連載小説
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お出かけしましょう、御主人様 前編
メイドの立場はあまりにも弱いものだ。
給料は安月給。
休みは週に一度午後のみ、月に一日程度のもの。
裕福な家に仕えれば良いがそうでない者は全ての雑務を任される。
もし御主人様の目に留まり、夜伽を命じられても拒む術はなし。
子を孕めば仕事はできず、暇を出されるが当然。
無論相手はほぼ知らんぷり。容認されず路頭に迷い体を売る。そんな哀れで惨めなメイドを幾人も見てきたものだ。



だからこそ私は容易く忠誠を誓わない。



給料の安さに嘆きはしない。
休みのなさに憂いはしない。
雑務全てをこなす事が苦ではない。
御主人様に求められることが嫌だからではない。



私がメイドとして生き、メイドとして死ねる相手だからこそ忠誠を誓うのだ。



ユウタ様を選んだのは私が忠誠を誓う相手に値するからだと感じたからだ。
私の目に映る闇色の瞳は、しっかりと私を見返していたからだ。
現に私はメイドとして生きることができる。メイドとして死ぬこととなればユウタ様なら認めてくれるだろう。
それに、もし私が子を孕んだとしても見捨てるとは思えない。むしろ、無理矢理既成事実を作るのも視野に入ってしまうほどに遠慮深い。いつになったら襲いかかってくれるのかと焦れるほどに。
私がメイドであろうとも距離があることはいつものこと。
私がキキーモラになろうとも一線引かれていることに変わりはない。




だから私は―進まなければならない。




自分のために―そして、ユウタ様のために。






「…慰労、ですか?」
「そ」

とある昼下がりにテラスでお茶をするユウタ様がそう言った。くどいほどに甘ったるいケーキを半分まで食べて、しかし十分満足しながらテーブルに肘をついて私を見上げた。

「聞けばメイドさんの休日って週に一度午後のみだとか、お給料安いとか結構条件が厳しいって聞いたよ」
「…ユウタ様、私はそのようなことを不満に持ったことはありません」

私がメイドとして仕えるのは私の意思。
私がメイドとしてあり続けるのは私の誇り。
信条のまま、生き様としてメイドとしてあり続けている。
待遇や境遇に対して不満も不平もありはしない。

「いや、でもこっちは申し訳なく思ってるんだよ」

しかし、ユウタ様は納得してはくれなかった。
後ろめたく考えられている。申し訳なく思われている。それ以上に感謝されている。
だからこそ、私に何かをしたいというのだろう。
本当ならばその必要は一切ないのだが、そう思ってくださるだけで私には喜ばしいことだ。

「だからさ、どうにかしてねぎらいたいんだけど、聞けばメイドさんやら執事含めた人たちにも楽しみがあるって聞いてさ」
「…そのような事を誰から」
「いろいろ聞いたんだよ。レジーナだけじゃなくてフィオナとか、アイルとか、リチェーチとか、沢山」

決して今のままで満足しない。常に進み、何かを得る。そんな姿がどことなく私と被る。
御主人様と同じと言うのは烏滸がましいが、その姿勢は悪いことではない。
日々の鍛錬、前進の努力、求める心。邁進しようと努める姿は誰から見ても魅力的だろう。
それが私のためだけある。恐悦至極なことであった。

「この前の休日のお礼もかねてたいし、せっかくだからなんかしよっか」
「…ユウタ様。何度も申し上げていますが私は決して見返りを求めて仕事をこなすわけではありません」
「それでも、オレからだってしたいんだよ。だから、お願い」

…卑怯だろう。

命令ではない一言だが逆らえるはずがない。
私へ向ける優しい気持ち。卑しさのない純粋な善意の提案が私の心を舞い上がらせる。
もし人間ならば断ることもできただろう。だが、キキーモラの私にとって読みとれる感情が心を躍らせる。



その善意がどれほど心地良く―苦しいのかも知らないで。



「…では、差し出がましいことは理解しているのですが、今度の休日に私とともにデー………お出かけしていただけませんか?」
「いいよ」

私の言葉に嫌な顔せず、むしろ喜々として即答した。
それだけ私に求められたいと思っていたのだろう。
メイドが御主人様に求められる。これ以上嬉しいことはない。本来ならば。
だが求めているのは私の要望。メイドとしての私ではなく、女性としての私を求めている。
喜びたい。だけどもメイドの誇りが邪魔をする。
慎まなければ。しかし女の私が舞い上がる。


