読切小説
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ドンキホーテの道
 ……ぽりん。
 人参スティックは美味しい。
「シャバの味だぜ」
 出所して来たばかりである。
 刑期は、事務的な待ち時間を合わせて一時間。
「はーい、そこのケンタウロスさーん、警察署の入り口の前で立ち止まらない。いい加減にしないと、レッカー移動しますよー」
 ボリッ!
 人参スティクを齧る。噛み付く。
 ぼりぼりぼり……!
 彼女は虫の居所が悪かった。
「みんな、あいつが悪い!」

 あいつとは、彼のことであった。
 彼は、DC (Dwarf & Cyclops)社製のMTBを駆って街中のオフィスを回っては書類を運ぶ、いわゆるメッセンジャーであった。
「おいこら、そこのチャリライダー!」
 まぁ、平たく言えば、そこのケンタウロスの言う通りなのだが。
「だれ?」
「おいッ!」
 華麗にスルーされるケンタウロス。
「さっき、てめぇのせいで速度違反でしょっぴかれた、このケンタウロスを忘れたか!」

 はい、速度違反ね。
 免許を持ってない?
 そりゃそうだ、ケンタウロスだもんなぁ。
 でも、免許が無いと点数引けないなぁ。
 しゃあないから、署まで来てもらおうか。
 即刻連行。

「ああ、あのケン太さん」
「なんじゃその呼び方は!」
「三十キロ規制の所を、八十キロで走ったケン太さんが悪い」
「あそこで勝負しろ、て言ったのはお前だ!」
「勝負しようと言い出したのは君だろうに?」
 それは、単純な速度競争だった。一定の距離を速く駆け抜けた方が勝ち。
 馬が駆けるスピードは時速八十キロに及ぶ事もあると言う。ケンタウロスもそんなものだろうか。そして彼の自転車が安定して速度を出せるのは、せいぜい時速三十キロを越える程度。
 つまらない子供の張り合いに付き合って、怪我をしてもつまらない。
 だから彼女から勝負を吹っかけられた時、彼はその規制された道を指定し、ご丁寧に駐在所の前をトップスピードで通過するように区間設定し、時刻は駐在官が暇そうにして、何かしたくてうずうずしてそうな時間を選んだ。
 そんな彼の策は功を奏し、彼女は三十キロ規制の駐在所の前の道を、丁度時速八十キロに乗せた所で駆け抜けた。そして、机の上で眠そうにしていた駐在の眠気を吹っ飛ばした。
 スクランブル発進した駐在に彼女は呼び止められたが、勝負に高揚した彼女の耳には届かなかった。(馬耳東風)
 そして彼女はその先で"偶然"警邏していたパトカーと遭遇し、背後からポリスケッタマシーンに股がった駐在とで挟撃されて、あえなくその勝負から退場する。
 ちなみにゴール地点は更にその先で、勝負を挑まれた彼はというと、別にそんなものはどうでも良かったが、そっちに届ける荷物があったので、そのラインは越えた。タイムは呆れる程緩慢なものであったが、勝負は成立した。勿論、彼の勝ちである。
 それが、一時間程前の顛末。

「俺は騎士だ! よくもまぁそんな騎士様の輝かしい遍歴に、犯罪歴をしこたま書き加えてくれたな! おかげで俺は、他のケンタウロスからもいい笑い者だ!」
 騎士としての遍歴は兎も角、彼女の犯罪歴は輝かしいものだ。
 道路交通法各種の違反、器物破損、業務上過失傷害罪、弓矢やランスの町中での使用で銃刀法違反、その他諸々。
「よくそんだけ悪事を働いて、よく一時間で警察署から出て来れたな」
「誰のせいじゃあ!?」
「最近ケンタウロスによく絡まれると思ったら、全部君か」
「顔も覚えとらんのか、貴様ァ!」
「いちいち絡んでくるゴロツキケンタウロスの顔なんか、いちいち憶えていられるか」
「なにぃおッ、勝負しろ!」
「ああもう、いいよ」
 何の勝負を挑まれるにせよ、兎に角、彼は一歩下がった。
 一歩下がった先、そこは歩行者専用道だった。
 ちなみに馬は軽車両扱い。
 多分ケンタウロスも軽車両扱い。
「勝つ為の戦場を選ぶのは、戦士としての嗜みだろう?」
「………うっ」
 負けなくてもいい勝負をして、負けてしまった。
 ケンタウロスはがっくり項垂れた。

「ドン・キホーテか?」
 彼女を評して彼はそう言った。
「なんだよ、サンチョ・パンダ」
「それを言うなら、サンチョ・パンサだ」
 パカッ、ポコーン!
「パンダ」
 彼は目の回りに、ご丁寧に両目ともに、綺麗に蹄の丸い跡を付けられた。痩せたパンダに見えなくも無い。
 ………ぽりん。
 ケンタウロスは人参スティックを齧る。
「そうだ、お前、サンチョ・パンサだ。俺の従者になれ!」
「なんで俺が、お前の……!」
 そんな彼の抗議の声を打ち砕くように、ケンタウロスが、まるで激しく嘶くように前脚を振り上げて、石畳を叩いた。
 街中に響きそうな音。
「……痛いだろうなぁ」
「あの、ケン太さん? いったい何処を、何で狙っておいでで?」
 彼が訊ねると、彼女は今一度、蹄を石畳に小気味よく打ち据えて鳴らしてみせた。
 それも、前脚なんかより強力な後ろ脚で。
 そして目線を、彼の股間に定めたまま、にこやかに言う。
「なぁれよ、な?」
 こうして彼は、彼女の従者になった。

 ランスの切っ先に従者となった彼をぶらさげ、ケンタウロスは町を練り歩いた。
「おいこら。従者というものは、獲物の首か?」
 彼は抗議したが、彼女は聞く耳持たない。
 ただ、彼女からすれば、彼をある意味討ち取ったのは変わりが無い。つまり、彼の抗議は、まったく状況を正しく評したものであり、それに対して彼女は口を挟む必要がなかったのである。むしろ、彼からその言葉を引き出した事が、彼女を誇らしくさせた。
 ケンタウロスは意気揚々と、パカポコと道を歩いて行った。


