連載小説
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26
──ある時は、キスをされた。何も無しに、ただキスを。

「ちゅぷ……ふふふっ♡もう一回キスしたいのかな?それじゃ、ボクの好きなところを上げてごらん?」

「くすっ……♡別に一個だけでも良かったのに……♡♡ご褒美として、言ってくれた分だけキスをしてあげよう……♡♡受け取り拒否は許さないよ……♡♡」

その不意打ちの一回が、あまりに甘美で、唇と唇が触れ合う感触に、舌が優しく絡まる感覚に、心を奪われ……それが終わった後も、ぽぉっと惚けて、微笑む表情をただ見つめることした出来なかった。
そして、頼まれるがままに、好きな所を、一つ……二つ、三つ、四つ……と次々に上げたところで、にぃ……と満足そうに笑いながら、顔が近寄って……蕩けるような時間を過ごした。

次も、その次も、筆舌に尽くし難いほど、愉しい日々を過ごして、意識を落として……



「おはよう、お目覚めはいかがかな?」



ハッと目が覚めた時には、ベッドの上だった。どこかの良さげなホテルの一室。
その鈍色の髪が帳のように外界と自分達を隔てており、彼女の顔しか見えない。薫の顔しか。

「あ、あぁ、おはよう……ぐっすり眠れたよ」

「ふふっ、それは良かった……」

あぁ、いつ見ても慣れない。ドキドキと慄いてしまう。あまりのカッコ良さに、美しさに、妖艶さに。

「さて、突然だけど、今日が何月何日かは知っているかな?」

今日は……何日だっただろうか?
昨日が金曜だったのは覚えている。そうだ、縁起の悪い13日の金曜日だなと話題に上がって、それを題材とした有名な映画があって……なんて会話をした。
あれから一晩しか経って無いと考えたら……

「そう、今日は3月14日……あの時から一ヶ月が経った記念日になるね」

ホワイトデー。
あのバレンタインから一ヶ月。まだ、一ヶ月なのだ。もう、数年、いや十数年は経っていてもおかしくないほど……弄ばれた気がする。

「はぁー……まだ一ヶ月さ、君とボクが深い関係を結んでから一ヶ月……♡ふふっ……♡楽しみがまだまだ沢山あるね……♡」

辛抱たまらないという様子で、ギュッと抱きしめられ、身体に柔らかい感触が押し付けられる。
互いの熱が混ざり合う、ただそれだけで、こんなにも幸せに満ちてしまう。

「そして今日もあの時と同じ土曜日……せっかくだから、ちょっと趣向を変えようじゃないか」

そして囁かれる提案。

「あの時のように、待ち合わせをしてみないかな?その後は、一日中遊び回って、最後はお酒を嗜んで……くくくっ……♡♡」

「あぁ、今回はどうなるのかな?楽しみで仕方ないなぁ……♡♡」

愉しみを嚙み殺し、絞り出したかのような声色が、鼓膜を揺らす。
これは、捕食だ。捕食されるのだ。フルコースを堪能するように、一日をかけて、ゆっくりと……
あぁ、プレートに乗ったご馳走を見つめるような目を、こっちに向けないで欲しい。薫に弄られた全身が、疼いて仕方ない。

そして、ルームサービスで届いた……スープとバケット、ジャム、それに薫が淹れた紅茶を添えて、朝食を取った。
その後は、軽く身支度をして……先に、俺が待ち合わせ場所に行くことになり

「身支度は出来た?寒くはない?」

「それじゃ、また後でね、いってらっしゃい♡」

ネクタイを締め直され、見送られながら部屋を出た。
まるで夫婦のような甘いやり取り。ニコニコと手を振っていた、あの姿が……たゆたゆと揺れていた胸が、優しげな声が、愛おしい。

待ち合わせ場所へと歩んでいる間も、彼女のことで頭がいっぱいで

待ち合わせ場所に着いても、薫のことばかり考えていた。
今日はどんなことをされるのか、どんな表情を向けてくれるのか。

……まだ、伝えられていない、とも。
俺から伝えるには……おそらく、賭けに勝たねばならないのだろう。

でも、それを防ごうとする彼女の気持ちは理解できて……あぁ、こんな歪んだ相思相愛があっていいのだろうか。

一刻も早く会いたいという気持ちがはやり、数十秒ごとにスマホで時間を確認してしまう。

あぁ、長い。こんなにも一分一秒が長いとは思わなかった。俺は今までどうやって生きてきたのだ。
早く顔を見たい、声を聞きたい、手を繋ぎたい、抱きしめたい、イタズラされたい、談笑したい、したい、されたい……

