僕の『持ち主』は横暴だ。

「ジパングへ行くぞ、我が宝。冬のジパングは寒いが、風情がある。狭い世界で生きてきた貴様に新たなものを見せてくれるであろうよ」

　黒くて長くてつやつやした綺麗な髪をなびかせて、　いつも崩れない不敵な笑顔を見せながら今日も僕を叩き起こしに来た。
　この、生まれてから一度も見た事がないくらい綺麗な女の人こそ、僕の『持ち主』だ。
　女の人、と言っても決して人間じゃない。ドラゴンだ。
　頭の両端からは大きくて真っ黒い角が生えているし、手足はゴツゴツした鱗に覆われていて、翼も尻尾も生えている。

「……まだ5時だよ？ もう少し寝かせてく、うわっ！？」
「寝ぼけている姿も愛らしいが、急げ。季節はすぐ移り替わってしまうものであるぞ」

　この人は、こっちの意見なんて微塵も聞かず、しかも唐突に予定を決める。
　日が昇る前に起こされた事もあるし、夜寝る前に突然出かけるぞと言われた事もたくさんあった。
　だけど、彼女は必ずその苦労に見合ったものを僕に見せてくれる。
　だから横暴な事を言われても、邪険にする事は出来ない。
　出会った時から、ずっとそうだった。

＊＊＊＊＊＊

　僕を、アルという名前の少年が生まれた小さな農村から連れ出した時の事だ。
　彼女は突然住んでいた村に現れ、

『貴様は人間に滅ぼされた我が友の生まれ変わりだ。20を迎えるその日に目覚め、竜として覚醒するであろう』

　なんて事を、村ごと全部踏みつぶせるくらい巨大な、伝記に描かれている通りの化け物の姿で言いに来た。
　案の定村の人たちから怖がられた僕は、突然現れたドラゴンについていくしかなくなったんだ。
　その後、巣と思わしき洞窟に着いてから、さっきの事は本当かと聞いた所、

『ああ、貴様が我が友の生まれ変わりだというのは嘘だ』

　と、あっさり言われて開いた口が塞がらなくなってしまった。

『すまんな。一目見て、貴様が欲しくなった。恨むなら恨むがいいさ』

　謝っているのに全く悪びれている様子のないドラゴンに対し、僕は呆れてしまった。
　それが、僕と僕の『持ち主』となったドラゴンの出会い。

『私は、手にした宝物は飾るだけで満足出来ぬ。磨き、日々手入れをし、より輝く様を見てみたいのだ』

　そう言いながら、ドラゴンは僕にいろんな事を勉強させた。
　数の数え方、生き物の名前、歴史、世界の成り立ち。それはもう、いろいろと。
　どうしてこんな事をしなきゃいけないのか分からなかった。
　だけど分からない事を知るのは面白かったし、何よりドラゴンの教え方がとても上手で、すぐに嫌な気持ちはなくなっていった。

『貴様は愛らしい。その澄んだ瞳も、声も、顔立ちも、性根も。すべてが私を捕えて離さない。だが、まだまだ貴様は原石だ。多くを知り、見て、広い視野を持つがいい。そうすれば、この世に二つとない至宝となるだろう』

　勉強をしていると、決まってドラゴンはそう言った。
　そして僕を抱きしめながら空を飛び、世界のあらゆる場所へ連れて行った。村の中で生きていたら、一生見る事は出来なかっただろうものをたくさん見た。
　きれいな景色を見た。
　楽しい場所へ行った。
　恐ろしい災害を見た。
　心の綺麗な人や、心の醜い人と話をした。
　いつの間にか、村での生活がちっぽけなものに思い始めていた。
　そんな中で、ドラゴンが『暴君』、または『邪竜』と人々から呼ばれている事を知った。