「おい従者、道草を食うな。馬じゃああるまいに」
 そう言いながら彼女は、いつものように人参スティックを齧っていた。
 ……ぽりん。
 彼がそんな彼女の従者にさせられてもう、一ヶ月程経っただろうか。
 いい加減に彼も従者らしく、彼女のあしらい方は心得て来ていた。彼女が怒り狂う限界点を見極めて、それまでは適当にあしらっていた。
「労働者には休日を」
 そう言ってその日の彼は、スケッチブックを広げていた。
「なんだお前、絵描きなのか?」
 そう言って彼女は、彼が色鉛筆を走らせている先を覗き込む。
 そして一言。
「リャナンシーにでも助けてもらえ」
「好きでしている事だ」
「まぁ、絵で人は死なねぇけどな」
「ケン太さんを描かせてくれないか?」
「……お、俺を殺す気か?!」
 彼女は、リャナンシーに救援要請をすべき、とした彼の描いた絵を見ながら言った。
 たぶん、彼の絵が完成した時、彼女は死ぬ。憤死である。
「いやなら、いいけど………ヌードは結構です。公衆の面前で脱がないでください」
「俺、脱ぐと凄いんだぜ」
 騎士様の科白ではない。
「はいはい、わかってますよ」
「わかってねーッ!」
 ぶりぶりするケンタウロスに、彼は溜め息をついた。
 世の中うまく行かない。
「君がケンタウロスじゃなくてリャナンシーなら、どれだけ良かったか」
「悪かったな。馬鹿の鹿抜きで」
「なんだそれ?」
「でも、なんで絵なんだよ。お前みたいなチャリライダーなら、機械いじりだろう?」
「偏見だよ、それ」
 色鉛筆の先が、ぴっと彼女に向けられる。
「頭の中に、吐き出したいものがあるんだよ。なんとなくぼんやりとだけど、イメージがあってな。それをアウトプットする手段が、欲しいんだ」
 もっとも、その手段が一向に上達しないので、彼はそれを半ば諦めつつあったのだが。
 それでも今は、彼はスケッチブックに向かっていた。そして描こうとするもの……というか自分の中のイメージを吐き出すダシに使っている対象と、その二点だけを見ていた。
 彼女は、そんな彼が少し面白くない。

 パカポコポコパカ………。
 ケンタウロスは落ち着きが無い様子で体を揺らしながら、その度に蹄を鳴らしていた。
「ケン太さんも溜まってるようだから、どう?」
「溜まってるって、なンだよそれ!」
 妙な事を想像しているらしいケンタウロスに、溜まったものを吐き出す道具として彼は、スケッチブックと色鉛筆を貸してみた。
「俺の頭の中は、俺は空っぽだ」
 そう言いつつも、ケンタウロスは道を塞ぐのもおかまいなく座り込んだ。
「でも俺、実は花とか好きなんだ」
 言って、地面を見詰め始める。
 見ればアスファルトの割れ目に、西洋タンポポが一輪、風に揺られていた。
 彼は暫し、彼女がスケッチブックの上を色鉛筆を走らせる音を聞きながら、その先から何が出てくるかを見ていた。
 そして彼は、僅かに声を上げてしまっていた。
 感嘆する声だ。
 ケンタウロスが色鉛筆で描いていたのは、植物を媒介にした自分の表現。
 それは植物の形を、正しくとらえようとするスケッチだった。しかしそれだけではなく、その植物の特徴の出し方に、彼女らしさのようなものを香らせていた。特徴を知った上でのアングル、色の乗せ方、ストロークの跳ね具合。描かれたのはごく有り触れたタンポポであったが、それでいてそれは、彼女のタンポポだった。
「凄いな……」
 正直彼には、彼女の背後にリャナンシーが見える、ような気がした。
「えっへへぇ〜」
 彼女はらしくもなく、可愛らしい笑顔を見せた。 
「へ……っ」
 だが、自分が描いたそれを、彼女は破って丸めて、棄ててしまった。
 彼はそれを拾い上げて、もう一度広げて見る。
「もったいない」
「ケンタウロスらしくもない!」
「ケンタウロスらしく、ない、か。なんだよ、それ」
「知るか!」
 当のケンタウロスが、匙を投げていた。
「勿体ないよ。花は好きなんだろ? それなのに……」
 少し羨むような彼に、ケンタウロスは言葉を返して来なかった。

「それよりも、だ!」
 道具を片付ける彼の傍らで、ケンタウロスは喜色に満ちた声を上げていた。
「なぁ、町は俺たちの噂で持ち切りだぜ!」
「そうだろう、そうだろうよ」
 ケンタウロスはご満悦の様子であったが、彼はまるでそうではない。
「そりゃあ、まずはランスにぶらさげられて町を練り歩かれれば、面白くも無いことを言われるだろうよ。俺はすっかり、引き蘢りになっちまいたい気分だ」
 以後、次々と加算される彼女の奇行の数々。
 あれから数日の間に、彼は自分が従者となって仕える主人が、本当にドン・キホーテだと思い知らされていた。
 もう諦めは済ました。後は、どうしてやるか、なのだが。
 どうにもなりそうにない。
「今度は何だ?」
 半ば諦めと皮肉の言葉であるが、彼女は取り合わない。
 ただ、今からする事だけを彼に伝えた。
「悪魔退治さ」


