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1話

【因縁に引導を】



 やっと此処まで来た。
 長い年月、貴様を追い求めて生きてきた俺の人生。やっとその煩わしい因果を断ち切る事が出来る。
 そう感慨に耽る俺は、来るべき決戦ともいうべき時を前に体を震わせていた。
 空を見上げると、夕日が辺りをすっかりと焼き尽くしている。
 ふふ、そうだ。その調子で太陽よ、沈むがいい。
 何せ、夜になってくれなければ困るのだ。

    沈んでもらわねば困る。

 無理矢理気を大きくしてそんな事を考えていると、背後から感情の薄い女の声が聞こえてくる。
「マスター。協力者の方々が段取りの確認をしたいと」
 振り返る。其処には透き通るような白の肌、髪を持つ、年のころ十六、七の少女。冷淡な口調で、いつも俺を好き勝手言ってくれる連れ合いが居た。
 いつもながら惚れ惚れとする可憐さをたたえる彼女。彼女の周りでは、絶えず光の精が輪舞曲を踊る。
 だが、彼女は人間ではなく   ゴーレムの一種、だ。


 一般的に図鑑等で見られるゴーレムは土色の肌に、一部剥き出しの岩盤が見られる。
 それはある程度ルーンを刻みやすいよう、肩や背中に見受けられるのだが、彼女はその点でも特別だった。
 彼女には首筋を囲むようにルーン文字が刻まれている。面積が小さいにも関わらず、一際綿密に描いたそれは、多くの芸術かぶれを唸らせる。
 そして、それを傷付ける事はゴーレムにとって一大事である。よって白磁の肌を包む純白の衣には不釣り合いな事に、首筋には無骨な鋼鉄のギプスを着けている。
「……」
「……マスター?」
 俺は、この土くれで出来ている女に対し、ふと浮かんだ疑問を問うてみる。
「ソニア、貴様は平気か?」
「何がでしょうか。さっぱり、見当がつきません」
 見た目を裏切って、相変わらずなんと可愛げのない。俺が何を問うているのか、判っているだろうに、そんな風に返してきた。
 俺は笑ってしまう。彼女のこの態度は、今まで一時も変わった事がない。ついつい、心が落ち着いてしまった自分が可笑しかった。


 彼女は、およそゴーレムという存在に許された完成度というものは優に超している。
 技術者、錬金術師諸共が、“人間”を作り出すという神の真似事に手を染め生まれた中でも、彼女ほどのゴーレムは他に類を見ない。
 恐らく   ソニアは、この世界で最高峰に数えられるゴーレムだろう。
 無論の事、性能、技能、細部に渡る卓越したチューン。その全てを指して完成度と言わしめるのだろうが、俺が言いたい意味からすれば、それは只単に人間に近いというだけ。価値があるかといえば別物だ。少なくとも、俺にとっては。
 俺はそんな風に目の前の、一見すると少女である彼女を誇らしく思う。
「ソニア」
「なんでしょうか」
 ソニアは首を傾げる。
「……俺は、あの男を、殺さなければならない」


 俺の言葉を沈鬱とした表情で聞くソニア。まるで鳥の囀りに意味を探すかのように、静か。
 ならばと俺は囀り続ける。
「俺は判っていたつもりだった。数百年前からずっと、それしか方法はないのだと。奴を忌まわしき呪縛から解き放つには、それしかないと。だが……」
 訴える、自身の胸に痛みが走る。
「ソニア……俺は、奴に押し付けたままなのだ。奴に全てを押し付けたまま、奴を」
 そうだ。俺は……間違えただけじゃない。その間違いを、うやむやにしてしまおうとしている……。
 全て奴に背負わせて、闇に葬ろうと……。
「だから、それは、それは何と身勝手な事だろうと……思う、のだ」
 声が震える。まだ行動を起こしてもいないと言うのに、罪悪感が募る。
 俺は震える手で、懐から一つの指輪を取り出した。
 これは、俺が嵌めるべきものではない。填めようとも思わない。何より、この指輪はそれを望まない。この指輪を嵌めるに相応しい者は只一人。


