読切小説
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よっぽどの馬鹿と変な人
『・・・ただいま』

帰りに本屋に寄っていたせいですっかり暗くなってしまった、そして誰も居ない空間に声を掛ける。
もちろん明るい時間帯であっても、俺以外に誰もいないことには変わりないが・・・
「いってきます」は言わないくせに、何故か「ただいま」だけは口にしてしまう。
着ていたコートを脱いでハンガーに掛け、ついでマフラーを取ろうと首元に手をやり、「ああ、そう言えば・・・」とその手を下げる。


暇つぶしのために、特に目的もないまま近所を歩いていた俺が辿り着いた小さな公園。
ベンチに腰掛け、ぼーとしていた俺の耳に届いた季節的にも場所的にも、そして時節的にもしっくりこないメロディー。
今から数時間前に起きた邂逅。
そんなことを思い出しながら手を洗っていると、ズボンのポケットに突っ込んでいた携帯が振動する。
メール受信の鳴動時間は一秒に設定しているため、未だに振動を続けていることからもそれが電話の着信であることが分かった。
年末の、しかも今年最後の夜に電話を掛けてくる相手に心当たりがなく、一体誰だろうと携帯のディスプレイを確認した俺の動きは止まる。


「涼川 翠」


そこに表示されていたのは、たった今、頭の中に思い出していた相手の名前だった。
自分の性格が原因で、初対面でありながら泣かせてしまった相手。
自分の経験が要因で、初対面でありながら懐かれてしまった相手。
自分の趣味が主因で、初対面でありながら抱きしめてしまった相手。


『で、出たくねー・・・』
別れ際に「折角だから連絡先を教えてください」と言われ、携帯の番号とメールアドレスを教えたのだが、まさかその日の内に電話がくるとは思っていなかった。
「冷静に考えたら会ったばかりの人と連絡先交換するのは怖いので、私の連絡先を削除してください」とか言われたらどうしよう・・・
そうやって携帯片手に唸りながら考えてはみたが、もしそうだとしても違うとしても無視するわけにはいかず、勇気を出して通話ボタンを押す。


『・・・も、もしもし?』

『ひっく、ひっ、いっ...なっ、なんでぇっ、出てくれないんですかっ?』


電話先の相手は、泣いていた。


『お、おい!何で泣いてんだよ!?』
と、聞いてはみたものの「何で」なんて理由は最初の一言で分かっているわけで。
『だっ、だって、..ひっ、全然っ、出てくれないから、ひぐっ..』

『わ、悪い。出ようか出まいか迷ってた・・・』
公園で別れた時は仲良くなれたと思っていたのに、またしても泣かせてしまった。
掛かってきた電話を出るのにあれだけ勇気が必要だったのだから、掛けた方はもっと勇気を出したのだろう。
公園でのやり取りを思い出す限り、彼女が人見知りなのは分かりきっているし・・・

『いっ、ひっく、..やっぱり、迷惑でしたか?』
しかも、電話に出るのが遅れた理由も不安を煽ってしまったらしく、電話の向こうで俯いている姿が容易に想像出来てしまうほど声が小さくなっていた。
別の言い方をした方が良かったと気付いた時には、口から言葉が出てしまった後で、またしても自分の気の回らなさに辟易する。
『いや、そうじゃない!交換した連絡先消してくれって言われるんじゃないかなーって・・・』
何とか誤解を解こうと、出るのが遅れた理由を正確に伝える。


『そんなこと言いませんっ!!!』


そんな俺の言葉に返ってきたのは、咄嗟に耳から携帯を話してしまうほど大きな声だった。
こんな大きな声出るのかよと驚くのと同時に、心配していた事態にならないことが分かり、胸を撫で下ろす。
『ご、ごめん・・・それで、何か用か?』
大声を出したからなのか、俺が電話に出なかった正しい理由が分かったからなのか、彼女の嗚咽は収まっていた。
その様子が分かった俺は、なけなしの勇気を振り絞って相手の真意を探ろうと話を切り出す。



