連載小説
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面と向かって大好きを
□■□■□

「お、おはよう、白水」
体を起こして、あいさつをすれば、英君が真っ赤になりながら返してきた。えへへ、嬉しい!
……ぽひゅー!!!!
私は沸騰している。うおぉん私は魔力発電機だ! じゃなくて!!!
うん、キス、されちゃった。もこもこと私の中で記憶と感触がよみがえる。私は『一緒に添い寝してくれる幼馴染』なんて理想に当てられてぐっすりだったのだけれども。
だけれども。いやー。まさかね。
私は幸せを噛み締めるように、ぎゅっと目を強くつぶった。

キスで目が覚めるなんて眉唾だよ英君! 私はお姫様か何かなの!?

つまるところ、ばっちり起きちゃっていたのだ。うにゃぁっ!! 
……英君すごく、その、めちゃくちゃ気持ちよかった、です。初めて、とか、技巧が、とかじゃなくて。その。
ただただまっすぐ私を見てくれて、欲しくてたまらないと私を、見てくれて。それが、何よりも何よりも気持ちよかった。
一回別々の学校に行ったんだよ。普通はそれだけ離れてれば、どこかで太陽のような子を見つけるものだよ、英君。熱い吐息が漏れる。大好き、好き、英君。
ふるふるっと体が震えた。きゅうっと熱が集中する。
そして、気付く。私、今、英君の前。ひ、ひひひ1人で身悶えしてた!?
肩を抱いて悶々としていた私の姿は、おそらく外から見て事後っぽく見えなくもない。
ひゃぁぁっ! 恥ずかしい! 私はばんばんと毛布をばんばんと毛布をばんばんと叩いた。何か何か何か、言わないとっ!
「英君英君、もうちょっと、英君、一緒に、寝よ?」
ごまかすように首を傾げながら私はにこっと笑った。毛布をちらっとめくり、隣の少しへこんだスペースを撫でる。そうこうしている間も私の頬は火照りっぱなしだ。きっと顔はまっかっか。
「ほらほら、空いてるから」
「――!?」
さっきまで気まずそうな顔だった英君の顔に血の気が戻ってくる。いや、ちょっと戻りすぎ?
口をパクパクさせながら顔を真っ赤にさせる英君。あははは! おそろい!
「ば、馬鹿やろっ! お、さな馴染とはいえ、俺は男、だぞ」
私の肩をゆさゆさと揺さぶりながら言って、はっとする英君。そっと手を離すと、そっぽを向いた。少し唇が震えている気がする。
もしかして、多少強引にやっちゃったのを申し訳なく思ってるとか。……うむむむーどうだろう。とりあえず、私は流されてくれなかった英君に頬を膨らませた。
そして、目を逸らしたんだけれども、英君はなんかあたふたしている。むむ、私が気になる?
そんな様子が少し前の私の慌てっぷりに重なって、やり返した感がある。にへへ。そらそらどきどきしろー。私がどきっとした分だけどきどきしてしまえー。
にへらと私は笑う。ほっぺたが溶けたかのように締まらない。幸せ。
「へくしっ」
「ほらほらくしゃみなんてして〜。ほら、こっち来たら暖かいから」
「おまっ!? 寝ぼけて頭の芯までぽけぽけしてやがんのか!」
「こないならこうしてやるー。うりうりー。えへへへ、英君の匂い」
「ばっ! 何やってんだ」
私がうつぶせになって英君の枕に顔を擦り付けると慌てたような声がした。うん、英君の言う通り、私の頭は若干おぴゃっとしてるのかもしれない。でも、そうなってしまうくらい今が幸せだった。
「おりゃっ」
「おびゅ」
両脇に手を差し込まれ、私はお好み焼きみたいにひっくり返された。目と目が合う。
英君は日本人らしく黒色で艶々な目をしている。飲み込まれてしまいそう。息が止まる。笑みも止まる。
私は、その唇に口付けをしようとして、まずは抱きつくために両手を伸ばした。
しかし、その手はすかりと空を切る。英君が少し身を起こしたからだ。私は空気を抱き締めた。
もう一度、と手を伸ばす。
「何してんだ?」
呆れたような顔で英君は私を見る。
……私はキスをしたかった。なーんて、言えるわけがない。私はむっと口を一文字に結んでむくれた。
「起こして」
私はそっと目を閉じる。
1、2、3。聞こえるのは私の跳ねる心臓の音、英君の呼吸。時計の音は聞こえない。私の胸だけが長く、長く、時を刻む。
その間、私は古き良きホラー映画のゾンビのように手を伸ばして待つ。待つ。待っている。待っている。待っている。待っている! 遅い!
あれ、なんか前もこんなこと言ったような。
「遅ぉぉぉ――わぶっ!」
目をかっと開けて叫ぼうとしたらおでこをつんと突かれた。
びっくりして涙目になってしまった私を見て大笑いする英君。文句を言ってやろう、と頬を膨らませて、口から空気を抜いた。なんというか、毒気が抜けた。
――ようやくいつも通りの英君になったような気がして。

