読切小説
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メドゥーサ・ヘアーカット



「……ねぇ、ちょっと聞いていいかな?」
「…………何よ、藪から棒に」

唐突な僕の発言に、彼女は眉を顰めた。……分かってはいたけれど、若干棘のある声に、チクリと胸が痛んだ。

「……その、前から気になってたことがあるんだけど……」
「……?」

子供の頃、メドゥーサという存在を雑誌で始めて目にした時からどうしても気になっていることが一つ、僕にはあった。だから、そのメドゥーサである女の子がすぐ隣にいる今、長年抱いてきた疑問を解消するチャンスだと思った僕は、折角だからそのことについて聞いてみることにした。

「君のその髪って、どうなってるんだ?」
「……はぁ?」

訝しげな声が、彼女の口から漏れた。「何言ってんだこいつ」とでも言いたげなジト目が僕を貫き、綺麗な濡れ羽色に染まるロングヘアの先、こちらは深い碧色をした数十匹もの蛇達も全員がそれに倣う。……質問の内容が少し大雑把だったかもしれない。

彼女は、メドゥーサの蛇ノ目(じゃのめ)さん。知っているのは苗字だけで、名前の方は……何処かで聞いたかもしれないけど、覚えてはいない。というのも、実の所彼女とまともに会話するのはこれが初めてで、これまでは一言二言挨拶を交わす以外の接点が無かったためだ。

蛇ノ目さんとの関連性は、同じ大学、同じ研究室の同じ学年の生徒、というたったそれだけのものでしかない。実際今日に至るまで、彼女の僕の中での存在感は極めて薄く、曖昧なものでしかなかった。精々が初めてその姿を見た時に、「うわーメドゥーサだー、本当に下半身と髪の毛が蛇なんだー」程度の幼稚な感想を抱いたくらいか。その時にジロリと睨み返された上、他の生徒と比べてかなりキツい雰囲気を纏っていたため、その後こちらから話し掛けようという気にはなれなかった。

そんな彼女と今こうして一緒に居るのは、研究で同じ題材を扱う者同士パートナーを組むことになったから、だ。現在は大学にある図書館で研究に関する調べ物の途中であり、同時に、図書館内に併設されている休憩室のベンチで小休止をしている最中でもあった。

……「私に関わるな」と言わんばかりの無言の圧力、そしてこちらを品定めするかのような蛇達の視線や挙動に耐えかねて休憩を申し出たまでは良かったけど、まさか逃げた先の休憩室でバッタリ出くわすとは思わなかった。彼女の行き先くらい把握しておけよ僕、と、思わず自分にツッコミを入れずにはいられなかった。勿論、顔を見たら即退出、なんて失礼極まりない真似は出来なかったから、今もこうしてこの場に留まっている。

とはいうものの……この休憩室は決して広い訳ではなく、ベンチも一つしかない。自然、二人で同じベンチに座る形となる。他に人も無く、気の知れない相手と狭い室内に二人きり。彼女との距離感を図りかねて、結局、調べ物をしていた時と同じくらいの間隔、大体人二人分くらいの間隔を開けて座っている……けど、この何とも言えない微妙な距離感が酷くいたたまれない雰囲気を醸し出していた。休憩室内には、隅の方に据え付けられた自販機が発する低い駆動音だけが響いている。正直、居辛い。

かといって、今更休憩室を出て行くのはあまりに彼女の心象に悪い。どうせなら、ここで何かしら会話をしてある程度親睦を深めておこう。そうした方が今後のためだ。そうだ折角だから、かねてからの疑問を話のとっかかりにしてみよう。そう思い至ったのが、蛇ノ目さんと今こうして会話をしていることのきっかけだった。

「どうって……蛇、だけど?」
「……ごめん、聞き方がすごく悪かった」

数ある蛇の内の一匹を自分の手に絡ませつつ、不思議そうにそう答える蛇ノ目さん。案の定、僕の質問の意味が分からなかったらしい。確かに先ほどの質問では何のことやらさっぱりだっただろう、そう反省して、今度は台詞を頭の中でしっかり整えたのち、もう一度彼女に問いかけた。

「君の髪って、どうやって散髪してるのかなって。メドゥーサだって、髪は伸びるんだろう?」

初めて蛇ノ目さんを目にした時、彼女の髪は(蛇も含めて)肩口くらいまでのセミロングだった。そして今は、背中まで届くロングヘア。つまり彼女の髪は確かに伸びている。しかしながら、彼女の髪の毛の大部分はまるで本当に生きているかのように蠢く蛇達で構成されている訳で。あの蛇達を切らずに一体どうやって散髪しているのか。何か特殊な技術が必要なのか。それが、僕が子供の頃からずっと抱いてきた疑問、というやつだった。

「……質問が、さっきと全く違うわよ」
「うん、それは僕も思った……」
「……そもそも、何でそんなこと知りたがるのよ。単なる暇潰し? それとも一時の興味本位? そんな下らない理由なら、わざわざ教える義理なんてないわ」
「……えー、と」

