸胴で、おまけに乳というよりは胸筋!!!しかも背だけは俺よりも高い!!どう見てもメスゴリラ…。」

プッツン。

何かが切れる音がした。
神速とも言えるスピードで雪広との間合いをつめる有純。
ファイティングポーズがまったく意味を成していない。
有純の指が雪広の喉元に絡みつき、細い腕1本で彼の身体を軽々と持ち上げた。
首を吊っているような状態の雪広は足をバタバタさせて、必死の抵抗を試みる。が、ビクともしない。

ゴキィッ!!!!!!

絡みついた指に力を入れたのと同時に骨と骨が外れる鈍い音が響き渡る。
その音が合図となって雪広の身体はくたぁっと力を失った。
…おいおい、マジで死んだんじゃないのか?

「…ばかぁ。」

聞こえないぐらいの小さな声で有純がそう漏らす。
ドサリという音とともに落下した雪広の身体は力なく地に伏した。
おお…、口からピンク色の泡が…。

「…優華、頑張ってね!!私はコイツを連れて遊んでるから!!」

「うん…、ありがと有純…。」

「あと、環人!!優華泣かしたらアンタもバカ広みたいにしてやるわよ!!」

冗談混じりにクククッと笑う有純。
まったく冗談に聞こえないのが彼女の恐ろしい所だ。
有純はピクリとも動かない雪広の左足を掴んでズリズリ引っ張っていく。
ひょっとしたら俺達は人間1人がこの世を去る瞬間を目撃したのではないだろうか。
なんというか、んーと…、いや、これは自業自得か。
有純の姿が見えなくなった後痛いほどの沈黙が続く。
困ったぞ…、この沈黙は気まずい…。
リザのこともどう説明したらいいのか、まだわかっていない。(一応、親戚ということで誤魔化しはしたが)
優華はまだリザが普通の人間だと思ってるし…。
不良に絡まれてた時にアイツが翼を出す光景をその目で見てる。
後から慌てて、リザのあの黒い翼はスウェットの下に来ていた着ぐるみパジャマについていたものだと説明したが…。
あの後のリザには一応俺が着ていた上着をかぶせてやったからそれほど長い時間は優華の目に触れていないし、有純と雪広には見られてすらいない。
いっそ正直に話すべきなのだろうか…。
あれでもまがりなりに国家機密の一つだ。そう簡単に話していいはずがない。
どうするべきかと思案していると、沈黙に耐え切れなくなった優華がゲームの筐体の並ぶ方に顔を向けながら口を開いた。

「あ、あのね…。」

「ああ…、どうした…?」

「環人くんっていつも…、どんなゲームやるの…?」

「えと俺は…、ほらあれとかあれかな。」

俺はいつも自分がプレイするゲーム機を指差す。
一つは先ほど雪広がプレイしていた格闘ゲーム、もう一つは自分でカスタマイズしたロボットを操作するアクションゲームだ。
優華はそのアクションゲームに興味を示す。

「あのゲーム、いつも見るんだけどやった事なくて…。」

「やってみる?それならこのカード、まだデータも何も入ってないからあげるよ。」

俺は財布の中から更新用にとっておいた緑色のICカードを、優華に手渡した。
目を丸くしてICカードをまじまじと見つめる優華。

「…え、いいの?」

「構わないよ、足りなくなったときにもう一枚買えばいいだけだしね。」

「ありがとう、環人くん!!」

スキップを踏みそうなほど上機嫌のまま優華はゲームの筐体の前に座る。
その眩しいほど屈託のない笑顔を見ていると、俺の胸が一度ぎゅっと締め付けられた。
痛みの原因はおそらく、この宙ぶらりんな状況に対する嫌悪感と一度告白を断った罪悪感。
同時に半端な気持ちでは彼女の気持ちには応えられないという自分自身に対する強迫観念に似た自負。
それらがドロドロと混ぜ合わさって胸を締める苦痛が構築されている。
しばらくその葛藤に頭を悩ませていると…。

「ねぇ…、環人くん。」

「…やっぱり中途半端な返答は良くないよな。あれで良かっ…。」

「環人くん!!」

「は、はいっ!!!」

「これってどうなってるの…?」

「へ?連続撃破…10…?」

連続撃破×10って…。
対人戦でそれを叩き出す事ができるのはよほどの熟練者のみである。
それに対して優華は完全な初心者。
一目見ただけで初心者だと判断できるほど、プレイする指や操作がおぼついていない。
なのに彼女は小さい悲鳴を上げながら、全ての攻撃を直感で避けている。
そして攻撃を絶妙なタイミングで当てていた。
嘘だろ…、おい。
思わぬ鬼神が…、ここにいた。


     3


夕暮れに染まった街中を私は環人くんと一緒に歩幅を合わせて歩く。
季節も秋から冬へと変わりつつあり、吹く風が少し肌寒かった。
私より少し背の高い彼は歩幅も大きくて、ぐずぐずしていたら置いてかれそう。そんな風に思ってしまった。

「すごいな優華!!あんな上手いプレイング、俺見たことないぜ!!」

環人くんが興奮しながら私がさっきまでプレイしていたゲームについて褒めちぎる。
あの状況でよく避けられたなとか、拠点に戻ったのは正解だったとか。
当の私はただあわあわ操作していただけだったのに、これだけ賞賛されると私にも才能があるのかなって思ってしまう。
それに環人くんのこんなに楽しそうな表情が見れるのなら大満足、むしろお釣りが来るくらい。
子供っぽい彼の表情を見ていると自然に鼓動が速くなるのを感じた。

「環人くんもすごかったよ。まるで本当に味方が隣にいて、ちゃんと会話しながら一緒に行動してるみたい。」

「慣れだな。自分が敵だったらこう攻める、とか。このマップはここらへんが手薄になりやすいから、とか。あとは味方の動きにあわせて動き回るだけ。」

「ふぅん…、すごいなぁ…。私、そういうの鈍くて…。」

「そんな事ないって、すぐできるようになるさ。いやー、優華のプレイを見習わないとなぁー。俺も近接戦闘がもう少し得意だったら…。」

本当に子供みたいにはしゃいでいてとても可愛いらしい。
今まで見たことのない彼の一面に先程から心臓がドキドキと騒がしくリズムを刻んでいる。
会ったときは緊張で強張っていた私も思わず緩んだ笑顔になってしまった。

「そういえばさ、優華の家ってどこ?結構遅くなったし送ってくよ。」

彼の一言に自分の耳を疑った。
環人くんが私の家まで…来てくれる…。
目の前の景色が鮮やかになり、鼓動が更にテンポアップする。
これってもしかして一緒にいられるチャンス!?
え?でも環人くんにはリザノールさんがいるし…。
でもでも…、こんな機会を逃したら…。

「??どうした優華?」

「ひゃ、ひゃうっ!!!なんでもない!!なんでもない!!…じゃ、じゃあ送ってもらえる?」

「ああ、いいぞ。」

やった!!!有純、私頑張ったよ!!
天に舞い上がりそうな気持ちのまま、私は必死で飛び跳ねたいほどの幸福感をガマンする。
こ、これってデートなの…かな…。
でも…、環人くんに振られたばっかりだし…。
ああ神様、私はどうしたら良いのでしょうか。
心拍数が跳ね上がったまま、環人くんの隣を歩く私。
夢見てるみたい…、わあぁー…。このまま死んでもいいなぁ。

====クスクス…。====

「え…?」

====クスクス…、うふふ…。====

夢見心地の私の鼓膜に消え入りそうな幼い女の子の笑い声が聞こえてくる。
幻聴?
いやそれにしてはっきりと聞こえてくるような…。
ま、まさか…、本当に私ご臨終しちゃったの!?まだ環人くんとキスすらしてないのに!?
いきなりの出来事に私の思考が色々な事を飛び越えてしまっている。
キスどころか告白にOKすら出ていない、というツッコミは後に私自身がするのだった。
キョロキョロと挙動不審な私の様子を見て環人くんは首を傾げる。

「どうかしたのか?」

====クスクス…。====

「お、女の子っ!!幼い女の子の笑い声が聞こえないっ!?」

「へ…?聞こえないけど…。」

聞こえているのは私…だけ?
確かに声は町の喧騒から比べれば小さいけれど、聞き取れないほどではない。
自分がまるでおとぎ話の主人公になったかのような錯覚を覚えた。
…ハッ!!
このままだと私、環人くんに頭のイタい子だと思われちゃうっ!!
どうにかしないと!

====クスクス、こっちよ…。====

「ふぇ?」

声のする方向に目を向けると、ビルの間に挟まれてチョコンと一軒の古びた木造建築の本屋がひっそりたたずんでいた。
周りは華やかな若者向けの店が並んでいるのにそこだけ昭和の香りが漂っている。
間違いない、あの本屋からだ。
私がその本屋をじっと凝視していると、環人くんは興味深々に「珍しいなー」と言った。

「へぇ、あの本屋結構古びてるなぁ、珍しい。ちょっと寄ってみようぜ。」

====そうそう、こっちこっち。====

「い、行くの…?」

「愛華は行かないか?ならやめるけど。」

「う、ううんっ、行く!!ちょっと興味あるもん!!」

うう…、環人くんのそんな残念そうな顔見ちゃったら断れないじゃない。
そのセリフをそっと胸にしまい、私達はその建物に足を踏み入れる。
少しホコリっぽい店内にはそこら辺の大型本屋の1フロアと匹敵するほどの本がキチンと整頓されて並んでいた。
しかし…どこの国の言葉なのかな?
並んでいる本は全て日本語でもなければ英語でもない、更に言えば私の専攻しているフランス語でもない。
まったく見たことのない文字だった。
環人くんが本を一冊を手に取り、パラパラページをめくる。

「これ何語なんだろ、見たことない文字だぜ。」

「私も。これってどこの言葉なのかなぁ。」

====こっちよ、こっち。ふふふふ。====

確実にさっきより声が鮮明になっている。
やはり声の主はここにいるのだ。
私はキョロキョロと周囲を見回して、声のする方向を聞き取ろうと集中する。

「お嬢ちゃん。」

「ひゃ、ひゃいっ!!」

目を閉じて耳を済ませていた私の肩をいきなり叩かれて、小さい悲鳴を上げる。
バクバクする心臓をおさえながら振り向くと、そこには私の背丈よりも少し小さい腰の曲がった老婆が立っていた。
エプロンを付けていることから察するとおそらくこの店の店主なのだろう。

「お嬢ちゃん達、ここにある本に興味があるのかの?」

「え…、…ええまあ。」

「そうかいそうかい。この店にお嬢ちゃんやお兄さんみたいな若いお客さんが来るのは久しぶりなんじゃ。」

「そうなんですか?」

「うんうん。みーんな、隣のお店や向かいのお店に行っちまう。」

「おばあちゃん、この店を1人で経営してるんですか?」

「そうじゃ。老いてもまだまだ現役じゃよ。ところで…。」

チラリと環人くんの方を見ると、お婆ちゃんは声を小さくして私に顔を近づける。
正体不明の本にすっかり夢中の環人くんはお婆ちゃんのその仕草に気付かない。

「もしかしてお嬢ちゃんの彼氏なのかの?」

「へっ、いやいや違いますよ…まだ…。」

「ふむ…、なかなかの男前じゃな。」

「そ、そうですよね!!カッコいいですよね!!あ…。」

いきなり私が大声を出したので環人くんが一度こっちに目を向ける。
私の顔に熱い血液が集中するのを感じた。
お婆ちゃんは年季の入った皺だらけの柔和な笑みを浮かべて、近くの本棚から本を一冊抜き出して私に手渡す。

「ほっほっほ、若いのう。」

「ふわ…。」

「お嬢ちゃん、これを持って行くのじゃ。これはワシの国に伝わる色恋のまじないの本じゃ。ほれ、あのお兄さんに見つかる前にさっさとしまうのじゃ。」

「…へ?え、あ、お代は…?それいくらですか…。」

「お代はいらないぞ、ワシもまだバリバリの恋する乙女じゃからな。」

「え?でも…。」

「いいんじゃいいんじゃ。店主のワシが良いと言っているから良いのじゃ。」

ずいっと差し出された本の表紙には他の本と同様に解読不能な文字が並んでいた。
いったいこのお婆ちゃんはどこの国の人なんだろう。

「た、大変ですぅ〜。」

そんなことを考えながら顔をまじまじと見ていると店の奥から幼くて可愛らしい女の子がとてとてと駆けてきた。
お婆ちゃんのお孫さんかな?
金髪、青眼、白磁のような素肌の彼女はどこから見ても日本人とはかけ離れている。
お人形さんみたいで、ちょっと羨ましいと思ってしまったのはナイショだ。

「どうしたのじゃ?」

「えと…その…。」

足りない背丈を背伸びで誤魔化しつつ、お婆ちゃんに必死で耳打ちをする少女。
つまさき立ちのせいで足がプルプルしているその姿はなんとも愛らしい。
少女の耳打ちが終わると、お婆ちゃんは申し訳なさそうな顔をして私にこう言った。

「すまぬの、ワシはこれからちょっとやらなければいけない事ができたしまってのぅ。今日はこれで店を閉めなきゃいけないのじゃ。」

「あ、はい…。では、私達もそろそろ帰りますね。」

「すまぬ…。今度来てくれたら一緒にお茶でも飲むのじゃ。おいしい茶菓子を用意しておくからのう。」

「はい、楽しみにしています。環人くん、お婆ちゃんもう店閉めるんだって。」

「ん?そうなのか、じゃあ俺達もこれくらいで帰るとするか。お婆ちゃん、この本いくら?」

「それか?それは100円じゃよ。」

「100円!?こんな厚い本なのに!?」

「うむ、そうじゃ。それは初歩的な本じゃからの、秘術のひとつも書いていないのじゃ。」

「…秘術?まあ、いいや。じゃあこれください。親父はこういうの好きだし。それに初歩的な本なら俺でも読めるかもしれないな。」

「ありがとうなのじゃ、また来るのだぞ!!」

環人くんは100円をお婆ちゃんに手渡すと、私と一緒に店から出る。
お婆ちゃんと少女は大きく手をブンブン振って、私達を見送ってくれた。
こうして私と環人くんのちょっとしたデートは夕暮れとともに終了。
謎の声の正体もわからず終いである。
その後しっかり私をマンションの入り口まで送ってくれた環人くんは優しい笑顔で「また明日!!」と言ってくれた。
この時の私にはその言葉よりも、夕焼けに照らされた彼の笑顔が一番嬉しかった。


     4


ピンッポーン…。
寝静まった俺の家にインターホンの音が鳴り響いた。
夢の中を泳いでいて身体が浮いた感じのままの俺は、枕元のケータイを開いて時刻を確認する。
03:40…、真夜中じゃないか。
常識のある人間ならこんな真夜中には尋ねてこない。
耳を澄ますと隣の部屋からキーボードをタイプするガガガッという音が聞こえる。
どうやらリザは起きているようだな、よしここはアイツに任せるとしよう。

ピンッポーン…。
一回目…。

ピンッポーン…。
二回目…。

ピンッポーン…。
三回目…。

まあ当然と言えば当然か。
アイツに期待をしたのがそもそもの間違いだった。
こんな真夜中にベッドから立ち上がらなきゃいけない苛立ちを抱えながら一階に降りる。
雪広だったら半殺し確定な。
そんな悪態をつきながら一応パジャマだということがばれないように、長いコートを羽織って鍵を開けた。
すると…。

ドンッ!!!

