連載小説
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『混乱と狂瀾と矯激』の31〜40日(中編)
 

 《34日目》


 『アイリス大祭』。

 春から初夏にかけてを開花期とする花から名を借りているその祭事は、この時期における街を挙げての一大イベントである。

 地元の大きな商店街が中心となって運営を行い、商店街を南の端から北の『蛇神温泉』と呼ばれる温泉旅館の前までの目抜き通りを利用して、3日間をかけて大々的に開催されるアイリス大祭。

 毎年行われるたびに規模を徐々に大きくし、今では街の外部からも結構な人数が訪れていることで知られている。
 
 この催しのユニークなところは、毎年開催する際に一つの『テーマ』を決め、そのテーマに則って参加団体が出店するという部分だろうか。

 ぶっちゃけ町おこし的な意味合いが強めの祭りなので、祭りの中身は最初期からわりとあやふやだったらしい。もちろん、出店の内容も多岐に渡る。

 去年の『緑色』というテーマの時はタコ焼きですら青のりをびっしりまぶされて芝生タコ焼きという名前で売られていたし、その前の『歴史』の時は出店者たちがこぞって古本屋のハクタク女史のところへアイデアをせがみに行っていたようだ。
 街の周りに海もないのにテーマが『海産物』になった年もあったが、しかし金物屋までがイカの形状をしたナイフを店に出品していたなど、この祭におけるテーマに対する参加者の情熱は凄まじいものがある。

 そして気になる今年のテーマは、誰が決めたか『プレーン』に決定された。

 プレーンは質素や素朴といった意味を持つ言葉。
 そこから参加者がどう解釈し、どうテーマに沿った出店を行うかは各自の裁量に任されている。

 また、アイリス大祭の期間中は参加団体ごとの売り上げの記録が義務付けられ、来場者に対しては気に入った店を記入してもらうアンケートが配布される。

 そして最終日にこの集計を取ることで、祭りにおける栄誉ある『出店大賞』が選出される仕組みだ。

「――イマリ、調子はどうだ?」

 “穏健派”の城に備え付けられた巨大な厨房。

 普段は執事のセハスさんやメイドのマリーさん達のみが使用しているその厨房は、今はやけに賑々しい様子。

 厨房の入り口から顔を出して呼んでみれば、入り口近くに僕の妹がタタタッと駆け寄ってきた。

「兄さん! 来てくれたの!?」
「そんなに慌てて、どうしたんだ?」
「ムリ! もうムリ! ほんとムリ! 兄さん助けて、私1人じゃここ捌ききれないからぁ!」

 途端に半泣きで訴えてくるイマリ。

 彼女の肩越しに見れば、厨房に集まったちびっ子たち……ではなくサバト“穏健派”メンバーの女性陣が8名程、わやわやと調理台の前で騒いでいる。

「あれ、木の実ってどーやって砕くん?」
「確かナイフの反対側、でしたかしら?」
「なるほど、この母さんに任せなさい! ん゛ぇぇーーい!! …………おや、包丁が消えた?」
「うグぅっ」
「スケルトンさんにナイフがぶっすり刺さってますわ!? 骨に! 骨に!!」
「ぎゃーーーー! ぎゃーーーー!」
「だ、だいじょーぶ! これ魔界銀だから! 顔面セーフ!」

 イマリの方に視線を戻す。

「なあ、今は出店用の調理練習をしてるんだよな?」
「た、たぶん…………」

 妹が自信なさげに言うが、訊いてる僕も自信がなくなってきた。
 なんだあの阿鼻叫喚な空間は。
 そしてなぜ包丁を剣道よろしく大上段に振りかぶったんだ、母さんは。

「イマリ、残りの日数は分かってるな?」
「4日、なんだよね……」
「そう、今日を含めて4日だ。それまでに我々は、集まったあの生徒全員に一定ラインの調理技術を教えなきゃならない」
「せめてマリーさんとかセハスさんとか、フタバ先輩に手伝ってもらって……」
「訂正する。『我々』ではなく『僕ら2人で』だ」

 辛い現実に、妹が遠い目になっていた。

 イマリが挙げたメンバーは今はここには居ないが、ネクリを含めて全員、それぞれ別の作業を急ピッチで進めてくれている。
 人員は増えたものの、同時に作戦規模も大幅に増しているため、実際は人的コストも時間的余裕もかなり厳しいところなのだ。

 そしてこの臨時の調理教室の講師として白羽の矢が立ったのが、大学でも調理同好会に入っているイマリと僕。
 一応僕は責任者として全体指揮も取っているので、実質イマリ1人に任せる形になってしまっていた。

「……ごめん、イマリ。メンバーの中で、お前が一番適任だと思ったんだ」
「兄さん…………」

 『家事のからっきしなお母さんの代わりに私がやる!』と宣言し、小中高大と家庭科系のスキルを磨いてきたイマリ。

 レンチン料理の女王と自負する母のずぼら過ぎる調理スキルを、小学生の時分にして既に上回っていたイマリ。

 そんな自慢の妹ならば、今までロクに料理をしてこなかったらしい彼女ら“穏健派”メンバー達を、それでもきっとどうにかしてくれると僕は固く信じている。

「だからイマリ、頼む。『アンチ・サバト』としても、兄としても」
「……うん、そうだよね。私、兄さんのやる事を隣で手伝うって決めたんだったよね」
「ああ、ありがとう」

 少し挫けそうになっていたものの、私やるよ、と言って胸の前で両手を握りこぶしにして気合いを入れ直すイマリ。
 全く、いつの間にこんな逞ましくなったのだろう。

 そして僕らは、包丁を千枚通しのようにキリキリと回してナッツを砕こうとしている母親を含めた、この厨房に集まった料理できないーズな“穏健派”の見かけ幼女な魔物娘たちに立ち向かうことにした。

 パンパンと手を叩くと、こちらに視線が集まる。

「はい、この場の人は全員集まって下さい! 母さんは今すぐ包丁を手放すこと! この最後のメニュー、手順が難しいのはこちらも理解しています! もう一度、今度はイマリと僕の2人でしっかり教えるので……」

 現場に近づき、自分の腰辺りまでの背丈の“穏健派”の魔物娘の方々を見下ろしつつ呼びかけた。

 果たして、4日で間に合うのか。
 否、間に合わせるのだ。

 まずは調理具の安全な持ち方から徹底させる必要があるが、こんな所で諦めるわけにはいかない。
 ……最悪母親については、クッキーの型取りとか接客のみを任せてしまえば良いだろう。

 そんな事を考えながら、僕はイマリと2人で作っておいた簡易レシピノートを開いた。

「……チョコナッツケーキの作り方、皆で最初からおさらいしましょう!!」

 あと4日後に開催を控えた、アイリス大祭。

 我々『アンチ・サバト』はそのアイリス大祭に“洋菓子店”として出店したうえで、大きな売り上げを叩き出し、来場者アンケートによる評価を掻き集める。
 あらゆる手段を行使して『出店大賞』を獲得する。

 そして、それこそがバフォメットら“過激派”への大きな打撃へと繋がっている。


 『ビターチョコレート』作戦の概略は以上である。


 ………………以上である。










 《35日目》


 大学のすぐ近くの、古びた2階建てアパート。

 大学に進学してからはそこに居を構え、高校の時のアルバイトの貯金を家賃として崩しつつ僕は一人暮らしをしている。

 実家も同じ市内にあるのにわざわざ一人暮らしを選択したのは、より大学に近い場所に住むことで徒歩で学校に通えるようにしたいから。
 ……というのが、建前の理由だ。

 一人暮らしの本当の理由は、サバト所属である母親を警戒していたため。大学に入ってサバトに対抗する組織を作ろうとしていた僕の、目論見を読まれないようにするためだ。

 しかし、状況は変わるものだ。

 今や『アンチ・サバト』には妹のイマリが加わり、初期メンバーのマミヤマとアネサキ先輩を欠き、二派閥に分かたれたサバトの実態を知り、遂にはネクリや母が属している“穏健派”と共同歩調を取ることになった。

