読切小説
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Can you see?

 僕は子供の頃から、他人の心の中がよく見えた。

 昔から僕には人の目をじっと見る癖があって、そうしていると相手の思っている事や考えている事が分かってしまう。
 人によって差はあるけれど、どんなに感情の少ない人でもなんとなくは分かる。けれど何でもわかる、というわけではないので、超能力や魔法のようにすごい力ではない。
 子供の頃の僕はみんながそれを出来ると思い込んでいて、誰かが本心と違う事を言うたびに首を傾げていた。

 僕が初めてそれを誰かに言ったのはたしか幼稚園の頃だった。
 裕二くんと真樹ちゃんという子がいて、彼女は率直に「ゆうじくんは、わたしのこと、すきなのかな」と聞いてきた。

「ゆうじくんはまきちゃんより、みなみちゃんのほうがすきなんだよ」

 そう言った僕に対して真樹ちゃんはとても怒り、3日ほど遊んでくれなくなった。


 
 小学校に上がってからも、じっと人の目を見るという僕の癖は抜けなかった。 
 先生が次に誰を当てるのか分かったり、いい事も少しはあったけれど、それよりも嫌な事の方が多かった。
 誰が誰を嫌っているとか、どの子が気に入らないとか、胸の悪くなるような感情ばかりが目に付いて伝わってきてしまうのだ。
 誰が誰をいじめようとしているのか、嫌っているのか、はっきりと分かってしまう。
 そして僕にはそれを止める勇気もなく、見て見ぬフリをすることしかできない。
 けれど目をちらりとでも見るたびに、その子達の苦しい気持ちが頭の中に入ってきて、胸の中が痛んで、煙を吸ったみたいに息が苦しくなる。
 次第に僕は人と目を合わさなくなった。
 少しずつ嘘をつくのも上手くなって、目を見て分かる人の気持ちを、あえて見なくなっていた。


  
 僕が小学生になって何年か経ったあと。
 帰るのが嫌になるくらい、僕の家の中は暗い空気だった。
 お父さんとお母さんは家の中でほとんど話さなくなっていて、二人とも避け合っているのが目を見なくても分かる。
 その日、お酒を飲んでいたお父さんが、お母さんの頬を思い切り叩いたのを僕は見ていた。
 部屋の外からそれを覗いていた僕はベッドに戻って、膝を抱えてうずくまる。
 何時間か経ってから、暗くなった部屋にお母さんが入ってきて、何もなかったかのように僕に寝るように促す。
 その時僕はお母さんの目を見た。
 そして分かったことをそのまま、口にしてしまった。

「お父さんもお母さんも、ぼくが欲しくなかったんだね」

 ほんの少しだけ、お母さんは動きを止めた。
 そのまま何も言わずにベッドの上で僕を抱きしめて、「ごめんね」と言った。

 もしかしたら、お母さんは分かっていたのかもしれない。
 目を見れば僕が心の中を読めてしまう事を。
 だから、お母さんは何も言わずに、ごまかそうとした。

 それから、お父さんと僕が会う事は二度と無くなって、もうその話をすることも無くなった。
 けれどお母さんは僕に対して距離を取ったままで、生活に必要なことだけを話す日々が続いた。
 もうお母さんは僕の目を見なくなった。
 僕もお母さんの目を見なかった。
 あの日の夜、お母さんの目が記憶に残ったまま、僕の中で鉛のように固まっていた。

 そうして、僕は誰の目を見るのも避けるようになった。
 動物の目や、写真に映る人の目は気にならないのに、実際に会って見る人間の目は僕にとってどこか気味悪くさえ感じる。少し目を合わせるだけで、見たくない何かが見えそうになる。
 他人の気持ちが分かっても、得になる事なんかほとんどない。
 僕はずっとそう思い続けたまま、年を重ねて大人になり、一人で暮らすようになった。
 




 季節が冬めいてきて上着を手放せなくなった頃のこと。
 その頃の僕はなけなしのお金で買った車でのドライブと廃墟巡りが趣味になっていて、休日にある廃墟へ向かった。
 人の手から離れ自然と調和する建物達はこれ以上なく神秘的であり、現代におけるファンタジーのような存在であると思う。そこには幽霊が出ても化物が出てもおかしくない、超然とした雰囲気がある。
 そういうわけで、僕は事前に調べた有名な廃ホテルの中を歩いていた。

 その二階にある、おそらくツインの客室の中に僕は足を踏み入れる。
 すると。
 ボロボロで落ちてしまいそうなカーテンの掛かった窓の下、薄汚れた壁に寄りかかって、何かがそこに座っていた。
 作り物のオブジェに見えたそれが何なのか理解できず、僕は幻を見ているんだと思った。
 そこに居たのは白と黒の混ざった、アンバランスな少女の形をした何かだったのだから。

