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まえ

夏も終わりに近づいた頃、とある盆地。
人間の男、オーヴァイスが家を囲むように塩を撒くと、準備が整った。
男の隣には、彼の妻であるワーシープのアリエスも居る。
彼女は金と白の毛に、深紅のラップ・キュロットで身を包んでいた。
夫婦は笑いあい、離れて待つ3人の魔物の元へ駆け足で向かう。

「御主人殿。終わりましたか」
「あぁ。マァも山犬で見張らせたよな?」
「当然です」

男は黒毛のワーウルフである、マーナガルムと警備に確認を取った。
彼女はオーヴァイスと契約して、家の護衛などを担当している。
男と羊と狼は幼馴染であり、お互いを愛し合う仲だった。

「万端かー?」

桃色の髪に茶色の革服を着たリャナンシー、リルウェルが声をかける。
彼女はこの家の住人ではないが、男の家業の相談役だった。
今回の旅の案内役も、彼女である。

「大丈夫。リルに教わった模型結界も張ったよ」
「じゃあ。海へ行こうか」
「いこお!」

オーヴァイスはリルウェンに安心を促した。狼も碧髪の綿毛の子をあやす。
ケサランパサランのセラは、男の新しいビジネス・パートナーである。
相当幼く発想自体は乳幼児と変わらないが、知能は高い。
セラは家でよく可愛がられており、セラ自身も男や羊、狼に良く懐いていた。
男は綿の子を肩車して、結界を張り巡らした実家を見る。

「しばしの別れ、ダンデリオン邸、いってきます」
「いってきまーす」

港町で起こりうる事に期待しながら、5人は家を後にした。


- - - -


「予定外なんだが...」
「...確かにこれは予定外かも」

その日の夕刻。男と羊はかなり疲労していた。
人間と羊の体力はほぼ同じであり、それがお互いを支え合った。
越えるべき山は2つだけで、しかもその間の盆地は狭い。
男も羊も、当初は1日で山々を越えられるだろうと思っていた。
しかし、現状。2つ目の山で野宿する羽目になった。

「いやはや、いい買い物したわぁ」
「あはは」
「リルなんか昼飯食うのに寄った町で骨董市に飛びついたり、
 大事な昼時ほぼ全てかけて重たい壷買って、しかも家に一旦戻っちまうし、
 挙句の果てにその間にセラが強風に煽られて飛んでいくし、
 セラ探してる間に道に迷ったらマァがいきなりアヌビスと啀み合うし、
 リル帰ってくるのやっぱり遅かったし!」
「別にいーじゃないかー。あいつの日取りにはまだ余裕あるんだからさー」
「本当に申し訳ありません。つい本能に負けてしまいました」
「つい負けちまうイヌの本能って何なんだよ...」
「ほんのおに まけたあ!」
「エリー、セラを黙らせておいてくれ」
「はあい」

オーヴァイスが狼と妖精を叱りつける。
そうしているうちに、太陽は完全に沈みきった。
アリエスは一旦男を止め、狼に木の実を探すよう頼んだ。
狼が去ると、彼は再びリルウェルに
そして鞄からサンドウィッチを取り出し、セラとリルに与える。

「子供と案内役は、飢えさせる訳にはいかないよ」

羊は微笑み、美味しそうにエッグ・サンドを頬張るセラの頭を撫でた。
セラは羽織っている薄黄緑の上着にこぼさない様に、慎重に食べていた。
焚き火から火が移らないようにと、羊と共に距離を置いている。

「美味しい?」
「おいしい! ありがとお」
「そう。良かった...あ」

羊は突然髪を耳に掛け、当たりをキョロキョロと見回した。
リャナンシーもそれを察知し、ぱたぱたと羽根を羽ばたかせる。
セラは普段通りで変わった様子は無いが、暇そうに呻いた。
オーヴァイスは彼女たちが危険を察知していることに気付く。
エリーを見つめると、彼女が視線を合わせ手招きする。
リルウェルを引き連れて羊の元に行くと、彼女は声を潜めて言った。

「ヴィス、大勢の人が居るよ」
「山賊だにぇ...あちき1人だけなら逃げ切れるんだけどなー」
「おい嘘だろ。俺達を捨てるなよ?」
「街で何も聞かなかったしさー、新しい賊かなー」
「ふむ。それはまだ嬉しい予想だ」
「たのしいの?」
「楽しくない。面倒事だ」
「マァ呼ぶなら早くね」
「了解」

指を曲げて口に挟み、男は大きく指笛を吹く。
注意して神経を尖らせると、騒々たる木々の擦れる音の間から視線を感じた。
オーヴァイスが一箇所を睨み続けると、やがて古服を着た背の高い男が現れる。
恐らく山賊の長だろう。
遠くから、狼の啼く声が聞こえた。
薄ら笑いを浮かべた男は、手もみして近づく。
男の下げたポーチからは、大きな抜き身の刃物が突き刺さって出ていた。