 その只一人を、今宵、闇に葬る。


 不意に、ソニアが震える俺の手を、か細い指を携えた手でそっと包む。
 突然の事で驚いたが、じっと見詰めてくる彼女の瞳には責念はない。それどころか、まるで極上の真珠が埋め込まれているかのように、優しく光った。
「マスター、ならば教えて下さい」
「……?」
 ソニアは、俺の身体にそっと抱き添った。
   貴方様が……あの方を救わないで、誰が救ってくれるのですか……」
「ソニア……」
 一時見せた、ソニアの悲壮。
 作られし者が見せた悲しみ。


 ゴーレムの感情は全てが作りモノだ。
 小さな女の子が、人形に抱く感情のようなもの。
 人に見立てただけの虚像。
 彼女と出会った頃は、そんな風に思っていた。
 だが……だが、だ。ソニアが、今、何の為に俺に抱き寄り、何の為にこれほど感情の輝きを明らかに示すのか。
 俺は、思い出すのに時間が掛かった。
「……すまない。俺が怖じていては、貴様を不安にさせてしまうのだな。失念していた」
「マスター」
「……俺以外に、やれる者などいないのだ。ならば、やるだけ……判り切った事」
 そうアサーティブに呟く。
 すると突然、ソニアは夕焼けをバックに、俺に口付けした。土くれとは思えない柔らかさと温かさ。彼女の美しい感情が流れてくる。
 唇が離れた後、何時も通り、澄ました顔でソニアは言う。
「ええ、マスターは一人しかいません。パーツのように、代用なんて利かない。時間はかかりましたが、それが判る様になっただけへたれは幾分かマシになりましたね」
「貴様、この状況でまだ昔の事を……」
   少なくとも。ソニアにとって、そんなマスターでも代えの利かないパーツ以上の存在ですが」
 憎まれ口に呆れている俺に続けてソニアが言った瞬間、途端に視線が伏せられる。ソニアの白肌に朱が差す。
 俺は憎まれ口よりも、目の前の少女のありありとした存在に気持ちを熱くしていた。
「ソニア」
「……お望みでしたら、ソニアが傍に居て差し上げます」
 いつもは忠誠心も何もない態度を俺に示すというのに、ソニアは並みの女以上に俺の事を気遣う事が出来た。
   不本意、ではありますが」
 取り繕うようにそう言い放つソニア。表情は言葉とは裏腹に、正直だ。
 思わず苦笑してしまった。
 全く、何時までも素直になれん奴だ。


   っ」
 もう一度、今度は此方からキスをしてやった。
 彼女は驚いて少し逃げる。が、強く抱き寄せて離さない。


 そして……夕焼け空は一変、夜の帳が降りる。


    決戦の準備は、整った。



―――――



 俺がバルコニーを降りると、其処には各地を回って集めた協力者達がいた。
 奴が辿った道しるべ。奴が近い時系列で関わった者達。奴は並みの人間や魔物と関わりたがる男ではない。ましてや、命を取らないでおいたからには見込まれた何かがあった筈だ。
 俺が彼等をこの終末に招いた理由は、他でも無い、その力を信じたからであり、奴の辿った足跡を奴自身に思い知らせる為だ。
 まぁ、ソニアが言う、俺の我儘の部分が殆んどだが。
「段取りの確認という事だが、あの説明では納得いかないかな?」
 俺は予め十分と思う程に、奴を打ち倒す策を彼等に伝えた筈だった。それでもまだ不満足な点があるらしい。
 俺は退屈な感覚に襲われながら彼等を見回す。
 すると、その中で二匹の、対照的にも見えるミノタウロスを両脇に据える、穏やかなる吟遊詩人が、口を開く。
「いえ、小生達は問題ありませんが」
「そうだよな、ゼルッ。よーするに、彼奴をぶっ飛ばしてやればいいんだろっ?」
 活発な方のミノタウロス   ケイフと自ら名乗っていた   がそう意気込んだ。
 ……どうやら彼女だけにはもう一度説明しなければならないようだ。髪の隙間に指を潜り込ませる。
 ゼルは俺の不安を察したのか、慌てる。
「あ、ゲーテ様。ご安心下さい。小生が傍におりますので、段取りについては問題ありません」
「……大丈夫か?」
「ええ、勿論」