しかし、襲いたい。魔物の私は正直だった。


「涎、垂れてるよ」
「…これはお見苦しいところを」
「でもお出かけって言ってもどこ行く?この王国なんだかんだで見るところ結構あるし、カフェやら食事処やらも多いしさ」
「…この王国に訪れた際に見つけたある店、そこでの買い物に少々付き合っていただきたいのです」
「買い物?」
「…はい。最近の流行です」
「流行もの?へぇ、服かな?」

深くまで聞こうとはせず首をかしげたユウタ様。それ以上の事は当日の楽しみにと取っておくようだ。
なんせ時間は一日。長いようで短い時間だが、一日もあれば無駄に終ることなどない。何かしらのきっかけは作れるはずだ。


私の距離はまだまだ遠い。


女性としても、メイドとしても、魔物としても。


だからもっと距離を詰めるためのきっかけが欲しい。
ユウタ様の事がこれ以上知れないのなら、私との時間を知ってもらう。レジーナ様にはない奉仕を、リチェーチ様にはない穏やかさを、フィオナ様にはない魅力を、存分に感じてもらう。
やがて、襲い掛かって下さるとは思えないが何かしらあるはずだ。華の十代、欲望がないわけではないのだから。
むしろ欲望のまま一日中ベッドで絡み絡んでも良いだろう。あぁ、ユウタ様絶倫ですが素晴らしいでふぇへへへ…♪















「…では行きましょうか」

王宮の門の前に私とユウタ様は佇んでいた。
珍しいことに私はメイド服ではない私服姿。メイドとしてあるまじき姿だがユウタ様たっての希望故仕方ない。
対するユウタ様は私と初めて出会った時の格好をしている。固く丈夫な黒い服に黄金のボタン。何度見てもどこかの貴族のように見えるが砕けた雰囲気が良い意味で打ち消している。

「晴れたみたいで良かったね。この様子なら…今日は晴れるかな。ただ、雨もそろそろ来そう」
「…外、というのも一興ですね」
「……何が?」

気まずさを感じさせる表情で、やはりなぜだか懐かしさを滲ませるユウタ様。しかし、改めて私の前へと移動すると手を差し出された。

「それじゃあ、はい」

差し出された手に一瞬きょとんとしてしまう。
何を言いたいのか、それぐらいキキーモラでなくとも察せる。だが、果たしてメイドが御主人様にそのような真似をして良いのだろうかとためらってしまう。
仕える相手に手をとられ、腕を回してエスコートされる。その扱いはメイドではなく、一人の女性そのものではないか。

「…ユウタ様。私はメイドです。仕えるべき御主人様の手を取るなど恐れ多いことです」
「今日はメイドは休みだって言ったじゃん」
「…休みだろうと、私はユウタ様のメイドです。『メイド・畢生』です。生まれてから死ぬまで、私はメイドとしてあり続けたいのです」

私の言葉に一瞬躊躇いを見せるもユウタ様はその膝をついた。何を、と声に出すより先に頭が下げられてしまう。差し出した手はそのままに。
傍から見ればまるで王へ忠義を尽くす騎士の姿。
メイドの私にやるようなことではない、はずのものだ。

「どうか、この手を取っていただけませんか?」

膝をつき、見つめてくる闇色の瞳。
ちょっとした茶目っ気と踏み出した勇気と、仄かな気恥ずかしさ。強制ではないお願いが心を締め付ける。
メイドではなく一人の女性としての扱い。いつも通りのことなのに今日は特別私を舞い上がらせる。

「…お願いします」

差し出された手に手を重ね、さりげなく身を寄せる。するとユウタ様はにこりと笑いかけ歩き出す。
固く逞しい腕の感触。じわりと感じる優しい体温。さりげなく気遣った歩幅。
今この時だけでもユウタ様は私のもの。私しか知らぬユウタ様。
その事実とこの状況。ただ腕を絡めて隣にいるだけなのに今にも飛び跳ねたいくらいだった。

