読切小説
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ふたりきりの凱旋式
その世界では、乳飲み子から老いぼれまで誰ひとりとして平和というものを知らなかった。
いつ、誰が、なぜこの戦いを始めたのか…そんな事などとうに忘れ去られ、ただ『戦わなければ生き残れない』という考えのみが蔓延っていた。
大義も理由もなく、ただ戦う事が目的と化していた。

この戦いが文明がすべて滅ぶまで永遠に続くと思われていたが、事態は一気に収束した。
勿論、異世界からやってきた『魔物娘』と呼ばれる者たち、彼女たちによる介入・仲裁の存在も大きかった。
しかし、それだけはない。
大陸の端にある海洋国家、ハートランド王国の軍隊を統べる総司令官、アルバ・ティーズ元帥。
いかなる激戦でも前線に立ち将兵を鼓舞する様はまさに『闘将』。
政治には一切口を出さず一軍人として静かに仕える様はまさに『隠将』。
百戦錬磨の手練れをいとも容易く出し抜き裏をかく様はまさに『妖将』。
巧みな交渉や折衝を用いて戦わずとも勝利を捥ぎ獲る様はまさに『賢将』。

彼が軍師として戦場に出て以来、緩衝国としての存在価値しか無かった弱小国家のハートランド王国は、僅か半世紀で全てにおいて優位に立つことになった。
そして、この戦いを止めさせ、その代わりとなる世界の秩序を組み立てる話し合いの組織が生まれることになった。

世界協定が発足する日――アルバ・ティーズは突如出奔し、行方知れずとなった。
圧倒的な実力とカリスマを持つアルバ、配下の将兵や他国の軍人を集めて世界を相手に大クーデターを起こすのではないか、という虞れと緊張が駆け巡った。
しかし、ハートランド王国の若き女王・シャウラ三世は追っ手を放つ事はしなかった。
全てを察していた。




アルバの体は病に侵され、余命幾ばくもない状態であった。
いつ斃れてもおかしくない、その事実は国家の最重要機密としてアルバとシャウラ女王、そして診察をした医官以外には固く伏せられていた。

――――――――――――――――――――――――

ハートランド王国の端、エメラルダ帝国との国境。
霧の中でぼろぼろに打ち捨てられ、朽ちかけた墓地があった。

墓地の隅の方にただ一つ、手入れが行き届いた墓標があった。

ステラ・セルート
ここに眠る

墓標にはそう刻まれていた。

じゃり、じゃり、と霧の奥から響いてくる足音、正装の礼服に身を包んだアルバが現れた。
動きやすさや防御などを鑑み、たとえ閣僚や王族の前でもいつも地味な色の戦闘用の軍服を身に付けていたアルバ。
派手で豪華、煌びやかな礼装をするのは非常に珍しい事であった。

げほっ、げほっ、と咳き込み、大きく息をした。
争いしかなかったこの世界を大きく変えた英雄も、自身を蝕む病魔には勝てなかった。

右手に握られたマリーゴールドとスターチスの花束を、ステラと名の刻まれた墓標に置いた。

「ただいま、ステラ。
やっと戦争が…君を殺し、ここを荒れ果てさせた忌々しい戦争が、やっと終わった。
私が…いや、おれが生きているうちにに願いを果たしたよ。
もうすぐおれも逝く…また君に逢える。
ステラ・セルトさん、今もあなたの事が好きです、愛しています。』
皺だらけでひび割れた手で墓標を優しく撫でるアルバ。
窶れきった顔を一筋の涙が伝う、優しくも哀しげな笑顔を浮かべていた。

ここはかつて、ハートランド王国とエメラルダ帝国、ふたつの中立国の交易で栄えたプレッソと呼ばれる港町――アルバの故郷であった。
戦乱とは切り離され、人々は平和で明るく陽気な日々を謳歌していた。

