読切小説
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夫婦以上、恋人未満
人は、自分の運命を選べない。
一人の人間の生き方、出会い、行く末は、何か自分より大きなものの動きによって決まる。
そしてそれは、一人の魔物にとっても同じこと。
少なくとも、私の場合はそうだった。

***

 蝋燭の炎に照らされた薄暗い大食堂に、四人分の食事の音が響く。私たちの後ろに控える給仕たちは一言も声を発さず、高貴な者たちの会食に特有の重々しい空気が漂っていた。

「そういえばシャルロッテさん、夫婦の生活にはもう慣れましたか?」
 私の正面に座る妙齢の女性が微笑みながら尋ねる。その質問が来ることは分かっていた。私は食事の手を止めると、用意していた答えを返す。
「ええ、それはもう。殿下には、大変良くしていただいております」
 社交辞令めいた返事にも、女性は満足そうに目を細めた。
「それはよかった。こんなにしっかりした奥方がいらっしゃれば、この城も安泰だわ。ねえ、あなた?」

 女性は隣に座る大柄な男性に声をかける。豪奢な衣装を身にまとい、立派な口ひげをたくわえた壮年の男性は、威厳のある低い声でそれに応えた。
「まったくだ。だが、最も大切な仕事を忘れてはならんぞ。早く孫の顔を見せてくれんことには、安心して隠居もできんからな」
「まあ、おやめくださいな。そのようなお話を食事の席で……」
「ハッハ!なに、ほんの冗談だ。二人ともまだ若いのだから、そちらの心配はしておらぬよ」
 男性は豪快に笑う。
「ともあれ、お前たち2人の仲こそが、両国の同盟の証、ひいては、我らがクロイツェンブルク発展の要であるということ。ゆめゆめ忘れるでないぞ」
「承知しております。父上」

 そう答えたのは、私の隣に座る年若い少年。私より頭ふたつ分ほども小さい華奢な身体を上等なビロードの衣装に包み、毅然とした態度で父親に言葉を返す。
「このハインツ・レオンハルト・フォン・クロイツェンブルク、我が領地と領民の繁栄のため、力を尽くしていく所存です」
 齢12歳とは思えないほどの落ち着きようは、公爵家に生まれた男子としての責任をすでに自覚していることの表れなのだろう。この城の主にして、広大な領地の管理を任されるクロイツェンブルク辺境伯。
私の夫である。




 公爵夫妻を門まで見送った後、私とハインツは城の大階段を上って居室へ向かう。絹糸のように滑らかなハインツの金髪が、私の持つ燭台の光の中で揺れていた。
「……今日は、ありがとうございました。父上は元来もっと厳しい方なのですが、シャルロッテさんのお人柄を見て、信頼してくださっているようです」
「そうか。私はただ、出しゃばらないよう大人しくしていただけなのだがな」
「……そういった慎ましさこそが、貴族の妻には必要だとお思いなのかもしれません」
 そう言ってハインツは口を閉じ、再び気まずい沈黙が2人の間に流れる。婚礼の儀から3ヵ月、2人きりの時間にこれ以上の会話が続いたことは、まだない。だがそれも仕方のないことだろう。お互い結婚式の前日まで、顔も見たことがない相手だったのだから。
 

 伝統的に反魔物領主だったクロイツェンブルク家が、親魔物派へと転換したのが約10年前。この大胆な政策を盤石なものとするため、数年越しの粘り強い交渉を経て実現したのが、私の実家、魔界領主シャッテンライヒ家との同盟樹立であった。
 両家の子女同士の婚姻により2国は強固な同盟を結び、双方のさらなる繁栄が約束される。領国を有する貴族が各地に乱立するこの時代、似たような話はどこでも耳にする。私とて魔界の貴族に生まれた以上、他家に嫁ぐことが自分の役割ならば、それを果たすことに異存はない。
 

 不意に、階段の途中でハインツが立ち止まった。
「あの……シャルロッテさん……」
 数段高い位置に立つ彼が振り返ると、私とちょうど同じ高さで目が合った。
「なんだ?」
「あ、いえ……」
 正面から目線が合ったとたん、ハインツは口ごもって目を逸らす。それほど恐い顔をしているつもりはないのだが。
「なんでも……ありません……」
 結局、言葉を濁してまた歩き出す。ここ数週間で、同じようなやり取りがもう3回ほどあった。

 
 ハインツは、領主として申し分ない素質を備えた少年である。歳の割に落ち着いた性格であり、忙しい公務も文句ひとつ言わずに次から次へとこなしていく。家臣や領民からの支持も篤く、身体が強ければ公爵家の跡取りであっただろうと囁く声さえあった。
 しかし、彼がまだ年若い子どもであるというのもまた、事実だった。精一杯に領主としての威厳を見せようとはしているが、傍で見ている私には、年相応の不安や緊張が伝わってきていた。
 それにもまして、もしかすると彼が最も緊張した顔を見せるのは、私と2人でいる時間かもしれなかった。無理もないだろう。まだ恋もしたことがないような歳で、一回りも年上の魔物と、ある日突然夫婦になれと言われても、接し方などわかるはずもない。