ツンとして顔を背ける蛇ノ目さんを見て、僕は頭を掻いた。ずけずけと彼女のプライベートに踏み込もうとしているかのような印象を与えてしまったらしく、蛇達も少々威嚇気味にこちらを睨み付けている。いやまぁ確かに僕だって、殆ど初対面の相手から「髪をどうやって切ってるの」なんて突然聞かれたりしたら……うん、改めて考えると、結構嫌かもしれない。教えるくらいのことはするかもしれないけど、「変なことを聞く奴だ」くらいのことは思うかもしれない。もしかしなくても、蛇ノ目さんを不愉快な気分にさせてしまったらしかった。どうもこう、よく知らない相手との会話は昔から苦手だ。

とはいえこちらにも、単なる暇潰しやその場限りの興味からではない、知りたがる一応の理由というものがあった。それは、僕の出生……というほど大袈裟なものでもないけども。それでも、自分の生まれた実家が営んでいる職業に関連しているのは、間違いない。今は彼女に妙な誤解を与えたくない。だから、そこはきちんと説明しておく必要があった。

「僕、実家が床屋なんだよ」
「……へぇ?」

蛇ノ目さんは幸いにも、僅かながら興味を持ったようだった。依然警戒したような様子ではあったけど、視線はかろうじてこちらを向いている。彼女の僕に対する好奇心が無くならないうちにと、若干早口になりながら、僕は続きを話し始めた。

「両親が営んでる店なんだけどさ、小さい頃からそういうの見てると、やっぱり興味を持つものなんだよ。切り方とか、髪型とかさ。で、親のやり方を見たり、ファッション誌とかを見てよく勉強してたんだけど、丁度そこにメドゥーサのモデルさんが写ってて……どうやって切ってるのかなって、ふと思ったんだ」

蛇ノ目さんは、黙ってこちらの話を聞いている。彼女が今、どんな表情で僕の話を聞いているのかは、分からない。大して興味を持っていない風だったらどうしよう。そう思うと、怖くて彼女の顔が見れなかった。とにかく今は、彼女に自分の話がしっかり伝わるよう、努力する。

「そのファッション誌にはメデューサの髪の切り方なんて載ってなかったし、うちの床屋には、魔物のお客さん自体あんまり来なかったし。来てたのは、元人間だった時から常連さんだったサキュバスくらいかな……って、そんなことはどうでもいいか。とにかく、子供の頃に初めて雑誌で見た時から、どうやってるのか興味があったんだよ。だから、折角だからこうやって……」

あらかた事情を説明し終えて、そこでようやく僕は、蛇ノ目さんの方を見る余裕が出来た。話しながら恐る恐る、彼女の方に視線を移してみる。どうやら話はちゃんと聞いてもらえたらしい、彼女の目は真っ直ぐにこちらを向いていた。その表情にも、興味を失ったような様子は無い。

……しかし。その瞳の色だけは、僕にとって、とても意外なものだった。それはまるで、ずっと探していた宝物をようやく見つけたような、淡く揺蕩う喜色を、僕の目は確かに捉えた。それは僕の知るーーとはいえ、彼女とはまだ数時間程度の付き合いしかないけれどーー彼女の、誰彼構わず撥ねつけるようなイメージからは全く相容れないもので。初めて見せたその表情に思わず、呆けてしまった。自然、こちらからも彼女を見つめ返す形となってしまう。

蛇ノ目さんは、僕の視線に気付いたと同時にハッと我に返り、また顔を背けてしまった。

「……こ、こうやって、話を聞いてみようと思ったんだよ」
「そ、そう」

顔を逸らされた時、一瞬しまったと思った。珍しい光景だったとはいえ、異性の顔をまじまじと見つめてしまうのは流石にいけなかったかもしれない。

しかし、周囲を取り巻く蛇達からは、先ほどの威嚇寸前だった様子はもう感じられなかった。彼女自身の雰囲気も、僕が自分についての話をする前と比べれば若干ながら柔和になったように思える。もしかして、何故かは分からないけど、先ほどの話の何処かに彼女の態度を軟化させる何かがあったのだろうか?

「……結局、興味本位じゃない」
「うっ……」

……と思ったのは僕の勘違いだったのか。
先ほど確かにその瞳に在ったはずの喜色はすっかり何処かへと消え失せ、蛇ノ目さんは元のジト目に戻ってしまっていた。やっぱり、駄目だったのか。彼女に誤解を与えまいと精神的には割と必死だった僕の説明も虚しく、蛇ノ目さんとの間に偶然にも訪れた親睦懇談会は早くも終わりを告げてしまうのか。

「……まぁ、いいわ。折角だから、見せたげる。特別よ。……予め言っておくけど、結果は大したものでは無いと明言しておくわ」

……と思ったのも、僕の勘違いだったのか。何なんだ一体。
紆余曲折しながら進む目の前の展開に辟易していると、蛇ノ目さんは自分の脇に置いていたショルダーバッグから、銀色に鋭く煌めく大きめのハサミを取り出した。どうしてそんなものを常備しているんだ。ついそんなことを思ったけど、よく考えれば自分だって糊とか鉛筆とか大して使わない文房具をバッグにぶち込んでるし、不思議なことではないのかもしれない。

……いやいやいや、それ以前に。そのハサミを今この場で、一体何に使うつもりなのか。もちろん、頭の中では理解してはいた。先ほどの話の流れを考えれば、ハサミをこれからどんな用途に使うのかなんて分かり切っていた。……はずだったんだけど。違う。そっちじゃない。そっちは違う。蛇ノ目さんの持つハサミがゆっくりと移動していく、その到着点だろう箇所を眺めながら、僕はそんなことを急流のような早さで思考していた。ハサミの行き先はこの場合、根元にある髪の毛のはずだろう?間違っても、そっちじゃない。そ のはずなのに。

「〜♪」

鼻歌交じり。これから起こるだろう事柄が予想できてしまい動けなくなってしまった僕の前で、蛇ノ目さんは頭の蛇達の中から適当に一匹を選んで、むんずと捕まえる。そしてその蛇の首元に、鋭い音を立てて開かせたハサミの切先を押し当てた。背筋が凍った。絶体絶命の危機にあるその蛇は、イヤイヤと首を振るように暴れていた。その様子を、他の蛇達は諦観と哀愁の漂う目で見つめている。その光景からは、まるで数十匹いる蛇のそれぞれに、個別の意思があるかのように感じられて……って、ちょっとちょっと!