『じ、実は・・・』








『ふ〜ん♪ふふ〜ん♪』

昼過ぎに家を出た時は冬の寒さが体に染み込んできたけれど、それから時間が経ち陽が落ちたにも関わらず、今の方が温かいことに自然と鼻歌が漏れてしまう。
『・・・えへへ』
その「防寒具」に顔を埋めると、今も変わらずとてもいい匂い・・・
う〜ん、安心する匂い?が感じられて、ちょっとだけ顔がニヤけてしまう。
『ちょっと意地悪な人だったけど、でも私のこと怖くないって言ってくれたなー・・・』

公園で出会ったあの人とは、三十分ほど前に出会った公園でお別れをして帰路についた。
進学するために田舎から都会に一人で上京した私と、初めてまともに会話をしてくれた初めての人。
ちょっと空気読めないというか、デリカシーが足りないと言うか、女心が分かってないと言うか・・・
『うー・・・』

その人の事を思い出すと、嬉しいような恥ずかしいような。
・・・少しだけモヤモヤするような。


『マフラー・・・くれるって言ってたけど、やっぱりクリーニングに出して返さないとダメだよね』
十二月の寒さについ、くしゃみが出てしまった私を見かねたあの人は、自分の使っていたマフラーを私の首に巻いてくれた。
大百足の私は体に毒腺があって、特に首元には毒の滲み出る顎肢があるからマフラーなんて巻いたことなかった。
本人は「大したものじゃない」って笑ってたけど、そのマフラーには控えめではあったけれども、有名な海外のブランドのロゴがあしらわれていた。

『社会人・・・だよね。会社の人の話とかしてたし・・・』
あの人は無意識だと思うけど、会ったばかりの私なんかに自分のことを話してくれた。
会社の同僚にもたくさん魔物娘が居るらしくて、・・・例えばアマゾネスとかマンティコアとかアルプとか。
みんな普通の人の形をしていて「綺麗」で「可愛い」くて「明るい」魔物娘。
対する私は、「胸も小さい」し「蟲の体」だし「陰気」な魔物娘。


『同じ魔物娘なのに、何でこんなに差があるのかな・・・』
田舎に居た時から少なからず感じていた他の魔物娘に対する劣等感。
それは上京して、より一層強く感じるようになった。
街を歩いていても、電車に乗っていても、大学にいても・・・


「私みたいなのは、やっぱり寒くてジメッとした洞窟で一人寂しく暮らしてるのがお似合いなのかなぁ・・・」
そんなことを考えながら、ボフッとベットに倒れこむ。
顔を枕に埋めて両手でそれを抱え込み、お臍から下の長い体は意思とは関係なくバタバタといじけている。
こっちには友達もいないし、両親には心配掛けられないから相談も出来ない。
大学はとっくに冬休みに入っているのに、することといったら毎日楽器の練習ばかり。
聞いてくれる人も、褒めてくれる人もいないから少しずつモチベーションが下がってしまって・・・
「このままではいけない!」って思うけど、やっぱり誰の支えも借りずに一人でやっていけるほど、私は強くない。

『うー・・・うー!・・・ううー!!』
近所迷惑にならないように、枕に顔を埋めたまま声を出して、少しだけストレス発散。





『・・・・・・・・・はっぁ...』
でも、一つだけの誤算は家に帰り着いてからもずっと巻いたままだったマフラーが私の顔に押し付けられていたこと。
そして、それから伝わるあの人の匂い。
『はっ...っ..、んっ、はぁっ...』
頭がグルグルする。

ぐるぐるぐるぐる・・・

さっきまで暴れていた下半身は床にべったりとくっ付き、枕を抱きかかえていた両手の内、右手はお臍の辺りへ降りていた。

『・・・っ!!!ダメダメダメダメ!!!』
咄嗟に、自分の変化に気付いて枕から顔を上げる。
・・・正確には、顔に押し付けられていたマフラーから少しでも離れるために。
『こっちで友達が出来るまで、我慢するって決めたんだから!』
それは都会で暮らし初めて一ヶ月くらい経った時に、自分で自分に科した罰。
今にして思えば、何でそれとコレが結びついたのかその時の私を問い質したくなる。

