連載小説
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猫村さんと俺のお昼から午後にかけてA
 そんな風にして俺と猫村さんがご飯を済ませ、さあ、店を出ましょうかと言った空気が二人の間に漂った時に時にことは起こった。
猫村さんは席を引き、腰を上げた。
「新藤君、私お会計澄ましてくるから」
「えっ」
「後であなたの分のお代頂戴」
「いやいや、俺が行きますよ」
「いいの。今日、おいしいフライ食べられて、猫村さん機嫌いい」
「そっすか」
「そう、ご機嫌」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
俺は椅子に座ったまま気を付けをして、お辞儀をした。
猫村さんは椅子を下げ、隣の椅子の上に置いてあった鞄に手を突っ込むと、そこから財布を取り出した。しかし、事件はここで起こったのだ。
俺は、立ち上がって店内のレジに行く時、彼女の二つ折りの財布が何かを挟んでいるのに気が付いた。そしてそれは、猫村さんが財布を持って歩きだすと、つられてずるずると鞄の中から長く引き出された。
(……あれ?)
細長く薄いピンク色をしたそれに目を凝らすと、それが一体何なのか俺は気が付いた。それは、蛇のように長くつながったコンドームだった。
(え?)
(あれゴムじゃね?)
(え、まじ? なんで?)
(見間違いだろ、普通に考えて)
(でも、色とか形とか、真ん中のくぼみから見て絶対ゴムじゃん)
(え、何で? え、猫村さん、性欲がやべーの?)
俺は自分の見ているものが信じられず呆気に取られているうちに、猫村さんは店のドアに手をかけた。
俺はとっさに我に返った。このままでは彼女はあのピンク色の一列の物体を、まるでクマノフンドシに寄生されたクマのようにずるずる引きずりながら店に入ってしまう。中の客は外で食べている客の人数よりもずっと大きかったはずだ。そこで俺はとっさに我に返って、慌てて猫村さんを呼び止めた。
「あの…、猫村さん?」
「何?」
俺に呼びかけられたことで、猫村さんは後ろを向いた。そして、ようやくその時になって手元の財布から鞄に掛けて連なるピンク色のひもに気が付いたのだ。
彼女の表情がたちまち凍り付いた。
一瞬の気まずい沈黙が俺たちの間を駆け抜けて言った後、猫村さんは弾かれたかのように元の席まで詰め寄り、連なったゴムを手繰ってまとめると、財布ごと鞄に押し込んだ。そして鞄の中でしばらくごそごそやった後、すぐに財布だけをもう一度持って、店内に駆け込むようにして入っていった。
幸い今のやり取りは、周囲の人はほとんど気が付いていないようだった。その間彼女はずっと無言だったのだ。俺は少しそれが怖かった。
猫村さんがいない間、今しがた見たものが信じられず、またなかなか理解できずにいる気持ちが混然一体となって俺の胸の中を渦巻いていた。
いつもクールで、美しく、超人的で神秘的な空気をその身から発していた猫村さんのことを、あまり歳は変わらないにもかかわらず、俺は秘かに尊敬していたのだ。
しかし、まさかその猫村さんの鞄からあんなものが飛び出してきたのには、まったくもって混乱させられてしまった。


やがて彼女は店から出てきて、レシートを俺に手渡した。
「これ、新藤君の分」
「……あ、どもっす」
「レシート分けてもらったから」
「はい」
猫村さんはは財布をしまうと、椅子の上の鞄を取り上げて肩にかけた。
「ごちそうさまでした。美味しかったね」
 猫村さんは呆然としていた俺を見下ろし声をかけた。そうして、何事もなかったかのように歩き出した。
俺の喉の奥から、色々言いたいことや聞いてみたい気持ちが山と沸き上がってきた。俺は彼女に声を掛けようとした。しかし、彼女はつかつかとハイヒールを鳴らし、さっさと歩き始めていた。
俺はちょっとためらってしばらくその場に立ち尽くしたが、すぐに自分の鞄を持って、急いで彼女の後を追った。


