連載小説
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人食い砦



登場人物

アイオン
 主神教団の戦士として訓練を積んだ人物。
 故あって現在は教団を離れ、ハイオークのガーラと旅をしている。

ガーラ
 ハイオークの魔物娘。
 アイオンと共に旅をしている。
 怪力かつ強靭な肉体を持つ。






 第一 雨道

 ……霧のような雨が降る、切り立つ渓谷に天を刺す険嶺が連なる山々の中、先人たちが踏み固めた細道を一組の旅人が歩いていた。
 毛皮の温かくも頑丈なマントを羽織った二人は、しんしんと降り続ける霧雨を抜けるべく早足で道を急いでいた。歩みを進める度に、かちゃかちゃと荷物が鳴る。
 いや、荷物だけではなかった。一人は古びた長剣を、もう一人は大振りな大斧を、それぞれの荷物とは別に背負っていたのである。
 「なーアイオン、ちょっと休もうぜ」
 フードをかぶった、大柄な旅人が連れに声をかける。からりとした、明るい声から女性だとわかる。
 「勘弁してくれ……お前と違ってこんなところで休んだら体が冷えてしまうよ」
 アイオンと呼ばれた男の旅人が返事をする、落ち着いた様子だったがその声音には焦りが混じっていた。
 「おっ あっためて欲しいってか?」
 「はぁ……ガーラ……」
 アイオンは相手にするのも疲れる、という様子でガーラと呼んだ道連れ……ハイオークのガーラの方を見る。ガーラのフードの奥から、ふわりと温かい匂いが薫り、ちろりと悪戯っぽく舌を出した笑みが見える。

 アイオンとガーラ、この二人が旅を始めてから暫く、季節は実りの月を終えようとしていた。

 教会の戦士として育ち、魔物への復讐を誓っていたアイオンだったが、数奇な運命からかつて最も恐れ憎んだ相手であるハイオークのガーラと共に旅をする身となって幾数日。
 当てのない旅は思った以上に順調であった、ただ一点、目的地と安住の地が見つからないことを除けば。
 この北の大地には大小様々な国があるが、殆どの国は主神の名の下に同盟を結び、実質的に教団の支配下にあるといってもよかった。当然、魔物に対しては極めて排他的……聖戦と称し積極的に魔物狩りをしている国もあるぐらいである。そのため、どのような事情があれ、魔物と共に歩む者は《堕落した裏切者》とみなされ魔物ともども討伐の対象とされている。
 だが、それはあくまで首都や栄えた街での話である。寂れた宿場町や辺境の寒村、ちょっと大きい程度の街ならば教会もしくは教団の人間にさえ気を付けておけば案外ばれないものであった。だが、おおっぴらに魔物であること、魔物と歩む者であることを公言できるわけではない。魔物だとわかれば街の人々は恐れ、すぐに兵士や教団の戦士に助けを求めるからである。
 そうでなくとも、人間に紛れた魔物や堕落した人物を《密告》することを教会は奨励し、報奨金まで出しているのだ。人がいる場所に、長くとどまることは殆どできなかった。これは同盟に加わっていない国でも同じことであった。教団を支持しているわけではないが、かといって協力しないわけでも敵というわけでもない、むしろ教団も寄せ付けないような排他性はそのまま魔物や外に人間に対しても向けられているといってもよかった。
 では人が寄り付かないような山や森の奥はどうかというと、魔物にとっては問題ないが人には過酷過ぎる。かといって、奥地よりかはまだ過ごしやすい人里に近いような場所では、アイオンの兄ステリオのようにいずれ見つかるといった具合であり、とかく安住の地となるとこの北の大地においては殆どないといってよかった。

 「見ろよアイオン、すげえ山だなぁ」
 結局、歩きっぱなしで疲れてしまったアイオンは霧雨の中、少しでも濡れないように鬱蒼と茂った茂みの下で小休止を入れることに決めるのであった。
 湿った草に腰を下ろしたアイオンの横に、同じようにガーラは座るとフードを外して感嘆の表情で目の前の景色を見つめている。
 (あてもなく旅をしているが、やはりうまく見つかるものではないな)
 かすかにあった、期待。それはこの北の大地で魔物と人が共存している場所がどこかにあるのではないか、というもの。あてのない放浪の旅というのは、順調であると同時にやはり言いようのない、逃亡者であるが故の常に何かに追われているような不安というものがあった。
 アイオンはちらりと横を見る。しっとりと霧雨で湿った褐色の肌が、艶めいて目に映る。ガーラはそんな視線に気づくことなく、からからとはしゃいでいた。
 (なんだかんだと、助けられてばかりだな)
 旅の初めこそ、自分が引っ張らねばと思っていたアイオンだったが、やはり蛇の道は蛇、というように人が通らぬような険しい道の進み方や食料の調達に関してはずっと森で過ごしてきたガーラの方が一枚どころか三枚以上も上手であった。
 それにガーラ曰く、魔物の連れがいる人間に対しては他の魔物の早々寄ってこないという言葉の通り殆ど魔物に会うことはなかったし、会ったとしても言葉は通じ、友好的と言っていいぐらいであった。
 その事実は教団の魔物はすべからく邪悪であり人と神の敵であるという教義を信じていたアイオンにとっては信じられないことでもあったが、そういう意味ではアイオンは柔軟な考え方を持っている方であった。もしくは己の武技を鍛えることに熱中し過ぎて信仰に関しては二の次だったから、というのもあるかもしれないが少なくともガーラの言う今の時代に最初から敵対的な魔物は殆どいない、という言葉を信じることはできていた。敵対的なのもいることにはいるようなのだが、大抵は自衛のためかガーラのように荒っぽい求愛行動のために戦うようであった。
 (……兄のことを理解できないと思っていたが、既に理解しかけているのが嫌になるな)
 アイオンの兄、ステリオもまた魔物を共に歩む者であるが、その理由が何かと世話を焼かれて情が移ったという理由であった。当初アイオンは理解できないと苦しんだが、今となってはその気持ちも理解しつつあった。実際ガーラは世話焼きだったし、つらい時も変わらぬ思慕をアイオンに向けてくれている。それはアイオンにとってかけがえのない励みであった。ただ、そんなガーラに対しても悩みはあった。
 ガーラの性欲が凄いという事であった。アイオン自身もなかなかどうして絶倫ではあったが、一応は禁欲をよしとする集団の出身であるし、戦士としての自負もあり快楽に溺れるというのは受け入れ難いものがあったため自制できる限りは自制していた。ガーラ曰く、特別自分の性欲が強いわけではないらしいが、アイオンは余り信じてなかった。
 とにかく、事あるごとにアイオンにとって過剰な接触をしたがるし、夜どころか昼間でも隙あらば交わろうとする有様であった。
 「そろそろ行くか」
 「えっ!」
 アイオンは、横で何やらもぞもぞし始めたガーラを避けるように立ち上がる。ガーラは不満げな表情をするも、歩き始めて暫くするとまたからりとした表情でアイオンの横に並ぶ。
 道は険しかったが、アイオンとガーラはしっかりとした足取りで霧雨の中を進むのであった。



