誰が付き人 つとめるの?

「――ひぃっ?!なっ、ばっ、バケモノぉ!」
「あんた、毎っ回同じ驚きかたするねぇ。ゴツい見た目のワリに臆病すぎんじゃない?」
「く、来るな……こっちに来るな……やめろ、やめてくれぇ……!」
「まあいいじゃんか、知らない仲でもないんだよ? あんたは覚えてないだろうけど」
「お、お、お前みたいなバケモノ、知るかぁっ!」
「だからそう、何回も言うなよ――”バケモノ”、”バケモノ”ってさあ――!」


”こっちの世界”に来てからというもの、あたしは用が無いとほとんど洞窟から出歩かない。
その用というのも、精を吸いに行くか、夜の散歩ぐらいだけど。
ともかくあたしは、この洞窟を見つけてからはずーっとここを根城にして住んでいた。

するとラッキーなことに、『ドウロ』とかいう道を整備するらしく、近くに男が溜まる場所ができた。
工事現場、とかいうらしい。
しかもその場所があたしのいる洞窟からは遠くもなく近くもなく、実に絶妙な場所だったので、精にはますます困らなくなったというわけだ。
ついでにあたしの力でそこにいる人達を操って、色々と遊んでみたり、そこにある物を拝借したりした。
なのでこの洞穴も、人間たちの家ほどじゃないだろうけど、わりと快適な環境にできたわけだ。
この前持ってこさせた『でぃーえす』とかいうキカイはけっこう面白かったなぁ。
ニンゲンの作るモンも中々バカにできないって、ちょっと感心しちゃったよあたし。


「んっ、あっ、ったく、あたしがっ、あっ、魔法掛けて、やんないとっ、触っても、くれないんだからさぁっ……!」
「――うっ、くっ、で、出るっ!」
「はぁっ、はぁっ……あんがとさん。トシのわりに元気じゃないの?」
「はは……最近、カミさんとご無沙汰だったからな……」
「……あ、そ。あんたもイロイロあって疲れてんだろうけどさ、たまにはちゃんと構ってやんなよ。
 ま、あたしが説教したってどうせ忘れちゃうから、意味ないんだけど」


『元の世界』にいたときも、あたしを自分から押し倒そうだなんてヤツに会った事はなかった。
それどころか、たまにあたしが近寄ったって邪険にするヤツばっかりだった。
出会ったそばからバケモノだなんだのと罵って、無暗に怯えたり、あるいは怒ったりで、あることないこと言いやがる。
もちろん、そうでないヤツだって確かにいた。
けど、あたしが仲良くしてると「どうせ魔法を使ったんだ」なんて言うヤツもいて、あたしはますますやり切れなくなった。
ま、確かにあたしは何度も魔法を使って男を犯していたから、その辺はお互い様だ。
自分が憎たらしいヤツだなんてこと、あたしが一番よく分かってる。
――いつからかあたしは、身体を重ねた相手の記憶はみんな消すようになった。
これでよかった。
あたしと関わったって、ニンゲンには何の得もない。覚えてたって、逆恨みされるだけ。
これでよかったんだ。

そんな時、あたしに声を掛けてきた魔物がいた。
詳しい素性は聞かなかったが、どこにでも転がってるようなタマじゃないのは分かった。
そいつが言うには、『別の世界』の扉を開けたから、そこにこっそりと潜り込めるヤツを探してるんだ、と。
話を聞くだけだとマユツバものだったが、色々あってあたしも心を許してしまったし、説明を聞くうちにその世界へ興味が出てきた。
そんで、『こっちの世界』に来ることを選んだわけだ。
ここの世界じゃ魔物も魔法も、存在しないものみたいに扱われている。
おかげで、あたしみたいにこっそり生きられる魔物には住み心地がいい。
バケモノ扱いは変わらないけど、そういう知識がニンゲンにない分、暗示も魔法も効きやすいからだ。
ただ、潜り込めとは言ったくせに、何か報告しろとか、こういうコトをしろとかは言われなかった。
せいぜい「出来るだけバレないようにな」と言ったぐらいだろう。
どうもこの異世界に忍び込むという案は、あたしに話を持ちかけたソイツが、ぜんぶ一人で企てた話らしい。
てっきり組織的なものだと思っていたから驚いた。
あたし以外にも送り込んだ連中はいるらしいが、そこんとこは聞いていない。
もしかするとそれは、他人と馴染めないあたしへの、あいつなりの贈り物だったのかもしれない。
「もし帰ってきたくなったら、いつでもあの店に戻るといい」って言われたっけ。
そういや、ひとり洞窟で暮らしていたあたしに『レティナ』って名前を付けたのも、ソイツだったな。
でも結局、その名前を使った相手は、名づけ親のソイツと、カナメというニンゲンだけだった。