「あの〜」

逡巡していた所で、耳に入ってくる聞きなれない声。
その声にハッとすると、目の前には……リクルートスーツ姿の若い女性がちょこんと立っていた。バインダーを片腕で抱えながら。

「あっ、はい、なんでしょうか」

「突然すみません、私、今、お勤めの成人男性を対象としたアンケート調査をしておりまして」

「少しばかり、お時間頂戴してもよろしいでしょうか?」

どうやら、稀に出会う街頭アンケート的なのらしい。
こういうのは悪徳な商法に繋がることもある……という噂だが、土曜の寒空の下、健気に頑張って、声をかけてきたのだと思うと、どうにも冷たくあしらう気にもなれず

「えぇ……連れが来るまで、であれば構いませんよ」

愛想笑いを浮かべて、了承してしまう。
……まあ、待ち時間の紛らわしには丁度よいかもしれない。

「ありがとうございます。それでは、まずは、ご自身の年齢と、社会人としての経験年数について、当てはまる所にチェックを入れて頂けませんか?」

そう言われて、差し出されたペンを受け取り、向けられたバインダーに乗ったアンケート用紙に記入を……

しようとした所で、ふわり、と後ろから心地よい香りが漂ってくる。
柑橘系の爽やかさの奥に……ミルクのような甘さとキノコ?のような芳香を感じる、あの匂い。

ソレを脳が知覚したのと同時に、後ろから柔らかい感触が押し付けられる。
そのまま、しゅるり、と手が伸びてきて、右手で握っていたボールペンを掴み取り……右頬に、ふわっと何かが触れる。

視界の端で捉える鈍色の髪。淡い空色に反射する、艶やかな髪色は……紫に妖しく輝いてるようにも見えた。

「やぁ、そこのお嬢さん」

「ボクの大事な人に、なにか用かな?」

後ろから聞こえたその声は、とても穏やかで、凪を彷彿とさせるほど、平坦だった。

「あっ、えっ??えぇっ、と……???」

目の前のリクルートスーツの娘は、啞然としながら言葉を詰まらせる。
そんな彼女に対し、後ろから伸びている手は、掴み取ったボールペンをカチリと押して、芯をしまい、持ち手の方に向き直して丁重に差し出した。

「申し訳ないけど、これからデートの予定だから、出来れば返してほしいなぁ……と思ってね」

声だけで、表情が分かる。困ったように眉をひそめているのだろう。
けれども……相も変わらず、目の前の娘は硬直してしまっている。

……自分より慌ててる人間を見ると、かえって落ち着くのはホントのことだと実感する。
このままでは埒が明かないと思い、声を出す。

「……あぁ、すまない、連れが来てしまったから……アンケートはまたの機会ということで」

「ぇ、あっ、いえっ、こちらこそ申し訳ありません、こんなかれっ……彼女さんがいらして、気が回らず……え、えぇっ……ご協力ありがとうございましたっ!」

俺から言葉を添えた所で、ようやく意識を取り戻しのか、なんとか丁寧に振る舞いつつも、慌てた様子でペンを受け取り、そそくさとどこかに去ってしまった。

「今のは、何だったのかな?」

「あぁいや、単なるアンケートを受けてただけだな、稀によくあることさ」

後ろから聞こえてくる声に応える。
表情は見えない。分からないほど、平坦な声をしている。

「あぁ、なるほどね、てっきりボクは変なのにちょっかい掛けられてるのかと思ったよ」

「変なのって……」

少しトゲのある物言いに、言葉を詰まらせ、辺りをチラリと確認するも……さっきの娘は見当たらなかったので

「……まあ、あながち間違ってはいないか」

冷笑的な本性に従って、素直に同意する。

「もしや、君がナンパでもされてるのでは……なんて考えもしたけど、それだったらもっと面白い反応をしていただろうね。助けを求めるようにアタフタとしてる様子が目に浮かぶなぁ」

