読切小説
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とあるヴァンパイアとヴァンパイア・ハンターの物語
「勝負だヴァンパイアぁあ!」
 とあるヴァンパイアの住処に、男が一人入り込んで、主の間に入るなりそう叫んだ。
 そこの主であるヴァンパイアはちょうど起きた直後の食事を取ろうと、硬い黒パンを引きちぎってチーズを乗せて食べようとしているところだった。
「……無粋ね。人間の分際で……土足で食事中に上がり込んでくるとは……」
「ワリィな。だけど俺は食事すらまともに食えない身なんでね、アンタを倒さなければ……!」
 そう言って男は弓を構えた。なるほど、なかなか様になっている。
 しかし、ヴァンパイアにとっては所詮人間だ。
「ふっ……」
 手に持っていた黒パンを男の眉間を目掛けて投げつける。慌てて男が避けようとしているところにヴァンパイアは素早く背中に生えている翼で滑空して間合いを詰めた。そしてその額を指でピスッと弾く。
「いたっ!」
 男の頭が後ろに飛ぶ。だがヴァンパイアは容赦しない。二発、三発と立て続けにデコピンを男に打ち込む。
「はっ!」
 とどめの一撃。最後に放たれたデコピンで男は身体ごと大きく吹き飛ばされて絨毯にもんどりを打って倒れた。
「ぐは……つ、強い……」
「ふん、人間の貴方が弱すぎるだけよ……去りなさい」
「……ち、ちくしょう! 今回は撤退して出直しだ!」
 力の差を思い知ったか男は妙な言い回しでそう捨て台詞を吐いて主の間を出て行こうとした。滞在時間が一分にも満たない、あっさりとした撤退だ。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 貴方、出直すって……!」
 ヴァンパイアは声をかけようとしたが、男が出て行くのが先だった。あとにはヴァンパイアが取り残される。
「……本当に彼は来るつもりなのかしら……」
 そうつぶやきながらヴァンパイアは男に投げつけた黒パンを拾い上げて、食事に戻った。



「勝負だヴァンパイアぁあ!」
 果たして、彼は半月ほどして再びヴァンパイアの元を訪れた。前に来たときと同じ時間に、同じ文句で、主の間に入り込み、弓を構える。
「……修行は半月で終えたの? たいしたものね」
「ちょっと頑張った」
 胸を張る男に、ちょっとではダメだろうとヴァンパイアは黒パンを持ったままため息をつく。しかし、ともかく男は前回の言葉通り、ヴァンパイアのもとに挑戦に来た。夜の貴族、ヴァンパイアとして受けて立たねばなるまいと彼女は考えた。
「……ふっ!」
 前と同じように、黒パンを投げつける。男はそれを素早く弓で叩き落とした。なるほど、前回よりは腕を上げた。ヴァンパイアが滑空してきても落ち着いて矢を放つ。
「そこまでは上出来ね。だけど……」
 飛んできた矢をヴァンパイアはわずかに軌道を左に変えることで躱した。そして素早く男の横に立ち、側頭部を指でバチンと弾く。
「ぐわあああっ!」
 激痛の咆哮を上げて男が吹っ飛んで床に崩れ落ちる。勝負はもうすでに着いていた。
「まだまだ駄目ね。去りなさい……」
「……くっ! 今日のところはこれくらいにしておいてやる! また半月後にチャレンジだ!」
 男の言葉にヴァンパイアは眉をひそめる。
「人間の男と遊んでいる暇は私にはないの。来られるだけ迷惑なのだけど……」
「そうは言っても、俺にも事情と言うものがあるんでね……」
 ヴァンパイアの言葉を無視し、男は去って行った。また、あとにはヴァンパイアが取り残された。彼女は嘆息する。
「あの調子だと、彼はまた来るわね……」
 別に、本当に暇がないわけではないが、自分より下等な人間といつまでも戯れているつもりもない。さて、どうするか……考えながら彼女は男に投げつけた黒パンを拾い上げて食事に戻った。



