連載小説
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妖刀の話 上
 桐谷鋼冶という男が日本刀に魅入られたのは幼少の頃。刀鍛冶の祖父に連れられた刀剣市でのことだった。銘刀と呼ばれる物の神々しい煌めきと拵えの技巧、曰く付きの物の刃紋が魅せる妖しげな美。それらの美しさは、鋼冶の心を捕らえて離さなかった。
「鋼冶、刀ってぇのはな、そりゃあ美しいもんだ。この研ぎ澄まされた美しさは他にねえ。けどもよぉ、その根本は人斬りの道具。そこを忘れちゃいけねえ」
 幼心には分からなかった祖父の言葉。鋼冶がその真意を理解するのは、刀鍛冶として一本立ちした頃に舞い込んで来たある依頼が原因だった。

 その依頼を持ってきたのは一人の美しい女性だった。若々しさと熟れた色香という相反するそれを両立させる、人外じみた美貌の女性。
「この娘に見合った刀身を打って下さいませんか」
 鋼冶の元を訪れたその女性が取り出したのは、脇差しのそれと見られる柄と鍔だった。造りこそ何の変哲も無いそれらだが、鮫皮の柄に滲む赤茶けたしみは、曰く付きと物語っている。
 人外じみているだけでなく、柄と鍔を娘と呼ぶ女性が持ってきた怪しげな物である。鋼冶はこの依頼を断ろうかと考えていた。しかし、柄と鍔を手に取った鋼冶は、在りし日の脇差しの姿を幻視した。滑らかな刀身の反りと複雑な刃紋。そして、それを伝う鮮血の赤。それはまさに人斬りの刀だった。
「この娘は、未だに満たされない抜き身の刀。そして、満たすべき身を持たない哀れな存在。どうか、どうか……」
 そう頼み込む女性を他所に、鋼冶は半ば放心していた。幻視した脇差しは明らかに人斬り刀だが、今まで見た刀のどれよりも神々しく、妖しく、美しかった。その姿は炉の火の色よりも鮮明に、彼の瞳に焼き付いて離れない。
『打て……』
 目の前にいる女性のそれとは異なる声を聞き、鋼冶は我に返った。鋼冶が女性に目を向けると、彼女はあの刀に似た妖しげな雰囲気を孕みながら言った。
「彼女の声が聞こえたならば、是が非でも打ってもらいましょう。これも運命とお受け入れ下さい。よろしいですね?」
 有無を言わせぬ迫力とはこれを言うのかと、鋼冶は息を呑んだ。けれど、胸の内に募るこの刀を打ちたいという欲望が恐れを凌駕する。女性は鋼冶の胸中を見透かしたのか、妖しげに薄く笑った。

 あの妖しげな女性の依頼を受けて以来、鋼冶は自身の正常を保つ事に必死だった。得体の知れぬ魔的な衝動によって振るわれる腕は加減を忘れたのか、彼が疲れで倒れるまで鎚を振るう。そして、疲れに倒れて寝込む彼を、夢の中で女が犯すのだ。時に幼げな少女、時に妙齢の女性。その姿が定まらないのは、未だ刀身が出来ぬからか。ただ、彼女らに共通するのは、いずれもがあの脇差しをもって、苛烈なまでに彼を斬り、突いてくることだ。そして、その度に感じるのは痛みではなく、熱を持って疼く快楽だ。
『愛しい人、早く我が身を打っておくれ』
 
 そうして打たれた刀の数が十や二十をとうに過ぎた頃、ついに一振りの刀身が完成した。
 滑らかで美しい反り、妖しく光る互の目尖り刃の刃紋。それはまさに、鋼冶が幻視した脇差しの姿に酷似していた。けれど、目指すべき所には今一歩及ばずにいる。
 どうするべきか、何が足りないのか。答えの出ないまま悶々とする鋼冶に、女研師、橘直葉から電話があった。
20/03/10 12:13更新 / PLUTO
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■作者メッセージ
次回、妖刀の話 下

恥ずかしながら、久々の投稿。
いたらない所も多々あるとは思いますが、読んでいただき、ありがとうございます。

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