鍵を開けた途端、勢い良くドアが開けられる。
ドアノブに体重をかけていた俺はそのまま玄関の冷たい床にダイブした。
なんなんだ、もう…。
募る苛立ちを抑えながら俺は来客を見上げる。
そこには漫画とかで出てくるようなファンタジー的服装をした銀髪の美男が立っていた。
俺より年齢は上に見えるがそこまで離れてもいないだろう。
紅色の瞳で俺を見下ろすと小さく口を開いた。

「リザはどこだ?」

「は?」

「リザぁぁぁぁぁぁあああぁぁあぁあぁぁ!!!どこだぁぁぁああああぁぁぁあぁあぁぁああぁ!!!」

「ちょっ、やめてください、あ、せめて靴は脱いで、それに近所迷惑ですから!!」

「うるさい、離せぇ!!リザぁぁああぁぁぁああぁぁ!!!」

「だから、大声出すな!!近所迷惑だっつの!!」

ああもう迷惑この上ない来客だ!!いっそ警察に通報してやろうか!?
するとドタドタという足音が階段の上から聞こえてくる。
リザだ、血相を変えてリザが降りてきたのだ。

「おお、パパの愛しいリザよ!!」

「おい、コイツはお前の知り合いか!?だったら早く何とかしてくれぇ!!!」

「ち…。」

「ち?」

「父様っ、どうしてここにっ!!?」

「父様!?コイツがっ!?」

「会いたかったぞリザぁあぁぁぁあぁぁぁあぁぁっ!!」

抱きしめようとリザに向かって飛び込む銀髪イケメン、いやリザの父親。
というか、リザのような大きな娘のいる父親にはどうも見えない。
ヤンパパにも程があるだろう。
せっかくのその美麗な顔も嬉し涙と鼻水でベトベトでは、百年の恋も冷めるというものだ。
リザは慣れた動作で父親の熱い抱擁を回避すると、父親の身体は滑稽なほど綺麗に壁と衝突する。
どべし、という間抜けな音が聞こえた。
うわぁマジで痛そうだ、あ、鼻血出してるよあの人。
リザはやれやれといった表情で大きくため息を吐き出す。

「い、痛いぞリザぁ…。パ、パパの事が嫌いになったのかい…?そんなのやだぁっ!!リザはそんな子じゃない、唯一のパパの味方だもん!!!!」

「相変わらずですね、父様…。」

「ちょっと前までリザもパパのこと大好きって言ってくれたじゃないか!!どうしてこんな不良に育ってしまったんだ!?」

「父様…、もう私は子供ではないのですよ。それにどうしたんですか?こんな夜中に…。」

「パパはそんな子に育てた覚えはないぞぉーー!!うわぁぁーん!!」

鼻水と鼻血で口のまわりをデロデロにしたまま大泣きする父親。
よしよし、と言わんばかりに背中を撫でる娘。
どっちが親だかわからなくなる光景がそこに広がっていた。
なんだかこのままだととても面倒くさい事に巻き込まれそうな予感がするのでとっとと出て行って欲しいんだが…。

「何故こっちの世界に来たのですか?それもこんな時間に。」

「ズズッ…。あ、ああ、その事なんだが…。…そうだ、魔王様から勅命があってな。」

「勅命?」

「…ああ。ワシにな、こっちの視察を任されてな。こうしてここまで来たのだ。」

「そんな連絡来てたか、環人?」

「うんにゃ、知らないぜ。少なくともリザがこの家に来てからは届いてないぞ。」

「これは極秘任務なのだ!!みっしょんいんぽっしぶるなのだ!!」

「みっしょんいんぽっしぶる…?ワット、なんだそれは?」

「…俺の記憶が正しければ映画じゃなかったか。」

「うるさい!!ともかく魔王様のご命令だ!!」

「…それならば仕方ないですね。という訳でワット、父様が今日から泊まるぞ。」

「ああもう…。ツッコミたい事は山ほどあるんだが…これだけは言わせてくれ。家主に無断で…ってウゴォッ!!!」

俺が口を挟もうとした瞬間、父親のごつい革靴が俺の鳩尾に突き刺さる。
床にゴロンゴロンと転がって悲鳴を上げる俺。
だがリザ父に反省の色はまったくみえない、むしろ当然のような顔をしてこう言った。

「おい、リザ。このうるさい召使は何だ?そういえば、さっきワシのことをコイツ呼ばわりしてたな。躾がなっていないようだ。」

「父様、それはワットです。ほら、前に話してたソウジさんの一人息子ですよ。」

「ワット…?おお、お前がソウジのせがれのワットか!!そういえばよく見てみると似てるな。目つきとか輪郭とか。」

親父の名前が聞こえた気がして、俺は床から起き上がり二人の会話を聞く。
おそらくソウジとは俺の父親であり魔界局の外交官でもある黒澤 宗二(くろさわ そうじ)のことだ。
ちなみにウチの親父はバツイチのシングルファーザー。
俺が幼い頃に離婚して、今はいい歳して『新たな出会いを探すんだ!!』とか息巻いている。
え?母さんは今どうしているのかって?
元気にしてるよ、とても。
親父と似たように『若い男をゲットするんだ!!』と張り切っているぞ。
俺が中学の時までは普通に家に来てくれてたからな。
ウチは親父が出張族だから離婚した後も高校に入るまでは家にいてくれた。
今でもちょくちょく遊びに来るが、その度に母さんの恋愛を相談されるのはやめてもらいたいものだ。
まあ、そんなことはともかくとしてだ。

「ウチの親父、元気にしていますか?」

「ソウジは元気だぞ。魔界のいたるところで嫁探しをしているらしいからな。毎日、朝帰りだ。」

「…。…少しでも心配した俺が間抜けでした。」

「そうかそうか、お前がワットだったか!!自己紹介が遅れたな。誉れ高きエルミリア家第42代当主、アルブム・エルミリア。先程はすまなかったなワット!!」

「は、はぁ…。」

「とりあえずだ、ワシは腹が減った。早急に夜食を頼む、できればパスタがいいぞ。ぺペロンチーノがワシの好物だ。」

「私もこの時間になると小腹が空いてきた。ワットー、オムライスを頼む。」

「俺は明日学校…、頼むから寝かせてください…。」

「そんな事は関係ない、ワシは腹が減ったのだ。とにかく何か作ってくれ。」

「あ、ワット!!私はパスタでもかまわないぞ!!」

「…。じゃあ、リザ。これでも作って勝手に食べてくれ。これならお前でもできるだろ?」

子も子なら親も親だな、遠慮とか配慮とかそういう心がないのだろうか。
油断すると睡魔に身体を乗っ取られそうなので、俺は気だるさを全面に出しながら台所に向かう。
そして棚から二つのカップ麺を取り出してテーブルの上に置いた。
いぶかしげにカップ麺を覗き込むアルブムさん。

「これは…、何だ?」

「父様、これはカップ麺というものです。私の大好物ですよ。」

「ほほう、これがこっちの世界の食べ物か。…で、どうやって食べるんだ?」

「そのままでは食べられないですから、容器に噛み付かないでください。容器に穴が開くと作れなくなりますよ。」

「ぬぅ…、何て歯ごたえのある…。これがこっちの世界の食べ物か。」

「貸してください。私が作りますから。」

そう言ってリザは、父親の手からカップ麺を奪うと慣れた動作でそれを作り始める。
俺がいない時はいつもカップ麺を好んで食べてるから慣れたのだろう。
始めの頃は生で食べようとしてたからなぁ、そう考えると随分な進歩だ。
というか、俺はいつまでこの使い古されたコントを見なければならないのだろうか。
すると突如アルブムさんの瞳からボロボロと涙がこぼれ落ち始めた。
いきなりの変化に戸惑いを隠せない俺は、慌ててアルブムさんの所に駆け寄った。

「おお…、リザぁ…。お前一人で料理できるのか…。こんなに立派になって…、パパ嬉しいぞ…ぐす。」

…何だ、ただの親バカか。
もはやツッコむ気すら失せていて、ため息しか出てこない。
というか涙はいいとして、鼻水を落としたら拭いてください。
カピカピ、カサカサになるから。
それを掃除するの俺なんだから。俺しかいないんだから。

「父様、大げさですよ。さあ、後はお湯を…って、ん?…ん?なあ、ワット。」

「何だ?」

「お湯沸いてないんだ、お湯を作ってくれ。」

「…それぐらい自分でしろ。」

空のポットを高々と持ち上げて俺に見せてくるリザ。
いやそんなにブンブン振り回してもお湯は出ないぞ?
…。
そうかコイツ…、お湯が作れないのか…。
お湯だけはいつも俺が大学へ行く前にタイマーで準備してるからだろう。
ということは俺がいないとカップ麺すら作れないのかよ…。
表現しようのないガッカリ感が胸を覆い落胆する。

「ああもう!!これに水を入れたらコンセントつなげて、ここの赤いボタンを押すんだ。そして、あとはいつものあの音楽がなるまで待ってろよ。」

「う、うぬ…。わかった。」

親娘揃って蒸気が噴き出しているポットを凝視する。
目を皿にする、とはよく言ったものだ。
その丸くした目は本当に皿のようである。
これぐらい注視してるならば、問題なさそうだし戻ってもいいよな。
さて…、これで俺は寝れる…。
後を全てリザに任せると俺は少し小走りでベッドへと戻った。
倒れこんでみると身体中が幸福感に包まれる。
ふわふわした雲の上に乗ったらおそらくこんな感じなのだろう。
嗚呼、このまま溶けてもいい…。
時計の音が大きくカチコチ響いてるような気がした。
至福の時間が流れてようやく意識がまどろみ始めたその時、階段から2階へ上がる足音が2人分の足音が聞こえる。
お…、食べ終わったのか?
足音は隣の部屋のドアが閉まる音と同時に途絶えた。
それと同時にカタタタッとキーボードを叩く音が聞こえてくる。
どうやらリザがいつものようにネトゲーをはじめたらしい。
あ…、意識が手放せそう…。
うつらうつらとなった意識が徐々に形を失っていく。
そうして眠りに着こうとした瞬間―――――。

バタンッ!!!

「ワットォォオォォォォオオォ!!!リ、リザが何やら機械をいじったままこっちの話を聞いてくれないのだぁあああ!!ぐすっ、ずびっ!!リザが不良になってしまったら…、ワシはどうしたらいいんだぁっ!!」

ドアを蹴破らんばかりの勢いで突っ込んでくるリザの父親。
そうして俺のベッドの隣でわんわん泣き喚きはじめた。
床をドンドン殴る音がうるさい。
俺はバラバラになった意識をぼんやりとまとめながらこう言う。

「頼むから寝せてください…。」


     5


「ふあ〜ぁ…。眠ぃ…。」

「どうしたんだ、環人?今日の講義中ずっと寝っぱなしだったじゃないか。」

大きな欠伸をしながら階段を降りていると、階段の下から雪広が俺の顔を覗き込む。
女の子がこの仕草をやると可愛いのだが、男にこれをやられてもむさ苦しい以外の何者でもない。
眠気で半ばボーっとしていて気を抜くと肩にかけているリュックを落としそうだ。

「おお…、雪広。いやな、昨日寝れなくて…。また厄介な来客が来たんだ。」

「何ぃ!?さてはお前…、またカワイコちゃんだな!!またひとりお前の毒牙に純情可憐な少女がかかったんだな!!このっ、ケダモノっ!!!」

「毒牙って…。人聞きの悪いこと言うな。違ぇよ、来たのはリザの父親だ。」

「リザちゃんのお父様!?おっと…、こいつはいけねぇ!!急いで挨拶に行かねばっ!!」

「待て待てぇい。何でお前が行くんだよ?」

「HA☆NA☆SE!!!俺は籍を入れに行くんだっ、今すぐにっ!!俺の人生の伴侶は最低でも30人は必要なんだっ!!」

「多ッ!?多過ぎんだろっ!!お前はどんだけサカる気だっ!?」

「えっと…、ナナミちゃんだろ、ユミカだろ、あとはサユリも捨てがたいし他には…。」

「わかった!!わかったから名前出して数えるのやめい!!!それにそんな人数と付き合ってるのかよ!?」

「違わい!!これだけの人数に振られたんだよ!!びええぇええぇぇえんっ!!」

「わかった、わかったからマジ泣きするな。」

「じゃあ、優華ちゃんかリザちゃんどっちかくれ!!そうしないとここで俺が全裸になって、大騒ぎしてやるぞー!!」

「…アホか、そんなことしたら友人としての縁を切るからな。」

「びぇええぇえぇんっ!!環人のばかやろーーーーーー!!」

だんだんコイツの相手も面倒になってきた。
階段の手すりをバンバン叩きながら泣き叫ぶ雪広を放っておいて、俺はそのまま講義棟を出る。
6時過ぎだというのに、外はすっかり真っ暗になっていた。
葉が無くなった木を見ると、もうすぐ冬なんだなぁというありきたりな感傷にひたる。
ゆっくり立ち止まると、なんだか時間の流れがあっという間に過ぎ去ったような、そんな感じである。
そんな冬ならではの風情をぶち壊すかのごとく、背後霊のようについてくる雪広のすすり泣きがやかましい。
雪広を視界からはずし、あたりを見回してみると。
おや…、なんだろう…?
大学と校門のちょうど中間ぐらいでたくさんの女子が群がっていた。
気のせいか、黄色い声が甲高く響いてる気がする。
誰か有名人でも来たのだろうか?

