ガウル、おじさんなんだから、無理しちゃだめ。
不可思議である。
長年生きてきてはみたものの、今の私を取り巻く状況は、こう言い表す他無かった。
見慣れた我が屋敷の居間に、見慣れた大鎧。
しかし、その大鎧が、私とテーブルを挟むようにして椅子に腰掛けているという異様。
大きな鎧が、どこかそわそわとしながら部屋を見渡している。
「……さて、なにから聞けばいいのやら。」
とりあえず、我が相棒の大鎧に、私への敵意は無い様である。
ひとまずは客人として出迎える事に決め、お茶を淹れて鎧の前に置く。
果たして飲めるのかどうかという疑問はさておき、体裁を整える事は大切である。
そうでもしなければ、年甲斐もなく頭を抱えてしまいそうなのだ。
「ん?なに、ガウル?」
さきほどと同じように、小首をかしげて空っぽの兜がこちらを見やる。
頭が本当にあそこにあるのかも分からないが、とりあえず見ているとしておこう。
「いくつか、質問をしたい。いいだろうか?」
「うん。いいよ。」
どこから聞こえているかも分からない声。
力の抜けた少女の声は、目の前の大鎧にはあまりにも似つかわしくない。
「ありがとう。まず、君は何者なんだ?」
「ガウルの、あいぼう。」
要領を得ない応答である。
質問が難しすぎたかと思い、改めて質問を投げる。
「ふむ……じゃあ、君の名前は?」
「……あいぼう?」
大鎧は、困ったように間をあけて、そう応えた。
頬に手を当てて、小首をかしげる動作が妙に女性的でなんとも違和感がある。
「……アイボウ、という名前って事かな?」
「わからない。けど、ガウルはいつもそう呼んでた。」
一度、大きく息を吐く。
それなりに多くの魔物娘を見てきたが、動く鎧は見たことが無かった。
おまけに、彼女はこれまでも私と話してきたというのだ。
少し前まで、何の変哲もなかった大鎧が、突然自我を持ち、動き出した。
まだ、私の頭がボケてきたという説の方が説得力がある。
「じゃあ、次の質問だ。
君は魔物娘か?」
「まものむすめ?
わたしは、ガウルのあいぼう。」
駄目だ。全く情報に進展がない。
大鎧も、どこか申し訳なさそうに身体を小さくしてしまっている。
見た目は武骨な大鎧だが、どうやら私が話している「あいぼう」は年端も行かない少女のようだ。
あまり、威圧してしまうのは気が引けた。
「ああ、ごめんな。困らせるつもりはなかった。
じゃあ、質問を変えよう。君の体は、どこにある?」
「からだ?ほら、みえるでしょ?」
不思議そうに大鎧は言うと、手甲を持ち上げブンブンと振る。
「あ、ああ、見えるとも。
ただ、私には空っぽの鎧にしか見えないんだ。
君が中に入っているなら、姿を見せて欲しい。」
「もう、ガウル、わがまま。」
「……申し訳ない。」
いたたまれなくなって、思わず頭を下げる。
この年になっても女性(おそらく)の扱いは苦手だ。
「やったことないから、むずかしい。
うんしょ……!」
どうにも力の抜ける声を上げつつ、大鎧が2・3度身震いをする。
手甲を首のあたりに当てて、重苦しい服を脱ぐかのような動き。
大きな鎧が、もぞもぞと身体を揺らす様がなんとも滑稽でどこか可愛らしい。
「んっ……!ぷはぁっ!」
思い切り、空気を吸い込む音。
先ほどまで何もなかったはずの兜の中に、青白く揺らめく焔。
おぼろげな白い像が、徐々に形をつくっていく。
「ん。これでみえる?」
青い焔は、深い輝きを湛えた瞳となって、私をじぃっと見つめる。
異様に白い肌と髪。
僅かに透けてみえるような身体の希薄さとは対照的に、どこか神々しいほどの存在感。
端整な顔立ちからは、なんの感情は読み取れない。
「あ、あぁ、見えたよ。驚いたな、これは……」
どう考えても鎧のサイズとは一致しない少女の姿。
鎧の関節部分からは、青白い炎のようなものが漏れて輝く。
「おどろく?なんで?」
心底不思議そうに、少女は首をかしげた。
表情に変化はないが、鎧全部で感情を表現している。
「そりゃあ、長年使ってた鎧が突然動き出して、中身が可愛らしい女の子では驚くさ。
おじさんをあまり虐めないでくれ。」
「そう?ごめんね。」
「いや、別に謝る必要はないが……」
こうして、目の前に会話をする相手の顔があると、やはり落ち着くものだ。
今までの非現実感も薄れ、ようやく思考がまとまっていくのを感じる。
この少女は一体何者なのか。
なぜ、姿を消し、私の鎧の中に入っていたのか。
何より、私と鎧の『挨拶』をなぜ彼女が知っていたのか。
「それで、君は何故鎧の中にいるんだい?