「勝負だヴァンパイアぁあ!」
 あれから半月後。男はまた前回と同じようにヴァンパイアに挑みに来ていた。しかし、今度は少々勝手が違っていた。
ガァン!
 男が言い終わった直後にものすごい音が主の間に響いた。それに混じって男がグエッとカエルが潰されたような声を漏らす。彼の頭の上には金たらいが落ちていた。
「……この程度の初歩的なトラップにかかるとは……あなたの実力もその程度ということよ」
 食卓から動かずにヴァンパイアはせせら笑った。男は悔しそうに唸る。だが悔しがっても、事実はそうなのだから仕方がない。屈辱と痛みに呻いているその男にヴァンパイアはさらに言った。
「さて、前も言ったとおり、私は人間といつまでも戯れているつもりはないの。それなのに私の手を煩わせたのだから……ちょっとくらいは命令を聞くわよね?」
「……ち、くしょう……何がのぞみだ」
 戦う前から敗北が決まってかなりショックだったのだろう。打ちひしがれた声で彼はそう応えた。
「私は食事がまだなの。地下倉庫に行って作ってくれないかしら?」
「へ? 料理? あ、ああ……そんなんでいいのか? じゃあちょっと待っていてくれ」
 そう言って男は出て行った。

「……人間の割には随分な腕ね」
「褒めてももう俺からは何も出ないよ?」
 十五分ほどして、男は厨房に用意されていた材料を使って食事をヴァンパイアのために作って持ってきた。ちなみにメニューは魔界の芋と呼ばれる睦びの果実のスープと、黒パンだ。
「いや……あんな珍しい芋を初めて見たよ」
 男はヴァンパイアがスープを飲んでいるのをもの欲しげな目で見ながらつぶやいた。
「ジャガイモに形は似ているけど、色は赤っぽいし中割ってみても赤紫色だし……」
「……なに、そのジャガイモと言うのは?」
 聞きなれぬ言葉にヴァンパイアは食事の手を止め、男に訊ねる。
 男は目をパチクリとさせたが、やがて納得したように頷いた。
「ああ、貴族だからそんな庶民の野菜を知らないんだな……っとと?」
 男が急に言葉を切った。ヴァンパイアの眉がかすかに、不快そうに寄ったからだ。何が彼女の気に障ったのか彼には分からなかったが、彼は自分の言葉が彼女を不快にさせてしまったことだけは分かった。自分の感想はそれ以上言うのはとどめ、訊ねられたことについて答える。
「ジャガイモと言うのは人間が食べる野菜でね……」
 分かる範囲のことを男はヴァンパイアに教える。先ほど、不快そうに眉を寄せていたヴァンパイアも男が語る、自分が知らない物について熱心に聞き入った。
「なるほど、そう言う物があるのね……」
「今度、持ってこようか?」
「……貴方、私の屋敷に来て挑戦することを何だと思っているの?」
 男の言葉に呆れてヴァンパイアはつぶやく。確かにそうだなと男は笑って頭を掻いた。それを見てヴァンパイアはさらに呆れてため息をつく。
「けれども、貴方が教えてくれたのは確かに私が知らないことで、面白かったわ。褒美として、黒パンとスープを分けてあげる。厨房からとってきなさい」
「えっ!? いいのか!? サンキュー!」
 いそいそと出て行く男をヴァンパイアは妙な気分で見送った。この男と会い、会話をしたのはこれで三度目だが、不思議とそうは感じない、気楽さがあった。まるで、昔から知り合いだったような……
「馬鹿な……」
 ヴァンパイアは首を振った。
「私はこれでも貴族だ。下等な人間とは違う……」
 ヴァンパイアは黒パンを情けない気持ちで見ながらつぶやくのだった。