 人形か何かだと思った僕の考えを否定するかのように、『それ』は僅かに首をもたげて、部屋に入ってきた僕を見た。
 そして、『それ』と目が合った。
 フォルムだけはまるで小さな女の子で、癖のある長い黒髪が顔に垂れて顔の半分を隠している。それに顔の輪郭や腰のくびれなどに、人間の少女のような丸っこさがある。
 しかし肌の色は人間のそれでなく、地肌が雪のように白い。それに手先から肘までと、足先から太腿までが墨汁で染めたように黒い。
 さらに異常なのが、背中から黒いケーブルのようなものが伸びていることだ。それが人間離れした不自然さを醸し出していて、しかも生きているかのように動いている。
 しかし、一番目立つのが彼女の顔にある目だ。
 憂いを帯びて見えるその赤い瞳は大きく円らで、赤い宝石のようだ。しかし、人間のような顔のそこには、大きな目が真ん中に、一つしかない。
 一つ目だ。
 あまりにも奇妙で、現実感がないその姿。 
 そのせいで、僕が彼女を人だと認識することはなかった。

 そして何より不思議な事は、その赤い一つ目の奥に何も見えない事。
 いつもなら見えるはずの、相手の心の中が、今は何も見えなかった。
 あれは人間じゃないから当然だと、その時は思っていた。

 床全体を覆う埃かぶった茶色のカーペットに座って、汚れて曇った窓から差す光を浴びる彼女に、しばらく僕は見惚れていた。その一つ目が本当に眼なら彼女もまた僕を見ていたはずだが、呆けたように彼女は動かず、ただこちらを眺めているだけ。
 誰かと目を合わせて、それもこんなにじっと見つめること自体が久しくて、僕は落ち着かなかった。
 今、いつものように相手の心の中が読めれば、奇妙な彼女の事も少しは知ることが出来たかもしれない。
 けれど、絡みあった目線からは何も感じとれない。

 静かな廃ホテルの中は真空に包まれたみたいに無音で、でも僕の心臓だけはどくんどくんとうるさく鼓動する。
 見てはいけない物を見てしまったような戦慄と、その先を見たい好奇心が胸中にあった。

「なァ」

 一つ目の魔物が、口を開く。
 長い黒髪の下から覗く赤い一つ目はどこか気だるく、眠そうにやや瞼が閉じられている。目が大きい分睫毛も長く、整ったアーチを描いていた。

「オマエ、目ェ見えてんのか」

 僕にも内容がはっきりと分かる言葉で、魔物が、彼女が喋る。
 もうコートを手放せない季節なのに、僕の額が汗ばんでいたのが分かった。

「――ちっ、ヘンなヤツだな。
 何しに来たのか知らねえけど、見逃してやるよ。今は食う気分じゃねェんだ」

 興味なさそうに首をもたげて、彼女は黒い左手で同じく真っ黒な長髪の先端を弄っていた。
 緊張で脈打つ心臓の響きを感じながら、僕はようやく口を開く。

「君は、誰だ」
「さあな」

 彼女の手の動きが止まって、蛇のように鋭く赤い眼光がゆっくりとこちらを睨む。
 背中から伸びているらしいケーブルのような何かが、ぴくんと動いた。幼虫の身体のように波打った形のそれは触手にも見えて、月の無い夜よりも黒い。
 その先端には、彼女の顔にあるものと似た眼球がはまり込んでいる。ぎょろりとこちらも動いたので、やはり作り物ではない。

「……名前は?」
「ねえよ、そんなモン」

 僕の絞り出した問いを聞き流して、また彼女はその赤い瞳をどこかに向ける。
 黒い触手が何度か蠢いて、日光で照らされる埃をふわっと揺らした。

「おい。
 ベツに腹は減ってねえけどな、オマエを襲ったってあたしは構わねえんだぞ。
 ――怖くねえのかよ、あたしが」

 触手の揺れが激しくなって、ばしん、と脆くなった床を叩き、音を立てる。その音に僕はびくっと驚いた。張りつめた緊張が僕を追いこんで、服の中で不愉快に汗が滲む。
 余計な事を聞かれて、彼女は怒っているのだろうか。
 けれどその仕草はとても人間臭くて、初めはおどろおどろしい魔物のように見えた印象が少しずつ薄れていた。少なくとも言葉を話せるのだから、話はできる。

