読切小説
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剣よりも愛
「なんで……どうして……」

暗がりの中、一人の女が何事か呟いている。
端整な顔に影を落とし、俯き膝を抱えている。
一見するとごく普通の人間の美女のようだが、その手足を覆う深緑の鱗と、腰から生える一本の尾が、彼女が人間ではないことを物語っている。
彼女はリザードマン。本来ならば剣の道を生き、真の強さを求め続ける誇り高き種族の一人であるところの彼女は、それに似つかわしくない一つの悩みを抱えていた。
「私の事は、もう忘れてしまったのか……?」
色恋事である。
といっても彼女達にとって色恋とは普段縁のないものであるから、触れた時点で悩むのは当然であるかもしれない。
何はともあれ。
「……なんで……なんでなの……」

彼女は、悩んでいた。




「……くうっ……」
「どうやら勝負あったようだな」
「ああ……俺の、負けだ。もう手も足も出ない。強いな、あんた」
「いや、お前の太刀筋もなかなかだった。手合わせしてくれた事に礼を言う」
「いいさ、俺も一度リザードマンと勝負してみたかったしな。それじゃあ、また機会があれば」
「ああ、また」
その日も、彼女は人々と剣を交わしていた。
彼女達リザードマンは戦いを通して見聞を深めていく。多くの人と戦うことで剣の腕前を高めるだけでなく、戦いから心を通じ合わせ、人と触れ合う。
時には同じく剣の道を志す者と、時には本気で命を奪いに来る教会騎士たちと。
時には力を試しあい、時には信念をぶつけ合い。
そうして彼女達は成長していく。
彼女は、その「修行」の真っ最中であった。
「……ふう」
一試合終えた開放感に、彼女は軽くため息をつく。しかしながら、彼女の中には一度ついた闘志の残り火がまだ燻っていた。
「……なんだかまだ物足りない。誰かにもう一戦ほど手合わせしては貰えない物だろうか」
きょろきょろと辺りを見回し、それらしい人物がいないかを物色していく。
……と、そのうちに彼女は1人の男を見つける。
風変わりな服装に、やや細身の剣を腰に差した男。
確かジパングのサムライと呼ばれる戦士だったかと彼女は思い起こす。顔形や髪の色はジパング人のそれではないものの、少なくともその流れを汲む戦士である事は間違いないはずだ。
その姿を見た彼女は身体中の血が熱くなるのを感じた。
なるほど、今まで相手をした事のない部類の人間と一戦交えて見るのも悪くはない。
特に相手は強者と呼ばれるサムライだ。戦って得られるものはきっと多いに違いない。
「すまん、そこの。少し待ってくれ」
「……ん?俺か?」
「ああ、お前だ。いきなりで悪いのだが……私と勝負してくれ」
いてもたってもいられなくなった彼女は、そのサムライに早速手合わせを願った。
……これが、事の始まりであった。




