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三回戦

 

「エルロイ! 起きろーっ」

 パァン   

 深い意識の底からエルロイを急浮上させたのは、そんなチェルニーの叫び声と痛烈なビンタだった。一瞬意識が浮きすぎて何処か遠い場所に飛んでいってしまいそうな感覚に陥りながらも、エルロイは目の前の白玉の肌に目を照らされる。
「……ぁんだよ」
 昨日は計七発という男にとっての重労働を課せられ、ぐっすりと体力を回復させたかったエルロイは、強引な起こされ方に不機嫌な表情をする。だがそんなことは意に介さぬといった感じで、チェルニーは薄い胸を張る。
「ふふふ、今日の試合は私が指揮をするぞ!」
「………」
「私が! 指揮を! す・る・ん・だ・ぞっ」
 そう言いながら顔を迫らせて来るチェルニーに、思わず「知ってるよっ」と声を挙げたくなるエルロイだったが、この女にそんなことで怒っても大して実りのある結果は迎えられないだろう。
「私に掛かればお前を相手の女に触れさせもせずに勝利に導けるっ」
「あーそーかい、よかったね」
 その自信は何処から沸いてくるのか、小一時間、問い詰めたい。   エルロイはそんな風に思ったが、チェルニーはそんな彼の態度に表情を曇らせた。
「なんだ、その期待ゼロの態度!? 私が貴様のセコンドに立つのだぞ!? このわ・た・し・が」
 エルロイにとって、森の中に居た所為で世間を知らずにいたチェルニーが自分の参謀に立つ事自体が不安で仕方が無い。寧ろ、無茶苦茶だが、きちんと勝利の道筋を立てているヴァーチャーの方が参謀としては向いているし、今の所適任だろうと思われる場面だ。
 それにしても、今のチェルニーの表情は自信に満ち溢れていた。根拠がないのは判っている。だが、何かしらの手は講じているものとエルロイは見立てた。頼むから、何か用意していてくれと祈りながらこう尋ねる。
「……なんだか、自信有り気だな。何か策でも考えたのか? ふあぁ」
「ふふふ。まぁ、会場に出てのお楽しみだ」
 普通、策と言えば、戦場に立つものこそが理解していなければならない筈なのだが。エルロイ自身、チェルニーが何故そんな出し惜しみをするのか判らなかったが、多分ヴァーチャーの真似事なのだろう。……一層、不安がよぎる。
「それよりも、起きろ。朝食だ」
 エルロイが時計を見ると、その針は確かに遅めの朝を告げていた。が、そう思った瞬間、鼻を抉るえもいわれぬ悪臭に気付く。ゆっくりエルロイが目を向けていくと、チェルニーが用意したと思われる朝食の皿の上には、何か黒いものが乗っかっていたのだった。…エルロイは直感した。匂いの元は、あの異物だ。
「……チェルニー」
「なんだ?」
「腹、減ってねぇんだが」
 するとチェルニーは眉を顰める。エルロイは其処で気付くのだが、チェルニーの今の服装は何時もの葉をあしらったものではなく、一般的なエプロンドレスであったのだった。
「なんだと? 折角私が作ってやったというのにっ」
「ところで、その黒い物体はどういうテーマで作ったモノなんだ?」
「テーマ? まぁ、精が付くようにと思って作ったんだが」
 エルロイは確信した。チェルニーの奴、ヴァーチャーの講じた策を、何の理解もなく真似ているだけだ。つくづく……なんて言おうか……
   馬っ鹿じゃねぇの」
「なんだとぅっ!? 折角私が丹精込めて作ってやったというのに、食べないのかっ」
 途端にチェルニーの目に光るものが映る。やっていることは褒められたものでは無いが、その気持ち自体に感謝する気持ちは、いくらエルロイでも持ち合わせていた。
「……食わねぇとは言ってねぇよ。   畜生っ」



 オオォォォ…ッ

 会場に熱気が篭る。相変わらず見受けられるのは男ばかり。エルロイは妙な気分に苛まれる。
「……なんか、俺の回だけ盛り上がってないか?」
「そうだな。昨日の逆転劇で、注目を浴びているらしいからな。(ボソッ)私だけのエルロイが汚らわしいウジ虫共の見世物になっているのは気に食わんが」
「ん。なんか言ったかぁ?」
「な、なにもっ」
 顔を赤くして否定するチェルニーに、エルロイは何かを感じ取ったが、今は試合の事だけを考える事にする。あともう直ぐで会場に立たなければならない。……其処で、今日はどんな痴態を晒す事に成るのだろうか   
 憂鬱な気分になりながらも、選手入場口の廊下で丹念に体を解すエルロイ。その締まった体にうっとりと瞳を蕩けさせているチェルニー。そんな二人に近付く影があった。
「……ん?」
 複数の乾いた足音がこのトンネルに反響する。その中には堅い蹄が石畳を蹴る音も混じっている。エルロイが顔を上げると、其処には目深な帽子を被った吟遊詩人と、二頭のミノタウロスが悠然と立っていたのだった。
「おはようございます、エルロイさん」
 吟遊詩人がまるで琴の音を響かせるかのような声で語り掛ける。エルロイは二日前に聞いた彼の名前をぼんやりと思い出しながら、柔軟体操を終える。
「ああ。   ゼル、だったっけか?」
「はい。小生の名前を憶えていてくださって光栄です」
「そんな、大袈裟な」
 エルロイがそう冗談めかして笑うと、ゼルの隣に控える小柄なミノタウロスの少女は目を鋭くして睨み付けるのだった。
「ゼルの事を良く知りもしない癖に偉そうにすんなよなっ」
「………」
   何故、私を見る」
 あのミノタウロスの突然の喧嘩腰な態度。エルロイは少なからずデジャブを感じ、心当たりについつい視線を向けるのだった。
「こら。ケイフこそ、頑張っておられるエルロイさんに失礼ですよ?」
 怒りの欠片も見せずにそう諭すゼル。よもやこれが弱点とばかりに、ケイフと呼ばれたミノタウロスは耳を垂れる。
「だってよぅ……此奴、さしてゼルと話もしてねぇのに、呼び捨てにしてるんだぜ?こっちは態々“さん”付けで呼んでんのによーぅ」
「おっと、こりゃ悪かったな。見ての通り、口が悪い質でね。気分を悪くしたなら改めるぜ」
「いえいえ、小生の方こそ慇懃無礼でありましたので。共通の友人を持っているということで小生も呼び捨てにさせていただきます」
 とても礼儀正しく、それでいて友好的な態度。纏う穏やかな空気もさることながら、その物腰も柔らかである。男にしておくのはもったいないくらいだ。……それに比べて   エルロイは周りの女性陣を見回す。
「ゼル、あんなん(ヴァーチャー)ダチじゃねぇって! 只の手下だぜっ」
 粗雑な口調で、苦笑するゼルの肩に腕を回し、強引に揺さぶりながら頭を擦り付けるミノタウロスが一匹。あれは甘える仕草だろうか。口調の割りには、吟遊詩人に対して依存しているような印象を受ける。
「ねぇ、君ぃ……可愛いね〜。お姉さんと一晩エロエロなロデオを体・感っしない〜?」
 豊満な胸を腕で挟み込み、今から試合に臨もうというエルロイに向かって誘惑し始める大柄なミノタウロスが一匹。……そして
   貴様っ。私のエルロイに色目を使うな!」
 そう叫んで迫りくるミノタウロスの前に、壁と成り立ちはだかる。ほっとするエルロイではあったが、迫ってきたミノタウロスはその様子にクスクス笑みを浮かべるのだった。
「あれぇ? その子、君のなの〜?」
「そう……いや、違うっ! エ、エルロイは只の……そう! 私の下僕だっ!」
 拳を振り上げてそう宣言するチェルニー。粗方予想通りの返答だっただけに、エルロイは顔を抑えて俯く。
「そ〜なんだ〜……でも、貴方からその子の匂いがしないよ〜?」
「は? 何を言っている?」
「だぁかぁらぁ。貴方はまだその子に貰われてないってことぉ♪」
   っ!」
 …その意味を察したらしい瞬間の、声にならない悲鳴。チェルニーは涙目になってエルロイをキッと睨む。エルロイは驚いて叫ぶ。
「!? 俺の所為!?」
「貴様が貰わんからだっ」
「いや、俺、いつでも   
「それ以上は言うなぁーっ」
「どっちだよ(スパァンッ)痛ぇっ!?」
 理不尽にもビンタを左の頬に一発貰うエルロイ。紅葉が白い肌にまざまざと残る。
「ぁにすんだぁっ!?」
「五月蠅いっ」
「うるさいってな(スパァンッ)痛ぇーっ!?」
 逆の頬にも炸裂。見事に両方の頬に紅葉が現われた。チェルニーの腹の虫もそれで納まったらしく。鼻息荒くエルロイに背を向ける。八つ当たりを喰らったエルロイは悲惨な気持ちで一杯だった。
「……俺、今から試合なんだけど」
 両頬を押さえて痛がるエルロイ。耳もキンキンと痛むし、頭もグラグラと……そんな風に感じていたが、ある事を聞きそびれている事に気付く。
「? あれ? そういえば、ゼル達はなんで此処に? セコンドしか入れないんじゃ」
 透かさずチェルニーが尖った耳を上下させる。勢い良く振り返ると、満面の笑みをエルロイに向けるのだった。
「良くぞ訊いてくれたっ」
「いや、正直お前に訊いてないんだが…」
「此奴等は私が……わ・た・し・がっ。連れて来たのだぞ!    勿論、貴様の為では無い!」
 ビシッと指差されるエルロイ。その表情は煩わしそうにゆがむ。
「無視か。てか、何で?」
「貴様は曲を聞いて踊るのだろう? だったら、此奴等の演奏を聴けば、貴様も踊りやすかろうと思   ごほんっ。と、兎に角だ。此奴等の力を借りれば、相手は貴様の武にひれ伏す結果となろうっ」
「いちおー、俺の為なのな」
「ち、違うぞっ。断じて違うっ。な、何を勘違いしているのだ! 貴様は……っ」
「……ま、ありがとうって言っておくべきか?」
 赤面して黙るチェルニーに、エルロイは形だけではない感謝を述べた。続いて、チェルニーの我儘に付き合ってくれる寛大な心を持ったこの吟遊詩人に向くのだった。
「悪ぃな。面倒に付き合わせちまって」
「いいえ。小生の吟遊が誰かの助けになるというのなら、小生は助力を惜しみません」
「……ありがとうな」
 エルロイはひん曲がった根性をしているが、そもそもは彼の根の優しさを裏切る人間が周囲に居たからだ。人間関係が荒みきっていたエルロイにとって、ゼルの天然記念物級の寛大さはカタルシスを味わう寸前までエルロイを感動させたのだった。
   ところで、ヴァーチャーさんはどこ〜?」
 大柄なミノタウロスが指を咥えて周囲を見回す。それを、妹という位置付けらしい、ケイフが呆れて諭す。
「姉貴……あんな奴の何処がいいんだよ。趣味悪いぜ」
「え〜? だって、だってぇ、あの、ふかぁ〜い目。お姉ちゃん、あんな暗い目も、邪悪な魔力も、見たことないも〜ん。そりゃあ、何だか近寄っちゃいけない気がするけどぉ……女としては、ああいう危険な雰囲気の男の人って、魅力あるのよぉ〜?」
「だから趣味悪いってンだ。ゼルを見ろ! まるで邪気の無い目! 攻撃性ゼロの安全性!」
「はい?」
「……そ、それもいいけどぉ……お姉ちゃん的には、危険な綱渡りもしてみたいところなのよねぇ〜」
 そう話す吟遊詩人一行に対し、自慢げにチェルニーが口を挟む。
「ふん! あんな変態は、もう登場せんぞっ」
「変態さんなの? やぁん♪だいかんげぇ〜♪」
「訊いているか? 人の話を」
 チェルニーが自身の英断   まぁ、ヒミツをばらされて怒り狂った挙句、ヴァーチャーをボコボコにしてクビにしただけなのだが、その話を幾許か誇張して話そうとしていた話の出鼻が挫かれ、意気消沈する。