「待っ……」
「えいっ」

ジョギリ。僕が制止する間も無く、鈍い切断音と共に蛇の首は落とされた。……落とされてしまった。蛇達は目を背ける。落とされた首は蛇ノ目さんの蛇腹に当たって一度跳ね、その後は何にも接触することなく休憩室の床へと落下した。何回か転がったのち、頭頂部が下になった状態で止まる。それはもう、ピクリとも動くことはなかった。血こそ出てはいなかったものの、そのあまりに残酷的な光景に思わず、僕は。

「へ、蛇さああぁぁあぁああぁんっ!?」
「きゃっ!?」

叫んだ。

咄嗟に立ち上がり、蛇ノ目さん(というより落ちた蛇の首)との距離を詰める。何やら可愛らしい悲鳴が聞こえた気がしたけど、そんなことは今はどうでもよかった。

「ちょ、煩いわよっ。ここは図書館っ。休憩室とはいえ、お静かにっ。てか近いわよ馬鹿!」
「え、だって、蛇っ、首がっ!?」

屈んで、床に手を伸ばそうとする。そんな僕にひそひそ声になって叱責してくる蛇ノ目さんだったが、僕自身としては胸中も言動も、穏やかではいられない。なにせ、蛇の首が目の前で落ちたのだ。あんなに嫌がっていたのにも関わらず、容赦も無しに切断されてしまった。床に転がっている蛇の頭はどこからどうみても無残に殺された死骸そのもの。先ほどまで元気に動き回っていたはずなのに、もう、動かない。こんなものを見せられて、どうやって静かにしていろと……

「……ぅるさいってのっ!」
「へぶしっ!」

そうやって狼狽え続ける僕の有様に、ついに業を煮やしたらしい。蛇ノ目さんは僕の頬に向かってパンチを繰り出してきた。自分の髪の毛で。複数匹の蛇達から同時に繰り出された頭突きがクリーンヒットしたことにより、僕の頭全体が衝撃に見舞われる。不思議と全く痛くは無かったけれど、蛇パンチなどというあまりに予想外な攻撃を受けて、上っていた熱が急速に冷えていくのが自分でもありありと分かった。思わず頬を手で押さえて、蛇ノ目さんを凝視する。

「はぁ……あなたって、意外と感情的なのね。もっと大人しいタイプなのかと思っていたわ。……ほら、よく見なさいな」
「へ……」

蛇ノ目さんは、先ほど斬首した蛇の断面図を僕に見せ付けてきた。落ちた首の方では無く、髪の先端、胴体の方だ。本音を言えば、そんなグロテスクな部分なんて当然見たくはなかった。けど、髪をどうやって切っているのかを知りたがっていたのは何を隠そう自分である手前、見ないわけにもいかない。数秒で覚悟を決めて、僕は断面図を直視した。

「……あれ?」

最初、何が起こっているのか分からなかった。直視した僕の目に映り込んだのは、切断されたはずの蛇の頭の鼻先部分と、そこからチロチロと何度も出し入れされている蛇特有の二又の舌。特に骨や内臓が見えているということも無い真っ黒な胴体の断面から、ひょっこりとそれらだけが覗いていた。そのまままじまじと観察していると、まるで何処ぞの世界的に有名なバトル漫画に出てくる緑色の異星人の腕が再生するかのように、にょっきりと蛇の頭全体が飛び出してきた。

「うわ、生えたっ」
「人の髪をキノコか何かみたいに言わないでちょうだい」

僕の物言いがあんまりだったらしく、蛇ノ目さんは呆れたように言及する。そうは言われても、未だショックから立ち直れていない今の僕は、その光景を「生えた」と形容する以上のボキャブラリーを持ち合わせていなかった。件の蛇はといえば、まるで何事も無かったかのように佇み、僕のことをどこか観察するように、こちらを眺めているのみだ。その蛇だけが、切断された分だけ他の蛇達より短くなっていて、その事実が、「何事もなかった」という事柄を暗に否定していた。

「……で、でも、だったら切られた蛇の頭は……」

しかしながら、まだ疑問が残らないでもない。蛇の頭が切り落とされる瞬間を僕は確かに目撃していて、その首は休憩室の床、蛇ノ目さんの足元に……転がってはいなかった。そこにあったのは、落ちた蛇の頭と同じくらいの長さの髪の毛の束。拾い上げて確認してみても、やはりそれは、髪の毛以外の何でもなかった。蛇ノ目さんを振り返ると、彼女は「その通り」と、首を小さく傾げてみせた。

