読切小説
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錆びついた山刀
 薪の燃える香り。仄かな冷気。そして暖気。
空気が籠っている。薪の爆ぜる音が反射する。この音は――木造小屋か。
呼吸――女。匂い――強い鉄、そして微かな汗。女の前方に鉄塊。焼ける鉄。そして、一つ目。
「お前、サイクロプスか」
 静かに眠っていたはずの男が呟いた。サイクロプスは男に目を向けてみると、やはり男は眠っているようであった。空耳かうわ言か、いずれにしても反応を要するものでは無い。サイクロプスは再び暖炉に目を遣った。
「助けてくれたのはお前か」
「!」
 眠っている男が再び問うた。目は閉じたままである。閉じたままサイクロプスを見破ったのだ。しかし魔物に対する恐れと特に一つ目にする侮蔑が無い。サイクロプスはうろたえた。
「ど、どうしてわかった」
「わからないから問うた」
 男は怪訝な顔をしてなお目を閉じたまま答えた。眠っているようにしずかな表情である。
「そ、そうじゃない。なんでわたしが、サイクロプスであると、わ、わかったのだ」
「だって一つ目じゃないか」
 今度はサイクロプスが眉をしかめる番だった。ふざけているのかと思ったが男は至って真剣である。依然男は目を閉じている。
「それで、助けてくれたのはお前か」
「あ、ああ。が、崖の下に、猪を、と、獲りに行ったら、お前が、落ちていた」
 語尾にかけて声が小さくなっている。萎縮しているのか、あるいは喋るのが苦手なのだろうか。そういえば言葉もどこかたどたどしい。男はいつか図鑑でサイクロプスの項を読んだことを思い出していた。
「人が苦手というのはどうも本当らしいな」
 微笑して男が言った。サイクロプスの一つ目が険しくなった。
「猪の代わりにお前が獲れた」
「冗談だ」
「――」
 俄かにサイクロプスの顔が赤らんだ。そして赤くなった顔を伏せてそれきり喋らなくなった。場を無言が支配した。
 薪が爆ぜる。薪をくべる。薪を山刀で割る。戸をしきりに雪風が叩いている。雪風が山を巻く。小屋が揺れる。小屋から雪の滑り落ちる音がする。小屋を木霊する。雪風が止む気配は無い。
 サイクロプスは時々男を見るが、男は初めの通り目を閉じたまま静かに眠っているように見える。
 薪が爆ぜて藁へ飛ぶ。藁が煙を立てる。サイクロプスはそれを慌てて消しにかかった。サイクロプスは燃え移った火を消すと今度は薪の位置を直し始めた。サイクロプスは明らかに動揺していた。
「藁は動かさなくても良いのか」
 問うたのは男である。
「今、やるところと思っていた」
 と、サイクロプス。男は微笑した。再びサイクロプスの頬が赤くなった。
仕方がなくなったサイクロプスは干し肉を乱暴に掴むと、口移しで男に与えた。男はそれを目を閉じたまま受け入れた。
「寝る」
 サイクロプスはそういうと暖炉の前に横になり、しばらくして寝息を立て始めた。

*

 厳冬期に入ると、サイクロプスは殆ど猪を獲りに出かけなくなった。代わりに男は自力で立てるようになり、干し肉も自分で食べられるまでに回復して居た。サイクロプスは立って歩こうとする男をしきりに寝かせようとしたが、男は大抵拒み山刀で太い薪を割った。
 小屋の中は随分と狭くなった。小屋の半分以上を薪が占め、大量の干し肉と内臓の塩漬けが積まれ、小屋の中は凄まじい獣臭に満ちた。ただし小屋の中の薪を燃やすことは殆どなくなっていた。大抵軒先から炭を持ち出し、それを少しずつ燃やしていた。
 ある日、男が問うた。
「何故おれを助けた」
 サイクロプスはそれに答えられなかった。人を助けるのに理由が要るのか。否、進んで人助けなどしない。では何故。わからなかった。だが倒れていたのがこの男でなければ、助けなかっただろうと漠然と感じていた。
「……わからない」
 サイクロプスはそう言って目を伏せた。当面の質問にはそうする癖があった。サイクロプスの頬が僅かに上気していた。この頃サイクロプスは明らかに男を意識して居た。男を直視すると呼吸が弾んだ。男が起きている時間は狭い小屋がより一層狭くなった。一体どうしたというのだろう。わからない。それは男を助けた理由と同質のものであった。
 そういうときは決まって乱暴に干し肉を柔らかく噛み砕いて男の口に詰め込んだ。そうすることで何故か落ち着いたのだ。看病に喜びを見出したとも考えたが、落ち着くのはこのときこの行為だけであった。
「もう自分で食えるさ」
 そう言いつつも、男は唾液にまみれた干し肉を受け入れた。男もまた干し肉を与えられることにどこか安心していた。男は極力干し肉を自ずから口にしないようにして居た。適度に腹を空かせ横になっていると、丁度良い時間にサイクロプスの口から干し肉が運ばれてきた。また、そうした干し肉はどこか甘ったるく美味であった。

