連載小説
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猫村さんと俺のお昼から午後にかけて@
猫村さん

 人間界に渡航した最初の魔物娘たちは、避妊具を使っていた。
 これは人間界への渡航初期組に関する逸話の中ではけっこう有名な方で、俺も今でも時折耳にする。彼女たちは、2004年にこの世界にやってきた。これは、俺が小学二年生に進級するのと同じ年だったから、妙に印象に残っている。もっとも、渡航の事実を知るのはもっと後になってからだが。
俺がこれから語る、俺と俺の恋人の猫村さんとの馴れ初めの(というか、長い時間をかけてようやく関係を持つに至った)物語には、こういった予備知識が必要になるので、ちょっとだけ説明させて頂くところである。


 さて、人間界では、性交の際にゴム製の薄皮が必要になるというのは、魔界側にとっても、事前調査で判明していたところである。郷に入れば郷に従えの精神で彼女たちはそれを実践した。当たり前のことだが、彼女たちは魔物娘であるので、当然必要な避妊具の量は多くなるのだ。その量たるや、恐ろしいことに、多い時には丸々三箱以上を一晩の後に使い切ってしまうことも珍しくなかったそうなのである。こっちでさっさと恋人を作ってヤることをヤり始めた魔物娘は、一晩当たり一体どれくらいが必要になるかを、さっそく自分の同期渡航メンバーたちに伝えた。
 今と違って魔物娘の数も少なく、また構成人数が小さいがゆえに強い結束を持つネットワークだったから、その情報は恐るべき速度で伝搬していった。必然的にその情報は、俺の今の恋人である、当時13歳だった猫村さんの三角形の猫耳にも伝わることとなったのだ。
しかし、彼女と知り合ってか6か月が経ったあの日、猫村さんのバッグから、あの妙に生々しいピンク色をしたコンドームが、大量にずるりずるりと引き出されてきたのを見た時は、さすがの俺でもドン引きだった。


 魔物娘の転送が始まってから10年目、2014年の春、三月初旬。その時の俺は高校を卒業したばかりで、五月の末の誕生日に18歳になったところだった。
一方の猫村さんは当時23歳で街の中心部のあるオフィスに会計係として勤めていた。ちょうどそのころ、俺と猫村さんは互いに知り合ってから半年以上が経過していた。このころまでに、俺と猫村さんはまあまあ仲良くなっていた。
『今、時間大丈夫っすか』
『何』
『お昼食いに行きましょう』
スタンプ
『あと10分で昼休みだから待って』
『はい』
 最初に、父親と大喧嘩して家を飛び出し、行くところも所持金も無く、小雨の中で惨めに震えていた少年と、その少年を拾って自宅に招き上げた釣り目の美女は、そう、それぐらいには、まあまあ仲良くなっていたのだ。
それは、今やどちらかがラインでそっけなく食事に誘えば、もう片方はすぐさま短い返信でそれに応じるような程度の仲のよさだった。