 ……夜、山道の途中にあった古い石造りの廃墟の中でアイオンとガーラは火を熾して暖を取っていた。ガーラは羽織っているマントをはだけ、ごろりと寝転がっている。
 「ふーっ」
 先ほどアイオンが調理した魚を平らげ、ぷるんとした肉をまろび出しながらごろ寝する姿は何ともだらしなかったが、同時にちょっとした劣情を催さずにはいられない扇情的な姿でもあった。だが、アイオンは努めて冷静に声をかける。
 「ガーラ」
 「なんだいー?」
 「……その、聞きづらいことだが 太ったか?」
 その言葉にガーラは《えっ?》とした表情でアイオンの方を見る。そう、何回も体を重ねたアイオンにはわかることだったが、明らかに最初の頃よりも触り心地がもっちりとしているのである。主に胸や尻や腹が。それに伴い、見た目もなんとなくふとましいというかムチムチとした感じになっているようにアイオンは感じていた。
 「いや? そんなはずは……」
 予想外の問いかけだったのか、ガーラは怪訝な表情で己の腹を摘まむと、見るからに柔らかそうにむにゅりと伸びる。だが、ガーラはすぐに指を離し、何事もなかったかのように話題を変えた。
 「なー、それよりも釣りってどうやるんだ? 今度教えてくれよ!」
 「ああ……そうだな 少し落ち着いたらな」
 触れてほしくないのだな、そうアイオンは納得すると特に追及することなく他愛のない話へと戻る。ただ、アイオンにとって不思議だったのは日々の旅道は決して楽な道のりではないし、その日の糧を得るために狩りや採集を行うことも多い。それに食事もとれない時もあったのだから、太るどころか痩せてもおかしくないはずであった。事実、アイオンは少し引き締まってきていた。
 (食べる量も物も殆ど同じはずだが、一体何が違うのか…… やはり人と魔物は違うものなのか)
 アイオンはなんとなしにじっとガーラの腹を見る。むにむにとした、柔らかそうな腹が目に映る。それと同時に、ふくよかながらも形の良い胸と尻、そして機嫌よさげに揺れる尻尾も見える。褐色の肌は焚火の光を浴び、まるで上等な黒檀細工のように照り返していた。
 落ち着いてみれば見るほど、ガーラは素晴らしい女性であった。からりとした気風は一緒に過ごしていて心地よく、その肉体は男を溺れさせるには十分すぎるほどの魅力が詰まっている。もしも魔物ではなく人であったならば、多くの男に好かれていたのだろうなと、アイオンは思わずにいられなかった。
 そんなアイオンの視線に気が付いたのか、ガーラはあの悪戯めいた笑みを浮かべると、片手で自らの胸を持ち上げアイオンへと見せつけるように乳房を晒す。しっとりと輝く、薄桜色の頂きがアイオンを誘うように揺れる。それと同時に、むわっとした、ガーラの薫りが辺りに充満してくるかのように広がっていく。
 「……なあ、アイオン 今日はもう、することないよな?」
 先ほどの、無邪気な様子とはがらりと違う、艶事を知った雌の顔でガーラは囁く。その変わりように、アイオンの心臓が跳ねる。
 するりと、ガーラはしなやかにアイオンの傍へと寄る。その一瞬の動きは素早く、それでいて静かであった。ガーラの匂いが、より濃く薫る。吸い込むたびにアイオンの鼓動が早まり、全身に血が巡るように熱くなる。既に一物は固く熱く天を突き、来るべき快楽を待ち望むかのように脈動していた。
 「あ、ああ……そうだな」
 むにゅりと、柔らかい感触がアイオンの腕に絡みつく。ガーラが悪戯な笑みを浮かべてアイオンの手を取り、自らの胸の谷間へと導いていた。もうここまで来ると、アイオンの鉄の意思をもってしても振りほどくのは難しかった。促されるままに、アイオンは両胸と内腿に手を這わせる。しっとりと、吸い付く褐色の肌にアイオンの指が埋まり、その感触にアイオンは感嘆の息を吐く。
 「んぅ」
 艶のかかった息がガーラの口から漏れる。ふわりと薫るそれを吸い込むようにアイオンはガーラの顎に指をかけると、そっと口づける。甘くはないが、淫靡な味を二人は楽しむ。
 静かな水音が廃墟の中に響く。いつの間にかガーラは衣服を脱ぎ去り、裸体の上にはマントを羽織っているだけという倒錯的な姿にアイオンは言いようのない興奮を覚える。
 「ひひっ アタシの匂い、好きだろ?」
 そういうとガーラは、マントを広げアイオンごと自らを包む。厚い毛皮のマントの中でむわりと、隙間なく充満するガーラの薫り。その趣向がないものであれば、むせかえりえずいていたであろう強烈な匂い。だがガーラの言う通り、アイオンの性的趣向には間違いなく匂いを愛好する気があった。
 「ガーラ……ッ」
 密閉されたローブの中で、柔らかい肉へと抱き着き、その温かさと匂いを深く深く吸い込む。柔らかく、汗で湿ったガーラの肉体は熱く、それでいていくら力強く乱暴に抱きしても決して壊れることがないと感じられる不思議な包容力にアイオンの激情は高まっていく。
ガーラが欲しい、無意識のうちにそう呟く。
 「アタシもだよ……アイオン」
 慈愛に満ちた囁き。いつの間にかアイオンの愚息は取り出され、熱くぬめる入り口へと添えられていた。その慣れることのない熱さに、アイオンはびくりと震える。
 にゅるん、吸い込まれるような音と共に、アイオンの愚息が粘つく肉のうねりの中へと飲み込まれる。じんわりと背筋から脳へと至る至福の快感。包まれている、肉に包まれているというただそれだけでアイオンの心は満たされていく。
 「あっ はぁっ」
 湿りきった、艶声が心地よく耳に通る。狭いローブの中で、密着するように抱き合い腰を動かす。にゅぐにゅぐと蠢き、動かさずとも溺れるような快感をもたらすガーラの膣内を、乱暴にこすり上げる快楽。体を重ね合わせる度に、まるでより深く繋がるために造り変えられているかのように、ひたすら新鮮な快感がもたらされていく。
 「あんっ アイオン! アイオン!」
 むせるような薫りの中、ひたすらそれを吸い込み己を奮い立たせていく。アイオンの愚息ははち切れんばかりに燃え盛ってもなお、熱を求めるように震えガーラを抉る。
 ガーラはアイオンの上で淫らに乱れ、ひたすらに自らの媚肉を押し付けながら共に際限のない快楽を貪っていく。
 「ッ! 行くぞ、ガーラッ!」
 「アッ、そんなっ アイオン!」
 ずん、と響くような深い突き上げ。ギュッと握りしめられるような吸い付きに、アイオンは最初の絶頂を迎える。ガーラも自らの内に広がる精の感触に、全身を震わせ火花を散らす。既にガーラの体はアイオンの味に溺れ、アイオンの精によって容易く絶頂するようにまでなっていた。
 長く、充足する射精に、アイオンは息を荒げる。それでも当然のように、温かい肉に埋まった愚息が萎える気配はない。
 「ア……ッ ンッ アイオン……もっとしよ?」
 ぴくぴくと、甘噛みのように甘える膣肉と、同じく甘い声音での催促。そんなガーラの誘いに、アイオンは腰を突き入れる形で返事をする。
 「うぅん!」
 息を深く吸い、再び戦意を高揚させるとアイオンは攻めを再開する。目指す砦は既に陥落していたが、砦内を荒らすがごとく勢いであった。
 まだまだ夜は長い、そう告げるアイオンにガーラは嬉しそうに手と足を絡める。

 冷たい霧雨が舞う夜の中、廃墟の中での睦み事は続いてのであった……



 第二 人里

 ……早朝、廃墟の傍をながれる川でアイオンとガーラは身を清めると、荷物をまとめ早々に廃墟を後にする。
 降り続いていた霧雨は止んだもののまだうっすらと霧がかかっていた。深い山森に霧がかかる様子は、朝の薄暗さも相まって幻想のような雰囲気をあたりに漂わせる。しかし、道は湿り、気を付けねば足を取られる危険があった。
 二人はまだ肌寒い朝の山道を早足で過ぎていく。

 日が昇り暫く経つと晴れ間が見え、明るい陽射しが山々を照らし始める。険しい山々の景色は相変わらずだったが、ところどころまばらながらも人の手が入ったか場所が増えていく。
 (そう遠くない場所に村があるかもしれないな)
 アイオンは懐にしまってある硬貨袋を取り出し、中を確認する。基本的にはその場その場の狩りで凌いでいる旅だったが、やはり時に必要なものは買い足していく必要があった。しかし、袋は殆ど空であり心もとなさげにちゃりちゃりと小さな音が響く。少し買い足したいものがあったが、これでは買うことは難しいだろう。
 (……何か簡単な仕事のあてでもあればよいが)
 何度か、アイオンは旅の途中で仕事を請け負うか旅の途中でガーラが狩った獲物などを売ることで路銀を稼いでいたが、実入りが良いのはやはり何かしらの仕事を請け負う方であった。
 だが、そうそう都合よく仕事がころがってくるわけでもなく、特にアイオン達の様な流れ者は信用がないために仕事があったとしても紹介してもらえないという事も多かった。
 「見ろよ、アイオン ハーピィの群れだ」
 アイオンが考え込みながら歩いていると、少し先を歩いていたガーラが山の上を眺めて指をさす。少し離れた山々の間を、羽を持つ女の姿をした魔物たち……ハーピィと思われる魔物の群れが野山の鳥に混じって悠々と空を飛んでいた。
 「……あの感じだと渡りだろうな」
 「そうか……」
 多くのハーピィたちは冬の間はこの北の大地を去る。それは、人間よりも強靭な魔物にとっても、この大地の冬が過酷であることを示す。事実、アイオンが知る限りでも満足な備えを用意できなかったために冬を越せず、死んでしまう人は毎年それなりの数がいる。
 それと同じことなのだろう。冬は魔物の襲撃が多いというのも。恐らく食料と温もりを求めて、人里を襲いに来るのだと、魔物を少し理解したアイオンは思う。
 「……急ごう」
 心に押しとどめていた不安が湧き出てくるのを感じたアイオンは、早足に道を進む。北の大地の冬は厳しく長い、どこかに腰を落ち着けるにせよ旅を続けるにせよ、冬を越すための備えをしなければならなかった。

 しばらく進み、山の谷間に小さな村落を見つけたアイオンはその村の周辺で夜を明かすことに決める。丁度よい広場に腰を落ち着けると、アイオンは村の様子を見に行くことにした。日はまだ高く、少し見て回る程度であれば日が暮れる前に戻ってこれそうであった。
 「ガーラ、狩りを頼めるか? 何時もより獲物は多めだと助かる」
 「あいよ」
 慣れた様子でアイオンの頼みを二つ返事で請け負うと、休憩もそこそこに手を振って森の中へと歩んでいく。その姿を見送ってから、アイオンは簡単に荷物をまとめると人里へと降りていく。遠目で見る感じでは、普通の村落といった感じだったが、村の中心に教団の教会が見えた。
 (それなりに交流が盛んな場所なのだろうか……)
 一見して寂れた辺境の山村という感じでしかなかったが、近づくにつれ村の様子がわかってくる。どうやらこの村は木材を生産するための工場の様なもののようであった。それなりに重要な場所なのか、少数ではあったが兵士の姿もちらほら見える。
 厄介ごとが起きぬようにせねばな、アイオンは口の中で小さく呟くと村の入り口を目指す。

 アイオンが村に入ると、すぐにいくつもの視線を感じられた。よそ者が珍しいのであろう、何人かは既に集まり、ぼそぼそと興味深げにアイオンの方を見ながら話し込み始める。
 兵士の方は旅人に興味がないのか、ちらりと一瞥するだけで特に何も言ってこなかった。どうやら兵士の方は余り熱心に仕事をしているというわけでは無いようであった。
 (通り過ぎるくらいなら問題ないな)
 魔物だとばれなければ特に問題ないだろうと判断したアイオンは、怪しまれない程度に村の中をぶらつく。林業を営んでいる、という事以外はどこにでもありそうな小さな山村であった。
 アイオンは見つけた村の酒場に入ろうと扉を開く。開けた途端、むっとした酒の臭いが鼻につく。酒場の中では既に何人かの兵士と、作業場の男たちが昼間から酔いつぶれていた。酒場の主人はちらりとアイオンの方を見ると、にこりともせずに視線を戻す。酒臭い男たちをよけて、アイオンは店の奥にあるカウンターへと進む。
 「話せるか?」
 「……なんだ」
 店主は不愛想に答える。かなりの年配だったが、その顔つきは岩のように険しく、まだまだ健在そうであった。
 「獲物を売りたいのだが、買取はやっているか?」
 「……見せてみな」
 「今はない、明日持ってくる」
 ならもう用はない、と言わんばかりに店主は手を払うと、アイオンから視線を外す。その様子に、アイオンは索然とした面持ちで店主を見る。これでは情報収集も進まないな、とアイオンはため息をつきそうになりつつも、なんとなしに店内を見回す。客入りはまばらであったが、客はみな一様に酔いつぶれて転がっている様子は少しばかり異様であった。産業がある場所は大抵活気づいており、昼間から酔いつぶれるにしても皆一様に眠っているかのような潰れかたはそうそうない。
 「……ここはいつもこんな感じなのか?」
 酒場とは思えない静かな空気に耐えかねて、アイオンは店主に声をかける。しかし、ちらりと見ただけで返事はない。
 (……これ以上いても、無駄か)
 店から出ようとしたその時、店主が声を出す。
 「……すまんな また明日来な」
 その表情は相変わらず不愛想だったが、少なくとも旅人の訪問を全く歓迎していないというわけではないようであった。釈然とはしなかったものの、そのままアイオンは店を出る。
 酒場の外に出ると、中の陰鬱さなどまるでなかったかのように澄んだ山の空気がアイオンの肺を満たす。もう少し見て回ろうかと思ったが、怪しまれては困るため村の外にある広場まで向かう。