 だが、どうあっても僕の……いや、僕らの目的だけは一貫している。一貫、していなければならない。

 バフォメットを首魁とするサバト“過激派”への対抗。それだけは、決して揺るいではならないのだ。

 そうして気持ちを新たにしつつ、数日空けっぱなしであったアパート1階の自室へと帰宅。

 今日はここへ、“穏健派”拠点へ持ち込む荷物を取りに来ていた。いよいよ来たる長期戦に備え、日用品を運び出そうという算段だ。

 調理場で繰り広げられているであろう地獄百景については、現在はイマリとヘルプのセハスさんが対処している。僕もなるべく早く戻らなければ。

 カギを取り出し、ドアを開ける。
 キッチン含め二部屋しかない室内へと上がる。


 ――――するとそこには、バフォメットがいた。


「ふははは! 奇遇じゃな、イズミよ!」

 ドアを閉める。

「……………あれ、変だな……?」

 そして、目を擦る。

 おかしい。

 僕の部屋に“過激派”の長の幻が見えた。

 ヤギの角を頭に生やした幼女が仁王立ちして両腕を腰に当て、正面に立ち塞がっている蜃気楼が見えた。

 いったい何が起きているというのか。

 数秒もしないうちに、今度は内側からドアが開く。
 バゴーン、と大きな音を立てて開く。

「こ、これイズミ! なんでおぬし、無言で出ていくのじゃ!?」
「くそ、やっぱり幻じゃなかった!!」

 なんてこった!
 家に帰ってきたらラスボスと鉢合わせるなんて!!
 なんなんだ、全く意味が分からないぞ!?

「というか、奇遇も何もここは僕の家だろ!?」
「わはは! ほれ、とにかく入れ、さあ入れ!」

 呆然としていたところへ強引に手を引かれ、室内へと上がり込んでしまった。
 玄関口でたたらを踏んだ僕の後ろで、ドアが無常にもガチャリと閉まる。
 あれよあれよという間に靴も脱がされてしまった。

「お、おい、バフォメット! どうやってこの場所を知った!?」

 小柄なわりに引っ張る力の強いバフォメットの背中に、せめて事態を把握しようと詰問する。

「ふはは、気になるかイズミ! 我にとってはたやすいことよ!!」
「なにッ…………!?」

 自室のベッドの上によじ登り、そこでバフォメットは再び仁王立ちしてこちらにふんぞり返ってみせた。

「――――何を隠そう、あのムキムキマッチョな赤んぼうが教えてくれたのじゃ!」
「うぉぉぉおおおおーー!?」

 マ、マミヤマァァァァーーーーーー!!

 そりゃあいつなら僕の家も知ってるだろうけどさ!
 『アンチ・サバト』メンバーで集会目的にこのボロ家に集まったりもしたけどさ!

 でも、ダメだろ!!

 それは…………ちょっとダメだろ!!

「『望む物を与えよう』と言ったら、高級ブランドの哺乳ビンの吸い口との交換条件で嬉々として話してくれおったぞ?」
「あの野郎!!」

 僕の個人情報の対価が酷すぎる!!

 自分の住所を売られたことに加え、友人の思考パターンのあまりのブレなさに自分が慄いていると、バフォメットがベッドからぴょんっと飛び降りてきた。

「……なら、どうやって家に入ったんだ? 玄関のカギは閉めていたはずだろう!?」
「うむ。確かに3日前に初めて来た時も閉じとった」
「それならっ」
「ただし、窓のカギは開いておったぞ?」

 ……………………あっ。

「我もまさか、こうも簡単に忍び入れるとは思わんかったが……」

 自室の南側の窓を見れば、普通に全開だった。

 網戸の状態で来客大歓迎、大入り状態のまま3日も僕は家を放置してしまっていたらしい。
 もはや防犯のぼの字もなかった。

「おぬし、中々うっかりなところがあるようじゃのう。この数日は我が見張っておいたから良かったものの、ゆめゆめ気を付けるようにな」
「なぜ侵入者に説教されてるんだ、僕は……」

 そしてバフォメット、そんな何日も何日もこの家に通っていたのか。

「ふふん、これも我の慈悲の忠告よ。さもなくば……その侵入者に家を乱されてしまうかもしれんぞ?」
「おっ、お前、バフォメット、まさかッ!?」

 ニヤリと笑うバフォメットに対して、冷や汗がダラダラと背中をつたうのを感じる。

 あの勝ち誇った笑みはまさか、次の作戦の計画に関する機密書類でも奪取されてしまったというのか!?

 い、いや、そんなはずはない!

 必要な書類やアネサキ先輩のノートは全てマミヤマから逃げたあの日も自分で持っていたし、その後は“穏健派”の拠点に保管している! 計画案の修正なども全て向こうの拠点で行なっているのだから!

 しかし、資材に関する領収書やレシートはどうだ?
 まだここに残っていた可能性もあるんじゃないか?

 ならばバフォメットの、あの余裕の笑みは……!?

「別に……この部屋に、そんな、面白いものなんて無かっただろう?」
「ふははは! ――――いいや、無論あったぞ?」
「なッ……!?」
「おぬしもいじましく隠しておったようじゃが、これが確たる証拠よ」

 証拠と聞いてビクリとなる僕に対して、狡猾なるサバトの長が突然四つん這いになり、ベッドの下から幾つもの書類を取り出す。

 おい、それは…………!!

「『RO』だとッ!?」

 バフォメットが手に取っていたのは、機密書類…………ではなく、ただのエロ本だった。
 『RO』という、少し年齢低めの女性を題材とした、18歳未満は閲覧禁止な雑誌。

 ……いや、だからなんだって言うんだ!?
 特に何の証拠になるわけでもないだろうに!

「ええっと…………それが、どうした?」
「ふふん、しらばっくれるつもりか?」

 ベッドにうつ伏せになり、手に取ったエロ本をパラパラとめくっていくバフォメット。

 よく見れば、ヤツは靴を脱いで裸足だった。
 おい、こいつ完全に自室感覚でくつろいでるぞ。

「見てみい、これよ、今月号とやらはまさにそうじゃろう? ……ほ、ほれ、『ケモロリっ娘、集まれ!』などとっ……! こ、ここっ、こんなにも大きく書いてあるのじゃぞ?」

 そう言ってヤツは若干頬を赤くして、半裸のワーウルフの幼女がこちらを上目遣いに覗き込んでいるという、見開き1ページのどでかいイラストを僕の方へと見せつけてきた。
 それはそれはもう、見せられたこっちまで恥ずかしくなるような、欲望全開の卑猥なイラストであった。

 イラストの傍にある「おにいちゃん……きて❤」という幼女の台詞らしきものが、その致命的さ加減を猛烈にブーストさせている。

「い゛っ………!?」
「ほ、ほれっ! やはりな! やはりおぬしも、なんだかんだ言っておきながら幼き少女への魅力に既に目覚めておるではないかっ!」

 その言葉で遂に理解に至った。

 まさか、バフォメット。

「おい、そういうことか!? まさか証拠って!?」
「そうよ、これでハッキリしたな! イズミ、おぬしが紛れもなく――――真性の、ロリコンおにいちゃんだということがなっ!!」
「いや、違う! 断じてそれは違う!!」

 というかそれ、僕が対サバト目的に毎週近くの河原に行って、ジョギングついでに人目に触れないように除去してるエロ本じゃないか!!
 この街の人がロリコン化するのを未然に防ぐためにわざわざ1人で拾い集めてたヤツだよそれは!!
 資源ゴミに出すためにウチに置いてるだけだ!!