「はー……」

何というか、驚いてばかりだ。手にした髪の束を見つめながら、僕は小さく感嘆の溜息をついた。素直に感心するしかなかった。長年の疑問が解決したこともあってか、何となく、肩の力が抜けてしまった。

「……ふふっ」

ふと、そんな声が鼓膜を震わす。見れば、蛇ノ目さんが口に手を当てて、微かに笑みを浮かべていた。自分の言動を今更ながらに振り返ってみても、我ながらどうかと思うくらい大袈裟な反応をしていたように思う。そんな僕を見ていて、ついに可笑しさを堪えられなくなったのかもしれない。顔面が熱くなる。ちょっと、いや、かなり恥ずかしい。

……いつも仏頂面なイメージのある蛇ノ目さんがこんな風に笑うのを、というより笑っている所そのものを見るのも、これが初めてだった。その姿は、あまりに新鮮過ぎて……何というか、すごく魅力的だった。

蛇ノ目さんは、蛇達ごと髪を掻き上げる。そして笑みを浮かべた表情のまま、僕の方を見て口を開いた。

「さぁ、分かったかしら。これが私達メデューサの髪の真相よ。蛇は切っても、元通りに再生する。ただそれだけの話よ。大したことではなかったでしょう?」

「大したことではない」などと言う割には、蛇ノ目さんの顔はどこか得意気だった。その控えめな胸を、普段よりほんの少しだけ張っている。蛇達にしても、彼女の背後で各々がそれぞれ多種多様のポーズをさりげなく決めていた。切られて短くなった蛇だけがワンテンポ遅れてポーズを決めているのが、ちょっと可愛い。

どうやら、ハサミで切る時に暴れていたのも、切られた際に他の蛇達が哀しそうな様子を見せていたのも、全部演技だったらしい。意外とお茶目な一面もあるようだった。……また新しい蛇ノ目さんの素顔を見れた気がして、何となく、嬉しくなる。

「……ちょっと。何がおかしいのよ」

責めるような声音。

「ん……あ、ごめん」

知らないうちに、顔が笑ってしまっていたようだった。また不機嫌そうな顔付きに戻ってしまった蛇ノ目さんを見て、慌てて謝った。彼女を嘲笑うような感情は一切無いと断言できるけど、彼女の目に、僕の表情の裏側がどう映ったかは、分からない。

一瞬、君もさっき僕を笑っていたじゃないか、と抗議したくもなったけど、そもそもあの時の僕の様子はどう考えても面白可笑しいものだったろうし、対して先の彼女には何ら可笑しい部分は無かった……微笑ましくは、あったけど。けれどそんなもの、彼女の知る所ではない。

「別に、変な意味は無いんだ。ただ……ちょっと意外で」
「……む」

慌てて取り繕った僕の言葉に、蛇ノ目さんはますます不機嫌そうになる。意外という単語、これも失言だったかもしれない。自身のコミュニケーションスキルの低さを、胸中で呪う。ついさっきまで良い感じに事が運んできたはずなのだ。こんな所で彼女に悪感情を抱かせる訳にはいかないのに。

僕は来たる彼女の追及に、身構えた。

「意外ってどういう意味……」

……けれども、途中で口を噤んだきり、彼女の言葉がそれ以上続くことは無かった。静かに、顔を伏せる。そしてふっと肩の力を抜いたかと思うと、バツが悪そうに目を逸らして、ボソボソと口を開き始めた。

「……なんて。意味なんて聞かなくても、分かり切ってるわよね。」

その顔は、どこか哀しそうに見えた。

「蛇ノ目さん……?」
「自分が普段どんな態度を取っているかくらい、自分が一番理解してるわよ。……周りがそれを、どういう目で見てるのかってことも」

普段の蛇ノ目さん。初対面以降、彼女の事をよく見ていなかったからどんな様子なのかは詳しく知らないけれど、大体の想像はつく。近寄る人全てに、ぞんざいな態度をとっている姿。

けれども、実際は決して、好き好んでそんな態度を取っている訳ではない、ということくらい、今日の彼女の様子を見ていれば分かるというものだ。彼女は会話が出来ないタイプの人物では全くなく、思慮が足りない訳でもない。先の態度……笑ったり、得意げになったりしている様子を見れば、僕にだってそう理解できる。

恐らくは、あれが蛇ノ目さんの本来の素顔。普段の彼女はただ、自分の感情や意志を表現するのがすこぶる苦手なだけなのだ。そう、僕は結論付けた。

蛇ノ目さんは俯いたまま、ポツポツと言葉を零していく。

「どうにも、知らない誰かとの会話は昔から苦手ね。どんな話をしていいのか分からないし、向こうも私と話す時は、何かやり辛そうだし。だったらいっそ、話すだけ無駄……何て思ってしまったり。まぁ、大体自分の態度のせいなのだから、自業自得なのだけど」

彼女の言葉は、僕にとっても共感出来る部分が多かった。知らない誰かとの会話は苦手。僕の場合はその誰かと一緒に居る時は、沈黙が嫌で何でもいいから会話を始めてしまうのだけど、結局それが相手にとって迷惑だったり面白くない話だったりすることが多いらしい。結果、離れていってしまった人も、数多くいる。……それでも会話しようとするのをやめられないのは、床屋の息子としての性、だろうか。何はともあれまずは話をしてみなければ、人間関係は築けない。新規のお客さんとでも楽しそうに雑談しながら仕事に励む父の背中から、僕はそう教わった。