 「おーい! アイオーン!」
 野宿場所に決めた広場では既にガーラが戻ってきており、自慢げに獲物を並べていた。既に火を熾してあり、冷たい山の空気を暖かい光が照らす。毎度のことであったが、ガーラの狩りの成果は上々のようであった。
 「今日は結構いい感じだったぜ!」
 ガーラは自慢げに胸を揺らす。今日の分の獲物は捌いてあるのか、焚き木の傍で油の焦げる音と匂いがアイオンの食欲をそそる。
 「ありがとう、ガーラ」
 感謝の言葉に、素直に喜ぶガーラを見てアイオンは顔を綻ばせる。獲物の勘定は後にして、早々とアイオン達は夕食を取ることにするのであった。
 「それにしても……見事だな」
 アイオンは焼きあがった兎の肉を齧りながらガーラの獲物を見る。兎が数羽に小さなイノシシまで並んでいた、これならば明日の買い取りも期待できるとアイオンは感心する。
 「なー アタシってばすごいだろ?」
 褒められるのが嬉しいのか、ガーラは食べながらアイオンに体をこすりつける。流石に品がないとアイオンが手で制すも、ガーラは気にすることなくムニムニと柔らかい肉を押し付けていた。
 実際、アイオンは狩りでガーラに勝ったことはなかった。簡素な弓を作る知識はあるが、扱いがあまり巧くなかったのである。そのため獲物に逃げられることも多かった。それに対しガーラは気づかれることなく忍び寄り、弓ではなく石の投擲で獲物を撃ち、それでいて難なく倒すのである。その様子を見て以来、アイオンは専ら果実などの収集や釣りをして食料を得るようにしたのであった。
 「ほら、ガーラ 離れろって」
 先ほどから、ガーラはムニュムニュと自らのふくよかな体をこれでもかと押し付けてきており、それに伴ってむんわりとした匂いが漂い始める。
 このまま流されたら不味い、そうアイオンは判断し引き離そうとするもガーラの腕力の前に容易く屈してしまう。やはり単純な力比べではハイオークであるガーラと人間であるアイオンでは埋めがたい差があった。ガーラが覆いかぶさり、たわわに実った二つの柔らかな感触と、包み込むような熱がじんわりとアイオンの体に伝わる。暖かな白灰色の髪がふわりとアイオンの顔を包むと、目の前には艶っぽく微笑むガーラがちろりと舌を出しながらアイオンの瞳を覗き込んでいる。
 「アイオン……」
 ガーラが囁き、静かに近づいてくる。
 「ガーラ……」
 沸き立つ薫りに、アイオンが目を閉じようとしたその時、ガーラがハッと顔を上げるとアイオンから飛びのく。
 その様子に、ただ事ではないと察したアイオンは衣服を整えると、すぐに立ち上がりガーラに声をかける。
 「どうした?」
 「不味い連中に見つかったよ! アイオン、早く武器を構えて!」
 言うや否や、ガーラは自らの大斧を構え山中を睨む。アイオンも同じく剣を手に取り、ガーラが見た方を見る。視線の先には暗闇の中を赤い炎を纏った《何か》が素早く動き回っており、それらが複数こちらへと駆け下りてくる。
 「あれはなんだ」
 アイオンは鞘に納めたままの剣を構えるとガーラに尋ねると、ガーラはばつの悪そうな顔をして答える。

 「ヘルハウンドだよ、嫌な奴らさ」

 炎の群れはすぐそこにまで迫ると、飛び跳ねるようにして二人が陣取る広間へと入り込む。群れの数は四体、四方から取り囲むようにして現れる。
 「ハハッ! くせえにおいがすると思ったらでけえ雌猪がいやがったぞ!」
 「しかも男連れだ! 盛ってやがった!」
 「なあなあ! 混ぜてくれよ! 悪いようにはしねえって!」
 「肉! 肉!」
 黒い肢体に炎を纏った獣人が紅い瞳をぎらつかせながら口々に荒い息を吐く。群れは欲望を隠すことなく、アイオンとガーラを舐めるように見るも二人が武器を構えていることから警戒するように周囲を回る。
 そのうちの一体がアイオンに目を付けたのか、自らの胸を揉みしだきながら舌なめずりをする。
 「なぁなぁ、オマエ良い匂いしてるなぁ! 最近ちょっと冷えるだろ? アタイが暖めてやるよぉ」
 「ひゅー! ニヴちゃん一目惚れー?」
 「エー! こんなのどこが良いんだよ!」
 「肉! 肉!」
 じりじりと、輪を縮めながら他のヘルハウンドは囃すように騒ぎ始める。
 「おい! ソイツはアタシんだ!」
 「ほぉぅ こいつと良い仲なのか! なあなあ、悪いようにはしねえって! 気持ちよくしてやるからさあ……少しばかりちんぽをおっ立ててくれりゃ良いんだ! ナァー、いつも同じ相手だと飽きちまうだろ?」
 ガーラが威嚇するように叫ぶが、ヘルハウンドは意に介することなくアイオンへと媚びるように近寄る。しかし、アイオンがヘルハウンドの提案に靡くこともなければ警戒を解こうともしないことに腹を立てたのか、牙を向くと後ろへと飛びのく。
 「チッ! 無理やりが好みかい いいさ、そっちの方が楽でいい!」
 「肉! 肉!」

 話は終わりだと四体のヘルハウンドは跳ねると炎を纏い、牙と爪を向ける。その身のこなしに無駄はなく、また逃げ道もない。それは彼女らが天性の狩人であることを示していた。

 「アイオン! 来るぞ!」
 ガーラの叫びと共に、ガーラの大斧に一体のヘルハウンドが喰らいつき動きを封じる。即座に大斧を振るい、払おうとするもその腕にもう一体が噛みつく。一瞬にして、ガーラは地面へと組み伏せられた所にもう一体のヘルハウンドが容赦なく爪を振るいに飛び掛かる。
 「ガーラ!」
 「バカ! アタシは良いから!」
 ガーラは組み伏せられつつも、持ち前の怪力で腕に嚙みついたヘルハウンドを持ち上げると地面へと叩きつける。叩きつけられた衝撃から顎を外したヘルハウンドを再度腕で叩きつけると、そのままもう一体のヘルハウンドに殴りかかる。
 「あっあごはぁ!」
 「くそっ! これだからバカ力はいやなんだ!」
 「敵!」
 一体がやられるとすぐに次のヘルハウンドが加勢に入る。三体のヘルハウンドに囲まれながらも、ガーラは持ち前の怪力と強靭さで互角以上に渡り合っていた。しかし、いくら強靭なハイオークといえども、魔物の中でも凶暴さは群を抜いているヘルハウンド三体を相手取るのは難しいらしく、次々と傷を負っていく。
 「ほらほら! あんたの相手はアタイだよ!」
 ヘルハウンドの鋭い爪がアイオンの首元を捉えるべく繰り出される。寸で躱し、続けざまに繰り出された蹴りを剣の腹で受ける。そのまま素早く剣を薙ぎ払うも、ヘルハウンドは軽々と飛び跳ねて避けていく。
 「ハッ! 抜き身じゃねえたぁなめられたこったな!」
 吠えると同時に飛び掛かると、アイオンの胴体を掴みそのまま押し倒す。そのまま素早く喰らいつこうと顎をもたげるも、即座にアイオンはヘルハウンドの喉元を掴むとそのまま体をねじり大地へと叩きつけるように投げる。組み付いた勢いのまま地面へと投げつけられたヘルハウンドはしたたかに顔を打ち、苦い土を噛む。
 アイオンは素早く起き上り、土を舐めているヘルハウンドに対し剣を振り下ろす。しかし、ヘルハウンドは当たる寸前で跳ねて剣を躱すと距離を取る。その眼は爛々と輝き、怒りに燃えていたが、同時に歓喜めいた輝きも放っていた。
 その時、ヘルハウンドの一体をガーラの大斧が捉えその胴体に叩きつけられる。ヘルハウンドの胴体に大斧がめり込む鈍い音が響き、そのまま遠くへと打ち飛ばされる。
 打ち飛ばされたヘルハウンドは大地に転がり、そのままぴくぴくと痙攣をすると白目を剥いて失禁する。その顔はだらしなく歪み、半開きとなった口からは舌と涎が垂れ流されていた。
 「てめえ!」
 「プレザ! やられた!」
 残る二体のヘルハウンドは攻め手をいったん緩め、警戒するように後方へと飛びのく。
 「ヒヒッ! 大当たりだな!」
 高らかに啖呵を切るガーラ。しかし、得意げな顔とは裏腹に全身から汗が噴き出し、ヘルハウンドの爪や牙を受けた痕は血こそ出ていないもののひどく紅く、まるで呪詛の刻印の如くガーラの全身を覆っていた。
 そう、魔物同士の戦いおいて物理的な殺傷が行われるのは極めて稀であり、殆どの戦いにおいては相手の魔力を傷つけるか奪うことで、動きや意識を封じることが主眼に置かれる。
 そして、この攻撃手段は人間相手にも使われる。男であれば動けなくなったところでそのまま犯されることになり、女の場合は相手によりけりといったところであった。
 だが、だからといって戦いで気を抜けるわけでは無い。アイオンからすれば敗北は相手のへの従属を意味する、一回捕まってしまえば解放されることはほぼないだろう。目的のない旅とはいえ快楽に溺れ無為に日々を過ごす気はない。ガーラにとっては、アイオンを奪われることにつながる。魔物というものはみな一様にして欲深く、欲しければ力尽くで相手を従え奪う。そもそも大事なものを共有するという考えを持つ魔物自体が少ないのだ、だから大切なものがあれば奪われぬように戦い守り、勝ち続けるしかない。
 「チッ! タフな奴は厄介だねぇ!」
 アイオンを見据えたヘルハウンドが忌々し気に吐き捨てる。しかし、不敵に笑い叫ぶ。
 「ザンナ! 手伝いな、先に男をヤルよ! クロ! その豚を足止めしなッ もうまともに動けねえだろうからな!」
 「あいよ!」
 「足止め!」
 不味い、その焦りがガーラの顔に出る。事実、一体は仕留めたもののそのためにいくつかの攻撃を無理に受け止めていたために動きがだいぶ鈍ってしまっていた。
 その焦りを察したヘルハウンドは、隙を伺うようにガーラを見る。アイオンとは離れており、ヘルハウンドの追撃をかわしながら駆け寄ることは難しかった。