くるんと前側に回り込んで、視界に入った薫の様子は……普段と変わらず魅力的だった。その微笑みが俺を狂わす。このスーツ姿で何度も弄り回された事実が、心を期待で埋めてしまう。

「……まったく、俺を何だと思ってるんだ。俺だって、やる時は上手いことやるさ」

それを悟られないよう、軽口を叩くが……

「へぇ……それじゃ、そこのお洒落でハンサムなお兄さん、実はボク、ここ最近素敵な出会いを求めていたんだけど……君のその物憂げな表情にときめいてしまってね。もし時間があるなら、近くの喫茶店でお茶でもしないかな?」

「あ、ぃ、いや、今から、用事が……」

「ふふふっ……ほぉら、やっぱりアタフタしてしまったね♡」

お世辞にも程がある、なんて思うぐらいの口説き文句でも、真っ直ぐな眼差しで囁かれたら……逃げられない。

「いやっ……今のは卑怯だ、ノーカウントだ、ノーカンノーカン」

「あはっ、そんなに意地を張るならどうぞお構いなく、今日は何度でも口説いてあげるよ」

あぁホントに、ホントに彼女は……

「ほら、早速いこっか」

「あぁ」

そうして差し伸べられた手を握る。
自然と握ってしまうほど馴染んだ行為なのに……それでも初めての時と変わらず心が踊ってしまうのは、彼女だからだろう。

そのまま、いつもの様に繁華街を通って、裏路地へと曲がり、無骨なビルの林を進んで……狭い路地へと入り込む。

「……?」

見知らぬ道。2人分の幅しか無いほど狭い路地裏は、流石に通り抜けた記憶も無く、どこに向かうのだろう……という疑問が浮かぶ。

「なぁ、最初はどこに……んぐっ」

そう思って口を開いた刹那だった。
急に歩みを反転させた薫に、気が付いたら抱き寄せられていて……口付けをされていた。

「っ!?」

まるで時間が跳んだかのように、一瞬で唐突な出来事。
口の中に我が物顔で侵入してきた肉厚の舌が、こちらの舌を搦め取っては、塗り潰すように唾液を注ぎ込んできて……壁とサンドイッチするように押し付けられる。
その瞳は何の色も読み取れないほど冷徹で、静かに股間に太ももを差しこまっ……♡これ、潰されっ……♡♡プレスっ……♡

「んーーっ!ん〜〜〜っっ♡♡♡」

「ちゅっ……ちゅぷっ……ちゅるる……」

処理が追い付かずパニックを起こした脳が抵抗を促すが、ちゅぷり、と唇をぴったり重ねられて甘い唾液を流し込まれる度に、身体の感度がじわじわと上がっていく。
更に、四方からぎゅぅぅと圧縮するように抱きしめられ、温もりと柔らかさと……それで圧し潰さんとする圧迫感が心を蝕む。更なる圧縮を、待ち望んで。
そんな期待に応じるように、芯のあるむっちりした太ももを、じりじりと持ち上げ、圧し潰されっ……♡まるで肉の匣に閉じ込めるかのように、四方八方が薫で潰されっ、埋め尽くすように唾液も流し込まっ……♡♡

「〜〜〜〜っっ♡♡♡」

ぴゅるっ……♡♡
びゅるるるるっ……♡♡♡

もう、こんな行為だけで、脳内がバチバチと弾け……脳イキへと達してしまう。ねばっこくて固い我慢汁が前立腺から吐き出て、腹の奥から嬌声が絞り出てしまうほどの絶頂へと。
そんな声すらも、彼女に吸い尽くされて……しばらく余韻を愉しまれた後に

「ぷはっ……」

ようやく唇が離される。
その無表情は

「あぁ、ダメ、だな……ダメだなぁ……抑えきれないや」

裏側に満ちた激情が、今にも溢れそうだった。

「ボクは、ボクのことだけを考えて心待ちにしている君を、そんな愛おしい君を迎えに来たつもりだったのに」

「君は他の人と話していて……」

ぎゅぅぅ……と締め付けられる力が増していく。

「くくくっ……あぁ、自分でもこんなに心が狭くて、独善的だなんて思ってもいなかったよ……」

もう、彼女と自分の境目が無くなりそうなほど、強く抱きしめられる。熱い体温に呑み込まれるような、クセになる感覚。
自嘲のような言葉が、ぽつり、ぽつりと落ちて、鼓膜を揺らす。