その頃の私は、募る不安やストレスをその行為で紛らわせていた。
バイトもしていない私は大学での授業が終わると、いつも一人で部屋に篭って自慰に耽っていた。
そんなことばかりしていれば元々こんな性格なのに、尚のこと内側に閉じこもるようになってしまった。
ごく稀に大学の同級生から食事やカラオケに誘われても、「用事があるから」の一言で断ってしまう。

・・・勿論用事なんてなくて、家に帰って一人でこうしているだけ。
終わった後に残るのは気だるさと後悔と物足りなさ。


何とか行為を思い留まり、今の気分を振り払うべくお風呂に向かう。
小さな浴室ではあるけれど、何とか湯船に浸かることはできる。
下半身がはみ出してしまうけど・・・

『はぁ〜・・・あったかいー・・・』
湯船に体を沈めていると、さっきまでの厭らしい気分がいくらか落ち着いた。
魔物娘だからこんなに性欲が強いのか、それとも大百足という種族だからなのか。
毎日こうやって自分の欲望と戦って、すっかり長風呂が習慣になってしまった。

『はぁ〜ぁぶくぶくぶくぶく・・・』
大きく息を吐きながら、さっきよりも深く体を沈める。
顔の半分がお湯に沈み、頭についている長い触角の先端もとっくにお湯に浸かっていた。

今年も、今日でもう終わり。
一年を振り返ってみても、楽しい思い出は何も浮かんでこない。
平日はいつも授業授業授業。
休みの日は一人で練習練習練習。

プロの演奏家として成功できるなんて思ってない。
ただ、音楽に・・・楽器に触れていられる仕事に就きたかった。
そのためには何よりも楽器や音楽に対する知識が必要だから、諦めずに奏者を目指した。
そんな私が選んだ楽器は「ヴィオラ」。

ソロで有名な曲も少ないし、ヴァイオリンみたいにオーケストラの花形とも言えないけど、それでもオーケストラには欠かせない縁の下の力持ち。
私もそんな風になりたいという願いも込めて、幼い時から十年以上続けている。
それでも私には奏者の才能はなかったみたいで、長いこと続けているだけの技術も深みもない、ただ楽譜通りの演奏しか出来ない縁の下でいじけているヴィオラ弾き。

『...っ、ふっ、うっ、ふぇぇ...』
百足の体を引き寄せて顔を埋め、外に漏れ出てしまわないように声を殺す。


お風呂でしばらく泣いて落ち着いたけれど、気分は入る前より悪くなっていた。
テーブルの上に置いてある楽器の入ったケースを手で撫でると、それは今の私と同じ様に冷たくて、冷え切ってしまっていた。
ふいに鼻の奥がツンとしてきて、慌ててケースに触れていた手を離すと、髪を拭くために頭に乗せていたタオルが肩に当たって水気を伝えてきた。

『・・・湯冷めしないように髪乾かさなきゃ』
ドライヤーで髪を乾かしながらふと視線を上げると、枕元に畳まれたままのマフラーが目にとまった。
それと同時にドライヤーを持つ手の動きも止まり、さっきからずっと同じところを乾かし続けている。
『・・・っ!!!』
また鼻の奥がツンとしてきて、ブンブン頭を振って気を紛らわせる。
いつの間にか、髪の毛はすっかり乾いていた。

何とか気分を変えようとTVの電源をつけてはみたけれど、年末故にどのチャンネルも特番ばかり。
画面に映るのは「可愛い」か「綺麗」な、人に好かれそうな魔物娘ばかり。
私みたいなあまりにも人とかけ離れた姿の魔物娘は、殆どその姿を見かけない。
別に不特定多数にチヤホヤされたいわけではないけれど、たった一人でいいから私のことを他の人よりも少しだけ贔屓してくれる人。


『あ・・・』

その時。
不貞腐れながらリモコンのボタンを操作している私の目に映ったのは、とても懐かしい光景だった。

「初詣は××神社へ」

私が家族と住んでいた田舎は自然に囲まれていて、初詣は家族や片手で足りるだけの少ない友達と近くの神社に行くのが恒例だった。
こっちに上京して二年が経ったけれど、私は一度も初詣に行くことはなかった。
・・・行く相手がいなかった。