 「とっとと決めて豚も始末するよ ……それにしても本当に良い体だ! 楽しみだねぇ!」
 ヘルハウンドは舐めるようにアイオンの体を見つめる。その顔は狩った獲物の味を想像しているのか、下卑た笑みを浮かべていた。アイオンの前後を挟むようにして、二体のヘルハウンドが牙を剥く。
 アイオンは剣を構え、仕掛けてくる時を待つ。少し離れた場所では、ガーラが何とか駆け付けようと奮戦していたが、執拗に攻撃と撹乱を仕掛けるヘルハウンドを仕留めきれずにいた。
 一瞬、風が薙いだ瞬間、二体のヘルハウンドがアイオンに襲い掛かる。前後からの挟撃、前方は低く、後ろは高く飛び跳ね喉と足を同時に狙う。アイオンは素早く横に跳ねるも、二体のヘルハウンドは交差するように着地すると体をねじり即座にアイオンめがけて飛び掛かる。横に避け、受け身を取った時を狙った攻撃。これ以上躱せず、防ぐのも難い十字に交差する爪の刃が降りかかる。
 アイオンは転がり起きると同時に地面を掴むと、飛び掛かってきた一体にめがけ飛礫を放つ。その飛礫に大した威力はない、しかし視界を奪うという役目は十分に果たした。そして、起き上がりざまに体を捻り片腕で剣を打ち上げるように振るう。振り上げられた剣は一体の胸元を捉えると弾き飛ばす。
 鞘巻きの剣のため殺傷力はないが、捻りによる加速と鞘巻きゆえの重量が乗った一撃は重く。片腕とはいえヘルハウンドを怯ませるには十分な威力を持っていた。そして、飛礫によって目を潰されたヘルハウンドの爪はアイオンをかすり、地面へとぶつかる。
 「オッ! オゴッ!」
 「ぐえっ ぺっぺっ! くそ!」
 胸を打ち据えられた一体は苦し気に呻きながら身を起こし、憎々し気にアイオンの方を睨んだその瞬間であった。ヘルハウンドを掬い上げるように剣が薙ぎ払われ、怯んだ体の腹に痛打の一撃が加えられる。隙を狙い攻勢に転じた戦士アイオンの、容赦のない一撃である。
 苦痛の喘ぎも放つ間もなく打ち上げられ、地面に叩きつけられると同時にピクリとも動かなくなる。完全に気絶し、びくびくと痙攣しながら先ほどの一体と同じくちょろちょろと失禁する。しかし、先ほどの一体と違うのはそれが苦痛と衝撃によってもたらされたものということであった。
 「へっ? あっ くそっ!」
 身を起こし、視界を取り戻したヘルハウンドは無残にも打ちのめされた仲間を見て怯む。これ以上戦えば、負ける。本能でそれを察したヘルハウンドは、剣を構えなおしたアイオンを前に踵を返すと一筋の炎を残して森の中に消える。
 「? あっ!」
 そして、仲間の為にガーラの足止めをしていた一体も、一寸遅れて大勢が決したことに気が付くと、逃げようと跳ねる。
 「待ちな!」
 しかし、無慈悲にもガーラに尻尾を掴まれ、つんのめって倒れる。ガーラは満身創痍であったが、それでも止めを刺せるだけの力はまだ十二分に持っていた。
 「許して! 許して!」
 逃げることに失敗したヘルハウンドは、何とか逃げ出そうと必死に両手足で大地を掻くも土を抉るだけで寸とも前に進まなかった。何とか許しを請おうと、振り返って見た最後の景色は、片手で大斧を振り上げ今まさに振り下ろそうとしているガーラの姿であった。
 「あばよ」



 第三 夜明け

 ……戦いの後、アイオンは高揚し発情したガーラを何とか押しとどめながらヘルハウンドの再襲撃がないか見張りを続けていた。
 気絶したヘルハウンドに関しては、目を覚ましそうになるたびにガーラが大斧を叩きつけ、無理やり気絶させることを繰り返していた。その見るからに凶悪な大斧が振り下ろされるたびに、肉にめり込む鈍い音と何らかの液体が飛び散る音が響き、アイオンとしてはかなり残酷に思えたがガーラはからりとして笑う。
 事実、何度かヘルハウンドの様子を見に行ったが一体たりとも肉塊になってはおらず、大斧の後と思われる紅い傷以外は全くの五体満足で無傷といってよかった。
 「それにしてもアイオンはやっぱ凄いな」
 「どうしてだ?」
 藪から棒にガーラが感心したように話す。
 「いや、並の戦士だったらヘルハウンド相手に勝つなんてまずできないからさー ……まあーアタシに勝ったてのが一番の驚きだったけど」
 「……それは、そうだな でも、強い方が良いんだろ?」
 「そりゃあそうだ、アタシに勝ったんだからその辺の奴に負けてもらっちゃ困るよ お願いだからね」
 そういうとガーラは再度ヘルハウンドの方に様子を見に向かう。
 そうこうしているうちに山々の間から、すっと明るい光が差し込み初め、徐々に世界が夜明けへと向かっていく。アイオンがその景色に見惚れるように眺めていると、ガーラから声がかかる。
 「もう行こうぜ、長居する理由もないだろ?」
 そうだな、そう返事をすると二人で荷物をたたみ、獲物を担ぐ。昨晩の襲撃でやられるかと思っていたが、獲物は無事であった。
 「ほら、きちんとフードをかぶれ 人里に入るぞ」
 「わかってるよ 後、尻尾も隠すんだろ?」
 「ああ ……よし、行こうか」
 立ち去り際、アイオンはちらりとヘルハウンドの方を見る。
 「大丈夫だって 少なくとも一日はまともに動けねえからさ ……まあ、たぶん それよりもこれから付け狙って来るだろうことが厄介だけどな ……どこに行っても奴ら鼻が利くからわかっちまうだろうけど、なるべく遠くへ行こう」
 縛り付けるものがあればなあ、とぼやくガーラを共にアイオンは人里へと降りていく。



 相も変わらず、村の様子は静かなものであったが、昨日よりかは兵士の動きが活発なように感じられた。幸いにして、兵士の目は怪しい二人組よりも外側に向けられており。獲物を担いでやってきた流れ者を注意深く観察するような敏い兵士もおらず、アイオンとガーラは若干、怪しまれるだけで追及されることもなく村の中へと入ることができた。
 (しかし、長居は無用だな)
 何時兵士の目が再度こちらに向けられるかわからない、足早に昨日の酒場へと向かうとガーラを外に待たせ中に入る。相変わらず中は酒臭かったが、早朝という事もあり客は一人もいなかった。
 「お、おまえさん 無事だったのか!」
 アイオンを一目見るなり、酒屋の主人は低い声で驚く。その眼は驚愕と感嘆に見開かれており、まるで驚くべき光景を見たかのようにそのうっすらと濁った瞳をアイオンに向ける。
 「……無事、とは」
 「いや、兵士の奴らが夜バタバタしていたからな 何事かと思えば炎を纏った魔物が何匹か森の方を彷徨っているというもんだからよお……てっきりあんたはその魔物に喰われたのかと……」
 (なるほど、昨夜のヘルハウンドどもを兵士は見たのか)
 得心したようにアイオンは軽く頷く、確かにその状況であれば村の兵士が目を光らせているのも納得できる。酒場の主人は感心するようにアイオンを見るも、あまり注目されたくはなかったためアイオンは手早く要件を済ませようと交渉に入る。
 「兎四羽と猪一匹、昨日の狩りで手に入った いくらで買い取れる?」
 「あ、ああ、そうだな……通貨は? 教団銀貨とノーシア銀貨なら払える」
 「教団銀貨で頼む」
 「わかった……兎一羽小銀貨5枚 猪一匹は銀貨3枚でどうだ?」
 アイオンは頷くと、ガーラに声をかけ猪を中に運ばせる。その時、ちらとアイオンの担ぐ剣が主人の目に留まる。旅人に似つかわしくない、戦いの道具。入ってきた相棒もやたらとガタイが良いのも酒場の主人にとっては不可思議だった。しかし、ある一点で主人は納得する。
 「まった ……あんた、戦士様かい? もしかして昨日の魔物も退治してくれたのか?」
 アイオンは戦士、ガーラは魔物とそれぞれ違う言葉に反応するも、店主はその反応を目ざとく見つけ出し、そして都合の良いように解釈する。
 「お、おお! なっなあ! 戦士様、お願いだ! たっ頼みを聞いちゃくれねえか!」
 目を開き、騒ぎ始める主人をアイオンは静かにしろと宥める。しかし、それでも店主は興奮高まり、すがるようにアイオンに言葉を投げかける。その声と表情に今までの武骨さはなく、何かを恐れるかのようであった。
 少し渋ったものの、アイオンは酒場の主人の話を聞くことにしたのである。