「ウホッ!!カワイコちゃんが群れてるぞ!!これは肉食系男子の俺として見逃すわけにはいかないな!!」

「立ち直り早ッ!!!」

「当たり前だろォう?俺は野望のためなら命さえも惜しくない!!」

ダメだコイツ重症だ、…前から知ってたけど。
まるで目の前にニンジンを下げられた馬のように猪突猛進する雪広。
こんな事ばかりしてるから、振られるのだと気付いて欲しい。
…学習能力皆無とはこの事か。

「おーぅっ!!待っててくれよぉ、未来のマイワイフ達ぃぃぃぃっ!!」

「黙れ、おとなしく一緒に帰るぞ。」

本気でコイツの友人であることが恥ずかしく思えてくる。
とりあえず俺は雪広のシャツを掴んで、女子の群れに突っ込もうとするのを強引に阻止した。
こうでもしないと全裸で女子の群れに飛び込むぐらいはやらかしかねないからな。
いっそ殴って気絶させたほうが楽かもしれない。
雪広の暴走を必死で止めていると女子集団の中心から聞き覚えのある声が聞こえた。

「お!!その声はワットじゃないか!!」

「??」

すると女子の集団が分かれてその中からリザの父親が現れた。
お、なるほど…、確かにアルブムさんならハリウッド俳優に匹敵するほどの美形に分類されるし無理もないな。
ただし蓋を開けてみればリザと同様、残念な感じになってしまうが。

「アルブムさん…、何でここに?家にいるんじゃなかったんですか?」

「うむ…、ちょっと気になることがあってだな…。」

「??知り合いか、環人?」

「さっき話しただろ。この人がリザのお父さん、アルブム・エルミリアさんだ。」

「り、リザちゃんのお父様ッ!!?はじめまして、ボクの名前は桜場雪広と申します!!早速ですが、娘さんをボクにむぐっ!!??」

雪広の頭を鷲掴みにしてニッコリ微笑むリザの父親。
しかし、指にはもこっと血管が浮き上がっていた。
耳を澄ませばメキメキという音まで聞こえてきそうだ。
背後のオーラの色を見抜ける力が俺にあったとしたら、アルブムさんは間違いなく真っ黒いオーラを身にまとっているのだろう。

「…。今、何と言ったかの?最近、年のせいか耳が遠くなって。」

「あ、あの…リザちゃんをボクにくださ…。」

「…。よし、わかった。」

そう言ってニッコリしながら、アルブムさんは雪広の目を見つめる。
しかし、浮き上がった血管の数はさっきより減るどころか更に増えていた。

「そうか…、そうか…。」

「も、もしかして認めてくれたんで…。」

その言葉を残して雪広の身体は消え去った。
アルブムさんはまるで野球ボールを投げるように雪広の頭を掴んで遠投したからである。
人の身体ってあんなに糸くずみたいに飛んでいくものなのか。
いつも有純にやられているのを見てるとはいえ、今回ばかりはさすがに死んだな。
…あ、でも他の家に迷惑かかるといけないからそのまま川へダイブしてくれるとありがたいんだが。
ようやく肩の荷が降りた気がしたのか、肩の力が自然と抜ける。

「まったく…、なんだというのだあの者は。」

「ただの馬鹿ですよ。それよりも、気になることって?」

「うむ、何か不思議な魔力を感じてな…。」

「不思議な魔力?」

「ワシの予想が当たっていれば、おそらくサバト関係の魔力だろう。だが、おかしい。サバトはまだこちらには来ていないはず。何か心あたりはないか?」

「いえ、特に。それよりもまずサバトって…。」

「あ、黒澤くん!!もしかして、この方と知り合いなの!?」

俺がアルブムさんと話していると、周りにとりまいていた女子の一人が俺の名前を呼ぶ。
あまりまともに会話したことないけど、同じ学部の女子であるということだけは覚えていた。

「なになにユカ、知り合い!?」

「うん、同じ学部の黒澤くん!!でね、でね、黒澤くんこの方は誰なの?」

「うぅん…、えっと…。」

「おお、すまぬ。ワシはアルブム・エルミリアと言って、ワットの父親と古い知り合いでな。縁あってワットの家に泊めてもらってるのだ。」

「なんかおじさんっぽいしゃべり方ー、でも日本語ペラペラだぁーっ!!」

「というわけで、ワシとワットはこれから用があってな。これで失礼するぞ。」

「えー、そんなー。」

「悪ィ、ちょっと用事があるんだ。今度またな。行きますよ、アルブムさん。」

これ以上話の邪魔が入らないように、俺とアルブムさんは少し急ぎ足で女子の大群から離れる。
遠くからでも落胆する女子の声が聞こえてきた。
ちょっと話の腰が折れてしまったがさっきの話題に戻るとしよう。

「で、アルブムさん。サバトって何ですか?」

「一種の宗教のようなも…、ん…?ワット、ちょっとカバンの中を見せてくれ。」

「へ?いいですけど…。」

俺のカバンをひったくるように奪うと、中をあさり始めるアルブムさん。
そして、しっかりとした装丁の分厚い本を一冊取り出した。
この時代ではあまり見慣れないしっかりとした装丁に羊皮紙のページ。
手探りでだってはっきりわかるほど高級なものである。
それはちょっと前に優華と一緒の帰り道で買ってきたあの本だった。

「もしかして…、ワットはサバトに興味があるのか?」

「いえ…、まずサバトが何なのかもわかってないし…。それもしかして魔界の本なんですか?」

「ああ、中身はどうやら入門書の類のようだな。ふむ…、あくまで初級といったところだ。」

「それよりもまずサバトって?」

「簡単に言えば、少女の未成熟な肢体を好み幼女こそが至上と考える…、一種の宗教のようなものだ。」

…それは世間一般で言うところのロリコンというヤツでは?
そんなツッコミを飲み込んで、俺はアルブムさんの話を聞く。
あっちの世界ではそんな性的趣向に関する宗教があるのかよ。
これが日本語訳とかの本じゃなかったのが幸いだった、ロリコン扱いなんて洒落にならんしな。

「まあ、ワットにそういう趣味があるのであれば止めはしない。女性の好みなど星の数だからな。」

「違いますって。」

「それにしても、こんなものをどこで…?」

「もしかしてこれ魔界の文字なんですか?」

「いかにも。しかも書いたのは高位かつ高齢の魔族であろう。こんな文体、久々に見たぞ。」

「俺が行った店にはこんな文字でかかれた本がいっぱいありました。もしかすると…。」

「ふむ、それは問題だな。」

「問題?」

「魔界とこっちの世界は今はファーストコンタクトの状態。お互いに受け入れる準備どころか、お互いの事ですらよくわかってないのだ。」

「は、はぁ…。確かに未だ魔族について、俺ですら知りません。」

「それでまずは通商しないってことが暗黙の了解になっておる。それをわが国の者が破ったとなれば、今後の外交にも影響していく。即刻取り締まらねば。」

アルブムさんも意外としっかりしているようだ。
いつもは自分の娘と同じようにだらしない行動をしていても、こういう時にはちゃんと仕事の顔つきになる。
しっかりスイッチの切り替えられる責任感のある大人、その言葉がピッタリだった。

「どこかに魔界とこの世界がつながる穴みたいなものが開いているのか、もしくは何者かが法を犯して密入国してるのかもしれん。魔王様から国交を保つよう任じられてるワシに許可なく商売など言語道断だ。」

「なるほど…。」

「とにかく、ワット。ワシをその本屋に案内してくれ。」

「わ、わかりました。」

俺は優華と歩いた道筋を思い出しながら、本屋のあった場所へと案内する。
えっと…、ここの通りを右に曲がってそれからゲーセンのほうをまっすぐ進んでいって…。
そうだ、ビルが並んでる中に一軒だけ木造建築が建ってたんだ。
本屋の前は女性服の店…、隣には銀行…。
自分の記憶を掘り返しながら、本屋があったであろう場所へ行くと…、そこは…。

「…あれ?ここのはず…、なんで空き地になってるんだ…?」

「遅かったか。どうやらあちらの方が先手だったようだな。」

「あれ?あれ?」

まるで煙のように消えてしまって、あの建物があったという痕跡がまるでない。
むしろここには前からこの『売地』と書かれた看板しかなかったかのようだ。
白昼夢でも見ていたのではないか、と一人記憶に問いかける。
しかし、あの風景は記憶にしっかりと焼きついており、それが夢でなかったことを確かに告げていた。

「やれやれ、これでは手の打ちようがないではないか。」

「そう…ですねぇ…。あ。」

「どうした?」

「俺の友達も一緒に行ったんです、優華なら何かわかるかも。メール送っておきますね。」

俺はポケットからケータイを取り出して、優華にメールを送る。
急いでいるので不愛想な文体になってはいるが、急務なので許してほしい

「連絡がとれるならそうしておいてくれ、まあこれ以上ジタバタしても仕方がないがな。一度、魔王様に相談するとしよう。」

「はい。」

「さて…。」

アルブムさんは真剣な顔つきのまま、俺の顔を見て口を開く。
その目にはさっきとは違う鋭い眼光が差し込んでいた。
また何か聞かれるのではないかと思い、身を硬くして彼の言葉を聞き漏らさないようにする。
一体なんだろうか…。

「ワシはな、今日の夕食はリゾットが食べたいのだ。」

「え…、は?」

「聞こえなかったか?リゾットが食べたいのだ。」

「…。」

大真面目な顔でいきなり何を言い出すのかと思えば…。
…どうしてこう親子ともども、格好良く締めるということができないのか。
疲労感がまるで血液に乗って身体中を巡るような感覚を覚える。
俺はその疲労感を言葉にこめて、流し捨てるように言った。

「では、帰りはスーパーに寄りましょう…。」


    6


「ただいまぁ〜。」

私は自分の部屋の鍵を開けて、誰もいない真っ暗な室内にむかって半ば習慣化した挨拶を投げかける。
わかってはいるけど、返答は帰ってこない。
私が一人暮らしを始めてもう半年以上経つ。
最初の頃は苦労と驚きの連続だったけど、いつの間にかこの感覚にも慣れてきた。
大学に入る前までは実家暮らしだったから『ただいま。』と言えば、『おかえり。』という言葉が返ってきたのに…。

「ふぁー、今日も疲れたー。」

私は学校用のバッグから携帯電話を抜き出し、バッグをそのまま机の横に置いてベッドに倒れこむ。
その衝撃で、枕の横に置いてあるお気に入りのぬいぐるみが小さく一度ぴょんと跳ねた。

「メール、来てるかな…。」

手に握り締めたケータイを開くと、お気に入りのキャラクター『わんぱいあ』の待ち受けが表示される。
そして、そこには新着メール1通という文字。
有純からかな…?
私は何の期待もこめずにメールボックスを開く。

「ひゃうっ!!??」

その瞬間、素っ頓狂な声が私の喉から口へと上ってきた。
メールの送信者の名前、そこには『環人くん』という名前が表示されている。
こんなに珍しい名前は他にはない。間違いない、環人くんだ。
自然と携帯電話を持つ手が震えてしまう。
えと内容は…。
件名:あの古びた本屋のこと
本文:前に一緒に行った古ぼけた本屋、今日行ったら建物自体なくなってたのだが優華は何か知らないか?
絵文字すら使わない環人くんのそっけない文章。
だけど、メールが来ること自体とても嬉しいことだった。


「ど、どうしよう!環人くんだ、どうしようどうしよう!!」

なんて返せばいいんだろう?
可愛く女の子らしく返信?それとも余裕を持ったように落ち着いた感じ?
やっぱりやっぱり、色気があったほうが環人くん喜ぶかな?

====うふふふ…。====

「え?」

ケータイを持ったまま、いてもたってもいられずにうろうろしていると、どこかで聞き覚えのある声が部屋に響き渡る。
この声…、そうだ環人くんと一緒に歩いたときに聞こえたあの幻聴だ。
なんでまた聞こえるの?

====あら、幻聴じゃないわ。失礼ね。====

「え?」

====とりあえず、ここから出してくれないかしら?息苦しいのはもう嫌ー。====

「どこ?」

====ここよ、こーこ。====

私はベッドから起き上がって、きょろきょろと辺りを見回してみる。
もしかして心霊現象…?
そう考えた瞬間、ぞくぞくと寒気が背筋から首筋にかけて這い上った。
これは探さないほうが良いのでは…。

====早く出してー。もうこんな狭い本の中はたくさんよー。====

バタンッ

「ひゃぅっ!!??」

その少女の声とともにさっき机のよこに置いたバッグが倒れる。
バッグは中で何かがうごめいているのか、まるで虫のようにぞわぞわと奇怪な動きをしながらこちらに這い寄ってきた。
私はあまりの恐怖に悲鳴も上げられず、そのまま床にぺたりと座り込んでしまう。

「い、嫌…。来ないで…。」

====安心して。ヴィオは貴方に危害を加えるつもりは無いわ。ほら、ね。====

少女がそういうとバッグは動きを止めて、再びただのバッグに戻る。
私はその言葉を信じて、恐る恐る近づき中を調べようとバッグのファスナーを開けた。
そこから部屋の天井へ向けて立ち上がる桃色の光柱。
おそるおそる本に手を伸ばして、バッグの中から本を取り出した。
すごい光…、でもキレイ…。
ピンク色の優しく美しい光に誘われるまま私が表紙をめくると、本は私の手から離れて飛び上がる。
部屋中を行ったり来たりしながら、鳥のように空を羽ばたく革表紙の本。
私はあっけに取られて、ただただ本の描く軌跡を目で追うことしかできなかった。
やがて本は部屋の中心でホバリングして、モゴモゴと2、3度奇妙な動きをしたあと、そのページの隙間からにゅっと白く細い腕が2本出てきた。

「ひっ!!??」

「うんしょ…よいしょ…。」

そして腕が出てきた直後、本はくるりと背表紙を天井に向けて、その両腕の主を本の中から振り落とそうと乱暴にぶんぶんと上下運動する。
重力に引っ張られてずるっという奇怪な音とともに、本の中から羽根と尻尾のついた幼い少女が現れ、そして…。

べちゃっ!