「……はっ!やっ!たぁっ!」
「ふっ!はっ!」
戦いが始まって十分ほど。
彼女は焦りを感じていた。戦いが始まってからずっと、彼女は攻め続けており、男の側は防戦一方、そんな状況である。
しかし、実際の所は彼女側有利とはとても言えない状況であり、彼女もそれを感じ取っていた。
(……全て、受け流されている……!)
男は彼女の攻撃をほぼ完璧に受け流し続けていた。
ひと振りごとにそれを全て払い、避け、弾いている。
しかも動きにはほぼ無駄がなく、それゆえか攻撃を受け続けているにも関わらずまだ余裕ある表情を見せている。
彼女の剣の腕前が甘いわけではない。幼少の頃から剣に触れ続け、実戦の中で成長してきた彼女の腕前もまた高いものであり、彼女自身その事に多少なりとも誇りと自信を持ってきた。
しかし、相手はそれを凌駕している。
(何故だ……何故、こいつは平然としているんだ……?)
そのうちに、彼女の心は焦りと疲れに覆い尽くされる。激しかった剣筋は鈍り始め、やや荒いものとなってきていた。
と、その疲れが頂点に達し、やや大振りの攻撃を繰り出した瞬間。
「隙ありっ!」
「……なっ!」
男は刀を翻し……彼女の剣を宙に舞わせた。
そして、彼女の首に刀の峰が当てられる。
「勝負あったな。俺の勝ちだ」
「……う、あ……」
男が勝利を宣言すると、彼女はその場にぺたりと座り込んだ。
「あぁ……私の、負けだ……」
「ん。まあ、あんたも中々いい腕だったさ。それじゃあな」
座り込んだままの彼女に背を向けると、男は刀を鞘に収めその場を去ろうとする。
「……ま、待ってくれ」
しかし、彼女はそれを引き止めた。
彼女は自らを完膚なきまでに打ち倒した男に、その心が今度は別の意味で熱くくすぶり始めたのを感じていた。
「ん、なんだい?もう一戦、てのは無しだぜ。待たせてる相手がいるんでね」
「い、いや。そんな事ではない」
「じゃあ何だ」
彼女は顔を真っ赤にして、こう叫んだ。
「……わ、私を娶ってくれ!」
「……へ?」
突然の告白に、男は仰天した。
「いやいや待て待て。冗談だろおい」
「断じて冗談ではない。私はお前に負けた。だからお前と結ばれる。そういう掟なのだ。それにもう、私はお前の強さに惚れてしまった」
「ああ、そういやあんたはリザードマンだったか……すっかり忘れてた」
リザードマンには自分を負かした相手にその場で求婚するという習性がある。
それはリザードマン達の間での掟であると同時に、強さを求めるために長年の間培われてきた種全体の本能でもある。
既に彼女の心は、目の前の「強い男」に対する恋慕の炎で燃え上がっていた。
「まああんたみたいな別品に惚れられるのは嬉しいが……今からってのは無理な相談だぞ」
しかし当然と言えば当然ながら、男はそれを認めなかった。
「な、何故だ!?」
「何故だってそりゃ、いきなり名前も知らないあんたに結婚してくれなんて言われたってこっちはどうすりゃいいかわからんじゃないか」
男の言っている事は正論である。だがそれでも彼女は譲らない。生来強情な頑固者の多いリザードマンのことであるから、まあ当たり前とも言える。
「……う……し、しかしだな……私はもう……」
「んー……あんたも結構強情だな。よし、じゃあこうするか」
「?」
「負けた方が勝った方の言うことを聞くのもおかしいだろう。だからまたこの先にあんたが俺と戦って、勝てばその話を認めようじゃないか」
「……なるほど、筋は通っている。いい考えかも知れん」
「よし、じゃあそれでいいな。俺は毎月末の昼間にここで待っているから、いつでも挑んで来たらいい。……あ、それはそうと」
「何だ?」
「あんたの名前を教えてくれ。さっきも言ったが、名も知らんままってのはまずいだろう」
「……リーゼ。リーゼ・アイデクセだ。お前は何と言う」
「エルンスト・シュヴェルト。この辺りでジパング剣術を教えてる者だ。呼びにくけりゃエルとでも呼んでくれ。それじゃあな」
男−−エルンストはそう言うと、くるりと背を向けて歩いて行ってしまった。
その姿を見て、彼女−−リーゼはぼそりとつぶやく。
「エル、か。いつかお前の伴侶に相応しい女だと認めさせてやるぞ」
リーゼはその日、剣の腕を磨く理由を新たに得たのだった。




「……はっ!りゃ!」
「くうっ、だぁ!」
2人が出会ってから三ヶ月。彼女達は4度目の果し合いを繰り広げていた。
初めて会った時に比べ、リーゼの剣の腕前は大きく上達している。加える攻め手はより躱しにくい物となり、受ける側のエルンストもやややりにくそうな表情を見せるようになった。スキもかなり小さく、反撃の機会を与えない。
全てはエルンストに自分を認めさせたいという思いがもたらした物だ。これまでの敗戦に学び、たゆまない剣練を続けてきた成果の現れである。
……しかし、一歩足りない。
斬り合いはいつしか鍔迫り合いに変わり、お互いに動かない状態が少し続く。
そしてそこから−−
「……でぇいっ!」
「うあっ!」
一瞬の気の緩みを突かれ、剣を弾かれる。また、負けである。
「……ふぅ、今回は危なかったな」
「く……また、か……」
悔しさと疲労感がリーゼを支配する。立っていることが出来ず、そのままよろよろと座り込んだ。
「やはり、強いな。いつ戦っても及ばない。今回は行けると思ったが」
「まあ、これでも道場持ってる身だからな。そうそうは負けないさ」
軽く会話を交わしていると、エルンストは自分に向くリーゼの視線がやや熱を帯びていることに気付いた。きっと再び打ち負かされた事で恋慕の炎が燃え上がっているのだろう。
そこでエルンストは少しリーゼをからかう事にした。
「ふふ、惚れ直しでもしたか?」
「ま、まあな……って馬鹿!何を言わせる!恥ずかしいじゃないか!」
「あらら、顔が真っ赤」
「う、うるさいうるさい!」
自分の好意を改めて意識させられ、リーゼは赤面する。素直なのか素直でないのかよくわからないどぎまぎした反応は可笑しくも可愛らしい。
「ま、どっちにしろまだ結婚は無理だからな。とりあえず俺に勝てるようになってくれ。じゃ、また来月」
「……くぅっ!来月こそ認めさせてやるーっ!」
ひとしきりからかうと、エルンストはそう言ってくるりと背を向け歩き出した。
歯がみしながら見送るリーゼの顔は、もう真っ赤だった。