 「こっから少し行ったところに、砦があるんだが……そこに鬼がいるんだ 嘘じゃない 何人もの奴がそこに行って帰ってこなかった……だけど兵士に行っても信じちゃくれねえ 見に行っても何もねえっていうんだ きっと鬼の奴、兵士の時は隠れていやがるんだ……戦士様お願いだ 鬼を探し出して殺してくれねえか 礼は、できる限りの礼はする」
 何度かしどろもどろになりながらも、ようやく主人が事の要点をアイオンに伝える。
 しかし、アイオンには腑に落ちない点があった。
 「……悪いが力になれそうにない 兵士が見つけられなかったという事は、俺が行っても見つけられるかわからない それに、礼をするといっても俺が嘘をついたらどうやって確認する? そもそもそこまで鬼にこだわる理由はなんだ?」
 アイオンの言葉に、酒場の主人は唸る様に言葉を吐き出す。
 「……頼む 俺の妻とせがれの仇なんだ! 俺だけじゃねえ! この村のもんは皆その鬼に誰かしらやられているんだ! なのに兵士連中は何もしてくれねえ! 獣か魔物にやられたって亡骸を探そうとも……」
 恐らく、久々に心の内を吐き出したのであろう。荒く息を吐きながらがっくりと項垂れる。
 「……せめてどうなったかだけでも……形見の一つでも見つかってくれりゃあ良い……それだけでも頼めねえかい?」
 「……わかった、そこまで言うなら見に行ってみよう だがなぜ鬼の仕業だと?」
 アイオンは難しい顔をするも、主人の頼みを聞き入れる。アイオンの言葉に、店主は首を垂れて感謝の言葉を述べると、鬼の仕業だという理由を明かす。
 「道が、道があるんだ 昔の、古い道が……山の方にも道はあるが、そっちを通るよりも早く町につくんだ、でも村のもんはその道を使わなかった、鬼の砦があっからよ…… 砦の由来はわからねえ でもずっと昔からあって鬼が住み着いているってのは皆知ってたんだ その鬼は道を通るやつを見つけて喰っちまうって……だから誰も使わなかったんだ でもよ、何年か前に誰かがその道を通って来たんだ 何回も何回も……そのうち村の連中も使い始めた、何事もねえって……そしたらよ 一年前くらいから、あの道を行くって言ってた奴らが返ってこなくなっちまった……何人もだ」
 そういって言葉を切る。その顔には言い表せない後悔の色が浮かんでいる。
 その話を聞き、アイオンは逡巡する。話を聞く限りでは砦に何かがいる可能性は高い。しかし、鬼の仕業と断定するだけの理由にはならないような気がした。
 「……馬鹿げた話だというのは分かってるよ……でも、行ったやつは帰ってこなくなっちまった……お願いだ戦士様、鬼を殺すのが難しいって言うなら何があったかだけでも知りたいんだ……本当に鬼がいるってんなら、あの道には近づいちゃならねえって村のもんに広めなければならねえ」
 頼む、と何度も頭を下げる主人に、アイオンは引き受けたと言伝を残すと店を出る。
酒場の外ではガーラが暇そうに腰を下ろしてあくびを一つしていた。フードをかぶり、マントを羽織っていたものの肉付きのいい体を隠すまでとはいかず、本人の無防備さも相まって何人かの兵士は好奇と下卑た視線をガーラの体に送り、ぼそぼそと卑猥な言葉を同僚と交わしているのが見える。
 「お、アイオン 終わったか?」
 しかし、ガーラは己がそんな下劣な欲望に晒されているとは露とも知らぬようにアイオンに無邪気な笑みを向ける。
 「ああ ただ少しばかり野暮用ができた」
 「どんなのだ?」
 「……この先に砦があるらしいんだが、そこを調べに行く とりあえず村を出よう」
 あいよ、と二つ返事でガーラは身を起こす。マントの上からもはっきりとわかるほどにゆさりと胸の実りが揺れ、その様子を見ていた兵士が口笛を吹く。
 (これ以上は不味いな)
 ガーラに非はないが、兵士の注意を良くも悪くも引きすぎた。アイオンはめんどうごとが起きないようにと、なるべく早く村を出ようと歩を進める。しかし、砦へと向かう道の方に先ほどガーラを舐めるように見ていた兵士が数名ほど待ち構えているのがアイオンの目に映る。正直、アイオンは近づきたくなかったが、村の中に引き返せば余計に怪しまれるだろうし、何よりいる意味も理由ももうなかった。
 「で、アイオン どの辺に砦があるんだ?」
 どうするかと、緊張するアイオンの横ではガーラがのほほんとした様子で質問を投げかける。その様子にアイオンは少しばかり焦りを覚えるも、意を決すると村から出るべく門へと向かう。そんなアイオンの様子に、ガーラも気が付いたのか心配そうに声かける。
 「アイオン、どうしたんだ?」
 「少し厄介なことになりそうだ」
 「……どうする?」
 「問題は起こしたくない、俺が話すからガーラは静かにしていてくれ」
 「……わかった」
 並んで歩く二人、その行く手を一人の兵士が遮る。案の定か、アイオンは口の中で吐き捨てるように呟く。
 「ちょっと待ちな」
 見るからに品のない、兵士の一人がにやにやと笑いながらアイオンとガーラの行く手を塞ぐ。
 「ここ最近、盗賊が多くてね 旅人と偽って中の様子を伺うやつもいるって話だ、少しばかり調べさせてもらってもいいかい」
 一見して、筋を通しているようではあるが、その目は劣情を隠すことなくガーラの肢体に注がれており、その様子にアイオンは怒りと不快感を覚える。当然、いくら無頓着なガーラであっても、ここまで間近に欲望を向けられて気付かないわけはなかった。
 「……ただの旅人です、問題を起こすつもりは……」
 「どうだかな、そっちの連れはずっと顔を隠しているじゃないか おい、ちょっと顔を見せてみろ」
 制止しようとしたアイオンを無理やり押しのけ、兵士の一人がいやらしい笑みを浮かべてガーラのフードを取ろうと手を伸ばす。
 「っ!」
 しかし、フードに手がかかろうとしたその瞬間、反射的にガーラは兵士の手を払う。
 「! てめえ!」
 ガーラの抵抗に、兵士は激怒するとガーラに掴みかかろうといきり立つ。しかし、掴みかかる寸前に兵士は一つ呻くと、その手を止める。
 「うっ ひでえ臭いだ! なんだこいつ病気持ちか⁉」
 「なんだと!」
 「うわっ! 寄るな!」
 「ガーラ、止まれ!」
 顔をしかめ、暴言を吐く兵士に流石のガーラも癇癪を起し兵士に対し殴りかかろうとする。それを慌ててアイオンは制止する。兵士はガーラから離れ、いかにも近寄るのもつらいと言わんばかりの表情をしながらガーラの方を見る。
 「おえっ 盗賊どもよりもひでえ!」
 どうやら徐々にガーラのにおいとやらが周囲に広がったらしく、周りの兵士も一様に顔をしかめ始める。ガーラの臭気に怯み始める兵士たちだったが、それよりも驚いたのはガーラ自身と、ガーラの体臭に嫌悪を感じないアイオンであった。
 しかし、好機とアイオンは言葉を発する。
 「……この通り妻は病を患っております もとより丈夫だったが故、良い医者を探すための長旅には耐えておりますが……どうか肌を晒すのだけはご容赦を」
 そういってアイオンは少しばかり頭を下げ謝意を見せる。ガーラは不満気だったが、アイオンに促されると同じように、渋々といった様子で頭を下げる。強烈な臭気にすっかり熱が引いた兵士たちはさっさと行けと言わんばかりに顔をしかめたまま手を払い、出入り口から離れていく。そればかりか、病気持ちは二度と村に来るなと罵るものまでいたのであった。

 なんにせよ、アイオンとガーラはひと悶着を起こすことなく、無事に村を抜けることに成功する。しかし、村が見えなくなって暫く、兵士たちに罵られたことが尾を引いたのかガーラはしきりに己の体を嗅いでにおいを確かめていた。
 「な、なあ……アタシってそんなに臭いのか? におうのはわかっているけど……そんなに?」
 「気にするな あいつらはどう思ったのか知らんが、俺は気にしていない」
 「ほ、本当に……?」
 確かに、においはする。しかしアイオンにとっては悪い臭いに感じないためにどうとも言い繕おうに難しいものがあった。
 かくして、暫くの間、ガーラが己の体臭について折り合いをつけるまでアイオンは気にし続けるガーラを宥め続けることになるのであった。



 第四 人食い砦

 ……村から出て暫く、酒場の主人に教えられた道を進むと確かに砦が見えてきた。流れる川を眼下に眺められる切り立った断崖を背に、何時建てられたかも定かではない古い砦。酒場の主人は《人食い砦》と呼んでいた。ずっと昔、砦が打ち捨てられてから住み着いたという鬼が潜む場所。
 そして通るものが襲われるという件の道も見えた。断崖へと昇り、砦のすぐ横を通る道。鬼が砦に住み、通るものを襲うというのならば絶好の狙い場である。道の脇には山林が鬱蒼と広がり、反対側には川と断崖、そして道はほぼまっすぐに伸び、所々石柱のようなものが立っていることを除けば見通しはかなり良い。荷物を抱えて通ろうとする人を見つけ、そして襲う事は容易いだろう。
 しかし件の砦を遠目で見る分には、そうした鬼が潜んでいるような気配は見えなかった。確かに古く、ところどころ崩れ落ちた砦は不気味であったが、何かが棲みついている気配のようなものはあまり感じられなかった。そんなアイオンとは別に、日当たりがよく心地よい風が吹いているのに気を良くしたのか、ガーラはフードとマントをはだけ気持ちよさげにその体を陽光の下に晒していた。これから魔物との戦いになるかもしれないというのに、ずいぶんとのんびりしたものだとアイオンは思うも、そんなガーラに少しだけ微笑み目の前の砦へと視線を戻す。
 鬼が出るか蛇が出るか、どちらにせよ砦へと向かわねばわからないことであった。アイオンは周囲に警戒しつつ、少しずつ砦へと近づいていく。