(いやぁ、まぁ。そりゃいるよね、彼氏。あんだけ美人なんだし)
潮が引くように当惑が消えてゆくと、後に残った気持ちの中で、俺はそんなことを考えた。
猫村さんは俺の数歩先を歩いている。彼女のショートカットが、歩みに合わせて左右に揺れた。猫村さんのきれいなうなじがそれに合わせて見え隠れするのを見つめながら俺はか彼女の後ろを歩いていた。
(しかし、彼氏じゃなくて猫村さんが持ってたってことは、猫村さんの方がスゴいってことなんだよな)
無論性欲が、だ。
今俺の心の中では、自分の中に思い描く猫村さん像に、度を越えた性欲魔人という新しい一面が追加されつつあった。ただ、正直な所その一要素は、今まで無条件に尊敬していた、スペック完璧、才色兼備の大人の女性像を、一点の非常に生々しい特徴を持つ変人と言う立場にまで引き落とすのに、十分な威力であったというほどの物でもなかったが。
しかしそれはそれとして、猫村さんには悪いが、あれには実際非常にぎょっとさせられた。コンドームと猫村さんというほど、お互いにイメージの結びつかないものはないだろう。俺がそんなことを考えていた時だった。
「新藤君」
今までずっと黙って歩いていた猫村さんは急に振り返って俺に喋りかけた。俺はちょっと面食らった。
「はい」
「ご飯、美味しかったね」
「そっすね」
「新藤君は何頼んだんだっけ」
「パスタっすけど、イカ墨のやつ……」
「そうだったね」
「うん」
「はい」
「…………」
「…………」
猫村さんはちょっと歩みを緩めて俺の隣にならんだ。そして俺を見上げた。
「ねえ、新藤君」
「何すか」
「今日のお店、美味しかったから、また誘ってね」
「いいっすよ」
「猫村さんあそこ気に入ったわ」
「良かったっす」
(どうしたんだ急に)
 俺は冷静さが戻ってきた頭でそんなことを考えた。
「新藤君」
「だから何すか」
「新藤君って部活何やってるんだっけ」
「……バスケです」
「そっか」
「はい」
「これからも頑張ってね」
「もう引退しましたけど」
「そうだったね」
「はい」
「…………」
「…………」
(これ前言わなかったっけ)
それからも、猫村さんは、あまり長く続かない、とぎれとぎれのぎこちない会話を繰り返した。微妙な話題を選んで俺にそれを投げかけるけれど、彼女の言葉の端々に現れる微妙な緊張のせいで、そのいずれもが尻切れトンボに、短く終わった。
会話が終わり、気まずい間が俺たちの間に訪れるたびに、必死になって話題を探し、それを間髪入れず俺に投げかける。そんな必死の努力を、猫村さんは何回も繰り返した。
俺は内心、猫村さんが急に饒舌に(だいぶ不格好な饒舌だけれど)なったことを怪しく思って、あまり真面目に返事をせず、彼女の様子や振る舞いを観察していた。
そしてそのうちに、ある一つのアイデアに思い至ったのだ。
(あ、もしかしてコレ、さっきのこと触れられないようにしてる!?)
俺はここにきて、猫村さんという人は、話す内容はとても知的で、かつ教養深くて興味深いものの、普段はどちらかと言うと、ちょっと相当に寡黙な方だということを思い出した。
(話の流れ変えようとしてこうなってるのか!? 下手かよ!! 話の逸らし方が!)
そのことを踏まえて、そろそろしどろもどろになりかけて焦っている彼女を見るていると、次第に俺の心の中に、親しみや、親近感のような感情が芽生え始めた。
あの猫村さんにも弱点はあったのだ。これは俺にとって、新鮮な驚きだった。おれはその感情が消えないうちに、わざと、しばらくの沈黙の時間を作った。
そして充分に時間を取った後に、親愛の気持ちを込めて猫村さんに話しかけた。
「猫村さん」
「何?」
猫村さんは勢いよく俺の方を見上げた。猫村さんは必死でいつも通りに振舞おうとしたみたいだけれど、無理をしているのは明白だった。
俺は顔を近づけ、嗜虐心と友愛の情の両方を込めて、猫村さんの耳元で優しく囁いた……。

「猫村さんって、やばいんすね、性欲」




19/08/03 09:21更新 / マモナクション
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■作者メッセージ
8月3日修正 長かったので、分割しました

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