 彼女は、凄いケンタウロスなのかもしれない。
 その行動はまるで奇行だが、その奇行を支えている所作のほぼ全てが、感嘆と称賛に値するものだった。
「惚れるだろう?」
 ランスを構えたまま彼女は、誇らし気に言った。
 だが、風力発電システムの一基を、盛大にへし折って、惚れるも何も。
 それは既に老杞化の果てに廃棄されたものだった。解体予定とされる一基であるが、だからと言って、彼女のしている事が正しい事である筈も無い。
 更に彼女は、代替配備され新型の風力発電システムに矛先を向けようとしていた。
「止めろよ!」
「俺は悪魔を倒したんだぞ!」
 制止される謂れなど無い、と。
 彼女は雄叫びを上げていた。
「あれは空の魔物娘を苦しめている。肉を斬り刻むようなブレードを空に立てて抑圧している。感覚を狂わす音を立てて、その刃に誘い込んでいる。
 俺は彼女らを助ける。助けた、英雄だ!」
「英雄だと?! あれは悪魔じゃない。発電システムだ! 何が英雄だ? 悪魔だ? お前は何をしてるんだ?!」
「あれがもし、発電用風車だと言うんなら、それは俺の手柄を誰かが妬んでいるからだ。だからあれを、悪魔を風車に変えたんだ! 俺を妬んでいるんだ!」
「兎に角、逃げるぞ……!」
 一度ドン・キホーテを彼女に読ませた方が良いな。彼女はまるで、あの狂った男そのものじゃないか。
 巨大な金属製の構造物が崩れる、その轟音の鳴動がまだ鳴り止まぬ中、彼は彼女の手を引いて駆け出した。彼女は黙って、彼に手を引かれるままにその場を後にしようとした。それでも去り際に、
「今日は死ぬにはいい日だぁっ! いい日だぞぉっ!」
 彼女は、何かに抗っているように、そう吠えていた。

 与えられるに、驚嘆が嘲笑に変質するのは、言うまでもなくそれを扱う者の方向性だ。
 変人を変人足らしめるのは、その才能ではなく、その明らかに常人からすれば明後日方向に達観してしまった、その頭脳の向きなのだ。
 彼女は優秀なのであろう。
 ケンタウロスとして、だ。
 特に、彼女のランス捌きには凄いものがある。
 彼は何回か、他のケンタウロスのそれを見る機会があった。だから彼女が、それらよりは上である事くらいは、素人目にも解った。素人でも解るくらいに、彼女はその扱いに圧倒的に長けていた。
 戦場で突撃させたら、さぞ強いだろう。
 たぶん、英雄として名を馳せたのではないか。
 ただもっとも、そんな戦場があればの話だが。
 ランスを構えて突撃して、それで英雄になれる戦場が、この時代の何処にある。

 彼女らケンタウロスは、同族が輩出した英雄を敬い、それに皆が倣おうとする。
 皆が、英雄足ろうとする。
 英雄足る事が、なにより過去の英雄たちに恥じぬ生き方となるからだ。
 それなのに、そんな英雄というものは、ここ数十年ほど輩出されていない。
 彼女らが弱くなったのではない。英雄として名を馳せる場が、無いのだ。
 それなのに彼女らは、戦場にしか栄達のそれを求められなかった。
 そしてこのケンタウロスも、彼女もそうだ。
 英雄という固定概念に縛られて、そうでないものを排除し排除されてまで、過去を讃えるように、その英雄たちと同じ生き方をしようとしている。
 もう誰も、そんな英雄なんて求めていないのに。
 それはケンタウロス以外も、あるいはケンタウロスそのものも。
 彼女は、花が好きだと言っていたのに。
 でも彼女は、明後日な方向に向けられたままでいる。
 それでも彼女は、なんらかの突破口を求めて、闇雲に突撃していた。彼女らのやり方で。彼女は傷つき、ぼろぼろになり、でも、尚突撃しようとしている。
 こうして、"英知あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ"ができあがる。

 彼女はそんな彼の言葉を聞いて、そして自らの道化ぶりを認めつつも、しかし従者である彼にこう呟いている。
「でもな、ドン・キホーテはそれでも、幸せそうじゃ無いか……」
 幸せと言うものの意味する事。
 快楽物質に溺れていれば幸せか。それならば、事は簡単だ。そんなものは幾らでも手に入る。だがそれは副産物的に発生する燃えカスに過ぎない。
 自分の道を歩める事、それを解ってもらえる事。
 それは、彼女らの英雄崇拝そのものを否定するのだが、彼女自身、その道が自分の道だと信じていた。いや、その道を信じる事を信奉していた。
 だから自分の望む物が、もはや、彼女のそのやり方では手に入らないって事も、解っているのに。それでも彼女は突破口を求めて、彼女流のやり方で、闇雲に突撃していた。その方法しか知らないから。

 そんな事、彼女には、解っていた。
「乗れよ、逃げんだろう?」
 彼は言われるままにケンタウロスが差し伸ばした腕を伝い、彼女の馬の背に股がった。
 彼の重みと重心の感覚を試すように、彼女は何度か脚を弾ませた。
 彼は振り落とされそうになって、思わず彼女の腰にしがみついた。
「腹を掴むな、くすぐったい」
 そう言って彼女は、もう少し上の、男には無い膨らみの直下の辺りに、彼の手を置いた。手の甲に、彼女のそれが軽くのしかかって来るのを感じた。
「男なら喜べ」
 彼女はにんまり笑った。
 どうやら、連戦連敗させられた報復かなにでもあるらしかった。
 そんな彼女の胸の膨らみは、固く締まっていた。そして手を置いた肋の上も、たぶん何処もかしこもだろう。全体を覆った鳥肌が衣服越しに彼の掌をちくちくと突き立てていた。
 彼女が恐がっているのが、わかった。
「ケン太さん、人間乗せるのが嫌なら……」
「黙ってろ。重心がぶれると面倒だ。俺の背中に、ぴったり体くっつけとけよ」
 彼は言われるままにする。
 ケンタウロスの心臓の鼓動が一気に高鳴った。
 そして一気に最高速度まで駆け上る。
 急速な運動で細胞一つ一つが生み出す熱が、放熱の為に背中を通して吹き出した。彼女の汗の匂いに彼は包まれる。
「お前には、知っておいて欲しいんだ……」
 彼女は言って、彼の手を取る。
 それを、鼓動で震える心臓の辺りをぐりぐりと押し付けていた。
「こわいんだ……」
「……ケン太さん?」
 彼女の体が、固かった。震えてしまわないように、力を込めて全身を引き締め続けるような固さだった。何かを恐れているものの、それ固さだった。
 いつもこんな気持ちで、彼女は道を駆けているのだろうか。