「どうして君はあの人と話していたのかな?なんでボクとの待ち合わせなのに、他の人と会話してたのかな??ちゃんとボクのことを待てなかったのはなんでかな???」

そして、堰を切ったように、ロジックで詰めるような言葉により、淡々と圧をかけられ、ぎゅぅと潰されて、太ももでもナニと睾丸を、ぎゅぅぅっ……♡と気持ち良く潰してきてっ……♡

「まっ……だって、無視する訳にもっ……♡♡」

どうにか弁解を絞り出す。それで収まるモノでは無いと知りつつ。

「あぁ、分かってるよ、分かってる……これはボクのワガママさ、理不尽なワガママ」

「君がそんな人じゃないのも分かってるよ、だからこそ苛立ってしまうなぁ……ボクが特別じゃないのでは?なんて思ってしまうね……」

さらにぎゅぅぅと抱きしめられる。身体が軋んで、その豊満な女体に沈められる。
怒気が伝わる。嫉妬や独占欲、支配欲に満ちたドロリとした感情が。

けれども、思いの丈を余すところなく伝えられてる事が……こんな想いをぶつける薫を見られるのが、暴力にほど近い愛情表現をしてくれるのが……嬉しくて仕方ない。

あぁ、駄目だ、なんて浅ましいんだ。
気の利いた言葉で慰めるべきなのに、涙が出そうなほど感極まってしまって、この喉からは媚びるような呻き声しか出せない。
けれども……

「くくくっ……♡あぁやっぱり君は、君はっ、ボクを狂わせるのが極めて上手だ……♡♡」

そんな表情を覗き込まれて、端正な顔の口がにぃぃと歪む。これ以上になく、悦に浸った表情。

「ボクは、自分の嫌な所をさらけ出してるつもりなのに、暗い一面を見せつけてるつもりなのに……」

「そんな顔をしながら、悦んで飲み干してくれるのだから……♡♡」

片方の手が、俺のおでこに添えられ、撫でるようにして前髪を捲り上げられる。
そんなことせずとも見えてるはずなのに、余すところなく観察しようと。

「あぁ、ボクもおかしくなってしまうな……どこまでも深く、狂っている君に溺れてしまいそうだよ……♡♡」

その瞳の色は、どこまでも奥深く、紅色に輝いていた。溺れてしまいそうなほど。

「くふっ……さて、それじゃあ浮気者にはお仕置の時間だね……こんなのを溜め込んでいるから、待て、もロクに出来ないのだろう?」

そして笑みを噛み殺し……スッと表情を消してから、仄暗い声色で、脅すように囁かれる。
お仕置きに扮した……ご褒美の時間。チャックを下ろされてナニを露出させられたと同時に、芯のある太ももが持ち上がって、鈍い鈍い快楽が、股間から全身に広がり始める。
冷徹な瞳で睨まれ、睾丸が圧に潰される事態に、本能的な恐怖心が膨れ上がり、冷や汗も垂れ落ちるが……

「ほぉら、このままペチャンコに潰してあげるから……ぜーんぶ、ボクに吐き出してしまいな……」

「まっ、て、ぇ……♡♡」

「拒否権なんて無いよ、これはお仕置き……太ももでじわじわとキンタマ潰されて、みっともないマゾイキ晒せ……イけっ……」

そんな恐怖を強制的に塗り潰そうとする白い快楽。ゴムボールを握ったら空気が漏れるように、行き場を失った精液が出口を求めるせいで、射精感が込み上げてきて……♡
子孫を残そうとする生殖本能も搔き立てられ、むっちりした太ももに屈した睾丸がキュンキュン疼いて、精液込み上げてっ……♡逃げようにも、全身で抱きしめられてるから、逃げ場がない。逃げられない、にげられっ〜〜っ♡

「ぅ〜〜〜っっ♡♡♡」

びゅーっっ♡♡
びゅるるるるっ♡♡どぷっ♡♡びゅるるるるっ♡♡♡

「はい、びゅー、びゅー……くくくっ……♡潰されて、イジメられて、バカみたいに吐き出して……そんなに気持ちいいかい……?」

「ぅ、あっ……♡♡ぁー……♡♡」

平然とした様子で、吐き出された精液を受け止められながら……なじるように尋ねられる。その赤い瞳で覗き込まれて。
気持ちいい、という言葉すら発せられない。射精中も、絶えず、ぎゅっぎゅっと睾丸と竿を潰されて……もう、快感に屈することしか出来ない。