 吟遊詩人ゼルとの付き合いは、この中で一番長い。
 確か、十年ほど前、退治されたサキュバスに炙れたインキュバスの彼に制約の印を打ち込んだのが知り合った切っ掛けだ。その件で彼は恩義を感じたらしく、以後俺に恩を返そうとしてくれていた。
 当時の俺は保険があればいいに越した事は無いと考えていたが、今になってその判断は間違ってはいなかったと確信する。
 彼は、この作戦にとって中々に重要な役割を担っているのだ。


「では、何が訊きたいのだ?」
「ええ」
 吟遊詩人がさながら物語を紡ぐかのように口を開こうとすると、痺れを切らした様子の若いリザードの少女   見た目は九つ程   が挙手して口を挟む。
「はいっ。奴の正体でありまするっ」
「エリス、みっともないぞ」
 その隣で保護者のような顔をしていた白銀の剣士が、我慢の知らない弟子の頭を押さえつける。剣士の、余所余所しく気を使う素振り。最近知り合ったばかりの俺に対する態度とは、それだ。
 弟子の方は怒られた事にしゅんとなる。代わりに男の方   スヴェンと名乗る元騎士   は目に焔を燈す。
「だが彼奴が何者なのか。俺達は少なくとも、それを確かめに此処に来たのに間違いない。一度、殺されかけた身だしな」
「あ、主殿ぅっ。エリスを押さえつけないで下されぇ……。只でさえ小さい背が、更に縮むでありまするぅ」
 ずいっと皆を見回す。
 彼等、吟遊詩人と剣士達の組み合わせの他にも踊り子の一行が居る。皆も口には出さずとも、尋ねたい事に関しては一致しているかのように同じ目を俺に向けていた。

    どうやら一つ、昔話をしなければならないようだ。

「いいだろう」
 言い淀む事ではない。そう自分に言い聞かせてから口を開いた。
「この場に参じてくれた以上、知る権利は諸君等に平等に与えられている筈だ。只、まともに話した事などないので、少々語弊が生じるかもしれないが」
 予め逃げ道を用意しているような口上の句だったが、まぁいいだろう。俺は手前の木椅子を引き、腰掛ける。
 両手を絡ませて暫く時間稼ぎをする。口が言いたくてうずうずと開閉を繰り返す。聞いてくれた方が良いような気もするが、それは同情を誘っているだけのような気もして、嫌な気分もした。
 やがて頭の中で纏まった話を口に紡ぐ。
「魔王が……魔王が、世代交代を果たす前の話だが」
   !?」
 協力者の内の一人   チェルニーという名のエルフ   が俺を疑る瞳を向ける。
「世代交代といえば、五〇〇年ほど前の話だぞ。見た所、それほど長生きもしていない貴様の話を信じろと?」
「そう見えないか。こう見えても、長生きはしているのだがな」
「別に、外見だけで判断するほど、私達は愚かじゃないわ」
 ふとそう発言したのは刺激の強いボンデージのような服装をした、褐色の肌のエルフ。俗にダークエルフといった種類だ。自らサキュバスと成った種族だけあって、その立ち居振る舞いには男を惹き付けて止まない空気があった。
 だが其れと矛盾して彼女にあるのは、その何もかも見通すかのような賢能そうな目付き。それは鷹のように鋭く苛烈であり、蛇のように一分の隙も見逃してくれそうにない。
 若しかすれば、奴を凌駕する才を隠しているのかもしれない。彼女はヘザーと名乗っていた。
「むっ。その言い草では、私が人を見た目で判断した愚か者みたいではないかっ」
 玉肌のエルフが、まるで反射の様にダークエルフに突っ掛かる。
 だがそれに対してダークエルフは、彼女の判りやすい反応を愉しむかのように、手の甲で口元を微かに隠す。
「あら、ごめんなさい。貴方には判らないように気遣ったつもりなのだけれど」
「!? 貴様っ!」
「はぁ……お前等、いい加減にしろよ……」
 一方的に挑発に乗るエルフと、それを煽り続けるダークエルフ。その二人のパートナーである白子(アルビノ)の踊り子、エルロイは気苦労の多い中、溜息を吐く。苦労性らしい彼との付き合いも最近のものだ。
 チェルニーに耳元でどやされながら静かな態度を取り続けるダークエルフは、その合間にも俺にこう笑い掛ける。
「でも、先祖代々から受け継いできた使命、とかなんとか面白くない事言わないでね。それじゃあ在り来たりすぎるわよ」
「ああ、言わんよ。何せ私と奴は孤児だ」
「あら、ごめんなさい」
 口ではそう謝罪するが、途端にそっぽを向くなどして、興味がそがれた事はありありと伝わった。まるで気紛れな女のようだったが、振られた話から派生して、本題を話し易くなった。
「そう、私達は孤児だった。親も判らぬうちに攫われ、集められた子供達の一人だったのだ」
「……もしや、邪神教ですか?」
 吟遊詩人のゼルが不意に口になぞる、忌々しい呼び名。思わず眉間を寄せて返してしまう。
「そうだ。よく判ったな」
「ええ、まぁ……初めてお会いした時、邪神教の紋章が目に入りましたので」
「最近は外してらっしゃいますが……」と付け足す。そういえば、教団のマークが刻まれた肩当てを付けていた時期もあったな。
 不意にケイフと呼ばれるミノタウロスが口を挟む。
「邪神教? サバトの連中とかか?」
「いえ。昔、そう名乗る、“旧時代”の魔王を崇める人間の宗教団体があったのです。無論、同じような名前の集団は他にもいましたし、飽くまで俗称で、魔王教とも呼ばれていましたが。その中で、何故か潤沢な資金と権力を握っておきながら一時期で壊滅した組織があったのですが」
 ふむ。中々に博識だ。流石、口伝で歴史を受け継いできている名だたる吟遊詩人達の中には、まだその名が残っていたか。
 その中でも特に、俺の所属していた邪神教団(又は魔王教団)は勇者に攻められた訳でもないまま壊滅したおかげで、文献にも載っていない筈。それでも、耳にした事があったか。
    なんと恨めしい事か。
 だが談笑は此処までにしよう。こんな事で時間を潰して、奴との決戦に足を鈍らせる訳にはいかない。
 俺は早々に話を語る。
 




