魔物的哲学の森
ある男が誰にも告げず、森に散歩に出かけた。男がとある沼の近くを通りかかったその時に、突如雷雲が沸き起こり、男は雷に打たれ死んでしまった。
しかし、同時に沼に落ちた雷は、沼の中の物質を変質させ、その男と全く同じものを作ってしまった。
沼から生まれた男は記憶も性格も思考もその雷に打たれて死んだ男と同じで、沼から生まれた男は何事もなかったように雷で死んだ男の家に帰り、雷で死んだ男がするように食事して、就寝し、翌朝には雷で死んだ男のしていた仕事に出かけて行った。
沼から生まれた男は、雷に打たれて死んだ男と同一と言えるか？
「別人だな」
黒い短髪をした目つきの鋭い痩せた男が見た目通りに冷たい声で言い切った。
「どうしてよ、ボビー。姿かたちだけじゃなくて、同じ記憶で、同じ思考を持っているなら、同じ人間と言ってもいいでしょう？」
栗色の髪をボブカットにした、ちょっと勝気そうな女性がそれに反論した。
「じゃあ、リズ。散歩に行った男を散歩男、沼から生まれたものを沼男と呼ぶとする。もし、散歩男が散歩に行かずに死ななかったとしよう。沼男だけが生まれて家にやってきて、俺は散歩男だと言ってきたらどうする？」
ボビーの反論にリズはうめいて言葉を失った。
「散歩男は散歩男の魂を持っている唯一の存在だ。魂は存在が個別に持つ物語と言ってもいいだろう。散歩男が死んだところで、散歩男の物語は終了している。沼男が散歩男と同じだとしても、沼男は沼男の物語をすでに持っている。それは散歩男とは違う物語だ」
ボビーは容赦なく言葉を継いで、リズを言い込めた。
「じゃ、じゃあ、転移魔法は？ あれが身体を分解されて再生されるものだとしたら？ 転移魔法を使う前と後じゃ別人ってことになるんじゃない？」
リズはちょっぴり涙目になって別の問題を引っ張り出してきた。
「それは同一人物だ。さっきも言ったように物語の連続性が重要なのだ。転移魔法で転移しようとした意識があることで物語は連続している。つまり、同じ魂だから同一人物と言える」
「じゃあ、意識しなかったら？ 例えば、罠にかかっての転移だったり」
「罠にかかったという原因がある以上、罠にかかったということが彼の物語の中に書かれている。それならば、連続していると言える。しかし、雷で散歩男が死んだことと、沼男が生まれたことは偶然、同じ場所で起きったことなのだろう？ そこに因果のないものは断絶しているから別だ」
「じゃあ、そこで雷に打たれたら沼から同じ体が生まれる罠なら同一人物だけど、偶然なら別人だって言うの？ そんなのおかしいじゃない」
「おかしくはない。散歩男が死んだから死人に口なしになっているだけだ。散歩男が生きていればと考えれば、わかる話だ」
「じゃあ、さっきの罠が分身を生み出すものだったら、どうするのよ？」
「罠にかかった男を罠男、罠で生み出された分身を分身男とする。分身男は罠男の位置とは違う。つまり、分身男は罠男とは別の物語を歩み出したことになる。だから、罠男と分身男は別人だ……なあ、こんなつまらんことを議論するのは時間の無駄だと思うんだが、それよりも――」
ボビーにため息をつかれ、リズは悔しさで顔を真っ赤にした。
「つまらないってなによ！ ボビーのバカ！」
リズは舌を突き出して幼稚に怒ると家を飛び出していった。
それをボビーは呆然と見つめ、静かになった家の中でため息を一つついた。
「……また、やってしまった。まったく、いつになったら……」
ポケットに手を突っ込んでボビーは天井を仰ぎ見て、ひとり呟いた。
「ボビーのバカ！」
リズは一人、森の中を歩いていた。
森の中を散歩しながら考えをまとめるのは、ボビーに教えてもらった方法である。だが、今のリズは思考力が怒りのために霧散していた。いくら歩いても考えがまとまらない。
「もう、イライラする！ それもこれもボビーのせいなんだから！」
そういえば、何日もお通じがないことも思い出し、八つ当たりした。しかし、すぐに肩を落としてため息をついた。
「今日こそ、ぎゃふんと言わせてやるつもりだったのに……」
いつからだろう？ 森の一軒家に住み着いた賢者であるボビーのところを訪れるようになったのは。