「ふふふっ……♡うん、やっぱり君と出会えて良かったよ……♡」

「だから、今日も目いっぱい……」

こんな状況で、よしよしと頭を撫でられながら

「遊ぼうか……♡♡♡」

優しい声で囁かれて……より、狂ってしまう。
倒錯的な日常に、慣れすぎてしまって……

「ささ、寄り道してしまってすまなかったね、今日は……何からしようか?」

あぁ、もう、逃げられないのだろう。
とっくに分かっているはずなのに、ソレを改めて思い知らされると……心が震えてしまう。

その顔が見せる、どの表情にも虜になってしまう。
手を繋がれて引かれてしまうと、何処に連れて行かれるのだろうとワクワクしてしまう。そして……どう料理されるのかと、被虐的な期待が高まってしまう。

黒いスーツを汚していた白濁液は、いつの間にか染みにもならずに消えていた。

彼女は……薫は、普通の人間じゃないのだろう。それこそ、悪魔のような存在なのかもしれない。
もしかしたら、退屈な日々に狂った俺が、頭の中で作り上げた妄想なのかもしれない。

「……少し、座れるところがいいな……」

「あははっ♡それなら、この前行ったボードカフェはどうかな?あのホットサンドを片手に、適当なゲームで楽しもうじゃないか」

いや、妄想は有り得ない。俺の浅はかな考えなんて、遥かに凌駕するほど深くて、蠱惑的で、魅力的。どんな想像をも超えていく。
もうなんだっていい、一緒に居られるだけで楽しい。

イタズラされるのも、遊ぶのも、負けさせられるのも、抱きしめられるのも、足蹴にされるのも、もっとひどい事されても……全てに悦びを覚えてしまう。
どこで遊んでも、笑い合っても、落ち着いて談笑しても、チェス盤を挟んでも、ビリヤード台を囲んでも、ゲームセンターを回っても……

「さてと、じゃあ賭けをしようか」

今日は、ボウリング場で、その言葉を言われた。

「1ゲームの真剣勝負さ、投球中の妨害になるような事は無し、ハンデも無し、スコアが高い方が勝ち……で、どうかな?」

「おや、随分と優しい条件だな」

あぁ、全ての始まりは……二ヶ月前のことだった。
今思えば、一目惚れだったのかもしれない。
後ろを振り返った時の衝撃は今でも覚えている。高身長で、イケメンで、着こなしも品があって……ぱつぱつに張り詰めた胸。あぁ、あの時点で脳がやられたのだろう。
そして、紅茶を飲む気品ある仕草、中性的でいわゆるイケメンな顔立ち、傍若無人に見せかけてさり気なく奉仕する姿。
それらが、あまりに良くて……カッコいい、だなんて言葉を吐いてしまった。

「くくくっ……よく言うよ、前も同じ条件でやって、ボロ負けしてたじゃないか、序盤で躓いて、圧倒的大差になって……赦しを乞うような情けない姿になってたのをよく覚えているよ……♡♡」

「……友達だからって、いつでも小馬鹿にして許されるのが当たり前だと思うなよ?」

「あははっ♡でも、君は許してくれるじゃないか、ワンワンと尻尾を振って、媚びた声を上げながら……」

それから毎日会うたびに、想いが膨らんで……
決定的だったのは、あのビリヤードだ。勝てる筈の無い賭けで……俺が勝ってしまったこと。
あの指導が、玉を撞く姿が、鮮明に身体に残ってしまったせいで、無理難題をこなしてしまった。

「……今日も、そうなるとは限らない、飼い犬だって手を噛むこともある」

「……そしたら、嚙まれた手を差し出しながら、愛情もって、厳しく躾けてあげるさ」

あそこから歯車が狂ったのだろう。

わが身可愛さの臆病、恋い慕いすぎた故の忌避感。けれども……もっと仲を深めたい。いや、もっと見て欲しい。見られたい、襲われたい。食べられたい。
何故、あんな命令にしたのか。けれども……そんな悪手が、この結果を生み出したのだ。

「ま、どうせ今日も勝てやしないさ……ワンワンと媚びる準備をしておくんだね……♡」

もし、あの賭けに負けていたら?
もし、あの甘い誘いに乗っていたら?