 ……エルロイは判っている。今感じた嫌な予感は、確実に気の所為に終わらないと言う事を。 



――――――――――



「さぁ、やって参りました、マイテミシア大武闘会第三回戦! 次のカードは皆さんお待ちかねの、あのエルロイ=バルフォッフ選手が入場致しますっ。どうか、盛大な拍手でお迎えください!!」
 ワァァァッ
 エルロイが姿を現した瞬間、会場から声援が飛び嵐のようにエルロイに降り注ぐ。彼は若干気を病みながらも、静かに会場に手を振り、そして舞台に上った。既に舞台の上には対戦相手が立っていた。

   なんじゃ。小童如きが儂を待たせるとはの」
 何処か眠たそうな、こちょこちょっとした声。それを耳にしただけでエルロイには判る。此れはまだ年端の往かぬ少女のものだ。そして彼の目の前で腕を組み、むすっとした表情で対峙している相手は確かにその声相応に幼い体付きをしていた。
 いや、幼い……どころではない。エルロイは戸惑った。
 目の前に居るのは、明らかに大人の遊びに付き合うのは駄目な見た目をした少女の姿。只、魔物といわれれば、確かにその頭に二本の角が生え、手足には野獣の毛…というより、何かのコスプレっぽく見えるのは彼女が野獣とは程遠いくらいに可憐だからだろう。
 だがその可憐な少女はエルロイを見て、また更にムスッとするのだった。
「むぅ、なんじゃ。御主、白子(しろこ)   アルビノ   か」
 少女はもふもふの手を後頭部に回し、足を組んで退屈そうに振舞う。
「不吉じゃのぅ。体付きも抱き心地悪そうじゃし、肌が白すぎるのは気味が悪いわ」
「む」
 今まで困った事がなかったので本人も忘れていたのだが、エルロイはアルビノだ。肌が白いのも、髪が白いのも、瞳が白いのも、その所為だ。
 だがチェルニーは彼のその姿を美しいと思っていた。美意識を否定されたように感じた彼女は、透かさず壇上の少女に指差してこう喚く。
   貴様っ。エルロイの驚きの白さを侮辱するなっ」
「お前は、人を洗剤みたいに言うな」
「どっちにしろ、タイプじゃないのぅ」
 一通り話す事も終わったらしいことを確認した審判の声が、何処からか会場に響き渡る。
『ピロートークは終わりましたか?』
「……アンタ、ホントに職務関係なしだな」

 前回は公私混同甚だしかった審判により勝利をもぎ取った。だが今回、エルロイは審判の姿を壇上に探すが、見当たらない。審判の声は確かに会場の中に響いているのに、だ。
「じゃぁ、早速開始……する前に、ちょっと昨日の一件で大会の進行方法が変更されましたので、ご説明いたします」
 そう説明を開始する審判だったが、舞台の上にその姿は見付からなかった。
「え〜、私の不注意で試合に水を差したというご指摘がありましたので、急遽審判の位置を舞台の外に変え、実況という形と並行して行いたいと思います。宜しいでしょうか、お二方」
 エルロイは、今度は会場全体を見渡すが、審判のエキドナの姿はまだ見当たらない。釈然としない気分になるエルロイに対し、少女は素っ気無く審判の声に応える。
「儂はどっちでもよい」
「俺も、異論ないぜ」
「では、この状態で進行してまいりたいと思います」
 追随して応えるエルロイは遂に審判の姿を見付ける。舞台の外の本当に脇に、仮設的に設けられた実況解説席。其処には審判として見慣れた顔があった。
 だがその隣にはもっと見慣れた顔があった。

「では、改めて挨拶してまいりましょう、私は今大会の審判兼実況をさせて頂きます、ルゼでございます。皆さん、よろしくお願い致します」 

 オオォォォ…ッ

 呼応するかのように会場は波打つ。次に会場に声が響く。
「では、解説はいつもの(?)ように」
「ごほんっ。   はい、このヴァーチャーが勤めさせていただきます」
『………』
 実況席には、昨日セコンドをクビにされて出番を潰された、あの東洋人の姿があったのだった。