「へぎゅっ!」

顔面で床に着地した。

「あぁもう!まったく、もっと丁寧に降ろしなさいよね!」

本の中から出てきた少女は赤くなった鼻をおさえて、怒りをあらわにしながら本を叩き落した。
叩き落され地面へと墜落した本は輝きを失い、ピクリとも動かなくなる。
私は目の前で起こった光景が現実のものと思えず、ただ呆然と口を開けて座り込んでいた。

「ん?ヴィオを出してくれたのはアナタ?」

「え?え?」

「あら、どうしたの?そんなにぽけっとした顔して。ヴィオの顔に何かついてる?」

「えっと…、その…。」

私はその少女の姿格好をまじまじと凝視する。
幼い身体とは対照的に、服装が私以上に大人っぽい。
革製の黒い服は本当に大事な部分以外隠すことをせず、胸の下からおへその下のギリギリな部分までバックリと開いている。
背中は肩甲骨の下と首まわりにベルトがついているだけで、尾てい骨から首筋まで惜しげもなく晒されていた。
髪の毛はピンク色、瞳は金色、そしてお腹にはオレンジ色のタトゥー。
更に幼いながらにも、どこか成長した女性特有の色気みたいなものまで…。
どこからどう見ても私達と同じ日本人ではない。

「何よ、そんなにじろじろ見て…。」

「す、すごぉい…。」

「??…まぁいいわ。ヴィオを出してくれてありがとね。」

そう言って、彼女はぺたりと座り込んでいる私の顔を覗き込む。
少女は無邪気なその顔のまま一度舌なめずりをして、にこりと微笑んだ。
その笑みには見た目と不釣り合いな妖艶さを含んでいる。
よく見ると…、彼女の耳の上にはしっかりとした角が…、ツノ…?

「あら、人間にしては中々上玉じゃない。って、どうしたの?そんなに角が珍しい?」

「えっと…、悪魔…?」

「悪魔…ではないわ、惜しいけど。でも、まあ似たようなものよ。」

「じゃあ、吸血鬼…、ヴァンパイア…?」

「ぶっぶー、残念。ヴィオは夜魔、サキュバスよ。」

「サキュバス?」

「ええ。自己紹介がまだだったわ。ヴィオの名前は、ヴィオルミナ・コペンハーグ。」

「び、ヴィオルミナちゃん?」

「長いからヴィオって呼んでね、友人は全員そう呼んでるわ。で、アナタは?」

「あ…。私は栗原 優華…、20歳です。…えっと、ヴィオちゃんはいくつ?」

「あら、ヴィオはこう見えてもユウカよりは年上よ?」

「えっ?」

「426歳。」

「…?」

「だから、426歳よ。」

よ、よんひゃくにじゅうろく?
わかった。これはいわゆるアメリカン(アメリカ人かどうかわからないけど)ジョークなのよ。

「なによ、そのいぶかしげな顔。ヴィオが何かジョークでも言ってるんじゃないかって顔だわ。」

「え、その…。」

「ユウカ達みたいな60〜70年でころっと死んでしまう人間と一緒にしないで。もう一度、聞くわよ?ヴィオはサキュバス。まだ信じられない?」

「…えっと。」

「どうやらまだ信じられないみたいね。この世界の人間は本当に面倒だわ。どうしたら信じてくれるのかしら。魔法でも使って見せる?」

「ま、魔法!?」

「何よ、そんなに驚いて。ホラ、これくらいはできるわよ。余裕だわ。」

そうやって、彼女は人差し指をピンと立てると、ぽっと4cmぐらいの火が灯った。
私はそれを見て思わず『おぉーっ』と歓声を上げてしまう。
本当にタネも仕掛けも無く、どの方向から見てもまったく疑いようがない。
そして彼女は指を1本ずつ増やしていき、ついには5本の指全てがろうそくのようになっていた。
気付けば私も、普通に拍手を送ってしまっている。

「確かこっちの世界ではこうやって5本の指全てから炎の呪文を使うことをフィンガー・フ○ア・ボムズって言うんでしょ?」

「そうなんですか?」

「あら、違うの?おかしいわね、前に調べたときはそう書いていたのに。」

「でも、凄いです。」

「あら、こんなので凄いとか言われちゃ困るわよ。まだまだ序の口なんだから。こんなこともできちゃったり…。」

ヴィオちゃんはニヤニヤしながら、軽快な音を立てて指を鳴らす。
その小気味良い音とともに指先からカメラのフラッシュみたいな閃光。
思いもしなかったことに私は驚いて目をつむったが、おそるおそる目を開けてみるとヴィオちゃんがお腹を抱えて笑っていた。

「も、もう!でも、すごい。あんな風に光を放つこともできるんですね。」

「きゃははは、違う、違うわ。」

「?」

「ユウカ、自分の身体をよく見てみなさい。きゃははっ。」

「身体…?…え、キャアアアアアアアアアッ!!!??」

彼女が指さしたとおり私の身体を見てみると、今まで着ていたはずの服が全て脱がされていた。
そしてその服はきちんと丁寧にベッドの上に四つ折りで畳まれている。
もちろん私が脱いだわけでもないし、閃光が発する前までは確かに服を着ていた。
しかし今の状態は靴下以外脱がされてまるっきり全裸である。

「わわわっ!ヴィオちゃん!?」

「くすくすくす。ちょっとしたイタズラよ、イタズラ。」

「まったく…。あれ…?私のブラはどこ…?」

「きゃはははっ、ユウカって意外と胸無いのねぇ。Bカップってところかしら。」

「ちょ、ちょっと!?返してよぉ!」

「へへへー。」

「まったく…、あれ?パンツはどこにやったの、ヴィオちゃん?」

「くすくす、教えないわぁ。」

「どーしよっかなぁー。ユウカってば、ヴィオのほうが年上なのにまだちゃん付けで呼ぶし、魔法も信じてくれないしー。」

「ふぇええぇ!わかったよぉ、信じます!信じますからパンツ返してぇ、ヴィオさぁん!」

「よろしい。でもまぁ、ヴィオさんって呼ばれるのには抵抗あるから、ヴィオって呼んでね。」

そう言って再びヴィオが指を鳴らすと、私のすぐ目の前にいきなり私のパンツが現れる。
私はそれをすぐにつかみ、大急ぎで身に着ける。
でも、本当に不思議。
魔法なんておとぎ話やファンタジーの中のものだとばかり思ってたのに。
ここまでされたら疑うことなんてできないわ。
そうこうしてる間に私の着替えが終わり、再びヴィオの話を聞く体勢に入る。

「というわけで…、ヴィオを出してくれたお礼にユウカの願いを叶えられる範囲でひとつ、叶えてあげるわ。」

「私の…願い…?」

「ええ。ワット…だったっけ?その人と両想いのラブラブになりたいんでしょ?」

「ッ!!!???な、なななな、どうして知ってるのッ!?」

「そりゃあ、さっきから『ワットくんからメールだぁー!ワットくんから、どうしよー!?』って上擦った甘い声を出してうろちょろしてれば誰だってわかるわよ。本の中まで足音と声が聞こえてきたわ。」

「キャーーーーーーーッ!!??」

見られてたの!?あの姿!?
一人だと思ってたからまったく気にしていなかったけど、見られてたとなると急に恥ずかしくなってきた。
赤くなりショート寸前の私はぺたりとその場に座り込む。

「まあ、そこは別にいいわ。その恋、ヴィオが叶えてあげるわよ!」

「そんなことできるの!?」

「当然よ。伊達に脳内真っピンクなんて言われてないわ。ヴィオの手にかかれば男の一人や二人、どうってこと無いわよ。」

環人くんと私が両想い…。
想像しただけで幸せすぎて死んじゃいそう…。

「それってもしかして環人くんと…、その、き、キスまで…いけたり…?」

「あら、キスだけなんてユウカは純情ね。」

そういうとヴィオは桜色の唇を私の耳元に近づけ、くすぐったくなるような甘い声でささやく。
思わぬ行動に背中に寒気が走り、首筋へと抜けていった。

「その気になれば、キスの先…、そのもうひとつ先までできちゃうわよ?」

キスの先の先…、それって…。
想像した身体中の瞬間血液が自分の頬に集まって、火でもついたかのように熱くなる。
私の様子を見てヴィオが幼い顔で微笑みながら、ひとつの布袋を差取り出した。
中には何やら小さい飴玉サイズの鈍い赤の薬が入っている。

「この中に入ってる丸薬を一粒だけ、噛まずに飲み込んで。」

「…?なにこれ?」

「それは人間を一時的にレッサーサキュバスにする魔法の丸薬よ。本当は今すぐにでもユウカを完全なレッサーサキュバスにすることもできるんだけど、ヴィオはまだこっちで目立つ行動はできないの。だから、今はこれで我慢して。」

「れ、れっさーさきゅばす?」

「あ、もしかしてそこから説明しないといけない?」

「うん…。」

「わかったわ、説明してあげる。サキュバスには大きく分けて2種類の誕生方法があるの。ひとつはヴィオみたいに生まれたときからサキュバスとして誕生する種類。一部では『純血種』と呼んでる人達もいるみたいね。もうひとつは、人間からサキュバスに変化する種類よ。」

「人間からサキュバスへ…。」

「そう。ただね、人間からサキュバスになる場合、すぐにサキュバスになれるわけじゃないの。一部の例外を除いて、ほとんどの人間はまずサキュバスと人間の中間みたいな存在、レッサーサキュバスになるわ。そこから成長することでユウカもヴィオ達と同じサキュバスになれるわよ。」

「ふむふむ、つまり私がサキュバスになるとしたらまずレッサーサキュバスにならなきゃいけないわけね。」

「その通りよ。結構飲み込みは良いみたいね。」

「でも、私がなんでサキュバスに?」

「サキュバスは相手を誘惑したり、発情させる魔法がたくさん使えるわ。つまり、ユウカがこれからその彼にアプローチしていくのに役立つ魔法がいっぱいあるの。もちろん、レッサーサキュバスでも使える魔法もあるしねー。」

「うん。」

「だけどね、さっきも言ったようにちょっとした訳があって今すぐユウカをレッサーサキュバスに変えるような目立つ行動はとれないの。何となく本の中から外の様子を見てたけど、ここの世界ってどうやら人間しかいないみたいね。」

「私もサキュバスなんて今日はじめて見たわ。」

「だとしたら尚更ユウカを今、レッサーサキュバスにする訳はいかないわ。それにユウカも人間をやめるかどうかなんて大きな決断をいきなり聞かれても困るでしょ?」

「うん…、正直に言うとまだよく…。」

「そういう面でもこの丸薬が一番お互いにとって都合が良いのよ。」

ヴィオは布袋からのど飴みたいな薬を取り出して私に手渡してくれる。
手の上に乗った薬を見ても不安が消えない私は再度彼女に聞きなおした。

「こ、これって一時的なものだよね?私、また人間に戻れるんだよね。」

「ええ、そうよ。効果はきっかり3時間。今まで色んな人間に試してきたけど、未だ副作用のような症状は出たことがないし、効果がきれたら全員人間に戻ったわ。それにヴィオ、その丸薬の効果を打ち消す薬も常備してるから。」

そう言って、サキュバスの丸薬を取り出したほうとは逆側のポケットから違う布袋を取り出す。
うーん、それなら大丈夫かな…。

「それじゃ…、えいっ!」

ぎゅっと目を閉じて、薬を口の中に放り込む私。
環人くんと両想いになれるなら…!
喉にひっかかるような異物感に耐えながら、なんとか薬を飲み込んだ。
あれ…、なんとも…。ッ!!??

「ひうっ!!!??」

「始まったわね。痛みなどはないと思うけど、もし万が一痛くなるようなら私に言ってね。すぐにヴィオの持ってる効果を打ち消す薬をあげるから。」

「ら、らいじょうぶひゃぁっ!い、ひたくない…けどぉっ…。」

身体中がまるで火だるまになったように熱い。
更に背中を駆け回るゾクゾクした感覚と荒くなる呼吸。
それは痛みや苦しみによるものではない。
身体全体が刺激を欲するように、皮膚が敏感になっている。
今まで経験したことないとろけるような快感が、身体中を暴れまわった。
その激しい快楽を前に私は身をよじり悶えることしかできない。
やがてその感覚は波のようにどんどん引いていき、うずくほどの火照りも薄れていく。

「ユウカ、鏡で自分の姿を見てみてよ。」

「え…、鏡…?」

私は快楽の余韻を引いたままの身体で、スタンドミラーの前へ立つ。
いつもどおりの髪型、いつもどおりの顔、だけど一つだけ変わってるものがあった。
それは…。

「こ、これってもしかして…。」

「そう、ツノよ。」

「わぁ…、本物だぁ…。」

耳の上から髪の毛をかき分けて突き出している2本の角。
手触りもゴツゴツとしてて、根元は私の頭としっかりつながっている。
それだけじゃない、上着を脱いで確かめてみると私の背中には小さい羽根、更にお尻のちょうど尾てい骨の辺りからは細くて長い尻尾が生えていた。
サイズは違うけど、尻尾も羽根も角も全てヴィオのそれ等とそっくりである。

「よし、うまくいったようね。あ、その尻尾も角も羽根も効果が切れれば消えるから安心してね。」

「そ、そう?大丈夫なのね。」

「あと今なら空も飛べるはずよ。」

「えぇっ!?無理よ、だってこんなに羽根小さいのに…。」

「大丈夫よ!…でもその服じゃ羽根を出せないから飛べないか。さっき調べた時みたいにブラのままだったら飛べるわよ?」

「絶対イヤッ!」

「くすくすっ、冗談よ。ちゃんと、服ぐらい用意してあげるわ。」

そう言うと、ヴィオは二度手をパンパンと叩く。
すると私の目の前でポンッと小さい爆発をしたあと、一着の服が現れた。

「これを着ればいいの…?ッ!!?」

「どう?サキュバスにピッタリの服よ。」

「こ、これヴィオが今着てる服じゃない!?」

「あら、違うわよ。それはユウカの身体に合わせてるから、私のよりバストとヒップが少し大きいし、ワンポイントだってほら。」

「なんでそんなところにチャックついてるのっ!?」

「それはほら、決まってるじゃない。すぐに…。」

「と、とととととにかくこんなの着れないわよぉっ!!」

「んもー、わーがーまーまー。じゃ、こっちは?」

ヴィオが再び手を叩くと持っていた服が煙のように消えて、別の服が目の前に出現する。
今度はさっきのような上下つながった服ではなく、下はショートパンツ、上はチューブトップの水着のような感じだった。
確かに先程のよりは良くなったけど…。

