幸せな夢
隣室のドラゴンさんが死んだ。
そんな話を聞いたのは、秋口の肌寒くなってくる頃。
大家さんからの情報だった。
『強い魔物娘っても、元々病気だったらしいからなぁ』
大家さんはなんでもなさそうに言った。
僕は衝撃を受けた。僕は隣室のドラゴン、サナさんが好きだったのだ。
やれ出会いだセックスだ、という他の魔物娘と違い、明らかに理性的で気位の高い彼女に、僕は惹きつけられていたのだ。
他にも身持ちが硬い魔物娘はいるらしいが、僕にとっては一人目がサナさんだったのだ。
しばらく見ないと思っていたが、まさか、死んでしまっているとは。
実感のないままにそんな話を聞いて、僕がちゃんと受け止められたのは、その夜、布団に入ってからのことだった。
僕は泣いた。二十を越えてからの、遅い初恋だった。
それでも朝日は登る。
寝不足の僕が外に出ると、隣室のドアが開いていた。
女性が、なにやら荷物を運び出している。
ドラゴン。サナさんと同じ種族だ。
僕は目が合って、咄嗟に「どうも」と挨拶をした。
「お隣さんですか？」
声はどこか彼女に似ていた。
「あぁ、はい。ご家族の方ですか？ この度は、ご愁傷様です。本当に、突然で……」
彼女はじっと目を閉じた。そして言う。
「……ええ、そうですね。サナの妹のエリサです。あなたは」エリサの視線が部屋番号にちらりと飛ぶ。「赤井ひじりさんですか？」
「はい。そうですが……？」
「姉は、よくあなたのことを話していました」
「えっ」
「滅多にいない、ちゃんとした男だと。こんな身体でさえ無ければ、と何度も言っていました。隣に住むために、病院にも入らず……」
「それ、は」
僕は言葉に詰まった。
エリサさんがはっと何かに気付いたかのように顔を上げた。
「あ、いえ。あなたのせいではないです。ただ、元々入院しても先延ばしにしかできない類のものなので。それなら、どうせなら気に入った男の近くに居たいと」
本人の意志です、とエリサさんは落ち込んだ声で言った。
僕は、そうですか、と蚊の鳴くような声で呟くのが精一杯だった。
そんなことを今更言われて、どうしろと言うのだ。
エリサが「それでは」と部屋の整理に戻る。
僕は廊下で立ち尽くすことしかできなかった。
身体の中で何かが溢れて、叫びたいような、走り出したいような思いが頭をぐちゃぐちゃにした。
何もする気が起きない。
僕はベランダの扉を開けて、夜風に涼んでいた。
考えるのは自然とサナさんのことになった。
性を強くは感じさせないスレンダーな身体。
今思えば、病気の影響だったのかもしれないな。
引き出しから見つけ出したタバコにそっと火をつける。甘い香りがベランダに広がる。
『タバコはやめろ。健康に悪いぞ』
ふと、ベランダの外にサナさんの姿を幻視した。
そういえば、それが初めてのまともな会話だった。
ベランダでタバコを吸っていると、コンビニ帰りのサナさんがベランダに飛び乗ってきたのだ。
それまでは、すれ違うときに会釈をするくらいだったから驚いた覚えがある。
あのときはなんて返したんだったかな。
覚えていたはずのことが全然出てこない。
戻しそうになるのを煙ごと吸い込み、頭痛は高いタール値のせいにして。紫煙が染みたせいで涙が出た。
「なんなんだよ……」
今更両思いだったとか。
思い出せない言葉だとか。
色褪せていく彼女の声とか。
頭の中はぐちゃぐちゃのままで、未練がましくタバコを咥えている状況とか。
一度やめたタバコは不味い。
「げほっ、ぐぇっ、うぇぇ」
タバコは身体に悪い。そんなことはわかっている。
それでも、僕はベランダを見つめ、現れるはずもない彼女を待ち続けていた。