あたしはまた、『こっちの世界』で出会った、あいつのことを考える。

……カナメ。

自分でも不思議だけど、あいつを思い出すたびあたしはぼーっとしてしまう。
工事現場でオトコを襲って洞窟に帰る所だったあたしが、一人で山道を歩いてたあいつを眠らせて、この洞窟まで連れてったのが始まりだ。
魔法を掛ける前からあたしを怖がらない変なヤツで、そのツラがいつまで持つか気になったから、あたしもあいつに好き勝手やってやったんだ。
――トラウマにしてやったつもりなのに、なぜかあいつは嬉しそうで。
あいつの顔を見てるとあたしは変な気分になって、色々と恥ずかしいことを言ってしまった。
ああ、思い出すだけでも顔から火が出る。
でもって。
ホントに、あいつはあたしを抱いてくれた。
魔法も暗示もなしに、だけど優しく、恋人のように。

……そんだけじゃないか。
あいつと会ったのも、シたのも、たった一度だけ。
あいつが私の事をホントに受け入れてたかなんて、分からない。
『嘘だ』と言われるのが怖くて、あいつの記憶を消したのはあたし自身だってのに。

でも、なんでだろう。
カナメに会ってから、あたしの何かがおかしくなった。
誰だって精は精なのに、いくら精を搾り取ってもなんだか足りてない気がするんだ。
嫌われモンのあたしが、相手を選り好みできる立場じゃなかったはずなのに。
ニンゲンに覚えられたくないって思ってたのは、あたしなのにさ。

なんて勝手なヤツなんだろうな、あたし。
こんなことならあたし自身の記憶も、みぃんな、すっぱり忘れられたらいいのに。
こういう時、あたしの力って不便だなあって思っちゃうんだよ――カナメ。

「……ん、んっ、あっ……」

もう何回カナメの事を考え、甘い言葉で囁いてくれるあいつを想像しただろう。

「カナメ……かなめぇっ……」

あいつを好きに弄ぶ妄想や、好きなようにされる妄想で自分を何回慰めただろう。

「足りっ、ない、よぉ……あたし、だけじゃっ……!」

――今すぐにだって、カナメに会いたい。
限界だったあたしは、ついに覚悟を決めたんだ。

実を言うと、ちゃあんとあたしはあいつのコトを調べていた。
カナメの記憶を消して工事現場の小屋に置いてくる前に、あいつの鞄を漁っておいたんだ。
あたしは『メンキョショウ』とかいうやつに、住所と名前が載ってることを知ってた。
未練がましくもあたしの方だけは、あいつの住処も名前も覚えていたというわけだ。
そんで、あいつの鞄に付いてた変な一つ目のぬいぐるみもつい、もぎ取ってしまった。
こんな物を見ると、ますます都合のいい妄想をしてしまう自分がいたからだ。
――もしかしたらあいつ、あたしの一つ目、好きになってくれるんじゃないか――って。

でもやっぱり、会いに行くのが怖い。ニンゲン達に見つかるぐらいなら、別に構いやしない。
あいつに嫌われるのが、カナメの本心を聞くのが怖いんだ。
あたしの力でカナメに暗示を掛けてやればと思っても、何故かあたしはその気になれない。
……どうしてだろう。
元から好きだったって、”暗示”を掛けたって、好かれてるのは一緒じゃないか。
なのに、どうして? いくら考えても、答えは出そうになかった。

だけど、踏ん切りは付けてやろうと思う。
まずは準備だ。あたしは工事現場の男たちに、必要な物を揃えさせることにした。



――――――――――――――――――――――――



数日後、いつもの洞窟の中。

「……なんじゃこりゃ」

工事現場の男たちに、人間に変装するための服を持ってこさせたのはいいものの――
取り出した最初の一着目はどう考えても、大人のオンナが着る服だった。
いや、あたしだってオンナだし、大人のつもりっちゃつもりだけど、