 今、走っているのはバイパスの測道だった。
 盛り土の上を本線が走り、その上に無数のヘッドライトが流れていた。だが彼等の走る測道は、その陰に隠れてそんな明かりは届かない。周りは畑ばかりで家も無く、真っ暗だった。
 街道のように人の営みを縫うように走る旧道ではなく、ただ大都市を結ぶだけのこの道に、途上の明るさなど必要無かった。

 ケンタウロスの腰から下げられた自転車用のLEDライトだけが、頼り無さげに前の、僅かばかりだけを照らしていた。
 後は、真っ暗な闇ばかり。
 彼にも経験がある。
 闇に包まれて走る感覚。
 何も見えない、感覚を奪われるような、真っ暗でねっとりとした圧迫感に、息苦しさすら覚える。
 彼女の蹄の音、あるいはタイヤがアスファルトを擦る音が無ければ、走っているのかすら解らなくなるような錯覚。
「まるでこの道みてぇだ。真っ暗で何も見えねぇよ」
 彼女は不意に叫んでいた。
「ケンタウロスってのは、こういうんだよ。ただ突っ切るだけに生きてるんだ。途中に立ち寄ったりする街はねぇんだ。我武者らに、何がなんだか解らなくても、ただ突っ走しらされるんだ」
 彼女には、帰る道すら解らなかった。
 そもそもなんでこんな所をし走っているのか解らない。英雄になれと、言われるままに連れて来られて、この辺りで、そんな戦場が無いからと、道半ばで捨てられた。
 そもそもなんで彼女はその道を往くのか、その先に何があるのかすら、解らなかった。ただその道を往けば、ケンタウロスの英雄のようになれると教えられていた。
 でも、そんなものにはなれない。わかっている。
 でも、だからと言って、他の道はあるのか。
 彼女には見えない。
 真っ暗だ。
 そんなどうにもならない闇の中で彼女は、今彼を乗せて闇の中を走るケンタウロスは、彼の目の前で無闇に突撃をして、自分から傷ついていっているのではないのか。
 夜の真っ暗な闇に、ねっとりとしたそれに脚を絡め取られ、身動きが取れなくなったような錯覚に陥る。そしてそのまま圧し潰されるかのような感覚に堪えきれず、彼女はまた叫んでいた。
「こわい……こわいんだよ! 本当にこの先には、行き着くべき街があるのか? 明かりなんてあるのか?」
 彼の手に、彼女は自分の指を絡める。
 そしてそれを、自分の胸に強く当て込んでまた叫んでいた。
「俺には見えねぇんだよぉ! 真っ暗だぁ!」
 怖くて、彼女は拠り所が欲しかった。この不安で高鳴る胸を覆ってくれるものが欲しかった。それを知っていてくれる誰かが、居て欲しかった。

 その時、彼女の前脚が何かを踏み外した。
 道の外側へと、バランスを崩す。
 さっきまでねっとりとした、質量さえ感じさせられていた闇たちは、まるで霧散したように、二人を見放す。何の抵抗感も無く、闇に呑まれるように、二人は道の外へと飛び出した。
 その時、彼は聞いた。
「ああ……もういっそ、壊れちまえよ」
 彼女の、まるでその先に安寧があるかのような呟きを。
「駄目だ!」
 彼の叫びが聞こえたかどうか。
 彼女は運良く、積み藁の山に突っ込んでいた。

 藁を積んだ山の向こうから、自動車が流れる音だけが絶え間なく聞こえていた。
 ケンタウロスは無事であった。打ち身はしたが、どこも折れてもいないし、捻ってもいない。積み藁の山に突っ込んで、彼女をここまで飛ばして来た運動エネルギーの大方は、その藁をまき散らす為に浪費されてしまったらしい。
 ただ、彼女の背に乗っていたはずの彼は、無様に土塊の上に転がっていた。
「だからあれほど、しっかりと掴まってろ、てよぉ……」
 そこまで言おうとして彼女は、自分の落着地点が不自然なのに気付いた。彼女はもっと奥の、ちょうど用水路のコンクリート護岸の辺りに落着する筈だった。あんな所に落ちれば、こんな軽傷ではすまなかった。それが今、もっとも安全な積み藁の中に倒れている。
 彼女はバランスを崩して投げ出された直後、何かに押されたのを感じていた。それで彼女の軌道が変わったのか。
 彼女は彼を見た。
「まぁ伊達に、仕事でチャリなんか乗ってない、か」
 ケンタウロスは彼に歩み寄ると、その右腕を見た。折れてはいないようだが。
 リャナンシーに見放されているとしか思えないが、それでも彼のやりたい事をする為の腕だ。こんな事で折ってしまっては、それこそ申し訳が無い。無闇に突撃ばかりしている自分なんかよりも、彼こそが護られるべきだった。
「……なんで、助けてくれんだよ」
 彼女はぽつりと呟いて、彼を抱きかかえると積み藁まで運び、彼をそのふかふかの山に預け、そして自分も横たわる。
 そして天に向かって口笛を吹いて、彼が目を覚ますのを待った。