「あ……シャルロッテさん、今夜は血を飲まれますか?」
 ハインツがそう聞いてきたのは、私の部屋の前に着いた時だった。
「いや、今日はやめておく。夕食を充分摂ったことだしな」
「わかりました。必要になったら、いつでも言ってください。侍女に用意させますので」
「ああ、承知した」
「では、おやすみなさい」
 それだけ言って、ハインツは自分の居室に向かう。その背中が廊下の闇の中へ消えるのを確認して、私は自室の扉を開ける。
 化粧台の蝋燭に火を灯し、その正面に腰掛ける。右手に手袋をはめ、左手薬指の指輪を、ゆっくりと慎重に外した。薬指には、銀の指輪の形がくっきりと、赤い腫れ跡となって残っていた。
 銀の産出国であるクロイツェンブルクにおいて、公爵家の妻に贈られる結婚指輪は銀製と決まっている。それがしきたりである以上、その家に嫁いだ私も、公の場ではそれを着けていなければならない。たとえ、ヴァンパイアである私の身体にとって、銀が凶器になるのだとしても。
 化粧台にあらかじめ用意していた水盆に、私は左手を浸ける。軽い火傷をしたような鈍い痛みが、じりじりと薬指に残っていた。
 


 私は、ハインツを嫌っているのだろうか?
 それは違う。むしろ彼は人間として、尊敬に値する人物だと私は思う。
 ただ、彼は夫として、まだあまりにも幼すぎるのだ。
 子どもとして接するべきか、男として接するべきか。私は、まだその答えを見いだせていない。



***



 その日、ハインツは商談があると言って、少ない従者を連れて隣国の商業都市へ出向いていた。
 同行した従者の1人が血相を変えて城の扉から飛び込んできたのは、夜もすっかり更けた頃だった。
「殿下が……殿下の乗った馬車が、賊の襲撃を受けました!」
 たちまち騒然となる城内。警備兵たちが武器を取って厩舎へと走ろうとするのを、私は手で制した。
「私が行こう。お前たちは迎えの馬を用意して待て」
 慌てて止めようとする侍女たちの声を無視して、私は夜の闇へと身を躍らせた。


 私が上空から森の中に馬車を見つけた時、ハインツと数人の護衛たちは、夜盗に取り囲まれながらも馬車を守りながら必死に応戦している最中だった。倒れた仲間とハインツを背中にかばい、短剣で賊と打ち合う護衛の兵士。ハインツ自身も、震える腕で剣を取り、前に出て戦おうとしているようだった。
 一目で劣勢とわかる状況だった。しかし、今は真夜中。相手が何人だろうと、ただの人間に私が負ける道理はない。結局、吸血鬼の領地で狼藉を働いたことを彼らに後悔させるまで、数分とかからなかった。
 

 賊が全員倒れたことを確かめた後、呆然と立ち尽くしていた兵士に被害状況の確認をさせる。結果、倒れていた護衛は命に別状なく、積み荷も無事とのことだった。
 しかし、
「殿下!お怪我を……」
「問題ない……かすり傷だ……」
 どうやらハインツが戦いの中で負傷したらしい。見ると、確かに軽傷ではあるようだが、手の甲から出血しているのが見えた。
「すぐに手当てしなければ……!走れる馬は……」
「わかった。殿下は私が連れて行こう」
 そう言いながら、私はハインツの身体を抱き上げた。その身体は、まるで小ジカのように軽かった。
「シャ、シャルロッテさん……!?」
「飛んで行けば城まですぐだ。馬の用意を待つより早いだろう」
 兵士たちには迎えの馬を待つように言うと、ハインツに有無を言わせず私は夜の空へ飛び上がった。


 今夜は満月が普段よりも大きく見えた。青白い月明かりの中、黒い森を眼下に見ながら音もなく私たちは飛ぶ。私の腕の中で、ハインツは居心地が悪そうにうつむいていた。
「あの……すみませんでした」おずおずと口を開く。「シャルロッテさんのお手を煩わせてしまって」
「……なぜ、夜明けを待って出発しなかった?」
 言うまいと思っていたのだが、つい小言が口を突いて出てきてしまった。ハインツのオドオドした態度に、少し苛ついたせいかもしれなかった。
「こんな時間に森の中を進めば、夜盗に遭う危険があることは予想できたはずだ。自分の身分を考えれば、なおさら危険な行動は控えるべきだろう」
「ごめん……なさい」
「……軽はずみな行動は慎むのだな。下手をすれば、他の誰かを危険に晒す。……お前は、まだ、自分で自分の身を守れないのだから」
 最後の一言は言い過ぎたかと思いつつも、一息に言ってしまった。話しているうちに、黒黒とした城の壁が目の前まで近づいていた。
 城門へ降りようとしたその時、