「サイズが合わねえっての! なんだこれ、サイズも胸元もぶっかぶかじゃねえか!
 当てつけかよ! ぺったんこがそんなにおかしいかよ! ……ったく、もう」

『背中のコイツが隠せるぐらいデカい上着と、顔を隠せるモンを見繕ってこい。あと、レディのあたしに合う服もな』――と、命令したのが間違いか。
効きが弱かったのか、難しいコトを要求しすぎたのか、どっちかは分かんないけど。
頭を掻きながら他のヤツが持ってきたのを見ると、あたしぐらいのサイズの服もなんとかあった。
まったく、数人に術を掛けておいてよかった。
……独り身のヤツに女性の服なんて買わせるもんじゃないな。

「背中のコレは……まあ、どうにかなっかな」

あたしの背中にある触手は全部で10本。でもって、尻尾もある。
出会うヤツ片っ端から魔法を掛けてごまかすのは流石に面倒だし、隠した方が楽だろう。
とりあえず、デカいコートを羽織ってその下に隠すことにした。
後は手袋やらブーツやらで肌を隠していく。バレにくいように靴と手袋は黒にしておいた。
かなり不自然にはなるが、仕方ない。
上着の下に着る服も持ってこさせたけど、触手のせいでいかんせん着づらいし、上着で全部隠せてしまえそうなので、結局使わなかった。

――とまあ、その結果。
背中が大きく膨らんだコートを着た、つばのデカいキャスケット帽を被った少女という、大分怪しい格好にあたしはなった。
肌は露出してないし、まじまじと見られないかぎり夜ならバレない、はずだろう。
さて、後はアシだ。
魔法じゃあさすがに無理だが、この世界には良い乗り物がある。
せっかくだ、この世界の常識に従ってみようじゃないか。

あたしは工事現場に向かって、サイズがデカい服を持ってきたあいつに魔法を掛ける。

「確か、あんた独身だったよね。でもって一人暮らし」
「……っ、あっ……はいっ……」
「――じゃ、この住所の近くまで送ってってくれる?
 クルマとかいう便利な乗り物があるんだろ? そいつでちょっと行ってくれればいいんだよ。
 あ、ココにあるヤツだとバレそうだから、あんたの持ってるクルマでね」
「は、はっ、はい……」
「ん。あんたは術が効きやすいから楽でいいわ。
 じゃ、家に帰ったらココまでまた来ること。――わかった?」
「……はっ、はいッ」



夜。
人のいなくなった頃を見計らい、カナメの『メンキョショウ』に書いてあった住所の近くまで来た。

「あー、あの建物がそうなのか?」
「……はい」
「じゃ、あんたはここで待ってな。
 そうだな……3時間待ってもあたしが帰って来なかったら、お前も家に帰れ。
 帰った後ぐらいには魔法が切れるようにしといてやるよ」
「……はい」
「よーし、イイ返事だ」

窓から外を覗いて人がいないのを確認すると、あたしはクルマを降りる。馬車よりよっぽど乗り心地がいいけど、ちょっとばかし狭かったな。
あたしは例の建物を見上げた。『この世界』の人間の住処で、たしかアパートとかいうやつだ。
四階建ての小奇麗な建物で、色んな形のクルマが置いてある。
カナメが住んでいる部屋は三階の端っこだ。
この辺りはかなり山に近いけど、にしてはキレイに見える。ニンゲンは良い所に住んでやがるなぁ。

「さて、勇んで来たのはいいんだけど……」

――あたしはというと、カナメの部屋の入口まで行ったところで腹を決めかねていた。
部屋に明かりが付いてたのは確かめたから、中にいるのは違いない。
この建物に門番みたいなヤツは見当たらなかったし、明かりも小さいから、誰かが通ってもそうそう怪しまれたりしないはずだ。
今のところ周りに人影はない。あいつのトコに押し掛けるなら今のうちだ。

「……あの」

でもいきなり知らないヤツが押し掛けて来たら、さすがに警戒されるだろうか。
一つ目も、肌の色も隠れてる。コートの背中も、あたしの体がもう一個入りそうなぐらい膨らんでるけど、変なモノが見えてるわけじゃない。パッと見ならあたしは人間のオンナだ。
面と向かい合ったってバレたりするもんか。
それにいざとなったら、あたしの眼で眠らせればいい。
じゃあ、なんて声を掛けよう? 
カナメはあたしの事をさっぱり覚えてないから、あたしとは接点も何もない。
だから、だから、えっと――

「すみません」

不意に後ろから声を掛けられた。聞き覚えのある声で。

「何か御用でしょうか?」

それは確かに、カナメの声だった。
背中を向けたままのあたしはもう、予想外すぎて頭ん中がパニックになっていた。
言いたいことはいっぱいあったはずなのに、何も出てきやしない。
あたしはカナメに、何を言いに来たんだろう?
たった一日会っただけのオトコに、それも、相手はその一日すら覚えてないのに?