村の人々は彼の知識に敬意を表しているが、どうでもいいことを考え続けている彼を不気味にも感じていた。
彼女はそれが嫌だった。彼は物事を深く考えているだけのことだ。誰も気にしないことを気にしたから気づく新しい知識がある。知識を憶えているだけなら本の方が人よりも優秀だ。だが、彼は知識を見つける。それは本にはできない。だから、彼は本よりも賢い。
彼女はそんな彼を好きになった。彼と並ぶためには彼と同じく賢い女にならなければいけない。
彼はきっと、愚かな女は嫌いだろう。
そう考えて、彼に議論を吹っかけて、自分の賢さをアピールしたかったが、惨敗を続けていた。
気が付くと目の前に池があった。
この森で池があるところはかなり奥の方であった。
リズは普段は来ない森の奥まで来たことに今更ながら気が付いた。怒りに身を任して歩いてきたことを反省した。
「魔物が出るかもしれないって言われてたんだっけ」
魔物は女は襲わないと聞いているが、それが絶対というわけでもないとボビーに教えてもらっている。リズはちょっと不安になって踵を返した。
「もう、帰っちゃうの？」
踵を返した直後に後ろから声がして、リズは飛び退りながら振り向いた。
振り向いたりせずに、そのまま走って逃げれば、助かったかもしれなかったが。
「っ！」
池のほとりに紫色の粘液がうごめき、人の、女性のような形になった。
「スライム！」
リズは逃げるために身をひるがえした。スライムは厄介な魔物だが、移動速度が遅い。全力で走れば逃げ切れる。
確かに、遭遇してすぐにそうしていれば、逃げ切れただろう。しかし、スライムに時間を与えたことがその可能性を潰した。
いや、普通のスライムならそれでも可能性は残っていただろう。しかし、リズの遭遇したスライムは、不幸なことにスライムの中でも知能の高いダークスライムだった。
「えっ？」
リズの足に紫色の粘液が絡みついた。それだけで、その場から一歩も動けなくなった。
「は、放して！」
地面の小石を拾い上げて投げつけようとしたが、その手も粘液にからめとられて、四つん這いの状態になった。
「ちょっ！ やっ！ た、助けて！」
悲鳴を上げるが、森の奥は考え事をするのにちょうどいいとボビーが言っていた通り、めったに人は来ない。
「大丈夫ですよ。ちゃんと助けてあげますから」
いつの間にか、本体らしき人型の粘液がそばまでやってきていた。
「捕まえといて、何言ってんのよ！」
リズは叫んでダークスライムを睨んだ。
近くで見ると、粘液であることを除けば、ダークスライムは見惚れるほどの美女で豊満な身体をしていた。
人型の身体の心臓のあたりにコアのような球体が浮いている。あからさまな弱点ぽいものだが、手も足も粘液の中に封じ込まれているリズになすすべはなかった。
「じゃあ、いいことしましょうね」
「いやーっ！ 助けて、ボビー！ ボビー！」
リズの悲痛な叫びはダークスライムの粘膜の中に吸い込まれていった。
リズの全身をダークスライムの粘液が包んだ。
「おごっ！」
リズは慌てて口を閉じて息を止めた。しかし、粘液は鼻からも入ってきた。しかも、急なことで十分に空気を吸えなかった上に、逃れようと余計な力が身体に入っているため、すぐに息苦しくなってきた。
（だめっ）
理性でいくら我慢しようとしても、生命に関わると本能が絶対に有利である。口を開き、肺の空気が粘液の中に漂い、その分を補うように粘液が口の中から入って、肺の中に侵入してきた。
「んんんん！」
肺に液体が入ったのにも関わらず、苦しさがまったくなかった。それどころか、さっきまでの酸欠が解消されていた。
（どういうこと？）
息ができるようになって、少しだけ周囲を見れるようになったリズは、粘液越しにピンク色に染まる森の景色を見た。
（あのスライムに取り込まれたのは間違いないみたい）
手足を動かそうとしたが、全く動かない。
（このまま、死んじゃうの？ ボビーに好きって言えないまま。そんなの、いや！ ああ、こんなことなら、フラれてもいいから、好きって言えばよかった。賢い女なんて私には無理だったのに）
涙が出たが、それも粘液に吸収された。
ふと、リズは自分の着ている服に穴が開いてきているのを見つけた。
