連載小説
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おはなしください、御主人様 前編
メイドとは万能である。御主人様の要望に応じるために数多の事に精通し、どのようなことも万全にこなせてこそ一流のメイドである。
御主人様が一を求めれば百を用意し、千に備え、万を予測する。どのような事態に陥ろうとも満足いく結果を差し上げるのがメイドである。



だが、そんなメイドであっても―全能ではない。



完璧を追い求めても完全にはなりきれない。
万能であっても欠点はなくならない。
だが欠点を放置するのは無能の証。万能のメイドは欠点をどう補うか頭を働かせ常に行動を起こしているものだ。
つまるところ、私とて万能のメイドであっても全能なメイドではない。ユウタ様にお仕えして既に半年以上の月日が経つというのに私は結局ただのメイドでしかなかった。前回の遠出で痛感した私は早速精進するために行動へ移っていた。

私はユウタ様を知らな過ぎる。

傍に居る時間は誰よりも長いだろう。だが、私以上に隣にいた方がいる。
ユウタ様の事は沢山知っていても、私の知らぬユウタ様を見ている方はいる。
キキーモラになったところで埋めきれぬ過去と空白を補うにはどうすればいいか。

それは命懸けになるだろう。

この王国内で魔物の私が闊歩することは自殺行為。だが、恐れて止まることなど私は私自身を許さない。
メイドとは時に御主人様のために命を捧げることもある。
命を懸けてまで行わなければならぬことがある。
メイドとしての停滞は時に死をも超える事態。キキーモラとなった状態で満足するようなら三流以下。何も知らずに奉仕するなど言語道断である。


だからこそ、私は進まねばらならない。


魔力を最低限まで抑え込む薬を飲んだ。匂いを抑える香水をかけた。魔力を遮断する下着をつけた。人間だった頃に纏っていたメイド服を着こんだ。耳も尻尾も隠した上でだ。
これなら普通の者に見破られることはないだろう。もし、ダメだったとしてもスカート内に仕込んだナイフで昏倒させればいい。
ただ、これから会う女性相手にはわからない。実力は向こうの方が遥かに上で、魔物を殲滅することにかけてはスペシャリスト。気づけば首が落ちている、なんてこともありうるのだから。

「…っ」

肌を突き刺し、じりじりと焼けるように痛みが走る。人間であった頃でも感じられただろう、あまりにも厳粛で神秘的な雰囲気に呼吸が止まった。
まだ視覚に収めてすらいない。他の者が一切いないのも理由だろうがあまりにも純粋で―あまりにも強大過ぎる魔力が漂ってくる。
耳を澄ませば金属同士のぶつかり合う音が奥から響き、かすかながら男と女の汗の匂いが香ってくる。
間違いなくここだろう。確信した私は王族以外立ち入り禁止であるはずの空間へと足を踏み入れた。















その空間は美しかった。
まるで隠されたように存在する王宮内の庭園。装飾らしいものは一切なく中央部が鍛錬場の様に整えられている。あとはせいぜい端の方に花壇があるだけだ。
一歩踏み入れただけで背筋がぴんと伸びてしまう。王の御前にいるような錯覚を抱く程に張りつめ、厳粛な雰囲気を醸し出していた。
色とりどりの花々は手入れされた形跡がない。なのに、無駄のない純粋な姿は何よりも完璧で誇らしげに咲き乱れていた。
これが、王族と許しを得た者しか踏み入れることを許されぬ空間。とすればこの空気もあの花々も王族の持つ『退魔の力』故のものだろうか。

「…っ」

その中央部。光を浴びながら二人の姿が目に映る。
日の光すら吸い込むほどに黒い髪。夜に浸したような黒い服には大きな十字架が象られている。そして、全てを染め上げそうな濃くて深い闇色の瞳。
見間違えるはずもない、私の御主人様のユウタ様だ。

そして、もう一人。

長く伸ばした金色の髪の毛は神々しく日の光を反射する。純白に包まれた素肌は傷も染みもなく輝いている。大きく膨らんだ胸や細く引き絞られた腹部、艶めかしい曲線を描く臀部は女の色香を惜しげもなく振るっていた。だが、下品な印象は一切なくあるのは芸術家が手掛けたような、美を体現した姿。
その振る舞いはまさしく『王』
その美貌はまるで『女神』
誰もが跪きたくなる雰囲気に、忠誠を誓いたくなる眼差し。付き従うことに喜びを覚え、声を掛けられることに悦楽を抱く。