誕生日が2日違いの幼馴染みのステラに想いを寄せていたアルバ、15歳の誕生日に思い切ってステラに告白した。
アルバにとってステラが初恋の相手であった。
告白を受けてその場で目を回したステラ、彼女の申し出で結論は持ち越しとなった。
翌日の朝、家の前の鶏小屋から産みたての卵を手に出てきた瞬間




彼女は凶弾に斃れた。




エメラルダ帝国で勃発したクーデター、その報せが来る前に中立を破棄し、隣国のハートランド王国に宣戦を布告した。
後に歴史的事件と呼ばれたハートランド侵攻、ステラはその最初の犠牲者となってしまった。

泥沼の戦場と化したプレッソは住民がいなくなり、やがて獣すらも近付かない荒地と化してしまった。

あの日から60年を超える月日が経った。
あの日のように静かに日が沈み、ゆっくりと夜の帳が下りた。

ゆっくりと座り込み、墓標に体を寄せる。

「ステラは覚えてるかな、2人で夜空を眺めた時の事…おれは君に『月が綺麗だね』と話したんだ。
その言葉、ジパングでは『あなたの事が好きです』って意味だったらしい…って聞こえてないよな…」
柔らかい色の月が東からゆっくりと昇ってきた、月明かりに照らされたアルバの顔は深い皺が刻み込まれ、数々の傷跡が映し出される。
滅び荒れ果てた故郷、命を失った初恋の人…英雄と呼ばれた男が心の鎧を外した時、目頭から一筋の涙が溢れた。

「そろそろ眠ろう、次に目が覚めたら君と逢えたらいいなぁ…。
地獄に行くことになったりして…なんてな。」
ふふ、と笑いながら、ゆっくりと墓標に頭を乗せ、アルバ・ティーズは静かに眠りについた。




アルったら、またこんなとこで寝てる

ほら早く起きて、じゃないと風邪ひくよ

まったくもう、相変わらず手が焼けるんだから

その寝顔も変わらないね…おかえり、待ってたよ


――――――――――――――――――――――――


不意にアルバが目を覚ました。
薄暮の中に目の前すらも視認できない濃い霧、遂に自分は死んだのかと感じ取った。
髪から滴り背を伝う水滴の不快な感触に、まだ自分が生きている現実を叩き付けられる。

ため息をつき、掌で顔を拭う。

…何かがおかしい。
長いこと刻まれていた顔や手の皺が消えていた事が、違和感の正体と気付くのにそう時間は掛からなかった。

「……え?」
水溜まりに映ったその姿、二十代半ばの青年のそれである。
明らかに若返っている。

「どういう事なんだ…」
『そういう事。』
不意に聞こえた独り言への返答、もう二度と聞こえるわけがない、でももう一度聞きたかった声。

「まったく…今にも死にそうなおじいちゃんが生身で野宿なんかしたら、本当に死んじゃうでしょ!?」
腕組みをして眉間に皺を寄せて片頬を膨らませたその姿、自分が知っている最後の姿よりも少し大人になっているが、間違いない。

「ステ…ラ…ステラ…なのか…?」
思わず勢いで抱き締めた。
今にも説教を始めんばかりの表情を浮かべていたステラ、一瞬の驚きを経由して柔らかな笑顔を見せた。

「そうだよ、アルが帰ってくるのをずっと待ってたんだ。
おかえり…そして、頑張ったね。」
その言葉に、心の中にうず高く積み上がっていたものが一気に崩壊した。
アルバは大きな声を上げ、ステラの胸の中で泣き出した。

そんなアルバの様子をステラは慈愛に満ちた笑顔で、長年に渡る艱難辛苦の日々を労うようにゆっくりと頭を撫でていた。

暫く泣いたのち、少し気恥ずかしくなったアルバはぱっとステラから離れた。

「そもそもの話なんだけど、どうしてここに死んだはずのステラがいるんだ?
やっぱりこれはおれの幻覚なんじゃ…」
「ちーがーう!
今のわたしはゴースト、人間じゃなくて魔物になったの。
まあ確かにわたしを殺したエメラルダ兵の事は嫌いだけど…それ以上に心残りがあってね。」
何のことか察してしまったアルバの心臓が跳ねる、年寄りの冷や水と言い返したいところだが生憎年寄りとは程遠い姿に変わり果てている。