「って、私は何でこんなことをあなたに話しているかしら。……ごめんなさい、完全にただの愚痴よね」
「……いや。僕は全然、気にしてないから……」
「あなた、何故かは分からないけど、とても話しやすくて。気軽になれるというか。思わず……だから、何でこんなこと話すのよ。ああもう、何か、調子が狂うわ……」

額を手のひらで押さえつつ、蛇ノ目さんは小さく溜息を吐いた。口にしたことで、胸に抱えていたものが顔に出てきてしまったのだろうか。額を抑える腕越しにちらりと見えた彼女の顔は、酷く、苦しそうだった。

「……あのさ」

何か、言わなければ。彼女を、励まさなければ。この時僕の心はそう、自分自身に訴えかけていた。口下手な僕が今から言おうとしていることは極めて衝動的であり、その結果、もしかしたら彼女に呆れられてしまうかもしれない。果ては、怒られてしまうかもしれない。けれども僕は、出来得る限りそうならないよう必死に言葉を選びながら、それらを一つ一つ、表出していくしかなかった。……蛇ノ目さんの、力になりたかった。

「……何、よ」
「あの、ええと……」

若干、尻ごむ。それでも、伝える。

「大丈夫、じゃないかな」
「……何がよ?」

僕が見たままの、彼女を。

「だって……蛇ノ目さん、素敵な笑顔だったもの」
「……はいっ!?」

蛇ノ目さんが素っ頓狂な声を上げるけど、僕は言葉を続けていく。正直すごく恥ずかしいことを口にしているのは重々理解しているつもりだ。でももう、言い出したら止まらなかった。

「君がさっき笑ってた時、すごく自然な笑顔で……その、綺麗だったと思う。誰かと話す時、蛇ノ目さんはあんな風に笑えるんだ。だから……きっと、大丈夫」
「……」

唖然とする蛇ノ目さん。その表情の裏にある感情が、良いものなのか悪いものなのかは、分からない。でも、最後に一つだけ。それは父や母を見て、学んだこと。

「素敵な笑顔には、周りの人も笑顔にさせる力がある。僕は、そう思ってる。笑顔が、自分の周りに人を呼び寄せてくれるんだって。……あまり思い詰めずに、もっと気楽に行こうよ。そうすれば、自然と笑顔も出てくるし。さっきの、君みたいに。君ならきっと、大丈夫だよ。ね?」

最後に僕は、にこりと笑ってみせた。笑顔は笑顔を呼び込むのだと、証明してみせるように。蛇ノ目さんが、またさっきみたいに笑ってくれるように。もしかしたら少しぎこちない笑顔になっていたかもしれないけど、それでも。

口を開けたまましばらく呆然としていた彼女は、ふいに目を逸らし、ポツリと声を漏らした。

「あなたの笑顔も、大概よ……」
「え? ごめん、よく聞こえなかった」

その声はあまりに小さ過ぎて、殆どが聞き取れなかった。思わず聞き返すと、何故か蛇ノ目さんは顔を赤らめながら、僕に向けて声を張り上げた。

「調子が狂うって言ったのよ! というか、普通殆ど面識の無い女性に「素敵な笑顔」だとか、き、「綺麗」、だとか……言う!? キザったらしくて、今時のナンパ師だってそんな言葉使わないわ!」
「な、ナンパだなんて、そんなつもりは……!」
「知ってるわよ。そんな度胸無さそうだし」
「ぐっ……」

言い返せずに閉口するしかなかった。確かに僕にそんな度胸は欠片も無い。無いけども、そこまではっきり言わなくてもいいじゃないか。

「……まぁ、でも」

そうして心の内で凹んでいると。蛇ノ目さんは、横目でこちらを伺いながら、一言呟いた。

「礼は、言っておくわ。……そんなこと言われたの、初めてだったし」

一呼吸置いて。

「……ありがと」

顔をこちらに真っ直ぐ向けて。柔和に、ときめくような可憐な笑みを浮かべながら、そう言った。

「……どう、いたしまして」

僕も、そう返す。蛇ノ目さんがまた笑顔を見せて本当に良かった。そう思う反面、あんな笑顔を浮かべた女性にお礼を言われてしまうと、どうにも気恥ずかしかった。

でも。何だか、心が温かい。胸が、弾む。蛇ノ目さんも僕と同じ気持ちだったらいいのに。そんなことを、何処か心の隅でぼんやりと考えていた。

「髪の話から、何か変な話題になってしまったわ。改めて、ごめんなさい」
「いやいや。力になれたようで良かったよ。……もしまた何かあったら、遠慮なく言ってよ。いつでも力になるからさ」
「ふふっ。……そうね、考えておくわ」

お互い、気楽な雰囲気で言葉を交わす。つい数十分前まではまともな会話すら交わしていなかった間柄とは到底思えない変わり様だった。お互いの心の壁が一枚剥がれたような気がする。どことなく、穏やかな気分だ。

(……ん?)