「ねぇ、ねぇ。」

「ん?」

「このショートパンツの材質は気に入ったから、色とか生地はそのままにしてロングレングスのスキニーに変えられない?トップスもこういう水着みたいなのじゃなくて、丈短いワンピースタイプで…。あ、背中開けなくちゃいけないんだっけ?じゃ、背中をざっくり開けて欲しいな。あ、色は…、モカブラウンのスキニーに合うように白がいい!」

「ちょっと!ヴィオは服屋じゃないのよ!…でも、なんとなくわかったわ。こういうのでしょ?」

ヴィオはため息をつきながら手を叩く。
目の前の服が消えて次に現れたのは、まさに私の要望通りの服。
いや、要望以上のモノだった。
縫い目もしっかりしており、布地もそこらへんの安物とはまったく違う。
さらっとした手触りが心地よかった私は、すぐに顔をうずめてしまうほどだ。

「これこれ!ヴィオ、すごい!」

「ふふん、当然よ。じゃ早速それ着なさい。行くわよ。」

「行く?…どこに?」

「そのワットって言う男の子の所に決まってるじゃない。」

「ああ、そういう…えっ!!?」

「何のためにユウカを3時間だけレッサーサキュバスにしたり、新しい服を出したと思ってるの。侵略すること、火の如しよ!ついでに下着も替えておきなさい!」

「え、えぇっ!?」

「ほら、はやくはやく!時間は待ってくれないのよ!」

ヴィオにはやし立てられるまま、私は脱衣所に移動して着替え始める。
こうして下着まで着替えていると、言いようの無い緊張が私の心臓を強く叩いていた。
違うのよ…。これはちゃんとした礼儀、マナーなの。
決してそういうことをするためじゃないの。そう自分に言い聞かせる。
だけど私の脳内の端っこでは、しっかりとこの先何が起こるのだろうか想像してしまうのだ。
ダメよ優華、はしたない想像はしちゃダメ。
そんな延々と続く脳内の葛藤がまったく解消されずに着替えが終わってしまう。
洗面台の鏡で身なりを整え、脱衣所を後にする私。

「あら、すごくよく似合ってるじゃない。ヴィオが用意した甲斐があったわ。」

「そ、そうかな…?この服が良いからだと思うよ?」

「そんな大層なモノじゃないわ、ユウカが中々素敵な身体してるからよ。胸は小さいけどね。じゃ、行くわよ、準備は良いわね?」

「うん。…あ、ヴィオ。」

「うん?」

「そっちは玄関じゃなくて、ベランダだよ?」

「わかってるわよ?」

「え?」

「ほら、こっちに来て。」

「へ?え?」

そう言って、ヴィオは私の身体をひょいと軽々持ち上げる。
いったい彼女の小さく華奢な身体のどこにこんな力があるのだろうか。
そして、次の瞬間バスケットボールを投げるように私の身体をベランダの外へ…。
ん、外へ?

「キャ、キャァアアアアアアァァァァッ!!??」

お、落とされた…!?というか、投げ捨てられた!?
ここ6階よ、死んじゃう!!
私はあまりの恐怖にぎゅっと目を瞑り、悲鳴を上げる。

「何、大げさな声出してんのよ。」

「ほえ?あ!あ!あ!」

ヴィオの呆れた声が思ったよりも近くに聞こえて私は瞼を開く。
なんと私の身体は地球の重力に逆らい、ベランダの手すりと同じ高度でふよふよ浮いていた。
と、飛んでる、私飛んでる!?
背中を見る事はできないが、パタパタという音から察するにどうやら私自身の羽根で空を飛んでいるらしい。


「ヴィオの浮遊魔法を使って慣れるまで訓練しようかな、と思って魔法の準備してたのに。ユウカったらきちんと飛べるじゃない。」

「も、もうびっくりしたぁ…。心臓に悪いよぉ…。」

「でもこれで問題は無くなったわね、さあ行くわよ!」

「え?でも、心の準備が…。」

「そんなもん、行く途中で済ましちゃいなさい!」

「ひーーーーんっ。」

私はヴィオに引っ張られるまま、まだ不慣れでギクシャクとした飛行をする。
余裕の無い飛び方で四苦八苦してるそんな私を見て、ヴィオはにこやかに笑いながら下を指差した。
下に何があるんだろう…、そう思ってヴィオの言われた通りに街を見下ろす。
そこから私は言葉を失った。
緊張も不安も葛藤もどこかに吹き飛んでいく。
今まで見ることの無かった視点から見た街はとても美しく幻想的な光景に見えたのだ。

「綺麗…。」

「ええ、この世界は美しいわね。まるで地上にも星があるようだわ。」

民家の光、街灯、街のネオン。
今まで見ていたもの全てがつながって星座のようにきらめく。
心のざわめきと合わせて、まるで宇宙旅行に飛び立つようだった。


     7


夕食が終わり、テーブルの上にはさっきまでリゾットを入れていた容器が3つ、空になって置かれている。
アルブムさんとリザは満足したのか、晴れやかな笑顔を浮かべ食後の余韻に浸っていた。

「うむ、美味であった。ワシの知るリゾットの中でも1,2を争う美味さだ。」

「当然ですよ父様!ワットは将来、私達の家のメインコックにするつもりですから!」

「ほう、そうなのかリザ。それは楽しみだな、ワシもワットのような給仕がいてくれればうまい料理が毎日食べられるな。」

「おいおい…、人の将来を勝手に決めるな。」

「良いではないか。ワットだって私にずっと食事を提供できるのだぞ?それに父様にも。」

「それのどこが良いのか、俺にはさっぱりわからんが…。あれ?アルブムさん、どこへ?」

「どうやら今日は色々な所を視察に行ったせいで疲れてしまったようだ、今日はこれで休むとする。」

「わかりました。昨日と同じく、親父の部屋のベッドで寝ます?」

「ああ。若干ヤツの体臭が不快だが仕方あるまい。ワットのベッドで共に寝るわけにはいかないしな。」

「良ければ、布団などを用意しますよ。」

「いらぬ、床で眠る事には慣れそうもない。それとも、リザが一緒に寝てくれれば…。」

「嫌です、父様。」

きっぱりとそう告げるリザ。
アルブムさんはそれを聞くと、若干肩を落として親父の部屋にとぼとぼ向かっていった。
やはり父親ってこんなものなのかなぁ。
俺は3人分の皿を下げて、皿洗いを始めようとする。
すると、珍しいことにリザが近くへ寄ってきた。

「どうした、リザ。お前ネトゲじゃないのか?」

「グングニルオンラインが緊急メンテナンスなのだ。大方、新アイテムでの動作不良だろうがな。」

「モンスターイーターは?」

「残念ながら今日は曜日的にメンバーが誰も来ない。イベント期間も終わったので人も少ないしな。」

「へぇ、友達なんていたのか。」

「ああ。グングニルとモンスターイーター、両方で共通のグループメンバーがある。高レベルの素材が欲しいから、なるべくなら信頼できるメンバーが良い。」

「なるほど。」

「それでだ、ワット。」

「なんだ?」

「私の暇つぶしの相手をしろ。」

「断る。」

「馬鹿者!私が遊んでやると言っておるのだ!」

「何で上から目線なんだよお前は!?」

「いいから相手をするのだ!」

返答が気に入らなかったのか、リザは俺の肩を掴んで揺さぶる。
リザの反撃を予想してなかった俺の泡だらけの手から、するりと一枚の皿が滑り落ちていった。

「「あ。」」

ガシャーンッ!

俺は慌てて落ちてゆく皿に手を伸ばすが、もう既に遅く皿は独特の高音を立てて割れた。
それでけではない。
割れた皿の破片が飛び、間に合えと伸ばした俺の手の指一本を切り裂く。
俺はその鋭い痛みを感じて手をひっこめた。

「痛つぅッ!?」

「ワット!!??」

右手の人差し指に小さい一筋の線が引かれ、そこから赤黒い血がじわりと垂れてきた。
俺は少しきつく言い聞かせようとリザを睨み付ける。
だが俺の表情は、すぐに驚きの色に変わってしまった。
リザは自分がやってしまった事を理解しているのか、普段の彼女の自信に満ちた表情は消えており、申し訳なさそうに俯いている。
てっきり何をやったかもわからず、いつもの表情のままだと思っていたのだが…。
コイツのこんな顔は初めて見た。
そして、リザは申し訳なさそうな表情で小さく口を開く。

「え、その…私は…。なんだ、えぇと…、も、申し訳なかった…。。」

きっと彼女は数えるほどしか人に謝る経験をしたことないのだろう。
すごくぶっきらぼうな言葉。
だけど、やった事の重大さは理解しているようでもじもじしながら謝罪を口にする。
それを見たら、なんか怒れなくなってしまった。
俺がゆっくり手を伸ばすと、怒られると思ったリザはビクッと一度身を震わせて目を瞑る。

「わ、わざとじゃないんだ、ただ、ただその…。うあ…。」

「もういい、気にするな。だが、もうするんじゃないぞ。」

伸ばした左手でリザの頭を撫でてやると、一瞬何が起こったかわからないのかリザの動きが止まる。
やがて俺の言葉の意味を理解し表情を明るくした。

「…!わかった!気をつけるぞ!」

驚きの表情が満面の笑みに変わるまでそう長くはかからなかった。
まったく単純なヤツだ。
うん、お互いにじゃれ合ってたようなモンだからな、今回のことはナシにしよう。

「さて、思ったよりも傷は深くないようだし、リザ、絆創膏持ってきてくれ。」

「ばんそーこー?何だそれ?」

「…は?」

「?」

「えっと絆創膏って言うのは、傷の治療をする…。」

「あ、ちょっと待て。治療をするなら私に任せろ。」

そう言って俺の右手掴み、まじまじと人差し指を見つめる。
次の瞬間、リザが口を開けるとまるでキャンディーを食べるように俺の指をぱくんと口に含んだ。

「おい!?」

慌てて俺は彼女の口から指を引き抜こうとする。
しかし、リザはぎゅっと俺の手を掴んだままはずそうとしない。

「ほうふほひまへ。ほうしゅほひでほわふ。」

「何言ってんのかわからん!いいから離せ、おいこら舐めるな、しゃぶるんじゃない!」

そうやってジタバタしていると、やがてリザは俺の手を開放する。
心なしか彼女は満足そうな表情になっていた。

「よし。」

「よしじゃねぇ!いったい何だってんだ!?たしかに傷口につばをつけると治るという民間療法はあるが!!」

「傷口をよく見てみろ、ワット。」

「傷口がどうし…あれ?傷がない…?」

「だから、言ったであろう。治療する、と。」

「あれ?一体…、傷口どこだ…?」

念入りに人差し指を確認するが、さっきまであったはずの皮膚の切れ目がまるで見当たらない。
それどころか、いくらいじっても押しても血が出てこない。
まさに傷が完治していたのだ。

「どうなってるんだ?」

「治癒してやったのだ。私の種族を忘れているな?私はヴァンパイアなのだ、これぐらい赤子の手をひねるようなものだぞ。」

「いや、これとヴァンパイアとは関係ない気が…。」

「さっき私は怪我したワットの指から血を吸って精をもらい魔力を得た。そして、その魔力で治癒魔法を使ったのだ。…まあ、それ以上に血は頂いたが。」

「魔力!?お前、魔法使えたのか!?」

「ああ。」

「嘘だろ!?お前、今まで魔法なんか使ったことないだろう!!」

「だって魔力を供給するにも、精が無くてはできぬ。定期的に供給できるのであれば、魔法などどんどん使っておる。」

「セイ?」

「なんと言うか…、ほらワットの持ってる漫画にもある『気』みたいなものだ。それを私達が摂取することで魔力に変化させる。」

「その精とやらを供給する方法が吸血というわけか…、まさに吸血鬼だな。」

「だから、何度も言っておろう!」

いや、そこを疑ってたわけではない。
今まで吸血鬼の割に血を吸われたりすることが無いからおかしいなぁと思ってたのだが。
時たま血を要求していたのもこういうことだったのか。

「つまり…、お前が魔法を使うためには魔力が必要で、更にその魔力を作るには精ってものが必要なんだな。そして、その精を得る方法が吸血と。」

「いや、吸血だけではない。それだけではないのだが…。」

「なんだ違う方法があるのか。吸血ってどうも痛そうだし、もし別の方法があるならそっちの方がいいかもな。で、その方法って?」

そう聞くと今までの口調とは対照的にまごつき始めるリザ。
気のせいか、顔が赤くなっていってるような気もする。
何かが弾けるような音がしたあと、リザはその赤くなった顔のまま怒り出した。

「ええい、言えるわけないだろう!身の程を知れ!」

「いてててっ、なんだ!?」

この慌てようから察するによほど別の方法には抵抗があると見える。
俺は今までやってきたゲーム、漫画などの知識を結集させると同時にそれらしい単語を思考してみた。
エーテルに祈りの指輪、マナ、魔力カウンター…。
そう言えば、リザは精を原動力にって言ってたな。
…精ってまさか。

「なぁ、もしかしてその別の方法って…。精ってことは…。」

「ッ!?気づいたのか、気づいたのなら言葉にするなッ!!絶対に言うではない!!」

「それってまさか…、嘘だろおい。」

「キャァアアアアッ!言うんじゃない、言うんじゃないぞ!!」

「まさかお前…。」

「やめるのだ!ワットやめ…。」

「お前…、魂を食ったりするのか…?」

「…は?」

「いや、さっきから精って言ってたし。ほら、魂のことを精魂って言うじゃないか。」

「…。」

あれ?リザが怒ってる。
もしかして、そんなに魂を食うことは知られたくなかったのだろうか。
確かにこれから友好を結ぼうとしてる相手が、命を食らうとなると問題があるのかもしれんが…。
リザが激昂しだす前にここはこの話を打ち切っておこう。

「えと…、リザ。」

「…まったくワットの鈍さというのは。」

「ん?」

「何でもない!ただの独り言だ!」

「お、怒るなって…。うん、なんでもない俺の勘違いだ。忘れてくれ。そうだ、食後のデザートでも作ろうか?」

「デザート…、プリン以外は認めぬ。ちゃんと生クリームも乗せるのだぞ。」

「プリンは今日買ってきたから大丈夫だな。OK。じゃ、テーブルに座っててくれ。今生クリーム泡立てる。」

心なしかまだ顔が少し赤いリザは足音をドスドス響かせて、テーブルの方へ歩いていった。
もしかすると少し悪いことをしてしまったのかもしれない。
お詫びにちょっとこだわって作ってみようかな。
そう思った俺は冷蔵庫を開けて、紙パックの生クリームだけでなくフルーツの缶詰2つも取り出す。
シロップ漬けチェリーの缶詰とパインの缶詰だ。
実を言うとこのチェリーとパインの缶詰は、デパートの海外物産展で買ったフランスの高級料理店で使われてる高いもの。
試食で食べた時のあまりの美味さに衝動買いしてしまった。
今まで何に使うか迷ってたのだが、このままだと腐らせるだけになる。
まあ、少し量は多いが今使ってしまおう。
そう思い、缶切りを取り出し台所に立つと裏口のドアがコンコンとノックされた。
こんな時間に誰だろうか、しかも裏口からなんて。

「は〜い、どちら様ですか〜?」

「あ、あの、私!優華!」

「優華!?どうしたんだ、こんな時間に!?しかも裏口から!」

「えへへへ…、ちょっと色々あって…。」

「まあ、とりあえず寒いだろうし入れ。」

ガチャリと裏口のドアを開けると、まず俺はその格好に驚く。
冬に入り随分寒くなってきたというのに、半そでのワンピースとぴったりとしたパンツというスタイル。
見ているこっちの方が寒くなってくるではないか…。
って、そっちじゃねぇ!?