（服！ 服、溶かされてる！）
絶望していた心に火が入った。
（全裸で死ぬなんて嫌！）
死ぬのに全裸も服を着ているもないのだが、乙女心には雲泥の差があった。
しかし、彼女の抵抗もむなしく、服はすべて溶かされ、生まれたままの姿になった。
（いやぁ！ こんな格好、森の中で、変態よ！）
リズは心の奥から魔物を憎んだ。殺すなら普通に殺せと。
「どうして？ とっても綺麗よ？」
女性の声が聞こえた。目の前に取り込まれる前に見たコアが浮かんでいた。直感的にそれが話していることがわかった。
「外で裸になるなんて、変態なのよ！」
リズは身体が動かないならと、言い返した。
「そうね。確かに人間にとっては、変態かもしれないけど、魔物にとってはそれほど変態でもないのよ」
「私は人間なの！ 魔物と人間は違うの」
「大丈夫。あなたは魔物になるんだから」
リズはその言葉に心臓が止まりかけた。
魔物になる？
死ぬよりも過酷な運命を聞かされて、リズの心が絶望した。そして、迷うことなく、舌を噛み切ろうとした。
「どうして！」
舌を噛み切ろうとしても、舌を甘噛みするぐらいしか力が入らなかった。
「んふふ、舌を噛み切っても死ねないんですよ？ 痛いだけだから、やめましょうね」
「お願い、死なせて。殺して！ 私、魔物なんかになりたくない」
リズはもう、懇願しかないと涙を流してダークスライムの慈悲にすがった。
「人間を殺すなんて、そんな恐ろしい残虐なことできません！」
ダークスライムの方はそれに驚いて、軽く嫌悪感すらも感じるような声で答えた。
「人間を魔物にする方がよっぽど残虐よ！」
「そんなことないですよ。魔物になるのは、とっても気持ちいいのよ」
リズはダークスライムに価値観の違いを叫んでみたが、価値観が異なる者同士では同じ言語を使っても会話が成立しにくい。
「そうだ！ 魔物になるのがいいことだって、その身をもって教えてあげる」
嫌だというのに、その身をもってなど押し売りにもほどがある。しかし、価値観が違うので親切とさえ思っている。
ダークスライムの粘液がリズの皮膚の上を這いずり回った。
「はうっ！」
絶妙な力加減でなでられ、背筋に電流が走った。
「やぁっ！」
オッパイを粘液が揉み始める。人の手では不可能な変形をさせられ、乳首には絶妙の力加減での刺激が与えられる。
「ふぁああぁ……」
これまで感じたことのない快感に視界が滲むのを感じた。胸をいじられただけで、股間が熱くなり、愛液がにじみ出るのを感じるが、それが太ももを濡らすことなく、粘液に吸収されていく。そして、下腹部が絶え間なく痙攣を続けている。
「ひぁあっあ、ひぃああ！」
乳首の先端から粘液が胸の中に入っていった。敏感な乳首の乳腺に沿って粘液が逆流する。乳腺の周囲の神経を刺激して、リズには経験はないが、オッパイからミルクを絞られているような感覚に幸福感が膨れ上がる。
「おっぱい、おおきくなってるぅ」
容姿は人並みより上という自信はあったが、オッパイの大きさ名は人並み以下だと、コンプレックスになっていたリズは、粘液が入って大きく膨らんだ自分のオッパイを見て、喜びが込み上げてきた。
「魔物になれば、スライムになれば、オッパイの大きさなんて自由自在よ」
ささやかれて、リズは思わず、それはいいかもと一瞬思いかけた。
「い、いや！ オッパイ大きくなっても、魔物になんか！」
すぐに正気を取り戻して拒否した。
「がんばるわね。じゃあ、これは？」
リズは急に便意を催した。
「え？ うそ！」
便秘症で悩んでいたリズは、今、このタイミングで？ と青ざめた。全裸にされ、全身をもてあそばれ、そのうえ、大便をまき散らすなど乙女の許容値を数千倍超えている。
「い、いやあ！」
肛門がひくつき、リズの意志に反して、それを締めることができなかった。
もう、出ると覚悟した。世界一みっともなく死ぬ乙女になったと神を呪った。
が、排便している感覚があるのに、粘液には何も出てこなかった。
「スライムになれば、絶対、便秘にはならないわ。排出もしないんだから」
「あああぁぁ……」
排便と排尿は原始的な快感が伴う。リズは便秘でそれを長らく味わっていない。延々と排便を続ける感覚に彼女の理性が崩壊し始めた。