「勝負だヴァンパイアぁあ!」
 また半月後、彼はやってきた。
 ばごぉん!
 轟音が響き渡ったが、呻き声は聞こえない。主の間に仕掛けられていたたらいは男の目の前に落ちていた。
「……学習したようね」
「アンタが人間をどう思っているか知らないけど、そこまで馬鹿じゃない。行くぞっ! ……の前に」
 鋭い声を発した彼だったが、弓を構えるより先に背嚢を床の上に置いた。小さい背嚢だが、中にゴロゴロと何かが入っている。
「……なに、それは?」
「前に言っただろう? ジャガイモだよ」
 もうこの男と会って何度目になるだろうか、ヴァンパイアはまた嘆息した。この男は前に来たときの約束を律儀に守っているのだ。
「……と言うか、貴方は私を倒さないと食事にも困る身分だったのではないのかしら?」
「あ? ああ、ジャガイモを買うために山賊討伐とか別のクエストをやっていたよ。それはともかく、今度こそ行くぞ!」
 言うなり男は予備動作もなく矢を放った。
「くっ……!」
 少し虚を突かれた。ヴァンパイアは慌てて身体を捻ってそれを躱す。からんと乾いた音を立てて矢はテーブルに刺さることなく転がった。その音がしたと同時にヴァンパイアは男に向かって突進する。前と同じように、デコピンで男を黙らせようとした。
 しかし、男はヴァンパイアに近づかれても第二の矢を放とうとしない。ヴァンパイアの頭に警鐘が鳴り響く。自分の内のその警告に従って、ヴァンパイアは足を止めた。
 男が悔しそうな顔をする。ヴァンパイアが十分に近づいてから、至近距離でその矢を放つつもりだったようだ。さすがに至近距離となると、人より優れる魔物娘の動体視力を持ってしても躱すのは厳しい。
「考えたわね。そこまで作戦を練ったのは褒めてあげるわ。」
「そりゃどーも」
 作戦は失敗したようだが、ヴァンパイアの足止めには成功した。男は油断なく弓を構えたまま、ヴァンパイアの接近を封じる。
「だけど、貴方は私が何たるかを忘れているわ」
 そう言ってヴァンパイアは指をパチンと鳴らす。次の瞬間、男の後ろにあったたらいがふわりと浮かび、そしてヒュンと男の後頭部を目掛けて飛んだ。
 ガァン!
 猛烈な音がしたと同時に男は呻き声を上げてその場に崩れ落ちた。
「私は夜の貴族、ヴァンパイア。魔法を使うことくらい朝飯前よ」
 後頭部を押さえている男にヴァンパイアは無感情に言った。そしてさらに続ける。
「そして実際に私はまだ食事を摂っていない。さて……今日も食事を用意してくれるわね?」
「へいへい、分かりましたよ……おーイテテ……このジャガイモでいいな?」
「ええ、構わないわ」
 ヴァンパイアが頷くと男は後頭部をさすりながら、厨房へと消えた。その日の食事はジャガイモのスープが出た。生まれて初めて食べたジャガイモは美味しかったとヴァンパイアは後に語っている。



「勝負だヴァンパイアぁあ!」
 男の五度目の挑戦は、ヴァンパイアに魔法で投げ技をかけられて終わった。
その日の食事は茹でたジャガイモと魔界いもに塩を振った物だった。シンプルながらもその味わいにヴァンパイアは感心した。

「勝負だヴァンパイアぁあ!」
 男の七度目の挑戦は、ヴァンパイアに雷の魔法を受けて終わった。
その日の食事は茹でたジャガイモにバターを乗せたものだった。ホクホクしたジャガイモととろけるバターの組み合わせにヴァンパイアは唸った。

「勝負だヴァンパイアぁあ!」
 男の十度目の挑戦は、ヴァンパイアに容赦なく炎の魔法を浴びせられることで終わった。ヴァンパイアが容赦なかったのは、男がニンニクを持ち込んだからだ。
 その日の食事はジャガイモを油で焼き揚げたものだった。中はホクホクしているのに外はカリッとしているその差にヴァンパイアは男にニンニクを持ち込まれたのも忘れて夢中になった。