「あの時の返事だけど…答えはイエス。
ホントはあの時即答したかったんだけど、まだ14のわたしにはその勇気は無かった。」
「2日しか違わないくせによく言うよ、お前も今頃80近いばばあになってたんだからさ。」
甘ったるい空気がどうも合わず、仕方なしに悪態をついたアルバ。
身体は若くなったばかりか、思考まで子供っぽくなってしまったらしい。
しまった…と軽率な発言を悔いる前に、顔を真っ赤にしたステラが飛び掛かってくるのが目に入った、照れ隠しの悪態をついたアルバに怒ったステラが飛び掛かるという生前ふたりがさんざん繰り返したやりとりである。

「うるさいなこのくそじじい!くそじじい!くそじじい!
…あはははははは!」
「ふははははははははははははははは!」
しばらく顔をぽかぽかと叩いたステラ、60年以上の間を置いて晴れて恋人同士となったふたり。
あの時からずっと止まっていた時計の針が再び動き始めた。
大声で陽気に笑い合うふたりの目には、大粒の嬉し涙が輝いていた。

「さて…命懸けた大立ち回りも終わり、今更帰ったとこで何すっかな…。」
これから始まる平和な世界、アルバのような根っからの軍人が早晩仕事にあぶれてしまうのは容易に想像がついた。
それこそが命と引き換えに叶えた理想、未来に全てを託してあとは年老いて病と共に死に朽ちてゆく運命。
その後のことなんて何も考えていない、考えられる筈もなかった。
老後と言うにはあまりにも長すぎるボーナスタイム、何をするか考えろと不意に言われてもそう易々と決められるものではない。

「じゃあさアル、ひとつ考えがあるんだけど…」
暖かで柔らかくも鋭い橙色の朝日が東の海から昇り、それに付き従うような一陣の強い山風が駆け抜け、辺りに立ち込めていた濃い霧を一気に海へ押し流した。

霧に囲まれ見えていなかったが、2人の周りを多くのアンデッド族の魔物娘たちが取り囲んでいた。
ふたりは大きく頷いた。

とっくに死んでいると思っていた老将の生存に、シャウラ女王は驚きを隠せなかった。
更に王都に戻ってきたアルバが自分と大差ない年代に見える姿にまで若返り、まだ王都・ソアレではあまり数の多くない魔物娘を恋人に連れてきた事に、思わず腰を抜かしてしまった。

そして、その日のうちに脱走の罪でアルバは捕えられ、軍法会議に掛けられる事になった。
アルバにとってこの事態は想定の範疇であった。
抵抗を見せるどころか、自分が収監される予定の牢屋に自ら入り、警吏が駆けつけた時にはその中で悠々と二度寝を決め込み高いびきをかいていた。


――――――――――――――――――――――――

『おーい将軍サマよぉ、そろそろ昼飯にしようや!』
「じゃあ休憩にしましょう…あと、その呼び方やめません?」
太陽が真上に昇り切った刻、ミノタウルスが家の上に立って屋根を葺いていたアルバに呼び掛けた。

軍法会議の結果、アルバ・ティーズ元帥に有罪の評決が下された。
総司令官の解任と元帥から下士官へ極めて異例の大幅な降格、そして国境地帯への左遷が命ぜられた――表向きはそうなっている。
その実は、全ての職を辞して故郷の復興に長い余生を費やしたいと申し出たアルバに対し、慰留と復興に対して国家の全面支援を行う、という内容であった。

アルバの新たな階級は最先任下士官、その任務は豊富な経験値でもって組織のトップに直接補佐し物申すという並の士官・将官すら許されぬ行為そのもの、権限や地位は大将のそれと同等。
プレッソの長い空白を埋めるためにソアレから派遣された市長の補佐を任ぜられた、つまりはプレッソの実質的なNo.2として働く事となった訳である。