――――――――――



 

 当時、邪神教の一派は優秀な人材を得る為と称して赤ん坊を攫い、優秀な暗殺者や密偵に仕立て上げ、兵隊として高値で各国に身売りしていた。
    要するに、アサシンギルドの真似事だ。
 俺は物心ついた時から、その密偵候補として育て上げられた。周りに居た連中と同様、親の顔なんか知らない。
 そんな中、俺は一際、魔術の才能を見出された。
 運がいいと言うのか、なんというのか。教団の中で頭角を現した俺を売り払うのが惜しくなった教団幹部の勧めで、俺は十五の歳で教団の為の兵隊として働く事になった。
 一応、売り払われる事は免れた訳だが、当時の俺は教団の為に働く事に一片の疑問も抱いてはいなかった。教団の言う通りに自身の腕を磨き、勉学を積み、仕事をする。
 今思えば、随分と教団にとって都合のいい傀儡だったのだろうな、俺は。
 ……そんな頃、妙な奴の噂を聞く事があった。

    教育している子供の中に、化け物染みた奴が居る。

 最初、それを耳にした俺は特に気にも留めていなかったが、偶々教練所に出向く機会があったのだ。
 其処でふと目についたのは   俺と同じぐらいの年の少年だった。
 漆黒の髪。顔つきからして、大陸の人間では無いという事は判る。歳様々な者達が周りで暗殺用ダガーの扱いを修錬している中、奴は一人退屈そうにダガーを宙に放り投げて遊んでいる姿があった。
 その様子を教官に見咎められ、静かに背を向けさせられる。その背に向かって、大きくしなった鞭が打たれる   
 ピシィッ
 周りは冷ややかな目でそれを見詰める。俺もその一人だ。嘗ての俺も、周りで聞き及ばない者達がそうされているのを見て来ている。その背中に血のミミズが這おうとも何とも思わない。


 やがて、何匹もミミズが這うのを見て、ふと異状を察した。此処まで折檻が続けば、再起不能になるのではないか。それでは、教団の不利益になる。
 ピシィッ、ピシィッ
 やがて奴の背は血塗れに、皮が破け爛れるまでになった。
 其処まで来て、教官は鞭を引いた。
 そして、何食わぬ顔で周りではいつも通り修練が続く。

    折檻された少年は黙って俯いたままだった。



―――――



 暫くして、化け物染みた子供の噂はデマだったという事になる。
 俺もそんな噂があったことを忘れ去った十八の年、ある密偵の仕事が来た。
 今までもこなしてきたレベルだった。だがこの時は違っていた。
 どうやら、誰かと組まされるらしい   



