ザザァ・・・・

なぜ人は悩み事があると海を見たくなるのだろう？
盆が過ぎ、秋の気配が迫る海は何よりも侘しいものだ。
鉛色の空は数週間前の夏の日を忘れてしまったかのようにどんよりと曇っていた。
辺りをそれとなく見渡す。
どうやら幸いなことに、僕以外の人はいないようだ。

「・・・・・」

僕は仕立ての良いジャケットの裏ポケットから精緻な細工の施された銀のシガレットケースを取り出した。ボタンを押すとパチッと小気味いい音とともにゆっくりと開く。僕は手慣れた仕草で中から両切りタバコの代表的な銘柄であるゴロワーズ・ブリュンヌを一本引き抜くと、それをトントンとケースに打ち付けてから口に咥える。古臭い、儀式ばった両切りタバコの吸い方だが個人的に気に入っていた。

シュッ！

同じくジャケットのポケットから取り出したカモメ印のマッチでタバコに火を点けると、葉巻に似た黒タバコ独特の芳醇な香りが漂う。両切りたばこは煙を肺にいれるものではない。ゆっくりと舌先で煙を転がすと国産のシガレットでは味わえない甘さを感じることができる。

「キミキミ！」

奥まった防波堤の終わりで男の声が響く。

「すみません！直ぐ消します」

喫煙を咎められたと思った僕は口に咥えた吸いかけのゴロワーズを手に持つと、座っていた防波堤のコンクリートに火口を押し付け火を消そうとした。

「そうじゃないよ。申し訳ないが此方に来てくれないか？あ、タバコは吸ったままでいいよ」

良く通る若い声。声から言って歳は僕と同じくらいだろうか？
興味を覚えた僕はその声のした場所へと足を運んだ。

「勘違いさせてしまってすまないね。本当はこちらのほうがゆっくりとタバコを味わえると言いたかったんだ」

そういう男は声から感じたように僕と同い年のように見えた。
男の座る場所は先ほどの防波堤と比べると、奥まっており道路からはタバコを吸う姿は見えず、また冷たい浜風を浴びることなく彼の言う通りゆっくりとタバコが味わえそうだ。

「世間では最近は喫煙者にとって肩身が狭くなってしまってね。私もこうして家族の目を盗んでコレを吸っているんだ」

男はそう言うと使い込まれて琥珀色に染まったメアシャム（海泡石）できた見事な彫刻が施されたベントタイプのパイプを見せる。彼が手にするパイプからはラタキア葉独特の正露丸にも似た香りが立ち昇っていた。

「この香りはダンヒルのマイミクスチャー９６５ですか？」

「キミも黒タバコのゴロワーズ・ブリュンヌとは珍しいね。あのゴールデンバットもフィルター付きに変わってしまった、このご時世に両切りタバコとは」

健康健全がことさら持て囃される昨今において、喫煙でも特殊な部類に属するパイプタバコや両切りたばこを好む人間はかなり少数派だ。故に、こうしてそれらを愛飲する同好の仲間を見ると、長年の友のように語り合うことができる。僕は趣味の話からこの海へは家族でよく遊びに来たことを話し、男も仕事でしているカキの養殖についての話や趣味の釣りについて語ってくれた。

「・・・・貴方はその・・・魔物娘についてどう思いますか？」

「何だい急に？」

「すみません。ご迷惑でしたか？」

「いや、そんなことはないよ。そうだね・・・・私の経験から言わせてもらうなら、彼らは人間よりも人間らしいな」

「人間らしい？」

「ああ、そうだ。人間誰しもままならないモノを抱えて生きている。そして人は私欲で人を容易く踏みにじる・・・・」

そう言うと男は目を瞑った。

「彼女は、いや彼女達はそういった人間のしがらみから逸脱した存在だ。死に瀕した人間を助けることはおろか、人の悪意に汚された人間すら生まれ変わらせることさえ可能だ。それこそ死んだ人間を蘇らせることも・・・」

男は海を見る。いや、海の向こうを見つめていた。

「以前私を助けてくれた彼女達にこう尋ねたことがある。なぜ対価を要求することなく私を助けてくれたのか、と。そしたら彼女達はこう答えたのさ。だってこの世界にバッドエンドは似合わないでしょ？って。笑顔で答えてくれたよ」

「・・・その魔物娘はいい人だったんですね」

「キミの場合はそうじゃなかったのかい？」

「いいえ、でも・・・・」

「でも？」

「僕は・・・・彼女の愛を信じられないのです。彼女は美しいし、何よりも僕が勤めていたブラック企業を買収することで僕のみならず苦しみ自殺寸前まで追い詰められていた会社の人間を助けてくれました。かわいくて優しいし、それに・・・」

「夜の方も積極的なんだろ？私のカミさんも魔物娘だからそのことはよくわかるさ」

僕は静かに頷いた。

「僕は今とても幸せです・・・・でも、その幸せがいつの日か奪われてしまうのではないかと恐れているのです。いや、もしかしたら彼女に捨てられてしまうのではないか。いつも不安で不安でたまらないんです」