まーいつも通りって言っても、何年も前の英君のいつも通りだから、うむむ。当てにならない。でもでも、とにかく、なんか、変な気負いとか負い目みたいな言葉に出来ない何かが消えた気がして、ほっとする。
そんな私を見てか、英君の頬が緩んだ。
……私の顔、緩みすぎてないよね、英君。大丈夫だよね、ね、ねっ。
ところで、何か忘れている気がする。なんだろ? にゃぁ! 分からぬ。
分からないことはもういいや。私は適当に放り投げ、思考の海に潜る。気分はプロダイバー!
そういえば、本当に久しぶりにこうして英君と話している気がする。
だって、こうしてずっと好きでいてくれたって、知らなかったし。学校では違うクラスだし。部活同じだし。でも、そんなに合わないし……あれ?何か引っかかる。うむ、うむむむむむ。
「ぎゅむ?」
人目をはばからず、眉を上げ下げしていた私だが、固まった。なぜか? それは英君の手でほっぺたをサンドされたからだ。英君の手は、ややごつごつしてて、暖かくて、そして、いい匂――
――じゃなくて、なにこれ! 何これ!? なにこれ!!!!
私は目を白黒させた。英君の右目を見て、左目を見て、また右目を見て、ぱちぱちと目をしばたいた。なにこれ!
私はされるがままほっぺたを両手で包まれてて、うにゃぁ! 顔、近い! そして、すごい真顔! 真顔で私の顔見てる。
……もしかして、嫌われちゃった? 嘘! うそぉ! 確かに英君の部屋にいきなりダイブしちゃったけれどさ!
そう考えると、ぞくぞくっと鳥肌が立った。やだやだ、嫌われたくない! 折角私の変身を通して相思相愛って分かったんだし。
変身? 変身。あ! まだ変身解けてない!
体に触れる感覚から、今着ている物は、パジャマだと気付いた。自分の身を包む、もこもこなパジャマ。ならば、英君はまだ私を理想の彼女と思ってくれているはず。
なら、何で――

――ああああああああああああ!!!!

