連載小説
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化け傘の話
「お、雨止んだ。ラッキー」
 未明に降り始めた雨は、にわかにその勢いを強めるも、一時間もした頃にはたと止んだ。人気の無い夜は、雲間から溢れる月明かりと雨後の香に満たされている。
 男はビニール傘をたたむと、暗がりに溶けた水溜まりを避けつつ夜道を歩く。そうして暫く歩くと、向こうの方にらんぜんと輝く灯りが見えた。
「コンビニか……。小腹も空いたし、ちょっと寄って行くかな」
 ビニール傘を無造作に傘立てに入れ、男はコンビニへ入っていった。そうして目当ての物をいくつか買うと、男はコンビニを出た。後に残されたのは、安物の白いビニール傘だった。

「天気予報じゃ晴れだってのに!」
 夜半、雨の中をあの男が走っていた。予報と違う雨は、傘を持っていない男を容赦なく濡らす。水溜まりなど知ったことかと男は走った。
「雨の夜半、傘も差さずにどちらまで?」
 そう男に声を掛けるものがあった。まさか声を掛けられるとは思っていなかった男は、びっくりとして足を止め、声の方を見た。
 そこにいたのは、人一人が入るにはあまりにも大きな白い傘を被った女だった。傘に隠れて表情は分からないが、まっさらな薄手の襦袢から覗かれる艶かしい肢体と、一本歯の高下駄がいたく印象的だ。
「そこにいてはもっと濡れてしまいますよ。さぁ、こちらへ」
「……いや、いいよ。濡れるのは嫌だけどさ」
「そう遠慮なさらず。使われてこその傘でございます」
 男がそう断ると、女は食い下がるように言った。その時に踏み出したのか、着物の隙間から脚がまろび出で、太ももの付け根辺りまでがあらわになった。その見るからに滑らかな肌の上を、横から吹き込んだ雨粒が転がるように滴り落ちた。
 男はその姿に生唾を飲み込んだ。また、よくよく見れば、女の着ている物はかなりの薄着らしい。しっとりと濡れた着物は、乳房の膨らみと頂点の色づきを淡く浮き上がらせている。その視線に気付いたのか、女は傘の向こうで密やかな笑みを見せた。雨に濡れたくないという思いと邪な思いから、男は歩みを進めた。互いの距離が近付くにつれて息が荒くなるのを二人は感じた。そして、もう少しで手が届こうかという距離になった瞬間、女の傘が大きな一つ目を見開いた。
「うわぁ!」
 その予想だにしない出来事に男はひどく驚き、悲鳴を上げながら尻餅を着いた。そして、その眼前を何かが通り過ぎた。男が尻餅を着いたまま恐る恐る見上げると、そこにあったのは巨大な舌だった。その巨大な舌は傘へと続いており、傘の主である女は妖しげな笑みを浮かべながら男を見下ろしている。女の正体は唐傘おばけであった。
 傘から伸びる舌が雨に濡れる男の頬を舐めた。生暖かい粘液がまとわりついた頬は、雨粒の冷たささえ感じさせない熱を生じ、その熱は男の身体中を巡った。そして、その熱は滾りへと変化し、男のぺニスを痛い程に勃起させた。
 唐傘おばけは一歩、二歩と距離を詰め、ついには男を傘の下に入れるに至った。唐傘おばけが男にしなだれかかると、二人の体を傘の舌が包み込む。蠢く舌の愛撫と粘液が、男と唐傘おばけの劣情を燃え上がらせる。雨が傘を叩く音がやけに大きく聞こえた。
 「私を忘れたいけずなお人。けれど、好きで好きで堪らないお人。二度と私を忘れぬように、よぉく、よぉく使い心地を教えて差し上げます」
 いつしか、傘を叩く雨音は遠い彼方のこととなっていた。今はただ、この艶かしい肢体を味わいたい。男はそう思った。
「幾久しくお側に置いてくださいませ。私だけの主様」
 そして、男の視界は白で包まれた。
18/11/23 21:56更新 / PLUTO
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■作者メッセージ
次回「妖刀の話」

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