 そう必死にバフォメットに説明する。

「――よって、僕は決して真性のロリコンおにいちゃんなどではない!!」
「それは本当かのう? 先ほどの焦りようといい、実に疑わしいなぁ?」

 ……これ、マズくないか?

 なんだか普通に作戦の計画が露見するよりも、より深刻な情報の暴露が発生してないか!?

 「お、おお……これは……」とか言いながら再び中身をパラパラ、頬を上気させて『RO』を読み進めようとしているバフォメット。
 僕の所持していた幼女のエロ本を幼女が読んでいるという、条例違反に全身で体当たりしていくような驚愕の光景が眼前に広がっていた。

 いけない、止めなければどんどん僕が不利になる。
 そして、雑誌のマンガがより際どいシーンへと進んでいってしまう。それ以上はダメだ、本当に。もう既にかなり際どいシーンだぞ。

「い、いいからそれを早く返すんだ! 僕は読んでもいないものだし、そもそも河原で拾った物だからかなりバッチいぞ!」
「いやじゃ! お断りじゃっ!」
「なぜ!? いいからほら、離せって!」

 ベッドの上で丸まって薄汚れたエロ本をがっちり抱きかかえた山羊角の幼女と、それを必死に引き剥がそうとする自分。
 おかしいな、家に帰ってきた当初はただ荷物の回収をするだけのつもりだったのに、どうしてこうなったんだ?

「いーやーじゃーー!! これはサバトに持ち帰ってっ、イズミ、おぬしへの対策のために我の研究資料とするのじゃーー!!」
「や、やめろぉぉーーーー!!」

 なんか恐ろしいことを言いだしたぞ!?

 ここで僕がこいつにエロ本のテイクアウトを許してしまえば、自分の性的嗜好があらぬ誤解を受けたうえ、さらにサバト本部で晒され見世物にされてしまうのか!?

 もうそんなの、磔刑の人間をさらに錆び槍で突くような拷問処刑と大差ないじゃないか!!

 それだけは、それだけは、本当の本当の本当の本当に遠慮してほしかった。

「いや、頼む、勘弁してくれ! 他のことで何か代わりになるなら、それをなんでも対価にするから!」
「…………対価とな? なんでも、じゃと?」

 よし、食いついた!
 ここからどうにか、譲歩を引き出さなければ……!

「ク、ククッ、サバトの長たる我に『なんでも』とは、覚悟はできておるのじゃろうな?」
「ぐっ…………! も、もちろんだ。今すぐそっちの軍門に下るとか、自害しろだとかはさすがに止めてほしいが」

 『アンチ・サバト』の副代表がケモ耳趣味のロリコン野郎だ、などというガセ100%のデマゴギーを回避できるのであれば、今の僕はわりとなんでも出来る自信があるぞ!!

「む、そんなつまらん事を言うはずがなかろう。痛いのもダメじゃ。そうじゃのう…………」

 『RO』を抱き込んだまま、思案のポーズに入るサバト“過激派”の長。

 僕はそのコメントに困る姿を目の当たりにしつつ、少しの時間彼女の回答を待つことになった。

 そして。

「……おぬし、この数日どこに行っとったのじゃ?」
「なぜ……そんなことを訊くんだ? その質問が対価ということか?」
「これこれ、今問うているのは我の方じゃぞ。大学にもあまり顔を出しておらんかったようじゃないか」

 返答次第ではこの本を返してやらんこともないぞ、と軽く脅しをかけられる。

 公開されればロリコン認定は避けられないであろう現物証拠のエロ本、そんな絶対的なアドバンテージが向こうにはあった。

「……マミヤマからお前に伝言を頼んだはずだ。今日からだと、そうだな、あと3日ほど後になったらお前に再び挑むと」
「それは我も把握しておる」

 ならば今は会う必要がないだろう、別に場所なんて知る必要も無いはずだ、と冷や汗混じりの内心を押し隠しつつバフォメットに告げる。

 “過激派”の彼女に、“穏健派”と『アンチ・サバト』の今の関係についてこの場で話していいものかどうか、実に迷う判断だった。

「そもそも、僕がどこに居たとしてもそっちには関係のない話だろう?」

 そうして僕がお茶を濁しにかかると、目の前の幼女は眉間にシワを寄せる。
 スクール水着の少女がなぜかその服装のままランドセルを背負っているという、凶悪な破壊力を持つ表紙のエロ本を抱きかかえながら、バフォメットは上目遣いにこちらを睨んできている。

 まずい、怒らせてしまったか、あるいは何かの地雷を踏んでしまったか。
 そう身構えるが、しかし意外にもバフォメットからのアクションは皆無だった。

 下を向いて『RO』で顔を隠しながら、何か言い淀んだのちにぽそりと呟く。

「…………その、アレじゃ。なんやかんや我に大言を吐いておいて、逃げられでもしたら許せんじゃろう」
「敵前逃亡など、するつもりは毛頭ない。お前が勝手に押し付けた『ゲーム』ではあるが、やるからには必ずこちらが勝つ」
「む、う、うむ。良い心意気ぞ。じゃが、ほんの多少不安になったというか」
「不安になった……?」

 不安など、どこにあるというのか。

 いわば彼女はゲームマスターで、こちらがチャレンジャーだ。僕らが逃走して『アンチ・サバト』の抵抗がなくなれば、喜ぶべきは彼女らの方だろうに。

「いや、違うぞ! 会えなくて不安などというわけではないぞ! 我らの脅威を知らしめる機会が失われることが多少心配になったと、そういう意味じゃ! ふはは!」
「……なるほど、そういうことか」
「そういうことじゃ! だからほれ、はようケータイの“あどれす”を教えんか、イズミ!」

 ………………ん?

 今、強烈な違和感のあるワードが飛び出してきた気がする。
 緊迫したこの空間に、非常に相応しくない言葉が。

「ぬ? イズミ、今はケータイを持っておらんのか? 仕方ないのう、後でマミヤマのやつにおぬしのを聞いても良いが…………ほれ、これじゃ」

 気のせいではなかった。

 バフォメットは起き上がると、やたらとファンシーなデコレーションが施されたケータイを懐から取り出した。
 お菓子やらスイーツやらをモチーフにしたきらびやかな保護ケースで覆われ、横から果物のストラップが幾つも垂れているケータイだ。
 全体的にとてもキラキラしている。

 そしてそれを、突然の事態に硬直していた僕の方へ、ニンマリとした笑みを浮かべながら見せつけてきた。

「バフォメット、そんな物を持ってたのか……」
「うむ、キラキラでかわいいじゃろ! 部下に念のため持っておけと言われておったが、最近ついに“たっちぱねる”の使い方をマスターしたぞ!」

 ……おばあちゃんみたいな発言だな…………。

 危うく口から出かけたそんな失礼な感想をどうにか抑え、提案の意図を推測する。
 そして、すぐにヤツの狙いに気付いた。

「こちらの居場所をGPSか何かで探知するつもりか? あるいは………………そうか、まさかッ、魔法的な何かで追跡を!?」

 そうか、こちらが家に居ないことを知って作戦情報の秘匿に気付き、より監視の目を厳しくして『アンチ・サバト』のデータを接収するための一手か!
 相変わらずの辣腕だな、バフォメット!!

「じーぴーえす……? 探知? なんじゃそれは?」
 
 ……うん。この反応はどう考えても違うな。

 なんだか、身構えたこっちが少し恥ずかしくなるような素のリアクションだった。

 くそ、これも強者の余裕というヤツなのだろうか。

「……ふむ、我の“あかうんと”は……こうやって見るんじゃったな……? よしイズミ、これを後で“けんさく”するのだぞ! これで我とおはなしし放題じゃな!」
「それが、雑誌との対価で良いのか?」
「うむ! おぬしの趣味を持ち帰れぬのは残念無念じゃが、そちらはもうだいぶ読みこんだからの! 残りは後ほどおぬし自身に聞くとしようぞ!」

 『RO』をぽいっと、至極あっさりと手渡される。

 …………読みこんでしまったのか、『RO』。
 しかも後で話題にするつもりなのか。なんでだ。
 出来ればやめてほしいんだけど。

 あと、IT用語のイントネーションが不慣れすぎなのがさっきからもの凄く気になる。

 いや、しかし。

 これは…………どうなんだ?