「それじゃあ早速行く…っていうのも味気ないよね。折角外に出たんだし、時間もちょうどいいぐらいだしお昼にする?」
「…それなら街の公園でいかがでしょうか。椅子もテーブルも直ぐに用意できますので」

道行く人々を横目に進んでいく。目的地は伝えていないが、すぐに向かうつもりもない。
今はこの一時、一瞬すらも貴重な時間だ。メイドとしてはありえぬ距離で足幅揃えて歩いてく。些細なことと思われるかもしれないが、私にとっては至上の時間だ。

「いや、折角の休日なんだからどっか食べに行こう。ちょうど近くに美味しいお店あるんだ」

あくまで私をメイドとして扱わないつもりらしい。さらには何か特別なものを残したい、という意志が込められている。
頑なな気遣いとさりげない優しさに唇をかみしめた。こうでもしないとだらしない顔を晒してしまいかねない。
でも残していただけるのなら私の下腹部にたっぷりユウタ様のふぇへへへ…。





目的の場所は大通りの端っこにあるちょっと古めの店だった。アンティークな家具を並べ、小さなガラス細工が窓際で煌めいている。
カウンターの向こう側にいる店主らしき女性に手を振ると迷いなく奥のテーブルへと導かれた。
椅子を引き私に座るように促される。流石にここまで来て躊躇うのはいただけない。素直に座り、正面にユウタ様が座った。
ちらりと横目で確認する。店内には二、三人程度。繁盛しているとは思えないが廃れているわけでもない。特に目についたのはカウンター席の多さとテーブル席の少なさだろう。店主の趣味か火のついた蝋燭が奥に並んでいる。独特な雰囲気のある空間だった。

「…変わったお店ですね。見たところウェイターも見当たりませんし」
「ね。なんだか店主がお客さんとお喋りしたいからだーって理由らしいよ。だからカウンター席も多いし、従業員を雇うつもりもないんだって。ただ夜はバーになるから結構雰囲気あっておすすめだってさ」
「…誰かからお聞きに?」
「ちょっとした人に」

話していると割り込むように大きな声が響いてくる。どうやら店主が注文を尋ねているらしい。

「料理頼んでくるから待ってて」
「…いえ、私が」
「こういうことは男の仕事でしょ?」

メイドの仕事です、と言おうとして唇に指先が触れた。すぐに離され遠くのカウンターへと歩いて行ってしまう。私はただユウタ様の後ろ姿を見ているだけだった。
メイドとしていられないもどかしさ。
女性としてもてなされる嬉しさ。
どちらを取ればいいのかわからないジレンマに私は胸を抑えた。
でも犯されたい。むしろ、犯したい。あの優しげな笑みが快感に歪んだところを見てみたい。私だけが、知りたい。
どす黒い欲望と汚らしい独占欲。女であって、メイドであって、それ以上に魔物な感情が私を攻め立てる。
あぁ、もうこのまま宿屋へと誘ってしまおうか。いや、だがまだ時間は沢山ある。二人で過ごし、できることはまだまだある。それに今こうしているのは夜に―



「やぁ、可愛らしい子猫ちゃん」



突然声を掛けられ意識が現実に戻される。ユウタ様ではない、若干高く透き通った男性の声だった。
顔を向ければ海に浸したような青い髪の毛に目を引かれる。どことなく漂わせた香水の匂い。背は高く、その風貌が女性なら誰しも気に止めるほど整っていた。

「こんな隅っこの席で一人きりかい?よければ俺様と一緒に食事にしようぜ」

青い瞳が私を映し、優しく甘い表情で強引な言葉を紡ぐ。

それは―この王国でたった四人しかいない勇者様の、その一人。

魔物を―私を殺すため選ばれた存在。


『アイル=フェン=リヴァージュ』様


「…結構です。一人ではありませんし、今席を離れているだけなので」
「こんな子猫ちゃんを一人にして他の女にうつつを抜かしてんのか。ひでぇ野郎がいたもんだ。俺様にはもう君しか映らねぇってのにさ」
「…それはあのお方への侮辱と受け取ってよろしいので?」
「可愛い顔が台無しだぜ?」