それが―『ディユシエロ王国第一王女』



『レジーナ・ヴィルジニテ・ディユシエロ』



「ふふんっ」

軽快なステップを踏み手にしていた剣を引いた。分厚く、重い大きな刃。大人一人はありそうな大剣をレジーナ様は棒切れの様に振り回す。一撃貰えば骨は砕け、肉が千切れかねない勢いで。

「っと」

相対するは我が御主人様。こちらは武器と呼べるものを持たず、最低限の手甲や防具のみの姿だ。だというのにその足運びは軽やかで立ち向かう姿に躊躇いは一切ない。
迫りくる大剣を掌で軽く小突く。それだけでも莫大な破壊を伴った一撃が逸れていく。ただし、一瞬だけ。
すぐさま来た軌道をなぞる様に大剣が戻って来た。だが、ユウタ様は上体を逸らしてやり過ごす。

「がら空きだぞ!」

凛とした声と共に放たれたのは蹴りだった。上体が戻る前に足を払い体勢を崩させる―ところがユウタ様の足が地面を離れた。いや、後方へと転がっていた。
しかし、止まらない。体勢が整った瞬間砲弾の様に飛び込んでいくと握りしめた拳が振るわれる。
肩へ、腹へ、顔へ、胸へ。一切の容赦ない連撃を前にレジーナ様は大剣を盾のように構えた。

「っ」

連撃が届く刹那、視界が途切れる一瞬、構えられた大剣に足を掛けユウタ様はレジーナ様の真上を飛んだ。
後ろを取ったユウタ様はすぐさま拳を握り地面を蹴った。一撃。それも、拳と見せかけての強烈な蹴りが炸裂する。
視界から逃れたのに何故足を―と思った次の瞬間轟音が響き渡った。見ればいつの間にか背後へ回された大剣が足を止めている。
…あんなものに拳が当たれば痛めるどころでは済まない。それをあの刹那で悟って切り替えたというのか。

「…ふふんっ良い蹴りだ。だが、まだ出せるだろう?」
「ああ、もうまったくっ!」

レジーナ様の楽しげな声と笑み、ユウタ様の呆れ顔と疲れた声色。だが、次の瞬間二人の表情が消え去った。
レジーナ様の腕がぶれた。次いで大剣が数を増やす。右に、上に、下に、左に。女性の細腕では扱い切れない程の大剣が文字通り目にも止まらぬ速さで動く。
だが、二人の間に響くのは空を切り裂く風の音。ぶつかり合う音なんて一切ない。
見れば、ユウタ様はその身を翻し避けていた。右に傾き、後ろへ逸れ、下にしゃがんで、左に跳ねる。時折迫る刃を手で押さえ、軌道を変えては拳を振るう。
両腕が踊る。大剣が舞う。
金色が弾け、闇色が走る。
互いの位置が入れ替わり、再び始まる激闘は私ですら入り込める余地はない。だが、反面洗練された姿はまるで舞のように美しい。
日の光に照らされた舞台の上で、踊り舞うは二人の男女。社交ダンスと比べることすら烏滸がましいほど雅やかに金色と黒色が混ざり合う。

「っそこ!」

刹那に突き出された大剣をユウタ様が両手で挟み込んだ。しかし、止まらず掌を滑らせると右手で柄を握り、左手を突き入れる。瞬きすれば見逃してしまう素早い動きで届いた先はレジーナ様の喉元だった。

「………はい、今日はオレの勝ち」

指先が白い喉を二度小突いた。力を込めれば突き破れるぞと言わんばかりに。流石に動きを止めたレジーナ様だが、その表情が次第に笑みへと変わる。

「これで勝ちだと?大馬鹿者め。勝ちというのは―」

スカートから伸びた足がユウタ様の踵へ伸びる。同時に剣を手放すとその体へ飛び込んだ。

「っわ!?」

踵が引っ掛けられては受け止められずユウタ様共々地面へと転がった。辛うじて後頭部に腕を差し込み強打を避けたが痛みに顔をしかめている。反撃に移る余裕もなく、戦況は一瞬で覆された。