「あ……わ、わたし、は……」

あたしは自分の眼がカナメに見えないように気をつけながら、カナメの方に振り向く。

「……え、と……」
「あれ、もしかしてどこかで?」

そうは言ったって、カナメが覚えているわけがない。ただの社交辞令だ。
ともかくここは、誤魔化すしかない。
くそ、前に森で驚かしてやった時は、すらすらと言葉も出てきたのに。

「……い、以前、おせわに、なって」
「前に? うーんと……ごめん、それは覚えてないけど……」
「その……お、おれい、を……」

言葉が出ない。外はだいぶ寒いはずなのに、身体が、顔が熱い。
ニンゲンのフリをしてるせいもあるのか、何だかくすぐったい感じがする。

「……まあ、外で話すのもなんだから、狭い所だけど、中に入って」

そう言うと、扉の鍵をカナメが開けた。
「どうぞ」とカナメが言うものだから、あたしもつい入ってしまう。
履きなれないブーツを脱いで、顔を見られないように下を向きながら、おずおずとあたしは玄関に上がる。
ちゃんと靴下も履いておいてよかった、これならギリギリ肌が隠れてるだろう。

「あ、今座布団出すからちょっと待って」

カナメの部屋の中は割と綺麗だし、意外と広い。さすがに洞窟ほどとは言わないけど。
ベッドも一人用にしちゃ大きいし、よく分からない機械も置いてある。確か『ぱそこん』とかいうやつだ。
物が少ないせいもあるけど、一人暮らしにしては片付いていると思う。
……オトコの部屋に入るのなんて、初めてだけど。

「はい、どうぞ」

丸い枕のようなものを床に置いたので、あたしはそれに座る。
あたしが座ったのを見て、カナメも部屋の奥に座った。
部屋の真ん中にあるテーブルを挟んで、あたしとあいつは向かい合う。
まだ不審には思われてない、はずだ。話を切り出すなら今なんだけど、

「……」

二人とも座ったまま、沈黙が続く。
下を向いたままのあたしは何も言えず、黙っている事しかできない。
あいつの顔を見たかったけど、下手に顔を上げると一つ目がばれてしまう。
カナメは今、どんな顔であたしを見ているんだろう?

「……えっと……あ、お茶でも入れようか」

沈黙に耐えられなくなったのか、カナメが言った。

「……いえ」
「あ、うん……あの、ところで、今日はどうしたの?」
「え、……と、……」

そう言われても、何を言ったらいいか分からない。
次の言葉が出ないまま、また部屋の中は静かになった。

「……正直に言って、僕は君の事をちゃんと覚えてないんだけど……でも、」

そりゃあそうだ、分かっている。全部あたしがやったことなんだから。
けど分かっていても落ち込みそうになるのは、どうしてなんだろう?

「確かにどこかで、会ったと思う」
「……」

ウソに決まってる。何も覚えてないけれど、気を遣ってそう言ってるだけだろう。
素性の知らないあたしをわざわざ家に上げてるぐらいだから、カナメは相当なお人よしだ。
優しい。カナメはただ、優しいヤツなんだ。
あたしの事を抱いてくれたのだって、カナメが優しいだけだ。そうだ。きっと――

「あんまり詳しくじゃないけど……でも、覚えてることもある。
 君の、眼のこととか」
「!」

『眼』と聞いて、あたしの身体が跳ね上がった。膝がテーブルにぶつかって、ガタンと音を立てる。
バレた……バレた? いつ? どこで?
洞窟の中で確かにあたしは、カナメへ魔法を掛けたはずじゃないか。
あの夜に起きた事はみんな忘れさせたはずなのに?

