連載小説
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社会
 木のペダルをぐっと踏み込む。ロープとクランクを介し、重く分厚い砥石車が回る。足にかかる負荷に耐えながら何度も繰り返し、回転を速くしていく。
 速度が乗ったところで、手にした剣を押し当てた。角度が重要だ。刃と砥石が擦れて火花が散り、研磨されていく。慣れた作業ではあるが、余計な部分を削らぬよう注意しなくてはならない。

 小屋の外は酷い雨で、そのせいか飼っている鶏たちも静かだった。砥石車の立てる音だけが、激しい雨音に混じっている。
 研ぎ終わった剣を掲げ、ランプの明かりに近づける。刃はカミソリのように鋭く、油を塗ったかのような光沢があった。十字形の鍔には神話由来の装飾が施され、幅広の剣身には祈りの言葉が彫られている。

 高価な品ではあるが、貴族や騎士ならこんな剣は持ちたがらない。これは小屋の中にある他の道具類……ハサミだのデカい車輪だの、ノコギリだのと同じ類のもので、騎士が己の名誉を守るために振るう武器ではない。その証拠に、この剣には切先が無いのだ。

 ふと、雨音に別の音が混じった。母屋の戸を叩く音に、女の声。それも複数。

 鞘に納めた剣を置き、小屋の戸を僅かに開けた。母屋に集まっているのは小柄な一団だった。8人ほどか。鎧の上に青と白のサーコートを着て帯剣しており、中にはうずくまっている者もいる。

「誰か! 誰かいませんか⁉ 怪我人がいるんです!」

 先頭に立つ女……というより、女の子が、必死な声でノックを続けていた。おそらく、教団の聖騎士候補生たちか。
 私は本来、自分の仕事を除いて他人と関わらない身分だ。市の要職にも関わらず、こんな山の中に住まなくてはならない。しかしああいう身分のある相手に対して居留守を使ったと知れては、それはそれで面倒なことになる。助けてやればせいぜい罵倒されるくらいで済む。慣れっこだ。

「何事ですか?」

 小屋を出て呼びかけると、一団は一斉にこちらを見た。

「突然押しかけ申し訳ありません! 山賊に襲われて、怪我人が……!」

 先頭の少女が、雨音にかき消されぬよう大声で叫び……そのまま地面へ倒れ込んだ。

「隊長!?」
「隊長!」

 駆け寄る仲間たちもまた、女だった。何にせよ、もう放っておくわけにはいかない。

「中へ! 私は医術の心得があります!」

 私は母屋の鍵を開け、彼女たちを中へ案内した。女性が訪ねてくることなどまず無いが、ランプに火を灯してその辺りへ座らせた。
 兜を脱ぐと、全員が少女だった。詳しい話を聞くとやはり聖騎士候補生で、山中で行軍訓練をしていたらしい。道を間違えて引き返そうとしたところを山賊に襲われ、撃退したものの負傷者を出した上、完全に遭難してしまったという。彼女らは訓練のためとはいえ動きにくい甲冑姿だし、山賊は地の利を味方につけてあらゆる卑劣な手を使ってくる。犠牲を出さなかっただけ大したものだ。

 怪我人は隊長ともう1人で、鎧の隙間に毒矢が刺さったようだ。症状からして、使われたのはこの辺りの猟師も使う毒草。本来なら人間も殺せるが、山賊どもは女相手だと効き目を弱くしたものを使い、生け捕りにして売り飛ばす。だから命を落とすことはなさそうだ。
 怪我は自分たちで応急処置をしていたので、私は解毒剤を煎じた。副業ではあるが医者の仕事をすることもあるし、何なら本業の方より好きなくらいだ。

 できた薬を水で冷まして飲ませ、食料庫からリンゴとチーズを出してきてやった。少女たちは礼を言って、大喜びで食べ始める。よほど空腹だったのだろう。


 それから少しすると、苦しそうに息をしていた怪我人たちがようやく落ち着いてきた。替えの包帯を取ってくると、隊長の少女が起き上がって、丁寧に頭を下げてきた。

「本当にありがとうございます。わたしは……」

 言いかけて、彼女の足元がふらつく。他の仲間が慌てて支えた。

「もう少し横になっていた方が良いでしょう」

 私がそう言うと、彼女は「すみません」と照れ臭そうに笑い、床に敷いた毛皮に横たわった。
 年頃はせいぜい10代後半だろうか。くりくりとした目の、少し童顔だが美しい、可憐な顔立ちだった。セミロングにした栗色の髪も艶があり、どことなく育ちの良さを感じる。今着ているガンビスン(鎧の下に着る緩衝材入りの服)には家名が刺繍されていた。確か代々優秀な騎士を輩出している家で、先祖がかつてドラゴンを殺したとか。