「気を抜く者には訪れんぞ。ふふん、また私の勝ちだな」

ユウタ様の上に跨ったレジーナ様が見下ろしている。指先はお返しとばかりに首へと伸ばされ脅すように血管の浮き出す首を撫で上げた。
身を起こそうと力を入れるも容易く抑え込まれ、何かを言いたげに口を開く。だが、諦めたのか地面に四肢を投げ出すとユウタ様は一言。

「……ずるい」
「所詮は敗者の戯言よ。抵抗の隙を残す時点でまだまだ甘い」

跨ったユウタ様の上で得意げに鼻を鳴らすとその体を倒してきた。
ブロンドの髪の毛が垂れさがりユウタ様の顔へとかかる。鬱陶しそうに首だけで退けるとさらに顔が近づいた。
白魚の様な指先がユウタ様の顎を捕らえ、青い瞳が覗きこむ。

「何さ、終わったんなら退いてよ」
「終わりだと?舐めたことを抜かすな。戦いに終わりがあるとすれば生き抜いたか、死ぬかだ」

鼻先が触れ合うほど、吐息が頬を撫でるほど、そして艶やかな唇が小さく言葉を囁いた。


「退かしたいなら、退かしてみせろ」


王女とその護衛、というにはあまりにも近く密すぎる距離。手足は触れ合い肌が合わさり、恋人の睦言のように甘ったるい空気を醸し出す。
王女としての威厳を控え、前面に出したのは女の色気と年上の余裕だろうか。逃げ場もなく抑え込まれたユウタ様はせめてもの抵抗なのか顔を背け―

「―……ぁ?」
「誰だ!」

ユウタ様の表情から察したのか凛とした声が響き渡り青い瞳がこちらを向いた。

「っ」

まるで射抜かれたような衝撃と刃を突き立てられるような緊張感。ただ視線を向けられ声を掛けられただけなのに足元がおぼつかない。よろめきそうな重圧が襲い掛かってくる。

「私の許可なくこの場に入ることが何を意味するのか分かっているのか!」

レジーナ様はすぐさま立ち上がり私の方へと歩み寄ってくる。
胸の中で湧き出す怒りの感情。だが、その程度で王の器は溢れず冷静さが蓋をする。感情を暴走させず責務を全うする姿はまさに王そのもの。
だが、私にはわかる。その怒りは私がこの場に侵入してきただけではないということが。

「…申し訳ございません、第一王女様。非礼は承知の上で―」
「ならば叩き斬られても文句は言うまい」

頭を下げて非礼を詫びる。しかし放ったはずの大剣をいつの間にか手にし、私を叩き切ろうと殺気を放つ。
だがそれより早く私は胸元から掌大のものを取り、差し出した。

「…許可証にございます」

ユウタ様の背中にあしらわれたものと同じ十字架。王族のみが与えられる特別な許可証だ。
与えられるのは王族に直接仕える者か、この王国の勇者のみ。そしてこれはユウタ様が万が一の時のため私に貸してくださったもの。

「………おい、ユウタ。あれほど大事にとっておけと言ったものをなぜ渡した?」
「エミリーが王宮で迷ったりとかした時のためだけど」
「あれはお前のためにくれてやったんだぞ!」

空いた片腕でユウタ様の襟首を掴むとがくがくと揺する。思わず止めに入ろうと駆け寄るがユウタ様は不服そうに舌を出すだけだった。

「ああ、もういい!それで!貴様は何の用だ」

怒らせるかと思いきや諦めたレジーナ様はユウタ様を放ると私へと再び向き直る。当然片手の大剣を離さずに。

「…私はユウタ様のメイドです。御主人様の補佐やお世話を生業とするのがメイドです。ユウタ様が仕事をなさるというのなら私はその補佐をし、滞りなく進むように支えるため参りました」
「いらん、間に合っている」

やはりレジーナ様は拒否する。そのことぐらい予想していた。
だが、メイドは常に先を行く。御主人様のためならばどんな状況下でも先を見続け予測し、最善の結果を残すもの。
そのために私は時間をかけてここへ来た。

「…しかし、もう太陽も真上に上る時間です。レジーナ様もユウタ様も午後のため食事をとられてはどうでしょうか?」
「こっち用意させる。下がれ」
「まぁまぁレジーナ。お昼頃だし丁度いいじゃん。それにエミリーがせっかく用意してくれたんだからさ、邪険にするのはどうかと思うよ」