「本能に素直になるって、素敵でしょう？ もっと、自由になりましょう。心を解放しましょう」
ダークスライムのささやきに言い返すことはできなかったが、リズは微かに首を振った。
「……魔物になんかに、なったら、……ボビーに嫌われる」
リズは目の光を失って、涙を流した。理性が崩れても、彼女の恋心が最後の防波堤になって、ぼろぼろの彼女の心を支えていた。
「きゃあんっ！ もう、この子、かわいい！ 絶対、魔物にして、幸せにしてあげなくちゃ！」
ダークスライムの方はそれでやる気がさらに出てしまった。
「そういうことなら、やっぱり、ここよね」
「！」
リズはダークスライムの粘液が股間に絡みつくのを感じて、絶対に嫌だと必死に拒否した。
「大丈夫。処女を奪うなんて、デリカシーのないことはしないわ」
ダークスライムが優しく語りかけてきた。
「ほら、自分の身体をよく、見て」
ダークスライムに言われて、リズは身体を動かした。もう、束縛はなく、自分の身体を動かして、自分の身体がどうなってるか見れた。
「？」
自分の身体はぼんやりとした輪郭線があるだけで、粘液と同じ色になって、向こうが透けていた。ただ、下腹部の子宮と卵巣、膣、クリトリス、小陰唇だけが粘液の中に浮かんでいた。
その女性器にダークスライムのコアが近づき、コアが解けるともう一組の女性器になった。
「一つになって、二つになりましょう」
子宮同士が、卵巣同士が密着して、混ざり合う。
頭の中に、今まで人間としての常識、教団の教え、両親の教育が溶け落ちていった。その代わりに、魔物の人間への愛が、特に男への愛が染み込んできた。
「ああ、あぁあ……」
これまで生きてきた彼女の価値観が塗り替わっていった。素直になれなかった淡い恋を悔やみ、恥ずかしいと隠した性は自慢することへと。
好きな人と結ばれること以上に素晴らしいことがない。それをしないで、生まれてきた意味を感じない。セックスして、射精してもらうこと。その人の子を産むこと。それが何よりも優先すべきこと。
服なんて、愛しい人を誘惑するためのもの。自分の身体を隠すためのものじゃない。
リズはすべてを悟った。そして、人としてのしがらみを失ったことで、自分に正直に生きれる。意地っ張りで回り道していたさっきまでの自分は死んで、新しいあたしに生まれ変わった。
池のほとりに紫色の粘液が二塊りあった。
「じゃあ、いってらっしゃい。しっかりね」
「はい。おかあさん」
リズの姿をしたダークスライムが森の中を愛する人の元へと這い寄っていった。
扉をノックする音が聞こえた。
「ボビー、いる？ リズだけど……」
「あ、ああ。どうしたんだ？ 何か忘れものか？」
リズの声にボビーは慌てて立ち上がって、扉を開けた。そして、そこにリズの姿をした紫色の粘液を見つけた。
「うん。わすれもの。ボビーのこと、愛してるの！ ずっと、言いたかったのに、言い忘れてたの」
硬直するボビーにリズが襲い掛かった。
「うわぁあ！ 魔物！」
ボビーは玄関先に現れた魔物に驚き、尻もちをついた。
その拍子に、素朴な金属のリングがボビーのポケットから転がり落ちた。
指輪の内側には、古い言葉で「リズへの永遠の愛を誓うよりも毎日の愛をささやく」と刻印されている。
「もう、私……ううん、あたし、自分を偽らない。あるがままの自分を見せるの。それをボビーに愛してもらうの」
粘液がボビーの服の中へと入り込み、体中をまさぐる。
よく見ると、魔物となっているが、その姿には見覚えがあった。
「り、リズ？ リズなのか？」
「そうだよ。リズだよ。……あ、ボビー、問題です。
ある女が誰にも告げず、森に散歩に出かけた。女がとある池の近くを通りかかったその時に、突如ダークスライムが沸き起こり、女はダークスライムの襲われた。
しかし、ダークスライムは女の物質を変質させ、その女をいやらしい素敵な女にした。
ダークスライムから生まれた女は記憶も性格も思考も、そのダークスライムに襲われた女と同じで、女は何事もなかったように好きな人のいる家に帰り、好きな人に告白して、愛する人の精液を求めました。