 風が吹き抜ける、静かな丘。その上に佇む古の砦。長い時を経てなお、その石造りは殆ど朽ちることなく立ち並び眼下を一望することができる。どのような意図があってこの砦が作られたかはわからないが、少なくともこの近辺を通るものを見張る目的だったことは確かであろう。
 アイオンは砦を見上げる。風が吹きすさび、笛の様な音を響かせている以外はただの朽ちた砦である。そう、アイオンは確信に近いものがあった。この砦に魔物はいないと。
 それは横に立つガーラも同じだったようであり、先ほどからしきりにすんすんと鼻を鳴らしているものの、魔物が潜んでいる気配を感じることはできないようであった。鼻の利くガーラが感知できない相手だとすれば、余計に危険な相手と言えたが、話を聞く限りでは血や肉の臭い、いわゆる死臭と呼べるものが色濃く残るはずであった。
 「どうだ? 何かいそうか?」
 「いや、何もいないと思う ……でも血の臭いがするな、この付近で人が何かに襲われたのは間違いなさそうだ」
 ガーラはそう言いながら、険しい表情を崩すことなく周囲のにおいをかぎ取り続けていた。なんにせよ外から眺めている分にはわからないことばかりである。アイオンは意を決し、砦に入ることを決める。丁度突き出した岸壁に建てられた砦の入り口は一つしかなく、木づくりの扉は閉まっていた。少し離れて窓から覗いてみるもなかは薄暗く、差し込む光に照らされた場所以外は中の様子を伺うことは難しい様子であった。アイオンは警戒しつつゆっくりと入口へと近づいていく。その時、ガーラは真剣な表情でアイオンを制止する。
 「アイオン、まって」
 そう呟き、ガーラは周囲を見渡す。アイオンもつられて周囲を見るも、森と野原が広がるばかりに思えた。何事もないのでは、そうアイオンが呟こうとしたその時であった。

 「アイオン! 危ない!」

 ガーラがアイオンを押し倒すようにして突飛ばしたその瞬間、鋭い矢がガーラの体に突き刺さる。
 「っ! ぐぅ!」
 「ガーラ!」
 矢が刺さった肩を押さえ、うずくまるように倒れ込むガーラを助けようとするアイオンに、再び矢が射かけられる。アイオンは咄嗟に跳ねて躱すも、森に潜む何者かは次々とアイオンへと矢を放つ。
 アイオンを狙った矢は矢継ぎ早に放たれたものなのか、最初の一矢程正確なものではなく、放たれた矢はアイオンに難なく躱され石の壁に弾かれるか、隙間に突き刺さる。隙を伺い、素早くガーラを抱き起すと、アイオンは砦の壁に身を隠す。

 「ばか野郎、女に中てやがって! 男を狙え!」

 森の奥から男の荒い声が響く。その声に反応するかのように、森の中から複数のだみ声が響き渡る。
 「うっ……くぅ、野盗連中だ やけに獣臭いと思ってたらあんなに……っ!」
 「大丈夫か⁉」
 アイオンはガーラの肩に突き刺さった矢を見る。雑な造りで、見るからに汚い。
 「アタシは大丈夫だ! それよりも、連中は森だけじゃない! 砦の中にもいる!」
 ガーラがそう苦し気に叫んだその瞬間、砦の窓から野盗が奇声を上げ飛び掛かってくる。アイオンは振り返ると同時に、振り下ろされた短剣を握る手を腕で押さえ野盗を振り払う。
 「キエェェェッ!」
 振り払われた野盗は即座に向き直ると、素早く短刀を振り回しながらアイオンへと切りかかる。二度、三度と切り払われる短刀を一歩二歩と体を揺らすように避けると、突き出された短刀を野盗の腕ごと組んで押さえこみ、そのまま一息に腕を圧し折る。ぺきょり、と枯れ枝のように折れた腕から力なく短刀を落ちていくのを、濁った野盗の目が信じられないものを見るように見つめていた。そしてそのまま痛みと驚愕の絶叫が上がる前に、野盗の顎にアイオンの拳が叩き込まれ物言わぬまま壁に叩きつけられる。
 「てめえ! やりやがったな!」
 その間に、もう一人二人と野盗が砦から現れ、アイオンとガーラへと襲い掛かる。
 先ほどの野盗とは違い、隙のない動きをしていた野盗だったが、振り下ろした獲物の長剣をアイオンは安々と躱すと、そのまま躱しざまに喉元へと一撃を叩き込み喉を潰す。喉が潰れ、ひしゃげたような声と息が吐き出される間もなく脇腹に続けざまに連撃を打ち込まれ、つんのめったように踊るとそのまま吐しゃ物をまき散らしながら倒れ落ちる。
 その後ろでは、ガーラを手負いの女と侮った野盗が自らの一物に怒りに満ちたハイオークの怪力をそのまま受け止め、悲鳴をあげる間もなく立ったまま白目を剥いて泡を吹いていた。そして、暫く立ち尽くしていたもののやがて糸が切れた様にぐにゃりと倒れ込む。
 「くそがっ! アタシに触るんじゃねえ!」
 ガーラは怒りで奮起しており、その体からは湯気が炎のように立ち上っていた。そのまま立ち上がり、自らの肩に刺さった矢を乱暴に抜き去る。紅い血が噴き出すものの、意に介することなく力任せに引きちぎった布を縛り付けると勇ましい笑みをアイオンに向ける。
 「そう心配そうな顔をするなって、やろうぜ アイオン!」
 そう言い放つとガーラは野盗が飛び出してきた窓へと乗り込んでいく。アイオンも素早く窓へと乗りあがると、同じように中へと飛び込む。
 中ではガーラの手によって一人の野盗が叩き伏せられており、ぐにゃりと体がくの字に曲がった状態で転がっていた。既に野盗たちはガーラの怪力を前に浮足立っており、逃げようと逃げ道を探しているような状態であった。しかし、アイオン達が出入口となる扉の前へと立ちふさがっていたために、野盗たちは半ば狂乱となってアイオン達へと切りかかってきた。
 「ちくしょう! 奴らを殺せ!」
 乗り込むと同時にアイオンは素早く腰元から短刀を抜くと、切りかかってきた野盗の刃を左手で弾き、そのまま腹へと短刀を突き立て止めを刺す。瞬く間に、わけもわからぬままその命を絶たれた野盗は口から血を吹き出しながら振り払われ、崩れ落ちる。
 今までの獲物とは違う、身を守る術を知らぬ村人や旅人でも、めんどうごとを嫌う腰抜けの兵士たちとも違う。戦士として、悪を断じ、敵の命を絶つことに何の躊躇もないアイオンの冷たい瞳を前に、襲い掛かろうとした野盗たちは怯む。
 傍から見れば余りにも一方的と言えるほどの実力差があったが、そのような相手であっても見せた隙をあえて見逃すほどアイオンは愚かではなかった。そのまま素早く距離を詰めると、一人目の脇腹を切り払い、そのまま短刀の柄をもう一人の側頭部へと叩きつけ床へと沈めると短刀を投げ放ち、クロスボウを構えていた盗賊の胴を貫く。そのアイオンに続くように、ガーラは己の武器を構えることなく、自慢の剛腕にて複数の野盗の体を砕き、打ちのめしていた。
 瞬く間に頭数を減らされた野盗たちは、我さきへと上階へと逃げ出す。ガーラはひょいと礫を一つ拾うと、逃げる野盗へ目掛けて投げ放つ。猪の額を砕く投石が野盗の腰に中り、跳ね飛ぶように階段から転げ落ちていった。その様子を、ガーラは面白くもなさそうに冷笑を浮かべ見つめる。
 「アガガガッ いぎ、てってめえら……何者だ……やめろ、来るな! たっ助けてくれぇ……っ!」
 腰を文字通り砕かれてしまった野盗は這って逃げながら呻く。数の優位と不意を突き、多くの人を襲ってきたであろう連中である。アイオンにも人並みには慈悲がある。もしもこの野盗どもが人を殺さず、ただ砦に住み盗みや強請を働く程度の連中であれば脅す程度にとどめ痛めつけることも討つこともなかったであろう。しかし、命を狙って放たれた矢や、躊躇なく振り降ろされた野盗の太刀筋から、アイオンはこの野盗どもが何の慈悲も持たず、下手すれば遊び半分で命を奪う連中であることを看過していた。故にアイオンは無慈悲な戦士として、野盗たちに対し刃を振るうことに何の躊躇もなかった。
 「はぁっ! はぁっ!」
 だが、いかに相手が下劣な鬼畜であっても、這って逃げる相手を追って討つほど冷酷でもない。アイオンは張って呻く野盗の脇を通り過ぎると、投げ放った短刀を野盗の体から抜き取ると警戒しながら階段を上がり、そアイオンの後を、ガーラは急ぐように追っていく。ガーラからすれば、アイオンに刃を向けた時点で止めを刺すに値する連中であったが、必要以上の殺戮をアイオンが良しとしないことは十分に理解していたし、何より己の中にある仄暗い血の時代の……古き魔物の血が疼くのが、どうしようもなく不快に感じられたのである。故に、ガーラは野盗連中に止めを刺すことはしなかったし、身骨を砕きこそすれ命を奪うような一撃は加えてなかった。
 「矢傷は大丈夫か?」
 「心配性だなー 大丈夫だって、いてえけど問題ないよ それより上、気を付けて行こうぜ まだまだいるようだしな」
 ああ、と軽く頷くとアイオンはしっかりと前を見据えて、ゆっくりと階段を上がっていく。らせん状の石階段は薄暗く、僅かに開いた窓からの光以外は照らすものがない。少し上がると、すぐに二階へと到達する。相変わらず薄暗く、埃っぽかったが野盗の気配は十分に感じ取られ、どうやらすぐ目の前の広場に陣取っているようであった。静かに身を乗り出し、覗き込むアイオンの目に野盗の姿が映る。数は下にいた野盗と大して変わらないが、厄介だったのはクロスボウを持った野盗が三人程度、構えていることであった。階段の出入り口が狭いことに加えて部屋はそれなりに広く、クロスボウを打つ前に野盗の動きを封じるという事は難しそうであった。野盗連中の練度がどの程度かはともかく、少なくとも最初の斉射を躱すか防ぐかしなければいけなかったのである。
 どうするか、アイオンは思考を巡らせる。遠距離かつ開けた場所であれば、もしくは構えたばかりでろくに狙いがつけられていなければ躱すことはできなくはない。しかし閉所かつ狙いがつけられているこの状況では、流石に飛び出そうものならば狙い撃ちされて一巻の終わりであろう。そんなアイオンの考えを読み取ったのか、ガーラはそっと声をかける。
 「問題か?」
 「ああ この先で陣を取っているんだが、クロスボウを構えた奴が数人いる 一人程度ならばなんとか躱せるが複数となるとな……」
 アイオンはそう呟くと、また難しい顔をして前を向く。ガーラはその話を聞いて、少し悩んだのち再度そっとアイオンに囁く。
 「だったら一緒に乗り込もうぜ アタシが右、アイオンが左な アタシが先に飛び出すから、すぐに来てくれよな」
 言うが早く、アイオンの返事を待たずにガーラは階段を駆け上がり右へと飛び出していく。その行動にアイオンは咄嗟に体を動かし、ガーラを追って部屋の中へと飛び込み左へと跳ねる。
 突然の強襲、それも二手に分かれた動きに野盗たちが構えていたクロスボウの狙いはアイオンとガーラの間で惑い、構えていた一人が焦りから大きく狙いを外したまま引き金を引く。石弓が放たれる音に釣られ、他の野盗も続けざまにクロスボウを放つ。しかし、全くと言っていい程狙いの付けられていないクロスボウから放たれた石が当たるはずもなく、アイオン達は全く避けることもなく野盗たちへと距離を詰めていった。
 最初の射撃が不発に終わったことにより、完全に動揺した野盗たちは窓から飛び降り逃げ出そうと、迫るアイオン達に背を向け脱兎のごとく駆けだす。