―――――



 サァァ   


 真夜中。
 小雨が暗い森に生い茂る木々の葉を撫でる。その音を聞きながら、相手を待つ。精々、足手纏いにならないでもらいたいものだ。そう願いながら、教団仕様の宵闇のローブに走る露を払う。

    ふとその時、雨が止んだ。

 目の前の森には雨が降っているように見受けられる。どうやら止んだのは俺の周りだけらしい。見上げると、其処にはのっぺりとした闇があった。

「風邪を引く」

 咄嗟に腰元のダガーを抜き、俺の横に立った何者かの首筋に一気に宛がう。その急所を掻き切る寸前に、相手が自分と同じ教団のローブを身に纏っている事に気付く。
「! ……」
 首筋に刃を宛がわれてもピクリとも動じないこの男、なんのつもりなのか、雨の中の俺に傘を差したかったらしい。その手には真っ黒な傘が開いて差し出されていた。
 俺がゆっくりと顔を睨み上げる。深く被ったフードに顔が半分隠されているが、其処には青白い肌がぼんやりと映っていた。
「君がゲーテ、ですか?」
 相手が傘を手元に手繰り、そう口を震わせる。小雨に掻き消されそうかと思うほど小さな声だが、確かに俺の名を聞いた。
「……という事は、貴様が同行者か」
「はい。今回は、宜しくお願いします」
 薄気味悪い肌がニコリと愛想笑い。正直、寒気がした。
「ふん。……」
 俺は同行者との合流が完了した見做し、刃を仕舞う。薄暗い森の中を進む。この森を抜けた先に潜入先があるのだ。
 この同行者   そう言えば、相手の名前を訊くのを失念していた。
 振り返って尋ねる。
「貴様、洗礼名は?」
 我々は本名を持たない。教団側から「洗礼名」と称して名を貰う。それは、俺達を区別する記号の様なものだった。
 するとこの男はわざわざ顔を隠すフードを取り去る。その下に隠れていたのは先程の薄気味悪い青い肌ではなく、血色のよい肉付きの顔。
    しかも俺と年が同じぐらいで、漆黒の髪を持つ少年だった。
 奴は妙に鋭い瞳で俺に笑いかけながらこう名乗った。
「洗礼名……はいっ、“ヴァーチャー”、と言います」
 この男の顔を見た瞬間、強く手繰られるように過去の映像が思い出された。あのでたらめとされた噂も。
 そして、直ぐにあの噂がどういう意味を持っていたのか、この後、十分思い知る事となるのだった。



―――――



 バシャァンッ
「はぁ……っ! はぁ……っ!    くっ」
 バシャッ、バシャッ、バシャッ   
 何も言えない。雨の中、また真夜中の事。俺は自身の正体が早々にばれ、森の中を追われていた。
 強く、不安定な土の地面を踏み締める。腐葉土の上を駆け抜ける度に余計な水音が響くが、今はそんな事気にしてはいられない。捕まって情報を炙り出される訳にはいかないのだ。
 それに、全力で俺を追い掛けて来る辺り、どうやらあのヴァーチャーとかいう奴の正体はばれてはいないらしい。それが僅かの救いだ。
 肩を弓矢で射抜かれた。血の痕を落としながら、なんとか木の根で形取られた洞穴の中に身を潜める。肩の痛みに思わず呻きながらも、必死に周囲に魔力探査を掛けて敵の気配を探る。目を閉じて感覚を尖らせる。
 一人、三人……十……二十   っ!?
「はぁ……はぁっ……(なんて数。逃げ切れない、か)」
 パシャ、パシャ、パシャ
 奴等が濡れた腐葉土を踏み締める音が間近で聞こえてくる。確実に近付いて来ている。