 暫くして、彼の方から積んだ藁が押し擦れる音がし始める。
「起きたか……」
「馬っ鹿野郎ぉっ!」
 彼女は、彼に抱きつかれていた。
「………な、ん」
 何度も何度も「馬鹿野郎」と言われながら。
 抱きしめられてケンタウロスは息を呑んだ。
「し…鹿は余分だ、て……言ってるだろう」
 ようやくそう言うと、彼女は彼を突き飛ばした。
「お前はぁ…っ、無理すんな……っ!」
 その五体満足を確認したいかのように、彼はもう一度、彼女に抱きついていた。
 彼女は身をよがらせていた。
 男に触られる感触に、顔を火照らす。
 そんな彼女と目が合って、彼は初めて、自分がしている事を自覚する。
「離せよ」
 彼女に押しやられて、彼は体を離そうとする。
「本気に……なっちまうよ」
 彼は彼女から離れようとしてしかし、袖を掴まれていた。
 だから彼は、より強く彼女を抱きしめた。
「本気なんだぞ」
 そんな熱っぽい彼女の声に、彼がその唇を奪った。そして彼女が、与えられた彼の唇を貪った。唇を抉じ開け、舌を絡めて、濡れた音を立てる。
 やがて息苦しくなり、口を離す。
 彼女は言った。
「何でだよ……お前なんか 嫌な奴なのに! それなのに!」
 今一度唇を重ねる。それで何かを確かめるようにして、再び息苦しさを覚え口を離すと、彼女はまた言った。
「でも、俺の事をよく解ってくれてるんだ。俺を本気で心配してくれる奴なんて……」
 同じケンタウロスよりも、私を解ってくれている。花が好きだという私を、ケンタウロスらしくない、と仲間には理解されないそれを、彼は認めてくれた。
 ケンタウロスである事の自分の苦しみを、解ってくれている。
 そして今、身を呈して自分を助けてくれた。
 だから、と彼女は言った。
「大好きだ! そんなお前が、本気で大好きなんだよぉ! ……だから、お前も、私が好きって言え……」
 消え入るように言って、ケンタウロスはその答えを待った。
「俺も……、好きだ」
 彼女は、彼の返事を受けて、一気に頬を赤らめた。
「なんでだろうな……本当に、どうして好きになっちまうんだろうな」
 彼はそんなふう言っていた。
 それは一時の高揚がもたらした、刹那の感情なのかもしれない。
 でも今は確かに、二人はその感情を抱いているのだ。そしてそれを、持つ手に余らせて、その想いを溢れさせる先を、彼等は見据えた。互いを見詰め合って。

「好いてくれるなら、抱いてくれ、よ」
 僅かに震えながら……彼女は言った。
 そして自らの服に手をかけた。
 襟の合わせ目を緩め、袖の無い袖刳から腕を抜くと、はらり、と胸を覆っていた衣が解け垂れ下がる。そして腰帯を解き、その全てを落としてしまう。
 彼はそんな彼女の、露になった肩を抱く。
 少し、夜の外気に触れたせいもあるのだろうか、露になった肌がピンク色に染まった。
「さぁ、俺を解きほぐしてくれ、怖いんだ……まだ、だからお前を感じさせてくれよ。そうすればきっと、俺は、怖くなくなるんだろう?」
 彼女は答えを求めた。
 露になった形の良い乳房が、鳥肌だっていた。彼はそれを、霜を払うかのように、撫でる。
 彼女の喉の奥底から、氷を溶かされる様な、吐息が漏れ出る。
 下乳を、冬の果実をもぐように手の中に収めるて、その凍り付いたものを温め、果汁を滴らせるのを促すように、揉みしだいた。
 彼女はその度、息を弾ませた。
 その弾ませる息にあわせるように、彼は彼女と胸を重ねて擦り合わせる。彼女もそれに応える。
 その呼吸が波打った。
 彼女は右手の親指の爪を噛んで、込み上げる嬌声を殺した。
 彼は彼女の乳首を口に含み、歯を立てる。
 喉を仰け反らして彼女が啼いた。
 くすぐる様な指先の愛撫。
 呼吸が乱れると皮膚の下で、肉が蠢いていた。
 それでも彼女は美しかった。
「本当にケン太さんは、綺麗だ…」
 重ね巡らせた筋肉の帯同士がまぐあいながら、柔らかな影を結んで彼女という形を作っていた。
 その稜線の絡まり合いを愛でるように、彼は彼女を愛撫していく。指先で、掌で、舌で、おおよそ神経が張り巡らされた部位で、繊細で囁く様な彼女を感じながら、囁きに誘われるように辿って行く。
 下へ下へと、滴り流れてゆく。