 そこからは一方的であった。

 あるものは追いつかれ、あるものは後ろから押し出され頭から落下し、あるものは果敢に戦いを挑み、ガーラに挑めば一撃で打ちのめされ、アイオンに挑めば短刀の一撃を貰うか、蹴りか拳の連撃を持って叩きのめされていった。森に潜んでいた野盗も、砦から次々と仲間の悲鳴が聞こえてくるのを前に劣勢を悟り、薄情にもさっさと仲間を見捨てることに決め、我さきへと逃亡していた。

 かくして、砦に潜む《人食い鬼》どもはアイオンとガーラの手によって壊滅したのであった。



 第五 砦にあるものは

 「はっはぁー! ゆっ許してくれぇ!」
 かつて仲間であった野盗の亡骸がころがり、半死半生のうめき声が響く砦の中で逃げ遅れた一人の野盗が自らの頭を床にこすりつけながら許しを請う。大した年月は生きていないが、数多くの悪事を働き、それに関して毛ほども罪悪を感じていないが生き延びることに関してだけは人一倍執心していた。それ故にアイオンとガーラを一目見て悟った、こいつらに勝つことはできないと、たとえどちらか一人だけであったとしてもこの砦をねぐらにしている自分らでは傷一つ負わすことすらも難しいと。だからこそ何とかして逃げ道を見つけ、隙あらば逃げ出そうと考えていたがあれよあれよと追い詰められ、頼みの綱のクロスボウも無駄に終わってしまった。
 故に逃げ出そうとしたが、運悪く野盗は足が遅い方であった、そのためあっという間に押しのけられ逃げ遅れてしまった、目の前にはアイオンとガーラの二人が迫りもはやこれまでと言うところであったが、その前に眼前の仲間がやられた時に咄嗟に機転を利かし叫び声をあげて倒れたのである。要は死んだふりであった。幸いにもそのたくらみは上手く行き、後は二人が去った後に逃げれば良い、そう考えていた。
 だが、ハイオークであるガーラをだますまではいかなかった。死んだふりに気が付いていたガーラは、戦いの後野盗の首根っこを捻り上げアイオンの眼前に突き出したのである。

 そうして今に至るわけであったが、野盗はもはや首を垂れ慈悲を乞う以外生き延びる術はなかった。目の前の男は、ちょっとやそっとの報酬や賄賂ではピクリとも靡かないと直感で理解していたからである。だが、この野盗には奥の手が一つだけあった。

 「どっどうか慈悲をぉ〜! そっそうだ! 宝! 宝の隠し場所を教える!」
 そう、砦の中にある隠し部屋……といっても野盗連中が気付く程度のものである。恐らくアイオン達が探してもすぐに見つかる程度のものであった。野盗連中は食い物以外やすぐに換金できなそうなものはすべてその隠し部屋に放り込んでいたが、これを差し出すと言えば少しは生かしてもらえるかもしれない。とにかく生きていさえすれば隙を狙えると、野盗は狡猾にも考えていた。

 「……案内しろ」
 野盗の提案に、アイオンは少し考え答える。目の前の、野盗の提案を飲むというのは正直気が引けたが、戦う意志のない相手を討つほどの冷酷さはなかったが故の答えであった。それに、嘘であれ真であれ、あの酒場の主人が探し求めるものがあるかもしれないという思いがあった。
 「へっへへ! それじゃあさっそく……」
 「待て、その前に聞きたいことがある 一年ほど前から道行く人を襲っていたのはきさま等か?」
 少しばかり安堵した表情の野盗とは裏腹に、冷たく厳しい表情でアイオンは問う。
 「へ? へへっ、いやそんな……今回はたまたまでさぁ」
 そのあからさまなウソに、アイオンの手が腰の短刀に伸びる。
 「ひっ いや、その……へっへへ そっそうでさあ! おっおめえ様みたいに通りがかるやつらを狙って…… ひっひっ、ゆっ許して!」
 「……殺した人の遺体はどうした」
 「ひっひひ……すっ捨てた! 谷底の川に捨てた!」
 アイオンの瞳が怒りに震える。まるで、これこそアイオンが神父から教わった魔物ではないかと、そう思わずにはいられなかった。野盗にも野盗なりの事情があったのかもしれないが、自らの為に人を襲い殺し、あまつさえ何の感慨もなくごみを捨てるがごとく谷底へと投じるなど、元来道義心の強いアイオンからすれば許しがたいことであった。せめてどこかに埋めたのではと、そう思いたいが故の問いかけであったが、野盗たちは人の死に関し無頓着であった。仲間意識もなく他人の生き死にも興味がない。今さえよければ、自分さえ生きていられれば良い連中の集まりである。その事実に、アイオンは込みあがる怒りを感じるも努めて冷静に、目の前の野盗に向き直ると、件の部屋まで案内をするように告げる。野盗のことを殺すつもりはなかったが、許す気もなかったアイオンはせめて《人食い鬼》の正体を暴かんと村の兵士にこの野盗を引き渡そうと考える。後の裁きは村の人々の手によって決められるだろうと。
 「ひ、へへっ こちらでさぁ……」
 そういって野盗は卑屈なにやけ顔を浮かべ、アイオンとガーラを手招くように前に進む。

 件の部屋はすぐに見つかった。かつて砦に掲げられていた軍旗であろうボロ布によって隠された石造りの扉。隠し扉というにはお粗末であったが、確かに扉と知っていなければ見逃してしまうかもしれない、という程度には周りの壁に近い造りをしていた。野盗は手探るようにくぼんだ石の中に指を差し込むと、やや苦労をして何かを押し込む。すると、がちゃり、という重い何かが動く音と共に、鈍い音を響かせながら石の扉が開く。
 「……なんだ、中は木なのか」
 がっちりとした石の仕掛け扉を期待していたのか、ガーラはぼそりと残念そうにつぶやく。扉の表面には周りの壁によく似た石が薄張りされており、石の裏は木と鉄細工で造られた錠前が仕込まれているという簡素な造りであった。部屋の位置からしても、恐らくは砦の資金などを保存していた場所であろうとアイオンは推測する。
 「へ、へへ……」
 薄暗い部屋の中を、野盗が恭しく手で指し示す。窓も何もない、暗い部屋の中にはごちゃごちゃと、襲撃の収奪品と思わしき品々が乱暴に積み上げられていた。
 (……これではどれが誰の持ち物かわからんな)
 しかし、収奪品の場所は分かった。後は村にもどり、この野盗を突き出すと共に砦のことを教えればいかに兵士どもの腰が重かろうとも動くであろう。アイオンがそう考えていたその時、気になる物が部屋の隅に置かれていた。複数の手提げ式の鳥かご、それも鉄細工が施されたかなり厳重なものの中の一つにぼんやりと光る《何か》が入れられていた。
 アイオンは慎重に鳥かごへと近づくと、そっと中を覗き込む。

 そこには《小さな妖精》がいた。

 薄翠色の燐光と深紫色の薄絹を纏い、力なく顔を伏せ倒れ込む姿は鬼に囚われた姫の様な薄幸の美しさを持っていた。深い黒夜色の長髪がさらりと鳥かごの床に水面の如く広がっている。
 その小さな姫君は、天窓からのぞき込む戦士の視線に気が付くと、ゆっくりと恐る恐るといった表情で天を見上げる。髪と同じく、透き通る黒の瞳がアイオンを見つめる。深く澄んだ黒髪とは対照的にどこまでも白く輝く肌は月の光を思わせる。

 うつくしい

 アイオンはただ純粋にそう思った。妖精の話は神父から何度か聞いたことがある。数多の場所に潜むものの、見つけることは難しいとされる魔物だと。悪さをするものもいるが、大抵は人と共に歩んできた無害なものたちと、神父にしては珍しく討つべきと言わなかった魔物。それが妖精であった。
 だが、同時に神父は嘆くようにも言っていた。妖精の姿かたちは様々だが皆一様にして可愛らしく美しいものたちだと、それ故に一部の人々はまるで宝石を集めるがごとく妖精を集めているものもいると、ため息一つ吐いて言ったことがあった。聞いた当初こそ、魔物を集めるなどと理解はできなかったが、なるほど目の当たりにしてみればこれは集め眺めたくなるものだと、アイオンは感嘆の気持ちでその小さな魔物を眺める。