「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆうか?どうしたんだ、その格好!?」

「えっと、やっぱり寒そうに見えるよね?」

「違う違う違う違う。お前のツノと尻尾と羽根!!」

「あ、これ?えぇと…、あははは…。気にしないで。えっと…、確か自分の瞳を相手に、と。」

「ん、どうかしたか?」

「環人くん、ちょっと私の目を見て。」

「ん?目がどうかし…ッ!?」

優華の目を見た瞬間、眩暈のように景色がゆがみ始める。
そして、2、3度頭を振られるような感覚のあと、視界が正常に戻った。
な、何だったんだ今の…?

「どうしたの、環人くん?」

「ああ、なんでもな…。ッ!!??」

ダメだ、優華の顔が直視できない。
このままじゃおかしくなってしまうような、そんな予感がして俺はぶっきらぼうにそっぽを向く。
言葉には表せないが何と言うかこう…、鼓動が速くなり身体中の血液が勢い良く流れるサァーッという音で耳がいっぱいだ。
何なんだこれは。

「環人くん、こっち見て。」

「うぇ…、え?え?」

自分の意思とは無関係に、身体は優華の言うことを聞こうと勝手に動き出す。
優華と目が合うと更に鼓動が強く鳴り響いた。
おい、どうなってるんだ俺…。

「環人くん、えと…その…。キス…して。」

その優華の言葉に従って、優華の身長と同じになるよう前かがみになり、顔を突き出してしまう俺。
お、おいやめるんだ俺の身体!
何をそんなに優しい手つきで優華のあごを持ち上げてやがる!?
止まれ、止まるんだ!!
近い、近い近い!!
優華の顔がもう目の前すぐに来ているのに、俺の意思に逆らって彼女の柔らかな唇に自分の唇を重ねようとする。
彼女の吐息が直に感じられ、キスまでの秒読みが開始されるその刹那。

キィンッ!!

「え?」

「きゃあっ!?」

ガラスが割れるような音が響き、優華の身体は突風にあおられるがごとく吹っ飛んだ。
それと同時に身体の自由が戻って鼓動が徐々に安定してくる。
俺の背後をみると、そこにはリザが立っているではないか。

「なんか変な魔力を感じると思ったら、私の所有物に手を出す魔物が…あれ?」

「リ、リザ!?」

「リザノールさんッ!?」

「げぇっ!!??リザノール!!??」

リザの登場とともに、家の裏口の茂みからガサッとまったく知らない女の子が立ち上がった。
…誰だ?
どう見ても俺より幼い女の子だが、格好はまるでAVとかエロ本とかに出てくるような格好をしている。それもSM関係のような。
その少女の乱入により、事態は更に混沌としていく。

「おや、えと…、ユウカと言ったか?それと、またかヴィオルミナ…。」

「ふふん、久しぶりねリザノール!ここで会ったが千年目!今日こそ積年の恨みまとめて晴らしてくれる!!」

「しかし、ユウカとやら。私の記憶が正しかったら、人間であったはずだろう?何故にレッサーサキュバスになってるのだ?」

「こらぁッ、無視するな!!リザノぉール!!」

「あれ?リザノールさんはヴィオを知ってるの?」

「知らん。…と言いたいが残念ながら知っている、何かあるごとに私に噛み付いてくる犬っころだ。」

「誰が犬よ!誰が!」

「ねぇ、ヴィオ。リザノールさんのこと知ってたの?」

「当然よ!ヴィオを辱めた、いや今もなお辱め続ける張本人、性悪堕落吸血鬼よ!」

「きゅ、吸血鬼!!?え?え?ヴァンパイアさんってこと!?」

「おや、知らなかったのか?私はヴァンパイアだぞ?」

「そ、そうだったの環人くん!?」

あまりの急展開に口を開いて眺めてるしかなかった俺は、優華に問いただされてようやく我に帰る。
あぁ…、知られてしまったか…。
もうこうなったら仕方ない。
リザ自らも話してしまってるし、誤魔化しようは無いだろう。

「うん…、今まで訳があって話して無かったけど、というか話しても信じてくれるかどうかわからないし、言ってなかった。リザは…、吸血鬼、ヴァンパイアだ。」

「そ、そうなの!?」

あまりの驚きに口をパクパクする優華。


「へぇ、そう…。リザさんはヴァンパイアだったの…。いや、。むしろ私も今日ヴィオと会うまでそんなこと言われても信じなかったと思うし…。」

「内緒にしていてすまん、だが詳しい説明は後でする。今はひとつ、やらなくちゃいけないことがあるんだ。」

「?」

「この殻潰し無能吸血鬼!」

「この貧乳淫乱夜魔!」

「…まずあそこで低次元な争いをしている二人を止めるぞ。」

「…そ、そうね。」

低次元な罵りあいをする2人の間に入り、一度その喧嘩を中止させる。
そしてまず状況を整理するために、お互いの知ってることを全て話すことにした。
かくかくしかじかと俺の知ってることを話し、次に優華がどのような状況でこうなったのかを教えてもらう。
わかりやすくそれをまとめるとこういう事らしい。
先日俺と一緒に本屋へ行ったときに、あのおばあさんから『恋のおまじないの本』を渡された。
優華の家でそれを開くとサキュバスの少女ヴィオルミナ・コペンハーグちゃんが現れた。
ヴィオルミナちゃんは優華をそそのかし、俺にアプローチをかけさせようと薬を使って、一時的に彼女をレッサーサキュバスに変化させた。
とまあ、大体こんなところらしい。

「でも、ビックリしたぁ。まさかリザノールさんがあの吸血鬼だったなんて。確かに風格もあって美しくて憧れるけど、なんか悔しい…。」

「ハッ!バカノールに風格も美貌も無いわよ。」

「万年発育不良よりはマシであろう。しかし、ユウカ。ヴィオルミナが迷惑かけたな。」

「い、いえ。そんな…、元は私のためを思ってしてくれたことだし…。」

「それよりもワットって言ったっけ?アンタ、リザノールと一緒に住んでるってことはもしかしてそういう関係だったりするの?」

「そういう関係?」

「つまり恋人同士かってことよ。」

「まさかそんな訳ない。さっき説明したとおり、親善大使のリザがウチにホームステイしてるだけだ。」

「だよねぇ。どう見てもラブラブな雰囲気ではないし、リザノールを恋人にするなんて人生の大半を溝に捨てるようなものよ。良かったわね優華。」

「あ、それと今度は俺がヴィオルミナちゃんに質問したいことが一つある。」

「何?」

「ヴィオルミナちゃんはいくつ?」

「レディに年を聞くって野暮ね。まあ私も気にしてないし教えてあげるわ。ヴィオは426歳、リザノールと同い年よ。」

「426!!??リザもなのか!!??」

「おや、言ってなかったか?まあ、ワットに話す機会も無かったしな。」

「てっきりリザと俺は2〜3歳ぐらいしか離れてないのかと。」

「ちなみに父上は900と…いくつだったかな。忘れた。」

「「900!!??」」

優華と俺の声がぴったり重なる。
リザは江戸時代より前に生まれてて、アルブムさんは鎌倉幕府が開かれるより前に…。
気の遠くなりそうな時間に俺は言葉も出てこない。
というか、何故リザは俺より21倍以上長く生きてるのにあれだけ残念なスペックなのだろうか。
呆れを通り越して笑えてきた。

「はい。質問。」

優華がちょこんと手を上げる。

「リザノールさんとヴィオってどんな関係なんですか?」

「天敵よッ!!」
「天敵だッ!!」

「息ピッタリじゃねぇか…。」

また視線をぶつけ合って火花を散らす2人。
この2人…、本当は仲が良いのではないか。
だがここでまた喧嘩に突入されると収束させるのが面倒なので、俺は矢継ぎ早に話をヴィオルミナちゃんに振る。

「じゃあ、まずヴィオルミナちゃんから説明してくれ。」

「わかったわ。あのね、このリザノールは幼い頃は仲の良い友達だったわ。でも時の流れとは残酷よね、あんなに仲の良かった友達がヴィオの青春時代を滅茶苦茶にしたの。」

「おい、そんなにひどい事したのか?」

「ええ。発端はヴィオがまだうら若き64歳のころ…。」

「なんかもうお前らの64歳って幼いのか年食ってんのかわからないな。」

「いいから聞きなさい!ヴィオははじめて恋をしたわ。相手はいつも遊んでた男の子、マクレガーだった。」

「数々の死地を乗り越えてそうな名前ね。」

「優華も黙ってなさい!…こほん。ヴィオはもう溢れる想いを堪えることができず、その男の子に告白したの。そしたら…。」

「そしたら?」

「あろう事か、こう言ったの!『ごめん、俺…、実はリザノールちゃんのことが好きなんだ。』って!!」

「…え?」

「それからよ、いろんな人に告白する度に『ごめん、実は僕リザノールさんのことが』だの、『今は片思いだけどいつか自分の恋に燃え上がりたい。そう、リザノールさんとの!』だの…。」

「おいおい…。」

「ああああああ、思い出しただけで腹が立ってきたわ。」

そうしてぷんぷん怒り出すヴィオルミナちゃん。
真面目に聞いていた分、どっと疲れが襲ってきたような気がした。
優華も同じなのか、小さくはぁっとため息を吐き出す。

「え?どうしたの、そんなに乾いた表情して…。もうちょっと涙ぐらい見せてよ!」

「それ、完璧に…。」

「うん、逆恨みだよねヴィオ。リザノールさん関係無いし。」

「優華まで!?」

「ヴィオルミナは小さい時から私に嫌がらせをしてきたのだ。人のおやつは取るし、寝ている私の顔にラクガキするし、私が使ってたシャンプーとボディーソープの中身を入れ替えるし。だから私はヴィオルミナに復讐を誓ったのだ。」

「復讐?」

「ああ!落とし穴にヴィオルミナを落としたり、ヴィオルミナが着ている服の留め金に細工をしてずり落ちるようにしたり。」

「おいおい、お前も同レベルじゃねぇか。」

「で、リザノールさんはその男の子達とはどうなったの?」

「それがねユウカ…。」

「でも、マクレガーと聞くと懐かしいな。元気にしているのだろうか。楽しいヤツでいい友達だったなぁ、今度魔界に帰省をする機会があったら顔でも見に行こうか。」

「この通り。リザノールは超鈍感だから、相手の恋心に気づかないの。ただ鈍いだけならまだしも、相手が直球で来たとしても、天然でスルーしてしまうほどの鈍感。つまり本人がわかってないんだから相手の男の子空回り状態。」

「「うわぁ…。」」

「ね?わかってくれた?これって悔しいでしょ。恋に負けたならいいんだけど、相手こんなんなのよ…。」

ヴィオルミナちゃんに同情を禁じえない。
確かに恋愛や色事には疎そう(というよりも無関心のほうが正しいのか)だし。

「鈍いなら鈍いで仕方ないが、もっとどうにかならんのかリザ。」

「それ環人くんが言えるセリフじゃないと思う…。」

「え?」

「何でもない。」

ぷいっとそっぽを向いて、優華は俺から視線を外す。
俺は彼女のほうを見て首を傾げてしまう。
その視界の傍らに時計が写りこみ、時間は既に10時を越えている。
ん…、10時…?

「そういえば優華、どうする?もう10時だぜ?」

「え?もうそんな時間?どうしようかなぁ。」

「まあ、こんな夜中に女の子を帰す訳にもいかないよな。仕方ない、泊まってくか?」

「「「え?」」」

三人ともそれぞれ別々の表情を浮かべながら、同時に聞き返す。
優華は顔を真っ赤にして恥ずかしそうに、リザは信じられないというような怒り顔で、そしてヴィオルミナちゃんは何やら小悪魔めいた笑みを浮かべている。
これこそまさに三者三様ということか。
あれ?なんかまずい事言ったか?