『久しぶりに行ってみたいなぁ・・・』
人ごみは苦手だから年が変わる直前に、夜中に友達と神社に行くのが楽しみだった。
その後、家に帰って家族に新年の挨拶をしてお雑煮を食べて、おせちを食べて。
正月太りに気を付けつつ、コタツの中でついついうとうとしちゃったりして。


『うぅっ、..さみしいよぉっ...』

折角お風呂に入ったのにポロポロ零れる涙のせいで、また顔がぐちゃぐちゃになってしまう。
世界中でたった一人だけ、私だけが一人ぼっちなんじゃないかとか、そんな筈ないのに気持ちはどんどん沈んでしまう。
自分は一人で、誰も傍にいなくて、性格も暗くて、容姿もこんなので。


『来栖、・・小平さん』
その人はこんな私のことを気遣ってくれて、寒くないかって心配してくれた。
お汁粉をご馳走してくれて、マフラーを巻いてくれて、手を握ってくれて、最後には抱きしめてくれた。
今がこんなに寒いのはきっとあの人のせい。
あの人が私に意地悪したから、その意地悪がすごく優しかったから。

いつの間にか手にしていた携帯の画面には一人の名前が表示されていた。
知り合ったばかりの人に甘えるなんて、絶対に迷惑だって思われる。
そもそも電話を掛けても出てもらえないかもしれない。
そうなったら、私は今よりもっと落ち込んでしまう。
勝手に甘えて頼って、その上、自分の期待と違ったら勝手に落ち込んで。



『私って重い女なんだろうなぁ・・・』


「プルルルル・・・」



そんなことを考えながら、右手は勝手に発信ボタンを押してしまっていた。

『・・・』

『・・・・・』

『・・・・・・・』

『・・・・・・・・・・ひっ、うっ、くぅっ...』


やっぱり予想通りの結末に、こちらも勝手に涙が零れる。
『ぅうっ..ぃうっ、ひぐっ...』
零れる涙はそのまま体の上にポタポタ落ちて、それでも携帯を持つ右手が動くことはなくて。
・・・あと、3コールだけ。

「・・プルルル・・」
きっと電話に気付いていないんだ!
今頃、慌てて携帯を手にしているに違いない。
電話に出たら拗ねた態度をとってみようかな?

「・・プルルル」
あの人はきっと少し困った顔をすると思うけど、きっと私の機嫌を直そうとしてくれる。
でも、あの人のそんな態度を見たら、きっと私は笑うのを我慢できなくて。
そんな私にあの人はちょっとだけ怒るけど、でもすぐに笑い返してくれて。



「・・プルルル・・・」
あの人は家に一人でいても何もすることないから散歩してたって言ってたけど、それは私のことを気遣って言ってくれたのかもしれない。
本当は今頃、仲の良い友達と遊んでいるのかもしれない。
・・・もしかしたら、大切な人と大切な時間を過ごしているのかもしれない。
これ以上は本当に迷惑になる。
電話を切ろう。そして、もう一度お風呂に入ってさっぱりしよう。




『..ひっぐ、ううぅ...や、やだよぉ...声、聞きたいよぉ...』
手に持つ機械からは欲している音ではなく、無機質な機械音だけが現実を突きつける。
涙の零れる早さも量も時間に比例して増していく。








『も、もしもし?』
やっと出てくれたその人は、少しおどおどしていた。


『ひっく、ひっ、いっ...なっ、なんでぇっ、出てくれないんですかっ!』
私の口から出たのは「ありがとう」でも「さみしい」でも、ましてや「もしもし」でもなく、私の勝手な期待にすぐに応えてくれなかったことに対する負の感情。
それでも、あの人はそんな私の言葉に怒ることはなく、何で泣いているのかを気にしてきた。
やっぱり、この人は女心が分かってない!
たった今、「なんで出てくれないんですか?」って言ったばかりなのに。