 道路の端に春の嵐が運ぶ雨が集められ、水溜まりをしていたその日、俺と猫村さんは、俺が進学することになっている大学の、学生食堂にしてはちょっと相当にインテリアに凝った西洋料理屋で一緒に昼ご飯を食べていた。そのお店は、屋外に道路に面する形でパラソル付きのテーブルを出していて、俺たちはそこに座ってそれぞれが注文したメニューを味わっていた。
「ふーん、普通に美味しいじゃん。安いし」
「あざっす」
「いいとこ見つけたね」
「そこの大学の食堂なんすよ」
「そうなんだ」
「ほら、学生風の人結構多いでしょ」
「あー、確かに。言われてみればそんな感じだ」
 俺は道路を挟んで立つ大きな大学の校舎を指さした。猫村さんはそれをちらりと一瞥すると、すぐに黙々とご飯を食べ始めた。
まだ付き合ってもいなかった二人は、道路を行き交う車や人を横目に見ながら、それぞれの料理を頬張っていた。
「今日はどうしてお昼に誘ってくれたの?」
「えっと、受験勉強のお礼が言いたかったからっす」
 俺が頼んだのは日替わりパスタランチで、猫村さんは白身魚のフライとお味噌汁とサラダだった。
「結構作文とか見てくれたじゃないですか」
「ああ、そういえばやったね、作文。最初はひどいもんだったな」
「猫村さんの採点が厳しすぎるんすよ」
 意外に清潔に保たれていてた屋外の広い傘のついた机は、汚れなんかはほとんど気にならなかった。
「『自由』作文だからって、的外れなことばかり書いてたからだよ。もっと出題者の意図を読みなさい」
「おかげ様で、英語やらなんやらの得点源に出来ました」
「そりゃよかった」
 机が清潔であったおかげで俺たちは、冬の寒さに疲れた体を温めるような温かい春の日差しをはみ出た背中に感じながら、料理を味わうことが出来た。
「というか、お礼も何も、この前合格祝いでお寿司屋さんに連れてってあげたよね」
「ああ、あの回らないやつ。超美味しかったです」
「今日は、この後焼肉にでも連れてってくれるのかしら」
「あー、それはまた必ず返すから、ちょっとだけ待って欲しいっす」
「いいよ別に。合格祝いだし。言ってみただけ」
「いえ、必ず返します」
「いいってば」
「いや、返します。っていうか、返させてください」
「そこまで言うなら……新藤君はまじめだな」
 俺たちは、そんな風にして、他愛もないことを喋りあった。猫村さんと話していると、時間の流れがゆっくりになっているような気がしたものだ。
しかし、俺たちの話す内容は、こんなことばかりではなかった。猫村さんと話す内容はいつも多岐に渡った。それは、猫村さんが様々な学術的分野を超えた深く広い知識の持ち主だったからである。その広大さ、奥深さにおれはいつも感心させられっぱなしだった。
 またそんなわけだから、俺の方も、勉強の中で感じた諸々の疑問や質問を猫村さんにぶつけていたから、これは話が広がるというのも当たり前のことだったのだろう。
 猫村さんは俺と年が近く、感覚も似ていた。しかし一方で、たった五つしか年は違わなくても、やはり若い俺にとってはその差は大きなものであり、まだ高校を卒業したばかりで、大学入学をも済ましていない俺にとっては、社会人の彼女の話はとて含蓄の深いものだった。
 猫村さんは、そう言った話をするたびに
「まだ私もまだ社会人3年目だから、あんまり偉そうなことは言えないけど」
と毎回のように断りを入れたが、彼女の落ち着いた物腰と、博識ぶり、驚くほどの教養の深さが合わさったおかげで、知り合って数か月と経たないうちに彼女は、俺の、数少ない自分にとって尊敬できる大人のうちの一人になっていたのだ。
 俺の覚えている限りでは、柳眉で、目元の涼しいショートカットのこの美人は、この日
赤いネイルをつけていた。猫村さんは、美しい箸遣いでフライから小骨を抜き出し、丁寧に身をほぐしたかと思うと、見る見るうちに平らげてしまった。唇が油を被ってぬらぬらと怪しいを放っていたことを今でも覚えている
フライの最後の一片を口に放り込む時、彼女は小さく舌なめずりをした。俺は思わずパスタをかっ込んでいたでいた手を止め、そのごくささやかな、なまめかしい仕草に見入ってしまった。
猫村さんは、その細見からは想像できず意外にも、脂っこいものが大好物だったのだ。
 俺が息を飲んで見つめていたのが伝わったのか、彼女は顔を上げて言った。
「あ、今のはしたないよね、失礼」
「えっ、どこっすか」
「いや、舌なめずり」
「ああ……」
「ときどきやっちゃうんだよね」
「まあ、大丈夫じゃないんですか。別に、そんくらいなら」
「そっか」
 そうして猫村さんは、口の中に残った油っ気を流してしまおうと思ったのだろうか、今度はお味噌汁の椀を手に取った。
一口すすろうかというところで、やはりまだ間抜け面で彼女のことを見ている俺のことが目に入ったようで、彼女はちょっと怪訝そうな顔をしながら
「パスタ、冷めるよ」
と手の甲で俺の皿を示した。
「あ、ハイ」
 “指し箸”をしないのはさすがだと思った。
 俺は、今度は努めて猫村さんの方を見ないようにしながら、すぐにフォークに面を巻き始めた。スプーンを使わなかったから、あまり音はしなかった。猫村さんも、あまり大きな音を立てて汁を吸わなかった。
 それからも俺たちは食事の間中、哲学の話とか、歴史の話とかをした。
食事中もこんなややこしい話をしているなんて、なんだか、ちょっとした学者気分になれた。そして俺は、猫村さんとの対話で生まれる、そういった空気がかなり気に入っていた。
 とにかく、猫村さんとは、そういう、話しているだけでこっちも頭がよくなったような錯覚を起こさせる、不思議な雰囲気のミステリアス美女だったのだ。
だからこそ、この後猫村さんの鞄から出てきたものは、あまりに彼女のイメージとミスマッチで芯から驚かされたわけだけれども……。




19/08/03 09:05更新 / マモナクション
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■作者メッセージ
大学近くのご飯どころって、いいですよね。安いし、おおいし、所によってはけっこう美味しいし。
2019 8月3日修正 長かったので分割させていただきました

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