『名前？ ああ、私に名はない。父と母から頂いた名はあるが、それは幼い私を指したものだ。『スレイプニル』、『リンドブルム』、『ファフニール』。どれも人から付けられた名だが、呼びたければどうとでも好きに呼ぶといい。愛しい貴様に付けられた名なら、どんなものでも喜んで受入れよう』

　そういうつもりで聞いたのではなかった。
　人々から嫌われて、恐れられて寂しくはないのか、と聞きたかった。
　だけど、僕を見る瞳があまりにも綺麗で、僕しか見えていないように見えて、聞き返す事は出来なかった。

＊＊＊＊＊＊

　出会ってから数年が経って、僕は20歳になった。
　身体は大きくなったし、力も強くなった。まだドラゴンの身長には少し及ばないけれど、ここに来た時と比べれば見違えるようだろう。

「もっと強く抱きしめてくれ。この大空の中、貴様を感じられないと不安で仕方がないのでな」
「全く、あなたは本当に寂しがり屋だね」

　そう言うと、ふふん、という楽し気な鼻を鳴らす音が耳をつんざく風の中で聞こえた気がした。
　ジパングは前にも訪れたが、独特な文化と徹底的なまでの食へのこだわりが感じられる不思議な国だ。加えて、人と魔物の共存が進んだ国でもあり、いたる所で『そういう関係』の仲睦まじい雰囲気を感じる事が出来た。

「ジパングは良い所だ。四季の変化が大きく、訪れる度に変化を感じられる」
「この前来た時は春だったけど、『サクラ』という花を咲かせる木がとても綺麗だったなぁ」
「ああ、桜か。環境の変化に弱く、すぐ風に散らされてしまう儚い花だ。だが、その儚さもまた美しいものだ」

　竜の使う魔法のおかげか、風の中でも声を張り上げる事なく会話が出来る。僕も、いくつか魔法を教えてもらったがまだ何かをしながら維持出来るほどではない。

「さて、もう着く頃だ。ジパングの冬は、貴様にどのような表情をさせるか楽しみだ」

　彼女は僕に違う世界を見せる時、決まってこう言う。
　はじめの内は意味が分からなかったし、育った世界では絶対に見られない景色にばかり注目していたから気を向ける暇がなかった。
　だけど今は、違う。少しずつ、このドラゴンの事が分かり始めてきた。

「――ぁ」

　雲を抜けて、地に降り立つ。
　そこは、一面の銀世界だった。

「綺麗だ……」

　雪を知らない訳じゃない。これまで訪れた国でも雪を見る機会はあった。
　だけどここは、

「何て言ったらいいんだろう……」
「言葉が見つからないか？」
「うん。とても静かで、空気が澄んでて、景色も、……あ」

　周囲を見回して、一つの事に気付いた。

「自然と、すごく近い感じがする」
「ほう？ 何故そう感じた？」
「家や建物が、その、風景を乱さないように建てられてる、気がするんだ。だから、雪が被ると、自然と一つになってるように見える」
「……ふふ」
「変、かな。僕の考え方」
「いいや、そんな事はない。私にはなかった考え方だ」

　ドラゴンはそっと僕を後ろから抱きしめ、言葉を続ける。

「己の言葉に自信を持て。寸分違わない考えを持つものなど居ない。己の思った事を、言葉にするのだ。ーー最も、私は物思いに耽る貴様を見て心を豊かにするものだがな」
「それ、結局ここの風景を見に来た訳じゃないって事？」
「いや、そうではない。変わる四季と、それを見て変わる貴様を見ているのだ。どちらも愛おしいものよ」

　そう言いながら、彼女はまた不敵に笑った。
　本当にいつまで経ってもこの人には叶わない。

「あちこち見てくるといい。見聞を広め、多くを学ぶんだ。好きなように振る舞うといい」
「うん！」

　実はさっきから、周りをもっと見てみたくて仕方がなかった。
　駆け出す、と同時に雪に足を取られ転びそうになった。

「……ふふふ」

　振り向くと、ドラゴンが満面の笑顔を浮かべていた。恥ずかしい。
　今度は慎重に足を上げて、少しずつ雪道に身体を馴染ませる。
　慣れてきた所で速度を上げて、一番近い建物を横切ろうとしたその瞬間だった。