「死にたくはないけど、」

 目を合わせても心の中は見えないけれど、それが逆に、好奇心を駆り立てていく。

「気になる。君のことが」

 僕がそう言った瞬間、ぴたりと彼女の動きが止まる。触手も、髪を弄る手も。
 訝しむように半眼になった彼女の一つ目が僕を見た。

「気になる? あたしがか?」
「ああ」

 僕はゆっくり頷く。すると、

「……、っく、」

 僕を睨んだままの彼女が突然、ぷっ、と噴き出した。
 
「――ふ、ははっ、あッはっは! 面白いコト言ってくれるじゃんか。
 こいつは傑作だなァ、はははっ」

 おかしくてたまらないといった感じに、彼女が自分の白いお腹を抱えて笑い出す。
 薄汚れた床の上、埃が舞う事も気にせず、鋭そうな白い歯を派手に見せながら、子供のような笑い方をしていた。
 呆然としたままの僕など気にもせず、それから彼女は呼吸を整える。

「っはは、なんとも、ご愁傷様だ」

 くっくっと笑いの余韻を残しながら、彼女は壁に寄りかかり直して僕を再び睨む。
 さっきの気だるい態度とは違って、今度は人を食ったような声色になった。

「ああ、もう一つ言ってやる。
 命なんか取ったりしないからとりあえず安心しな、小心者さんよ」

 彼女が笑い、少し饒舌になった事で僕はわずかに余裕を持った。
 その僅かな余力に合わせて、僕は手に持っていたポラロイドカメラを彼女に向ける。
 素早くピントを合わせてシャッターを押そうとした――瞬間、彼女の黒い触手が跳ねた。
 鞭のようにしなった一本の触手が、僕の手からカメラを吹き飛ばす。宙に浮いたカメラは、もう一方にあった数本の触手が器用に受け止めた。

「っと。いきなり何をしようってんだ、オマエ?
 場合によっちゃタダじゃおかねえ……ん、コイツはなんだ、中に何か入ってるのか?」

 触手に奪われたポラロイドカメラがすっと彼女の手元に運ばれていく。
 しげしげと眺めているけれど、彼女はそれが何かは知らないらしい。

「カメラだよ。風景や物を紙に写して残せるんだ」
「へぇ。こんなモン初めて見るぜ。
 ……でもよく分かんねえな、これをあたしに向けて何するつもりだったんだ?」

 色々なボタンを触ったり、裏を向けてみたりと、彼女はカメラをいじくりまわす。

「だから、君を撮ろうと――君の姿を残しておこうと思って」
「……はぁ? ま、好きにすりゃいいけどさ。
 あたしの姿なんか残して、何の意味があるんだよ」

 しかし操作が分からず諦めたらしい、また器用に触手を使って僕の手元にカメラを返した。
 僕がもう一度カメラを彼女に向けてみても、彼女はこれといって警戒しない。害はないと判断されたようだ。

「綺麗だから」
「……あ?」
「綺麗だから、だよ」
「あたしが、か?」
「ああ」

 彼女の赤い瞳はぎょろりと見開かれ、ぱちぱちと瞬きをする。驚いたような、不思議そうな表情をした。
 でもすぐにまた睨むような目つきに戻って、僕を見る。

「……はっ、オマエ、気でも狂ってんのか? こんなトコに来るヤツ、まともなワケねえけどな。
 死に場所でも探しに来たってんならよ、どっかベツのとこでやれよ。
 近くでやられたんじゃ寝覚めが悪くなる」

丁寧にピントを合わせ、僕はポラロイドカメラのシャッターを押す。

「別にそんなつもりじゃない、ふらっと立ち寄っただけさ、っと」

 ジーッという機械音と共に、彼女の映った写真が出てくる。廃墟となったホテルの客室に溶け込んだ彼女の姿は何とも言えず、幻想的だ。
 するとまた触手が伸びてきたので、僕はそれに挟むように写真を渡した。

「ほら、これ。君が写ってる」
「!……こんなの、紙のムダだろ。ニンゲンの考えるコトは分かんねェな」

 彼女はふん、と言いながら床に写真を投げ捨てた。
 僕は地面に落ちた写真をゆっくり拾って、汚れないように埃を払いながらコートのポケットにしまう。僕が動いたことで少しだけ、彼女と僕の距離が近づく。二歩も踏み出せば彼女に触れられる距離だ。

「君は一体、どうしてこんな所に?」
「……ベツに。 用があって居るワケじゃねぇよ。
 誰か来る予定も、あたしが行く予定もねえ。
 腹が減ったら、適当にニンゲンを襲う。 ……そんだけだ」

 最初は僕の質問も聞き流していたのに、今は答えてくれている。口調や仕草だけ見ても、今はあまり警戒しているように見えない。
 彼女にどんな心境の変化があったかは分からないがとにかく、僕が聞きたいことは山ほどあった。