変身っ! 変身解けてないっ! 
私魔物の姿のまんま! 本性! なるほど、今の私は白い肌、赤い瞳! って、あはは、心の準備とかやばい?
心臓がばくばくする。どきどきする。そして、耐え切れなくなって、ぎゅうっと目を閉じた。何を言われるか分からない。英君はきっと私を傷つけるようなことを言わない。それが、なんとなく心にあっても、怖かった。
……こつん。
「あうっ」
「そんなに目を閉じて震えてもキスはしてやんねーぞ」
英君は私の頭にかるーくチョップをしたみたい。方頬についていた手が離れている。
きす、キス、きっす。にゃぁぁぁぁぁっ!! けち! さっき寝てる私に一方的にしてきたくせにっ! 急に紳士ぶって! にゃぁっ!!
私の中で何かが沸騰して、熱が顔に上がってくる。ばばっと後ろに、いや、ベッドの上だからこれ以上動けない。というか、英君のキスで私、腰抜けちゃって――
――あわ、あわわわわわぁっ! 慌てて私は毛布を身に寄せてくるまる。もこもこもこもこもこもこもこもこもこもこもこもっ!!
「英君にキズモノにされた! 責任とって、か、かかか、彼女、に、し……て?」
「な、にそんな、冗談言ってるんだよ」
私が頭をさすりながら言うと、英君は一瞬だけど私以上にカチコチと固まった。そして、ぶんぶんと首を振ると、再び私の顔を覗いた。
「そうだった。その目、どうした? 顔も、なんか蒼白いし」
そうだった。それだ。忘れてた。
きょろきょろと何かいい言い訳がないか思考と一緒に目も動く。脳内にも、英君の部屋にも、いいものは落ちてなかった。口が渇く感覚。私の喉が塊のようなつばを飲み込んでごくりと鳴る。
「え、えっと、これはね、英君、聞いて――」
「あ、そうか」
分かったの!?
唐突に英君が納得したようにぽんと手を叩いた。そして悪戯っぽくにっと笑う。
あ、やっぱり英君のこの顔、好き。じゃなくて!
私は身構えた。英君、何が分かったの!
そんな気が気でない私に対して、英君はじっと視線を飛ばしてくる。やめて、溶けちゃう。
覚悟は、決めた。全部ぶちまけよう、ぶちまけよう。今まで黙っててごめんね、私は――
「白水。おまえは――」
――ドッペルゲンガー。魔物なんだ。
「――新しい劇で何かいい役、当たったんだろ! な!」
「そうなの、英君。私は新しい劇で――え?」
え?
「それ、カラーコンタクトだろ。ほら、うちの演劇部、リアリティを求めるから」
「え、英君、その、違」
「それにしても、コンタクトをつけっぱで寝るってのは良くないぞ。というか、いくら幼馴染でも異性の部屋に侵入するんじゃないって」
「あ、あはは、そうだね」
私は全部ぶちまけようとした出鼻をくじかれて、流された。人間――いや、私は魔物だけど――は予想外の展開が起きると、言葉って飛ぶのもんだね。
はぁ。私は軽く息を吐いて肩を落とした。
「……やっぱり元気がなさそうだな。その顔の白さは何だ? 久々に会ったとはいえ、俺は、幼馴染だ。相談に乗るし、も、もし必要なら、出来る限り、助ける」
その言葉は、私の胸にすっと溶けた。じわりと胸が暖かくなってくる。私は、私は。私は――
――勇気を振り絞ってみる。流されるのは、嫌だ。
「英君、聞いて」
私は、英君の目をじっと見つめ返した。そういえば、英君の目は、完全な黒じゃない。ほんの少し、色素が薄い。茶色に近い色。チョコレートとか、コーヒー豆とか、そんな感じ。あ、でも、英君は甘党だからチョコレートって言ったほうが喜ぶかな。私も甘いものが好きだから、甘い恋をしたいから、チョコレートがいい。
だめだだめだ、逃避しちゃ。ぱちりと一回瞬きをして、甘くてとろけそうな色の瞳に視線を合わせる。私の目が今、赤いのは演劇の役だからじゃないんだよ、英君。
「私は、私の目が赤いのは、演劇――」
の役だからじゃないんだよ。私は、魔物。人間じゃないの。えへへ、ごめんね、騙してて。
「演劇の役――」

きゅぽん。栓が取れた音がした。もしくは、奥歯に挟まった何か。喉でつっかえて出てこなかったもの。頭の中で迷子になっちゃった記憶。北海道じゃがいもコロッケ。
少し前に、引っかかると思ったことについて、ぶわっと光が溢れる。

「あああああああああああ!」

私は叫んだ。私の背筋にぞくぞくぞくっと鳥肌が立つ。そして、脳裏に浮かぶのは、千潮、先輩。演劇部。演劇部演劇部。演劇部。部活。部活部活部活部活部活部活!! 部活部活! 部活っ!
部室で千潮先輩がナイススマイルな感じ。滅茶苦茶、めちゃくちゃ、べりーべりーヤバイ。そして、先輩が気にしなくても、私が気にする。
「英君、着替え! 着替えっ! 部活!」
衝動のままに、布団を跳ね除けた。
英君は、目を白黒させた後、私の動きをトレースしたように固まる。
「ほらほら英君パジャマ、ぬぬぬが、ぬが、脱がないと!!!」
混乱した私は、勢いよく立ち上がった。抜けていた腰は、なんか、治った。
そして、英君の服に手をかける。引っ張る。取れない。匂いをかぐ。
「うわぁっ!? やめろっ!?」
英君はお好み焼きだと思って食べた物が、実はチョコケーキだったかのような声を出した。私はチーズケーキの方が好きだ。英君、生きて帰れたら一緒にケーキ食べに行こう。割引券持ってるんだ、私。
「パジャマが千切れる! 千切れるって」
引き続き英君の悲鳴。ホラー映画でゾンビに食われるモブのような感じ。英君、私もアンデッド型だから安心して! それに英君はモブじゃない、私にとっては主役のヒーローだよ英君! 私はポップコーンよりガトーショコラの方が好きかな。
「ズボンは、やめっ! やめてっ! だめだからっ!!」
英君英君英君。英君は英君。英君。英君英君。肩をがしっと掴まれた。英君、部活の帰り、ケーキ食べに行こう。今日は土曜日だから、少し混んでるかもだけれど。おすすめのお店あるんだ! すごく素敵なお店だから! ね、ね!