『出ようか出まいか迷ってた・・・』

『っっ!!!』
その言葉を聞いた瞬間に私の体に穴が空いたかと思った。
だって、胸もお腹も頭も何かが突き刺さったかのようにズキズキ痛いから。
手が震えて、今の今まで溢れていた涙も止まって、息を上手く吸えなくて・・・
震える声でつっかえながら本当は聞きたくない、その理由を尋ねた私に返ってきた答え。


『交換した連絡先消してくれって言われるんじゃないかなーって・・・』


『そんなこと言いませんっ!!!』


自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。
でも、だって、今だけは私は悪くないって思ったから。
そんな私の剣幕に気圧されたのか、あの人は謝罪の言葉を口にする。

『ご、ごめん・・・それで、何か用か?』

次いで聞こえたあの人の言葉に私の頭は思考が停止する。
・・・・・・・?
何か用?
用って、それは・・・


「声が聞きたかった」


何て言えるわけがない!!!
真実がどうであれ、今日会ったばかりの人にそんなことを言われて不審に思わないわけがない!
でも、このまま黙っていてもきっと気分を害してしまう・・・
ど、どうしよう・・・

『じ、実は・・・』
そこから先の言葉を言い淀む私を急かすこともせず、黙って待ってくれていることが嬉しくなる反面、居た堪れなさがこみ上げてくる。


「初詣は××神社へ」


『っ!!!は、はつっ、初詣!今から初詣行きませんか!?』
ずっとつけっ放しにしていたTVから聞こえたその言葉に、無意識に反応して口からそんな言葉が飛び出した。
咄嗟に出た言葉に我ながら「良く言った!」と褒めてあげたい。
・・・「今から」という部分を除いて。


『は、初詣?いや、俺でよければ別にいいけど?』

『はへ?・・・ぃ、いいい、いいんですか!?』
でも、そんな私の心配を他所にこの人は簡単に了承してくれた。
完全に意表を突かれた私から出たのは「はい?」でも「え?」でもなく、「はへ?」なんて全然可愛くない言葉と、嫌になるほどどもった確認の言葉。

『どうせ一人で飯食って寝るだけだし』

『で、でも、友達と遊んだりとか、お酒飲んだりとかすんじゃ・・・その、こ、恋人とか・・・』
念のために確認した私に、あの人は「嫌味か?」と嫌そうに答えた。
それから待ち合わせ場所を相談したところ、意外な事実が判明した。
どうやらお互い最寄り駅は同じみたいで、私は駅の北側、あの人は南側に住んでいるらしい。

「三十分後に駅の改札前で」と約束をして電話を切ると、私は早速出かける準備を始める。
クローゼットの中身をひっぱり出して次々に服を宛がい、「あれでもないこれでもない」と吟味する。
そんなことをやっている内に時間は刻一刻と過ぎていき、そろそろ家を出ないといけない時間になっていた。

『こ、これ!これにしよう!』
漸く着ていく服が決まり、鏡の前で最終チェック。
玄関を開けて外気にぶるりと震えてあることを思い出し、すぐに室内に戻る。
次に玄関を開けた私の首元には、あったかいマフラーが巻かれていた。





『さ、さみぃ・・・すげぇ、さみぃ・・・』
突然掛かってきた彼女から電話は、初詣のお誘いだった。
まさか知り合ったばかりの女の子と初詣に行くことになるとは思ってもみなかったが、可愛い女の子からお誘いならむしろ好ましい。
電話では三十分後に待ち合わせを約束したが、気が逸ってしまい、あの後すぐ家を出た俺は約束の二十分前からそこに居た。
駅前にある自動販売機でホットのお茶を買ったがすぐに飲み終わり、温かくなった体もどんどん冷え込んでしまう。
この辺は二十四時間営業のカフェやファミレスもなく、運が悪い事に近くのコンビニも改装中だった。
『ま、あと十分だしな』
寒さに耐えて星空を見ているだけではあったが、それでも時間は流れて行き、待ち合わせまであと十分を切っていた。