 敵の親玉とケータイのアドレス交換をするという状況は途方もなくシュールではあるが、後々になって何かの役に立つんじゃないか?

 …………いやいや、なんの役に立つんだ!?

 そもそもなんで、サバト“過激派”リーダーと『アンチ・サバト』のメンバーがチャットする必要があるんだ!?
 話し放題だからっていったい何を話すんだよ!?

 『今日は10人を目標にサバトに勧誘するぞ!(スタンプ付き)』『頼むからやめて?(スタンプ付き)』…………とか会話しなきゃいけないのか!?
 アホ過ぎるわ!!

 分からない、これはどう考えても自分の想定していた範囲を軽々と超えていく難問だった。

 くそ、話の突拍子のなさに思考がまとまらない!

 そうだ、まずは情報整理の基本に立ち返るんだ!
 バフォメットに僕のLI◯Eアカウントを教えた時のメリットと、予想されるデメリットを考え得る限り全て洗い出して、優先順位で重み付けを行なってインバスケット方式に課題整理をした後にソシュールの記号論に基づいて全ての要素を表象化をしてそれからッ…………!

「……ときにイズミよ、これまでどうして留守にしてたのじゃ? どこかに寝泊まりしておったのか?」
「メリットが……ああ、うん。僕は“穏健派”の――」

 ………………あっ。

「“穏健派”…………? お、穏健派じゃと!? おぬし今、“穏健派”と言ったのか!? おぬし、まさかこの数日ずっと、そのような所におったのか!?」

 し、しまったッ!!

 バカか僕は、余計な事を言ってどうする!?

「イズミよ、あんな日陰者たちの魔窟に行ってはならんぞ! ルール違反、ルール違反じゃ!」
「い、いや、ルール違反ってそんな」
「しまったっ、その可能性も有り得たのかっ……!! なっ、ならん、ならんならん! ダメじゃイズミ、それは認められんぞ! 同じサバトなだけにそれは絶対に許せんぞ!!」

 自分も失言に焦るが、それよりもバフォメットの方が焦っていた。
 こちらの危惧していた反応を遥かに超えて取り乱している。

「向こうで…………いや、そんな…………しかし、現にこやつの周りは………………ならば…………」

 ダラダラと冷や汗をかき、眉を思いきりひそめたかと思うと、今度は頭に手を当てて小声でなにやらブツブツ呟くバフォメット。

 そして、彼女は顔を上げるとこちらを睨んだ。
 焦りと冷静さが同居したような、奇妙な表情を顔に浮かべて。

「…………イズミ、おぬしを我の本部に連れ帰る。悪いが拒否権は認めん」
「なッ!?」

 くつろいでいた時とは比べ物にならない、バフォメットのケタ違いの威圧感が辺りにドッと拡散した。

 ぞん、と空間が軋む音とともに、僕の部屋の壁に紫色の渦が生まれた。
 渦の奥からは、いつかの小学校でも見せられた黒い触手がこちらに向かってゆらりゆらりと伸びてくる。

「バフォメット、なぜだ!? どうして!?」
「それは後で話そうぞ! さあ、今は早くこちらへ来るのだっ、イズ――――なにっ!?」

 その刹那、彼女の言葉が途中で途切れた。

 空いた窓から突如として伸びてきた、別の触手。
 その紫色の触手が、渦から出ていた黒い触手をまとめて切り飛ばしていた。

「………………どうにか、間に合った?」

 割れた窓ガラスの向こうからは、そんな声がした。

「この声、まさかあやつか!?」
「…………帰りが遅いから、見にきてみたら大正解」

 窓から現れた触手はその形状を文化包丁やキッチンバサミへと次々に変形させ、渦の近くに残っていた触手をバラバラに解体する。

 そして最後に僕の腰に巻きついたかと思うと、入ってきたのと同様の速度で触手が窓外へと引き戻されていく。

「………………ぐっじょぶ、テルさん」
「2人とも、来てくれたのか!」

 いつの間にかアパートの庭に立っていたのは2人の魔物娘、リッチのネクリとショゴスのテルさんだった。

 それぞれボーッとした表情と微笑みを湛えた表情の2人がこちらを見て安否を確認し、さらに一瞬前まで僕が居た部屋へと視線を移す。

 僕もテルさんの触手と腕に抱きかかえられたまま……いわゆるお姫様抱っこのまま、同じ方向を見ることになった。

「ネクリ、やはりおぬしかっ!!」

 こちらを部屋の中から睨むのは、バフォメット。

「………………どうも、バフォさま」

 気づけばサバト“穏健派”と“過激派”、それぞれの首領がごく近い距離で対面する形になっていた。

 ビリビリと空気が張り詰めていく感覚。

「ネクリよ、何やらこそこそと動いとるのは知っておったが……いったい何を企んでおる?」
「………………“穏健派”は、既に『アンチ・サバト』とコンビ結成済みだから」

 言葉とともにネクリが前に手をかざすと、僕のアパートの庭に幾つものガイコツが現れた。

 地面から生えるように出現したそれらは、ぼんやりと青い光を放つ半透明な姿であり、なぜかハリセンやらピコピコハンマーやらを各々の手に構えている。

 僕らとバフォメットの間に並んでいるということは、こいつらはボディガード的なものなのだろうか?
 まさかあの得物で戦う気なのだろうか。

「ふん、やはりか! ネクリおぬし、サバトの長たる我への恩を忘れたか!?」
「…………忘れてないけど、今のバフォさまは少し困ったさんになっている。…………反省の必要、あり」
「反省じゃと? 我は我のしたいようにするだけじゃ! サバトの離反者の偽言を聴く耳は持ち合わせておらんぞ!」
「…………それなら、どうする? イズミは、今……その離反者である私たちと肩を組んでる。わっしょいわっしょい」

 今の僕は肩を組んでいるというよりは、テルさんに絡め取られてる感じではあるが。
 まあ、確かにその通りだ。

 ……テルさん、ネクリの言葉に合わせてゆさゆさ揺らさなくていいから。

「ぐ、むむっ…………」

 バフォメットは苛立たしげにネクリやテルさん、そしてガイコツ軍団たちを睨んでから、やがてふいっとそっぽを向いた。

「…………仕方あるまい、この家を傷つけることになっては不本意じゃ、こちらが一旦退いてやろう」

 生じたままだった紫色の渦に足を掛けると、サバト“過激派”の長はこちらに最後に呼びかけた。

「良いかイズミ、我は約束を守ったからな! おぬしも対価を忘れるでないぞ!」

 それに対し、僕も応える。
 お姫様抱っこのまま。

「あ、ああ、分かった」
「では、また会おう! おぬしの『ゲーム』、楽しみにしておるからな! 覚悟しておけ!」

 そして先ほど部屋で遭った時と同じような唐突さで、バフォメットは渦に呑まれてふっと消えてしまう。
 まるで台風のようなヤツだった。

 圧倒的な威圧感が消えたことで空気が弛緩し、残された僕らはようやく緊張を解くことができた。
 あの何にも動じないようなネクリですら、ホッと小さく溜め息を吐いている。

「助かった。ありがとうネクリ、テルさん」
「………………けっこう危なかった」
「やはり、そうなのか」
「…………バフォさまは私たちをずっと上回る力を持ってる。…………テルさんの触手や、私が死霊術で召喚した『受験やブラック企業勤めによって生じた人々の怨念の集合体』なんか、すぐに無力化できたはず……」