……。

ん?

「け、ケーキ屋に、いい、い、行く話、いいけれど――後ろを向いててくれ、頼む」
気付くと、英君は上半身裸。私は英君のズボンに手をかけていた。寝起きだからか、少し汗でしっとりとしている。添い寝した時も思ったけれど、やっぱりしっかりと筋肉が付いていて、かっこいい。そこまで考えて、底まで考えそうになって――

ケーキ。
ガトーショコラ。
ロールケーキ。
パウンドケーキ。
ベリータルト。
サブレ。
マフィン。
ショートケーキ。
スコーン。
ティラミス。
ミルフィーユ。
ミルフィーユ。
ミルフィーユ?
フランス発祥のお菓子らしい。ミルフィーユはフランス語で『千の葉っぱ』って意味なんだって。いつも私たちはミルフィーユって発音するけれど、本来の発音を書くとミルフイユの方が近いみたい。フィーユだとフランスの人には『娘さん』って聞こえるみたいだから、千人の娘さん? わぁ、すごいハーレム。あ、レシピだけれど、パソコンで検索するとケーキと違うのがよく出てくるんだよね。ミルフィーユ。何層にも重ねるような料理にミルフィーユってくっつける人が多いみたいで。サクサクッとしたパイ生地がおいしいよね。それに挟まる濃厚なクリーム。口の中できゅっと混ざって幸せな味になる。パイ生地の控えめな味、香ばしさとちょっぴり苦味。クリームはバニラがたっぷり入って甘〜い香りがする。口の中に入るとすぅっと満遍なく幸せが広がるの。本当に幸せ。作りたてはサクサクだけれど、時間が経つと、クリームの湿気をパイ生地が吸ってふんわりしてくる。しっとり柔らか。これもすごくおいしい。一度で二度楽しめる。素敵。初めて食べた時は、びっくりしたなぁ。切る時、そのまんまだと形が崩れやすいから、横に倒してから切ると上手くいくって。あと、そうすると、層になってるのが分かりやすいから目でも楽しめるね。コンビニでもよく売ってるのを見る。コーヒー味とバニラ味で層になってるのが多い気がする。イチゴとカスタードムースとかも。流石にサクサクしたままのパイ生地のを売るのは大変そう。
アップルパイ。
エクレア。
クレープ。
サバラン。
サントノーレ。
トルテ。
ババロア。
パルフェグラッセ。
マロングラッセ。
イエローケーキ。
砂糖。
砂糖。
砂糖。
糖蜜。
白砂糖。グラニュー糖。三穏糖。白ザラ。中ザラ。氷砂糖。角砂糖。黒砂糖。白双糖。中双糖。和三盆。赤砂糖。粗糖。顆粒状糖。
メープルシロップ。上白糖。グレナデン・シロップ。
オリゴ糖。果糖。グリコーゲン。アスパルテーム。スクラロース。アセスルファムK。サッカリン。サッカリンナトリウム。
ソルビトール。マンニトール。マルチトール。還元水飴。多糖類。単糖類。