『お、おせぇ・・・』
それから時間は五分経ち、十分経ち・・・
更に十五分が過ぎ、約束の時間を過ぎていた。
『ま、女の子は準備に時間が掛かるって言うしな』
今頃は駅に向かって必死に走っているところだろう。
その一生懸命な姿を想像すると自然と笑いがこみ上げてくる。
『大げさに寒がってやろうかな?・・・いや、止めよう。絶対泣く』
からかいがいのある相手ではあるけれど、如何せん泣き虫な彼女はすぐに涙を流す。
そこが可愛くもあり、厄介でもあり、何とかしてあげたくなる。

『・・・さすがに遅い、か?』
彼女の慌てる姿や申し訳なさそうに泣く顔を想像して一人ニヤついていたが、ふと携帯で時間を確認すると約束の時間を三十分過ぎていた。
今更ではあるが、彼女の性格からして遅れることが分かった時点で何かしらの連絡を入れるだろうし。
・・・もしかして、何かトラブルに巻き込まれたのか?

『取り合えず、電話するか・・・』
ただ準備に時間が掛かっているのであれば問題ないが、・・・いや、約束の時間をすっぽかした時点で問題あるのだが、それは置いといて。
時間的にもすっかり夜更けだし、年末ということもあって酔っ払いに絡まれたりしていないだろうかと不安が募り始める。
そんなことを考え始めたら、ただ待っていることが出来なくなり、彼女に電話を掛ける。

「プルルル・・・」
携帯は普通に繋がった。
一先ず、究極的な最悪の事態はないことが分かり少しだけ安心する。
『さっさと出てくれよ〜・・・』
あとは、直接本人が応答してくれればそれで解決。

「プルルル・・・プルルル・・・プルルル・・・」
しかし、無常にもコール音だけが耳に届き、あのオドオドした声が聞こえてこない。
『ま、マジかよ・・・』
電話の呼び出しに気付いていないだけなのか、それとも・・・電話に出ることが出来ない状況なのか。
これなら断られることが分かっていても家まで迎えに行くべきだった。
後悔先に立たずとは正にこのことだと実感する。
それでも彼女の家の場所が分かるでもない俺は、ただ彼女が電話に出てくれることを信じて待つしかなかった。



『...は、はぃ...もしも..し?』
そして俺の願いは天に受け入れられ、10コール以上して漸く待ち焦がれた声が俺の耳に届いた。
『・・・よお、今どこにいるんだ?』
その声を聞いた瞬間に俺は彼女がどういう状況にあるのかすぐに分かった。
だってこれは、今日だけでもう何度も聞いた声だったから。



『ぅうっ..ご、ごめんなさぃっ...ひぐっ..いぅ...』
彼女は、またしても泣いていた。
『・・・ったく、家まで迎えに行くから場所教えろ』
泣いている理由は分からなかったが、どうやらトラブルに巻き込まれて泣いているわけではないようだった。
だって、彼女の後ろでTVの音声が響いていたから・・・。




『ったく!何やってんだよ・・・』
その後、電話で彼女の住んでいるマンションの場所を教えてもらい無事に部屋へ到着した。
インターホンを鳴らすと、部屋の中から目を真っ赤にして泣きじゃくる彼女が顔を覗かせ俺を招きいれてくれた。
『さ、ひっぐ、最初っ、は、ひっ、..ぃ、行こうと、お、思ったん、...うぇ、です...』
嗚咽交じりで半分くらいしか聞き取れなかったが、それでも彼女の言っていることに嘘がないことは分かった。
その証拠に彼女の今の服装は外を出歩いても寒さを凌げる、むしろ室内では厚着が過ぎるほど防寒対策がされていたからだ。

『で、でもっ、いぅ..え、エレベーターのっ、前まで、んぅっ..、行ったところで、ぅうっ、やっぱり、め、迷惑、だったんじゃないかって..』
部屋の真ん中に置いてあるテーブルに両手を置き、その上に顔を伏せ彼女はひらすら泣き続けた。
どこにそれだけの涙が溜まっているのかという疑問と、マイナス思考にも程があるだろうという呆れと、手の掛かる子を相手している親の顔した俺に気付くこともなく。
ふと部屋の時計を見ると、時刻は十一時を少し過ぎたところだった。