無礼な言葉に一瞬殺意を抱くが気づいた様子は見せない。否、気づいていても気にしていない。軽薄であっても勇者ということか。その度胸も実力も本物らしい。
だが私にとっては天敵。魔物であることに気付かれれば共にいるユウタ様にも被害が出かねない。
早急におかえり願わなければ。

「凛々しい瞳にその美貌、こりゃ女神様も嫉妬に狂うぜ」
「…やめてください」
「せっかく持ってきた花も君の前じゃただの雑草だな。可愛いすぎるのがいけないんだぜ」

何時の間に用意したのかその手には一輪のカーネーションが握られていた。
正直言えば褒められることは嫌な気はしない。だが、それはユウタ様が相手ならばだ。
他人の評価など私には戯言に過ぎない。褒められたところで雑音と変わりない。

「ならせめて今だけじゃダメか?折角こうして会えたんだ、この瞬間に乾杯といこうじゃねぇか」
「…結構です」
「一杯だけなんだ、せめて俺様から祝わせてくれ」
「…遠慮します」

しかし、しつこくつきまとってくるお方である。挙句の果てユウタ様の座っていた席に座り込んだ。
私の心をこれでもかと揺らがす為に歯の浮くような台詞を続ける。他の女性なら思わずうっとりすることだろう。だが、私にとってユウタ様以外の言葉など聞き入れる価値すらない。
あまりの鬱陶しさに逃げ出したくなる。だが、相手は勇者。下手に追い返せば厄介なことになりかねない。
何より気が気ではない。薬や魔法を用いて人であるが私は魔物。そして相手は勇者。嘘偽りが通せるほど甘い存在ではない。

「どうしても、ダメか?」

とうとう手を取られてしまう。滑らかな掌と細く華奢な指が私の指に絡んできた。
正直私にその気はない。だが、丁寧な対応をしたところで引く気もない。胸中をのぞけば意地でも私を誘いたがっている。ただ、弄ぶためだけに。
典型的なナンパ者。気にかかるものがあるが、私にとっては他人も同然。どうしようかと悩んでいるとアイル様の両肩がたたかれた。

「アーイル」
「お?あ、ユウタ君!!」

私の手を握りしめたまま顔だけを向けるアイル様。突然の出会いに仄かな喜びがわき出した。
だが反対にユウタ様の胸中は静かなもの。波風もなく、ただ一つの感情だけを抱きながら笑みを浮かべた。

「何してんの?」

次の瞬間拳が喉に突き刺さる。容赦なき一撃が呼吸器官に深刻なダメージを与え、アイル様はむせて蹲った。

「ぼぇほ、がはっ、げほっ、な、にすんだよユウタくがふっ!」

追い打ちをかけて顔面を平手打ち。数人しかいない客人が何事かとこちらを除くが店主が気にするなと声を掛ける。あの様子からして見慣れているのだろう。

「い、痛ぇ…ユウタ君、いきなり何すぶっ!」

続いて二回目。やはり平手。拳を握らないのはアイル様が知り合いだからだろうか。
だが、胸中の感情に一切の優しさはない。叩きつける掌に加減なんてものもない。

「ユ、ウタっちょっとやめぶっ!まっ、が!て、待ってくれんごっ!」。

三、四、五、そこでようやく手をとめる。

「し、死ぬかと思ったぜ、ユウタ君」
「なら生まれ変わって誠実になれば?」
「まだまだかわいい娘ちゃん口説いてねぇんだ、死ねるかよ」
「死ねよ」
「あだだだだだ!抜けるっ!髪抜けるからっ!」

髪の毛を引っ掴み床に顔面を叩きつけようと力を込める。
容赦どころか躊躇いすらない。まるで、フィオナ様を前にしたレジーナ様のようだった。

「オレと出かけた時だってのに女性口説いてばっかだからだよ」
「何だよ、オレ様にかまって欲しいのか?ユウタ君ってば寂しがり屋だなぁ、おぶっ!ま、また殴ることねぇだろ!!」
「アイルだから平手で加減したんだけど」
「加減って…口の中切れたぜ?」
「何?加減ないほうがよかった?前歯十本ぐらい折っとく?」
「そんなに前歯ねぇだろ…」