 どうやらというか、やはりと言うべきか、バフォメットは今回もかなり手加減をしていたらしい。

 というかリッチの死霊術、なんてものを召喚してるんだ。
 そのガイコツというか幽霊的なもの、そんな悲惨な生まれ方をしてたのか。
 怨念になってからも働かされてるって考えると、ちょっと可哀想すぎやしないか。

「とりあえず、今は一刻も早く“穏健派”の拠点に戻ろう、ネクリ。いつバフォメットが心変わりするとも限らない」
「………………おっけー。持っていく荷物はこのホネホネたちを運送役にすると吉」
「……いや、それは自分で持つから、彼らは元の場所へ返してやってくれないか」
「…………分かった。ほい、かいさーん……」

 パシパシとリッチの少女が手を叩くと、勤務明けのリーマン達のようにのろのろとした動きでガイコツたちは地面に沈んでいった。
 非常に哀愁漂うような、心侘しくなる光景だった。

「………………?」

 テルさんが空いた触手を動かし、ひょいひょいと地面を指していた。
 何も喋りはしないが、しかし言わんとすることはなんとなく分かる。

「ん? ああ、テルさん、もう降ろしてくれて大丈夫ですよ。助かりました」
「………………♪」

 いつまでも触手に絡め取られたままでは何もできないので、自室へと降ろしてもらう。

 降りたところで、さっきまで塞がっていたはずの片手が空いていることに気がついた。

 後ろを振り返ると何やらネクリがしゃがんで地面を見ている。
 地面というか、隣のテルさんと一緒に下に落ちていた一冊の雑誌を覗き込んでいた。

 おい、あそこに落ちてるの『RO』じゃないか?

「…………さっきから必死に抱きかかえていた。これが、イズミの趣味…………?」
「………………?」
「…………見てテルさん。ケモロリとか書いてある」
「………………!!」

 2人が同時に顔を上げ、こちらを見てきた。

「…………イズミ、詳細な説明を要求する」

 バフォメットはいなくなったはずなのに、なぜだろうか、なんだかよく分からないプレッシャーを感じる。

 ……さて、どこから説明するべきだろうか。











 《37日目》


 作戦決行日を明日に控えた、その夜。

「では、セハスさんからお願いします」
「施設の準備は整いました。備蓄場所との資材の融通についてですが…………」
「当日は祭の混雑を考えて、資材の管理はかなりマージンを大きく取って行いましょう。具体的には、各材料が4割、およそ半分以下になったら次のストックを前線に移送する形に」
「かしこまりました、イズミ様。こちらは以上ですな」

 セハスさん、如才なく仕上げておられるようだ。
 様付けは要りませんよ、と苦笑いしつつ壮年の執事との打ち合わせを終え、その横に向き直る。

「続いて、マリーさんの方はどうでしょうか?」
「はーいっ! もう全員のフィッティングまで終わってますよっ! ……とはいえ、だいたい皆様のサイズは同じなんですけどねー」
「なるほど、ありがとうございます」
「それと、なんと1人につき2着のスペアまで付いてきますよっ!」

 事故や弾みでダメになることまで想定していたらしい。
 さすがは本職のメイド、なんという手際の良さ。

 手元のチェックリストを閉じ、解散を告げる。
 執事とメイドのご夫妻は、仲良さげに肩を並べて食堂から退出していった。

 これでようやく、全ての準備が終わったことになる。

 壁の古時計を見れば、もう時刻は夜の10時を回っていた。
 相変わらず昼夜の区別なく宵闇が広がっているこの空間、意識していなければ生活リズムがズレてしまいそうだ。

「………………?」
「ああ、テルさん。助かります」

 いつも変わらない微笑を浮かべているメイド姿の小さなショゴスが、僕の背後から優雅な動作でソーサーに載ったカップを机に置いてくれた。
 紅茶だろうか、机に散らかった進行表やタイムスケジュールなどの書類を端にガッと寄せ、ありがたく戴くことにする。

「……なんだか、落ち着く味ですね」
「………………♪」

 メイド服の裾から、茶っ葉の入った小ビンを取り出してフリフリと見せられる。
 リンデンフラワーという葉であるらしい。

 少しの時間、淹れてもらった紅茶で頭を休める。

 その間、テルさんはシルバートレイを抱えて僕の後ろで微動だにしていない。
 どうやら自分がこの場を空けるまでずっと控えているつもりのようだが、さすがにそれは悪い気がしてきた。

「セハスさん達も戻りましたし、テルさんも今日はもう上がって大丈夫ですよ?」
「………………?」
「いやいや、それくらい平気ですよ、カップの1つくらいさすがに自分で洗えますって」
「………………」
「それにほら、テルさんも明日はメインで活躍してもらわないといけませんからね」
「………………!」

 なんとなく会話が成立していた。

 そういやこの人、お幾つなんだろうか。
 皆がテルさんと呼んでいるので僕も同様に話しているが、ショゴスなこともあって色々と謎な部分が多い。

 結局こちらが全部飲み終わるまで待機していたテルさんは、自分の仕事であると言わんばかりに飲み干されたカップをトレイに回収し、お辞儀をしてからニュルニュルと去っていった。
 まあ、仕事熱心な人なのだろう。

 そうして僕も食堂での作業を終え、自室へと向かうことにする。

 ようやく覚えた頭の中の地図を頼りに、“穏健派”の城中央から、側に建つ尖塔の客室へ。

 その道中、1つの部屋から何やら物音が聞こえた。
 確かここ、フタバ姉妹の部屋だったよな?

 少し近づくと、微かに声が聞こえる。
 そして何か湿ったような、滴るような音も。

「もう、こんなに蜜を垂らしちゃってぇ……❤」
「ね、姉さんがぁ、弱いトコ触るからぁ❤」
「そのわりには押しつけてきてるけど……?」
「あうぅ、それはぁ……❤」

 バッと扉から距離を取る。

 危うく、踏み入ってはいけない空間に接近してしまうところだった。
 多分、百合の花園とかそんな空間に。

「…………燃えあがってる。明日が作戦決行の日だから?」
「ああ、正直ネクリの家で何やってんだと思わなくもな――」

 ――――横を見ると、当のネクリが居た。

 フードまで被った黒パーカーの少女が、ぬぼっとしたいつも通りの表情でこちらを見上げている。

 叫びかけた口を自分の手で封じ込めるという我ながらナイスプレーな状況対応ののち、呼吸を整えてからそいつに話しかける。
 もちろん小声だ。

「……いつから、そこに?」
「………………今、来たところ」

 なんだそのデートのテンプレみたいな返し。
 この状況で言うことか。

「じゃあ、僕はこれで。ネクリも明日に備えてゆっくり休んでくれ」

 取り返しのつかない事態に陥る前に離脱を図る。
 ――――が、その前に袖を掴まれた。

「……ネクリ、さん?」
「…………イズミ、なんだかにおう」
「ん? 夕食の後に大浴場は借りたはずだけど」
「…………違う、これは……なるほど、魔物のにおい」

 ネクリが言うには、どうやら自分にはいろんな魔物娘が発した微量な魔力やら何やらが引っ付いているらしい。

 それもそうだろう。ここ数日はずっとこの城に入り浸り、途中でバフォメットとの邂逅もあり、ついでに言えば『アンチ・サバト』のメンバーもイマリ以外は……。

 ………………あれ?

 いつの間にか僕の周り、なんだか魔物娘だらけになってないか?