「彼奴、すんなり出番見付けくぁwせdrftgyふじこlp」
 チェルニーの解読不明の絶叫。エルロイもなんともいえない顔でヴァーチャーが淡々とした表情で解説席に座っているのを眺めている。
「……出番を見付けるのが早ぇな。プロの犯行か」
「何のだ!? 何のプロなのだ???」
 舞台に身を乗り出すチェルニー。無性に込み上げる悔しさと歯がゆさに「ぐぬぬ」と唸りながら呟く。
「デビルバグ並に生命力が強い奴めっ」
「いいんじゃねぇの? 別に彼奴が邪魔してくる訳じゃねぇし」
(私の恋路を邪魔してるだろうが……っ!!?)
「あ? いや、そんな……俺に殺意を向けられても!?」
 戸惑うエルロイ。だがそんな事も構わず、審判は試合開始の鐘を鳴らす。   なお、此れより以下の『』は実況席からの拡声魔法による遣り取りである。

   三回戦、午前の部、第一試合、エルロイ=バルフォッフ対バフォメットのマオルメ!』

 オオォォォ…ッ

「かったるいのぉ」
 試合開始が告げられ、銅鑼が鳴らされる。エルロイが意気込んだ様子で扇を開くのを見て、一言、そう言った。   向こうにもセコンドが付いている。
「頑張ってっ。教祖さまーっ」
「この大会に優勝して、私達サバトの活動を全国のお兄ちゃん達に宣伝するんですよーぅ」
「あー。判っとる、判っとる。心配せんでも、こんな小童、一瞬で塵に変えてやろうぞ。(はぁ、全く。折角の休暇が台無しじゃな……トホホ)」
 無気力にそう言い放つバフォメット、マオルメ。今の発言を聞いた審判は、念の為、と言った風に口を挟む。
『あのー。布教活動に熱心なのは宜しいのですが、殺しは反則負けですので』
「む? そうなのか。……楽しみが一つ減ったの」
「なんか、怖い事言ってるっ!?」
 エルロイは背筋を凍らせた直ぐ後、解説者席に座るヴァーチャーに視線を向ける。
「ちょ……ヴァーチャー! なんなんだ、この女の子達!? 魔物?」
 どうやらエルロイはサバトを知らないらしい。世間知らずが堂に入っているチェルニーも勿論知らない。吟遊詩人は何か知っているようだが、今は尋ねられているのはヴァーチャーだ。だがそんなヴァーチャーは冷たい目をしながらこう言い放つ。
『……私は解説者ですので、なんとも言えませんね』
「鬼めっ」
 エルロイは舌打ちする。今まで彼は女の子に攻撃する事を躊躇して生きてきたのだ。それなのに今対峙している相手はどう見ても今までと飛びぬけて年齢が浅い。こうなっては気絶目的でも、攻撃が出来ない。只救いなのは、今までの勝負と違って相手は性的な勝負に乗り気ではないという事。エルロイは一瞬、目の前の少女と繋がった瞬間を想像すると、自己嫌悪で吐き気がした。
 其処で自分に控えている参謀に目をやる。殆んど目で助けを求めている。だが参謀は、腕を組み、真直ぐエルロイを見詰め返して「うむ」と頷くだけだった。
(何、その頷き!? 作戦、訊いてないんだけど!?)
「存分にやってしまえ! エルロイ!」
「何をだ   っ!!?」

 呆れるくらい噛み合っていない二人。今の所起こった事といえば、舞台の上でエルロイとチェルニーがそんな会話を交わしただけだ。マオルメはその場から一歩も動いてはいないで、二人の遣り取りを見詰めているだけだった。
「つまらんのぅ」
 だが途端にそう呟くと、静かにボソボソと詠唱を始めるマオルメ。すると直ぐにその手の先に妖しい光が集まり始める。エルロイは敏感にその不穏な気配を感じ取る。
「おうっ!? (何か知らんが、やばい気がするっ)」
   これで終いじゃ」
 ドォウン、と大砲を放ったかのような音と共に光の玉が放出される。エルロイはそれを咄嗟に躱す。光の玉は、観客席に着弾……するまえに霧のように消え去った。解説席からそれを見たヴァーチャーは舌を巻いて、拡声器に口を開く。

『流石、現魔王軍の幹部であり、魔獣族に分類される魔物では最上級の実力を誇るバフォメットですねぇ。魔力の扱いは自由自在に近い。本来ならばレベル70以上でやっと相手が務まるぐらいなのですが。それに対して、エルロイ選手はつい最近までハンサムなプーを自称していた男ですからねー。実力的に見ても、生活力的に見ても、分が悪い。……此処ではセコンドの采配が問われますねー』
『そうですか。ところでエルロイ選手のレベルは幾らなのでしょうか?』
『んー……   2?』
「何処まで采配に頼らなきゃいけねぇんだよっ」
 てか俺、弱ぇ   ! 
 思わず絶叫する。レベル68差を采配で引っくり返すしか勝機はない、という発言に士気も萎えるエルロイ。マオルメはそんな彼を、まるで餓えて苦しむミミズを哀れむような目で見下すだけだった。
「ふぅ、殺さずというのは面倒な事じゃのう。まぁ、遊び如きで血が流れるのは確かに無粋じゃが」
「キャーッ。教祖さまー」
「今日も可愛いですよー。頑張ってくださーい」
 背後では魔女達が姦しい声と拍手が送られているマオルメ。本当に指一本動かしたぐらい、といわんばかりに余裕を示す彼女の一言だったが、エルロイの額には確かに冷や汗が滲んでいた。
「案ずるな。儂が負ける事など、ミミズが逆立ちするぐらいあり得んのじゃ。後、儂が可愛いのはいつもの事じゃ」
(ち……こりゃあ女の子だから手が出し辛いとかじゃなくて、実力的に手が出せねぇな)
 圧倒的な実力差を見せ付けられ、そう考えあぐねるエルロイ。そんな彼の焦りの気持ちも露知らず、ゆるい実況が会場に響く。

『それよりもどうですか? 今の攻撃、エルロイ選手は躱しましたが』
『そうですねぇ。かなり手加減していたようですが、魔力レジストのスキルのないエルロイ選手では、死なないまでも、直撃すれば植物状態になる期待はありますね』
「そんな期待、要らないからっ!?」
 エルロイの絶叫が木霊する。慌ててチェルニーに目配せするが、チェルニーは何を勘違いしたのか、エルロイの意志を微塵も感じ取らずに赤面する。
「ば、馬鹿っ。そ、そんなことをする暇があったら、と、突撃でもしてみせろ……っ」
「何勘違いしてやがる!? 突撃なんか、出来るかぁぁ   っ!!」
「ギャーギャー五月蠅いのぅ」
 そう呟かれて放たれた第二弾。エルロイはまたしてもその身のこなしで躱すのだった。
「うおぉいっ!? ちょっと、不意打ちは止めてくんねぇかなぁ!?」
「身のこなしは褒めてやる。じゃが、早々に勝機は失せておるのじゃ。大人しく降参せよ、小童」
 無視され、挙句そう慈悲を掛けられるエルロイ。本人も是非ともそうしたいと言わんばかりに溜息を吐く。だがそんな背後ではあろうことか、チェルニーがマオルメにこう喚き立てるのだった。
「貴様こそ、エルロイを侮るな!? エルロイが本気を出せば、貴様なんぞタコだぞっ!!」
 会場に響き渡る、チェルニーの啖呵。熱を帯びてきていた会場に、一気に火が燃え移ったように観客達が沸き立つ。衆目の前で挑発されたマオルメも、そこそこ本気になりそうな表情をその可憐な顔に除かせる。
「……ほぅ。儂をタコにのぅ」
   俺、死んだ」