「わたしは聖騎士候補生の、エルミーナ・ド・ピエーリエンスと申します。貴方のお名前とご職業をお聞かせ願えますか?」

 澄んだ声で尋ねられた。青く清らかな瞳が、どうにも直視し難い。

「……もう少しすれば歩けるようになるでしょう。この家の裏手側を進むと川に行き着きます」

 目を逸らしながら告げる。そう、早めに出て行ってもらうべきだ。彼女らが嫌な思いをする前に。

「下流へ進めば炭焼き職人たちのキャンプへ辿り着けるはずです。彼らに頼めば町まで送ってもらえるでしょう」
「ありがとうございます。あの、お名前とご職業を……」
「それはご勘弁を願います」

 私は彼女の言葉を遮った。他の騎士候補生たちは怪訝な眼差しでこちらを見ている。

「後ろめたいことはありません。私の仕事は法により命じられたものですが、それを聞いた方が嫌な思いをなさるのが辛いのです」
「いいえ。恩人のご職業を聞いて、不快になるはずありません。どうかお聞かせください」

 毛皮の上で身を起こし、少女は私をまっすぐに見た。女だてらに騎士道を叩き込まれたのだろうか、柔和な印象に反して芯が強いと見える。

 ……誤魔化すのは無理か。

「……ラウル・クロムソン。死刑執行人です」

 告げた瞬間、場の空気が変わったのを感じた。青ざめる者、少し後ずさる者……慣れているとはいえ、嫌になる。彼女らが志しているのは背信者や魔物と戦う聖騎士だろうに、俺程度の者の何がそんなに不気味なのか。好きで処刑人の家に生まれたわけでもないのに。

 しかし。冷えた空気の中で、一人だけ目を輝かせる少女がいた。

「わあ、処刑人の方には初めてお会いしました。よろしければお仕事のお話を聞かせていただけますか?」
「は……?」

 思わず感情が声に出てしまった。「は?」としか言えない。場の空気がまた変わり、他の少女たちは明らかにエルミーナ嬢の言葉に引いていた。普通はそうだ。
 だが、彼女の目は本気のようだった。

「皆さんは……私のような者とは関わらない方が……」
「いえ、見聞を深めなくてはなりません。お仕事で使う道具などはあるのでしょうか?」

 ……どう反応すべきか、分からなかった。私の素性を知りながら明るく接してくる女性など、同じ処刑人の家の娘くらいだった。ましてや、仕事について知りたいなどと。
 だが逆に、興味も湧いた。この純粋な瞳の少女に、罪人を惨殺する穢れた道具を見せたら、どう思うのかと。

「……では、ご覧になりますか」

 半ばヤケになり、彼女を道具小屋へ案内することにした。

 雨は少し弱くなっており、雲も薄くなってきていた。そう時間もかからず晴れるだろうから、彼女らの帰りは大丈夫そうだ。
 エルミーナ嬢はまだ少しふらつくようで、仲間2人に肩を貸してもらい、小屋へとついてきた。付き合う羽目になった2人は災難だろうが、「隊長がおっしゃるなら」と付き添っているあたり、エルミーナ嬢は人望があるのだろう。現に彼女が毒の回った体でここまで歩いてこれたのも、仲間を率いる責任感の強さがあったからに違いない。時に精神は肉体の限界を超越するのだ。
 小屋へ入れると、エルミーナ嬢は興味津々に拷問処刑具を見ていた。

「この車輪も処刑に使うのですか?」
「……ええ。罪人の四肢の骨を砕いたあと、これに縛り付け、死ぬまで放置します。親殺しなど、重罪人に対して使います」
「こちらの大きなハサミは?」
「……極めて凶悪な犯罪を重ねた者の処刑に使います。生きたまま少しずつ体を切り刻み、医者に止血させながら時間をかけて殺します」
「そこの鞭は?」
「死に値しない軽犯罪者への罰や、自白させるときに……」