おじさんが着ていた鎧なんて、楽しい物でもないだろうし、窮屈だろう?
それはとても大切な鎧でね。
お茶くらいなら出すから、それに悪戯はやめて欲しいんだ。」
「ぬがすの?」
「……なんだって?」
「ガウルの、えっち。」
「むぅ……」
魔物娘の実年齢を見た目の年齢に一致させてはいけない事は分かっている。
しかし、少女にしか見えない相手に、初老の私がこう言われてしまうのは、非常にマズイ気がした。
「それに、いたずらなんかじゃ、ない。」
「……だったら、どうしてその鎧の中に居るんだい。」
「なに言ってるの?わたし、ずっといたよ?」
「何?」
「ずっと、ここにいたの。
ガウルがきづかなかっただけ。
ずぅっと、いっしょだったのに……
ひどいよ、ガウル。」
少女は、気落ちしたように肩を落とす。
表情は相変わらず変化に乏しいものの、何故だか本心から彼女が落ち込んでいるのが分かってしまう。
仮にも年長者として、このまま放置という訳にもいくまい。
慌てて鎧の横に行き、肩当の部分に手を置く。
「あぁ、そう落ち込まないでくれ。
本当にすまないが、心当たりが全くないんだ。
しかし、君を叱っている訳でも、傷つけたい訳でもない。信じておくれ。
私は、君の事をまだよく分かってない。
だから、出来る限りで説明してくれないだろうか。」
「……うん。」
こくりと彼女が頷く。
近くで見ると、端整な顔立ちはまるで人形のようだ。
感情の乏しい表情ながらも、僅かに震えるまつ毛が、彼女が悲しんでいる事を伝えてくる。
ゆっくりと、彼女が口を開いた。
「わたし、ずっといたの。」
「……ふむ、具体的には、いつからだい?」
彼女はずっと居たというものの、当然ながらこれまでは一人で鎧を着ていたのである。
ましてや、この鎧が勝手に動いたこともない。
「……わからない。わからないくらい、昔から。」
彼女が分からないのでは、私に分かるはずもない。
気付かれないように、小さく肩を落とす。
このままでは会話は平行線を行くままである。
私の落胆を知ってか知らずか、ふいに彼女が自身の纏う鎧の肩口を自分で指さした。
「ん?」
「このきずは、昔ロイをかばったときにできた。」
「な……っ!?」
事実である。
肩口に深く刻まれた刃傷は、まだ新兵だったロイを庇った時に出来たものだ。
矢継ぎ早に、鎧の左手甲を指さす。
「これは、もっと前。
ほのおで焼けたあと。あぶなかった。」
「……」
これも事実。
教団兵が放った火矢の跡である。
それも、かれこれ二十年近く前の事。
「このわきばらのきず。
ずぅっとむかし、せんぱいに訓練でたおされたときのあと。」
「……信じられん。」
この傷に至っては、出来たのは私がまだ新兵だった時である。
鎧を購入し、先輩方と訓練に励んでいた頃の話だ。
私自身が忘れていた程の些細な傷。
それも30年近く前に出来た傷を、彼女は言い当ててみせた。
思わず、背中に冷たいものを感じる。
「質問をしたい。
私が兵士になった時の隊長の名は?」
「バリー。
ヒゲがもじゃもじゃしてた。」
正解である。
「私の初めての戦場は?」
「つばさのはえたお姉さんとたたかった。
ガウル、なにもできなかったって落ち込んでた。」
またしても正解。
「……鎧を買った店の名は?」
「コニー&ウェスト。もうお店なくなっちゃったけど。」
「あぁ、なんという事だ……」
悉く正解である。
こうまで言い当てられてしまっては、最早疑いようがない。
彼女は、間違いなく私を昔から知っている。
それも、少なくとも三十年は昔から。
「つまり、君は、私が鎧を購入した時からずっと居たという事かい?」
「うん。」
「一切、姿を見せずに?」
「うん。」
「……君は、一体どういう存在なんだ。
鎧に憑りついていたのか?」
「わたしは、鎧。
ガウルの、あいぼう。」
全くもって、理解の範疇を超えている。
しかし、最早彼女の言葉を疑う余地は残っていないのも事実だ。
彼女は、間違いなく私と共に居た。
私と彼女の縁は、数多の戦場と、年月を経ている。
「では、何故今になってこうやって動き出したんだい?