 そして……

「居たぞっ   ぎょえっ?」
 洞穴をひょいと覗かれ、姿を見られた途端に喚かれた。俺は咄嗟にナイフを投げつけ奴の喉元を突き貫くが、もう遅い。張り巡らせたセンサーが、急激な敵の接近を告げる。
 このままでは同じ事だ。打って出るしかない。あわよくば、奴ら全員を道連れにしてやる。そう思い立ち、洞穴から出る。
 ……周囲にはもう、敵がしたり顔で待ち受けていた。
「愚か者め。我等の仲間の振りをして中に入り込むなど、幼稚な真似を。気付けぬとでも思ったかっ」
 勝利を確信しているようだが、生憎、俺の他にもう一人、貴様等のアジトに潜り込んでいるのだ。この男に依れば、矢張り彼方は成功しているらしい。それを確信した俺の方は自然に笑みが零れた。
「何がおかしい!」
「ふふ……いや、何。   黄泉への旅路は、さぞかし楽しいだろう、とな」
 どうやら余裕の笑顔を見せてしまったのは失策だったらしい。奴等は勘付いてしまう。
「まさか   こ、こいつ、自爆する気だ!!」
「全員、この場から離れろーっ。此奴から遠ざかれーっ」
 もう遅い。
 静かに詠唱を唱える。全身の魔力をすべて衝撃に変える。俺の体は粉々になるが、奴等も只では済むまい。
 だがそう思っていた矢先、予想外の事態が起こり始めた。



―――――



   ぎゃあぁっ」
「!?」
 俺は驚いた。散って逃げて行く男達から、まだ何もしない内に悲鳴が上がったのだ。何事かと闇の中に目を凝らして見てみると、其処にはゾンビの姿が……。
 いや、大群だ。ゾンビの大群が、俺を囲んでいた男達を、更に囲んでいたのだった。
 俺が張り巡らせた魔力のセンサーが続けて詳しく告げる。男達二十人程を、ゾンビ達が百人取り囲んでいる。(因みに言うとすれば、この時は男のゾンビが大半を占めていた。)
「なんでこんな時に、魔物が!?」
「知らねぇよ!」
「ぎゃあああっ」
 忽ち周囲は阿鼻叫喚。闇の中から生気のない腕を伸ばし、雁字搦めにして容赦なく男達を食い殺した。
 見ていて気持ちのいいものではない。だが、俺はこのゾンビの動きに作為的なものを感じ取った。
 知能の低いゾンビがこんなに連携を取って獲物を襲う事はしない。闇の中から襲い掛かるなど、それほど賢くはなかった。
 そして、そのゾンビ達は“何故か”俺を襲う事はしなかったのだ。



―――――



 ザァァ   


 雨に悲鳴が掻き消されていく中、俺の前に悠然と現れた黒い影。奴の踏み締めた地面から飛沫が跳ねて俺の頬を濡らすが、俺は反応を示せぬほど魂消ていた。
 奴は自らのフードを取って、安心したように俺に笑いかける。
   ご無事でしたかっ」
「……貴様? ゾ、ゾンビ共は? というか、貴様、何故此処に?」
 俺はどういう訳か、其処に立つこの奇妙な同行者に困惑した。
 奴は苦笑してこう返す。
「え? ああ、あのゾンビ達は……俺の配下です」
「何   ?」
 ゾンビが……配下? 何を言っているんだ、此奴。
 すると論より証拠とばかりに、奴は   ヴァーチャーはその腕にナイフを宛がい、其処に赤い線を引く。
 伝った赤が、雨に流され、腐葉土に染み込む。見計らって奴はこう唱えた。
<かの地に眠りし者よ。今しがた与えた生命の慈悲に喉を潤したならば、我と契約を取り交わせ。契約の名の下に、汝、仮初の肉体にその身を窶し出で給え>
 周囲に言い知れようない不穏な空気が流れる。
 やがて奴の血が染み込んだ地面からバスンッと白い指が、呻き声と共に突き出て来たのだった。
「あー……」
「っ!!?」
「はい、じゃあ……腕立て伏せ十回でもやってもらおうかな?」
 俺は驚いた。
 奴は言葉通り、ゾンビを使役していたのだ。

 ネクロマンサー。   俺は自分の目が信じられなかった。
 死霊を操れるだけでも並の術者じゃないというのに、目の前の男は俺とそう歳も変わらないのに大群をも操っていたのだ。
 この男一人で、一個部隊が出来上がる……頭の中で計算して、思わず身が震えた。