とやかく言いあいながらも結局手を差し伸べて体を起こす。そうしてアイル様はユウタ様が座るはずの私の前に再び座り直し―平手打ちされた。
なんだかんだでアイル様もリチェーチ様やレジーナ様と同じ、ユウタ様を必要とするお方なのだろう。
そうでなければあれだけ暴力を振るわれて胸の内にこんな感情を抱くはずがない。

「一応聞いておくけど…何回エミリーにやめてって言われた?」
「嫌だなぁ、ユウタ君。俺様が女の子に嫌がられるわけねぇだろ」
「…四回です」

食事に誘われて、称賛されて、乾杯に誘われて、祝わせてとせがまれて、四回だ。
ユウタ様は私の言葉に頷くと、とても優しく―冷たい笑みを浮かべた。

「あ、そ。それじゃあ嘘をついた分も追加して五本、引っこ抜いてみようか」
「え?抜くって何、ちょ、なんで腕持つのユウタ君待って腕そっちにはまがらなあぎゃああああ!!」





「す、すいませんでしだ……」

自信たっぷりの表情がぼろぼろにされ髪の毛がぼさぼさになっていた。両目には涙を溜め、引っこ抜かれた右腕を抑えている。両頬にはユウタ様の手形がくっきりと残り整った顔が台無しだ。
流石にやり過ぎだとは思ったがこの手の輩は優しくすればつけあがる。それを承知の上でやるのだから中々やり手なユウタ様だった。

「帰るころには戻してあげる。すっごく痛いからその分反省しなよ」
「…ユウタ君、最近レジーナ様に似てきた」
「似てないよ。似てるとすれば別の人だけど」

こともなげに落とした言葉に私はピクリと反応した。
その言葉が誰を指していたのかわからない。だが、抱いた感情には覚えがある。


レジーナ様とフィオナ様と共に居た時と同じ感情だ。


表情を伺うも真意はつかめない。尋ねたところで答えてくれるとも思えない。
悔しいが今はただ話を聞くだけしかできなかった。

「普通ナンパしたからって関節外すか?」
「一応レジーナに許可も貰ってるよ。次アイルが街でやらかしたら腕の一本ぐらい引っこ抜けって」
「そんなの冗談に……なわけねぇよなあの戦闘狂」
「本当なら平手打ち一発で勘弁してあげてたけどね」
「は?んじゃ何で?」

アイル様の疑問の声。
ユウタ様の悪戯心。
何を、と思った次の瞬間強引に肩を抱かれて



「これ、オレの女だから」



「…っ」

宣言する様に紡がれたその言葉。聞いた途端体の奥から火が上がった。
アイル様から守りたい、だけども隠せぬ羞恥。それから混ざった独占欲。誰にも渡さないと言わんばかりの行為に顔が赤くなっていく。
アイル様がいる手前、友人だなどと言えばさらにしつこく迫られることだろう。それを考慮した発言だ。
分かっている。今だけの台詞だと。聞けるのは今回だけかもしれないと。



だけど、嬉しくて堪らない。



思わず口元を抑えるがだらだらと指の間から唾液が滴り落ちていく。

「……え?ユウタ君の?」
「そう」
「……え?彼女さん?」
「…はい、妻です」
「「……ん?」」

思わず零れた言葉に、御二方は素っ頓狂な声をあげられたが気に留めるようなことはせず、アイル様がユウタ様を真っ直ぐ見つめる。それも点になった目で。

「お、俺様というものがありながらユウタ君の裏切り者―!!」
「アイルにだけは言われたくないんだけど」

まるで子供のように喚き散らして抜かれた腕を抑えたまま店の外へと出て行ってしまう。しかしユウタ様は追いかけない。持ってきていた料理を並べ私の隣へ座り直した。

「…あの、アイル様は?」
「いつもの事だよ。」
「ユウタ君!そこは追いかけて来るところだろ!」
「!」

突然現れたアイル様と僅かに漂う魔力。驚きを隠し通したがあまりにもいきなりすぎだ。おそらく転移魔法というやつだろう。
長距離を一瞬で移動でき、戦闘では武器や薬、はたまた兵器の運搬をやってのける。一個師団など目ではない脅威となる高度な魔法だ。
軽々しく使用できるあたり流石は勇者、というべきところか。