夢を見た。
『酷い顔じゃないか。ほら、タバコは身体に悪いぞ、やめろやめろ』
幸せな夢だ。
窓から入ってきた彼女が僕をベッドに寝かして、全くなんだこの体たらくはなどと言いながら荒れた部屋を片付けている。
『サナさん』
サナさんは生前と変わらぬ姿で小首を傾げた。
いや、生前よりも肉付きが良くなって健康的に見える。
『サナさん、好きです』
彼女は照れ臭そうに頭に手をやった。
『もう聞いたよな。私もお前が好きなんだ。ああくそ、恥ずかしいな！ ほら、寝てろ！』
僕は無邪気に笑って、布団で顔を半分隠した。
覚めて欲しくない夢だった。
サナさんはもういないのだ。
ぞっと頭を絶望がよぎった。
サナさんが片付けようと触れた場所が腐り落ちていく。
サナさんの足下から部屋がじわじわと黒く染まり、甘い匂いを放ち始める。
部屋が死んでいく。腐った果物のように。
『サナさん……』
僕は苦痛を堪えるかのように呻いた。
サナさんの健康的な身体から赤みが消えていく。
血の気の通らない、絶望的な青に染まっていく。
四肢を、身体を覆っていた緑色の甲殻と鱗から色が抜け落ちていく。薄い灰色に染まる。
僕の声に反応したサナさんがこっちを見た。
『なんだ、どうした？ 怖い夢でも見たか？』
鋭いツリ目が穏やかさを含んだ。
赤い瞳が薄い紫色に染まっていく。
きりりと締められた口元から、筋肉が緩んでだらりと涎を零した。
すっかりと色が抜け落ちて、銀色になった髪が揺れる。
彼女はふんわりと笑った。
乾いた骨のような色の手がやわらかく僕の頭を撫でる。
『大丈夫、大丈夫だからな。ずっと一緒にいるから、安心して眠れ』
サナさんの身体から、黒い霧が薄くたなびいていた。
魂。そんな言葉が、呆けた僕の頭をよぎった。
霧が、僕の伸ばした手をすり抜けて空へと消えていく。
わかっていた。
だが、夢の中だけでも、幸せでいたかった。
僕は動かなくなったサナさんをぎゅっと抱きしめてーー。
目を覚ました。
動悸が激しい。息が荒い。
胸を押さえてぜいぜいと息を吐く。
最悪の夢だ。
きっとサナさんはこれからも幸せな夢に出て、絶望に腐り落ちていくのだろう。
僕は彼女を忘れられないから。彼女の死を忘れられないから。
誰かがひょっこりと廊下から顔を出した。
「あ、起きましたか」
「サナさん！？」僕は彼女を凝視した。「……の妹さん」
「エリサです」
エリサさんだった。改めて見ると、二人は良く似ていた。
僕が今にも死にそうな顔で床に寝転んでいたので、流石にそれは困るとベッドに寝かしてくれたらしい。そして片付けもしてくれたとのこと。
夢の中のことを思い出して、少しだけ辛くなった。
「すいません、助かります」
「良いんですよ。人を助けるのは、魔物娘の本能のようなものですから」
魔物娘の本能。僕が嫌っていたものだ。
子供を成すのは大事だ。それはわかるが、常に発情してセックスし続けるなど人の生活が成り立つわけがないのだ。
しかしその本能の一面に助けられた。
僕は複雑な気持ちで頭を下げた。
「……あなたが、魔物娘の本能……いえ、そうですね。セックスしたがるのを嫌っているのは知ってます」
「……？」
僕は首を傾げた。話が見えない。
エリサさんは言った。
「ですが、あまり嫌わないであげてください。それで、悲しい思いをする子もいます」
「はい？」
「セックスしたくても、相手が望まなければしない、という子も多いです」
僕は気付いた。エリサさんの顔が、あまりにも悲しげだったから。
きっとサナさんのことを言っているのだ。
「でも、サナさんはーー」
「姉も同じです。同じ、でした」