そうして感慨に耽っていると、一匹の蛇がこちらをジッと見つめていることに気が付いた。つぶらな黒い瞳が、僕を射抜く。あの、短くなった蛇だった。そう言えばと、この蛇は再生した直後もこうやってこちらを見つめていたことを思い出す。

「あ、こら……」

慌てて蛇ノ目さんがその蛇の胴体を引っ張るけども、蛇は頑として動こうとしない。

何か僕について気になることがあったのだろうか。特に思い当たる節も無く、僕も何となしに蛇を見つめていると、蛇の方もまた更に身を乗り出して見つめ返してくる。僕にはそれが何だか、小さな仔犬がそうしているみたいに思えてきて……気付けば、その蛇の頭を人差し指で撫で付けていた。自然とある単語も、頭の中に浮かんでくる。

「……かわいい」

そう。その単語が。

「……っ!」

ふと、小さく息を飲む音が蛇ノ目さんの方から聞こえてきて、僕は顔を上げた。そこには、目を見開いて僕のことを凝視する蛇ノ目さんが、何故か顔を耳まで真っ赤に染めて固まっている姿があった。……「何故か」。そんなの、ちょっと考えれば分かることだ。今僕が撫でている蛇は、彼女の髪の毛であり、ひいては身体の一部でもあるのだ。異性に髪を、どころか身体を撫で回されたりしたら、羞恥に顔を染めてもおかしくはないだろうに。それに。僕は今、無意識に何を口走った?

「か、かわ……!?」

ワナワナと全身を震わせる蛇ノ目さん。……こんな時にこんなことを思うのは場違いかもしれないけど。その表情は、今日見てきた蛇ノ目さんの素顔の中で最も意外なもので。僕の心臓がドキリと高鳴ったのが、分かった。こんな顔もするんだ。彼女は。

「ご、ごめん!」

反射的に、パッと蛇から手を離す。瞬間、蛇ノ目さんの手によって件の蛇は強引に引っ張り戻されていった。見た目以上に強く握られているらしく、手の内からどうにか逃れようとして苦しそうにもがいている。そんな様子には全く構わず、蛇ノ目さんは頬を赤らめたまま、顔を背けてしまった。

「……へ、変なコト、言うなっ」
「……本当にごめん」

蛇ノ目さんからの叱責。……それがまるで怒っているように聞こえなかったのは、彼女の言葉に棘が無かったように思えたからだろうか。それとも、歯切れが悪く尻窄みなその声が、動揺に揺れていたせいだろうか。……彼女の心が読めない以上、考えても、分からない。

そのまま彼女も僕も、黙り込む。何か言おうとするも結局手持ち無沙汰になって、元の席、彼女と人二人分くらい離れたベンチに座り直した。不意に訪れてしまった気不味い沈黙が、お互いの間に流れている。当然、顔を合わせることなんて出来やしない。こういった微妙な雰囲気を取り持つ術を、人生経験、特に対話能力がイマイチ足りていない僕は、残念ながら知らない。せめて何かを考えることで今この時をやり過ごしつつ、自分の気を紛らわすしかなかった。

(しかし、何というか……)

とんだ変わりようだ。そう思う。
この十数分のやり取りだけでも、僕の蛇ノ目さんに対する印象は、ガラリと変わってしまった。可憐で魅力的な笑みを浮かべて笑ったり。意外とお茶目な一面を持っていたり。耳の先まで顔を真っ赤にしてみたり。休憩する前までずっと抱いてきた彼女のお堅いイメージが容易く崩れ去る程度には、濃密過ぎる時間だったように思える。

(あと……)

そして。蛇ノ目さんの髪に関する何でもない話から始まって変わってしまったのは、彼女に対するイメージだけではなかった。

(……僕の、心も)

蛇ノ目さんはメドゥーサである以前に、魔物だ。当然ながら、数多の男性の目を引く美貌を誇っている。けれども、そんな彼女に恋人がいるなどといった話はとんと聞いたことがない。……誠に失礼ながら、それは彼女の人を寄せ付け難い雰囲気、そして人と接する際の立ち振る舞い方が多分に影響しているのだろう。

そんな彼女の内にある一面を、僕は一部とはいえ知ることになった。それらは僕にとって、どれもがこの上なく魅力的なもので……まだまだ数多くあるだろう彼女の一面を、もっと知りたい。否、全て知りたい。そんな強い想いを、抱いてしまった。

……まぁ、何が言いたいのかと言うと。恥ずかしい話。この十数分というとても短い時間の中で。僕は蛇ノ目さんに、惚れてしまった。のかもしれない。多分。きっと。顔が、熱い。

「……?」

ふと、視界の端に何かが映り込んだ気がして、僕はそちらに目を移した。あの蛇だった。蛇ノ目さんにハサミで酷い目に遭わされたあと、彼女が笑ったり、得意気になったり、顔を赤らめたりする間接的なきっかけを与えた蛇だ。切られた後が薄らと線となって残っていたから、辛うじて判別できた。

蛇ノ目さんを見る。相変わらずそっぽを向いていて、頭の蛇達もそれは同様だった。目の前のただ一匹だけが、僕の方へと伸びてきていた。しかし、悲しいかな。頑張ってこちらへ近寄ろうとしているけども、人二人分も空いている互いの距離のせいで、僕の元へと辿り着くことが出来ない。胴体も根元の髪もピンと強く張られていて、この蛇の懸命さが伝わってくるようだった。

折角、一生懸命蛇の方から近付こうとしてくれているのだから、それに応えてやらないと可哀想だろう。そう考えた。応えてやるには、蛇ノ目さんの方へと近付くしか方法がない。そうも考えた。……そうして、彼女の側へと近寄る言い訳を、手に入れた。