 やがてその線の先に、彼は辿り着く。
 人と馬との境界線、そこに男を受け入れる為の裂け目があった。獣毛を少しかき分けると、それは完全に露になる。
 彼は、そこに指を添えて、撫でる。
 彼女は声は上げた。
 彼女は、今彼が撫でるそこへと宛てがうべきものを、布の下から露にさせて、それに手を添える。揉むように擦った。
 彼も声を上げた。
 互いに触れたものの熱さに、呼吸も熱くしながら、それを擦り撫でる。触れられる度に、力を吸われるよう……腰の力が抜け、支えを砕かれて互いへと身体を寄せ合わす。重ね合わせた肩を揺らし、顔を寄せ、接吻するかのようにする。ただ唇は重ねずに、開き尖らせたその先だけを触れさせ、そして舌を伸ばして、届かぬ互いを絡め合わそうとする。焦れる気持ちを確かめ合う。
 昂りが、振り切れた。
 彼は強引にケンタウロスを腕の中のより深い所へと引き込んだ。あまりに強く引かれて、馬の胴が浮く。そこをまた引き込まれて、彼女は彼を受け入れる事になった。彼は宛てがい、裂け目に押し当て、割った。ケンタウロスの腰を鷲掴みにし、その掴んでいる腕を引き込み、彼女へと自分を一気に突き込んだ。
「挿れる、ぞ」
 その返事を交わす暇も惜しく、彼は。
「……ッ!」
 ………ぐ…、じゅっ…ぷ。
 そんな擬音と感触を感じながら、彼女は彼のものを受けた。受け入れる為に身体を開こうとしているそこに、突き込まれて、それを呑み込まされて行く。
 急激な粘膜の混じり合いに、彼は声を呑み、彼女は悲鳴を上げた。
「ああ…、あああっ、……あああッ!」
 彼女は、彼を受け入れようとしてもがく、彼を押し戻そうとしてもまた、もがいた。
「な、んだ、よこれ、いや……っ、痛ぇぇえっ!」
「す、ぐ……気持ち良くなる、よ」
 そう言いつつ突いても、彼のものはなかなか埋まらない。達しない。
 一気に深みに達しない事に、彼はもどかしさを感じていた。まだ開き切っていない奥への隙間を、突いて押し広げて強引に進む。彼女の言葉に聞く耳持たずに、腰を突いてその先を目指した。
 彼に抱かれて上半身を縛られ、また押さえつけられて、得体の知れない熱い物が押し上がって来るどうにもできない感覚に、彼女は声を上げ続けた。
「なんだよこの感じぃ、こえ、怖ぇよぉ……、なに、これ、動いてる。固いものが蠢いてやがる……魔物におか、されちまってんのか、俺はぁ……ああっ…さっ、きより、ナニ突っ込んでんだよ! でも、なんか、気持ちが……あン」
 彼女は一際甲高く鋭い声を上げた。
 腰の辺りから駆け上るような、大きな身震いをした。
 そして彼は、自分の身体が跳ね上がるのを感じた。
「………え?」
 ケンタウロスの下半身が、馬の部分が暴れだした。

 稲藁が撒き散る。
 ケンタウロスが、自分に突き立てられた彼という剣を、振り落とそうとした。
「のうぅおあぁぁぁ?!」
 馬の部分が起き上がり、振り回され、咄嗟に彼は彼女の上半身にしがみついた。彼はまだ繋がったまま。
 外れないそれに、ケンタウロスは嘶いた。
「いやぁぁぁぁっ!」
 未知への恐怖に、彼女が叫んでいた。
 ケンタウロスは駆け出した。
 彼は積み藁の山に突進され、叩きつけられた。
 昇天。
 彼女が。
「そりゃあ、俺が突き刺さった状態で、俺を叩き付ければ……な」
 より深く彼が突き刺さる。
 その一撃で自らの処女膜を突き破ったケンタウロスは、ぷるぷると震えていた。
 藁の山に埋められた彼は、自分の肩の上で項垂れる彼女の頭を、どうしようか思案した。馬のものの形をした耳がしょげていた。
 とりあえず撫でておく。
「痛かった、よな……」
「いてぇー……」
 彼女は、初めてを貫かれた痛みと、軽い絶頂感に声を震わせていた。
 彼の首筋に当てられた彼女の頬が熱い。たぶん真っ赤にしているんだろうか。
「俺は、好きな男も襲えない、意気地なしだぁ……」
 ついには泣き始める。

「ごめん、俺も性急すぎた」
 そう謝って、泣かせてしまった彼女を励ますように、右頬にキスをする。
 彼女はキスして欲しい所を彼に向ける。右頬の次は額に、泣きぼくろの上、下唇、きれいに尖った顎の先、顎の下の声を震わす柔らかい襞の部分は食むように、首筋、耳の穴の下、そして耳そのものは甘く噛んでもらう。
 やがて彼は、彼女に潜り込んで繋がっている所が、ねっとりとした蜜に覆われた桃缶の桃のような感触に変っているのに気付いた。
「そろそろ、動かすぞ」
 彼女は一度首を横に振ったが、しかしすぐに、今度はそれを縦に振った。後者が本意である事を示すように、全てを預けるように小さくなって、彼の胸の中に自分を押し付ける。
 彼はその彼女の腕を、自分にたすきがけにするように、背に回させる。
「俺に抱きついて……そっと」
 その腕がきゅっと締まる。
 それを確かめると、彼は彼女の腰に手を回し抱いた。
「…そ、じゃあ、ゆっくりするよ」
「ン……ン、んはぁっ……ん、ん……」
 彼は背にした藁の壁に尻と脚を埋めてると、その藁の柔らかさもバネにして、ゆりかごを揺らすように優しく腰を揺すった。
 緩やかに揉むように、自分の中に潜り込んでいる彼のものを押し上げられて、ケンタウロスは鋭く熱かった息を、ぬるく甘くしてゆく。
「んは、んはぁ…んはぁぁ……ん、ん、んぅ!」
 背中を優しく撫でながら、彼女の感覚の移ろいを感じて確かめながら、彼は腰を動かす。
 滑らかな肌の下、柔らかな肉に包まれて筋肉の蠢いているその様を。汗の吹き出す感触を。うねる息を。堪らず発するその声音を。掌を、彼女の背中の筋をなぞり上げ、肌を覆う産毛が僅かに感じながら、それらを感じて行く。彼女がどんなふうに感じているかを、探る。弄る。
 そしてその彼女から伝わる感触に彼もまた、女を感じさせられて、昂らせていく。
 次第に我慢できなくなって、動きを大きく強くしてゆく。
 ハンマーのように、打ち据えていく。
 彼女が髪を振り乱すのも構わず、強く突き込んでいた。
 彼女も今は、それを受け止めようとする。
 肩を掴んでぐいぐいと押してくる。
 彼は息を詰まらす。急き立てられるように、熱く喘ぎだした。
 そしてどうしようもなく、吐き出したい感覚にかられて、彼は彼女へと深く、突き込んだ。