しかし僕の言葉はエリサさんに遮られた。
エリサさんが真面目な顔で言う。
「魔物娘がセックスしたがるのは、本能ですから。心でどれだけ抑えていても、身体は辛いですし、体調を崩したり」
最悪の場合は……。エリサさんは小さく呟いた。
僕は固まった。
馬鹿げた話だ。だが、サナさんは、まるで僕とセックスできなかったから死んだ、とそう言っているようだった。
「姉の場合は、どれだけ触れ合っても変わらなかったでしょう。だから、それはあなたのせい、とかじゃありません。でも」
そう言うエリサさんの目は、僕をしっかりと睨んでいた。鋭い目だ。
「相手に手を出させないなら、自分から誘う覚悟ぐらいはしておいてください。そうでないと、報われない子は必ずいます」
では、とエリサさんは立ち上がった。
僕はその背に問いかけた。
「なんで、そんな話を？」
その声は震えていた。
エリサさんがため息とともに肩を落とす。
「姉の遺言です。あなたが、せめて幸せになれるようにと。姉は最後まであなたのことばかりでした」
これでうまくいかなきゃ恨みますよ、とエリサさんはぽつりと言った。
エリサさんが立ち去って。
「幸せ、なぁ……」
そんなものはもう残っていないのではないだろうか。
僕はまたタバコに火をつけた。
昨日よりはマシな味がした。
『だからタバコはやめろって』
また、夢だ。
すっかりと色が抜け落ちたサナさんは、もっちりと肉のついた身体をふるりと震わせて、流石に寒いんだからなんていいながら扉を閉めた。
『サナさん……』
『なんだ不安そうな顔をして。最近のお前はなんか変だぞ』
『そんなことないですよ』
閉めた扉に向かってぼんやりと座った僕に、サナさんが後ろから覆いかぶさってくる。
冷たい身体だ。
それでも情欲が煽られる。
僕の吸いかけのタバコを咥えた彼女が、口から黒い霧を吐き出す。
甘ったるい匂いがした。
気がつけば、僕はベッドの上で。
添い寝しているサナさんに向けて、腰を振っていた。
かくかくと不恰好な腰の動きでも、サナさんは笑顔で受け止めてくれる。
僕はサナさんの大きな手に抱き締められながら、その膣肉に射精した。
荒い息遣い。
サナさんの口から、断続的に黒い霧が出ている。
いつしか現実感は増し、サナさんのぷにぷに柔らかい肉を、僕は全身で感じていた。
肉棒が、恐ろしく柔らかく蠢く濡れた肉壁に突き刺さっている。
快感が煽られ、腰が勝手に動く。
ぶつかる腹。腰。たぷんと肉が弾む感触。
ひと突きごとに、サナさんの口から喘ぎとともに霧が溢れる。
熱に塗れた布団の中で、冷たく柔らかいサナさんの身体は触り心地がとてもいい。
射精して動きを止めた僕に、サナさんがふんにゃりと笑いかけた。
「もういいの？」
「サナさん……」
僕は訳がわからなくなっていた。
サナさんは確かに死んだのだ。
なのに目の前にいるのは、他でもないサナさんだ。
既に夢は覚めていた。
現実となっても、色がすっかり抜け落ちたサナさんは消えずに残っている。
どこからが夢で、どこからが現実なのか。
もうわからなくなった。
開いた扉から風がぴゅうと吹いて、サナさんが熱を求めるように僕に抱きつく。
「ひじり」サナさんが言った。「セックスしよ？」
「サナさん……」
僕のこだわりのせいで、想いを遂げられず死んだサナさんが、死んでもなお想いを遂げようと僕に追い縋る。
いつのまにか涙を流していた僕に、サナさんがゆっくりと唇を合わせてくる。
甘い霧が、優しく口を潤した。
「んぇっ、あっ、しょっ、そこぉっ」
気がつけば、僕はサナさんの上で腰を振っていた。