「今日の食事はいやに豪勢ね?」
 初挑戦から半年強。男の十五回目の挑戦目の後の食事はジャガイモだけでなく、干し肉が出た。今まで主食も同然だったジャガイモと魔界いもは付け合せになっている。
「私もようやく仕事先が見つかってね……」
「ちょ、ちょっと待って。貴方、自分を指す言葉まで変わっているじゃない。どうしたの?」
「だから、仕事が正式に見つかったんだよ。仕えることができたんだ。今までのクエストの成果が認められて、とある小さな貴族の親衛隊になってね」
「……」
 男の言葉にヴァンパイアは食事の手を止め、口を噤んだ。いつの間にか、男が他の者に仕えていた。しかもその者は貴族だと言う。
 何か胸の内がモヤモヤとし、そのモヤモヤがチリチリと自分を痛めつける。その苛立ちはおそらく嫉妬……何に嫉妬しているのか、全てはつかみきってはいないが、少なくとも自分がその人間の貴族に劣っているかのように感じて彼女は苛立った。
「私だって貴族よ」
「えっ、ああ、そうだったね」
 急なヴァンパイアの発言に男が驚いたような声を上げる。男の声の調子にヴァンパイアは、自分が貴族だと見なされていないかのように感じ、呻いた。
 しかしそれは無理もない話だ。確かに彼女は貴族ではあるが、実は彼女は分家である。本家の屋敷から出て、そこからのわずかばかりの援助で暮らしている。
 ヴァンパイアは苛立ったようにテーブルを指先で叩く。
「あ、あの……どうした?」
「……貴方はその貴族に仕えているのでしょう? もうお金や食事に困っていないのでしょう? ならば何故、私のところに来るの?」
 ヴァンパイアがややきつい口調で訊ねる。自分でもよく分からない感情が彼女の中で渦巻いていて、それがさらに彼女の神経を逆撫でていた。
「え? うーん……」
 男自身も、自分が何故ヴァンパイアに挑み続けているか分からない様子だ。唸り声を上げて首をかしげている。
 男の煮え切らない態度にヴァンパイアの苛立ちが最高潮に達した。
「……帰って」
「え?」
「帰りなさい。下等な人間の貴族の下へ。下等な人間のあなたにはそれがお似合いよ」
 ヴァンパイア自身が驚くほど、冷たい声が彼女の口から漏れた。しかし、一番驚いたのが急にそんな言葉を浴びせられた男の方だろう。ついさっきまで和やかに一緒に食事をしていたヴァンパイアがいきなり態度を変えたのだ。男は慌てたように訊ねる。
「ちょっと、本当にどうしたんだい? 私が何か気に障るようなことをしたのなら……」
「初めて会ったときにも言ったように、私は人間と戯れている暇はないの」
「いや……」
 男が反論しようとする。ついさっきまで自分と食事しておきながらその言葉はないのではないかと男は言おうとした。さらに、半年もこのヴァンパイアと接し、何度も厨房にて彼女のために食事を作った彼は知っているのだ。
 厨房や倉庫にあるのは、貴族が食べないような黒パンや芋ばかりであることを。
 彼女が貴族という称号は名ばかりで、実際は庶民とそう変わらない貧乏人であることを。そんな彼女が、「人間と話している暇はない」と言うほど暇がないはずがない。
 しかし、それを言おうとしているのを感じ、ヴァンパイアはついに怒りを爆発させた。
「帰りなさい! 次はないわよ!」
 ひゅん!
 食事に使っていたナイフをヴァンパイアは男の眉間に突きつける。男がハッと息を飲んだ。彼女の怒りが到底収まらないことを悟り、男は静かに席を立った。
「分かったよ。今日はこれにて失礼するよ」
「『今日は』じゃない。もう来ないで……!」
 男に背を向け、ヴァンパイアは冷たく、突き放すように言った。男は肯定も否定もしなかった。静かに自分の武器の弓矢を手に取り、ジャガイモなどを入れた背嚢は残して主の間を去った。
 その間、ヴァンパイアは振り向きもしない。よって彼女は男がどんな表情をしていたかは分からなかった。



 ヴァンパイアが男を拒絶してから半月経った。
 彼女の言葉に従ったからなのか、彼は来なかった。少し落ち着きたかったヴァンパイアとしては、少し嬉しかった。
 その半月後も男は来なかった。さらにその半月後も、さらにその後も……