 そして、迫り上がって来るのを感じて、ケンタウロスは叫んでいた。
「壊してくれ、壊してくれぇ……っ!」
 ああ……もういっそ、壊れちまえよ……。
 その言葉に彼は、はっとなったが、もう止まらなかった。
 自分のものは、ずぶずぶと彼女の中に入って行く。
 溜め込み、迫り上がって来るものを、出したくてたまらない。
 彼女はそんな中で、花開くように肉体をほころばせて行った。
「そうすれば、きっと……」
 恍惚とした先に、何かを見出したように、彼女は遠くを見詰める。
「……きっと、生まれ変われ、る……あっ」
 ………ぐっ。
 それは堪えているのか、それとも搾り出そうとしているのか。
 ………………ぐしゃ、あ。
「ああっ!」
 彼は迸らせる。迸らせてしまう。
 何かに後悔して、彼はそれを堪えようとするが、吹き出してしまう。彼女の中に、注ぎ込む。それを受けた彼女の肉の襞に揉み呑まれて、抜かれて行く。力を吸われる様な感覚に襲われて、それを怖れているように息が早くなる。もう、震える様な満足しか、彼には残らない。
 ケンタウロスは彼の熱いものを受けて、声を上げ続けていた。
 幸せな、とても幸せを確信する声。
 彼女の腹は踊り狂っているようだった。迸るその熱いものに内蔵が押し上げられるかのような錯覚すら覚えて、押し突かれるようにして、横隔膜がわちゃくちゃになる。そのままが、絶叫の様な声となって喉を震わしていた。
 震えながら押し寄せてくる、ねっとりとした液状の何かを感じていた。痛く、酸のように灼かれているように、感じていた。彼のものなのか、自分のものかも解らぬ痙攣に震え、その揺さぶりは、自分をバラバラにしてくれるようにも感じられた。
 ケンタウロスは、幸せだった。
 そして彼を、すごく愛おしく感じていた。
 行き先も理由も解らず突撃する、それに疲れ果てている自分を壊してくれる者として。終わらせる者として。補食される事の快楽かのような悦楽。

 二人は首を交わして、互いの喉を擦るように互いに絶頂の声を上げた。
 交歓するその声が、振り絞られて行きそれが途切れて行く中、彼は少し後悔した面持ちであった。が、突き上げる快楽はどうにもならなかった。呑まれる。

 そしてケンタウロスは、噛み締めていた。
「ああ、いい、すげぇ……」
 未だ余韻に恍惚としながらも、それすらも歯を食いしばっていくかのように、言葉を噛み締める。
 波打つ、彼のものなのか、未だに自分を灼いている。突き上げて来る圧迫感もまだ感じる。
 何より、荒々しい、彼から与えられた、金属のハンマーで打ち据えられるかの様な感覚が、未だに全身を揺らしている。
 ケンタウロスはその、破壊されるかのような感覚に酔いしれていた。
「ほんと……すげぇよ」
 唇の端がキッとつり上がる。犬歯を覗かせる。
 洪笑を噛み締めはじめる。
「すげぇ、すげぇよっ! これが男なんだ! こりゃあオンナが壊れる訳だぁっ、ヒィヒィ言う訳だっ! あははははっ、あはははははは………ッ!」
 先ほどまで交歓していた彼を突き飛ばすと、彼女は目頭を手で覆って笑った。肩を揺らして馬鹿笑いした。よろよろと狂ったように笑った。
「まだだ……」
 彼のものが力なく自分の中から引き抜かれ、その喪失感にケンタウロスは身震いしていた。
「もっと、だ」
 嘶き、彼にのしかかる。肩を掴んで後ろの積み藁に彼を押し付ける。その腰と腰を合わせ、それから馬の尻を少し突き上げ、自分の重心を彼へと雪崩れ込ませる。合わした腰を、ごりごりとする。
「さぁ、もっとだ、もっとだ!」
 生殖器同士を擦り上げる。
「さぁ、さっさとおっ勃てろよ。萎えてんじゃねぇよ。俺を壊すくらい激しく抱いてくれよ。俺はまだ壊れちゃいねぇーぞ。目の前のオンナを壊してみろよ、男の本懐だろう? どうしたんだよ……」
 彼女は答えを求めて、彼がどんな顔をしているのか見ようと、彼を見下ろした。
 彼の醒めた表情が、きっと上を向いて彼女を見ていた。
 それに見詰められ、彼女は寒気に肩を抱いた。
「一回で、俺に飽きちまったのかよ」
「ちげぇよ」
 唾を吐き捨てる。
 そしてもう、何もかも諦めたかのような表情。
 溜め息で、踏ん切りをつけるように彼は言う。
「町を出ようよ、ケン太さん」