ダークスライムから生まれた女は、ダークスライムに襲われた女と同一と言えるか？」
しかし、同時に沼に落ちた雷は、沼の中の物質を変質させ、その男と全く同じものを作ってしまった。
沼から生まれた男は記憶も性格も思考もその雷に打たれて死んだ男と同じで、沼から生まれた男は何事もなかったように雷で死んだ男の家に帰り、雷で死んだ男がするように食事して、就寝し、翌朝には雷で死んだ男のしていた仕事に出かけて行った。
沼から生まれた男は、雷に打たれて死んだ男と同一と言えるか？
「別人だな」
黒い短髪をした目つきの鋭い痩せた男が見た目通りに冷たい声で言い切った。
「どうしてよ、ボビー。姿かたちだけじゃなくて、同じ記憶で、同じ思考を持っているなら、同じ人間と言ってもいいでしょう？」
栗色の髪をボブカットにした、ちょっと勝気そうな女性がそれに反論した。
「じゃあ、リズ。散歩に行った男を散歩男、沼から生まれたものを沼男と呼ぶとする。もし、散歩男が散歩に行かずに死ななかったとしよう。沼男だけが生まれて家にやってきて、俺は散歩男だと言ってきたらどうする？」
ボビーの反論にリズはうめいて言葉を失った。
「散歩男は散歩男の魂を持っている唯一の存在だ。魂は存在が個別に持つ物語と言ってもいいだろう。散歩男が死んだところで、散歩男の物語は終了している。沼男が散歩男と同じだとしても、沼男は沼男の物語をすでに持っている。それは散歩男とは違う物語だ」
ボビーは容赦なく言葉を継いで、リズを言い込めた。
「じゃ、じゃあ、転移魔法は？ あれが身体を分解されて再生されるものだとしたら？ 転移魔法を使う前と後じゃ別人ってことになるんじゃない？」
リズはちょっぴり涙目になって別の問題を引っ張り出してきた。
「それは同一人物だ。さっきも言ったように物語の連続性が重要なのだ。転移魔法で転移しようとした意識があることで物語は連続している。つまり、同じ魂だから同一人物と言える」
「じゃあ、意識しなかったら？ 例えば、罠にかかっての転移だったり」
「罠にかかったという原因がある以上、罠にかかったということが彼の物語の中に書かれている。それならば、連続していると言える。しかし、雷で散歩男が死んだことと、沼男が生まれたことは偶然、同じ場所で起きったことなのだろう？ そこに因果のないものは断絶しているから別だ」
「じゃあ、そこで雷に打たれたら沼から同じ体が生まれる罠なら同一人物だけど、偶然なら別人だって言うの？ そんなのおかしいじゃない」
「おかしくはない。散歩男が死んだから死人に口なしになっているだけだ。散歩男が生きていればと考えれば、わかる話だ」
「じゃあ、さっきの罠が分身を生み出すものだったら、どうするのよ？」
「罠にかかった男を罠男、罠で生み出された分身を分身男とする。分身男は罠男の位置とは違う。つまり、分身男は罠男とは別の物語を歩み出したことになる。だから、罠男と分身男は別人だ……なあ、こんなつまらんことを議論するのは時間の無駄だと思うんだが、それよりも――」
ボビーにため息をつかれ、リズは悔しさで顔を真っ赤にした。
「つまらないってなによ！ ボビーのバカ！」
リズは舌を突き出して幼稚に怒ると家を飛び出していった。
それをボビーは呆然と見つめ、静かになった家の中でため息を一つついた。
「……また、やってしまった。まったく、いつになったら……」
ポケットに手を突っ込んでボビーは天井を仰ぎ見て、ひとり呟いた。
「ボビーのバカ！」
リズは一人、森の中を歩いていた。
森の中を散歩しながら考えをまとめるのは、ボビーに教えてもらった方法である。だが、今のリズは思考力が怒りのために霧散していた。いくら歩いても考えがまとまらない。
「もう、イライラする！ それもこれもボビーのせいなんだから！」
そういえば、何日もお通じがないことも思い出し、八つ当たりした。しかし、すぐに肩を落としてため息をついた。
「今日こそ、ぎゃふんと言わせてやるつもりだったのに……」
いつからだろう？ 森の一軒家に住み着いた賢者であるボビーのところを訪れるようになったのは。
村の人々は彼の知識に敬意を表しているが、どうでもいいことを考え続けている彼を不気味にも感じていた。