「……どうして……」
 ふた月も経てばさすがにヴァンパイアも冷静になっていて、自分があんな言葉を男に言ったことを悔やんでいた。魔界いものスープを飲んでいるが、ちっとも美味しくない。
 彼が仕える人間の貴族に比べて自分が劣っているような気がして腹が立ったのは事実だ。だが、一番苛立ったのは、彼がその貴族に仕えることによって、自分の手の届かないところに行ってしまうかもしれないという焦りだったのだろう。
 その時は分からなかった。だが、男が来なくなって久しい今なら分かる。
 召使いもろくにいないこの屋敷に彼女は一人ぼっちだった自分のところに来た彼……「勝負だヴァンパイア!」とまともな挨拶抜きに戦いを挑んで来た、無粋で下等な人間の男である彼……それでも、律儀に半月ごとにきてくれた彼、自分に叩きのめされるたびに料理を作ってくれる彼……その彼が半年の間で自分にとってかけがえのない存在になっていた。そのことを、彼が来なくなってからようやくヴァンパイアは知ったのだ。
「馬鹿者め……今、どこで何をしているんだ……」
 口から出るのは淋しいと言う言葉ではなく、憎まれ口のようなもの。そういうことしか言えない自分にさらに苛立ちながら、ヴァンパイアはスープを飲み干す。その味の悪さと自分に対する苛立ち、そして今ここにいない彼に対して、彼女は端整な顔をしかめるのであった。



 男が来なくなって三ヶ月ほどした時、何者かがヴァンパイアの屋敷を訪れた。はじめは、男が戻ってきたのかとヴァンパイアは思ったのだが、そうではなかった。そもそも、来た気配は三人分だし、エントランスから入る雰囲気からして男のものと違う。来たのはどこかの国の傭兵だった。男たちはどかどかと、魔界いものスープと黒パンの食事を摂ろうとしていたヴァンパイアの元へなだれ込んできた。
「おおお、こんなボロ屋敷に美女がいるぞ!」
「ぐははは、ツイているぜ、俺たち!」
「何か屋敷に財宝があるかもしれねぇぜ。その女を"お楽しみ"に捕まえて、探すとしやすか、ひゃっはははは!」
 口々に傭兵どもは叫ぶ。あの男とは違う汚らしい無粋さ、自分の住んでいる屋敷をボロ屋敷と言ったこと、そして男が帰ってきたのかと一瞬でも思わせたこの男たちに、ヴァンパイアの怒りはあっという間に閾値を振り切った。手にした黒パンを中央の男の顔を目掛けて投げつける。
「ぶはっ!?」
 パンは見事に一人の男の鼻っ柱に命中する。鼻血が吹き出るが、とても啜ってみたいと思う気分にならない。
「このアマ……!」
 残った二人の男が剣を振り上げて突撃してくる。鈍い。男の矢と比べるとあくびが出てしまいそうだ。ひらりと手を振って近くに転がっていたたらいを男たちの足元に移す。あっさりと男たちはそれに足を取られて転んだ。
「……帰りなさい。次はないわよ」
 ぽつんとヴァンパイアはつぶやく。その声には何の感情も込められておらず、男どもへの興味が全くないことが現れていた。脅しにヴァンパイアは自分が投げつけた、傭兵の鼻血で汚れた黒パンに雷撃を放つ。あっという間にパンは黒焦げの塊となり、崩れた。
「ひ、ひええええ!」
 その様子を見て男たちはなりふり構わずヴァンパイアの前から逃げ出す。ヴァンパイアは軽くため息をついてそれを見送った。そして雑巾を取り出して黒パンだった物と床についた鼻血を拭く。この館には自分しかいない。掃除をするメイドや召使はいないのだ。ヴァンパイアはまたため息をつき、使った雑巾を暖炉に放り込んで燃やした。



 月日はめぐり、男がヴァンパイアの前から姿を消して1年が過ぎようとしていた。何度もヴァンパイアは自分から男を探しに行こうと思ったが、そもそも男の名前すら知らなかった。それに、どこに住んでいるかも知らない。どこの貴族に仕えたかも知らない。
 ある意味、ヴァンパイアは男のことを何も知らなかった。それが悔しいと思うと同時に男のことを今、もっと知りたいという気持ちが沸き起こっていた。 相手は自分より下等な人間。普段であれば知る必要もないことだ。
 それなのに彼女は男のことを知りたくてたまらなかった。さっきのことはもちろん、好きな食べ物や幼少のころはどのように過ごしたのか、趣味はあるのか、そんなたわいのないことまで訊きたかった。
 しかし、それを訊く男はいない。
「馬鹿者め……今、どこで何をしているのだ……」
 もう何度この言葉をつぶやいただろうか。窓の外を見るともなしに見ながら、ため息混じりにつぶやく。そして立ち上がり、食器を片付けに向かった。