当然、実行に移す。蛇ノ目さんとの間隔を人一人分まで詰める。けど、それでも尚蛇は僕へと届かなくて。仕方がないから、人二分の一人分という、まるで僕達二人の間柄が親しいものであるかのような距離まで近付いた。彼女の方から、何だか良い匂いが漂ってくる。香水だろうか、それとも彼女自身の匂いだろうか。正直な所、近付き過ぎだとは思った。けども。

「……」

蛇ノ目さんはチラリとこちらに目を向けて、特に何も口に出さず、また視線を前に戻した。だからきっと、僕の行動は彼女にとって問題ない行為なのだろう。そう思うことにする。

蛇の頭を優しく撫でてあげると、僕の指の動きに合わせて全身をくねらせながら、気持ち良さそうにその身を委ねてくる。気不味くなっていた休憩室の空気は、いつの間にやらどこか甘酸っぱい空気へと変容していた。

しばし、そのままで。





「……ねぇ、ちょっといいかしら」
「ん、何?」

しばらくそんな、甘酸っぱくももどかしい感覚を享受していると、ふいに蛇ノ目さんが声を掛けてきた。休憩に入ってからもう大分時間が経っている。いい加減調べ物に戻ろうという催促だろうか。僕としては、もうちょっとこのままで居たかったけども。

「あなた、髪は切れる?」
「へ?」

全く違った上に、思いも寄らないことを聞かれてつい間抜けな声を上げてしまった。

「それってどういう……」
「床屋としての仕事は出来るのかってこと。あなたさっき、『髪の切り方を勉強してた』って言っていたじゃない。だったら、今なら人の髪を切れるだけの技量は身に付いているんじゃないかと思って」
「ああ、それなら……よく友人の髪を切ってあげたりはしてるけど」

蛇ノ目さんにも話した通り、僕は昔から髪の切り方を自分なりに勉強していて、今では少なくとも人並み以上の技量は備わっている……と自分では思っている。一般の大学なんてものに通っている以上、ヘアスタイリストや床屋として働きたいと考えている訳ではなく単なる趣味以外の何物でもないけども、ご飯を奢ってもらう代わりに友人の髪を切ってあげる、くらいのことはたまにやっていたりする。

「そう。なら、よかったわ。……そんなあなたに、折り入って頼みたいことがあるんだけど」

話の流れから、何となく察しは付いた。

「……君の髪を切ってくれないかって?」
「あら、察しがいいわね。メドゥーサの髪の切り方は、さっき見せてあげたでしょ? ……お願い、出来ないかしら」
「う、うん……出来なくもないけど。……でも、何で僕? 正直、ちゃんとしたお店で切ってもらった方がいいと思うけど……」

所詮僕の散髪技術なんて、独学で身に付けた付け焼き刃に過ぎない。確かにお店で切ってもらうより安上がりだろうけど、それだけだ。技術は本業にはとても敵わない。僕に切ってもらうより、まともな所で切ってもらった方が後悔しないかと……

「……いないのよ」
「え?」
「無いの。メドゥーサの髪を切ってくれるお店。美容室でも床屋でも。私の頭を見ただけで、門前払い」
「あ……」

考えてみれば、その通りだった。僕が子供の頃と比べて、この世界における魔物の総数は着実に増えてきている。しかしそれでも、元々この世界で暮らしていた人間の数と比べれば圧倒的に少ない。扱う対象が少なければその技術は培われ難く、そもそも需要だってあまり無い。魔物を専門にした、もしくは技術を齧っている床屋や美容室が少なくてもおかしくはなかった。今思えば、僕の実家に魔物のお客さんが来ていなかったのも、そのせいだったのかもしれない。技術が無い、以前に、「魔物の髪を切ってくれるお店」として認識されていなかったのだ。

それに。蛇ノ目さんの髪の毛は……

「ただでさえ魔物の髪って、敬遠されることが多いらしいのよ。角とか獣の耳が邪魔でどう切っていいのか分からない……って。とりわけメドゥーサに対しては、技術が無いのもさることながら……頭の蛇が怖い、だってさ」
「……」

蛇ノ目さんの瞳に、哀しそうな色が宿る。蛇達も項垂れて、意気消沈といった様子だ。彼女が人を撥ねつけるような態度を取る理由の一端が、垣間見えたような気がした。もしかしたら今までも、髪の毛が蛇だという理由で怖がられたことがあったのかもしれない。それなら、初めから自分に近寄らせない方がいい、と。そうやって、自分で自分を押さえ込んでいたのかもしれない。そう、思った。

でも、僕はそんな輩とは、違う。

「実家に居た頃は、お父さんに切ってもらっていたの。でもこっちで一人暮らしを始めてからは、自分で」
「……じゃあ、ハサミを持ち歩いていたのも、そのため?」
「そ。まぁあれは普段から持ち歩いてる訳じゃなくて、新しく買ってきたのをバッグに入れっぱなしにしてただけだけども……」

蛇ノ目さんは自分の前髪を摘まむ。

「自分で髪を切るのって、とても大変なの。ハサミの使い方に慣れてないから余計な所まで切っちゃうし、後髪なんて蛇達の長さが不揃いになるのが当たり前。鏡とにらめっこして、何時間も悪戦苦闘して、どうにかまともになる程度よ。いっそ、もう少し都会の方に出て行って私の髪でも切ってくれる所を探してみようかとも思っていたのだけど……」