レジーナ様の前にひょっこりと現れるユウタ様は両手を振ってそう言った。対するレジーナ様はきつい眼差しで視線を私からユウタ様へと移し、私へ戻した。

「お前はユウタが連れてきたメイドだったな。たかがメイド如き、それがこの私に意見するのか?」
「…されどメイドでございます。何より私の御主人様はユウタ様。貴方様が王女でおありになろうと、私が尽くすのはユウタ様だけです。気に入らないのならばどうぞ、お引き取り願えますか?」
「ほぉ…」

青色の瞳が細まり、片眉がつり上がる。剣呑な雰囲気を醸し出すがその内心―感心していた。

「ただの情けで拾ってきたかと思ったが…中々どうして肝が据わったメイドだな」
「…恐縮です」
「だが所詮メイド。王たる私への無礼が許されると思っているのか?その首文字通り飛ばすぞ?」
「…例え飛ばされようと、私が頭を垂れる相手はユウタ様のみです。命令を聞くのも忠義を誓うのも貴方様ではありません。私はユウタ様のメイドですから」
「ふふん」

だが、その感心がいつ殺意へ変わるかわからない。傍には人体を真っ二つにできるだろう大剣と魔物を退ける王族の魔力、それから到底かなわない戦闘技術。真っ向からでは一瞬も持たないことだろう。
しかし、ここで逃げ出すわけにはいかない。私は彼女に恐れるために来たわけではないのだから。
この王国の第一王女レジーナ様。その護衛をたった一人で努めるユウタ様。
ほぼ毎日傍に佇み顔を合わせている二人であり、おそらく王国内で最もユウタ様を知っている女性。
だからこそ、私の知らぬユウタ様の一面を求めここへ来た。軽々しく話してくれるとは思えないが、何も得られず終わる程私は無能ではない。

「ならば貴様、本当にメイドか?」
「…メイド以外の何者でもありません」
「メイド、メイドか」

胸の奥に懐疑心が生まれた。
まさか、と驚くことではない。元々私の素性はほぼ不明。ユウタ様しか伝えていない。
だが、この懐疑心はそんなものではない。
私がメイドであるか、否か―ではなくさらに奥まで見透かした青色の瞳。疑っているのは私が人間なのか、それとも―

「メイドというのは魔も」



「―あら、お昼なら私もご一緒していいかしら?」



背後から突然かけられた聞き覚えのある声。同時に大剣が私の横ぎりぎりを飛んで行った。髪の毛を揺らし背中に轟音が届く。振り向けば粉々に砕け散った壁があり、その傍に見覚えのある悪魔が佇んでいた。

「フィオナ…っ!!」

忌々しげに悪魔を呼ぶレジーナ様。対してフィオナ様は涼しげに髪の毛をかきあげた。
離れているのに良い香りがする。指先一つでも見惚れる仕草となる魔性の魅力。レジーナ様とは違う、魔王の娘たる魅惑の美貌でにこりと笑いかけてくる。

「ごきげんよう、レジーナ。随分な挨拶ね」
「今すぐ私の視界から消え失せろ。出なければ私が消す」

間近で膨れ上がる殺気は私に向けられたもの以上に禍々しく鋭い。肌を焼くような嫌な感覚に冷汗が浮かび呼吸が止まってしまうほど。
だが、平然と歩みを進ませたフィオナ様はそのままユウタ様の隣まで来た。

「んもうっ!ユウタったら部屋に行ったのにいないんだから」
「普段ずっとこっちにいるって言ったじゃん。こっち来ればいいのに」
「ええそうよ、だから来たわよ。ついでにレジーナも魔物にしてあげるんだから」
「死ね。それにユウタ。お前なに楽しげに会話しているんだ。さっさと切り殺せ」
「いや、楽しげって別に」
「なによぅ、私とのお話は楽しくないの?」
「…」

疑っているわけではなかったが、こうしてみるとその異常さがよくわかる。
一国の王女と魔物の姫君。その間で惑うことなく自分を晒すユウタ様。
地位や魅了に屈さない、それが普通の人間にはどれほど難しいことか。
だがユウタ様も一人の男性。そして相手は年上で高圧的な女性と自由気ままな魔物。その間で主導権を握れるわけもなく二人に振り回されていた。挙句の果てにフィオナ様が手を取りレジーナ様が剣を握る。
御三方が騒ぎ出し収拾がつかなくなった頃合いを見計らって一言。