「今は……その、隠してるみたいだけど。
 僕が覚えてる君は、一つ目で――なぜか、泣いてた気がして」
「……な、なんで! あんたにはあたしが、」

慌てたあたしは、反射的に顔を上げる。あたしの一つ目と、カナメの目が合った。

「あ……」

どっちが言ったかも分からない、気が付いたような声。
驚きも怖がりもカナメはしなかった。あたしは間抜けに口を開けたまま、何にも言えなくなる。
とっさに下を向くことも出来ず、そのまま黙って、私とカナメは見つめ合っていた。
どんどん体が熱くなっていくのを感じて、あたしはたまらず声を荒げる。

「……う、ウソだ! オマエ、気付いてたんだろ、あたしの眼のこと!
 こっそりどっかで見てたんだ!」
「そう言われると、自信ないけど……ぼくもいつ見たのか、よく覚えてなくて」
「あ……うっ、お、オマエ、じゃあなんで! なんであたしのコト、家に上げたんだよ!
 あたしが、あたしの眼が、怖くないのかよ!?」
「えっ?」

何を言っているんだといわんばかりに、カナメは首を傾げた。

「一つ目だけじゃない、肌だって、触手だって!」

あたしは立ち上がったその場で、帽子も、コートも、手袋も脱ぎ捨ててやった。

「……!」

前に洞窟でアイツと会ったときのように、あたしは、あたしそのままの姿をさらけ出して、カナメと向き合った。
さっきまで窮屈にコートへしまってた、先に目玉の付いた触手をカナメに向ける。
けど、顔と触手にあるあたしの目玉は、目の前にいるカナメを見るのが怖くて、ずっと閉じたままだった。
――こんな姿見せてしまったら、バケモノだって思われるに決まってるじゃないか!

「……やっぱり、どこかで会った」

でも、カナメは何にも変わらないような口調で、呟くように言った。
きゅっと閉じていたあたしの一つ目が全部開いて、カナメを見る。
触手の、顔の、その全部でぎょろりとあいつを睨みつけてやったのに、驚く素振りもしなかった。
それどころか、あたしの身体をじっと眺めている。
化け物みたいにうごめく触手を、あたしのぎょろりとした一つ眼を、どうしてあいつは恐れないんだ。

「な、なっ……何でだよ! お前、どうして驚かねえんだよ!
 あたしのコト、バケモノだって、気持ち悪いって、どうして言わないんだよッ!」

あたしはテーブルに乗り出しそうな勢いだった。なんだかもどかしくなり、触手がうねる。
うごうごと揺れるコイツが作り物じゃないって分かってるはずなのに、カナメは何も動じない。

「僕が覚えてる君と、君の姿がホントに同じだったから、すごくびっくりしてるよ。
 でも、おかげで思い出せそうなんだ。僕は確か、」
「ままま待てよお前! あたしとあの洞窟で一体何したのか、分かってんのかよ!
 あたしのこと押し倒して、そんで、あんな、あ……ぅ、」

洞窟で交わったあの時のことを思い出してしまって、また顔が赤くなる。
カナメの顔を見るだけでなんだか、変な気分になってしまう。

「えっ?! お、押し倒して、って……?」
「ちっ、違う! あれは、お、オマエが……カナメが、嫌だって、どうしても言わないから!」

ワケが分からなくなりだしたあたしは、もうどうにでもなれという気分だった。
すばやく身を乗り出して、テーブルにあるなんかの箱を床に落としながら、あたしはあいつに飛び掛かる。
驚いた顔をしたあいつの両肩を掴むと、あたしはその場に押し倒す。
突然だったとはいえ、ほとんど抵抗もせず、あいつはカーペットの上で仰向けになった。

「ちょ、ちょっと、何を……っ?!」

抗議の声も聞かず、あたしはカナメの上半身にのしかかる。
顔を近づけると息が当たって、ドキドキしすぎて気が遠くなりそうだった。

「どうだ、さあ、怖がれよ……魔法なんて掛けてないんだ、
 オトコのオマエなら、あたしが乗ってたって跳ね飛ばせるだろ! 嫌がることだって出来るだろ!
 怯えろよ、逃げろよ! 怖いって言えよッ!」

カナメに覆いかぶさったまま、顔を真っ赤にして噛みつくようにまくし立てる。
自分でも何を言ってるのか分からない。
違う。あたしがホントに言いたいのは、こんな事じゃない。

