連載小説
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青い花冠


 ……その日の夜、僕は眠れなかった。あの島のことを何も知らないのに、自分がガーレイ族の末裔だと思い上がっていた。あの苔生したドラゴンの骨を思い出すたびに、そのことを痛感する。僕はただ自分のアイデンティティを保ちたいがために、血筋に縋っていただけだったのかもしれない。
 同時に、竜の眼窩から顔を見せた小動物のことも脳裏に浮かんだ。あの生き物もまた、失われた命によって支えられている存在なのだ。森の中で見た鳥、猿、ヤシガニ……全てがそうなのだ。

 そうした自然の営み、巡っていく命を、あの木像は見守り続けてきた。ゆっくりと変化していく森を。

 アパートのベッドに寝返りを打ちながら、心に一つの結論が浮かんだ。


 あの像はあそこにあるからこそ、美しく尊いのではないか。







「……来たのね」

 三度目の渡航。木像の前で、僕はまた彼女と対面した。弓を携えてはいるが、敵意はない。ただあの真っ直ぐな視線で僕を見て、答えを待っている。

 木の柱に掘られた人や動物の中に、彼女のようなエルフの少女の姿もあった。迫り来る悪魔に弓を向けた姿で。二千年前の災厄を語り伝えるものか、或いはもっと昔に起きたことを彫り込んだのか。
 彼女はこの木像を守ってきた、何代目の守人なのだろうか。長命種族であるため、見た目から正確な年齢は分からない。だが何歳であろうと、敬意を持って接しなくてはならない相手だ。

「僕が間違っていました」

 最初に伝えたい言葉を口にする。

「この像はここにあるべき物です。朽ち果てるまで、ずっと。それを町へ持ち帰ろうと考えたのは僕の驕りでした。ごめんなさい」

 頭を下げる。少し間を置いて、彼女の澄んだ声が聞こえた。

「ありがとう」

 顔を上げたとき、彼女は前と同じ微笑みを浮かべていた。許してもらえたようだ。
 ならばもう一つ、伝えたいことがある。

「一つ、お願いがあるんです。この島のことを、もっと教えていただきたい」
「何のために?」

 問いかえしながら、彼女が僕に歩み寄る。童顔だがエルフらしく綺麗に整った顔、時折動く尖った耳。下心あって来たわけではないのに、思わず息を飲んでしまう可愛らしさがあった。

「今更先祖の精神を受け継ぎたいとは思いません。ですが僕の先祖や貴女方が、この島でどう生きてきたか知りたい。そうして初めて、この木像の真価が分かると思うのです」
「……多くのことを知るには時間がかかると思うわ」

 息がかかるか、かからないか。そんな距離まで彼女は近づいてきた。爽やかな香りがふわりと漂う。この島の住民は身を清めるためにハーブを使うという話を思い出した。

「あなたには仕事があるんじゃない?」
「上司には話を通してあります」

 休暇などの取得について、魔物の都市はかなり融通が効く。研究目的で美術館の仕事を離れ、この島を訪れることを館長も認めてくれた。
 もちろん、木像の守人が許してくれるのなら、だが。

 エメラルド色の瞳がじっと僕を見据える。風が通り抜け、その髪が美しく靡いた。

「私の名前はクロアルーラ。あなたは?」
「ロッフォです」
「じゃあ、ロッフォ」

 不意に、手を握られた。滑らかな肌の感触に心臓が跳ねる。

「ようこそ、あなたの故郷へ」






 それから毎日が、勉強と発見の日々だった。クロアルーラに案内されて島の各所を巡り、動植物を見て、それぞれにまつわる物語を聞いた。夜は先祖がしたようにテントを張って野営し、夥しい数のホタルが群がる樹を見た。そして朝が来ると彼女が現れ、どこかへ連れて行ってくれる。