サナさんは僕の体を全身で抱きしめてびくびくと身体を震わせた。
僕はぐったりと肉布団に体重を預けた。
「気持ちいい？」
サナさんが、上にべったりと乗しかかって腰を振る僕に言う。
「気持ちいいよ、サナさん」
んふふ、と笑ったサナさんが、ふーっと霧を吹きかけてくる。
途端に意識が肉棒に集中して、腰を振ることしか考えられなくなる。
サナさんがほとんど聞こえていない僕に言う。
「ひじりは、本当はこうなりたかったんだよね」
「良心とか常識なんかいらない。邪魔なだけ」
「ずっと気持ちいいのが一番いいよね」
サナさんがうっとりするような笑みを浮かべた。
「ああ、本当。死ねてよかった」
その言葉を最後に、僕の意識はぷっつりと途切れた。
一週間。
それが、僕がすぐにインキュバスになった後、サナさんの腐敗のブレスで意識を失わないだけの耐性を得るのにかかった時間だ。
めちゃくちゃになった部屋を片付ける僕に向けて、暇そうにしていたサナさんが「ふーっ」とブレスを部屋に撒き散らす。
「やめなさい！！」
「んぉっ♡」
僕はフル勃起をもって全力でサナさんの媚肉にお仕置きした。
サナさんは、僕が動いている間はおとなしく下で潰されて喘いでいるのだが、ちょっとでも離れるとすぐに我慢できなくなってブレスを吐きかけてくる誘い受けの権化だ。
お陰で外に出れない。
まあそれも可愛いくて仕方がないのだから我ながらバカだ。
結局、僕らは。
ドラゴンゾンビについて説明しに来たエリサさんがドン引きするほどセックス塗れの生活を送っている。
過去の僕なら、間違いなく否定していた生活だ。
しかし、今となってはこれでいいのだと言える。
たった一人で。
無念を抱えて死ぬのも、無念を抱えて生きるのも。
こうして愛を紡ぐのは、辛さを知った僕らが、決して一人ではないことの証明なのだから。
そんな話を聞いたのは、秋口の肌寒くなってくる頃。
大家さんからの情報だった。
『強い魔物娘っても、元々病気だったらしいからなぁ』
大家さんはなんでもなさそうに言った。
僕は衝撃を受けた。僕は隣室のドラゴン、サナさんが好きだったのだ。
やれ出会いだセックスだ、という他の魔物娘と違い、明らかに理性的で気位の高い彼女に、僕は惹きつけられていたのだ。
他にも身持ちが硬い魔物娘はいるらしいが、僕にとっては一人目がサナさんだったのだ。
しばらく見ないと思っていたが、まさか、死んでしまっているとは。
実感のないままにそんな話を聞いて、僕がちゃんと受け止められたのは、その夜、布団に入ってからのことだった。
僕は泣いた。二十を越えてからの、遅い初恋だった。
それでも朝日は登る。
寝不足の僕が外に出ると、隣室のドアが開いていた。
女性が、なにやら荷物を運び出している。
ドラゴン。サナさんと同じ種族だ。
僕は目が合って、咄嗟に「どうも」と挨拶をした。
「お隣さんですか？」
声はどこか彼女に似ていた。
「あぁ、はい。ご家族の方ですか？ この度は、ご愁傷様です。本当に、突然で……」
彼女はじっと目を閉じた。そして言う。
「……ええ、そうですね。サナの妹のエリサです。あなたは」エリサの視線が部屋番号にちらりと飛ぶ。「赤井ひじりさんですか？」
「はい。そうですが……？」
「姉は、よくあなたのことを話していました」
「えっ」
「滅多にいない、ちゃんとした男だと。こんな身体でさえ無ければ、と何度も言っていました。隣に住むために、病院にも入らず……」
「それ、は」
僕は言葉に詰まった。
エリサさんがはっと何かに気付いたかのように顔を上げた。
「あ、いえ。あなたのせいではないです。ただ、元々入院しても先延ばしにしかできない類のものなので。それなら、どうせなら気に入った男の近くに居たいと」