「なあっ、ホントはオマエだって……怖いって、醜いって、思ってるんだろ!
 あたしを抱いたのだって、おまえがホントのコト言えない、お人好し、だから……っ!」

違う。怖がってほしいなんてウソに決まってる。どうしてホントのことが言えないんだ。
あたしがホントに、カナメに言いたい事は――

「――あの時も泣いてたんだ。僕の上で、君が」

そう言われて、あたしは自分が泣いている事に気がついた。
ぽた、とカナメの顔に、滴が落ちる。
視界が滲んで、カナメの顔が歪んで写った。

「なっ……いて、なんか……!」

手で拭っても、顔をぶんぶん振っても止まらない。
滴が何粒も落ちて、あたしの頬とカナメを濡らしていく。


「レティナ」


あたしの下で、カナメが言った。
確かめるような、とても小さな声だったけど、あたしには何よりもよく聞こえた。
この世界で初めてニンゲンに教えた、あたしの名前。

「……あ……」

微かに声が漏れた。それがあたしの声だったか、カナメの声だったかは分からない。
口を開けたまま、あたしは、カナメの言った言葉を、信じられずにいた。

「……なんで? あたし、忘れさせたのに……
 ぜんぶ……あたしの、こと……」

涙が、あたしの首筋を伝う。
――涙。そうだ、今もあの時も、あたしは泣いていた。
あたしの眼には、涙で滲んだあいつの姿しか映ってなかった。
これじゃよく見えない。カナメの姿が、ぼやけて見えないじゃないか。

「……レティナ」

カナメの小さな声が聞こえる。
あの時、あいつの記憶を忘れさせようとしたのに忘れてないのは、あたしが泣いてたから?
あたしの涙で、あいつが、よく見えなかったから?


……そんなバカみたいなハナシ、あるもんか。


「今、思い出したよ、レティナ。名前も思い出せなくて、ごめん」

こんなぐしゃぐしゃの顔じゃ、もうあいつを見れない。見えない。
自分の顔を隠したくて、思いきりカナメの胸に顔を埋める。

「なんで、なんで覚えてんだよぉ……!
 あたしのこと、忘れろって……忘れてくれって、言ったのにっ……!」
「……思い出して欲しくなかった?」

その声はやっぱり小さい声で、どこか悲しそうに。

「でも僕は忘れたくなかったよ、君のこと。もう一度だけでも会って、話してみたかった」
「……あたし、と……?」

その言葉が信じられなくて、あたしはぼんやりとしていた。

「すぐにでも聞いてみたかったけど……口に出そうと思うと、泣いてた君を思い出して。
 ――もしかして嫌われてるかなって、聞くのが怖かった。
 意気地なしで、ごめん」

カナメの手が、あたしの背中に当たるのを感じた。
今まであたしを抱いてくれたどんなニンゲンより、優しくて、温かい気がする。

「……意気地なしは……あたしだって、同じだよ。
 ”バケモノ”って、気持ち悪いって、カナメに言われるのが、怖かった。
 あたしのコトが怖いから、何も言わないんだって……そう思ってたから……」
「そんなこと、思ってなかったよ。
 びっくりはしたけど、でも、見てるうちに、なんていうか……
 その、可愛いっていうか、えっと」

カナメが言いよどむと、あたしも嬉しくてちょっと笑ってしまった。
そんな恥ずかしいセリフ、聞くだけで真っ赤になりそうだよ。

「……ばあか。あたしよりかわいい奴なんかたくさんいるじゃねえか。
 こぉんな出るとこも出てない貧相なオンナに、なに言ってんだよ……ホント、物好きなヤツだな」

そのたった一言が嬉しくて仕方ないのに、「嬉しい」が言えない。
つくづく意地っ張りで、バカだよ、あたし。

「可愛いよ、レティナは。今まで見た誰よりずっと」

こっ恥ずかしいことばっかり言いやがって、聞くほうの身にもなれっての。
オマエのせいで、頭ン中がぽわぽわするのが止まらないんだよ。

「……好き勝手、言いやがって……。あたし、もう絶対に許さないからな。
 これからずっと逃がさない。嫌だって言ったって、離れてやるもんか。
 オマエのコト、嫌いになるまで、ぜったい、はなれない、から、なぁっ……!」

耐え切れなくなって、またあたしは泣きだしてしまう。
カナメは胸に顔を埋めるあたしを抱きしめて、頭を優しく撫でてくれた。

ありがとう。 でも、ごめん。

  カナメ。あたし意気地なしだから。
  まだあんたにちゃんと『好き』って、言えそうもないよ。



最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

続きは書くかどうか分からないと言ったが……スマンありゃ嘘だった。
日常編まで書きだしたらごめんなさい。

13/09/26 23:43 しおやき

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