 いや、いやいや。
 今は深く考えないでおこう。

「ネクリ、それってまずいのか?」
「…………まずい。かもしれない」

 とりあえずフタバ姉妹の部屋からは離れ、道すがらネクリとの話を続ける。

「…………魔物に対する、免疫? みたいなのが、弱くなるかんじ」
「免疫、か」
「…………誰かに迫られたら、今のイズミはころっとやられる、かもしれない」

 一応僕は名目上、『ビターチョコレート』作戦の指揮官になっている。

 ころりとやられてしまう指揮官。
 なんとも情けない響きだった。

「なるほど。明日からの作戦で支障が出たら目も当てられないな、どうするか……」
「………………われに、策あり」

 冗談なのか本気なのか分からない口調で、ネクリが自身を指差す。
 かと思うと、突然ポケットから飴を取り出した。
 ネクリがたまに舐めているコーヒー飴だ。

「それは?」
「…………ゲン担ぎ、それかおまじない」
「魔法とか、そんな感じか?」
「…………そんなかんじ。魔除け?」

 よく分からないが、リッチであるネクリが言うのならば、その飴が何かの効果を発揮するのだろうか。
 ……何の変哲もない一粒の飴にしか見えないが。

 螺旋階段を先行していたネクリがこちらを向く。

「………………さあ、目をつぶる」
「え、ここでか?」

 階段を昇っている途中で突然魔術を掛けられる。
 そんなことがあるのだろうか。
 もっと魔術とかって、様々な手順が必要になるんじゃなかろうか。いや、よく知らないのだけれど。

 段差のせいで目線の高さが同じになっていたネクリが、早くしろといった感じでこちらを見ている……ような気がした。

 目を閉じる。

 視界が閉ざされ、だるーんとした雰囲気の声だけがこちらに聞こえてきた。

「…………かの者を悪しき他の誘惑からまもりたまえ……とか、そんなかんじで、ほにゃららら…………もぐ」
「いや、後半のほう適当過ぎない、かっ――!?」

 文句の言葉が、何か柔らかいもので口を塞がれたために途切れてしまった。

「…………ん、んむっ、もご……」

 反射的に顔を離そうにも、僕の頭を抱えこむように後ろに回された腕がそれを許してくれない。

「…………んむ、ちゅ……くち、あける…………」

 一瞬の出来事で、自分の口の中に何か硬い物を押し込まれた。
 同時に、塞いでいた柔らかいものが離れ、ほろ苦い甘味が口の中を満たす。

「お、おいっ、ネクリ!?」
「………………これで、おーけー」
「お、オーケー? いや、どういうことだ!? 今の飴に、何の意味が?」
「…………ここでは『受け取る』行為そのものが重要。アメはイズミにぷれぜんとふぉーゆー」

 ぐっない、と言ってさっさと踵を返して立ち去るネクリを呼び止めることも出来ず、残された僕は呆然と立ち尽くしていた。

 口の中のコーヒー味の飴を、持て余したまま。











 《37日目 同日》


「兄さん、起きてる?」

 ベッドの上であぐらをかいて座禅をしていると、ノックと共にそんな声が外から聞こえた。

 少しビクッと動揺したものの、どうにか平静を保つように心掛けつつドアを開ける。

「あ、やっぱりまだ起きてたんだ」
「……ああ、お疲れイマリ。どうかしたのか?」
「あれ? なんか兄さん、ヘンじゃない?」
「変じゃないぞ。いつも通りの兄さんだぞ」
「ん、んん……?」

 少し眉を寄せ、こちらを覗き込んでくるイマリ。
 これ以上ないくらいに怪しまれている。
 ダメだ、もっとしっかりせねば。

 その視線を避けるように外して、彼女がここへ来た用件を聞くことにした。

「ん、ええとね、明日から『ビターチョコレート』作戦の本番でしょ?」
「うん、そうだな」
「それで、なんだか落ち着かなくって……」

 ああ、なるほど。

 こっちはこっちで悩んでいたが、妹は妹でまた明日の作戦について緊張があったようだ。

 ……うん、本来は僕もそっちについて悩んでしかるべきなんだよな。
 何もかもを、あのぼんやりリッチの最後の突拍子もない行動に吹き飛ばされたってだけで。

 明日、あいつとどんな顔して会えば良いのか。

 いや、どうせ向こうはきっといつも通りの無気力対応なんだろうけど。
 いつも通りの対応なんだろうけど!!

「……ん? なんか兄さん、ヘンな匂いが……?」
「え!? い、いや、さっき紅茶とコーヒーを何杯も何杯も飲んでたせいだろうな、それはっ」
「カフェイン摂りすぎじゃない……? 大丈夫? まだお仕事あるなら手伝おうか?」
「あ、ああいや、もう全部終わったんだ」

 今から寝るところだ、と伝える。
 そこに嘘はない。座禅で心を落ち着けたら、すぐにでも寝るつもりだった。

「そっか……あ、じゃあ私も一緒に寝ていいかな?」
「ああ、もちろ――――ん?」

 そして五分後。

 僕の隣には、妹が寝転がっていた。

 妙に強引なイマリに押し切られた形だ。

「え、えへへ、やっぱりちょっと狭いね……」

 消灯した部屋の中で、そうだな、と同意する。
 若干硬い声になっていたのは許してほしい。

 当たり前の話だが、1人用の寝具に2人を詰め込めばそれは狭いに決まっている。

 お互いに背を向けているものの、自分の背中は妹の背に完全にくっ付いているし、手足は微妙に毛布からはみ出していた。
 恐らくイマリも同じような状況だろう。

 ただ、寒くはない。
 背中から伝わってくる暖かな熱が、むしろ若干暑いくらいだった。
 もしかすると自分の熱も向こうに伝わっているのかと思うと、なんだろう、微妙に落ち着かない気分になる。

「兄さん、起きてる?」
「起きてる」
「…………寝れそう?」
「まだ、眠くはなってないな……」
「もー、コーヒー飲みすぎじゃない?」
 
 ふふ、と後ろで微かに笑う気配。
 笑うのに合わせて、背中から小さく振動が伝わってくる。

「むしろ寝れるかどうかって、寝れなくてこっちに来たイマリに僕が言うべきなんじゃないか?」
「あはは、そうかもね」

 その落ち着いた声を聴いて、なんだか荒波のようになっていた感情が穏やかに凪いでいくのを感じた。

 こうして一緒に寝るのなんていつ以来だろうか。
 少なくとも、大学に入ってからは1人暮らしをしているから……。

 そんなことを考えていると、妹が話しかけてきた。

「ねえ、兄さん。1人暮らしっていつまで続くの?」

 どうやら似たような内容を考え込んでいたらしい。
 兄妹らしい思考パターンであるというべきか。

「兄さんが家から出たのって、お母さんがサバトだからだよね?」
「気付いてたのか」
「うん。あと、たぶんお母さんもお父さんもとっくに気付いてると思うよ」

 そうなのか、という思いとともに、どこかすんなりと納得できる部分があった。
 僕がサバトを苦手としているのはあの人達も察していただろうし、かといって家族だからとサバト的教義を僕へ押し付けることもなかった。
 放任主義的な両親、というだけなのかと思っていたが…………。

 “穏健派”に属していたことと言い、僕らにそれを隠していたことと言い、微妙にあの人も行動が謎めいているな。

 まあ、あの母親のことだ。
 何も考えずに享楽的に動いてるだけ、という可能性も充分にあり得るだろう。

「でもそうなると、さ。もうお母さんが“穏健派”っていうのも分かったんだし、兄さんも1人暮らしする必要あるのかな、って。ちょっと思っただけ」
「まあ……確かに。ただ、今は特に1人で不便してないから、積極的に戻ろうとは考えてないな」
「そう、なんだ」
「なんだ、戻ってきて欲しいとか?」
「いや、そんなことは…………」

 言い詰まる妹。

 暗闇の中で、彼女の息遣いだけが聞こえる。

 今まで努めて考えないようにしていたが、イマリから発せられたであろう、どこか甘いような香りが気になって仕方なくなってきた。
 自分の妹のはずなのに、ともすれば変に意識してしまいそうなほど。