「……ん?エルはまだ来ていないのか?」
それからまた一月後、リーゼはいつもの決闘場所である広場にやってきた。
しかし、エルンストはまだ来ていない様子である。
「エルが遅刻とは珍しいな。それとも、私が早く来すぎたか?」
どちらにせよ今この場にエルンストが来ていない事に変わりはない。なので、リーゼは待つ事にした。
……しかし、それから一刻が過ぎてもエルンストはやって来ない。
「……なにをしているんだ、あいつは……」
次第に苛立ちを募らせていくリーゼ。片足をその場で踏み鳴らしつつ、ぶつぶつと文句を言う。
しかし、リーゼはふと思い出す。
「そういえば、ジパングで無敵と呼ばれた剣豪、ムサシ・ミヤモトはわざと決闘に遅れる事で相手の冷静さを欠かせたと聞くな」
仮にそれがエルンストの作戦だとすれば、エルンストは自分に対して策を弄しているという事になる。
すなわち。
「……エルは、私の実力を認めているのか……?」
一人で勝手に想像を進めていったリーゼは、顔を赤くさせつつにやにやし始める。
「……ふふふ……エルは私を認めてくれているのか……ふふふ……これはきっと、もう結婚を……ふふふ……」
その場で赤面したままもじもじするリーゼ。その姿は滑稽かつちょっと不気味で、道行く人は見ない振りをして早足に去っていく。
「……ふふふふ……はっ!」
さすがに途中で自分の姿が怪しいと気付いたか、リーゼは再び元の気難しそうな表情に戻った。

……そして、それからニ刻。雨雲が少しずつ広がり、太陽を隠しはじめる中。それでもエルンストは来ず、リーゼは待ち続けていた。
「……来ないはずはない……そんなはずは……」
待ち続けるリーゼの心は、既に憔悴しきっていた。
流石に三刻も遅刻するなどありえない。もしかして……自分は忘れられているのではないのか。
「違う……エルは、私を試しているんだ。私が妻に相応しい女か試しているんだ」
心に湧き上がり続ける不安を自分の言葉で押し込め、ひたすら待ち続けるリーゼ。空はもうすっかり雲に覆われ、ぽつりぽつりと雨も降りはじめている。
……と。
「……あれは、エル……?」
その時リーゼは、道を行く人々の中にエルンストの姿を見出した。
「お、おいエル!お前、どうしてこんなに遅れ……」
文句を言いつつもやや明るい表情でリーゼはエルンストに駆け寄ろうとし……途中で足を止めた。
……エルンストは、隣に他の女を連れていた。
「……え?」
自分の目に入っているものが信じられない。リーゼが訳も分からず立ち尽くしているうちに、エルンストはリーゼに気づきもせず、仲睦まじげに話しながら2人でどこかへ消えていった。
雨足は次第に強くなり、人々は駆け足で雨を避ける場所を求め去っていく。
ずぶ濡れのリーゼは、膝を折って水たまりの上に崩れ落ちた。