 訊かれるがままに答えるうちに、ふと疑問が浮かんだ。

「公開処刑をご覧になったことは?」
「父に見るなと言われています。身動きのできない人間が殺されるのを見て喜ぶようでは、勇敢な騎士にはなれないと」

 確かにそうかもしれない、と思った。公開処刑の日は貴賎の区別なく大勢の人が見物に来るのだが、彼女ら騎士のためになる事ではないだろう。

「でも、必要なお仕事ですよね。いくら法務官が有罪を言い渡しても、刑を執行する人がいなくては意味ありませんから。そこまで惨くする必要があるのかとは、思いますけど」
「……ええ」

 彼女の言葉に、残酷な処刑を命じられたときの記憶が頭をよぎる。痛めつけてもこちらの良心が痛まないほどの悪党もいた。しかし今彼女が言ったような、ここまでする必要があるのかと思うこともあったし、最後まで無実を訴えていた囚人もいる。そして本当に冤罪で、後から名誉回復が為された者も。
 それでも命令には逆らえない。呪われた仕事なのだ。

「……そちらの剣は?」

 エルミーナ嬢が目を留めたのは、彼女らが来る前に研いでいた剣だった。他の道具類に比べれば、目を引く立派な装飾がされている。

「斬首用です。身分のある方が死に値する罪を犯したときに使います」
「以前に読んだ小説では、斧で首を刎ねていましたけど」
「昔はそうでしたね。斧は重くて手元が狂いやすいので、今では剣が使われます」

 斬首刑は苦痛が少なく、まだ尊厳ある死に方だ。死刑執行人がしくじりさえしなければ。実際のところ、斧ではなく剣が使われるようになってからも、手元が狂い失敗するケースは多い。斧より軽い分技術が必要だし、心を病んで酒に逃げた結果、手の震えが止まらなくなり引退した者もいる。
 剣を抜いて作業台に置いて見せると、彼女は研いだばかりの剣身をじっと見つめた。彫られた祈りの言葉に視線を向け、次いで刃をじっと見ていく。

「切っ先が丸いのですね」
「『突く』という使い方をしませんから」
「この剣なら、罪人に苦痛を与えず殺せるのですか?」
「……もし貴女の首を刎ねるようなことになったら、決して苦しい思いはさせませんよ」

 思わず失礼なことを口走ってしまった。私の仕事に興味を持つ女性、ましてや騎士などに出会ったのは初めてだから、どうにも接し方が分からない。
 だがそんな私に対し、彼女はあくまでも笑顔だった。

「では万一のときには、お願いします。苦痛に悶えてしまっては見苦しいでしょうから」







 ……その後、騎士候補生たちは雨が上がった頃に帰っていった。エルミーナ嬢以外もちゃんとお礼は言ってくれた。

 あの少女は大事に育てられ、理想に燃えているように見えた。まだ社会というものがどれだけ惨くて、どれだけ理不尽かを知らないのだろうと思った。

 自前の処刑人を置ける都市は限られており、一流都市のステータスの1つでもある。しかし我々は郊外に住むことを強いられる。
 処刑の公開日には貴賤の区別なく、多くの人々が見物に駆けつけ、悪人が裁かれることを喜ぶ。しかしそれを執行し、死体を処分する我々は軽蔑される。
 悪人を捕える兵士たち、罰を与える法務官たちは多くの名誉に包まれる。しかしその罰を実際に下す我々は、穢れた職として扱われる。

 処刑人の家に生まれれば他の仕事に就くことは許されず、知識人からの教育も受けられず、結婚も同業者の家同士でしかできない。それでも私の家は代々副業で医者をやっているから、命を助けた人には感謝されている。生かさず殺さず痛めつける刑罰も我らの仕事なので、下手な本職の医者よりも遥かに人体の構造に詳しい。父の患者の1人が私の家庭教師になってくれたし、まだ恵まれている方だ。

 それでも、上級騎士の家に生まれた少女とは住む世界が違う。私にできることはあの良き少女の幸運を祈りつつ、淡々と仕事をこなすことのみだった。彼女は処刑人を侮辱しなかった……そのことをささやかな喜びとして。



 しかし。
 人の社会はどこまでも理不尽だった。


23/11/06 07:33更新 / 空き缶号
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