「そんなことは……あるよ。ちょっと寂しい、かな」

 そしてイマリの言葉が、いっそうこの部屋の妙な雰囲気を、さらにおかしなものへと変えてしまう。

「え……?」
「ねえ兄さん、もし私がお願いしたら、兄さんは戻ってきてくれるの? ずっと、ずっと一緒に居てくれる?」

 後ろで毛布の擦れる音がする。ちょうどそう、人が寝返りをうつ時のような音が。

 …………そうすると、僕の肩に今触れているのはイマリの手なのだろうか。

 細い指がシャツ越しに、肩から背中にかけてをゆっくりとなぞっていく。
 何度も、何度も。

「お、おいっ、イマリっ」
「ねえ、兄さんは………………」

 驚くほど自分の耳に近い位置で妹の囁きが聞こえ、身体が硬直する。
 耳から入り込んだ熱い息が思考を溶かし、徐々に何も考えることができなくなっていく。

 遂には、僕の背中に隙間なく密着されてしまった。
 柔らかい2つの膨らみの感触の向こうから、彼女の心音までもが手に取るようにはっきりと感じられる。

「ねえ……兄さん? 兄さんは、私が――――」


 ――その瞬間、ヴヴヴヴッと僕の頭上が鳴った。


「うわっ!」
「ひゃっ!?」

 似たような悲鳴をあげて、近づいた距離はあっという間に元の位置に戻っていた。

 先程までのドロリとした粘つくような空気は霧散し、その原因であるケータイのバイブレーションだけがビリビリと音を立てる。

 暗闇の中で手探りで掴み、闇の中ではあまりにも眩しい液晶画面を覗いた。

「え、ええっと、こんな時間に電話……?」
「いや、LI◯Eだった」

 しかも宛名を見れば、まさかのバフォメット。

「誰から?」
「あー、そのだな……」

 うむ、緊急連絡だ……いや、クラスの奴からのな、だから気にするな、などと適当な事を言いつつ、妹に背を向けてアプリを開く。

 果たして、その内容は。

『3着まで絞り込んだが、明日はどれを着ていくべきかの!? おぬしの発言を許可しようぞ! 参考にくらいはするかもしれんな!』

 …………と、そんな感じだった。

 その下には煌びやかなドレスを床に並べ、それを写真に撮った画像が。

 うむ。

 なんだこれは。

 あのサバトの長はいったい、何を考えてこれを送ってきたのだろうか。

 こちらを混乱させるのが目的なのであれば、その目論見は大成功であると言えるだろう。
 今まさに、僕は大混乱しているのだから。

 実はこうして、この3日程ちょくちょくバフォメットはこちらに連絡をよこしてきているのだが……。

 ケータイの電波とかどうやって届いてんの、という疑問は100歩譲ってまだ良いとして、日毎にヘタすると40〜60分くらいはヤツとのチャットに費やしているのだが……。

 しかも大した情報ではなく、『サバトの教義を講釈してる時にファミリアが最前列で居眠りしてた』だとか、『マミヤマがプレイ用に購入したベビーベッドに腰がはまって抜けられなくなってしまった』とか、そんなのばっかりなのだが……。

 ……いよいよあいつが何を企んでいるのか分からなくなってきた。
 なぜ明日戦う相手に服を選ばせるのか。

 とりあえず、『動きやすく、多少汚れてもいい服装で頼む』とありきたりで無難な内容の返信をしておいた。

「これで良し……と」
「じゃあ兄さん、あのね? 兄さんは私が――――」
「イマリ、時間を見たらもう深夜もいいところだった。早く寝て明日に備えよう」
「あ、うん。そうだね……」

 そして返信を終えた頃には、すっかり部屋の雰囲気は元に戻っており。

 別にその後は何が起きるというわけでもなく、そのまま兄妹2人して寝る運びとなった。


 寝る間際、隣でイマリが深く溜め息をついていたのが実に印象的だった。












 《38日目》


『それでは、10時になりましたー! 今年もアイリス大祭、皆で盛り上げていきましょーう!!』

 商店街の各箇所に設置されたスピーカーから、若干ヒビ気味な放送が一斉に流れ出す。

 それと同時に、ワァァァァァァーーーー! と、辺りで怒号のような歓声が辺りを押し潰さんばかりに響き渡った。

 老若男女も関係ないといった様子で祭りの参加者たちが晴天の空に向かって吠え、近くの金物屋のドワーフの女性などは興奮のあまり店先に並べた鉄鍋をオタマで叩きまくっている。

 これが、アイリス大祭の恒例の始まり方だ。

 この儀式めいたものに特に意味はないらしい。
 もはやただのノリであると知ったのが最近のことだ。

 …………しかし僕らの周りだけは、奇妙な静寂が辺りを支配していた。

 その原因はもう、言うまでもないだろう。

「来たか、バフォメット…………ッ!!」
「無論じゃ、主が遅れては待たされる下々が哀れじゃからのう…………!!」

 鷹揚に、そして傲岸不遜にそんな事をのたまう山羊角の魔物、バフォメット。

 彼女の後ろには、既に十数体の魔物娘たちがずらりと並んでいた。
 サバト“過激派”の魔物娘たちだ。
 いずれも実にロリロリしく、ロリコンおにいちゃん達の視線を釘付けにしそうな扇情的な出で立ちで、こちらを品定めするように見ている。

 その長たるバフォメットはと言うと、赤と黒を基調とした豪奢なドレスに身を包んでいた。
 胸元や足回りなどの部分部分が大胆にカットされており、足回りの動きやすさや、彼女の魔物娘としての魔性の魅力を引き立てている。

 …………うん、間違いない。
 あのドレス、今朝のLI◯Eで再び訊かれた服の候補の中から僕が選ばされたやつだ。
 まさか本当に着てきたのか、バフォメット。

「しかしイズミよ、おぬしと後ろの者らの装いはどうしたことか? まさか、我に恭順を誓って赦しを乞うつもりかの?」
「もちろん、そんなバカな話をするつもりはない。よく見てみろ、バフォメット――――」

 “過激派”の接近を察し、即座に駆けつけてきてくれたこちらの陣営を振り返る。

 一番近くに立っていたネクリやイマリ、さらに店のカウンターの奥に既にスタンバイしている“穏健派”は今、全員が黒色と白色のみでデザインされたメイド服を着用している。もちろん、ここには居ないフタバ姉妹も含めて全員だ。

 さらに、数人の男性……つまり、僕やセハス老を含めた数人の男衆は、こちらも全員が燕尾服を着用。いわゆる執事姿である。

 これらは全て、今回の服飾担当を受け持ってもらったマリーさん達が仕上げてくれたものだ。

「服装の統一は連帯感を表している。対してバフォメット、そちらはどうだ?」

 思い思いの装いをしている“過激派”たちを、そして中心に立つバフォメットを指差した。

「ぐ、むむ……。まあ、別にみな服装は自由であると伝えておいたが……似合っておらんかの?」
「いや、似合ってはいるが」
「そ、そうかそうかっ」

 なぜか軽い挑発を斜め上の受け取り方をしてしまったバフォメットをフォローしつつ、この日のために行ってきた準備を彼女たちに喧伝する。

 ちなみに、“過激派”達と我々の睨み合っているその外側では、イベント好きな人々が遠巻きに輪になってこちらを見守っている。
 そちらへの宣伝も兼ねていたりするのである。

 今回我々がアイリス大祭のために用意したのは、大きく区分して3つのブース。

 1つ目は今僕らが居る表側に設置した洋菓子屋風の露店であり、今日の日までイマリの厳しい修練を乗り越えた“穏健派”メンバーに調理実演と販売を行ってもらう。

 2つ目はその奥にある喫茶店であり、そもそもの職がその喫茶店のオーナーであるセハスさんに取り仕切ってもらい、アイリス大祭用に稼働させることになった。

 3つ目は、現在は資材庫として休ませているが……経過次第では、開放する機会も出てくるだろう。

「――そしてフタバ姉妹率いるグループが広報活動を行い、集客力を高める仕組みだ。バフォメット、この祭の規模はお前も知っているだろう。だからこそ、ここで我々『アンチ・サバト』や“穏健派”がここで力を見せることが出来れば、それはあんた達への影響力として作用する!」