どの道、捕まる運命だったのだろうか?

「いや、今日は分からない、今日なら──」

「くふっ……同じさ、同じ、君はボクに負ける運命なのだから」

負けたら、オモチャにされる。

心身ともに捧げたいと思うほど、慕ってる相手に。
こんな風に一緒に遊んで、笑い合ったり、煽り合ったりできる、気が置けない友達に。
要領が良くて、気が利いて、神秘的な後輩に。

今日は……特に、機嫌が悪い。
分かる。今朝の事もあり、昂っているのが……ヒシヒシと伝わる。

「おや、確かに今日はひと味違うようだね」

「……いきなりターキー出した奴に言われると、皮肉にしか聞こえないな」

「いやでも、この調子なら勝負は分からないさ、ボクがどこかでミスをすれば……ワンチャンス、来るかもしれない」

負けたら、ひどい事になるだろう。
あの時よりも、更に。溜まった情欲をぶつけられて、モノにされてしまうだろう。

「ふふふっ……あぁ、やっぱり君は、こういう時にとても強いね」

「……そりゃあ、たまには強くてもいいだろう?」

あぁ、振り回されるのが嫌な訳じゃない。
むしろ、永遠に振り回して欲しいと思う。

「くくくっ……君のそういう所、ボクはとっても好きだよ、今すぐに抱き締めたいくらい……♡♡」

たゆん……とリラックスした様子で、ソファーに腰掛ける姿が目に映る。
その両腕は、何かを心待ちにするように、緩く組まれていた。

「……その手はもう喰らわないからな」

「おっと、手強くてお堅いなぁ……気が変わったら、いつでもいいよ」

けれども、心の奥の何かが、欲望を引き留め、身体を突き動かす。
何を伝えたいのか、何がしたいのか、抱き留められたいのか……

「……この土壇場で連続ストライクだなんて、流石はボクの先輩さんだ」

違う、その手をすり抜けないと。伝えられない。
檻に閉じ込められずとも……

「でーも、調子を上げるのが遅かったかな?残るは最終レーン……さて、君が勝つためには……」

「……薫が一投目にストライクを出した時点で、ほぼ終わりだな」

「その通り、この一投でボクがミスをしないと、君の勝利の可能性は殆ど無くなってしまう。その後余程のポカでもしない限り……」

あぁ、また負けてしまうのか?

「……外せ」

「あははっ♡それは出来ない頼みだなぁ、わざと勝ちを譲るような真似は絶対にしないさ」

俺は、勝たないと伝えられない。
でも、縛り付けてる鎖が消えてしまうのが恐ろしい。この首輪が消えてしまうのが恐ろしい。惜しい。

けれども、そこから解き放たれないと、伝えられない。
証明が出来ない。
今日も負けてしまう。あぁ、いつになれば、いつになれば……

「さて、と……それじゃ、いくよ」

そんな想いをよそに
美しいフォームから放たれた13ポンドの球は
正確無比に1番ピンと3番ピンの間にぶつかった。

……ように見えた。

「あ……」

目の前の光景に、思わず声が漏れる。

「……まさか、ここでしくじってしまうとはなぁ」

ガランと弾けたピンのカーテンが開けた所には……右奥の10番ピンが、ぐらつきながらもポツンと一人立っていた。

「いや、今のは……不運だろう、間違いなく上手くいっていた」

「どうだろうね?さっきまでと同じ事をしていたら、ストライクは取れてる筈さ。何かしら違うことをしてしまったから、こうなった」

言葉には少しの落胆が見て取れたが、歩むように自然とした流れで二投目を放ち、残った10番ピンを当然のように倒す。

「ほんの少し……力が入りすぎた、とか」

10本のピンが新たに立ち並べられる。
そしてそのまま、緩やかな所作で三投目に入り……1番ピンと2番ピンの間に投げ当てて……がらん、とストライクを取った。

「一応、リカバリーはしたけど、これだと……」

二人してモニターの画面を確認する。
この点差であれば……

「あぁ、やっぱり、君が三連続でストライクを取ったら、ギリギリ逆転されてしまうね」

「……そう、だな」

心臓が、ドクン、ドクンと高鳴る。身体は熱く、血が沸き立つのを感じるが……頭は夢幻に囚われたような心地がする。
あの時のような異様な感覚。

「……ボクは、負けて欲しいな」

声が聞こえる。

「今日は朝から君を抱き留めたくて、イジメたくて仕方ないんだ。一刻も早く、じっとりと籠って膨れ上がった胸の中に、君の悲鳴と魂をたっぷり注ぎ込んで貰わないと……狂ってしまうかもしれない」