「にしてもユウタ君がねぇ。何があるかわかんねぇもんだな」
「何?オレには女っ気がないって言いたいの?」
「いんや、ユウタ君の周りってあれだからさ、思った以上に普通っぽい彼女さんで俺様びっくり」
「…」

確かにレジーナ様やフィオナ様、リチェーチ様と一般人とは程遠いほど個性的な方々ばかり。無論、アイル様も、私もそうである自覚ぐらいはあった。
そんな言葉を軽く流したユウタ様は私やアイル様の前にフォークなどを置く。
見れば並べられた料理はパスタやサラダ、スープ等。バランスよくまとめられたお勧めのメニューといったところだろう。

「アイルも食べたい?」
「おー食べる食べる。でも利き腕これだぜ?」
「まったく、仕方ないな」
「ちょ、ユウタ君それ小皿だから食えないからあがががが」

無理やり口に突っ込まれかけているというのに心では喜びを隠せない。些細な戯れだとしたら行き過ぎだが、過剰であってもこの方にとってはスキンシップなのだろう。


あぁ、この方もなのかと納得する。


この方もレジーナ様達と同じでユウタ様の傍のみに自分の姿を晒すタイプらしい。自分が自分でいることのできる時間を愛おしく思い、ユウタ様との時間を大切になさる方だ。



そして、私以上にユウタ様を知っている。



知人程度の仲なら既に喧嘩物。だが甘んじて受け入れるあたりこの関係を壊したくないのだろう。ユウタ様もやりすぎているが事後処理も欠かさない。口ではとやかく言っているがその関係は私以上に親しいのがわかってしまう。


―だが、晒しているのは上辺だけ。


まだユウタ様に全てを晒せるほどに親しいわけではない。否、それだけ重要な秘密を隠している。
ならば私が言うべきではない。それを暴露するほどメイドは無粋ではない。

だが問題なのはユウタ様。

皿を置き、フォークを取りパスタを巻きつけ口へと運ぶ。今は私との時間だというのに甲斐甲斐しくアイル様に世話を焼いていた。
私だけを見てと我儘は言わないが、だからといって平気というわけではない。折角の二人きり。邪魔されたくないと思うのは自然なことだ。

「やっぱここのパスタはお勧めだな」
「よく言うよ。店主口説きに来ているくせに」
「いいよなぁ、あれが夜は立派なバーテンダーだ。ギャップが堪ん―あいだっ!フォーク刺さってる!刺さってるからっ!」

暴力とは呼べぬ戯れ。
遠慮のいらぬ対応。
吐き出す言葉と真逆の態度。
許される嘘を付き、冗談だと理解できる気安さを持っている。
それは全て私の到達できぬ距離にいるからこそのもの。レジーナ様やフィオナ様、リチェーチ様、皆ユウタ様と親しいだけでは終わらぬ関係だからこそ歩み寄れた境地。

メイドとして仕えるだけでは踏み出せない。

キキーモラとしているだけでもまだ遠い。



ならば私は―どうするべきなのか。



「…」

わからなくなってくる。

私はメイドとして仕えたい、はずなのに。
女として見られることに、悦んでいる。
魔物としての本能に、引きずられている。


それはきっとユウタ様が私を女性扱いするからだろう。


だけど、不思議と嫌な気持ちではない。


忠誠心とはまた違うとても温かくて優しい気持ち。それが何か自覚できぬほど初心ではない。
だからこそ戸惑ってしまう。
忠誠を重んじるメイドの私か。
愛情を向けて欲しい女の私か。
欲望に二人で堕ちたい魔物の私か。
今の私はどれなのかがわからない。

「エミリーもしたい?」
「…は、え?」

柔らかな声が思考の中から意識を引き上げた。顔をあげればいつものように優しく笑みを浮かべるユウタ様が別のフォークと別のパスタを手にしている。
クリームのかかったパスタを一口程度巻きつけるとそのまま私の前へと差し出した。

「はい」
「…頂きます」

差し出されたパスタを食す。
つるりと通る喉越しだが口内に広がる風味に一瞬眉をひそめる。ユウタ様好みにしては素材の味がぶれすぎだ。ソースや胡椒が強すぎるのか元の味が掻き消えている。
普通ならば美味と言える味ではある。しかし、ユウタ様が心から喜んで下さるには程遠い。
だけど。