彼女はそれが嫌だった。彼は物事を深く考えているだけのことだ。誰も気にしないことを気にしたから気づく新しい知識がある。知識を憶えているだけなら本の方が人よりも優秀だ。だが、彼は知識を見つける。それは本にはできない。だから、彼は本よりも賢い。
彼女はそんな彼を好きになった。彼と並ぶためには彼と同じく賢い女にならなければいけない。
彼はきっと、愚かな女は嫌いだろう。
そう考えて、彼に議論を吹っかけて、自分の賢さをアピールしたかったが、惨敗を続けていた。
気が付くと目の前に池があった。
この森で池があるところはかなり奥の方であった。
リズは普段は来ない森の奥まで来たことに今更ながら気が付いた。怒りに身を任して歩いてきたことを反省した。
「魔物が出るかもしれないって言われてたんだっけ」
魔物は女は襲わないと聞いているが、それが絶対というわけでもないとボビーに教えてもらっている。リズはちょっと不安になって踵を返した。
「もう、帰っちゃうの？」
踵を返した直後に後ろから声がして、リズは飛び退りながら振り向いた。
振り向いたりせずに、そのまま走って逃げれば、助かったかもしれなかったが。
「っ！」
池のほとりに紫色の粘液がうごめき、人の、女性のような形になった。
「スライム！」
リズは逃げるために身をひるがえした。スライムは厄介な魔物だが、移動速度が遅い。全力で走れば逃げ切れる。
確かに、遭遇してすぐにそうしていれば、逃げ切れただろう。しかし、スライムに時間を与えたことがその可能性を潰した。
いや、普通のスライムならそれでも可能性は残っていただろう。しかし、リズの遭遇したスライムは、不幸なことにスライムの中でも知能の高いダークスライムだった。
「えっ？」
リズの足に紫色の粘液が絡みついた。それだけで、その場から一歩も動けなくなった。
「は、放して！」
地面の小石を拾い上げて投げつけようとしたが、その手も粘液にからめとられて、四つん這いの状態になった。
「ちょっ！ やっ！ た、助けて！」
悲鳴を上げるが、森の奥は考え事をするのにちょうどいいとボビーが言っていた通り、めったに人は来ない。
「大丈夫ですよ。ちゃんと助けてあげますから」
いつの間にか、本体らしき人型の粘液がそばまでやってきていた。
「捕まえといて、何言ってんのよ！」
リズは叫んでダークスライムを睨んだ。
近くで見ると、粘液であることを除けば、ダークスライムは見惚れるほどの美女で豊満な身体をしていた。
人型の身体の心臓のあたりにコアのような球体が浮いている。あからさまな弱点ぽいものだが、手も足も粘液の中に封じ込まれているリズになすすべはなかった。
「じゃあ、いいことしましょうね」
「いやーっ！ 助けて、ボビー！ ボビー！」
リズの悲痛な叫びはダークスライムの粘膜の中に吸い込まれていった。
リズの全身をダークスライムの粘液が包んだ。
「おごっ！」
リズは慌てて口を閉じて息を止めた。しかし、粘液は鼻からも入ってきた。しかも、急なことで十分に空気を吸えなかった上に、逃れようと余計な力が身体に入っているため、すぐに息苦しくなってきた。
（だめっ）
理性でいくら我慢しようとしても、生命に関わると本能が絶対に有利である。口を開き、肺の空気が粘液の中に漂い、その分を補うように粘液が口の中から入って、肺の中に侵入してきた。
「んんんん！」
肺に液体が入ったのにも関わらず、苦しさがまったくなかった。それどころか、さっきまでの酸欠が解消されていた。
（どういうこと？）
息ができるようになって、少しだけ周囲を見れるようになったリズは、粘液越しにピンク色に染まる森の景色を見た。
（あのスライムに取り込まれたのは間違いないみたい）
手足を動かそうとしたが、全く動かない。
（このまま、死んじゃうの？ ボビーに好きって言えないまま。そんなの、いや！ ああ、こんなことなら、フラれてもいいから、好きって言えばよかった。賢い女なんて私には無理だったのに）
涙が出たが、それも粘液に吸収された。
ふと、リズは自分の着ている服に穴が開いてきているのを見つけた。
（服！ 服、溶かされてる！）
絶望していた心に火が入った。
（全裸で死ぬなんて嫌！）