「ヨォ旦那ァ」
「奪えるような金品は無いぞ」
「別に構いやシネェよ。ただ、チョッチな用があってだナァ」
「言ってみろ」
「それにしてもオ兄サンもそんなに侍らせてヨォ、随分お盛んですネェ」
「どうでもいい。要件は何だ」

オーヴァイスは動じない。
山賊はゆらゆらと大きな弧を描くように、ゆっくりと体を揺らしていた。

「ちょいとネェ、その綿っ子を俺に渡してくれないかナァ?」
「何だ。セラの知り合いか?」
「そうそう。ずっと探してたワケなのヨ。返してくれないか?」
「セラ、回答は?」
「ううん? あのひと? しらないよ?」
「だそうだが」

山賊を睨み付けたまま、オーヴァイスは綿の子どもに質問した。
すると、羊に抱えられているセラは、とても暢気に答える。
山賊はケサランパサランの希少性を知っているのだろう。
恐らく、捕らえて高値で売る心算なのだ。
アリエスは目を閉じて沈黙し、周囲を窺っている。

「にゃははー。振られてやんのー」
「オ嬢チャンは妖精さんかね? ...何ナラ俺ラと一緒に来ようか」
「遠慮しとくさー。この人間のお目付役だからねー」
「ジャア用無しになればイイんだな?」

男は片手を上げ、仲間に出てくるよう合図をした。
その指示通り、草陰から男の大群が出てくる。
青竜刀や大包丁、鎖鎌などの武器をそれぞれ持っていた。
下卑た笑いを浮かべている者が大半で、皆屈強な体をしている。
マジックアイテムの類は持っていないよ、と羊は呟いた。
微かに魔物の気配がするとリャナンシーが付け加える。

「...群れてんなぁ」
「オイオイオイオイィ? 怖気付くのは早すぎるゼェ?」
「エリー、マァは?」
「そろそろ」
「ンンン? アァ、心配すんナ? そのトロそうな羊サンはイラネ」

山賊の頭は抜き身の刃物を取り出し、刃の背で自身の首を叩いた。
アリエスがピクつき、山賊の頭を強く睨む。
彼女は顔を赤らめて、文句を吠えた。

「何それ。私に魅力が無いみたいじゃない」
「イラネーもんはイラネー。金になりそうにないからナァ!」
「それはありがたい」
「ちょっとヴィス!」

旅の一行と山賊達との戦力差は、圧倒的だった。
妖精であるリャナンシーと幼いケサランパサランは、戦えない。
セラに至っては上空に逃がしても、すぐに捕らえられる可能性が高い。
しかし、アリエスやオーヴァイスが彼ら全員の相手をする事も無謀だ。
アリエスは角こそ頑丈だがのんびりした魔物であり、戦いには向かない。
男自身も、真剣での喧嘩を大人数相手には出来ない。
オーヴァイスは時間を稼ぎ、ワーウルフの到着を待つ必要があった。
そんな事情は、山賊に直ぐ見破られる。

「あんたら、ここが猟場なのか」
「そうだナァ! ...お前の死に場所だナァ」
「せめて仲間に入れたらどうだ。役に立つかもしれないぞ」
「そろそろオ話も充分だろウ? この糞野郎を殺せ!」

頭が刃の切っ先を向けると、山賊が四方八方から走り込んだ。
アリエスはセラを、オーヴァイスはリルウェルを背中に隠して一点に集まった。
羊は右腿のバンドに納めていた短刀を取り出す。
気味の悪い数多くの笑い声が迫る。
そんな中、羊に耳打ちされたオーヴァイスは笑顔で高らかに叫ぶ。

「出番だ!」
「どうして御主人殿は! わざわざ敵を! 挑発するんですか!」
「遅いよマァ」
「馬鹿羊ィィィィィィィ!」
「馬鹿って言うな!」

マーナガルムが林からオーヴァイスの前に飛び出し、その一帯の男を蹴散らす。
彼女の脚はアリエスより長く細いが、その頑丈さは桁違いだった。
続き様にオーヴァイスへと向かう山賊を蹴散らし、唸り声を上げる。
右腕に鎖が巻かれる。
腕を強引に振り回して男を引き寄せ、殴り飛ばす。
鎖の先についたクナイを引き千切った。
飛ぶ矢を叩き落とす。
左脛に鉄球が飛んでくる。
狼は右腕の鎖で鉄球を拾い、その勢いを殺さずに仲間討ちさせた。
腿や腹部を狙って飛んでくるナイフは、余った鎖の間で弾き上げる。
マーナガルムは静かに叫ぶ。

「屈めェ!」

その声と同時、オーヴァイスはリャナンシーとセラの頭を抑えて腰を低めた。
狼は巻かれた鎖を回旋させて最大限まで伸ばし、男達を首から薙ぎ倒す。
上に打ち上げていたナイフを次々と掴み、投げ飛ばす。
エアリスを狙う男の急所に刺さった。
遠くから弓引く男の腕を突く。
木の上にいる男の足指を断つ。
鎖で太刀を掠め取り、そのまま男達の頭上に放った。
さくり。ざくり。と地面やその他のものに突き刺さっていく。
この間、約60秒での出来事だった。