「たまにはこういうのもいいね」

そう言って微笑みを向けられては味なんてわからなくなってしまう。
赤面して、ドギマギして、まるで乙女の様に狼狽えて。
なんと私らしくないことだろう。メイドの私が聞いて呆れる。
だからと言って拒めるほど私は冷めた女でもない。
何より、口移しで食べさせてもらいたいと思ってしまう私もいる。

あぁ、本当に私がわからなくなってくる。

二口目が差し出されそれをまた食す。アイル様がいるというのに気にすることもなく。
いや、アイル様の前だからこその、普段以上に行き過ぎた対応なのだろう。不自然さに付け込まれないため、やる気になればとことんやれるタイプらしい。
そんなユウタ様と私を見ていたアイル様はわざとらしく口笛を吹いた。

「おーぉ熱いねぇ。見せつけてくれるねぇ」
「そりゃそういう関係だし」
「へぇー………いつものユウタ君らしくないじゃねぇの」

おそらく私にだけわかる程、わずかに低く不機嫌な声に察した。



―見抜かれている。



キキーモラでないというのにユウタ様と私の心を見抜いたような発言だった。
アイル様は察したのではない―理解している。
ユウタ様を知っているからこそこの態度がありえないとわかっているのだ。
だがユウタ様は悪戯小僧のように舌を突き出す。それがどうしたと言わんばかりの態度で。

「オレだって一人の男の子なんだよ。エロい話だって好きな健全な高校男児なの」
「こうこぅ?まぁ、いい。」

一瞬混じったわからぬ言葉。滲みだした感情は一瞬だけで取り繕うように手を振るわれる。
アイル様も私同様疑問を抱いたが聞いたところで答えてくれないことをわかっているのだろう。言及することなく無事な肘をテーブルに着く。
悪戯っぽく下を出したユウタ様に対して―

「じゃ、証拠見せてくれよ」
「あ?」


―アイル様もまた悪戯っぽくにやけた顔で。



「大見得切ってんだ、キスぐらいできんだろ?」



「…っ!」
「いや、見せつけるもんじゃないでしょ」
「…」

当然、というかそうだろうとは思っていた。
ただでさえ奥手で遠慮深いユウタ様だ、未だに私を襲うこともしないのに人前で行為に及ぶわけがない。私は人前だろうとユウタ様相手なら喜んで唇も、むしろ体も差し出すというのに。
ユウタ様の返答が予想通りだったらしくアイル様は大きなため息をついた。

「かーっ!相変わらずだなユウタ君は!そんなんで彼女さんが満足してくれるわけねぇだろうが」
「じゃ、何さ?尻撫でまわせば満足するって言いたいの?」
「…」

わりと、します……いやもっとして欲しいです。

「違ぇよ、男だったらもっと自分から行けって言ってんだ。何もかも彼女さんからさせてんのがいい男なわけねぇだろ」
「………」
「レジーナ様相手ならそれでいいかもしれねぇけど誰しもあんな暴力的なわけじゃねぇんだ、引っ張ってくれるからって甘えんな」
「それレジーナに言っとくから」
「や、やめてくれよユウタ君っ!俺様殺されるわ!」

冗談めかした発言に二人でからから笑いあう。
傍から見れば日常的な会話にしか見えないだろう。ほんの些細な、わずかに踏み込んだだけのアドバイス。
だが、それでも。ユウタ様の心には確かに届いていた。

「まぁ、手ぐすね引いてるだけかもしんねぇけどあんま待たせ過ぎると俺様が貰っちまうぜ?」
「余計なお世話。責任はオレがとるんだからさ」

私の言葉を覚えていて、実行して、離さぬようにと腕に力が籠められる。
守るのが当然の約束事。当り前の行動なのに、どうしようもないくらいに嬉しくなる。何よりもユウタ様が自ら歩み寄って下さる、これだけでも悦ぶべきことなのだから。

「おぉ、言うじゃねぇか。子猫ちゃん、ユウタ君に愛想尽かしたら俺様んとこに来いよ」
「…お断りします。私はユウタ様以外に寄り添うつもりはありませんので」
「おっと、こりゃお堅い。だからこそ落としがいがあるってもんだけど―あだっ!ユウタ君待って!そっちまで抜くこたぁねぇだろっ!あがっ抜けるっ!抜けるかあぎゃぎゃっ」