「…それでは昼餉に致しましょう」

目の前にいるのが王女であろうとリリムであろうと、私はメイドであることを忘れない。常に平静でメイドを貫く。これがユウタ様に忠誠を誓った『メイド・気宇』である。















王宮内の庭園で白く丸いテーブルを囲み御三方は椅子に座っていた。私は当然ユウタ様の隣。左にレジーナ様、右にフィオナ様。そして前には豪勢な食事に淹れたての紅茶を並べている。
レジーナ様がカップを手に取る。ただそれだけでも目を奪われるほどに美しく頭を垂れたくなる気品溢れた王の姿。
対するフィオナ様は指先でカップを撫でながらもゆったりとした動作で口を付ける。レジーナ様とは違う、異性を虜にする仕草に見ているだけでドギマギする艶めかしさを漂わせる淫魔の姿。
二人並ぶとよくわかる、対比する女と王の混じりあった別々の魅力。まさしく二人は頂点に立つべき女性だろう。
その間で呑気に紅茶を啜れるユウタ様もある意味頂点かもしれないが。

「…ほぅ」
「あらぁ…」

紅茶に口を付けた二人が感心する様にため息を漏らした。内心を探ってみれば嫌悪感はなく感心しているようだ。紅茶での掴みはまずまず、と言ったところだろう。
先にカップを置いたユウタ様は佇む私へ視線を向けると不満げに首を傾けた。

「座ったら?」
「…いえ、ユウタ様。何度も申し上げますが私はメイドですので」
「ああ、そうだ」

私の声を遮ったのはやはりレジーナ様。不機嫌な様子を隠さずに、だからと言って怒鳴り散らすわけでもなく静かに嗜める。

「メイドにはメイド。主人には主人の立場がある。弁えぬのは規律を乱し、やがては反乱を招くきっかけとなるぞ」
「あら、邪険にしなくともいいじゃない。メイドだろうと主人だろうと仲が良いことって大切よ」
「黙れ。さっさと消え失せろ」

フィオナ様の言葉にじろりと視線を向けるレジーナ様。先ほど私に向けたものとは比ではない、重くて苦しく冷たい殺意。向けられたのは私ではないのに心臓を掴まれたように背筋が震えた。

「んもぅ、レジーナったら危ないんだから」

フィオナ様はあしらうように手を振ると椅子に座り直した。
フィオナ様もユウタ様も顔色一つ変えやしない。表面だけかと思いきや感情の方もまた同じ。恐怖も、警戒心すら湧き立たない。肝が据わっているのか、もしくは茶飯事なのだろうか。

「…」

もしかしたらレジーナ様とフィオナ様も仲が良いのかと思ったが……この様子からしてそれはないらしい。
それを横目で見ていたユウタ様は諦めたように息を吐き、改めてこちらへ向き直り一言。

「まぁ、命令ってことでお願い」
「…では、失礼します」

それは既に命令ではなくなっているが、そう言われては仕方ない。椅子を取り出しその上に座る。当然ながらユウタ様の傍らに。

「…ぁ」

汗に混じった雄の匂いが香ってくる。運動後だから仕方ないが、あまりにも濃厚なそれは私の下腹部を直撃する。もう、なりふり構わず襲い掛かりたいほどに。
しかし欲望に流されるほど軽い忠誠心ではない。人前で恥を晒し御主人様の威厳を傷付けるほど愚かでもない。

静かに、清楚に、完璧に。それこそが『メイド・理想』なのだから。

汗、でふと思い返せばユウタ様はいつも疲れて帰宅なされる。それはあの激しい激闘を毎日続けているからだろうか。

「…ユウタ様はいつもあのようなことを?」
「いや、他にもレジーナの隣で突っ立ってたりするよ。これでも一応護衛なんだし」
「あと私とお茶したりね」
「叩き殺してやりたいがな」
「…なるほど。ですが、その割にはいつもお疲れの様子ですが」
「時々ね、レジーナが室内でも剣振り回すからそれを止めるために色々するの」
「文句があるならこの馬鹿者に言うんだな」
「あら、ちょっと会いに来るだけで剣振り回すなんて非常識じゃない。ね、そうでしょユウタ」
「そもそもユウタ、お前も悪い。何でこの国にいるのにリリムに茶を出す奴があるか!」
「あっ、オレ?」