今までの様にしている訳にはいかなかったのか?」
素朴な疑問である。
三十年近く沈黙を守り続けた彼女が、今になって動き出したのは何故だ。
至極当然の疑問であるが、それを聞いた彼女はまたしても僅かに肩を落とした。
「ガウル、わたしを着てくれない。」
元より小さかった声量が、更に減る。
しかし、彼女の発した一言は、これまでの彼女のどんな言葉よりも重苦しく響いた。
「わたしは、鎧。
ガウルをまもる。まもりたい。
着てくれないと、ガウルをまもれない。
着てくれないなら、わたしがうごかないといけない。」
「私を守る?」
久しく、聞いていない言葉であった。
昔は、先輩方や歴代の隊長達に私は守られていた。
しかし、今や私は常に守る側の人間。
国を守り、部下を守り、民草の幸福な生活を守るのが私の役目だった。
「そう、まもる。
ガウル、すぐにむちゃをする。
わたしがまもらないと、けがをする。
ひょっとしたら、死んじゃうかもしれない。
そんなの、やだ。
ぜったい、やだ。
だから、まもる。
ずっと、まもってきた。」
「……」
何処か悲壮な印象すら受ける決意の言葉。
つい、言葉を失ってしまう。
私は、必死になって、色々なものを守ってきた。
個人の幸福など目もくれず、戦ってきた。
多数の部下に慕われ、様々な名誉も頂いた。
それでも、孤独に守ってきたのだ。
孤独に戦い、守ってきた。
そのつもりであった。
しかし、この少女は、そんな私を守ってきたという。
三十年もの間、誰とも言葉を交わさず。
なにが「私は孤独に守ってきた」だ。
この少女が抱えていたであろう孤独に、敵うはずもない。
「……辛くは、なかったのか?」
聞かずには、いられなかった。
「三十年間、誰とも喋らずに、一人だったのだろう?
孤独は、感じなかったのかい?」
「ううん、ちっとも。」
さも当然のように、彼女は言う。
「だって、ガウルがいたもん。
ずっと、いっしょだったでしょ?
わたし、さみしくなんてなかったよ。」
「……そうか。」
一度、椅子に深く腰掛けて天井を仰ぐ。
先ほどまでは、ただの侵入者であった彼女は、実の所長きに渡って私の命を守ってきた存在で。
なるほど、まさしく「あいぼう」ではないか。
「ガウル。」
「うん?」
「わたし、うごいてもいい?
しゃべっても、いい?」
「……君は、そうしていたいのか?」
「うん。
あのね。すごく、たのしいの。
ずっと、そばにいるだけで、よかった。
それでまもれたし、充分だったの。
けど、はじめて、ガウルとおしゃべりしたら、すごくたのしい。」
私に、彼女の感情が分かるはずもないが、つい想像してしまう。
三十年間に渡り、沈黙と不動を貫いてきた彼女が、初めて自ら行動を起こした時。
一体、彼女はどんな感情だったのだろう。
今、彼女はどんな気持ちで、私と会話をしているのだろう。
「……あぁ、もちろん、いいとも。
好きに動いて、好きにおしゃべりすればいい。」
「やった。」
相変わらず、感情の薄い表情だが、おそらく、喜んでくれているのだろう。
思わず、口角があがる。
ふと、私に娘が居るとしたらこんな感じだろうか、などと詮無い思考がよぎった。
なにやら、しみじみとしたものを感じていると、ふいに彼女の手甲が私の頬に優しく触れる。
急なスキンシップ(触れているのは硬質な手甲だが)に驚いて、固まってしまう。
呆気に取られていると、さらに頬を両手で軽く抓られる。
そのまま、頬の肉が上下左右に引っ張られる。
「……どうしたね?」
「ん?」
「いや、何故私の頬で遊んでいるのかと……」
「たのしいよ?」
「……それはよかった。」
それなりに長く生きてきた訳だが、こういった時に止める言葉を、私は未だ持ち合わせていなかった。
なすがままに頬の肉をこねくりまわされる。
間違っても、元部下達には見せられない状況である。
「ガウル、はだカサカサ。」
「まあ、もういい歳だからね。」
「おシワ、あるね。」
「なかなか渋いだろう?」
「よくわかんない。」
「……そうか。」
なんとも気の抜けるやりとりである。
一体なにが楽しいのかは分からないが、こんなオジサンの頬で楽しめるならまあ良しであろう。
たっぷり五分間ほど頬を弄りまわして、ようやく満足したのか彼女の手が頬から離れた。
流石に、少しばかり疲れてしまった。
深く椅子に腰掛けて、大きく息を吐く。
それを見つめる不思議そうな彼女の瞳。
「いや、少し疲れてしまってね。」
「だいじょうぶ?」
「ああ、まあ大丈夫さ。」
「ガウル、おじさんなんだから、無理しちゃだめ。」
「……身に染みるよ、全く。」
16/07/08 00:20更新 / 小屋
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