「……なんで……?」
その夜、リーゼは灯りも点さず自室でうずくまっていた。
身を打つ雨の冷たさ。待ち続ける心の寒さ。そして他の女とどこかへ去っていくエルンストの姿。
先程の光景がリーゼの頭の中をめちゃくちゃに錯綜し、苛んでいく。
「……私の努力は、無意味だったのか……?」
初めて負けてからずっと、リーゼは剣の腕を鍛え続けて来た。他でもないエルンストに自分を認めさせるためである。
意識の中にはいつもエルンストがいた。負け続けの決闘でさえ、エルンストに会えると思うだけでも楽しみになった。
ここしばらくは、エルンストのために生きてきたといってもいいくらいだ。
なのに。一月会わない間に、エルンストは知らない女にかすめ取られていた。
彼女にとって、それはもはや自己を全て否定されるに等しいことであった。
「……あアあァああァアあァあああぁぁぁァアあァああぁアぁあぁぁぁァアあァああァアあァあああぁぁぁァアあァああああァアあァあああぁぁぁァアあァああぁアぁあぁぁぁァアあァああァアあァあああぁ!」
怒りと絶望と無力感がないまぜになったような激しい感情に任せ、リーゼは涙を流しながら咆哮を上げ、剣を抜いた。
「ァア!あぁぁぁ!くっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
そして猛る思いのままに、めちゃくちゃに剣を振り回す。あたりにある物がいくら散らばろうと壊れようと、気にも留めない。
「っ……はぁ……はぁ……」
そしてひとしきり暴れた後、彼女は剣を取り落とし、その場に座り込んだ。
俯いたその顔にはーーなぜか、笑み。
「……ふふ、そうか……そうだよね……」
リーゼの口から、軽く笑い声が零れる。
「ふふ……ふふふ……うふふふふふ……は、ははははっ……」
その笑いは次第にはっきりした物へ代わり。
「…………あはっ、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
最後には、哄笑に変わった。
「……あはは、何で気づかなかったんだろう?奪われたものはみんな奪い返せばいいじゃないか」
くすくすと笑いながら独りごちるリーゼ。
瞳にかつて秘めていた意思の光は既になく、昏くどんよりとした闇に覆われていた。
「……エルを奪い返せばいい……未来永劫、私のものにしてしまえばいい……」
全てを奪われ、彼女は完全に壊れた。彼女に残されているのは、狂おしいほどのエルンストへの愛情と執着だけである。それ以外のものは、今の彼女にとってもはや何の意味も為さない。
「待っててね、エル……」
……彼女はその日,一人の修羅と化した。







「……」
その日以来、リーゼはいつもの待ち合わせ場所に毎日立っていた。
かつてとは違い、普段剣の鍛錬にあてている時間も、ひどい時には食事の時間まで削り、彼女はただひたすらそこに立ち、エルンストを待ち続けた。
目は虚ろになり、その下に大きな隈が出来ても、やはり彼女は待っていた。
そんな日がもう、一週間も続いていた。
「……」
一言も発せず、彼女はただ立っている。
その異様な雰囲気に、道を行く人は誰も足早にそこを過ぎていく。
彼女はそれも気に留めない。
「……!」
……と、そこまで何にも反応しない木偶人形のようだった彼女が、何かに気づき視線を向ける。
その先には……何処かへ向かうエルンストの姿があった。
「……エル、見ぃつけた……」
口許を三日月のように吊り上げ、彼女はにたぁと笑みを浮かべる。
そしてエルンストの姿を見失わないように、ふらふらとその後をつけはじめた。
「エル……エル……私の、私だけの……」
ぶつぶつとエルンストへの想いを口から漏らしながら、彼女はひたすら歩いた。
歩いて、エルンストを追い続けた。




「ここが、エルのおうち……」
エルンストを追ってしばらく。リーゼはエルンストの家の前へとやってきた。
全ては、エルンストを我が物にするため。
全ては、エルンストを奪い返すため。
これから自分が得るものへの期待に、リーゼの胸が高鳴る。
「エル……今行くからね……」
そうつぶやくと、リーゼは懐から何かを取り出し、それを口に含む。
そして、今まさに扉を開け家に入ろうとするエルンストの背中に抱きついた。
「……だれっ……!」
驚いて後ろを振り向いたエルンストの唇をリーゼが奪う。
「……ん……ちゅる……」
「んぐぐっ!んっ……んんっ!」
そしてそのまま、リーゼはエルンストの口に先ほど含んだ何かを送った。
「……ぷはっ!おい、リーゼ!」
解放されたエルンストは、もちろんまずリーゼに文句を言おうとし、
「……おまえ……なに……を……」
それから耐え難い眠気に襲われ、その場に倒れこんだ。
「……あは、あはははは……なんだ、思ったより簡単だったじゃないか……」
リーゼは倒れたエルンストを抱きかかえると、そのまま家の中に入っていった。