『手、出してみ?』

『ふぇ?』
このままでは埒が明かないと思った俺は、未だにぐずり続ける彼女に声を掛ける。
顔を上げた彼女は最初こそ状況が飲み込めないようだったけれど、俺が真剣な顔で待っていることに気付くと、ソロソロと手を伸ばしてきた。
それを確認すると俺はポケットに突っ込んでいた自分の手も引き出し、彼女の手の上にホッカイロを乗せる。

『行くんだろ?初詣にさ』
夜中の厳しい寒さを予想していた俺は、公園に行った時と同じようにコートのポケットにホッカイロを忍ばせていたのだ。
一つは俺が温まる用。
もう一つは、寒がりな女の子がくしゃみをして顔を赤くしない用。
くしゃみをして恥ずかしそうな顔をするのも可愛いのだが、女の子に寒い思いをさせるわけにはいかないと思いそこは我慢。

『ぉ、怒って、...ないんですか?』
俺から渡されたホッカイロを見つめながら、彼女は小さな声でそう質問してきた。
顔はまたも伏せてしまったけれど、どうやら洪水のような涙は止まったみたいで少しだけ安心する。
『怒るも何も、駄目な子ほど可愛いって言うだろ?』
嘘を吐く必要もなく、思ったままを彼女に伝える。
正直、この状況に呆れはしたが、それも含めての彼女だなと素直に納得できた。

『駄目な子...ですか?』
彼女の問いに答えた俺の「駄目な子」という部分が引っかかっているらしく、控えめながらも確認してくる。
まさか自分が駄目な子じゃないと思っているわけではないだろうが、さすがに嫌なのか?
だが、ここで甘やかすわけにはいかないと俺の父性が訴えたが、結局は甘やかすよう声で「駄目な子だよ」と笑い掛けるに留まった。

『か、...可愛い、...ですか?』
気のせいか、少しだけ彼女の体が俺に擦り寄ってくる。
まるで怒られた犬がご主人様の機嫌を伺う様な感じで、目を合わせることはないが体を擦り付けて許しを請うような態度。
『本当に、...か、可愛い...ですか?』
そんなちゃっかりした態度についつい苦笑してしまうと、今度はしっかり体を摺り寄せてきた。
しかも、涙の溜まった上目遣いのオマケつき。
きつく抱きしめたい欲求にかられたが、何とか行動に移さず思い留まることに成功する。
彼女からしたら、抱きしめてもらった方が嬉しいのだろうが、まだ少しだけ早い。

『可愛いよ、すっごく可愛い、可愛い可愛い可愛い!』
抱きしめない代わりに彼女の頭に手を置き、触覚ごと頭を撫でながら勢いに任せて「可愛い」を連呼する。
半分は本心、もう半分は俺の照れ隠し。
まさか、たった数時間一緒にいた相手にこうも簡単に篭絡されるとは思ってもみなかった。
『うー!そんな言い方されても信じられませんっ!・・・量より質、です!』
しかし、言われた本人は納得できないのか信用できないのか俺の発言に注文をつけてくる。

『やっぱり待ってください!りょ、量も大事です!』
だが、すぐに前言を撤回すると「量」と「質」の両方を欲する。
まったく、本当にちゃっかりしてるな。
そんな彼女に笑いがこみ上げ、俺はそのまま彼女の横に移動すると公園の時と同じ様にゆっくりと優しく抱きしめる。


『・・・大好きだよ』


な、何でそうなる!?おい、俺!何で今、そんなこと言った!?
何故かさっきまで口にしていた「可愛い」ではなく、「好き」という言葉が自分の口から飛び出し、俺の体から熱が失われていく。
自分で自分の発言についていけず、あたふたとしていると、抱きしめていた相手が力を込めて手を回してきた。