疲れたようにため息をついたレジーナ様はそれ以上言うのをやめた、いや、ただ単に諦めたのだろう。どうにもならないと悟った彼女は背もたれに寄りかかり紅茶を一口。
対してフィオナ様は真っ直ぐにユウタ様を見つめている。何も言わず、だがその口元は隠しきれない喜びに綻んでいた。
そしてユウタ様と言えばどこ吹く風でデザートに口を付けている。相当甘ったるく仕上げたそれを口に含んでじっくりと味わう。

誰が、思えるだろうか。

方や一騎当千の強者であるディユシエロ王国王女。
方や一国すら堕落させる魔物の姫君。
レジーナ様が勝てたとしても多くの者が魔物へと落ちていく事だろう。
フィオナ様が勝てたとしても彼女も瀕死の傷を負いかねない。
お互いに戦えばただでは済まず、どちらが勝っても被害は甚大。

誰が、考えられるだろう。

甚大な被害をださず、剣を抜くこともせず、こうして同じテーブルを囲みお茶を嗜んでいる。どちらかに揺らげば容易く崩れるが、ここにいる限り平和が去ることはない。犠牲も、労力もなにも払うことなく事が済む。
自身を護る者が敵を庇う。
求めた相手が相手についている。
互いに似たジレンマを抱えながらも平和を謳歌できる。愛おしくとももどかしい、そんな時間を過ごしている。

誰が、認められるだろう。

魔王の娘、リリムであるフィオナ様の前だというのに平然と心を保つユウタ様。
王国の頂点、王女であるレジーナ様の傍でも変わらぬ態度で接するユウタ様。
魅惑に、権力に、魅了に、地位に、そして美貌に靡かぬその意志はお二人の目に特別に映ることだろう。
さぞ、刺激的だったことだろう。
さぞ、驚かされたことだろう。
普通の方からすればあまりにも異常すぎる。誰もが忌避し、非難する。以前、リチェーチ様から聞いたようにいじめられていたのはそれが理由かもしれない。
だが、それが二人にとって重要だ。いや、二人だけではない。リチェーチ様や他の勇者様、聞けばどこかの部隊隊長とも仲が良い。勿論、この私にも。
何があってこうなったのか、それを私は未だに知らないでいる。だが、あったことがどれほど重要だったかぐらい目の前の光景で理解できる。



―…その光景が、胸に痛い。



私の入り込める余地がない。
リチェーチ様とユウタ様との関係とはあまりにも違う。この御二方はあまりにもユウタ様と親しすぎる。

王族という立場、常日頃傍に寄り添うその時間。私の知らぬユウタ様を沢山知り、それ故私では到達できぬ境地にいるレジーナ様。

リリムという美貌、人外である存在。その境界を容易く乗り越え、乙女のように振る舞いながら親しげに笑みを交わすフィオナ様。

ただのメイドならば石像の如く立ち尽くすだけで良いだろう。だが、私はユウタ様に仕えるたった一人のメイド。だというのに御二方の方が理解している事実が何よりも屈辱で何よりも嘆かわしくて。
何よりも羨ましく思って―



―同時に、違和感を覚えた。



喉の奥に小骨が引っかかる様な気になっても取り除けないこの疑問。それはユウタ様が向ける視線。年相応の欲望を隠しながらも向けるそれには好意とは違う優しさが含まれていた。
好きか嫌いかで言えば当然好き。だけどもその好きは異性ではあるが―さらに先を見ている。
もっと具体的に表すなら……薄着で風邪をひかないか、とか、色目使って変な男に引っかからないか、とか……異性の先の、家族の様な心配だった。


いや―違う。


心配を越えたその先にちらつく何かの感情。あまりにも微かで読み取れないそれはいったい何なのか。



まるで意図的に遠ざけるその感情は―レジーナ様もフィオナ様も知らぬもの。



きっと私が知らなければならない感情に違いない。
16/02/14 21:38更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
今回はちょっと長めになったので一度ここで区切ります
後半は女三人(+男一人)で姦しくやっちゃいますよ!

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