本人の意志です、とエリサさんは落ち込んだ声で言った。
僕は、そうですか、と蚊の鳴くような声で呟くのが精一杯だった。
そんなことを今更言われて、どうしろと言うのだ。
エリサが「それでは」と部屋の整理に戻る。
僕は廊下で立ち尽くすことしかできなかった。
身体の中で何かが溢れて、叫びたいような、走り出したいような思いが頭をぐちゃぐちゃにした。
何もする気が起きない。
僕はベランダの扉を開けて、夜風に涼んでいた。
考えるのは自然とサナさんのことになった。
性を強くは感じさせないスレンダーな身体。
今思えば、病気の影響だったのかもしれないな。
引き出しから見つけ出したタバコにそっと火をつける。甘い香りがベランダに広がる。
『タバコはやめろ。健康に悪いぞ』
ふと、ベランダの外にサナさんの姿を幻視した。
そういえば、それが初めてのまともな会話だった。
ベランダでタバコを吸っていると、コンビニ帰りのサナさんがベランダに飛び乗ってきたのだ。
それまでは、すれ違うときに会釈をするくらいだったから驚いた覚えがある。
あのときはなんて返したんだったかな。
覚えていたはずのことが全然出てこない。
戻しそうになるのを煙ごと吸い込み、頭痛は高いタール値のせいにして。紫煙が染みたせいで涙が出た。
「なんなんだよ……」
今更両思いだったとか。
思い出せない言葉だとか。
色褪せていく彼女の声とか。
頭の中はぐちゃぐちゃのままで、未練がましくタバコを咥えている状況とか。
一度やめたタバコは不味い。
「げほっ、ぐぇっ、うぇぇ」
タバコは身体に悪い。そんなことはわかっている。
それでも、僕はベランダを見つめ、現れるはずもない彼女を待ち続けていた。
夢を見た。
『酷い顔じゃないか。ほら、タバコは身体に悪いぞ、やめろやめろ』
幸せな夢だ。
窓から入ってきた彼女が僕をベッドに寝かして、全くなんだこの体たらくはなどと言いながら荒れた部屋を片付けている。
『サナさん』
サナさんは生前と変わらぬ姿で小首を傾げた。
いや、生前よりも肉付きが良くなって健康的に見える。
『サナさん、好きです』
彼女は照れ臭そうに頭に手をやった。
『もう聞いたよな。私もお前が好きなんだ。ああくそ、恥ずかしいな！ ほら、寝てろ！』
僕は無邪気に笑って、布団で顔を半分隠した。
覚めて欲しくない夢だった。
サナさんはもういないのだ。
ぞっと頭を絶望がよぎった。
サナさんが片付けようと触れた場所が腐り落ちていく。
サナさんの足下から部屋がじわじわと黒く染まり、甘い匂いを放ち始める。
部屋が死んでいく。腐った果物のように。
『サナさん……』
僕は苦痛を堪えるかのように呻いた。
サナさんの健康的な身体から赤みが消えていく。
血の気の通らない、絶望的な青に染まっていく。
四肢を、身体を覆っていた緑色の甲殻と鱗から色が抜け落ちていく。薄い灰色に染まる。
僕の声に反応したサナさんがこっちを見た。
『なんだ、どうした？ 怖い夢でも見たか？』
鋭いツリ目が穏やかさを含んだ。
赤い瞳が薄い紫色に染まっていく。
きりりと締められた口元から、筋肉が緩んでだらりと涎を零した。
すっかりと色が抜け落ちて、銀色になった髪が揺れる。
彼女はふんわりと笑った。
乾いた骨のような色の手がやわらかく僕の頭を撫でる。
『大丈夫、大丈夫だからな。ずっと一緒にいるから、安心して眠れ』
サナさんの身体から、黒い霧が薄くたなびいていた。
魂。そんな言葉が、呆けた僕の頭をよぎった。
霧が、僕の伸ばした手をすり抜けて空へと消えていく。
わかっていた。