食事を終え、事後処理を行い店内に大絶叫を響かせてユウタ様と私は出て行った。
何とも滅茶苦茶な時間だった。折角の二人きり、街での食事をあのような御方に邪魔されるとは。
ただでさえ特徴的な御方が多いユウタ様の周りだ。一人加わるだけで段違いの騒がしさになってしまう。これでは気苦労が絶えないことだろう。

「なんかごめんね」
「…いえ、ユウタ様のせいではありません。私が至らぬばかりに」

折角の二人きりが邪魔されたことで申し訳なく思っている。ユウタ様が悪いわけではないというのに。
気に病むのならせめて、アイル様が仰っていたようにもう少し積極的にして頂きたい。尻を撫でろとは流石に言わないが、せめてもう少し……口づけ程度でもいいから進みたい。いや、むしろもっと激しく深くまで、心と体同士の絡みでふぇへへへ…。

「それじゃ、行こうか」
「…はい、参りましょう」

それでも食事は終えたのだ、本来の目的へと戻ることにしよう。その辺をぶらぶらするのも悪くはないが、あくまでメインは今日の夜なのだから。
頷く私の前に手が差し出された。今度は迷うことなくその手を掴み―かけて止まる。

「…ユウタ様?」

仕える御主人様の胸中に迷いがあった。すべきか否か、どちらを取ろうか悩んでいる。
似つかわしくない難しい感情で、だけども表情こそいつも通り。悩んで、迷って、慌てて、考えて。隠したつもりでもキキーモラの私にはっきりと伝わってくる。

「いや」

意を決したユウタ様は闇色の瞳をこちらに向け差し出した手を引っ込めた。かと思えば半歩ほど後ろに下がり伸びた腕がまわされる。

「…っ!」
「こうした方がアイルみたいなのも来ないかな」

伸びた腕が肩を抱く。細腕だけど逞しく、私の体を抱え込む。
胸板に触れ、服越しに肉体の感触が伝わってきた。いつも以上に近い距離に胸が高鳴る。すぐ傍にある顔は恥ずかしそうにはにかんだ。

「…はい」

体を預けるように頭を寄せさりげなく私からも腰へ腕を回す。ユウタ様の心遣いが嬉しくて抱きつきたいのを我慢して。



―私では埋めようのない時間がある。



レジーナ様のように付き従えてはいない。
フィオナ様のようにお喋りできはしない。
リチェーチ様のように甘えられはしない。
アイル様のように気軽に誘えるわけではない。
私は皆様の様な位置には決して立てない。

だが、私はメイドである。

王女ではなく、リリムでもなく、勇者ですらないがユウタ様に付き従える唯一の存在。
それが唯一の強みであり、絶対に覆せない武器でもある。

なにより、距離は縮まっている。

ただメイドとして忠誠を誓っているだけで終わりではなく、歩み寄っているのは私一人ではなかった。先ほどから伝わってくる感情が何よりの証拠なのだから。

「…では、行きましょう。あの角を左に曲がった先にあるお店が目的地です」

この腕の感触は御主人様とメイドという立場には関係ない。ただの男と女である。依然として胸の内のジレンマは消えないがどこか晴れ晴れしさを感じているのも事実だった。
だから私はさりげなく、まわされた腕にそっと手を添える。この立場が私だけであるように願いながら。










あわよくば―今夜あたりにもうあへあへしちゃったりされちゃったりユウタ様に滅茶苦茶にされたくてあぁ、そんな激しくふぇへへへへ…♪

「涎、垂れてるよ」
「…あ。これはお見苦しい所を」
16/02/28 23:06更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということで堕落ルートメイド編第五話前編でした
今回はデート昼の部でした
メイドとして歩み寄るべきか女として有るべきか、迷いが生じているエミリーですが
歩み寄ろうと奮闘するのは一人ではないんですね
彼もまた、何かしら抱きながら接していたということです

次回はエミリーがなにやら用意しているデート夜の部です


ここまで読んでくださってありがとうございます!!
それでは次回もよろしくお願いします!!

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