「わわわわわわわワット!!いきなり何を言い出すのか!?私と父上とワットの分しかベッドが無いだろう!!」

「あぁ、俺はソファで寝るし。こんなに夜遅くなって肌寒くなってるのに、女の子を帰す訳にもいかないだろう?」

「馬鹿者!!未婚の者同士が屋根を一つにして寝るなど…、け、汚らわしいッ!!」

「つっても、お前はいつも俺の家で寝てるだろうよ。まあ、確かに俺は男だしな、そういう心配するのも当然か。ヴィオルミナちゃん。悪いんだけど優華と一緒に寝てくれないか?」

そうやってヴィオルミナちゃんの方を向くと、彼女は熱心な表情で優華に何か耳打ちしている。
あ。今考えてみると相手の気持ちを無視した発言だったかもしれない。
それもそうだ、同い年の男子の家に泊まってけよ、なんて言われたら誰だって警戒するのは当然だ。
こういう咄嗟の気遣いができないから、俺は相手の気持ちが読めないとか言われてしまうんだな、反省しなくては。

「あぁ、悪い。俺が間違ってた。やっぱり俺優華の家まで送ってくよ。」

「…と、せて。」

「へ?」

「…泊まらせて環人くん。今日はもう遅いし…、それから…うん。」

「送ってくぐらいなら全然平気だぜ?」

「いいの。…その、私…疲れちゃったから。きょ、今日泊まりたいなぁって、ダ、ダメ…?」

「いや、優華がいいなら俺はかまわないんだが。ヴィオルミナちゃんは?」

「そうねぇ、ヴィオも泊まっていこうかしら。やっぱりまだこっちの世界には慣れてないし、今日だけお世話になろうかしら。」

「おい、ヴィオルミナ!!ここは私の家なのだぞ!!勝手に泊まることは許さぬ!!」

「俺の家だ!」

「細かい事を言うな、ワット!ワットのモノは私のモノ、私のモノは私のモノだ!!」

「なんだそのジャイアニズム!そんな訳ないだろ!」

「うるさい下僕!」

「えと…、環人くん。私達今日泊まっても大丈夫…?無理なら…」

「ああ、大丈夫だよ。あ!でも、安心してくれよ!その…、そういう事は絶対にしないから!!」

「あら?ヴィオはそういう事してるの見てるだけでもいいのに…ひぎゃあっ!!??」

リザの強烈な手刀がピンク色の髪の毛をした頭の中心に突き刺さる。
ゴスッという鈍い音がした。

「馬鹿を言うでない!!そのような行い、私が許さぬ!!」

「ちょっと!痛いじゃないのよリザノール!」

「ヴィオルミナが余計な事を言うからだ!それにお前がこんな夜遅くにユウカを連れて来なければこのような問題も起こらなかっただろう!?」

「人のせいにしないでよ!!…あ。もしかしてもしかして…、ああ、そういう事?」

急にヴィオルミナちゃんの表情が一変する。
先程まで釣りあがっていた彼女の細い眉が弧を描いており、顔には何やら邪悪な笑みが浮かんだ。
そのニヤニヤした笑いにリザは一度小さく後ずさりする。

「な、何だというのだ!?わ、わわ私はワットのことなど…。」

「リザノール?まだヴィオはな〜んにも言ってないわよ?」

「ッ!?!そ、そそそんなの表情見れば用意に察することが…。」

「じゃあ、ヴィオが考えてることを…、そのまま!声に出して!高らかと!ここにいる全員に聞こえるように!言ってみてちょーだい?にひひ」

ヴィオルミナちゃんは言葉の端々を強調するように大声でそう言った。
キッと鋭い視線でリザは彼女の顔を睨みつけて、煽られるがままに口をパクパク動かす。
…が、まったく声は響いてこない。
それどころか声はどんどんフェードアウトしていき、代わりにリザの顔がどんどん赤くなる。
何をためらっているのだろうか。
そしてそのナイフのような視線はヴィオルミナちゃんから俺のほうへ向きを変え…。

「う、ぐぅ…。も、元はと言えばワットが悪いのだ!!!!」

「どうして俺なんだよ!!??」

「うるさいうるさい!!私に逆らうな、反論するなぁぁああぁっ!!」

「ねぇ、リザノール。勝負してみない?」

「しょ、勝負だと!?」

「ええ。ワットとユウカが同じベッドで一夜を過ごすの。それで二人のあいだに何かが起こるか起こらないか、それで勝負しましょうよ。」

「なっ!?何でそうなるんだよ!?」

「ちょっとヴィオ!!わ、私いくらなんでも、その、心の準備とか…。」

「いいだろう、ヴィオルミナ!!その勝負、乗った!!」

「ちょっと待てリザ!!」

「クスクス、そう来なくちゃ。…で、リザはどっちに賭けるの?」

「もちろん何も起こらない方に賭けるに決まっておるだろう!!」

「おいリザ、何を勝手に!?」

「ワットが手を出さずに我慢すればそれで済む話であろう?それとも何か、自分はサカリがついた雄犬ですと公言したいのか?」

いかん、完全にリザの目が別次元へと飛んでいってしまっている。
怒りのまま本能のままに行動してるから、理性が追いついていない。
さっきまでのヴィオルミナちゃんの発言はここまでを見越しての挑発だったのか。
付き合いが長いだけあって、リザはすっかり彼女の手玉となっていた。

「OK。ゲーム成立ね、ならヴィオは手を出す方に賭けるわ。うふふ。」

「ヴィオ〜!!」

「安心しなさい、ユウカ。これはユウカにとってもチャンスよ?」

「ただし!!条件があるぞ、ヴィオルミナ!!」」

「ん?なぁにリザノール?」

「環人の隣、優華とは別の方には私が寝るぞ!!」

「はぁっ!?ちょっと待てリザ!!」

「クスクスクス。あらぁ、それはどうして?」

「み、見張り役だ!もしユウカに手を出すようなら、私がワットに永遠に覚めない悪夢を見せてやる!」

「ふふふ、わかったわ。それ認めるわ。ユウカの隣にワット、更にその逆にはリザノールね。中々面白そうじゃない、あははは。」

「いいかワット!!もしユウカに淫猥な事をしてみろよ!?その時は私が二度とそんな過ちを犯せぬように拷問してくれる!!」

「待て待て、お前等!?俺に拒否権は!?」

「そんなものない!」
「そんなものないわ。」

意志も取り上げられないまま、勝手にゲームの駒にされてしまう俺と優華。
やるせない気持ちにため息が出てきてしまう。
…そして、時は流れて就寝前。
一人用のベッドで3人、川の字になって布団に入る。
ベッドの足がもつのか若干不安だったが、思った以上にベッドは頑丈で3人の体重をしっかり支えていた。
俺の右隣には優華、左隣にはリザ…、それにベッドが狭いのでお互い常時密着状態。
どう考えても眠れる気がしない。
それどころか女の子特有の甘い匂いでクラクラしてくる始末。
しかも、この状況になった原因の片割れであるリザはというと…。
布団に入るや否やぐっすりと眠りこみ、俺の膝にしっかりと右脚まで乗せていた。
コイツは勝負する気があるのか、本当に疑わしくなる。

『ね、環人くん。』

優華が俺の肩を揺さぶり、小声で呼びかけてきた。
邪念を消すために仰向けで電球を見つめていた俺は、一度彼女の方向へ顔を向ける。
もう既に優華には角も羽根もなければ、尻尾もない。
薬の効果が切れたため、彼女の姿も元の人間の姿に戻っていた。

『どうし…ッ!?』

顔を横に向けた途端、優華の顔が目前にあって驚いてしまう。
くりくりとした愛らしい彼女の瞳には、鏡のごとく鮮明に俺の顔が映っていた。
目と目が合った事で急に気恥ずかしくなり、不自然に視線をはずす二人。

『ね、ねぇ。』

『お、おう、どうした?』

『…今日はありがとう。無理言ってごめんね?』

『いや、無理なんかじゃない。むしろこんな事になって俺が申し訳ない。』

『そんな事ないよ…。その、えと…。』

『ん?』

『ありがとう。』

『え、俺何もしてないぜ?』

『ううん、環人くんって優しいなぁと思っただけ。』

『バカ、褒めても何も出ないぞ。』

『くすくす。』

『あははは。』

「んぅ〜〜〜、ワット〜〜〜!!!」

ビクゥッ!!??
いきなりのリザの声に俺と優華の身体が強張る。
まさか…、起きてしまった…?
俺達は身を縮こまらせ、寝たふりをしながらリザの様子を伺った。

「むにゃむにゃ早く夕食の支度をせぬか…、まったくどうしようもない…。」

コイツ、夢の中まで俺をこき使ってやがる。
その寝言を聞いて優華は声を殺して笑っていた。

『まったく…アイツは…。』

『リザノールさん面白い。くすくす。』

『優華も笑うなよ。』

『ごめんごめん、つい面白くて。そういえば、環人くんには話してなかったよね?私の高校時代の話。』

『そういえば聞いたことないな。』

『環人くん、私と大学で始めて会った時どう思った?』

『ん?そうだな…、とりあえず可愛いとは思った。まあ、最初の有純と雪広のやりとりが衝撃的だった分、そっちのほうが鮮明に覚えてるが…。』

『くすくす、そうそう。有純がいきなり雪広くんのお腹にパンチ入れたのね。』

『まあ、あの時は優華にちょっかい出してたアイツが悪いんだけどさ。それからだよな、有純と雪広が幼馴染同士だって知って、俺達で遊ぶようになったの。』

『うんうん。』

『でも、会う前から優華のことは何度も雪広から聞いていたよ。すげぇ美少女で、高校でもモテまくってたって。』

『そう…。うん、そうなんだけど…。』

『ん?』

少しためらうような表情をした優華。
だが、再びにこっと柔らかい顔つきに戻って話し始める。
その笑顔とは裏腹に、口で紡いだ言葉はとても重々しかった。

『実はね私、女子からは避けられていたんだ。』

『え…?』

『男子からするとモテるってすごいと思うだろうけど、女子だと真逆なのよ?』

『そうなのか?』

『うん。少しでも気を抜いてラフな格好をすると、好みの男子がいないもんだから適当にやってる、とか言われるし。逆にファッションに気を使えば、男子に色目使ってるって言われるし。』

『うわぁ、女子って大変だな。』

『それだけじゃないのよ。○○は自分の彼氏なんだから近づくなーとか、何もしてないのに栗原さんって男癖悪いとか。冗談じゃないわ、私はデートすら一度もしたことないのに…。』

『へぇ、そうなのか意外だ。あれだけモテるから、てっきり。』

『どうしても怖くて…、クラスの中にいると恋愛なんてできなかった。何で好きだった男子を横からいきなり現れてとっていくの、とか言われそうで怖かった。』

『まあ、確かに。そんな状況で恋しろってほうが無理かな。』

『そんな中でも、ずっとずっと仲良くしてくれたのが有純なの。一度、私をいじめようとした女子と喧嘩したり。』

『有純は義理堅いヤツだからな、竹を割った性格というかなんというか。でも、いいヤツであることには間違いない。』

『そうね。私は本当、有純には感謝しているわ。』

『たまにその義理堅い性格で暴走するけどな。』

『くすくす、そうね。』

『雪広も今ではああだけど、普通にしてればそれなりにモテるんだぜ。』

『そうなの?』

『ああ、雪広宛てのラブレターを俺経由で渡すように頼まれることがあったからな。だけど、アイツってああだろ?長続きしないんだよ。』

『へぇー。雪広くん顔は格好いいもんね。』

『そうだな。顔は良いんだが…、あの性格さえどうにかなればなぁ。』

『くすくす。あ、でも有純ってとても女の子らしくて、かわいい所もあるのよ。』

『へぇ、そうなのか。』

それからどれくらい時間が経ったのかわからないほど延々と色んな話を続ける俺達。
気が付けば優華がすーすー寝息を立てていた。

『やれやれ…、緊張の糸が切れたのか。』

そう冷静に言っているように見えるが、実際俺自身もかなり緊張していたのだろう。
今になってようやく、睡魔が襲ってくる。
俺はその睡魔に身をゆだね、ゆっくりとした浮遊感のまま眠りについた。
結局勝負はリザの勝ち、俺達二人の間には何も起こらなかった。
でも優華の意外な過去を知れたのはこういう機会があったからだと思う。
今まで驚くほど平坦な人生を歩んできた俺には、他者のそういう経験など今までどこか俺達からは遠いものだと考えてたからだ。
そして、つくづく仲間がいるって良いことだなと気づく。
反面、改めて自分の小ささ、ちっぽけさを思い知ったのだった。


    8


ピンポーン。

雀の鳴き声をバックコーラスにチャイムの音が鳴り響く。
それが俺の今日の目覚まし時計の代わりだった。
どろどろに溶けたような意識をまとめながら目を開けると、目の前に唇があり心臓が一度飛び跳ねた。
慌てて飛び起きた俺はベッドから立ち上がり状況を確認すと、俺の向いていた方向とは逆方向にはリザがいる。
そうか…、昨日勝負の結果がこうだったな…。

ピンポーン。

あ、やべ。そういえば来客がいるんだった。
さすがにパジャマのままで出るわけにはいかず、アルブムさんが来た時と同じようにコートを羽織って下へと降りる。

ピンポーン。

「はいはい、どちら様ですかー?」

「朝早くに申し訳ない。ここは黒澤家であっているだろうか?」

「はい、そうですが…、どちら様で…」

ドアを開けた瞬間に俺の口からは言葉が止まった。
玄関に立っていたのは驚くほどの超美人。
サラサラした銀色の髪が風になびいており、凛とした瞳がまっすぐ俺をとらえている。
一言で表すなら『高貴』。
立っている姿だけでプレッシャーを感じてしまうほど、平民生まれ庶民育ちの俺とは遠い存在だと感じさせる気品があった。

「はじめましてだな、ワット。ワタシはエリス・エルミリア。妹のリザノールがいつも世話になっている。」

「あ、え…。は、はじめまして。って、リザノールのお姉さん!?」

「すまぬが、ここに父上は来ていないか?」

「え、あっ。アルブムさんですね、来ている…、いえ来ていますよ。」

「やはりか、やれやれ困ったものだ。」

「と、とにかく外で立ち話もあれなんで中へどうぞ。」

「すまぬ、失礼するぞ。」

今まで傍若無人なタイプしか見てこなかっただけで、貴族とは実はこういうものなのかもしれない。
その一挙一動が流れるような美を体現している。
ボキャブラリーの乏しい俺にはその程度の表現しかできなかった。
自然と足が速くなり、キッチンでお茶の準備をする。
しかも普段滅多に使わない、来客用の高級な紅茶を出していた。

「かまわないよ、ワット」

「い、いえ!少々お待ちを!あ、椅子…。」

「ふむ。では、言葉に甘えさせてもらおう。ここに座っても良いか。」

首を縦に振るしかできない自分が情けない。
自然と言葉を正さなきゃならなくなるような奇妙な威圧感…。
もちろん相手に敵意などはなく、物腰もやわらかである。
しかし見上げるほどほどの高い壁の上に彼女が立っているような感覚を覚えた。
身長も俺と同じぐらいのはずなのに、彼女の体が一回り大きいように見える。
数分後、紅茶を作ってエリスさんの元へ運んだ。
ひさしぶりだよ、紅茶を蒸らすためのポットカバーなんて使ったの。