死ぬのに全裸も服を着ているもないのだが、乙女心には雲泥の差があった。
しかし、彼女の抵抗もむなしく、服はすべて溶かされ、生まれたままの姿になった。
（いやぁ！ こんな格好、森の中で、変態よ！）
リズは心の奥から魔物を憎んだ。殺すなら普通に殺せと。
「どうして？ とっても綺麗よ？」
女性の声が聞こえた。目の前に取り込まれる前に見たコアが浮かんでいた。直感的にそれが話していることがわかった。
「外で裸になるなんて、変態なのよ！」
リズは身体が動かないならと、言い返した。
「そうね。確かに人間にとっては、変態かもしれないけど、魔物にとってはそれほど変態でもないのよ」
「私は人間なの！ 魔物と人間は違うの」
「大丈夫。あなたは魔物になるんだから」
リズはその言葉に心臓が止まりかけた。
魔物になる？
死ぬよりも過酷な運命を聞かされて、リズの心が絶望した。そして、迷うことなく、舌を噛み切ろうとした。
「どうして！」
舌を噛み切ろうとしても、舌を甘噛みするぐらいしか力が入らなかった。
「んふふ、舌を噛み切っても死ねないんですよ？ 痛いだけだから、やめましょうね」
「お願い、死なせて。殺して！ 私、魔物なんかになりたくない」
リズはもう、懇願しかないと涙を流してダークスライムの慈悲にすがった。
「人間を殺すなんて、そんな恐ろしい残虐なことできません！」
ダークスライムの方はそれに驚いて、軽く嫌悪感すらも感じるような声で答えた。
「人間を魔物にする方がよっぽど残虐よ！」
「そんなことないですよ。魔物になるのは、とっても気持ちいいのよ」
リズはダークスライムに価値観の違いを叫んでみたが、価値観が異なる者同士では同じ言語を使っても会話が成立しにくい。
「そうだ！ 魔物になるのがいいことだって、その身をもって教えてあげる」
嫌だというのに、その身をもってなど押し売りにもほどがある。しかし、価値観が違うので親切とさえ思っている。
ダークスライムの粘液がリズの皮膚の上を這いずり回った。
「はうっ！」
絶妙な力加減でなでられ、背筋に電流が走った。
「やぁっ！」
オッパイを粘液が揉み始める。人の手では不可能な変形をさせられ、乳首には絶妙の力加減での刺激が与えられる。
「ふぁああぁ……」
これまで感じたことのない快感に視界が滲むのを感じた。胸をいじられただけで、股間が熱くなり、愛液がにじみ出るのを感じるが、それが太ももを濡らすことなく、粘液に吸収されていく。そして、下腹部が絶え間なく痙攣を続けている。
「ひぁあっあ、ひぃああ！」
乳首の先端から粘液が胸の中に入っていった。敏感な乳首の乳腺に沿って粘液が逆流する。乳腺の周囲の神経を刺激して、リズには経験はないが、オッパイからミルクを絞られているような感覚に幸福感が膨れ上がる。
「おっぱい、おおきくなってるぅ」
容姿は人並みより上という自信はあったが、オッパイの大きさ名は人並み以下だと、コンプレックスになっていたリズは、粘液が入って大きく膨らんだ自分のオッパイを見て、喜びが込み上げてきた。
「魔物になれば、スライムになれば、オッパイの大きさなんて自由自在よ」
ささやかれて、リズは思わず、それはいいかもと一瞬思いかけた。
「い、いや！ オッパイ大きくなっても、魔物になんか！」
すぐに正気を取り戻して拒否した。
「がんばるわね。じゃあ、これは？」
リズは急に便意を催した。
「え？ うそ！」
便秘症で悩んでいたリズは、今、このタイミングで？ と青ざめた。全裸にされ、全身をもてあそばれ、そのうえ、大便をまき散らすなど乙女の許容値を数千倍超えている。
「い、いやあ！」
肛門がひくつき、リズの意志に反して、それを締めることができなかった。
もう、出ると覚悟した。世界一みっともなく死ぬ乙女になったと神を呪った。
が、排便している感覚があるのに、粘液には何も出てこなかった。
「スライムになれば、絶対、便秘にはならないわ。排出もしないんだから」
「あああぁぁ……」
排便と排尿は原始的な快感が伴う。リズは便秘でそれを長らく味わっていない。延々と排便を続ける感覚に彼女の理性が崩壊し始めた。
「本能に素直になるって、素敵でしょう？ もっと、自由になりましょう。心を解放しましょう」