 もう既にこれから起こりそうなことを想像しただけで死人の血色を見せるエルロイ。すると、ヴァーチャーが少し、然程気にも留めないぐらいだが、場違いな(というより、違和感のある)解説を始めるのだった。
『(……)会場で判らない方もいらっしゃると思いますので、敢えて此処でご説明いたしますと、今現在バルフォッフ選手と戦っているバフォメットという種族は、宗教団体サバトの長を務める存在であります。セコンドに立たれているまだ年端のいかない少女達は、サバトに所属する魔女であります。……見た目こそ少女そのものですが、人間よりも長い年月を生きています』
 そんなことを会場の男達にアピールする。彼方此方でどよめきが生まれる。
「ぬ? 彼奴……一体、何を?」
 勘の良いらしいバフォメットのマオルメはヴァーチャーの思惑にいち早く疑いを掛けるが、実況と解説はなおも続く。
『いやぁ、それにしてもあの見た目で魔王軍の幹部とは、驚きですね。ヴァーチャーさん』
『ええ、それに控えている魔女達の見た目にも驚きです。絶対こういう大会にでちゃいけないと思うんですが。其処等辺が無法国家らしい、ということですね。最早、児〇ポ〇ノ法改変とか糞喰らえですね。一瞬この国に移り住もうかと考えましたが、全くの気の所為でした』
 そんな内容から、セコンドに立つ三人の魔女達に注目が集まる。教祖であるバフォメットと違って、彼女達はこの状況を素直に喜んだ。
「わぁ! あのお兄ちゃん、私達の事知ってくれてたんだぁ♪」
「私達のお兄様かな」
「ん〜……違うみたい? でも、私達の事、宣伝してくれてるっ。ありがとぉ!」
 魔女達が体一杯に振った手に、ヴァーチャーはにこやかに手を振り返す。若干えこひいきにも見られる行為だが、試合に直接関与しない分咎めは無い筈。マオルメも自身によい状況だと判断して、深く考えない事にした。
『彼女達が現われた瞬間、会場が一気に“ろりこんわぁるど”に引き込まれてしまいましたが、ヴァーチャーさんはどう思われますか?』
『全く、これだからロリコン共は』
 会場から歓声が上がる。雰囲気に呑まれたエルロイ達はやりづらさというものを感じるのだったが、エルロイは其処でヴァーチャーの別の思惑に気が付く。
(彼奴、えこひいきに見せ掛けて   それとなく、俺に情報を流した?)

 向こうの立場に立てば利益が生じる。だがそれは隠れ蓑に過ぎず、今の解説が本質的に有利に働くのはエルロイの方。向こうは、向こうの利が生じればそれ以上考える事はない。
 解説者という、本来中立な立場でやれる、精一杯の援護。エルロイは、ヴァーチャーの計略に舌を巻かずには居られなかった。
(恐らく、これ以降あんな感じで俺に情報か、若しくは直接的な指示を出すんだろう! 注意深く、ヴァーチャーの言動に耳を立てねぇと!)
 だが予想外の出来事がエルロイの意に反して起こる。ちらりと見た自分のセコンド側に、チェルニーの姿がなかったのだ。

    ま   さ   か。 



 バァンッ
「おい、ヴァーチャー! 貴様、エルロイではなく、相手の方を贔屓するとはどういうことだ!?」
「あぁっ!?」
 強く机を叩く音。エルロイが見たのは、実況席に怒鳴り込むチェルニーの勇姿であった。
『え? あ、あのぉ』
「解説者というのは審判みたいなものだろう? だったら、中立の立場で勤めを果たしてもらわんとなっ!」
『……ええと』
 チェルニーの図々しくも一見正当な介入にヴァーチャーは困惑した表情を見せる。流石にこれは予想外だったらしく、表情がカチンコチンに凍ってしまっていた。審判のエキドナは苦笑いしながらアナウンスする。
   エルロイ選手側から物言いがありましたので、一旦試合を中断いたします』
(いやぁぁっ。止めてぇぇっ!?)
 心中でそう叫ぶ。だが暫く経って……エルロイの願いは届かず。意気消沈といった口調でヴァーチャーのアナウンスが流れる。

『……申し訳ありませんでした。以後、慎みます』
「ふむ、それでいい!」
「よくねぇッ!?」
 悠然と戻ってきたチェルニーはエルロイに、飽くまで悪意のない、それでいて一仕事終えた後のような爽やかな笑顔を見せる。
「どうだっ? 言って来てやったぞっ?」
「………」
 「褒めてくれ」と謂わんばかりの目を向けられる。まるでいい子にお留守番でもしていた犬が、ご主人様に対してみせる期待の目、そのものだった。
 駄目だ。此奴、早くなんとかしないと。エルロイはそう思ったが、舞台に立った以上、降りれば反則負けに決まっている。どうする事も出来ない状態。地味にだが、エルロイはなんの支援も無いままの状態で切羽詰ってしまったのだった。
 ん……? 支援といえば   エルロイはセコンドを見る。
「あの、小生の吟遊は……?」
 恐る恐るといった感じに声を出すゼル。チェルニーは此処で始めて彼の存在に気付いたかのように驚くのだった。
「おお、すっかり忘れていた」
「お前が呼んだのに忘れてんじゃねぇよっ」
 エルロイは苛立ちの声を発するが、その一方で光明が見えてきたような気がした。淫らな戦いを演じる場面ではなく、純粋な戦いが求められる今、エルロイの舞業を強めると期待される吟遊詩人の琴謡が将に必要とされているのだ。
「頼むぞ? エルロイを勇気付けてやってくれ」
「承知いたしました」
 ゼルは素直に頷くと、エルロイの見ている前で自身の琴を取り出し、さらさらと指で撫でてみせる。
『おおっと? 此処でエルロイ選手のセコンドの吟遊詩人が曲を奏でるようです』
『エルロイはダンサーですからね。バックミュージックがあれば、純粋な戦闘では強化が期待できるでしょうが、正直、バフォメットと渡り合える実力が得られるかというと微妙ですね……。でも、一体何の曲を奏でるのかは気になります』
「む? 何か始まるのかの。この状況から何をしてくるのか、楽しみじゃ……」
 実況席がそう勝手に語る中、マオルメもゼルの動きに興味を持ち、攻撃の手を止める。会場全体が固唾を呑む中、ゼルが弾き始めたのは――身を打ち震わす激しい曲調。

    ギャギャンッギャーギャンッギャーギャギャンッ

「!!?」
   こらぁっ!!』
 ゼルの演奏を掻き消さんと、会場に備え付けられている拡声魔法を通して会場に響き渡る怒鳴り声。そして次の瞬間、白い影がゼルの額をぱこんと打ち抜くのだった。
「痛い」
「あーっ!? てめ、ゼルに何しやがるっ」
 ケイフが睨み付ける先には、慌てて解説者席から飛び出してきたヴァーチャーが目を見開いて立っていたのだった。
「何しやがる、はコッチや!! 何故その曲を知っている!?」
 ヴァーチャーは何やら怒っている様子で、解説者席からゼルに投げつけた白い厚紙で折りたたんだ扇のようなものを拾い上げる。それを気にもせずケイフはゼルの株を上げようと、献身的に気遣っていた。
「大丈夫か? 全く、乱暴な奴だぜっ。こんなにひ弱なお前を傷付けようとするなんてなぁ?」
「……ミノタウロスに乱暴者扱いされるとは……」
 すっかり職務放棄を果たしてしまったヴァーチャーは、観客のざわめきに気不味そうにしながらも、立ち上がったゼルを睨み付ける。ゼルは戸惑いつつも笑って、ヴァーチャーに対峙する。
「ははは……お気に召していただけませんでしたか? よい曲だと思ったのですが……」
「よい曲……まぁ、それは認めるし、思わず戦いに赴きたくなる曲やけど、色々とな? 迷惑が……」
「題名はごにょごにょ」
「アウトーっ」
 スパァンッ
 透かさずヴァーチャーの持つ扇がゼルの頭を叩く。チェルニーのビンタよりも、快活な音が会場に響いた。



「……何をやっているのじゃ? 彼奴等は」
 相手側のセコンドに解説者が突っ込みを入れて、てんやわんやとなっている。流石にこの茶番にはマオルメは肩を竦めずには居られなかったが……直ぐに状況は落ち着きを取り戻す。

「(ドゴスッ)へぶっ」
「おい、ヴァーチャー! 何故私の策の邪魔をするのだ。エルロイが負けてもいいのかっ」
 最終的にその騒乱が収まりを見せたのは、チェルニーの蹴り一発だった。その一発がヴァーチャーの横っ面を一撃し、騒動を収めた。彼はへたりと地面に座り込む。 
「……違うやん。責められるべきなのは俺じゃないやん……」
 頬を押さえ、悲痛に呟くヴァーチャー。まるで哀れな生き物を見るかのような瞳で、チェルニーが首を傾げる。
「はぁ? じゃあ誰が悪いのだ」
「……某ツンデレ処女エルフ」
 ドゴス、とヴァーチャーの鳩尾にチェルニーの蹴りが炸裂する。悶絶しながらヴァーチャーは、何かを訴えかけるような瞳でエルロイを見詰める。それに気付いたエルロイは、そのヴァーチャーの意志に何かを感じたのだった。
(……今の所、ヴァーチャーは俺等の味方だ。何故俺の邪魔になることをこの時点でやったのか?)
 ゼルの演奏を邪魔した。それは、チェルニーの策で唯一救いのある要素であっただけに、エルロイがヴァーチャーの行ったえこひいきの意味が直ぐには判らなかった。……だが、それは試合が再開した後、直ぐに判る事になった。