長らく別の港町で海運の仕事をしてきた新たな市長は、両親がプレッソ育ちの海の男である。
長らくほとんど進んでいなかった魔物娘たちとの異文化交流も、戦いが終わった事でようやく前進し、ソアレを含めた多くの都市に魔物娘たちが続々と入ってきた。
まだ小競り合いこそ時々起きるものの、人々は異なる種族の入植者を好意的な態度でもって受け入れる事にした。
それはプレッソとて例外ではない。
プレッソで起きた戦いで犠牲になった人々が魔物に変したアンデッド族を中心に、多くの魔物娘たちが人間と共に復興工事に汗を流していた。

近海で揚がる小魚を丸ごとたっぷりのスパイスやハーブ、ニンニクで味付けした塩気の強い揚げ物と大量の生野菜を挿み、これでもかとレモン汁をかけた特大のサンドイッチ――このプレッソ名物もアルバ達の手によって再び人々の腹と心を満たすようになった。

「はい、飲み物。
サンドイッチも丸呑みしないでちゃんと噛んで食べてよ?」
ステラが大きなグラスに入ったレモネードを渡した、たっぷりの蜂蜜に海塩が隠し味、一気に飲むと頭が痛くなるほど冷えている。

鉛色の空の下、塹壕の中で黴の生えた干し肉と萎びた芋を煮た味の薄いスープと干涸びた黒パンを胃袋に押し込むような食事が当たり前だったのも今は昔。
皆、この呆れるほど明るい青空の下で陽気に食べて飲んで騒いで、

『もうすぐだな…おれがやりたかった事をおっぱじめる、もう少ししたらそれをみんなの前で話そう。』
これまで軍人として国に忠義と恭順を誓い動いてきたアルバ、ここにきて初めて野望を抱くようになった。
プレッソの街が自分の補助なしでもかつての明るさを取り戻したら、今度こそ全ての公職を退いて港のはずれに魚屋を開いてステラと結婚式を挙げる。

アルバが本当の自分を取り戻す――港のはずれにあった魚屋のひとり息子がようやく家業を継ぎ、初恋の相手と世帯を持つ。
そんなささやかで幸せな野望を胸に秘め、アルバはレモネードを一気に飲み干した。
24/03/08 23:13更新 / 山本大輔

■作者メッセージ
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これ書き始めたのが1月の下旬、一ヶ月以上掛かりましたよ、筆が遅すぎですね。
うちの彼女というか妻というか細君というか奥さんが買った極道RPGの新作買ってきまして、ほとんどゲームなんてしないのに珍しくどハマりしました。
そのゲームの影響で一度完成したストーリーをほぼ書き直しレベルで魔改造掛けました。
元々主人公は殺すことしか能のないひとりぼっちの自分は平和になった世界にいらない、と墓場で自刃しようとして通りすがりのゴーストに止められ、湖畔で小さな宿を営み慎ましい生活をする…なんて設定でした。
戦いの末に病に侵され余命僅かな主人公と常に前を向く事を忘れない徹底的に明るく真っすぐな若き主人公の対比、死んだと思っていた人が蘇る…その辺がゲームの要素強いかなぁ。
あと、固有名詞でお誂え向きなのが思い付かず、手持ちの竿やリールの機種名を充てた次第です。

最後に出てきたサンドイッチは学生の頃にノーザンパイクを釣りに行ったスウェーデンで食べたニシンとイワシの間みたいな魚のサンドイッチがモデルです。
もっとも、魚は揚げたやつじゃなくて生の塩漬け(味は臭くないシュールストレミングみたいで超しょっぱい)でしたけど。

私事ながら…先月は魚が釣れなくて釣れなくて色々嫌になってました。
何も魚を釣らずに一ヶ月過ごしたのは忌中を除けば20年近く前の中学生以来。
月が明けて解禁になった渓流でイワナを釣った時はガチ泣きしましたよ。
でも遊漁券の価格がいきなり1.5倍はキツいなぁ…。

次は最初の2作の完全版に手を付けます。

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