 逃亡……。
 彼女には、そう聞こえた。
 後退、転進、撤退、退却、逃走、遁走、敗走、潰走……。
 すなわち、敗北。
 ケンタウロスらしからぬ、戦場で勝ち続けた英雄に泥を塗るような行為。
「逃げろって言うのかよ!」
「俺に抱かれるのだって、現実逃避だろぉうっ!」
 彼は、思いっ切り振り上げた拳を、しかし積み藁の中に叩き込んだ。
「逃げるな? 自分を壊して欲しくて、男に抱かれた奴が、……言うなよッ」
「うっせぇい! おまえこそ! 人の胸触って、馬みてぇに固くおっ勃てて、俺の背にごりごり押し付けてた奴が、言うんじゃねぇよ!」
「わりぃかよ! お前カッコいいもん! 綺麗だしよぉ! 胸も形良いし! 男なら抱きたいじゃないか! それがよぉ、捌け口みたいに抱かせやがって、チクショー!」
 最後は、天に向かって彼は叫んでいた。
 暫し天の星を眺めて。
 彼女は突破口を求めて、闇雲に突撃していた。
 そして彼は突破口を諦めて、沈もうとしていたのだ。
 彼女は傷つきぼろぼろになり、彼は傷つく事無く、しかしその体を使う宛ても無い。
 彼にだって、解っていたのに。
 自分の頭の中にあるイメージを吐き出したかった。
 それをカタチにする手段が欲しかった。
 しかしそんな夜空の煌めきに、まるで手が届かなかったかのように、彼は言う。
「道の真ん中に突っ立っているだけじゃあ、いつまでたっても明かりなんて見えやしないよ」
 届かない光、遠い瞬き、行き着けないかもしれない煌めき。
 走っているつもりだった。
 だが、走ってなどいなかったのだ。
 道に迷って、立ち尽くして。
 彼女も、そして彼も。
 解っていた。
 自分たちがもう、どこに行くのかすら見えなくなって、ただ呆然と突っ立っているだけだって事くらい。
 彼女にも解っていた。
 でも、自分では認めたくなかった。
 だから誰かに、言って欲しかったのかもしれない。誰かのそれを見て、自分に言い聞かせたかったのかもしれない。
 彼女は彼を見た。
「そうだな……でも、俺は何処へ行けば良いんだ?」
 しかしそれは、訊かれた彼にも解らない。それは彼女の人生であるからなのだが、それ以前に、彼自身も何処へ行ったら良いのか、解らなかった。彼も、立ち止まったままこの町に引っかかっているクチなのだから。
 彼にも解らない。だから、こんな言葉が口をついた。
「さぁ……ひとまず世界の反対側にでも行くか?」
「……連れて行って、くれるのか?」
 適当に言った言葉であった。だが、彼女のその言葉で方針は決した。そもそも、宛てがいなのだから、どこでも良かったのかもしれない。彼女という理由も、良いような気がした。彼女にとって彼は切っ掛けであったが、また彼にとっても彼女はそれであった。
 彼は彼女がそう思って、彼を誘った事を、彼は解っていた。彼も切っ掛けを欲していたから。答えはYesしかない。
「ああ、ケン太さんは好きだからね」
 気楽に安請け合いする。
 宛てなど無いのはお互い様だから。
「ケン太言うなァーッ!」
 こうして二人は町を出た。

 結局、あの風力発電システムは、老朽化でその日の強風でへし折れた事に、公式にはそういう事なった。実際、ケンタウロス一人で折れるような代物ではなかったのかもしれない。
 あるいは、彼女の行為を恥と見た同族の誰かが、そういう事にしたのかもしれないが。
 兎に角、だから二人を追う者は誰もいなかったし、それはそれで悪い事ではないと、大方の者からは受け入れられた。

 問題と言えば、畑に突き刺さって残されていた彼女のランスが、拾得物としてあの駐在所に届けられ、半年ほど保管場所を無闇に食ったくらいであった、か。



 ぱかーん!
 二人はそして、地球の反対側まで行って、喧嘩して別れた。
 世界の反対側で響いた彼女の蹄の音が、よくあるビンタ別れの代わりだった。

 一人は信じた才能をリャナンシーの来援も無く見限り、それでも自分の中のイメージを吐き出し表そうと、新しい表現する手段求めて別の道を行こうとした。つまり彼だ。
 しかし一人は、もう一人から見出され同じ道を歩んでいて、その才能を開花させていた。だから更に同じその道の先を行こうとした。それは彼女だった。
 互いに同じ道を行きたかった。
 でも、それはできなかった。
 それで喧嘩になった。
 そして二人は正反対に、来た道から九十度折れ曲がり、互いに背を向ける。
「バイバイ」
 それぞれの道を歩き始める。
 でも基本的に、地球は丸いものである。

 ぽりん……。
 人参スティックを齧りながら、町に再びあのケンタウロスが戻って来ていた。
 あの駐在所の前。
 駐在官は問題児であった彼女の姿を認めると、すわっ、と立ち上がって、久々の臨戦態勢をとる。
 しかし、そんな彼女の目の前へと歩み寄る人影に気付くと、その先の成り行きを憚ってか、机の上の書類に一心に目を落とし始めた。

 ケンタウロスの目の前に、彼が立っていた。
 喧嘩別れをして、彼女とは反対側の道を行って、地球をもう半周して来た彼である。
 彼は写真家になっていた。
 かく言うケンタウロスは、植物画家になっていた。
 彼は彼女の写真をおもむろに撮り。
 彼女は自分のスケッチブックから、何かの花のスケッチを切り取り、それを彼の胸ポケットに差して、それを捧げて訊ねた。
「見つけたんだな」
「ああ、見つけた」
「なら、もう一緒に行ける?」
 彼はその言葉に頷いていた。

 ユニコ・ミノタウロ製の機械式カメラのフィルム送りレバーを、彼はジャッと巻き、そして彼女の笑顔をもう一枚、撮った。
 騎士でもケンタウロスでもない、彼女が歩んで来た道を背景にして。
 そして彼は、自分の右脚を、自分の歩んで来た道の方に蹴り上げて、その脚とその道との写真を撮る。
 それが、彼の歩んで来た道。
 そしてもう一枚、ケンタウロスと自分とが並んで見ている、その道の先を写真に収めた。
 駐在さんに頼んで、その道で、二人が並んでいる姿も撮ってもらった。
 そう、それがこれからの二人の道。

 そして二人は、それぞれ歩んだ違う道で手に入れた、違う道具と才能を携えて、そしてまた一つに交わった道を歩き始める。
 もしかしたら、その先はY字路になっていて、また別れてしまうかもしれないけれど、それまで、一緒に歩む道。
 それまでは、どこまでも。
 あるいは、ずっとどこまでも。
11/02/02 01:52更新 / 雑食ハイエナ

■作者メッセージ
ねっとりまとわりつく、圧迫感すら感じる闇の感触。
本当に暗い所を、状態の良いベアリング積んでいるチャリンコで走ると、ケン太さんの気分が味わえます。たぶん……。

書いてて思ったのは、やっぱりケンタウロスって駆けさせると良いよなぁ、と。なかなか書き切れてないんですけどね。

まぁ、あとエロですが……まじめ(まとも)なエロは書けんのか、私は、と。
ケン太さん、ごめん……。


最後に。
果たして、何人辿り着けたか……。
17224文字という文字数チェックの結果に、遠い目をして誤摩化す。

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