 ♪〜…♪…♪〜………

 ゼルが普通の、穏やかで気持ちが落ち着くような琴の音を弾く。そのたゆたう歌声のような調べを聴きながら、舞台の上ではエルロイとマオルメが対峙しあっていた。
「ほほう、よい調べじゃのう。要らん時間を過ごしたが、聴くに値するものよ」
「………」
『……ヴァーチャーさん、大丈夫ですか?』
『けほっ、けほっ   だ、だめぽ……』
 腹を押さえてまだ悶絶している様子のヴァーチャー。まともに声も出せない様子。一方のエルロイは未だ引っ掛かっていた。何故、ヴァーチャーはゼルの調べを邪魔したのか。そんな疑問を幾許か、自分の中に問い掛けた時、周囲に異変が起こり始める。
   あれ……? なんだか、すっごく……アソコが……ムズムズするぅ……」
「うぅ……ホントだ……。なんか……変な、感じ……?」
 マオルメ側に控えるセコンドの魔女達の様子が、変わった。
 ついさっきまで自分達の教祖を応援していたというのに、段々とその目を蕩けさせ、終いには三人がお互いに抱き合って、濃厚なキス。そしてその両の手は互いを強く結び付けあいながら、互いのスカートの中に引き込まれていき……
「はぁ……っ♪ ん……ん……っ」
「なにこれぇ……? とま……止まんないよぅ……っ」
「えへへ……我慢できなぁい……♪」
 不純な会話が耳に入ると、淫らな水音が辺りに響き出す。エルロイともども、観客達は舞台の上ではなく、外で繰り広げられる淫靡で背徳的な濡れ場に目を丸くしたのだった。

 ♪〜………♪…〜♪………

 辺りにはまだ優しい調べが響いている。ゼルの指はまたこの場でも饒舌に動き回り、奏でるのであった。
 そして次第に、魔女だけではなく、それ以外の魔物達も……
   ヴァーチャー、さん……っ』
 審判の甘い声が会場に響いたと思えば、何やら不穏な音がマイクを通じて響き渡る。一瞬の高い音が跳ね上がる。耳を劈くようだった。
『観客に解説なんて、もういいから……私のことをたっぷりと実況してぇ……♪』
 だが彼はこの事態を予測していたらしく。
「………」
    キュィィッ
 自身に覆い被さる蛇の体を受け止めながら静かにその目を見詰める。僅かにふわっとした空気が生じ、そのまま接吻といった流れになるかと思いきや、急激にエキドナの瞳に活力が戻ったのだった。
「……っ!? あれ!? わ、私……何を……っ!?」
 ヴァーチャーを押し倒している自分に気付き、赤面して戸惑うルゼ。ヴァーチャーは何の笑みも見せずにマイクを元の位置に戻す。
「俺、ちょっとトイレ。此処は頼みますね」
「え、ええ……」
 まだ気持ちの整理が追い着いていないエキドナを置いて、ヴァーチャーは再び解説者席を立った。

 そしてトイレではなく、エルロイ側のセコンドに顔を出す。其処では溢れ出る衝動に耐え切れず、思わずへたり込んでしまっていたチェルニーが居た。
「っ!! ヴァ、ヴァ……チャー……っ」
「はぁ……。   やっぱりな」
 完全にこの事態を想定していたらしいヴァーチャーは、呆れを込めた溜息を思い切り吐き出す。チェルニーはそんな様子もお構い無しに、甘い嗚咽を漏らしつつ、ヴァーチャーに助けを求める。
「くっ、あぁっ! ヴァ、ヴァーチャー! すまん、発作だ……っ。いつものを……っ」
「へいへい」
 ヴァーチャーはさっきまで腹を蹴られるなど、散々な目に遭わされて来たにも関わらず、素直にその求めに応じる。そっと近付いて、瞳の色を変える。
    キュィィッ
 やがて落ち着いた様子のチェルニーだが、頬を微かに染めてへたり込んでいた。その手は何かを隠蔽しようと、スカートの前面部分を頑なに抑えていた。
「………」
 股間を隠し、ばつ悪そうに遠くを見詰めるチェルニー。予想外の事態に会場全体が混乱する中、エルロイも舞台の上で周囲の異変にあたふたしているだけだった。
「な、なんだ? 何が起こったんだ?」
 エルロイは相手を見る。すると、対峙するバフォメットの幼い顔には微かに紅潮が見られ、心なしか胸の上下が激しくなっているのだった。
「はぁ、はぁ……っ。   なんじゃ、この力は……わ、儂の部分が疼く……っ」

 ……♪〜…♪〜………♪

 それでも周囲の異変に気付かぬかのようにゼルは静かに琴の音を鳴らし続ける。やがて、チェルニーがそんなゼルの前に拳を振り上げる。
「おい! ど、どういうことだっ。貴様の琴の音で、最近収まっていた筈の発作が再発したぞっ。向こうのマセガキ共もそのようだし、舞台の上だって……!」
 するとそんな事態にも関わらず、安穏としていたケイフがこう教える。
「ん? ああ……ゼルはインキュバスでな。意識していなくても、琴の音に乗せて、エロくなる魔力を撒き散らすんだよ」

   それを早く言えーっ」

 チェルニーの絶叫。そしてすぐさまゼルを飛び掛かり、演奏を無理矢理中断させる。……だが時、既に遅し。地面に頭を打って伸びているゼルの上に跨り、舞台上を見上げるチェルニーの目には、エルロイの悲惨な姿が映っていた。
「んく……お主……なかなかいい獲物を携えておるの……♪」
 幼い唇から発せられた、娼婦の様な甘い声。エルロイは両手両足を魔力で縛られ、舞台の上で自身の滾る陰茎を物曝しにされていた。
「くっ(縛術……!? 動けねぇ)」
 苦悶の表情を浮かべるエルロイ。縛られた体を必死にねじって拘束から逃れようとするが、圧倒的な魔力の前に、なす術もない。マオルメは息を荒げながら、這い蹲るエルロイの下半身に足を降ろす……
「うおっ!?」
 足の蹄で丁寧に皮を引き下げ、曝け出す赤い臓器を舐めるように品定めてから、舌舐めずり。
「ふむ。こんな身なりの儂に足蹴にされて喜んで居るのか? なんと、礼儀のなっておらん息子なのじゃろうなぁ……?」
「……よく、言い聞かせとく。だから、見逃して……っ!?」
「いいや、儂が直々に教え込んでやろう。何、遠慮するな……♪」
 そう言って嬉々とした表情で、エルロイの逸物を蹄の間に滑り込ませる。
 くちゅ
「あ……っく」
「ふふ、びくびくと蠢いておるわ。可愛い奴め……」
「ちょっとま……」
 エルロイが制止の声を掛けるが、マオルメはそれを無視し、足でエルロイの竿を愛で始めた。小さな足で裏筋を優しく扱く。鈍重な蹄でゆっくりと彼の分身を踏み潰す。獣の毛並みを携えるその小さくてふにふにとした足で、エルロイは自身の陰茎を存分に嗜虐されているのだ。三回戦まで来て、こんな見た目幼い少女に足でされているなど、エルロイにとって一番屈辱的でもあり……その反面、刺激的であった。
「ん……ん……」
「はぁ……熱くて、硬いのぉ……ほれ、裏筋はどうじゃ?」
「おほっ!? ちょっと待って……! こ、これは拙い……!?」
 幼い見た目であっても、男を魅了する術に長ける現代の魔物の一種。直接的な性行為に至らなくても、このような手管は人間の女よりも優に秀でるのだ。
『あーっと! エルロイ選手、マオルメ選手に足コキされていますっ』
 更に実況のルゼが身を乗り出して   ちょっと鼻血を垂らして   そう会場に声を響き渡らせる。観客は舞台の上で行われる、正にこれこそが公開痴態ショーと謂わんばかりに狂喜乱舞する。大勢の人間の注目を浴びて、エルロイは今一度躍動する。込み上げた激情は、マオルメの卵のような肌を白く汚したのだった。
 