「狼女がいやがるとは誤算だッたが、ヤルネェ」

山賊が血を流し、また恐れ慄いて失神している。
しかし山賊の頭領は余裕の顔を崩さない。
その男の横には、大荷物を背負った青年が立っていた。
オーヴァイスと近しい年齢だろう青年は、山賊に見合わない程に端整な顔立ちだった。

「火薬臭いな。貴様が頭領補佐のイヌナキか」
「...オレの名前だ。何処で聞いた?」
「今日知り合ったアヌビスに。シトラって名前らしいが。知っているか?」
「...知らん」
「イヌナキィ、サッサと殺せェ!」

背中に掛けたホルダーから火薬銃器を取り出し、狼を撃つ。
狼はその銃弾をかわし、または鎖で絡め取る。
イヌナキは狼に近づくことを許さず、硝煙を吹き上げ続けた。
次第にその臭いにマーナガルムが顔を歪ませ、舌打ちする。
弾が切れた銃はその場に投げ捨て、即座に新しい銃器を取って乱れ撃つ。
青年も強く舌打ちし、ひどく臭い煙玉を投げてその玉を狙撃する。
泥団子に似た煙玉は爆ぜ、たちまち視界は烟る。

「...っ」

狼の肌に、ぶわっと汗が噴き出た。
オーヴァイスとリルウェルはアリエスの羊毛の中に抱えられ、煙を免れた。
目を凝らし、主人達に向かう鉛玉を弾き返す。
肌に銃弾が触れた直後に体を動かし、最低限の傷で避ける。
彼女のお気に入りであった灰色のワンピースが破れていく。
更に少しずつだが、マーナガルムの肌に弾が擦れた火傷痕ができていった。
一度避けた銃弾が落ちていた武器で跳ね返り、狼の死角を取る。
その跳弾の影を見て、無意識のうちに彼女は笑った。

「えいっ」

狼を庇うように、アリエスの角が跳弾を潰す。

「感謝。エリー」
「これぐらいは聞き分けられるから、あんなのさっさと倒してね」
「判ってる」

山賊も視界が悪い筈だと狼は思った。
光源の焚火には距離があるし、風も吹いている。
少しずつ方向感覚を狂わせるように、狼は鎖で地面を叩いた。
普段発てずに歩く足音も、わざわざ音を出して移動する。
残り少なくなっていく銃器に、焦りを覚えた頭領が笑う。

「オイィ、未だ元気なのかヨォ?」
「外道。狼の体力を嘗めるなよ」
「威勢も充分だナァ。面倒クセェ奴だワ」
「貴様の喉笛。直ぐに噛み千切ってやる」

徐々に煙が晴れていく。
マーナガルムは調子を取り戻しつつ、しかし距離を縮められずにいた。
イヌナキに視界を回復させると、オーヴァイスらを護りきれる自信はなくなる。
狼は左腿に留めている小さなポーチから小刀を取り出す。
重心を傾けて銃弾を避けつつ、飛んでくる方向に投げた。
山賊のくぐもった悲鳴が聞こえ、それから鉛玉の雨が消える。
煙が完全に晴れるまで静寂は続き、狼は再び夜目を働かせることが出来た。
イヌナキの肩から血が溢れだしているようだった。
苦悶の表情を浮かべながらも、安心した顔だった。

「そこにいるワーシープの角を加工したナイフだ。痛いだろう」
「...あぁ。痛いな。参った」
「ならば。お前は許す」

狼は青年から戦意が感じられない事を確認すると、次に盗賊の頭を見る。
汗を流しながらも、未だに余裕を残した表情を浮かべている。
マーナガルムの癇に障った。

「貴様。何がおかしい」
「当ッたり前ダァ! 俺ラのゴシュジンサマを嘗めるんじゃネェ!」
「? 呼んだあ?」

本当にそれは突然だった。
古着の頭領の影から、大人の女性が現れる。
女の存在は、羊も狼も関知できていなかった。
妖精の言った気配とは、彼女の事らしい。
オーヴァイスも驚き、彼女を観察する。
褐色の肌に白銀の長髪。金と緋色の髪飾り。
紫を基調とした、露出度の相当高い衣服。
常に紅潮しているのか、とろけきった猫撫で声。
男は正体をサキュバスと認識しようとしたが、困惑する。
尖った耳と高い鼻は、紛れもなくエルフの特徴と一致していた為だ。

「...ダークエルフか」
「あら正解。お姉さんが褒めてあげるう」
「褒める代わりに、どういう事か説明して貰いたいんだけど」

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つぎ、うしろ

11/02/16 22:18 さかまたオルカ

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