 上陸したのと反対側の海岸には、旧時代のマーシャーク、それも巨大種の骨が残されていた。下半身は軟骨魚類であるため風化してしまっているが、上半身だけでも人間の五倍はある体に、短剣の様な牙の並んだ顎は死して尚恐ろしかった。以前は他にもあったが、鎮魂の儀式のため訪れるシー・ビショップたちによって少しずつ回収されているという。

「あるべき所へ返すためだから、文句は無いわ」

 クロアルーラはそう語った。

 彼女に教わりながら、狩りもやってみた。野生動物は勘が鋭く、僕が矢を放つ前に逃げられることが多かった。それに引き換えクロアルーラは鳥も獣も一撃で仕留め、苦しませることも無かった。
 獲物の皮へナイフを入れる前に祈りの言葉を呟く彼女の姿は何処か神々しく、命を奪うことの重みが感じられた。いつも誰かが何処かで解体した肉を食べ、その肉が自分の口に入るまでの過程に何の興味もなかったのが情けなくなる。

 クロラルーラは気難しそうに見えたが、尋ねたことには丁寧に答えてくれた。そして時折、微笑みを見せてくれる。
 彼女が僕を島に受け入れてくれた後、徐々に森への恐怖がなくなっていった。「あなたの故郷」という言葉通り、島が僕の存在を認めてくれたような気がする。もっとも自分の驕りを痛感した直後なのだから、この島を知ったつもりになってはいけない。

 苦労もあったが、楽しい日々だった。だがクロアルーラは僕を自分の村へ連れて行こうとはしない。それについてはこちらから頼まないことにしている。島へ迎え入れてくれたと言っても、何もかもが許されるわけではないだろうから。




「この花は私たちにとって、特別な意味があるの」

 泉の滸にある花畑で、クロアルーラは静かに語った。五枚の花弁の青い花が一面に咲き誇り、澄んだ泉を囲んでいる。二千年前に魔物の瘴気で侵されず、火砕流にも飲まれなかった場所だ。
 『パラカの花』と島の住人たちは呼んでいた。僕も祖父からこの花のことは少し聞いていた。

「確か、婚姻と関係があると……」
「そう。この島では結婚についての掟は少ないけど、求婚はこの花が咲く時期にだけ行うのよ」

 人間もエルフもね、と付け加え、彼女は詳しく説明してくれた。
 男が女に求婚した場合、男は翌日にもう一度女の元を訪ねる。女がパラカの花で編んだ花冠を被って出迎えれば、それで婚姻は成立。逆に女から求婚した場合、男が花冠を編んで女に捧げることで成立となる。
 親族はあまり干渉せず、当人同士の意思が尊重される決まりのようで、なんと人間とエルフの結婚も認められていたそうだ。

「生まれたハーフエルフはどうなったのですか?」
「この島ではハーフエルフは生まれなかったそうよ。二千年前の戦いで島の人間は滅んだから、私もそれ以前のことはよく知らないけれど」

 泉の周辺には派手な蝶が舞い、パラカの花の合間を渡っている。木像の中にもこの花が彫り込まれたものがあった。長い時間をかけて変化していく島の中で、この泉と花畑も住民に寄り添ってきたのだろう。僕の先祖もまた、この花で冠を編んだはずだ。
 そう思って見る青い花は、より一層美しい。

「……ロッフォ。今夜、ルージュ・シティへ帰るのよね?」
「はい、一先ずは」

 まだ知るべきことは多くあるが、一度知り得たことをまとめるため町へ戻ることにしたのだ。片道切符だが魔法の瓶で帰還できるので、夜でも危険はない。
 すると一瞬ではあるが、クロアルーラは何か思いつめたような顔をした。