「これ、紅茶です。」

「はははは、そんなに固くならなくても良い。では、紅茶を頂くとしよう。」

「本日はどのようなご用件でしょうか?」

「うむ、今日は…。いや、その前にまずは…。」

エリスさんが一度指を弾くと高そうな包装紙に包まれた直方体の箱が俺の前に現れる。
サイズは長さはあるものの手の平におさまるぐらいで、なんとも言えない荘厳な雰囲気を醸し出している。
封蝋がされた箱なんて初めて見たぞ。

「これはいつも妹が世話になっている礼と、今回父上が迷惑をかけたお詫びだ。大したものではないかもしれないが、どうか受け取ってほしい。」

「い、いえ!ありがとうございます!」

「要件というのは、父上を引き取りにきた。」

「え?アルブムさんを引き取りに、ですか?」

「うむ。恥ずかしながら父上と母上が大喧嘩をしてしまって、父上が家を飛び出したのだ。」

どうにも怪しいと思ってはいたが、魔王様からの命令というのはやはり嘘だったか。
思った以上に情けない理由で、ため息を禁じ得ない。
夫婦喧嘩の末に娘のホームステイ先に逃げこむ父親。
俺はこうはなるまい、と心に固く誓った。

「なるほど、それでうちにですか…。喧嘩の理由は何ですか?」

「さあ、わからない。大方、話にする必要のないほどくだらない事であろう。」

「では、今からアルブムさんを呼んできますね。あとリザ…、リザノールさんも。」

「ああ、そうしてもらえると助かる。」

俺はもらった箱をポケットに入れて立ち上がり、小走りで階段を上がっていく。
すると階段の中腹付近に優華とヴィオルミナちゃんが立っていた。

「あ、二人とも。悪いけどちょっとお客さんが来ちゃってさ。」

「はいはい、わかってるわよ。あれ、リザの姉でしょ?」

「き、綺麗な人だなぁ。へぇ。あれがリザノールさんのお姉さん…。」

「なんだ、ヴィオルミナちゃんは知ってるのか。」

「当り前よ、リザノールはいいとしてあの人だけは敵に回す勇気ないわ。」

「そんなにすごい人なのか?」

「まさに君主の器って言えるわね。エルミリア家きっての才女として魔界でも名が知られているわ。まあ、あの姉が出てきたってことはヴィオが首突っ込むような話じゃないわね。帰るわよ、優華。」

「え、でもこんな恰好じゃ…。外歩けないよ」

「心配いらないわ、魔法で瞬間移動させるわよ。ほら、つべこべ言わずに行きましょ。」

「あ、じゃあ環人くん。また休み明けに、大学でね。」

そうしてヴィオルミナちゃんが手を叩くと、二人の姿がふっと消える。
目の前で起きた事が信じられず、一度目をこする。
本当に煙のようにこの場からいなくなってしまった。
二人のいなくなった階段を抜け、まずは俺の部屋でリザを起こす。
寝てる姿こそは良いものの、リザはベッドの中心へ移動し占領するような形で眠っていた。

「おい、起きろ。」

「…んぅ。私はまだ眠いぞ、グングニルのイベントは明日であろう。」

「起きろ、リザ。」

「嫌だ、まだ眠いと言っているだろう…。」

「お前のお姉さんが来ているぞ。」

バッ!
その言葉を聞いた途端、まるでバネのように跳ね起きるリザ。
俺の横をあわただしく通り過ぎて、階段を下りて行った。
一目散とはまさにこの事である。
リザのいなくなった俺の部屋を後にして、次は親父の部屋へと向かう。
そこにはさっきのリザとまったく同じ寝姿のアルブムさんがいた。
親子揃って…、ってそういえばリザもアルブムさんもエリスさんの家族だった。
うーん、って事はあの二人とエリスさんって血がつながってるんだよな。
確かにエリスさんとアルブムさんは銀髪で、顔の系統としてもまさにクールって感じの顔である。
やはりエリスさんは父親似だろう、ということは金髪のリザは母親似なのか。
何故かリザの家族と再認識した瞬間、ちょっとした安心感を覚えた。

「アルブムさん。」

「うぅ…、うるさいぞワット…。」

「アルブムさん、娘さんが来ていらっしゃいますよ」

「お、おお。リザか。」

「いえ、違います。エリスさんです。」

バッ!
先ほどのリザノールの反応とは対照的に布団を頭まで被って、丸くなるアルブムさん。
気のせいか、小刻みに震えているようだ。

「ワット、いないと言ってくれ!今!ワシはこの家にいない、と!」

「落ち着いてください。もういるって言っちゃいました。」

「ならば、出かけていると言え!そしてこの部屋には絶対エリスを入れては…。」

「そんな事だろうと思いました、父上」

「ヒィッ!」

部屋の入り口にはエリスさんが立ってる。
その傍らには満面の笑顔のリザも。
アルブムさんは顔を布団からちょいと出し、目を剥いてエリスさんを見ていた。
女の子じゃないんだから、そんな事しないでほしいと思うのは俺だけではないはず

「さ、父上。帰りますよ。」

「い、嫌だ!ワシは帰らぬ!ここでリザノールと一緒に暮らすんだ!」

「母上が怒っていますよ?」

「それを聞いたら尚更帰るわけないであろう!い、いいから早く帰るのだ!」

「私も怒りますよ?」

「…頼む。見逃してくれ…、後生だ…。」

「父上。」

「わかった!わかった…。くそ、屋敷には帰りたくなかったぞ…。」

とても重い足取りでベッドから立ち上がり肩を落としている。
まるで売られていく仔牛のような視線が俺とリザを交互に捉えていた。
リザはそんな父親の視線に気づきもせず、笑顔で「父上、また来てくださいね〜」と手を振る。
そうしてエリスさんに促されるまま親父の部屋を後にしようとした、その時だった。

ピンポーン

「遅かったか…」

「ヒィッ!」

チャイムの音が家中にこだました。
その音を聞いた途端、顔を青くしたアルブムさんが再び親父の部屋のベッドへともぐりこむ。
エリスさんは眉間を指でおさえ、小さく「やれやれ、参ったな」とつぶやいた。
俺は客人を迎えるために急いで下に降りていく。
横には何故かエリスさんとリザも一緒についてきていた。
俺がドアを開けると、そこにはウェーブのかかったロングヘアーの女性が立っていた。
風になびく様子は黄金の絹糸でも見ているかのような美しさである。
服装も白と金を基調とした派手さの少ない上品なドレスと驚くほど整ったボディライン。
何よりも印象的だったのは、柔らかな笑顔と全てを包み込んでくれそうな優しい雰囲気。
この見た目だけですぐにわかる、この人がリザとエリスさんの母親なのだ、と。
リザの母親の後ろには端正な顔つきのショートカットの金髪女性がいる。
こちらは活発な印象を与える見た目だが、髪色と顔立ちを見ると母親とリザノールにとてもそっくりである。
ということは、この人も前にリザが言っていたお姉さんの一人か。

「ごめん、エリス姉さん。母上を止めることはできなかった。」

「まぁ、仕方あるまい。むしろ、リリーナはよくやってくれた。そういえばユアナはどうした?」

「ユアナ姉さんは今外で認識阻害と防音・防魔の結界魔法をかけてくれているわ。」

「うむ、助かる。」

「リリーナ姉様!おひさしぶりです!」

リザはショートカットの女性、リリーナさんの胸へと飛び込む。
飛び込んできたリザを受け止め、少しくすぐったそうな笑みを浮かべながらリザをなでていた。
その姿を見ていると、本当に仲の良い姉妹なのだなと実感した。
すると、リザノールのお母さんがこちらに向かって微笑みかける。
母の様子を見たリリーナさんも一呼吸おいて挨拶をする。

「クロサワ・ワットさんですね?お初にお目にかかります、ブリギット・エルミリアと申します。いつも娘の面倒を見ていただき、ありがとうございます。」

「アタシ…じゃなかった、私はリリーナ・エルミリア。エルミリア家の三女で、リザの姉です。よろしくお願いします。」

「あ、これはご丁寧にどうも。黒澤環人です。」

「今回はその上、主人が大変ご迷惑をおかけしてしまったようでして。本当に申し訳ありません。何とお詫びすれば良いのやら。」

「いえいえ、そんなに頭を下げなくてもいいですよ。こういうのには慣れてますので。」

美しい人に頭を下げられると何故かこちらが悪い事をしているような感覚に陥ってしまう。
それが人間離れした美しさであれば尚更そう感じてしまうのは無理もない話だろう。
ブリギットさんにもエリスさんとは違う気品が漂っており、柔らかなのに芯の通った美しさが感じられた。

「さて、主人はどちらに?」

「2階の親父の部屋ですね。あ、上がっても大丈夫ですよ。」

「では、お言葉に甘えて失礼致します。」

「母様!!」

「あら、リザノール。元気にしてた?」

「勿論だ!母様こそお身体はいかがでしょう?」

「ふふふ、私は元気よ。そうだ、父様のところまで案内してもらってもいい?」

「私に任せてください、母様!こちらです!」

リザはブリギットさんの手を引き、意気揚々と案内をする。
温和な顔を見ているとわからないが、何やら背後に黒いオーラのようなものが見えるような気が…。
母親の移動から目を離さぬようリリーナさんは後ろをSPのようについていき、一度こちらを振り返った。
そして何らかのハンドサインを姉に送り、エリスさんは小さく頷いて俺の腕を掴み、外へと連れ出す。

「ワット、すまぬがこっちへ来てくれ。今の母上はさすがに危険だ。」

「危険って、そんなにか?」

「ああ。家が破壊されたらその時は任せてくれ、エルミリア家の私財で何とかしよう。。」

「えっ、ちょ待っ。家が破壊ってどういう…。」

ドゴォォォォオオォォン!!

突然、二階の窓から火柱が生えてきた。
炎は屋根を突き破り、一度姿を現すとすっと消えた。
その轟音と光景の突飛さに目を丸くする俺。
果たしてこの騒動が終わる頃には、家の原型は残っているのだろうか。
その業炎が噴き出て開いた穴からは黒いぼろきれが落ちてきた。
ん?ぼろきれじゃないな、よく見ると手も足も…。
って、あれアルブムさんじゃないか。
落ちてきた黒焦げはまるで這ってくるように、俺の足元までやってきた。


「た、頼むゥ!ワット、こ、殺されるゥ!ワシを、どこか遠くへ、逃がすのだ!どこか遠くへ!」

「え、えと…、ずいぶん奥様おこってらっしゃいますね…。」

「エリスでもいい!は、はやくブリギットから逃がせてくれ!」

「無理です。そもそも原因はドラゴン堂のプディングを食べられた恨みと言いながら、母上のイエティ印のロールケーキを勝手に食べたからですよ。自業自得です。」

どうやら俺の家はロールケーキ一個のために壊されるみたいです。
普通なら笑えない内容だが、ここまで突飛だと清々しさを感じてしまう。
ため息まじりでアルブムさんの泣き言を聞いていると、彼の落ちてきた穴から優雅な動作でブリギットさんが降りてくる。
一呼吸おいて、リリーナさんとリザも降りてくる。
おお、こうして見るとリザの家族は現実離れしたように整った顔立ちだらけだな。
一人、涙と鼻水まみれだけど。

「あ・な・た?反省なさいましたか?」

「し、知らぬッ!元はお前がワシのッ、ひぃっ!」

ブリギットさんが払いのけるように腕を振ると、その軌道と同じようにアルブムさんの身体が家の壁へと突っ込んだ。
また一つ余計に開いた穴からは、俺の日常生活を過ごしていたリビングが見える。
というか、人の形に穴が空くなんてファンタジーの世界だけだと思っていたよ俺。

「もう一度、聞きます。反省なさいましたか?」

「い、嫌じゃ!ワシは何も悪いことなどぉうぉう!」

先程の穴の隣にもうひとつおまけとばかり、アルブムさんの人型がサービスがされてしまった。
ああ、さっき観念していればこの穴も開かなかったのに。
家の中に入っていたアルブムさんの身体は、再び外へと引っ張り出され家の玄関のコンクリを滑っていく。
反論したり抵抗する気力もないのか、ぐったりとうなだれていた。
多分死んでいない、多分。
ブリギットさんは無抵抗になったアルブムさんの身体をひょいと持ち上げると一度ぺコリと頭を下げる。
意外にパワフルなんだな、あのお母さん。

「はしたない所をお見せして申し訳ありません。」

「やれやれ、ようやく父上が大人しくなった。ワット、騒がせたな。この家の修理は我々に任せてもらおう。」

「母様!それに姉様も!もう帰ってしまわれるのですか!?」

「ええ、リザ。もう帰らないといけないわ、この人にもきっちり言い聞かせないといけないもの。それに、リザ。貴女もよ?」

「え?私も久しぶりの帰省ですか!?」

「あ、でも母上。リザノールは良いとしても、ワットくんはどうする?」

「リリーナ、決まっているだろう。今住む家を修理をするとしても時間がかかる。なので、ワットを客人として我が家に招こうではないか。」

「へ?こ、これからですか?俺が?今から?」

「そうだ、聞くところによると今日から三日ほど休日なのだろう?どちらにせよ、ソウジの事も話さなくてはならないからな。」

「親父!?親父に何かあったんですか?」

「まあ、その話は屋敷で話そう。少々厄介なことになってしまってな。」

驚いた表情を隠せない俺は、エリスさんに詰め寄るがこれ以上は話せないと断られる。
この調子じゃどうやら一回魔界に行かないとならないようだ。
いきなりの旅行と聞いて少し驚いたが、実の父親の危機となるといてもたってもいられない気持ちになる。
もう頭の中からは家の損壊などは吹き飛んでいた。
かくして平穏な日常の1ページは崩され、俺の魔界への旅行が決まった。
それが今までの人生において最も奇妙な珍道中になるとは、この時の俺は想像だにしていなかったのだ。




15/08/07 02:40更新 / アカフネ

■作者メッセージ
お久しぶりです。
アカフネです、今更ですが続編書きました。
プロット自体は昔から用意してたのですが、完成したのでUPした次第です。
皆様に喜んでいただけたら、これ以上の幸せはございません。

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