「……あぁ勿論、わざと負けろと命令してる訳じゃない。これは単なる独り言さ」

その声に囚われてしまわないよう、意味もなく13ポンドの球を磨く。
魔性、という言葉がよく似合う。一つ、セリフを吐かせたら、その物語の中に閉じ込められそうになる。

心なしかより丸くなった球を持ち、構える。
以前に矯正された時の、手つき、温もり、息遣いを、肌で感じつつ、軽く、何も考えずに投げる。
それは恐ろしくも、真っ直ぐと進み……1番ピンと3番ピンの間にぶつかり、ガランと全てが倒れた。

「……ダメ、だよ?」

「……まだ1つだろう」

「あははっ、ボクは君のことをよ〜く知っているよ。この世の誰よりも、君のことを知っている……だから、予想がついてしまう」

ぷつん、と第一ボタンが解かれる。

「もうボクには、祈ることしか出来ないのだから……こうやって惑わすぐらいは許してほしいな」

「それは……ルール違反だ、変な事言うのは無しと約束したはずだ」

「確かに『投球中の妨害になるような事は無し』とは言ったけど……今は、投球中じゃないだろう?」

視線を逸らし、返ってきたボールを手で受け止め、意味もなく磨く。
そしてボールを持って構えようとするも

「おや、もう投げるのかい?もっとゆっくりしたらどうかな?このソファーで、ゆったりと」

背中から投げかけられる声。飄々とした声色に、色気は微塵も感じられないが……振り返ってはイケないことを知っていた。

「……投げるぞ」

ひと言だけ言い残して、前へと歩む。今にも後ろを向きそうな膝を、押して。
そして、驚くほど滑らかに投げられたボールは、当然のように、がらんと弾けさせ、ストライクを取ってしまう。

その光景を見守ってから振り返ると……薫が、今にも犬歯を覗かせそうな邪悪な笑みを嚙み殺しつつ、待ち構えるように立っていた。
……それを避けようとせずに近づいて、抱き留められる。

「……だからダメだと言っているじゃないか。君だってボクに縛られて、嬉しいだろう?気持ちいいだろう?心の臓が震えて、全てを委ねたくなるだろう??」

「いいじゃないか、勝たなくても……噛み付くのはもう十分さ……二度と戻って来れないよう、きつーいお仕置きと、蕩けるような甘やかしを、繰り返して……どろっどろに溶かしてあげるよ……♡♡」

こっそりと耳打ちするように、囁かれた言葉が、ドロドロと頭の中に流れ込む。
脳が焼けるようにカァっと熱くなり、首筋から全身にかけて、震えが走る。産毛の一本一本が立つような、恐怖と安寧に満ちた震えが。

「……さ、ラストの一投、頑張ってね」

「あ、あぁ……」

パッと解放され、トンと背中を押される。
困ったように眉をひそめつつ、笑みを浮かべるその表情は……嘲笑してるようにも、何かを期待してるようにも、ほんの少し恐れているようにも見えた。

ボウリングの球を手に持ち、構える。
何故、何故か、理由なんて分からないが……
肌に残った温もりを愛おしく思いつつ、投じた球は……真っ直ぐと進んだ。

そして……ガランと、ピンの山を1本残らず崩した。

やった。
やってしまった。

達成感のような喪失感が周りを纏う。張り詰めていた緊張が緩んで、何かが無くなったような。
モニターを見上げると、ストライク、という演出の後に……1点差でひっくり返ったスコアが表示されていた。