だが、夢の中だけでも、幸せでいたかった。
僕は動かなくなったサナさんをぎゅっと抱きしめてーー。
目を覚ました。
動悸が激しい。息が荒い。
胸を押さえてぜいぜいと息を吐く。
最悪の夢だ。
きっとサナさんはこれからも幸せな夢に出て、絶望に腐り落ちていくのだろう。
僕は彼女を忘れられないから。彼女の死を忘れられないから。
誰かがひょっこりと廊下から顔を出した。
「あ、起きましたか」
「サナさん！？」僕は彼女を凝視した。「……の妹さん」
「エリサです」
エリサさんだった。改めて見ると、二人は良く似ていた。
僕が今にも死にそうな顔で床に寝転んでいたので、流石にそれは困るとベッドに寝かしてくれたらしい。そして片付けもしてくれたとのこと。
夢の中のことを思い出して、少しだけ辛くなった。
「すいません、助かります」
「良いんですよ。人を助けるのは、魔物娘の本能のようなものですから」
魔物娘の本能。僕が嫌っていたものだ。
子供を成すのは大事だ。それはわかるが、常に発情してセックスし続けるなど人の生活が成り立つわけがないのだ。
しかしその本能の一面に助けられた。
僕は複雑な気持ちで頭を下げた。
「……あなたが、魔物娘の本能……いえ、そうですね。セックスしたがるのを嫌っているのは知ってます」
「……？」
僕は首を傾げた。話が見えない。
エリサさんは言った。
「ですが、あまり嫌わないであげてください。それで、悲しい思いをする子もいます」
「はい？」
「セックスしたくても、相手が望まなければしない、という子も多いです」
僕は気付いた。エリサさんの顔が、あまりにも悲しげだったから。
きっとサナさんのことを言っているのだ。
「でも、サナさんはーー」
「姉も同じです。同じ、でした」
しかし僕の言葉はエリサさんに遮られた。
エリサさんが真面目な顔で言う。
「魔物娘がセックスしたがるのは、本能ですから。心でどれだけ抑えていても、身体は辛いですし、体調を崩したり」
最悪の場合は……。エリサさんは小さく呟いた。
僕は固まった。
馬鹿げた話だ。だが、サナさんは、まるで僕とセックスできなかったから死んだ、とそう言っているようだった。
「姉の場合は、どれだけ触れ合っても変わらなかったでしょう。だから、それはあなたのせい、とかじゃありません。でも」
そう言うエリサさんの目は、僕をしっかりと睨んでいた。鋭い目だ。
「相手に手を出させないなら、自分から誘う覚悟ぐらいはしておいてください。そうでないと、報われない子は必ずいます」
では、とエリサさんは立ち上がった。
僕はその背に問いかけた。
「なんで、そんな話を？」
その声は震えていた。
エリサさんがため息とともに肩を落とす。
「姉の遺言です。あなたが、せめて幸せになれるようにと。姉は最後まであなたのことばかりでした」
これでうまくいかなきゃ恨みますよ、とエリサさんはぽつりと言った。
エリサさんが立ち去って。
「幸せ、なぁ……」
そんなものはもう残っていないのではないだろうか。
僕はまたタバコに火をつけた。
昨日よりはマシな味がした。
『だからタバコはやめろって』
また、夢だ。
すっかりと色が抜け落ちたサナさんは、もっちりと肉のついた身体をふるりと震わせて、流石に寒いんだからなんていいながら扉を閉めた。
『サナさん……』
『なんだ不安そうな顔をして。最近のお前はなんか変だぞ』
『そんなことないですよ』
閉めた扉に向かってぼんやりと座った僕に、サナさんが後ろから覆いかぶさってくる。
冷たい身体だ。
それでも情欲が煽られる。
僕の吸いかけのタバコを咥えた彼女が、口から黒い霧を吐き出す。