 だがそれほどの凄腕ネクロマンサーは、何故かゾンビに腕立て伏せを命じていた。
 ……ゾンビも何故腕立て伏せをやらされているのか納得いかなそうにしている。
「あー……? あー……?」
「さーん、しーい、ごーお……後五回やー」
   ぷっ」
 真面目にカウントするこの男に、納得いかずちょこちょこと首を傾げながらも従順に腕立て伏せを続けるゾンビ。
 なんてシュールな図だろうか。
 思わず、ついさっきまで自爆までする気概だったのが嘘の様に、吹き出してしまった。
「はははっ。貴様、配下のゾンビに何をさせているのだっ。ゾンビが可哀相ではないかっ」
「……」
 すると、突然ヴァーチャーはカウントを止めて固まる。
 突然カウントを九で止めたヴァーチャーに、ゾンビは十回目をやってみせるが、カウントしてくれない。その様子を見て、何度も何度も十回目を繰り返してはヴァーチャーの様子を「くいっ」とうかがう姿。更にツボに嵌ったのだった。
「あはは! ほら、もう十回やったのだから、帰してやったらどうだ?」
「……あ、ああ」
 そう覇気のない返事の後、ゾンビに帰れと指示を出す。
 結局、ゾンビはなぜ起こされたのか、最後まで納得しないまま土に帰ったのだった。



―――――



「君、変わっているな」
 突然そう言われた。
 思わず心当たりを探るが、直ぐにどうでもいい事だと気付き、考えるのを止める。
「まぁ、魔術師は変人が多いと言うからな」
「そっか」
 納得したように頷く奴だったが、それよりも、だ。
「……って、貴様は何故此処に居るのだ?」
「え?」
「え? ではない! 貴様が潜入し続けていないと、意味がないだろう」
 思わず声を荒げると、奴は露骨に面倒そうな表情をした。
「はぁ……」
 俺の態度が目に入らぬという風に溜息を吐くと、奴は懐からぷいっと宝石を取り出す。
「君の御蔭で目的の物はもう手に入れた。あそこはもう“用済み”   やろう?」
 奴がにこりと笑んだ瞬間、遠くの方で雨音とは明らかに違う音が響く。
 聞こえた方向は、俺達が潜入していた拠点。直ぐに雨の中に焦げ臭い臭いが立ち込めてきた。
「これは……火薬……の、臭い?」
 俺が雨の中の微かな臭いに鼻を覆う。
 奴はフードを被り直し、宝石を懐に収める。
「一応、顔を見られたから。証拠は全部始末しないと」
「雨が降っているのに、どうやって火薬を?」
「? (火薬を)湿気らせずに着火させる方法くらい、いくらでもあるやろう」
 一先ず此処は「そうだな」と返したが、正直、そんな方法一つも思い浮かばなかった。
 その様子を察したのか、奴は苦笑いを返した。


 後に判った事だが……噂に上った化け物というのは、間違いなくヴァーチャーの事だったのだ。



―――――



    奴は攫われた当初から扱いが異なっていた。
 何処から攫ってきたのかは誰も判らず、それでいて凄まじい魔力を幼くして備えていた。
 教団はかなり、ヴァーチャーに注目していたようだった。

 奴は物心ついた頃には既に魔術的道具に関心を持ち、且つ扱えるまでの学習速度が凄まじかった。
 もう五歳で奴はネクロマンシーと錬金術を習得し、十歳でそれを同時にマスターしてみせたのだ。(本来そのようなリスキーな部類に入る術を習得するには何十年は早いし、それでも習得するのに二十年や三十年は必要にも関わらず、だ。)
 興味を別の物に変えた奴は、薬草学、魔物学、高位魔法系学をそれぞれ半年でマスターし、十二歳を過ぎた頃には暗器の類を実践レベルで使えていたらしい。
 そして出会った頃にはゴーレム技術を学んでいる最中だった。
 学問の殆んどは、奴が独学で得たものだった。

 “化け物”。そう呼ばれる由縁は、“不条理なほどの才能”。
 生まれ出でた時から幸福を約束された力。
 それを妬んで、歪められて、付けられた仇名。
 俺はその噂が消え去る直前に、奴が教官に施された“特別な処置”を目にした。

 その意味する所は、つまり、余りに才能を持ち過ぎていた奴を皆が恐れ、集団で蹴落とそうとするものだったのだ。
 奴が従順なのをいい事に、周りの人間が奴を好き勝手に扱う、まるで家畜か何かの様にして征服しようと画策した結果だった。