「……ん……あ……?」
エルンストが目を覚ますと、そこは見慣れた自分の家のベッドの上だった。
(なんだ……これ……頭が……)
しかし普通に目覚めたにしては異様に頭が重く、思考もぼんやりしている。
おまけに、先ほどまで何をしていたかの記憶も怪しい。
違和感を覚えながらもエルンストはとにかく起き上がろうとし……最大の異常に気づいた。
「……え……腕、が……?」
彼の両腕は、ベッドの梁にしっかりと手錠で固定されていた。
それだけでなく、両足もすでに固定され、全く動かせない。
「……どういうことだよ、これ……!」
自分の身に起きていることが全く理解できない。突然置かれた異常すぎる状況に頭がついていかない。
……と、そうしているうちに、がちゃりと音がして自室の扉が開いた。
「……目は覚めた?」
そこに現れたのは、何故か外套の袖に片腕だけを通したリーゼだった。
その姿を見た途端、エルンストは先ほど何があったのかを完全に思い出す。
家に入ろうとした自分。そして突然唇を奪ったリーゼ。遠のく意識……
「……リーゼ、まさか、これ、お前が……」
気がつけばエルンストはそうリーゼに聞いていた。信じられることではないが、でもこの状況を作ったのはリーゼでしかありえない。
「ああ、そうだ」
エルンストの問いに、リーゼは当然とでも言わんばかりにあっさりと答えた。
「なんで、こんなこと……」
「お前を取り戻すためだ」
ただ困惑するエルンストに向かい、リーゼは語り始める。
「私はお前に負けた。だからお前の妻となり、共に生きる事だけが今の私の生きる理由だ。お前がいなければ私はもう生きていけない。お前だけが私の全てなのだ。それなのに、それなのに……」
リーゼの瞳から、涙がこぼれ落ちる。
「おまえは、エルはわたしのことをすてた!わたしのことなんかわすれて、ほかのおんなといっしょにどこかにいっちゃった!なんで!?わたしがエルをいちばんあいしてるのに!わたしだけがエルといっしょにいていいのに!」
だだをこねる子供のようにリーゼが泣き叫ぶ。あまりに以前見た姿とかけ離れた彼女の姿に目を疑う。
「……だから、だからね?エルをとじこめることにしたの。エルをとじこめて、あの女達から守ることにしたの。私が奪い返したの。エルはここで、ずーっと、ずーっと、私といっしょに暮らすの」
うってかわって無邪気な笑顔を見せるリーゼ。しかし、その瞳はどこまでも暗く淀んでいる。
呆然とするエルンストに、リーゼはなおも話す。
「……でもね、私も考えたんだ。私がエルから自由を奪っちゃうのに、私だけなんにも失わないのはおかしいよね、って。だからね」
ばっと外套をはぎ取るリーゼ。
……その右肩から先が、なくなっていた。
「……!」
「私ね、剣を捨てることにしたの。だからもう絶対に剣を握れないように、すっぱり切り落としちゃった。いたかったよ?すっごく。でも、これでおあいこだよね?エルのことを、私のものにしてもいいよね?」
「リー……ゼ……」
エルンストは、目の前にいるこの哀れなリザードマンが壊れきってしまったことを悟った。
もう彼女には、エルンストの事しか見えていない。剣すらも、彼女の救いにはなり得ない。
(……俺の、せいなのか……)
エルンストは深く後悔する。リーゼが壊れてしまったのは、自分が彼女との約束を忘れ、軽率な行動に出てしまったためだ。まだ愛想を尽かされた方がよかったに違いない。それでも、リーゼはエルンストを愛する事しか出来なかった。
だから、リーゼは壊れてしまった。

リーゼが残った左腕でエルンストを抱きしめる。
「……もう、放さない。エルは私のもの。私だけのもの……」
そう口走るリーゼ。笑顔を浮かべながらも、その目には涙が浮かんでいる。


(ごめん……リーゼ……)


彼女に抱かれ、彼はただ、心の中で懺悔を繰り返した。
11/06/27 01:16更新 / 早井宿借

■作者メッセージ
難産でした。

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