そこで言葉を切った彼女の双眸に、至近距離から見つめられる。その瞳の色が蛇と同様の深い碧色であることに、今初めて気が付いた。

「そんな時に、あなたが現れた。あなたが自分のお家の話を始めた時、思わず喜んじゃった。私の髪を切ってくれるかもって。蛇達のことも、怖がってないみたいだったし。……今考えれば変な話よね。殆ど初対面の相手に、そんなことを思うなんて」

僕が実家のことを話している時に彼女が見せた、確かな喜色。今更ながらに納得がいった。

苦笑していた蛇ノ目さんは、居住まいを正し、改まった様子で、 僕へと向き直る。その顔には、どこか緊張の色が見て取れた。

「で、改めて、お願いしたいのだけど……私の髪。切って、くれるかしら」

平然とした振る舞い。そこから垣間見える、弱弱しさ。

「……僕は」

勿論、僕に彼女のお願いを断る気は、さらさら無かった。今までずっと触れていた蛇の頭を、愛しげに撫で付ける。

「僕は、蛇は嫌いじゃない……むしろ、好きな方だから。可愛いし。だから怖くもないし。でなきゃ今みたいに、触れようとなんてしないよ」
「……そっ……か」

蛇ノ目さんの表情が綻ぶ。願わくば。こんな表情を、もっともっと見てみたい。ずっとずっと、見ていきたい。

「……お願いされたよ。君の髪、僕が責任を持って手を入れさせてもらうよ」

そうはっきりと答えると、蛇ノ目さんは心の底からほっとしたように肩の力を抜いて、静かに微笑んだ。

「ええ、ありがとう……女の命、預けるから。お願いするわね」
「そ、そう言われると、プレッシャーが凄いな……本当に僕なんかでよかったのかな、なんて……」
「あなただからいいのよ」

ボソリと。

「え。今なんて」
「なんでもない」

呟かれた言葉は、実の所しっかりと耳に届いていた。変な勘違いをしてしまうと困るから、あえて聞こえなかった振りをして誤魔化した。……いや、むしろこの雰囲気ならば、勘違いしてしまった方がいいのではないか。勘違いこそが、真実なのではないか。そんな考えがぐるぐると頭の中を巡るなか、僕の隣ではいつの間にか蛇ノ目さんが立ち上がり、組んだ両手を頭上に上げてぐっと伸びをしていた。そのままショルダーバッグを片手に休憩室の出入り口へと身体を向けつつ。どことなくほんのりと赤らんでいる横顔を、こちらへと振り向かせた。

「さぁ、いつの間にか結構な時間を休んでしまったわ。あと少しで終わるし、今日中に調べ物を済ませてしまいましょう。そうすれば、明日にはレポートに取り掛かれるわ」
「……オーケー、やろうか」

見返り美人。そんな言葉が咄嗟に頭に浮かんでしまう辺り、自分の蛇ノ目さんへの惚れ込み様が分かるというものだ。見惚れるのも一瞬、彼女に促されて立ち上がった僕は、その背を追い掛ける。すっかり彼女との会話に夢中になってしまっていたけれど、元々は調べ物をするためにこの図書館へやってきたのだ。面倒事はさっさと済ませてしまうに限る。

「……ところで、ちょっと聞いていいかしら」
「ん、何?」
「その、ここまで色々話しておきながら、本当に申し訳ないのだけど……あなたの名前、何だったかしら。今まで全然気にしてなくて、その……」
「……はは。実を言うと、僕も蛇ノ目さんの名前、覚えてないんだ。……折角だからここいらで、自己紹介しておこうか。これから付き合いが増えるだろうし」
「……付き合いが増える……?」
「あ、いや。ほら、研究のパートナー的な意味で……」
「……ふふっ、そうね。それじゃあ、まずは私から。私の名前は……」

そうやって、他愛のない会話を交わしながら、僕達は調べ物へと戻っていく。まだまだ話し足りない。でも、明日もまた、蛇ノ目さんに会うことができるのだ。今後の楽しみは、それ以降に取っておこうと思う。





この後。

調べ物をしている最中の蛇ノ目さんとの距離が、同じ書物を見易くなるからという面目で人二分の一人分まで近付いていたり。彼女の頭の蛇が全部僕に纏わり付いてきて全然調べ物にならなかったり。どちらの家で散髪するか、お互い顔を真っ赤にしながら揉めに揉めたり。

この日だけでも、まだまだ語り尽くせない出来事があったりしたのだけど、それはまた、別の話。
14/02/06 12:30更新 / 気紛れな旅人

■作者メッセージ
◆口は上手くないけれどいつも真っ直ぐな人間に、人付き合いが苦手で心を閉ざしがちなメドゥーサがほだされるお話。いかがでしたでしょうか。

◆色々あって、前回から大分投稿が空いてしまいました。こんなSS書きが居たことを忘れてしまっている方も多いと思われます……投稿ペースは今後の課題ですね……

◆この作品に出てきた二人は何だか書いてる内に愛着が湧いてしまったので、もしかしたらまた別作品という形で書くかも。いくつか構想もあります。……未定ですが(笑)

◆次作はロリサキュバス痴漢物の予定。ロリと言ってもティーンエイジャーな感じですが。久々のエロに手こずってます、今しばらくお待ちを……

◆アドバイス、気になる点、感想等ありましたら、気楽にコメント下さると幸いです。では。

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