甘ったるい匂いがした。
気がつけば、僕はベッドの上で。
添い寝しているサナさんに向けて、腰を振っていた。
かくかくと不恰好な腰の動きでも、サナさんは笑顔で受け止めてくれる。
僕はサナさんの大きな手に抱き締められながら、その膣肉に射精した。
荒い息遣い。
サナさんの口から、断続的に黒い霧が出ている。
いつしか現実感は増し、サナさんのぷにぷに柔らかい肉を、僕は全身で感じていた。
肉棒が、恐ろしく柔らかく蠢く濡れた肉壁に突き刺さっている。
快感が煽られ、腰が勝手に動く。
ぶつかる腹。腰。たぷんと肉が弾む感触。
ひと突きごとに、サナさんの口から喘ぎとともに霧が溢れる。
熱に塗れた布団の中で、冷たく柔らかいサナさんの身体は触り心地がとてもいい。
射精して動きを止めた僕に、サナさんがふんにゃりと笑いかけた。
「もういいの？」
「サナさん……」
僕は訳がわからなくなっていた。
サナさんは確かに死んだのだ。
なのに目の前にいるのは、他でもないサナさんだ。
既に夢は覚めていた。
現実となっても、色がすっかり抜け落ちたサナさんは消えずに残っている。
どこからが夢で、どこからが現実なのか。
もうわからなくなった。
開いた扉から風がぴゅうと吹いて、サナさんが熱を求めるように僕に抱きつく。
「ひじり」サナさんが言った。「セックスしよ？」
「サナさん……」
僕のこだわりのせいで、想いを遂げられず死んだサナさんが、死んでもなお想いを遂げようと僕に追い縋る。
いつのまにか涙を流していた僕に、サナさんがゆっくりと唇を合わせてくる。
甘い霧が、優しく口を潤した。
「んぇっ、あっ、しょっ、そこぉっ」
気がつけば、僕はサナさんの上で腰を振っていた。
サナさんは僕の体を全身で抱きしめてびくびくと身体を震わせた。
僕はぐったりと肉布団に体重を預けた。
「気持ちいい？」
サナさんが、上にべったりと乗しかかって腰を振る僕に言う。
「気持ちいいよ、サナさん」
んふふ、と笑ったサナさんが、ふーっと霧を吹きかけてくる。
途端に意識が肉棒に集中して、腰を振ることしか考えられなくなる。
サナさんがほとんど聞こえていない僕に言う。
「ひじりは、本当はこうなりたかったんだよね」
「良心とか常識なんかいらない。邪魔なだけ」
「ずっと気持ちいいのが一番いいよね」
サナさんがうっとりするような笑みを浮かべた。
「ああ、本当。死ねてよかった」
その言葉を最後に、僕の意識はぷっつりと途切れた。
一週間。
それが、僕がすぐにインキュバスになった後、サナさんの腐敗のブレスで意識を失わないだけの耐性を得るのにかかった時間だ。
めちゃくちゃになった部屋を片付ける僕に向けて、暇そうにしていたサナさんが「ふーっ」とブレスを部屋に撒き散らす。
「やめなさい！！」
「んぉっ♡」
僕はフル勃起をもって全力でサナさんの媚肉にお仕置きした。
サナさんは、僕が動いている間はおとなしく下で潰されて喘いでいるのだが、ちょっとでも離れるとすぐに我慢できなくなってブレスを吐きかけてくる誘い受けの権化だ。
お陰で外に出れない。
まあそれも可愛いくて仕方がないのだから我ながらバカだ。
結局、僕らは。
ドラゴンゾンビについて説明しに来たエリサさんがドン引きするほどセックス塗れの生活を送っている。
過去の僕なら、間違いなく否定していた生活だ。
しかし、今となってはこれでいいのだと言える。
たった一人で。
無念を抱えて死ぬのも、無念を抱えて生きるのも。
こうして愛を紡ぐのは、辛さを知った僕らが、決して一人ではないことの証明なのだから。
19/09/01 07:47更新 / けむり