ダークスライムのささやきに言い返すことはできなかったが、リズは微かに首を振った。
「……魔物になんかに、なったら、……ボビーに嫌われる」
リズは目の光を失って、涙を流した。理性が崩れても、彼女の恋心が最後の防波堤になって、ぼろぼろの彼女の心を支えていた。
「きゃあんっ！ もう、この子、かわいい！ 絶対、魔物にして、幸せにしてあげなくちゃ！」
ダークスライムの方はそれでやる気がさらに出てしまった。
「そういうことなら、やっぱり、ここよね」
「！」
リズはダークスライムの粘液が股間に絡みつくのを感じて、絶対に嫌だと必死に拒否した。
「大丈夫。処女を奪うなんて、デリカシーのないことはしないわ」
ダークスライムが優しく語りかけてきた。
「ほら、自分の身体をよく、見て」
ダークスライムに言われて、リズは身体を動かした。もう、束縛はなく、自分の身体を動かして、自分の身体がどうなってるか見れた。
「？」
自分の身体はぼんやりとした輪郭線があるだけで、粘液と同じ色になって、向こうが透けていた。ただ、下腹部の子宮と卵巣、膣、クリトリス、小陰唇だけが粘液の中に浮かんでいた。
その女性器にダークスライムのコアが近づき、コアが解けるともう一組の女性器になった。
「一つになって、二つになりましょう」
子宮同士が、卵巣同士が密着して、混ざり合う。
頭の中に、今まで人間としての常識、教団の教え、両親の教育が溶け落ちていった。その代わりに、魔物の人間への愛が、特に男への愛が染み込んできた。
「ああ、あぁあ……」
これまで生きてきた彼女の価値観が塗り替わっていった。素直になれなかった淡い恋を悔やみ、恥ずかしいと隠した性は自慢することへと。
好きな人と結ばれること以上に素晴らしいことがない。それをしないで、生まれてきた意味を感じない。セックスして、射精してもらうこと。その人の子を産むこと。それが何よりも優先すべきこと。
服なんて、愛しい人を誘惑するためのもの。自分の身体を隠すためのものじゃない。
リズはすべてを悟った。そして、人としてのしがらみを失ったことで、自分に正直に生きれる。意地っ張りで回り道していたさっきまでの自分は死んで、新しいあたしに生まれ変わった。
池のほとりに紫色の粘液が二塊りあった。
「じゃあ、いってらっしゃい。しっかりね」
「はい。おかあさん」
リズの姿をしたダークスライムが森の中を愛する人の元へと這い寄っていった。
扉をノックする音が聞こえた。
「ボビー、いる？ リズだけど……」
「あ、ああ。どうしたんだ？ 何か忘れものか？」
リズの声にボビーは慌てて立ち上がって、扉を開けた。そして、そこにリズの姿をした紫色の粘液を見つけた。
「うん。わすれもの。ボビーのこと、愛してるの！ ずっと、言いたかったのに、言い忘れてたの」
硬直するボビーにリズが襲い掛かった。
「うわぁあ！ 魔物！」
ボビーは玄関先に現れた魔物に驚き、尻もちをついた。
その拍子に、素朴な金属のリングがボビーのポケットから転がり落ちた。
指輪の内側には、古い言葉で「リズへの永遠の愛を誓うよりも毎日の愛をささやく」と刻印されている。
「もう、私……ううん、あたし、自分を偽らない。あるがままの自分を見せるの。それをボビーに愛してもらうの」
粘液がボビーの服の中へと入り込み、体中をまさぐる。
よく見ると、魔物となっているが、その姿には見覚えがあった。
「り、リズ？ リズなのか？」
「そうだよ。リズだよ。……あ、ボビー、問題です。
ある女が誰にも告げず、森に散歩に出かけた。女がとある池の近くを通りかかったその時に、突如ダークスライムが沸き起こり、女はダークスライムの襲われた。
しかし、ダークスライムは女の物質を変質させ、その女をいやらしい素敵な女にした。
ダークスライムから生まれた女は記憶も性格も思考も、そのダークスライムに襲われた女と同じで、女は何事もなかったように好きな人のいる家に帰り、好きな人に告白して、愛する人の精液を求めました。
ダークスライムから生まれた女は、ダークスライムに襲われた女と同一と言えるか？」
21/01/18 07:01更新 / 南文堂