 そんなアイオンの様子に気が付いたのか、その肩越しにガーラは興味深げに覗き込む。ぬっと現れたガーラの顔に、妖精の姫は驚いたように籠の端に後退る。その動きは弱々しく、見る者の憐憫を誘うものであった。そんな妖精をガーラは珍しいものをみたと驚きの表情を隠すことなく、好奇心のまま見つめていた。
 その時、後ろの扉がガチャリと閉まる。妖精に二人が気を取られた隙を狙い、野盗が隠し扉を閉めたのである。明かりのない狭い部屋、開け方を知らなければ決して開かぬ壁と見分けがつかぬ扉と一見して出ることの難い牢獄に完全に閉じ込められたと思うところであったが、ガーラは腹立たし気に一息吐くと、自慢の剛腕を《扉があったと思う壁》に叩きつける。石と木が砕ける音と共に扉だった破片が周囲に飛び散り、あっさりとその牢獄は内側より陥落せしめた。
 「あんにゃろう……」
 苛立たし気にガーラは部屋から飛び出し野盗を探すも、既に砦から逃げ出しいずこへと消えた後であった。後には、力尽きた野盗の亡骸と、逃げる力を持たぬ半死半生の野盗が転がるばかりであった。



 第六 妖精

 砦から離れた、丘の上に転がっている倒柱にアイオンとガーラは腰掛けていた。アイオンは砦から鳥かごを一つ持ち出しており、鳥かごのカギを外して妖精を逃がそうとしていた所であった。
 アイオンの手によって運ばれた妖精は、終始無言のままであった。まるで人を恐れるかのように縮こまっており、それは鳥かごの戸が開け放たれ自由が目の前となってもなお鳥かごの中で悲し気に座り込み続けていた。
 「……どうした」
 気ままで快活な自由を愛する存在だと、そう聞いていたアイオンにとって目の前の妖精は余りにも想像していた姿とはかけ離れていた。空いた扉を、まるでまだ閉じているかのように見つめるその姿は、とてもではないが快活で自由を愛する存在だとは思えなかったからである。
 しかし、明るい外の光の中で、アイオンは気づくことになる。妖精の羽の付け根が、ひどく乱雑に手折られていることに。
 「こりゃひでえな ……多分だけど、治らないぜ」
 妖精の羽の様子を見たガーラが、無念そうにつぶやく。そんなガーラの言葉に、妖精は項垂れるようにうずくまる。そんな妖精の姿に、アイオンは何を言えばいいのかわからず、ただ見つめるしかなかった。
 暖かな陽光の下、心地よい風が吹き抜ける。しかし、妖精はもはやその風に乗り、自由に飛び回り踊ることはない。その事実だけが残酷に過ぎ去っていくように柔らかな風が辺りを撫でてゆく。

 ただ、静かに時が過ぎていくと思われたその時。うつむいていた妖精がゆっくりと顔を上げ、アイオンの方を見る。暗がりの中で見た、輝くような美しさとはまた別に陽の下で見るとはっきりとその小さな顔立ちがわかり、妖精のもつ可愛らしさがよく分かった。
 「あなたは誰?」
 覗き込むアイオンの耳に、小さな鈴のような声が届く。風にかき消されてしまうかのようなその小さな声に、アイオンは驚き言葉に詰まる。
 そんなアイオンの様子に、妖精は不安になったのかおずおずといった様子で言葉を紡ぐ。
 「あなたは……私を買いに来たのではないの?」
 その言葉に、アイオンは我に返り言葉を返す。
 「いや……君を買いに来たわけじゃない たまたま、砦の中で君を見つけたんだ ……あの者たちは君を売ろうとしていたのか?」
 アイオンの問いかけに、妖精は頷くと素直に返事をする。
 「そう……私を売れば冬は遊んで暮らせるって、たくさんの嫌な人たちが私を見て喜んでいた……あの人たちは……死んだの?」
 妖精の問いにアイオンはどう返事をするか悩んだものの、肯定の意を示すように頷く。
 「……私を、助けてくれたの?」
 「それは……わからない あの者たちからは救えたが、俺には君の折れた羽を治すことはできない……でも、助けられる術があるならば君を助けたいとは思っている」
 アイオンのその言葉に、妖精は真意を探るようにアイオンの瞳を見つめる。傍から見れば、返り血を纏った故の知らぬ人間であるアイオンを信じようというものはいまい。しかし、妖精である彼女はアイオンの身なりではなく、ただただ瞳だけを見つめていた。まるで、瞳という窓を覗き込んで心の内を探るかのようであった。
 そして、そんな二人の様子をガーラは蚊帳の外と少しばかり不満げに見ていた。

 「私を、連れて行って」
 少し後、妖精がその小さな声で告げる。
 「どこへ」
 アイオンは問い返す。
 「……妖精の国、私の故郷 そこならきっと、私の羽を治せるから それに……女王様もきっと心配していると思うの 私、こんなに長く外にいるつもりはなかったから……」
 妖精の国、その言葉にアイオンは首をかしげる。果たしてそのような場所があったかと、少なくともアイオンは知らなかった。
 「私たち妖精だけが知っている場所なの 入り口はあちこちにあるわ でも、入り方は私たち妖精しか知らない場所 大丈夫、あなたは良い人だから女王様も入ることを許してくれるわ」
 そのような場所が、この北の大地にあったことにアイオンは驚くと同時に一つの希望を見出す。もしや、その妖精の国であればガーラと隠れ住むことができるのではないかと。
 「……その妖精の国は、魔物も入ることはできるのか?」
 「女王様が許せば大丈夫 あなたのお友達の事でしょ?」
 そういうと鳥かごの中の妖精はガーラを見る。ガーラはガーラで、お友達、という表現に引っかかったのかじろりと不満げに妖精を睨む。
 そんなガーラの目つきに怯えたのか、妖精はびくりと震える。
 「……妖精の国、か わかった そこに君を連れて行こう」
 どうせ目的地のない旅である。少しでも希望があるのならば、そこに向かうしかない。
 「アイオン、良いのか?」
 「ああ、元々あてのない旅だったしな もしもその場所がガーラと一緒に過ごせる場所なら願ったりだ、だから妖精の国を目指そうと思う」
 「ありがとう、優しい人」
 承諾したアイオンに対し、妖精が微笑む。
 「それで、入り口まではどうやって連れて行けばいい?」
 「少し遠い場所にある沼がある森の中、そこに大きな岩があるの そこまで連れて行ってもらえれば後はわかるわ」
 遠い場所か、その言葉にアイオンはどれほどの距離だろうかと考える。できる限り、旅のさなかで冬を越すことだけは避けたかった。しかし、ようやく見つけた光明であるし、何より一度承諾したことを反故にする気はなかった。
 アイオンが考え事をしていると、鳥かごの中の妖精が立ち上がりその小さい手をアイオンの方に伸ばし、ぱたぱたと振っていた。その様子の可愛らしさにアイオンがのぞき込むと、妖精の姫君が目の前の戦士に告げる。
 「抱っこ」
 「うん? ああ、鳥かごから出してほしいのか 少し待ってくれ……」
 姫君の要求を理解した戦士はゆっくりと、その小さな鳥かごの中に手を差し入れる。姫君は歩くのに慣れない様子であったが、しっかりとした足取りでアイオンの手のひらによじ登ると、満足そうに手の中に納まる。
 とても小さく、それでいてほんわりとした温もりをアイオンは慎重に持ち上げていく。妖精の姫君はとても軽く、風の一吹きでどこまで飛んでいきそうであったが、両肩からだらりと垂れ下がる折れた羽がそれは叶わぬことであることを痛々しく告げていた。
 そんな風に妖精の姫君を、戦士がとても大事そうに扱うのが不満なのか、もう一人の女戦士が不満そうにぶすっとした表情で見る。しかし、そんな視線を知ってか知らずか妖精の姫君は戦士にもっと手を自らの体に寄せるように命じる。戦士が言うとおりにすると、その懐にぴょんと飛び跳ねすっぽりと収まる。確かに、収まるような隙間はあるだろうが、戦士としては余りいい場所に思えなかった。しかし、妖精の姫君は満悦そうな表情で納まりを決めるべくもぞもぞと懐の中で動いていた。
 そして、そんな妖精を女戦士は《あーっ!》とでも言いたげな表情で恨めしそうに見つめるのであった。

 「ふぅ」
 満足のいく納まりを見つけたのか、何かを成し遂げたかのような顔で妖精の姫君は甘い息を吐く。
 「……そんなところでいいのか? あまりいい場所ではない気がするが」
 ちょうどアイオンの胸元から顔と腕を出しているような状態である。アイオンの胸元には妖精の温もりが感じられ、また花のような甘い香りが仄かにアイオンの鼻をくすぐってくる。
 「ここでいい、とても暖かいもの それに心配しなくても大丈夫、私たちは見た目ほど脆くないから多少押し潰されても平気」
 「……そうか だが、本当に良いのか? ……君が思うほど、俺は良い人間ではないかもしれないぞ」
 アイオンの問いに、妖精は小さく首を振る。
 「戦いは嫌いだけど、あなたはむやみに力を振るう人ではないもの」
 そういってアイオンの顔をじっと見つめる。その視線と信頼に、アイオンは気恥ずかしさを感じ、少しばかりはぐらかすように前を見る。その時、ちょうど正面に陣取っていた不機嫌なガーラと目が合う。
 「もういいか?」
 明らかに不満げな声音。どうやら戦士殿は少しばかり小さな姫君に構い過ぎたようである。そんなガーラの様子に、アイオンは一つ微笑むと出発を告げる。

 「だけど、その前にあの酒場の主人に《人食い鬼》の正体を教えに戻らないとな」
 ただ、村に入れなかったならば兵士に言伝を頼むしかないか……、そう口の中でアイオンは呟く。
 「あいよ」
 ガーラは今朝の兵士の態度を思い出したのか、少しばかり苛立たし気な表情をするもすぐに気を取り直し先立って歩き始める。アイオンはその後を追いかけるように歩く。

 「そうだ、そういえば 小さな君のことは何と呼べばいい?」
 「私は、私はノチェって呼ばれているの あなたは?」
 「アイオン、アイオンという名前だ 彼女はガーラ」
 「わかったわ、アイオン それにガーラ よろしくね」

 道を進む一人の戦士と一体の魔物、そして妖精に心地よい風が吹き抜ける。しかし、その中には確かに、実りを終えた先の季節、寒く凍てつく冬を感じさせる冷たさが混じる。
 一歩一歩、北の大地に冬が迫っていた。全てが雪に閉ざされる、冷たい氷の季節が……


21/04/24 05:27更新 / 御茶梟
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■作者メッセージ
読んでいただきありがとうございます。

引き続き、楽しんでもらえたら幸いです。

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