   まぁ、仕方ない結末でしょうね』
 ヴァーチャーの声が呆れの色を見せる。舞台の上には、体に掛る多量の白濁液を指で掬って、口に運ぶ淫婦の姿が艶めかしく蠢いていた。
「ふふ……儂の様な身なりのものに踏まれて何度も何度も喜ぶなど、お主は余程救えぬ男じゃの?じゃが、お主にも拾う神はおるのじゃぞ?」
「な……んだ……?」
 一度果ててしまえば後は同じ事だった。あれから何度も絶頂を果たし、絞りつくされる寸前になるエルロイ。意識も朦朧とし始める。それでも陰茎から噴き出す欲望は量を減らさない。それもこれも朝食べたチェルニーの料理が要因としてあげられる。
 際してそのチェルニーだが、三回戦にもなってまだエルロイが絶頂を果たすのに涙目になる。そして、解説席に(ていうかヴァーチャーに)殴り込みをかけるのだった。
「ヴァーチャー! うぅ……助けてくれっ」
「そもそも、これはお前の失策が原因や。責任を取るというのも、参謀の立派な勤めやぞ?」
 拡声魔法に声が入らぬよう手で押さえ、足元に跪くチェルニーにあっさりとそう言い放つヴァーチャー。エルロイにとって全くその通りの事を言っている筈なのだが、チェルニーは目を鋭くして反抗する。
「な、なんで私が! そもそも、こうなったのはクビにされた貴様が蔭で何かしたからだろう!? なんて陰湿な男なのだ、貴様はっ!」
「……被害妄想、甚だしいな。現実に目を向けろよ」
 ほとほと呆れる様子のヴァーチャーだったが、チェルニーはその目付きからして頑と非を認めない。舞台に目を移すと、マオルメが薄ら笑いを浮かべて、エルロイから足を離したのだった。

   そう。お主を拾うものこそ、儂等、サバトじゃ。儂等の為に働く兄上の一人になってくれれば、お主の礼儀知らずの息子も救われるし、お主自身も救われる。どうじゃ? お主が救われる、唯一の手段じゃぞ?」
 エルロイは黙っていた。黙って、マオルメの妖艶に濡れる瞳をじっと見詰めていた。返答がないと見るや、マオルメは仕方なさそうに溜息を吐く。
「……そろそろ、儂の膣中(なか)に納まりたくなった頃じゃろう……?」
 挑発的にそんなことを言うと、マオルメは目を細め、自分の足に手を添わせる。まるでストリップをするかのように、太腿を撫でた手は、するすると足の付け根に這い上がっていき、その卑猥な肉裂に指を宛がう。その幼い体に漂う背徳的な淫靡さ。マオルメはエルロイを誑かそうとするサキュバスそのもののように、その女の部分に蜜を垂らして見せ付ける。
「これ以降、サバトの為に生きる事を誓うのならば、特別に儂の膣中(なか)で“洗礼”を受けさせてやる。どうじゃ?」
「くっ」
 エルロイの表情は、まるで犬か何かのようにだらしなく引き下がっていた。それを見たチェルニーは平静ではいられない。
「いやぁ……駄目ぇ……っ」
「……おい」
 ヴァーチャーが低い声でチェルニーを呼ぶ。彼女は縋るような瞳で、ヴァーチャーに向き返す。
「ヴァーチャー、お願いだ。クビにしたことは謝るっ。だから、私からエルロイを   奪わないで」
「……はぁ」
 ヴァーチャーは頭を何回か叩くか掻き上げながら、堪らなそうにしているチェルニーを見下ろす。掛けてやる言葉を暫く頭の中に探すと、もう一度溜息を吐く。
「謝る余裕があるなら、もうちょい見ていろ。エルロイが墜ちたと決まった訳じゃない」
「………」
 その言葉に、チェルニーは再び舞台を直視する勇気が湧きあがった。舞台の上では未だエルロイを懐柔しようとする少女の姿が、その秘裂をいやらしく曝し続けていた。
「どうじゃ? 儂も焦らされるのは嫌いではないが……恋人なぞ、気にするな。お主が何を望むのか……此処で教えてやればいいのじゃ……」
「……じゃねぇ」
 エルロイがボソリと呟く。マオルメは眉を顰めた。
「……なんじゃと?」

   俺は、ロリコンじゃねぇっ!!」

 会場に響き渡るエルロイの気迫は、観客の動きを止めた。マオルメは目を点にした後、失望したように深い溜息を吐くのだった。
『おおっ。なんと、エルロイ選手! ロリへの傾倒を……げふんげふん。マ、マオルメ選手の勧誘を断りました!』
「アンタ、すげぇよ!」
「漢(オトコ)だっっ!!」
 観客席から称賛を浴びるエルロイ。決してカッコイイ台詞ではないにしろ、“ろりこんわぁるど”に包まれていた筈の会場が、途端にエルロイの味方をし始めたのだった。その雰囲気を唖然として見回しながら、チェルニーはエルロイに目線を捧げる。
「……エルロイ……」
 すっかり放心してしまっている様子のチェルニーに、ヴァーチャーは全てを見通していたかのようにこう語りかける。
「諦めるのは楽やろう。やけど、彼奴はけっこーな事やってくれてるで? 今迄だって、これからだって。……君も、何かしら示すものがあるんやないか?」
「……で、でも、エルロイの勝利が決まった訳ではないぞ?」
 エルロイの心が離れる危険性は薄い。が、チェルニーにはまだ不安が残っていた。確かに、状況を見れば最悪だ。エルロイはマオルメの魔力に囚われてしまって指一本動かせない。   その時、ヴァーチャーが動いた。
「丁度、策が練れた所や。後はルゼさんにお任せします」
 解説者がそう言って席を離れようとしているにも関わらず、気付いていないかのように審判のエキドナは鼻血を垂らして息を荒げているだけだった。
 ヴァーチャーはチェルニーに見送られながら、一人ほくそ笑む。
(……ま、一先ずは合格かな……ギリギリ、だけどな)
 


   なら、無理矢理にでも儂等なしでは居られんようにしてやろう」
 拗ねた子猫のような、仕返ししてやるといわんばかりに意地の悪い表情を浮かべ、エルロイの猛る陰茎に容赦なくマオルメの秘裂が宛がわれる。亀頭が入り口を押し広げ、ゆっくり、ゆっくりと奥に入り込む……
「! や、止めろっ!!」
「ん、止めて欲しいか? だったら、大きな声で言うのじゃ……『貴方様の使い魔となり永遠に仕えますので、それだけは勘弁してください』と。後、序でに『自分は幼女に足でされて喜ぶロリコンです』と」
「後者は半分事実のような気がするが……それはできねぇっ!」
「愚かな。結果は何も変わらんというのに。だったら、素直に気持ちよくなる方が余程……♪」
 口では不満を漏らしながらも、満足げな表情を浮かべるマオルメ。静かにエルロイの陰茎を自分の中に誘おうとするが……そんな時、その耳が上下したのだった。



「! ……」
「……?」
 マオルメの動きが止まった。エルロイは不思議に思い、周囲を見渡す。すると、相手のセコンド側にヴァーチャーの姿があるのを確認したのだった。
「……でな……。で……それが   
「えー……うそー……」
「ま……きも……」
「どうて……ゆるさ……までだよね……?」

 どうやら、相手のセコンド、魔女達三人と談笑しているようだが、エルロイの耳には良く聞こえない。だがヴァーチャーの起こす行動だ。必ず何か意味があるのだと、エルロイは確信していた。
 そしてエルロイの予感通り、挿入を中断して離れるマオルメ。何を思ったのか、耳を上下に動かしつつ自らのセコンドの方を見詰め始める。彼女達が男と楽しそうに談笑しているのが気に入らないかのように。
「……私達……なんだ   
「へぇ……なの」
「マオルメ……だから……」
「成程……か」
「むむぅ」
 エルロイは、目の前に立つバフォメットがそんな風に呟いたのを聞き漏らさなかった。やがて、マオルメは眉を吊り上げてずかずかとセコンド側に歩いていくのだった。
「おい、お主等っ。儂に隠れて、何を話しておるのじゃ!?」
 どうやら気になって仕方なかったらしい。目をツンと引き上げて、その集団に詰め寄る。だがヴァーチャーと魔女達は結託したかのように、さらに声の音量を下げて彼女に聞こえないように振舞うのだった。……それが簡単にマオルメに火を灯した。
「むむぅっ。さては儂の悪口じゃな!? お主等、恩も知らずに儂のことを〜っ」
 そう怒りを表しながら   といっても、どこか可愛らしい姿なのだが   四人に詰め寄るマオルメ。終いには舞台から降りて、四人の輪に顔を突っ込む。それを見た審判は目を大きく見開きながらも、マイクを握り締め叫んだ。