「それで海に来たと」

「はい・・・」

「私が言えることはただ一つだけだな。君とその魔物娘がどういった関係かは知らないが、君はその悩みに対する答えを知るためにも彼女の隣にいるべきだ」

男がおもむろにアクリル製のマウスピースを咥えると、ボウルの中のたばこが赤々と燃え立ちゆっくりと紫煙を吐き出した。

「無論、キミが感じた感情も間違っていない。誰でも見知らぬ他人から使い切れないほどの大金をいきなり渡されて手放しで喜ぶことなんてできない。だからこそ、人はお互いをよく知らなければいけない、いや知ることを止めてはいけないんだ」

「知ること、ですか？」

「ああ。彼女達は人間みたいに金や地位、ましてや容姿なんて関係ない。その人、そのものを愛する。だからこそ、君は誇っていい。全世界の数多あるの男の中から彼女に選ばれたのだから」

「僕にそんな価値なんて・・・」

「そうとも限らないさ。後ろを振り向いてごらん？」

「え？」




私は彼を迎えに来た伴侶とともに車に乗る若者の後姿を見ていた。

「まさか彼の伴侶があの柘植グループの会長だったとは・・・・。道理でタバコに詳しかったわけか」

柘植グループは昔から喫煙具やタバコの輸入を手広くやっていたが、現会長である刑部狸の意向で外地産の葉巻も取り扱うようになり、それまで落ち込んでいた企業利益も右肩上がりだ。ただの若者が不安に思っても無理からぬ話だろう。

ザザッ！

「貴方！またタバコなんて吸って！娘が真似して不良になっちゃったらどうするの！！！」

そう言うと、波間から現れた私の伴侶である「クラーケン」のミストが私の手の中のパイプを引っ手繰ろうとする。

「ミスト、そうは言うがな。私なりに考えた結果、家族の迷惑にならないように陸に上がってタバコを吸っているんだが」

「駄目なものは駄目です！貴方の姿が見えなくなって、私ものすごく心配したんだから・・・・」

「ん？何か言ったか」

「もう知らない！」

彼女との出会いは数年前のことだ。

「・・・・食料も水もないか。つくづく嫌になるな」

その時、私は大海原を漂流していた。任務は爆薬満載のモーターボートで悪国「日本」の護衛艦を沈めること。それには帰還なんて考えられていないことは明白だ。任務を受けなければ一人きりの家族である妹は矯正施設送りにされる。妹のために私は任務を受けるしかなかった。

「エンジンは焼け付いてるし、後に残されたのは自決用に用意された型落ちのトカレフだけ・・・・」

カチッ・・・

私はマガジンに一発だけ弾が込められているのを確認すると、チェッカリングが施された歯車状のハンマーをコッキングしゆっくりと銃口を咥えた。こうすることで苦痛なく「終わらせる」ことができる。

「駄目！！！！」

海から飛び出した白い烏賊の触手が手の中のトカレフを弾き飛ばした。

「？！」

ドバッ！

海から飛び出した白い「何か」が私を抱きしめていた。

「駄目よ！死んじゃ駄目！！！」

―　魔物　―

「外地」呼ばれる別次元から到来した見目麗しい異形。その魔物が私を抱きしめていた。泣きながら・・・・。その抱擁は暖かく、俺は彼女の胸の中で泣いた。

「どうして死のうとしたのか教えてくれるかしら？」

ミストと名乗るそのクラーケンにこれまであった事全てを話した。彼女の端正な顔が怒りに染まっていく。

「・・・・いい方法があるわ。全てを終えられるいい方法がね」



数日後、私は祖国に戻った。一個師団規模の魔物娘を連れて。


「建国の父」と名乗る豚の銅像を引き倒し、党のスローガンを書かれた横断幕が引き破られていく。


通りには未婚の魔物娘に抵抗むなしく押し倒される兵士達。


時折、お祭りの爆竹のような銃声が聞こえるが鉛の玉なんぞ魔物娘達に効かない。


「おやおや〜興奮しちゃって。若いっていいわぁ」

私の傍らには魔力でその身をコーティングして陸地を歩けるようになったミストと師団を指揮するデーモンがいた。

「レームさんありがとうございます！これでこの国は救われます！！」

「あら〜？私はただのテロリストよ？」

「でも、レームさんの連れて来た彼女達はテロリストというにはあまりにも・・・」

レームが唇に指を当てる。

「私はテロリストのレーム、愚かな臆病者の仮面を剥ぐものよ。ただそれ以上のそれ以下でもないわ」

「レーム様、魔力爆弾の準備が整いました」

ミストがレームに告げる。

「さて、今宵のメインイベント、魔界堕としよ。心行くまで楽しんでね！」

レームの号令とともに首都の中心で黒い光が爆発し全てを覆い包む。故郷が魔界化することに思うところもないが、彼女が語るには魔界化することでこの地を欲する国から皆を守ることができるとのことだ。確かにそうだ。魔界化した土地を欲しがる国なんてない。魔物達が抵抗したら対抗できる国なんて無きに等しいのだから。
妹はミストと同じクラーケンとなり日本へ移住した。なんでもある一匹狼の漁師に惚れているらしい彼女は、彼女なりに自分の幸せを探している。兄としてそれは嬉しい。

「さて帰りますよアナタ」

「愛してるよミスト」

「ええ。私もよ」

私は古い軍用の防水ケースにメアシャムパイプを仕舞うとミストの手を取り海に向かった。
愛に満ちた暖かな水底へと・・・・。

■作者メッセージ
ゴールデンバットをフィルターをした奴出てこい！！パロスペシャルかけてやんよ！！