「きゃっ」
「わっ！？」

　突然飛び出してきた人影に、危うくぶつかりそうになってしまった。

「だ、大丈夫ですか？」
「ええ、ちょっとビックリしただけですので」

　角から現れたのは、ジパングの人々が着る『キモノ』という衣服に身を包んだ狐耳の女性だ。
　手には繊細で、歪み一つ無い金色の塗装の施された黒くて四角い箱を持っている。
　僕は思わず、その箱をまじまじと見つめてしまった。が、慌てた様子の女性が恐る恐る問いかけてくる。

「あの、何か……？」
「え？ あ、いえ！ すいません。その箱がキレイで、珍しくて……」
「ああ、そういう事でしたか。コレは私の夫が作っている漆塗りの箱でして、妹の結婚式のお祝いとして持っていこうと思っていたんですよ」
「結婚式？」
「ええ。……ああっ！？ 時間がないんでした！ 失礼します！」

　突如、何かを思い出したように慌てだした女性は、頭を下げた後凄まじい速度で走っていった。
　どうしたんだろう、と女性の消えた方向を呆然と見ていると、

「……？」
「――ほう、結婚式か」
「わっ、いつの間に？」
「私が本気を出せば、貴様がこの星の裏側に居ようと瞬時に駆けつけられるのだぞ？」
「そういう事を聞いてるんじゃないんだけどな……」

　それよりも、

「結婚式か……」

　結婚。それがどういうものかは、これまで訪れた国でも式を見た事があるから分かっている。
　そして、僕自身そういう事に憧れも持っている。相手はもちろん、

「……」

　ずっと側にいた、異性の顔が嫌でも思い浮かぶ。
　確かに彼女は人の価値観で測れない。欲しい物があれば奪うし、その為なら嘘だって平気で付く。人間から見れば非道で横暴な、『邪竜』と呼ばれても仕方がない存在だろう。
　だけど、僕にとってはそうじゃない。そうだけど、そうじゃない。
　彼女は僕に、世界を見せてくれた。あの農村だけが全てじゃないと教えてくれた。
　そんな広くて、大きくて、綺麗なあの人に憧れ、惹かれている。
　しかし、今一つ、踏み出せない理由もあった。

「さて、何か食べるとするか。ソバがいいな」
「まだお店開いてないよ」
「では起こすとしよう」
「やめなよ！？」

　悠々と雪の上を歩く竜を、僕は慌てて追いかける。

「うわっ！？」

　追いかけようとして、また雪に足を取られた。
　顔から地面にぶつかる。そう目を閉じた瞬間、

「――ふふ、まだ雪道に慣れぬか。愛い奴め」
「……あ」

　一体いつ振り返ったのか、気付けばドラゴンの大きな腕と胸に抱きかかえられていた。

「だが気を付けるのだぞ？ 貴様に怪我でもされれば、心が張り裂けそうに痛むのだからな」
「そんな、もう僕も子供じゃないんだからさ……」
「私にとってはいつまで経っても大切で愛おしい宝だ。これは当然だとも」
「……」

　笑いながら、ドラゴンは僕を抱えたまま歩き出した。
　そう。踏み出せない理由はコレだ。
　魔物がどういう存在なのか、分からないほど子供じゃない。これまで訪れた国で、仲睦まじく愛し合っている魔物夫婦の姿を何度も見ているのだから。
　だけどドラゴンは、出会ってからずっと僕に対してこんな風に過保護だ。
　どうして手を出してくれないのか。彼女にとって僕は、単なる宝物に過ぎないのか。
　そんな考えが浮かんで、胸が、痛む。