「う……ひっく、ぐす……」
 ギョッとしてハインツの顔を見る。堪えていたものが堰を切って溢れだしたように、その目から大粒の涙が流れていた。
 慌てて進路を変え、城の尖塔の上に降り立つ。塔の窓から突き出たバルコニーにハインツを下ろし、私もその前に膝をついた。
「すまん、少し言い過ぎた。……泣くな。いつもの威勢はどうした」
「すみま……せん、ひっく……」
「手でこするな。目に血が入る」
 ハインツは歯を食いしばって、溢れでる涙を止めようと必死に堪えていた。
 間抜けなことに、私の方が動揺してしまっていた。ハインツの涙を見たのは初めてだった。この少年も涙を流すことがあるのだと、そんな当たり前のことをいつの間にか失念していたのだ。


 ハインツは袖で顔を拭うと、無理やりに涙を引っ込めた。そしておもむろに懐に怪我をしていない方の手を入れ、何かを探り始めた。
「これを……ぐすっ……街で、作ってもらっていたんです。……今日は、その受け取りに」
 やがて取り出した手の中には、私の手のひらに収まるほどの小さな箱があった。
「どうしても早く届けたくて……無理をして夜間に出発してしまいました……ごめんなさい」
 ハインツの手が、箱をゆっくりと開ける。すると、
「これは……!」
「侍女から聞きました。ずっと我慢しておられたのですよね?これからは、それを着けていただきたいと思って」
 箱の中に入っていたのは、指輪だった。私の持っている結婚指輪と、ほぼ同じ大きさ、同じデザインのもの。しかしその表面は、銀色にわずかな紫色の混じった光沢を持っていた。

「魔界銀製の指輪です。ヴァンパイアの肌には、これならば害はないと伺いました」
 ハインツの目が、私の左手、指輪がなく、赤く腫れた跡だけが残っている私の薬指を見やった。
「僕は、幼い頃から魔物の方とお会いしたことがなくて……シャルロッテさんが初めてでした。だから、どう接したら良いのかずっとわからなくて……いえ、これは言い訳ですね」
 ハインツは首を振る。
「僕は夫として失格です。銀の指輪のことも気づいてあげられなくて……ずっと、向き合うことを避けてきました。忙しさにかまけて、あなたの気持ちを、ちっとも考えていませんでした」
 ここでいったん、ハインツは言葉を切った。深く息を吐く。そして、私の目を真っすぐに見据えた。
「でも、ずっとあなたのことが好きでした。初めてお会いした時から、なんて綺麗な人だろうって……あ、いえ、もちろん心の部分でも、高潔で、いつも凛とした態度で……その、憧れていました。……だから」
 目を、逸らせなかった。

「改めて、僕の妻になってくださいませんか。まだ僕は子どもだけれど、……だけど、すぐに大人の男になりますから!立派な領主に……!お返事は、その時でも構いません。……それだけは、お伝えしたかったんです」
 ドクリと、心臓が波打つのがわかった。身体を流れる血が、熱を持った血が顔まで上ってきていた。ハインツの泣き腫らした目が、その中に光を持ってキラキラと輝いているように見えた。
 しばらくは、お互いに何も言えなかった。
「……いや、謝らなければならないのは、私の方だな」
 ゆっくりと、口を開いた。
「お前に何も伝えていなかったのは、私だ。指輪のことも、私が思っていることを、何も」
 未熟だったのは、私の方だ。何も知らぬ子どもだと勝手に決めつけ、相手の心の内を見ようともしなかった。大人になりきれなかったのは、私の方だったのだ。

 それどころか、この少年はどうだ。幼い子どもなど、とんでもない。私の知らないところで、私のことを誰よりも気遣ってくれていた。正面から思いを伝えてくれた。誰よりも尊敬に値する男ではないか。
 ふと、ハインツの右手が目に入った。固まりかけた血が流れるその手を、私は衝動的に掴む。そして、顔を近づけ、色白な手の甲に舌を這わせた。
「シャ、シャルロッテさん……!?」
 上ずった声で驚くその声も、どこか可愛らしく聞こえた。初めて味わうハインツの血は、不思議な感覚を舌に残した。少しクセのある、未体験の味。けれどこれから好きになるのかもしれない、心地の良い感覚だった。
「受け取ろう。それに、こちらこそ……」
 指輪を受け取る。
「これから、お前のことをもっと知りたい。誰よりもお前を理解する者として、お前のそばにいたい」


 私たちは、まだお互いのことを何も知らない。夫婦となることに、それは必要な過程ではなかったからだ。
 けれど、これからは、お互いの心を知っていこう。そして好きになっていこう。
 きっといつか、愛と呼べる関係をお互いの間に結べるように。
 



それまでは、私たちの関係は、きっと、そう、
夫婦以上、恋人未満。とでも言えようか。
18/03/05 01:55更新 / 琴白みこと

■作者メッセージ
三題に比べて一題はグンと難易度が上がります。
前作よりだいぶ時間がかかりました。

恋人と言うにはちょっと奇妙な関係から生まれる、
いろんなカタチの愛をこれからも書いていきたいと思います。

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