 バフォメットに向けて言い切る。

 そして、彼女はその言葉を受けて――――。

「――ふむ、そうじゃろうな」

 ……眉一つ、揺るがすことはなかった。

 代わりに変化があったのは、バフォメット達“過激派”の後ろにできていた人垣。
 人垣が割れると、1人の男が前に出てきた。

「申し訳ない、バフォメット様。遅れました」

 怜悧な声色に、細身の長身。

 どこか懐かしく、しかし明らかに以前とは異なっている、その人は。


「ようやく来たか――――アネサキよ」

 
 バフォメットは、やって来た男をその名で呼んだ。

 なんとなく、そんな予感はしていた。

 今日までのバフォメットとのやり取りで、このアイリス大祭についての詳細な質問が異常なほど少なかったこと。
 また、今の僕の説明に対しても一切動揺が見られなかったこと。

 それは、こちらの作戦をある程度知っている人物が敵方に存在する、という前提で考えてみると、すんなりと納得できることで。

 僕の作戦は、『アンチ・サバト』の代表が遺したノートを基にして組み立てたものだ。

 そして今、記した本人がこの場に現れていた。

 『アンチ・サバト』の――――――明確な敵として。

「あまり驚いてないみたいだな、イズミ」
「なんとなく予想はしてましたよ、アネサキ先輩」

 前に出てきた先輩は、指でくいっとメガネのツルを持ち上げてみせた。

 ……いや、メガネではない。
 今の彼は本来のメガネではなく、サングラスを着用していた。
 そんな彼を彼たらしめていた一番の特徴でさえ、今の先輩は変貌させてしまっていた。

 着ているダークスーツからは、何やら不吉なコブのような膨らみが幾つも内側から浮かんで見えている。
 あれは、いったい。

 周りが、特に『アンチ・サバト』の面々が固唾を飲んで見守るなか、僕と先輩との応酬は続く。
 しかし、それは久々の邂逅を祝うものではなく。
 まるで、死合う前にお互いに語るような。

「……マミヤマはサバトに堕ちてから、新しくバブみを見いだしていました。アネサキ先輩もなんですね?」
「ああ、そうだ。私は幼さの中に、歳上らしさ、いわゆる鉄火肌、姉御肌というものが存在することを確認したんだ。この不肖な自身の手を引いてくれる、導く灯台としての存在を」

 アネサキ先輩は、『アンチ・サバト』では牽引する側の立場の人物であった。
 そんな彼は、実は彼こそが牽引されることを、手を引いてもらうことを望んでいたのか。

 なんとも…………皮肉な話だった。

「アネサキよ、今日はグレムリンのやつは連れてきておらんのか?」
「はい、バフォメット様。……イズミ、しかし彼女の魅力的なところは、姉的な部分に留まらないんだ。彼女――――グレムリンのあの方は、少々イタズラ好きな子どもっぽさも併せ持っていてな。そのアンバランスさが魅力であり…………」

 アネサキ先輩が、おもむろにスーツの上を脱ぐ。

 すると、下から現れたワイシャツには、隠しようのない枯れ草色の太い線が透けて見えていた。

「…………私の被虐嗜好という性癖が目覚めた原因でもある」

 間違いない。
 あれは――――拘束用のロープだ。

 アネサキ先輩は、スーツの下で自身の身体を太縄で亀甲縛りにしていた。

 現れた人物がグラサンに亀甲縛りという尋常ではない出で立ちをしていたことに気付いたギャラリーが、ザワッと動揺を走らせる。

「マミヤマは、マザコンにロリコン……」
「そうだ。そしてイズミ、私は姉スキーに加えて……ロリコンとドM、だ。今も叶うことならすぐに帰還し、姉御からムチとロウソク、それから電撃のご褒美を貰いたくて仕方がないほどだからな」
「くッ………………」

 いつの間にかアネサキ先輩の口から、ナチュラルに姉御という呼び名が発せられていた。
 彼のパートナーたるグレムリンのことを指しているというのは想像に難くない。

 そういえば、小学校で連れ去られた時もアネサキ先輩はMプレイグッズによる責め苦を一身に受けていた。
 今思えば、あれも覚醒の一因だったのかもしれない。

 もはやこれでは、彼をサバトから救出するという試みはおろか、フェチズムの振り直しすら叶うことはないだろう。

 マミヤマと同じで、先輩ももう既に完成されてしまっているのだから。
 ちらっと出た灯台の話も、きっとロウソクからの連想とかなのだろう。

 姉スキーとロリコン、そしてドM。

 まるでそれは完全な三角形、性的嗜好のトライフォースのようなものだった。
 業の深過ぎるトライフォースだった。
 三身合体で事故が起きなかったのが不思議なくらいだ。

 僅かに唇を噛んでから、そんな彼に告げるべき言葉を放つ。

「………分かりました。『代表』アネサキ先輩の遺志は、僕が引き継ぎます。そして、今の先輩、あなたを……『アンチ・サバト』に仇する存在として認識しました」
「もちろんそれで構わない。そして……」

 先輩の言葉は途中で遮られ、バフォメットが再び僕の前に立ちはだかった。
 どうやら出るタイミングを窺っていたらしい。

「アネサキより聞いたのじゃ、このアイリス大祭の『出店大賞』のことを」
「………………」
「それを受賞すれば、その出店者らは地方紙に載り、取材を受ける権利が得られるらしいな? それを聞けば、おぬしらの目論見もおのずと見えてこようもの」
「ああ、そういうことだ」

 そのために“穏健派”との協力体制を取り、出店の準備を行い、さらに今回の大祭のテーマをそれとなく票誘導して『プレーン』というテーマに決定させたのだから。

「ならば――――」

 ニヤリ、とバフォメットが不敵な笑みを見せる。
 悪女風味なドレス姿も相まって、ややサイズは小さいながらも充分にこの場のヒール役として成り立っていた。

「――――我がその計画、喰らい尽くしてみせよう」

 そう言って、僕らの後ろで既に焼かれ始めているワッフルやクッキーを睨んだ。
 若干口の端からヨダレが垂れているのは気のせいだろうか。

 なるほど、確かに彼女らが我々の出店を占拠あるいは支配してしまえば、こちらの大目標は潰えてしまうかもしれない。

 …………しかし。

「バフォメット、これは『ゲーム』なんだろう? そして、お前はあの日小学校で、『自身を楽しませてみせろ』、そして『満足させてみせろ』と言い放った」
「いかにも、じゃ。よく覚えておるのう」
「それなら喰らい尽くす以前に………まずこちらから、おもてなしをさせてもらおうか。真心尽くしたおもてなしを、な」

 お客様である限りは“過激派”も何も関係ない。
 ただひたすらシンプルに、奉仕の心で対応させてもらうのみだ。

「……なるほど、なるほど! 面白いことを言うなイズミよ! 勢力の知名度上昇という外堀のみならず、本丸の我ら自身も標的であったとはな! よかろう、我らを楽しませよ! 我らを満足させてみせよ! おぬしらにそれが出来るのならな!!」
「その言葉、覆すなよバフォメット!! 全力でお前を、満足させてみせるッ!!」

 お互いの陣営が睨み合う中、バフォメットと僕はその中央で拳を合わせた。

 すぐさま“過激派”たちは枷を解かれた獣のようにこちらの陣営に向かって殺到。
 そしてそれを、メイド服と執事服の店員達が迎え撃つ。

 辺りに響くのは、いらっしゃいませ、という幾つもの怒号。


 『ビターチョコレート』作戦、開始。


 ゲームという名の戦争が、その幕を開けた。

 
17/06/01 21:58更新 / しっぽ屋
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■作者メッセージ
 
敵も味方も幼女だらけ。
サバトらしくなってきましたね!

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