 さらに半年が過ぎた。いつものように調理場に降りていこうとしたヴァンパイアの足がピタリと止まる。何者かが屋敷のエントランスにやってきた。その気配には覚えがある。
 ハッと上げたが驚きから春の日差しのような柔らかいものになる。思わずヴァンパイアはああ、と歓喜の声を漏らした。
 一年半ぶりであるが、その気配は忘れようがない。ずっと待っていたのだから。
 しかし、ヴァンパイアの表情がさらに訝しげな物に変わる。エントランスに来てその気配は動きを止めた。身を潜めているわけでもなし、引き返そうかと迷っているようでもない。気配はやがてこちらに向かって進み始めたがその動きはひどく遅い。エントランスからこの部屋にたどり着くのに2分もかからない。しかし、気配はここになかなかたどり着かない。
「一体どうしたんだ?」
 人違いか、実は訊ねたのは兄弟だったりしないか、そんな不安を抱えながらヴァンパイアは部屋で気配がやってくるのを待つ。たっぷりと5分ほどして、気配がヴァンパイアのいる部屋の前にたどり着いた。
「勝負だヴァンパイアぁあ!」
 あの時と同じ声が、同じ文句が響く。ヴァンパイアがその胸に案じていた懐かしい男がそこに立っていた。いつものように、くたびれた服を纏って、背中に弓矢と背嚢を担いでいる。
 だが一つ、記憶と大きく異なるところがあった。
 彼の右足が義足になっていた。太い木の棒を足から伸ばしたような、簡素な代物だ。ヴァンパイアの目が驚きに見開かれる。
「ああ、これかい? 貴族に仕えてすぐ、ちょっと戦争があってね。その時にちょいとへまをやって、切り落とす羽目になってしまったんだよ」
「……」
 ヴァンパイアは絶句している。困ったように男は頭を掻く。
「あー、遠慮する必要はないよ。以前と同じように、とまではいかないが、十分に戦えるよ。でもそうなるまでに結構時間がかかってね……なかなか来られなくて申し訳ない」
「……けるな」
「ん?」
 次の瞬間、鈍い音が部屋に響き渡る。ヴァンパイアが男を壁に叩きつけ、その首を掴んで壁に押し付けていた。
「ふざけるな! 私があの後、どれだけ自分の言った言葉を悔やんだか知っているのか!? 私がどれだけまずいスープと黒パンの食事をしていたか……どれだけ貴方のことを思っていたか分かるのか!?」
 自分でも何でこんなことを言っているのか分からない。本音を言ってはいるのだが、こんなことをして、怒りの言葉を並べ立てるつもりはなかった。なのに、男のまるでいつものような、半月ぶりのような調子につい、感情に火がついてしまったようだ。ヴァンパイアは一気にまくし立てる。
 驚いた顔をしていた男だったが、ふっと軽く笑って言った。
「私もだよ。貴族に仕えていながらも、ずっと君のことを思っていた。ちゃんと食事を摂っているか心配だった。一人で暇しすぎていないか心配だった。さらに、ほかの男に言い寄られたり討伐されたりしていないか、心配だった」
「……馬鹿者……私が何たるかも分かっていないのか……馬鹿者……おまけに、そんな足になって……」
 ヴァンパイアはうつむいてゆるゆると力を緩め、男を壁から離し……そして次に顔を上げたときはいつもの凛とした、貧乏ながらも貴族の誇りを大事とした顔に戻った。
「私に挑むと言ったな、人間よ……その挑戦、受けてたとう。だが……」
 一度言葉を切り、ヴァンパイアは息を吸う。
「だが、貴方は私をあまりにも待たせすぎた。負けた場合のペナルティはいつもより多くさせてもらうわ」
 男は苦笑しながら、了承の返事をした。
「まず一つ目。貴方が負けたらいつもどおり、食事を作ってもらうわ」
 ヴァンパイアが言ったとおり、これはいつもどおりのことだ。改まって言ってどうしたのだろうと言った感じで男は軽く首を傾げたが黙って続きを促した。
「二つ目。食後にデザートとして貴方の血を吸わせてもらうわよ」
 ヴァンパイアが男に吸血を宣言することは、相手を"男"と認識し、恋人や夫の候補であることを認めるようなものだ。
 目を丸くしている男にヴァンパイアは続ける。
「そして三つ目。前二つの約束は永遠に、私のそばでやってもらうわ」
「……上等だ」
 黙っていた男の顔に笑みが広がる。それに併せてヴァンパイアの顔にも笑みが広がった。男が弓を構え、ヴァンパイアも無手の構えを取る。
「勝負だヴァンパイアぁあ!」
「望むところ……!」






