 ある朝、サイクロプスは男の呻きで目を覚ました。
 驚いて見てみると、男は全身に汗を掻き、高熱を出していた。サイクロプスは急いで男の服を脱がしありったけの藁をかぶせ、己も裸になり同じ床に入った。次いで汗の匂いで有害な病原菌を探ったが、これといったものは無かった。風邪で無いとすれば悪化の恐れは無いが、それが却ってサイクロプスを困惑させた。雪を積んで適度に脳を冷やすも、効果なし。湯を飲ませるも、効果なし。口移しで干し肉をやって見たがすぐに吐き出されてしまった。
 サイクロプスは言い様の無い不安に駆られ、男を抱きしめていると、思いがけず男のうわ言を聴いた。
「何だ、わからない」
 覚えず聞き返すうち、幾度目かのうわ言にサイクロプスは男の苦悩を知った。
男は母の名を呼び、両目を掻き毟った。そのとき初めて、サイクロプスは男の両目であった部分を見た。
 常に閉塞を保っていた端整な瞼が裂けんばかりに開かれたそこには、醜く捩れた肉があるだけであった。乾ききらぬ生肉に、吐き気を催すような生々しい傷跡が幾本も走っていた。それは生来のものではなく、明らかに人為的に刻まれたものであった。
 サイクロプスは男を抱きしめた。そして幾度と無く交わした口移しを行った。ただし、そこに干し肉は無かった。サイクロプスは己の男を助けた理由を悟ったのだ。男の無い眼から一筋の水滴が流れ落ちると、男はようやく呼吸を落ち着けた。
 サイクロプスは静かに床を抜け出すと、干し肉を一つかみ口に放り込んだ。
「じき春か」
 サイクロプスはすっかり柔らかくなった干し肉を静かな寝息の男の口に移すと、いつも通り暖炉の前に座り、火を眺めた。

*

 小鳥の囀り。冷たい空気。柔らかな日差し。雪解けの音。
 その日男は、久しく暖炉の火の無い朝を目覚めた。常に締め切られていた雨戸は明るく開け放たれ、春の新しい風と日差しを運んでくる。男は陽の小鳥に陰る様子を、確かに見た。
 男は立ち上がり伸びをすると、これまでにない好調を感じた。筋肉を伸ばし深く息を吸うと、山が肺に取り込まれた。体中が動きたくてたまらないという風に滾っている。二三跳ねると、男はサイクロプスの居ないことに気が付いた。
 外に出てみると、足跡もない。はてと思い小屋へ戻ってみると、枕元に男の荷物と、一振りの山刀があった。
 山刀を鞘から抜いてみると、めくらの目に得も言われぬ美しさを感じた。男は刀のことはよくわからなかったがどの銘品にも劣らぬであろうと思われた。
 男は美しい山刀を鞘に戻すと、静かに枕元に戻した。代わりに暖炉前の薄汚れた山刀を腰に挿すと、荷物を担ぎ、干し肉を頬張り力強く噛んで飲み込んだ。
 そして男は、小屋とその屋根に佇む一つの気配を背に、山を下りた。
10/02/19 20:56更新 / ロリコン

■作者メッセージ
おれはザラの目なしだって愛せるッフウウウウウウウウウ!!!!!!

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