ぶどう糖ぶどう糖ぶどう糖。ぶどう糖果糖液糖。

「――はっ! 英君、帰りケーキ食べに行こ――ってなにこのタオル!」
ふるふるっと首を振って、タオルを振り落とす。いつの間に被せられていたのか。なんでだろう、記憶が飛んでる気がする。えーっと。なんでだ。うむむむむ。
私は、記憶の戸棚を開けようとしたら、中からケーキが溢れてきたので、すぐに閉めた。多分、きっと、英君とケーキ屋さんに行けるのがとても嬉しかったんだろう、私。
うんうん、と頷き、それから背中にドライアイスが張り付いた。まずい! 部活!
「英君、早く着替え――もう終わってる!? いつの間に!?」
いつの間にか制服に身を包んでいた英君は、こちらを見ると、呆れたような顔をした。
「全く、固まったかと思ったらこれだ。相変わらずほっとけないな」
私から目を離し、勉強机の上にあったリュックのチャックを閉める英君。あれ? いつの間に着替えしてた? ん? まあいっか。
私は疑問を投げ捨てる。そして、飛び跳ねた。
「私も着替えないとっ! パジャマ――」
「なんて着てないだろ? そっちこそいつの間に着替えたんだよ」
そう言われて、私は自分の体をぺたぺたと触った。うん、私の体だ。それも人化ver。
血色の良い肌に、うちの学校の制服。まないた。
「う、うん、着替えてたみたい、あはは」
私はごまかすように笑った。魔物だっていう機会はなんか、逃してしまったみたい。
白い肌はやや暗かったから、見間違った。赤い瞳はコンタクトを取った。うむむむ。そう処理されちゃう、かぁ。空気的に、今以上に、スムーズに正体を明かせそうな時は、思いつかない。
でも、でもでもでも、私固有の問題か、種族柄か、今さら、言い出す、勇気は、出てこない。
「え、英君、早く行こ! 遅れると、あはは……」
ぎゅっと私は英君の手を握った。暖かかった。英君は私の手を振り払うなんてことはしなかった。ただ、困ったように、嬉しいように、くすり、と笑っだ。
こんなに、近くにすんなり入れるなら、今まで遠慮していた私が馬鹿みたい。なんて、思っちゃってもいいかな、英君。
後ろめたさを感じながら、私はにこりと笑った。
「あ、私英君の部屋に忘れものしたかも。ちょっと入っていい?」
「何を今さ――んんっ、大丈夫。俺は歯を磨いてくるから、取りに行ってていいぞ」
ある程度準備をしてから私がそういうと、英君は、洗面所を指差しながら快諾した。少し、無用心すぎる気がしないでもない。でも、まぁ、私が信頼されてるから、喜ぶべきなのかなぁ。
「分かったよ。 適当に磨かないでよ〜」
私は、繋がっていた手を離し、1人、英君の部屋に戻った。予想通り、ベッドの上に鏡が落ちていた。別名、マジカル的コンパクト。
窓からの光を受けて、きらりと光るそれを手に、私は数秒ぼうっと立ち尽くした。
コンパクトを開いて鏡を覗くと、そこには、やっぱり人化した私がいた。
「……やっぱり変身、解けてる、か。」
……試しに人化を解除しようとしたら、やっぱり、姿が変わる様子があった。『英君と一緒の部活をしている白水鏡華』という理想の姿ではない。そうだったら、寝てしまう前みたいに、どう足掻いてもその姿のままだし。
どうやら、パジャマ姿の理想が解けて、この家に来た時の姿に戻ったみたいだった。そうでなかったら、ここでも人化ができないはず。

いつの間に、変身が解けた? 最近は、魔力も、安定してきたはずなの、に。
そ、そそそ、それ、とも、私は、私、私は、私は、やっぱり私、英君の理想じゃな――
――ん?

私は無意識に、不穏な思考を新しく出てきた疑問で押しつぶした。

ふと、鼻に嗅ぎ覚えのある匂いが届いたのだ。……私の制服のスカートから。
大分薄くなってるけれど、この匂いは、うん、うん。確か、名前は、メルティ・ラブ? だっけ。魔界ハーブ!!!
私の制服にこの匂いが付いてるってことは! お母さんお父さんんん!!! 制服を干してるとこの近くで焚いたなぁっ!!
やけに突然英君が私にキスしたわけだよ! 英君はそんなに肉食系じゃないと思ってたよ! 私もなんかあたまぽわぽわしてたし。これのせいかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!! うううう、恥ずかしい思いしたぁっ!
ぼふんとベッドを叩いた。顔もうずめた。
……えへへ、英君の匂い。

……じゃなくて!!