『!? マ、マオルメ選手っ。場外に出たことにより失格とし、この試合   エルロイ=バルフォッフ選手の勝利!!』

 オオォォォ…ッ



「……え?」

 勝負が決した事により、歓声が上がる。だが勿論呆気に取られている者も居た。
 ……反則負けになった、マオルメと魔女達だ。
「えぇーっ!? そ、そんな! 場外に出たら駄目とは聞いておらんぞ!?」
『開会式にて、説明いたしました』
「そんなー! 教祖様ーっ」
「い、いや、待て! わ、儂!? いや! この……この男が儂を嵌めたのじゃあっ!?」
 今にも泣きそうな表情をして、ふさふさの手からヴァーチャーに指を突き出す。だがそれに対して彼は冷淡にこう言い放った。
「俺はセコンドの彼女達にサバトの事を聞いていただけですよ。解説するにしても、色々と知らないこともあるし、今後の為にもと思って」
「嘘じゃあっ。この男から悪意が感じられるのじゃあっ」
「悪意? そんな抽象的なもの、誰が証明するんです? そんな事より、状況を見てください、マオルメ選手。貴方は自分から舞台を下りたんですよ。何処をどう見ても、俺は何ら関わりのない事。魔王軍の幹部ともあろうお方が、言い訳など、みっともないではないですか。クフフ……」

 ヴァーチャーの勝ち誇った表情。彼が故意にこの状況を作り出したのはエルロイ達の目から見ても明白だった。だが、誰にも其れを口に出すことは出来ない。結局、マオルメが悪いと言う事に尽きるのだ。だが、それに納得のいかない様子の本人。終いには、目元に光るものが頬を伝うのだった。
「うぅ……。屈辱じゃぁ……。この事がばれたら、魔王様になんと言えばよいのか……」
「教祖様ー。元気出してー」

「みゅぅ……ひぐっ……   うわぁぁぁんっ」

 最後には決壊した堤防のように涙を流し始め、選手入場口に走り去っていくマオルメ。
「あ! 教祖様、待ってくださーい」
 其れを追う魔女達もまた、エルロイ達の前から姿を消した。未だ歓声が舞台を揺るがす中、エルロイは逸物をズボンの中に仕舞いこみ、何もやっていないくせに手を振って英雄を気取る。そして舞台から降りて、チェルニーの元に向かう。
 ……彼女はヴァーチャーを見詰めて凍り付いていた。
   そんな」

 自分が必死になって思案した策が、エルロイの為に考えた策が、結局はエルロイの為にもならず、裏目に出てしまった。なのにヴァーチャーはいとも簡単に劣勢を覆しただけでなく、エルロイを勝利へと導いてしまった。その現実、自分の無力さと今までやってきた事が只の空回りである事に気付き、チェルニーは打ちひしがれていたのだ。
 だがそんな彼女の肩をエルロイは叩くと、少しやつれた顔で微笑んでくれた。
「今回はありがとな。まぁ、若干裏目に出てたけど……まぁ、相手が悪かったんだって」
「………」
 チェルニーは応えなかった。握り締めた拳が、わなわなと震える。
   私は……」
「ん?」
「私は、貴様に幸運を齎すのではないのか?」
 エルロイはギョッとする。チェルニーが、唇をきゅっと噛み締めて、悔しそうにスカートを握り締めていたのだ。
「え……」
「いいや! 忘れたとは言わせんぞっ」
 途端にそう喚いて、エルロイに顔を近付けるチェルニーだったが、直ぐに瞳を落として引き下がる。
「なのにっ。私は……貴様の足を引っ張って、挙句貴様がピンチになって……最後には、ヴァーチャーに尻拭いされてしまった……」
「チェルニー、気にすんなって」
 エルロイは笑いかけながらチェルニーの肩に手を乗せる。だが、彼女はその手を払い除け、鋭い瞳で彼を睨み上げる。
「気にするな!? よくもそんなこと!」
「……え?」
「私は幸運の女神なんだろう!? なのにこの体たらくだ! 責めるのが道理だろうっ!?」
「はぁ? だからもういいって言ってんじゃねぇか。それに幸運の女神って、何の事だ?」
 うんざりといった表情を露骨に見せるエルロイに、チェルニーは酷く傷付いたように眉を下げた。頭を垂れ、思い切り唇を噛み締める。

   馬鹿」

 その一言を告げた後、チェルニーは会場から走り去ってしまった。残されたエルロイは、彼女の後姿に舌打ちする。
「ちっ、なんなんだ。彼奴」
 そんな時、ヴァーチャーが徐にエルロイの元に歩み寄ってくる。
「よう、おつー」
「……ヴァーチャー」
 エルロイは力無い瞳を彼に向ける。ヴァーチャーは首を傾げながら、選手入場口を一瞥した。
「どうした。幸運の女神がなんたら、話が聞こえたけど」
「ああ。なんか、良くわかんねーけど、今回の事は気にすんなっつってんのに、キレられたんだ。ほんと、訳わかんねー」
 それを聞いたヴァーチャーは、チェルニーよりも、寧ろ目の前のエルロイを責める様な目をした。それも、並大抵のレベルではない。この世で尤も哀れまれるべき馬鹿を目の前にしたかのようだった。
「な、なんだよぅ。俺が何か、責められるようなことしたか???」
「……喜べ。お前は今、馬鹿野郎からクズ野郎に格下げされた」
「なんでっ!?」
 エルロイが突然の宣告にショックを受ける。だがヴァーチャーはそんなこと意に介さずこう質問を始める。
「そもそも、幸運の女神って言った憶えは?」
 エルロイは唸りながら記憶を辿る。
「う〜ん……そんなことを言ったような、言ってないような〜?」
 *その点は『鶴鳴之嘆』ラストを参照。
「いや、あの様子やと本当に言ったんやろ。随分と、イタイ台詞を吐いたもんやな」
「うるせぇ」
「やがこれで色々と説明はつくか。   成程、自分の非を認めたがらなかった訳や」
 そう呟き、改めて溜息を吐くヴァーチャー。エルロイは眉を顰める。自分だけが蚊帳の外に追い遣られている様な間抜けさを感じ取り、目を鋭くする。
「なんだ? どういうことだ?」
 だがヴァーチャーはエルロイを一瞥した後、くくっと笑った。
「……世間知らずも此処までくると立派や。そんなイタイ台詞をマジで信じるとは」
「それはもういい! どう言う事か教えやがれ!」
 エルロイの声が尖る。ヴァーチャーの言い回しで、自分が何かとんでもないことを仕出かしたということに気付き、急に焦燥感が湧き上がってきたのだ。そんなエルロイの慌しく険のある様子をヴァーチャーは愉しそうに眺めていた。眺めながら、まるで独り言のように呟く。
「チェルニーは本気で信じたんや」
「何を!?」
「……自分が、エルロイに幸運を齎す存在やと。つまり、真に受けたんやな。幸運の女神っていわれたのを」
「……はぁ!?」
 エルロイは目が飛び出すかと思えるほど驚いた。そして今耳にした内容を、口でなぞるように呟く。
「真に受けたって……そんな」
「何を驚いとんや。自分の言葉に責任も持てないんなら、無責任に女の子を褒めるなって話」
「うぅ……」
 その一言には、異様に鋭い棘がある。エルロイは強気にも出れず、小さくなるだけだった。ヴァーチャーは改めて、推理でもするかのようにすらすらと言葉を紡ぐ。
「兎に角、今回の試合、チェルニーは自信満々でお前のフォローをした筈や。当然、お前にとっての幸運の女神は自分やと信じてな。だが、結果、お前をピンチに貶めただけやった」
「う」
 エルロイは思わず唸る。当たっていた   。朝からチェルニーはあれこれとエルロイのサポートをしようと、励んでいた。作りなれない朝食の件だって、エルロイの知らないうちに、ゼル達に話をつけていた件にしたって。そうエルロイに振り返らせてから、ヴァーチャーは一気に彼を責め立てる。
「チェルニーは、可哀相に、混乱したに違いない。『なんで? 私は、エルロイにとっての幸運の女神じゃないの!?』『どうして!? 私……エルロイの為を思ってしたことなのに、全部裏目に出てる!』」
「止めてくれ」
 ヴァーチャーはチェルニーの悲痛な声を真似る。それが異様に似ていて、エルロイの罪悪感を震え上がらせたのだ。エルロイは溜まらず、音を挙げた。
「マジで、止めてくれ……」
「彼女の悲痛な叫びに気付けず、まるで傲慢に突き放した。もういい、やと? さも『許してやる』と謂わんばかりやな。それは気遣いって名を借りた傲慢やと、自分では気付かなかったんか?」
「黙れって言ってんだよっ!!」
 更にエルロイを惨めにさせる言葉。彼は頭に血が上った様子で、ヴァーチャーの胸倉を掴もうとする。だが、その手はヴァーチャーに掴み返されてしまい……強く引かれて、大勢を崩される。その刹那、耳元でこう囁かれる。
「何を喚いてんねん。言っとくけど、お前、三回戦まで酷い醜態、曝してんで? それやのに、チェルニーは変わらずお前だけを慕っている。万衆が羨む愛に対し、お前は最低の裏切りを演じた訳や」
「!」
「そんなお前が、偉そうに喚く立場にゃないんやよ」
「黙れっ!」
「エルロイ…」
「んだよっ!?」
   俺は、幸運の女神には成れん」