 やがて化け物という言葉は   意味合いを変える事とも知らずに。



―――――



 俺は矢で射抜かれた肩を奴に治療してもらい、真夜中の森を歩く。一歩前を歩く奴は、俺を気遣って、足場の固い道を歩いてくれていた。
 帰還しながらずっと考えていた疑問。それを今此処で呟いてみる。
「何故、俺が密偵だと気付かれたのだろう」
 すると、それを聞いたらしいヴァーチャーが不意に足を止めた。
「……」
「どうした。魔物でも出たのか?」
 この時代の魔物は人を本当の意味で襲う。もしや、俺の血の臭いに釣られたのやも知れない。
 だがヴァーチャーは危機感もなく静かに体を俺に向ける。
「……作戦やよ。陽動の為にリークするように言われていた。連中の視線を別の所に向けて、目的を達成しやすくする為にな」
「成程……」
「怒らないのか?」
 ヴァーチャーは意外そうに訊いた。
「いや。貴様も、俺も……所詮は安い命。使い捨てでしかない。その分、貴様は世渡りが上手そうだ。俺も見習わなければな」
 尊敬……に近い感情を素直に口にする。
 俺達密偵は、孤独な状況下で戦う事が多い。孤独に傷つき、孤独に考え、孤独に死ぬ。人生と言う一連の活動を終える頃には、自分が孤独に歩んできたという軌跡を思い浮かべることだろう。
「……!」
 バシャァッ
 だが奴は違った。水溜まりを蹴り上げながら俺の胸倉をいきなり掴むと、その真っ黒で鋭い瞳で俺の中を見詰めてくる。
 そして、運命に抗うとでも言うような、反骨の意思を表情に出してこう言うのだ。
   下らないっ。何を気取ってるんや、お前等は」
「な、なんだ?」
「自分の事を安い命だなんざ考えて、トチ狂った馬鹿共の為に死んでやる義理が何処にあるんや?」
 俺は驚いた。
 此奴が何を言っているのか、さっぱり判らなかった。
 俺達と同じ言葉を吐いていながら、俺にはその意味が理解出来なかった。
「待て……何を言っている……?」
「……周りの奴等は皆、邪神教の教育とやらで都合のいい人形に成り下がっているのに気付いていない。所詮は、お前もその一人」


 ザァァ   


 小雨が耳を撫でる中、ヴァーチャーの怒鳴り声が森の中に響き続ける。
「安い命? 使い捨て? 下らん事を言うな……自分の命の価値を決めるのは腹黒い豚共じゃあない。況してや、自分で決めるものでもない。俺は、そう思ってる」
 両腕を大きく広げ、雨の降る森の中、陶酔に浸るように天を仰ぐ。
 その背に翼の様なものがうっすらと見えたのは、きっと何処からか漏れる光が雨を照らして見せた幻だろう。
「じゃあ、なんだというのだ?」
 何時の間にか、俺は此奴にそそられていた。此奴の言葉は、独特の訛りもそうだが、声も内容もリズムも、俺の知らないものばかり。
 少なくとも、此奴は俺の周りに居た人間……いや、“人形共”とは違っていた。
 その事実に気付いた瞬間、俺は此奴の生き方に憧れに近い感情を抱いたのだ。
 そして、奴が振り返り、答えるには。
   簡単に教えるのは、面白くない」
「は?」
「自分で考えてみ? 気付く事が、人間への第一歩やで? あ、それと」
 パシャンッ、と足で水を打ち鳴らす。
「出汁に使った事は悪かったよ。でも――死なせるつもりなんて毛頭なかったから、許してくれ」
 最後にそう謝ると、満足げな表情をしてまた歩き出す。
 俺は図らずも考えてしまった。
 命の価値を決めるもの。そして、人間とはなんなのかを。
 そして、教団の連中と、奴の違いを。

 奴は俺が思考の海に浸かるのを眺めて、満足そうに笑んでいたのだった。





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【メモ-人物】
“ゼルと姉妹ミノタウロス”〈牛に対して弾琴す〉より

儚い吟遊詩人であるゼルと、ミノタウロスの姉妹の組み合わせ。ヴァーチャーとは深く関わっていないが、インキュバスであるゼルの能力が恩人であるゲーテの目に止まり、参じた。

ミノタウロスに関してはケイフと呼ばれる方が妹で、もう一人は姉である。

11/01/21 18:05 Vutur

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