『も、もっかい!よく、聞こえませんでしたので、もう一回お願いしますっ!』

彼女は俺の胸に顔を埋めると、俺の背に手を回して抱きついてくると最初に「量」を求めた。
『え、いや、何と言うか・・・』
しかし、いろんな意味でこんなことになるとは思っていなかった俺は言葉に詰ってしまう。
その間も俺の胸元からは「一回だけ」だの「少しでいい」だの「お願いします」だの、俺の知っている彼女とは思えないほど積極的だった。

『・・・す、好き・・・だ』
そんな彼女のお願いに折れ、彼女にだけ聞こえる声で小さくそう告げた。
言われた本人は体を震わせ、俺の胸にぐりぐりと顔を擦り付けている。
仕舞いには軽く頭突きまでしてくる始末。
だが、その言葉を口にした俺は顔が真っ赤になって体には汗が滲んでいた。

恥ずかしい・・・これはすごく恥ずかしい・・・
恋人同士ってのはこんなことを四六時中口にするのかと思うと、その心の強さに平伏したくなる。
何はともあれ彼女の機嫌も治ったことだし、これで初詣に行けるなと俺は安心する。
しかし、今まで俺の胸に可愛い頭突きを喰らわせていた彼女が急に顔を上げるとニンマリ笑っていた。

『ぉ、おかわりくださいっ』

『ちょ、ちょっと待て!一回って言ったろ!?』
信じられない彼女の「おかわり」発言に俺の声が裏返る。
さっき自分で「一回だけ」と言ったくせに、早々とその言葉を反故にするとは思わなかった。

『だ、だって、今のは「好き」ですよね?さっきは「大好き」でした!』
どうやら「量」の次は「質」を重視しているらしい。
だが、そんなこと子どもみたいなことを真剣な顔でのたまう彼女に、「屁理屈捏ねるな!」と社会人として躾ける。
そんな俺を彼女は「ぐぬぬぬ」と言いたそうな顔で見つめ、一歩も引こうとしない。
そう言えば、帰りの本屋でチラ読みした魔物娘図鑑の大百足の頁に、「獲物に対する偏執的なまでの愛情と執着」とかなんとか書いてあったけ。
直後に店員から立ち読みを注意されたから詳しくは読めなかったけど・・・
つまり、このままでいても彼女が諦めることはないということだなと理解した俺は、一度大きく溜息を吐くと覚悟を決める。


『・・・だ、だぃ、・・好き、だっ』


『〜〜〜〜〜っ!!!』


勇気と声を振り絞り、羞恥と面目を投げ捨て彼女の望みに答える。
彼女は声にならない声で唸りながら、興奮したようにさっきよりも強い力で俺の胸に頭突きをかましてくる。
ああ、これが世に言うバカップルかと納得すると同時に、体からどっと力が抜けていく。
まるで終電近くまで残業して帰った時のような、年甲斐もなく友人とオールで酒を飲んだ時のような・・・

『は、初詣・・・行くんだろ?』
力の入らない体に鞭打って、何とかその言葉を彼女に伝える。
そんな俺とは反対に、彼女の手には力が込められたまま顔だけを俺に向けると微笑んだ。



『私も、大好きです』



『あ・・・あぅ・・・』
俺の顔を覗きこんでくる彼女の瞳には、間抜けな顔をした男が映りこんでいた。
そいつは口をパクパク動かしているだけで、ただただ彼女のことをずっと見つめている。
それが自分だということに気付き、続いて彼女の口から出てきた言葉が俺の頭の中を埋めていく。


『もう少しだけ、こうしてましょ?大丈夫です、初詣は逃げませんから』


俺の背に回された彼女の手は温かくて、伝わる体温はもっと温かくて。
知り合って一日の俺が言うのも何だが、彼女はとても嬉しそうな顔をしてくれていた。
今日だけで何度も見た泣き顔も可愛いが、今の顔はもっともっと素敵で、彼女のそばでずっと見ていたいと俺は強く願った。




俺はこのことを一生忘れない。

14/03/12 21:05更新 / みな犬

■作者メッセージ
大百足さんシリーズ5作目!そして、残り95本!
ううう、年末年始のスパークが嘘のように筆が進まない。。。
それと、ちょっとこれ連載物にするかもしれません。
いや、需要があればですが・・・

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございます!!!

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