私は飛び上がった。息を整え、英君の部屋の窓を開け広げた。諸悪の根源は換気! 私の決意は固かった。
……もし英君が私が起きた辺りに1度、換気してなかったら……。
ごくり、と私はつばを飲み込んだ。脳裏に、お母さんとお父さんの仲睦まじい姿が浮かび上がる。そして、事故で覗いてしまった夜の2人の姿も。
理性、飛んでたかもしれない。そしたら、私、魔物だし。

にゃぁぁぁっ!!! 帰ったら、お母さんとお父さんに文句を言おう! そう思った。でも、少しだけ、いや、物凄く、感謝したい気持ちもある。だって、きっと、恥も何もかも捨てて、好きな人を求めたくなるあのハーブのおかげで、上手くいった。会うのが、久しぶりだけれど、あまり気まずくならずにすんだ。

幸せだった。えへへ。

……興奮しながらぽふんぽふんと跳ねると、はらり、とピンク色の紙が床に落ちた。スカートに付箋のようなものが張り付いていたらしい。少し、硬めで、トランプのような感じでもある。さっきまで変身をしていたから、今の今まで取れなかったのだろう。
何だろう。
私はそれを手に取って、固まった。
『幼馴染君と、よろしくね。あなたの太陽、千潮陽子 PS・よろしくヤっててもいいけれど、心配するから連絡だけは頂戴ね』
きゅぅぅぅっと頭に熱が上ってきた。あれ、先輩この展開予想してたの!? うそ、私が英君を好きって気持ちばれてたの!?
英君にキスされたりなんだりした時とは違っためまいがした。
落ち着け私! と息を吸い込むと――
――魔界ハーブの匂いが……。
「ってこれが元凶ですか! なんてことを、先輩!」
お母さん、お父さん、疑ってごめんなさい!! あなたたちは私の憧れの節度あるラブラブ夫婦です!!
罪悪感もあるせいか、大分強く心の声に力がこもった。
そのままの勢いで、虫除けの網戸をがばっと開け放つ。胸に抱くは諸行無常。私は紙手裏剣のようにその付箋を投げた。
「ぐっばい! サヨナラ! シキソクゼクー!」
私はぜいぜい言いながら窓を打ち閉めた。
「すごい音がしたけれど、大丈夫か!?」
英君が音に釣られてやってくるのに、10秒くらい。なんていえばいいだろう。まさか、媚薬っぽい、いや媚薬そのものを部屋に充満させてました。今、その元凶を取り除きました。なんて言えるはずがない。幻滅されてしまう。……色々な意味で嫌だ!
「く、クモ! クモがいたんですよ。おっきいの! 逃がしたです!」
糸田さんごめんなさい。私は中学以来の親友に心の中で土下座した。
「そうか、ごめんな、怖かったか?」
英君は私が大きな音を立てたのは、クモが怖かったのかと思ったみたいだった。
い、いや、クモは怖くないよ! むしろ友達。
そう言葉を紡ごうとした矢先、英君に抱き締められた。ぎゅうっと。寝ながら抱き締めるのと、立って抱き締めあうのって、ちょっと感じ方が違う気がする。ああ、幸せ。
じゃない! 換気が不十分だった!? ちょっと待って、待って!
「部活! 部活に行かないと!」
行かないと、先輩たちから怒られるんじゃなくて、ヤったのかって弄られるのっ!! そんな勇気もまだないのに! 恥ずかしくて炸裂しちゃう!


恐怖のベクトルが若干平和な方向に変わった――もちろん自身にとっての脅威度は変わらないけれど――私は、必死で英君を引き剥がし、2人で学校へ向かうのであった。もちろん手は繋ぐ。

そして、陽子先輩に連絡をすることを忘れている私だった。
16/05/22 22:32更新 / 夜想剣
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■作者メッセージ
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

うむむむ、私、戦闘描写よりこういうのがサクサク書ける時期みたいです。
鏡ちゃん、書いているうちにだんだん頭がぱやぱやと侵食されてきてる気がします。
でも、こういう子みたいになるんだったら、多少抜けててもいいかなぁって思ったり。

感想をくださると嬉しいです。破裂しちゃいます!

それでは、今後も『私が私であるために』をよろしくお願いします。

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