意外にもあっさりと終わってしまった。
負ける、という結果から逸脱してしまって、何をしていいのか分からない。
どうすれば

パチパチパチ……

そんな折に、聞こえてくる拍手の音。
他の音も聞こえてるはずなのに、まるで静寂の部屋の中に居るかのように、パチパチと手を鳴らす音だけが頭の中に響く。

「おめでとう、僅か1点の差で……君の勝ちだね」

振り向くと、脚を組み、ソファーにもたれて、ゆったりと座りながら……拍手をしている薫がいた。
とても偉そうで、様になって……魅力的。その四肢の柔らかさも、吐息も甘さも、たゆんと揺れる胸の魔性さも、想像がついてしまう。
その切れ長の瞳は、こちらをじぃっと見つめていた。

「さて、命令をしてもらう……前に、まずはお祝いしないといけないね」

さらにボタンをもう一つ外す。
とてもラフで緩やかな、その姿は……抱き付きたい欲望を溢れさせるのには十二分で

「ほら、おいで……もう、我慢する理由もないだろう?ボクが沢山褒めてあげよう……♡♡」

組んでいた脚を戻し、両腕を広げて、おいでと誘う光景は……慈母を彷彿とさせるほど、優しくて、抗えない。
もう、我慢する理由も無い。無いから、ゆったりと座る彼女の元にふらふらと近寄って、太ももに腰掛けて、その身体に沈み込ませるように、首に腕を回して抱き付いて……♡

「あぁぁっ……♡♡」

体重を預けて、伝わる温もり。首筋に埋めた顔のそばでは、髪がふわりと揺れて、爽やかで甘い香りが漂ってくる。
その大きな胸はとても柔らかく、密着を妨げる壁になるどころか、こちらの身体を飲み込んで、より深い密着を与えてくる。
たまらず腕に籠める力をぎゅぅぅと強めると、薫も背中に腕を回してぎゅぅぅと抱きしめ返してくる。
まるで、食虫植物のように、捕まえた獲物を逃がさないように。

「あははっ♡2ヶ月ぶりだね、君が勝ったのは……あの時も、今日も、君は一縷の望みを諦めずに……やりきった。その姿勢に感服するよ、君の勝ちさ、おめでとう……♡♡」

褒める言葉の一つだけで、心が震えるほど嬉しくなってしまう。崇拝にも近い、恋慕の情も抱いているから。
それが恥ずかしい。色んな関係がごっちゃになってるから、恥ずかしい。後輩に、親友に、悪友に、こんな姿を見せることが……それに公共の場で……♡

「ふふふっ……恥ずかしがらなくても大丈夫だよ。君も、他のレーンがどうなってるかなんて気にも留めなかっただろう?他の人達も一緒さ……♡♡」

背骨のくぼみをつつー……となぞられ、甘い声を搾り取られる。

「にしても、今日負けてしまうとは思ってなかったよ。するとしても、一年後……いや、二年後、十年後、それよりもっと後だと思っていたからね」

ナデナデと優しく頭を撫でられる。
薫と会うまでは、もう何年も味わって無かった温かい感覚。慣れないが故にじんわりと熱が染み込む。

「はぁー……♡やっぱり君は、ボクの素敵なパートナーだね……♡♡」

言葉が上手く出せない。
色んな想いが膨れ上がって、喉につっかえてしまう。

そう、勝った、勝ったのだ。
だから……

「……さて。前回はひどい命令をされてしまったけど……今回は、なんて命令するのかな?」

命令しないといけない。
どう、言葉を紡げばいい。どうすれば伝わる?したいこと、欲しい事がありすぎる。
愛されたい、甘やかされたい、イジメられたい、グチャグチャにされたい、意地悪されつつ甘くも、厳しくも愛されたり……

倒錯的で、相反的な感情が渦巻く。

「……ボクは何でも聞いてあげるよ。君に掛けた呪いだって、命令すれば解いてあげることも……」

違う、違う。そんな事じゃない。
俺は……あぁ、したい、したい、されたい。

「か、おる……♡俺は、俺は……♡」

言葉が選べない。出せない。
雁字搦めのこの感情を、どう表現したらいい。あぁ、どうやって……♡

そうして詰まった言葉を

「……もし迷ってるなら、その前に一つだけ、ボクからの……ご主人様としての命令を言ってもいいかな?」

補うように囁かれた命令は

「君の家に、連れて行ってくれないかな?」

ささやかで、それでいて、どんな誘い文句よりも、心を掴まれてしまった。
24/02/03 09:30更新 / よね、
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