 最後にそう囁くと、ヴァーチャーはエルロイを突き飛ばした。地面に尻餅を付くエルロイは、恨めしそうな瞳でヴァーチャーを見上げる。だが、ヴァーチャーはその目に対し、先程までの嗜虐的な態度から一変、穏やかな笑顔を返した。
「なんてったって、俺は男やからなぁ。性別が違う」
「……何言ってやがんだ」
 ヴァーチャーはエルロイに背を向ける。格好付けているといえばそう思えたが、ふとした寂しさの漂う背中だった。
「次の試合は、俺みたいなトリックスターなんかに頼らず、きちんと女神様に勝たせてもらえ。その為にも、お前はしっかりしないとな。……そもそも、女神様を不安にさせるなんて、罪作りにもほどがあるとは思わんか?」
 ニヤリと横顔を見せるヴァーチャー。エルロイはしっかりとその言葉を聞き届け、頷く。
「……判った。次の試合   絶対、お前に頼らねぇ」
 思い返せば、エルロイは舞台の上でずっとヴァーチャーが何とかしてくれると考えていたのだ。ヴァーチャーが動けば、何でもかんでも自分に対するフォローだと考えていた。その甘えを、ヴァーチャーは見抜いていたのだ。
 エルロイは、自分の浅はかさを痛感した。痛感し、深く省みて、そういう誓いを立てようと思ったのだ。そんなエルロイの真っ白な瞳を見詰め、ヴァーチャーは満足げに頷く。
「良い台詞や。(ボソッ)今此処で   
「あ? なんだ?」
「いや、なんでも。それじゃ、明日の試合は解説席でゆっくりとみさせてもらおうかな」
 言葉を濁したヴァーチャーは取り繕う様子もなくそう述べると、早々に彼の前から立ち去ろうとした。だが途端に足を止め、何かを思い出したように振り返る。
「あ、最後に、一つ」
「んあ?」
「この大会で優勝する意味合いが、今になって変わっている……と謂う事だけ、判ってるな?」
 口の前に人差し指を立てる。エルロイは服の汚れを払いながら立ち上がり、ぶれることもなくこう返す。
「当たり前だ。チェルニーに許してもらうには、あの言葉   事実にしてやりゃいいんだろ?」
「いい台詞や。只のニートの口から出た言葉ではないな。……ま、楽しみにしているよ」
 そう言い残して立ち去るヴァーチャー。エルロイは虚ろな目で言い放つ。
「……只のニートじゃなかったら、どんなニートになるんだよ。俺は」



――――――――――



 選手入場通路。ヴァーチャーが足音も立てずに歩いていると、不意に蒼いマントの男とすれ違う。二人、いや、マントの男が連れている真っ白な少女を入れれば三人は、すれ違った途端に足を止めた。
「珍しい。お前が魔物と人間の濡れ場を見に来るとはな」
 ヴァーチャーが思いついた冗談を口に出す。魔術師の方は冗談の方を聞き流して口を開く。
「そんなものに興味は無いが、貴様が贔屓しているあのエルフと白子の男には大いに興味があるな」
「なんや、男もいける口か?」
「適当な事を……」
 ヴァーチャーは振り返る。
「適当なのはお前の方やろ? ゲーテ。俺はお前の意図が読めん。獲物を狙うのには慎重な筈のお前が、何故今此処に来た?」
 ゲーテと呼ばれた、学者と魔術師が混ざったような風貌の男にヴァーチャーは問い掛ける。
「まさか、こんな所で殺りあうつもりか? 悪いが、此処にはポルノショーを見に来ている豚共の他にも、罪のない人々がたくさん居る。……それとも、まさか彼奴に会えとは言わんよな。前も言ったが、昼じゃ無駄足やぞ」
「……ふん、今回は単なる挨拶だ」
「なんや、俺と対等にやれる算段が整ったのか?」
「まぁ、そんなところだ」
「それは楽しみやな。詳しい話を聞きたい所やが、生憎、仕事があってね。またな、ゲーテ。期待せずに待っているよ」
 そう返し、ヴァーチャーは機嫌よく立ち去った。残された二人は真直ぐ前を向いたまま、上向きとも下向きとも取れる表情をしていた。その内、白無垢の少女の方が口にする。
「……もうすぐですね」
「ああ   もうすぐだ」
 男は、感慨深く頷いた。
 









    準決勝戦に続く

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【メモ-ロリ】
“マオルメ”-1

魔王様の信頼厚い、まさにバフォメットの中のバフォメットとは他でもない、儂の事じゃ!

誰よりも強く!
誰よりも賢く!

そして何より、万の言葉を尽くしても言い表せぬ程に可愛いこの儂の前では、どんなおっぱいだろうが只の余分な肉じゃ!

見るがいいっ。儂の、この太股当たりのぷにぷに加減を!
潤いに満ちたすべすべお肌を!
抱き心地抜群のもふもふ具合を!
劣情と背徳を煽りたてる、非の打ちどころなきロリ体型を!

どうじゃ?こんなの、無駄に体のでかいおっぱいどもにはない要素じゃろうっ!?

うむ、判ったなら良い。これからもロリを敬い慕い続けるがいい。さすればきっと、御主等にも救いが訪れる筈じゃ。



ところでじゃが、儂が何故こんな幼稚な大会に出場しているかというと、他でもない、儂の親衛隊三人の申し出からじゃ。
なんでもこの大会で優勝して、サバトの名を広める為とか。
そんなわけで、休暇の身で近くまで来ておっただけなのじゃが、仕方なく出る事になってしもうた。

むむぅ…よく考えたら、儂直々に出る必要なかったのではないかのぅ…?親衛隊のあの三人に出場させればよかったような…



むっ。今はそんなこと、どうでもよいのじゃ!

あのヴァーチャーとかいう男っ。この、誰よりも愛くるしい姿をしておる儂に対して、卑怯な手段で勝ちおって!
必ず後悔させてやる…!儂直々の掃除夫にして、儂の全身を舌のみを使って隅々まで掃除させてやるっ。



こんな屈辱、他にはないじゃろう!?



む?勝ったのは、エルロイとかいう男…じゃと?

ああ、あっちは好みじゃないのじゃ。



…!! あ、いやっ。別に彼奴の方が好みと言いたいわけじゃないぞっ!?
そっ、そんな筈、あるわけなかろー。誰があんな、抱かれ心地よさそうな男なんぞに興味など持つか!!

な、なんじゃ、その目は。たっ、確かに彼奴は昔慕っておった兄上に似ておるが、別人じゃと判っておるっ。べ、別に、今更兄上のことなぞどうでもよいしな。



…まだバフォメットとして目覚めたばかりの儂をおいて、勝手に何処かに消えてしまった愚か者のことなど…



む? もう時間か。時が立つのは早いのう。

…兄上の事はもうよいのじゃ。

だって、儂がバフォメットとして意識を持ったのは数百年前。



人間だった兄上は、とっくに死んでおるのじゃから

09/12/25 23:58 Vutur

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