「……クロアルーラさん?」
「ねぇ、ロッフォ。もし……」

 憂いを秘めた眼差しで、何かを言いかける。しかし言葉は止まり、彼女は僕から目をそらした。

「……ごめんなさい。気にしないで」

 背を向けて歩き出すクロアルーラ。食事の用意をしましょう、と言って。初めて見る彼女の表情に戸惑ったが、僕はその内側を問い質すほど図太くはなれなかった。











 ルージュ・シティへ戻ってから三日間、僕は中間報告書をまとめた。研究目的で業務を離れた以上、こうしたものはしっかりと提出しなくてはならない。
 文明の中での暮らしはやはり快適だ。書類の作成もトントン拍子で進む。だがそれにつけても、心の中に思い浮かぶのはクロアルーラのことだった。

 彼女が言い淀んだことは何だったのか。それも気になるし、単純にその美しさも眼に浮かぶ。あの木像と同様、森の中、大自然の中に在ることで一層際立つ美しさ。早く書類を作って、また彼女に会いに行きたい……そう思う度、目的を忘れるなと自分を嗜めた。

 しかしもう一つ気になることがあった。ジュンガレイ島を案内されている間、クロアルーラ以外の住人に一度も会わなかったのだ。人間はもういないが、彼女の同胞たるエルフたちが島を守っているはず。村から出ないのかとも思ったが、木像や遺跡などの見回りを彼女一人に任せるのはおかしい。

 まさか、あの島のエルフはクロアルーラしか残っていないのだろうか?

 疑問を胸に秘めながらも、書き上げた報告書を提出した。館長は興味深げにそれを読み、「良い勉強をしてきたね」と褒めてくれた。そして島の調査の続行を認めてもくれた。


 身支度をし、また港へと向かう。ルージュ・シティの西側は海に面しており、かのコートアルフには遠く及ばないものの、多数の商船・軍船がマストを並べている。沖の方では帆柱のない、箱型の軍船が訓練に明け暮れていた。ブラックハーピーやワイバーンによる切り込み隊員を乗せ、頭上から敵船を攻撃するための船だ。迅速に飛び立てるように帆柱を撤去し、両舷についた大きな水車で水をかいて進む。

 『訪れる者に希望を 立ち去る者に自由の翼を』……灯台にはこの港の標語が大きく書かれていた。

「……ったく。嫁さんができたのは目出度いけどよ、船沈められてデレデレ笑いながら帰ってくるなんて船乗りの恥じゃねーか。最近の若い奴は……」

 雑踏に混じって、水夫の悪態が聞こえてきた。海の魔物は一際好色、かつロマンチストであり、惚れた男性に大しては一途だ。一途すぎて、時に乗っている船を沈めてまで抱きしめに行こうとする者もいる。魔物と共存する町とはいえ、船を大事にする水夫からすれば複雑だろう。

「そう言ってやりなさんな。あいつらだって怒るに怒れなかったんだよ」
「いいや。水兵たる者、沈められる前に沈める精神でなきゃダメだ。俺はメロウを三人も撃沈して毎晩砲撃戦してるぞ」

 ただの自慢話だった。それにしても親魔物領や魔界国家の船を海の魔物が襲うなど、滅多にないことのはずだが。


「しっかしクラーケンやカリュブディスならまだしも、ドラゴンゾンビが五人も何処から来たんだ?」」
「この辺りでドラゴンの死体がありそうな所ってーと……まあ、あの島くらいだな」

 ハッと話し声の方へ目を向ける。しかし雑談していた屈強な水兵たちは軍船の中へ乗り込んでいき、後を追うことはできなかった。

 苔むしたドラゴンの頭蓋骨が眼に浮かぶ。あれが二千年の時を経て動き出したのだろうか。そして温もりを求め、男たちの乗る船を襲った。
 だとしたら彼女は……クロアルーラはどう思ったのだろう。現代の魔物、サキュバスの魔力を受けて人間と交わるようになった『魔物娘』へと変じた、先祖たちの仇を。

 早く島へ行きたい。僕は契約していた船へ足早に乗り込んだ。



19/09/20 06:33更新 / 空き缶号
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