「勝負した結果、ヴァンパイアが勝利した。約束通り、男はヴァンパイアに食事を作り、血を捧げ、それをずっと続けた……」
 今、私は二人の娘に寝る前の物語をお話している。とあるヴァンパイアと男の恋物語……二人の娘が一番好きなお話だ。本当はもう少し童話のような柔らかな口調で語りたいが、どうも私はそれが苦手だ。
「そして二人は子どもにも恵まれ、今でも仲睦まじく暮らしている……おしまい」
ぱちぱちぱち、と二つの拍手が子供部屋に響く。しかし、すぐにそのうちの一つが消えた。下の娘、ヴァンパイアのルナは限界だったのだろう。話を聞き終えたらすぐに夢の世界に飛び込んでしまった。そっと私はルナの額にキスを一つ落とし、そして棺桶の蓋をしめる。
「ははうえ」
上の娘、ダンピールのソレーヌがふいに私に話しかけてきた。彼女も眠そうだが、それでも私と話そうとしている。
「おはなしのヴァンパイアとおとこのひとのなまえはわからないのですか?」
 ……この質問か。いつかは来ると思っていたが、ついに来たようだ。
 この話は昔から語り継がれている物語……と言うことにしている。実際はそうではない。私はこの物語の二人、ヴァンパイアと男の名前を知っている。
 教えてあげてもいいけど……今はまだ教えてあげない。適当にはぐらかす。
「さぁ、もう寝なさい。また明日があるわよ……」
 そう言って私はソレーヌの額にもキスを落とした。満足の行く答えが得られなかったのが不満ではあったようだが、眠気には勝てない。すぐにソレーヌの瞳も閉じられた。私は棺桶の蓋を閉じる。そうしてから私は子ども部屋を出た。
「あの話か……」
 子ども部屋の外では、夫のマルクが待っていた。
「ええ、あの話よ。もう何回話したかしらね。二人とも随分お気に入りよ」
 そうか、と夫は頭を掻いて苦笑いをする。私も苦笑いをした。話の元をよく知る私達としては苦笑いをせざるを得ない。
「さて……私たちもベッドに向かいましょう? 夜明けまでもう少し時間があるから……ね?」
 夫の苦笑いの理由が別の物に変わる。しかし嫌なことではない。苦笑からさらに微笑みに変え、夫はもちろんだよと言って私の頬にくちづけをした。
「肩を貸す?」
「いや、いいよ。ちゃんと歩かないといけないからね」
 私達は並んで歩き出した。一緒に歩くには少し私が歩調をいつもより緩める必要がある。しかし、苦ではない。
 右足の義足を引きずりながら歩く夫と並んで歩きながら私は心の中でつぶやく。

 二人は子どもにも恵まれ、今でも仲睦まじく暮らしている。
15/03/05 01:54更新 / 沈黙の天使

■作者メッセージ
アッハイ、ドーモ。
不思議の国関連魔物娘が更新されているなか、久しぶりのブラントーム家シリーズのSSです。忘れられているかなぁ?
今回はちょっと趣向を変えてソレーヌとルナの両親にスポットを当てました。
いや、本当はルナとクドヴァンの馴れ初めにしても良かったのですが……いろいろ考えた結果、こうなりました。考えた内容は忘れました(殴)
あ、でもデコピンは絶対に盛り込もうと思っていたのは確かです(蹴) 元ネタはお察しください(デコピン)

では、次は何を書くかな……甘ったれた生ぬるいSSばかりですが、どうぞよろしくお願いします。

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