「襲う、って、もしかして……」
「オマエの考えてるのとは違うな、たぶん。命を取るワケじゃねえって言ったろ。
 あたしが食うのは、オトコの身体――精だ。
 ニンゲンなんて、ちょいっとあたしの『目』で見つめてやれば、もう逆らえなくなる。
 そしたら後はたっぷり、セイエキを味わうだけだな」

 ぺろり、と彼女が見せつけるように舌なめずりをする。尖った歯が見えて、獰猛な顔になった。

 口から伸びるピンクの長い舌は鮮やかで、人間ではあり得ない淫靡さを感じる。

「どうだ? おぞましいだろ、あたしみたいなヤツに押し倒されて、犯されるってのは。
 ――ほら、分かったら出てけよ。あたしはまだ眠いんだ」
「あ、いや、」
「んだよ」
「もう少し写真、いいかな」

 ぼりぼりと彼女は自分の前髪をかき回す。
 癖のついた黒髪はますます跳ねっ返り、その下の彼女の眉がくにゃりと曲がったのが見えた。

「……ほんとに襲うぞ、オマエ」
「その時は、その時で」

 彼女はバツが悪そうな顔をして何も言わなかったので、とりあえずもう何枚か写真を撮った。
 新品の白いカーテンみたいにきめ細やかな肌が、汚れた壁や朽ちてしまいそうな家具とはミスマッチで、彼女の異質さがより高まって見える。
 僕のカメラの駆動音と、写真の出てくる音だけがしばらくこの場を包んでいた。
 僕は何回か写真を撮って、それを全部ウエストバッグの中にしまう。

「じゃあ、そろそろ帰るよ。……あ、そうだ、これ」

 僕はウエストバッグを一旦置いて、フード付きの分厚いコートを脱いだ。
 そして、怪訝そうな顔をしたまま僕を眺める彼女に、そのコートを突きだす。
 
「その格好じゃ寒いでしょ」
「……んだよ。同情のつもりか?」
「気まぐれかな」
「ふん、」

 突っぱねられるかと思ったら、彼女は何も言わない。
 でも彼女が自分から受け取ろうとする様子もないので、出来るだけ汚れないようにして彼女の近くに置いた。
 コートが無いと流石に寒いけれど、僕はもう車に乗って帰るだけだから問題ない。

 ……でも、彼女は一体こんな所でどうするんだろう。

 人間とどれくらい同じ体の造りか分からないけれど、見た目が女の子そっくりである以上、やっぱり心配になる。
 でもそれは彼女が言った通り、僕の安っぽい同情で、相手の気分を悪くするだけなのか。
 心の中が見えない事を悔やむなんて、一体いつぶりになるだろう。

「確かめてやる」
「え?」

 珍しく強い調子で彼女が喋ったので、僕は彼女を見る。
 赤い一つ目とばっちり目が合った。
 猫みたいに円らな赤い目を見ていると、ほんの少しぞくっとして、どこか不思議な感覚がする。頭の中に弱く電流が走ったような、そんな感じだ。

「なんでもねェよ」

 僕には、かすかに彼女が笑ったように見えた。
 


 僕は山の中にある廃墟から出て、近くまで寄せていた軽自動車に戻った。エンジンを掛けてヒーターを付けながら、車の中に置いていた缶コーヒーを一口飲む。
 そして車の中で、赤い一つ目がくっきり映った彼女の写真をもう一度見てみる。
 写真はやっぱり本物で、それは彼女がそこに居た事をはっきり表していた。

「一体、どういうことなんだろう。宇宙人? 幽霊? うーん……」

 彼女のような生き物を僕は見たことがない。外見には人間らしい部分もあったけれど、こんな廃墟で、あんな薄着で、どうやって生活をしているんだろう。 
 いずれにしろ、僕が考えても分かる事ではない。
 この写真をどうしようかと迷っているうちに、助手席のドアが開いた。

「――行こうぜ。送ってくれるんだろ? オマエの家まで」

 僕が写真を置こうとした瞬間、彼女がどっかりと助手席に座る。そこに置いていた荷物を、彼女が後ろの座席にぽいと投げた。
 ……そんな約束、僕はしていたっけ? 確かに写真は撮ったけれど、

「ったく、狭いな。触手の置き場所がねえよ」

 ああ、そうだった。
 写真を撮り終えた後、彼女が僕の家に来たいと言って――いや、僕が彼女を誘ったんだっけ?
 まあ、どっちでもいいか。

「あ、ちょっと待って、写真しまっておくから」
「んだよ……どうでもいいだろ、そんなの。早く行こうぜ」

 写真をフォトアルバムに入れながら、僕は助手席を見る。
 僕が渡したコートを着て、フードを目深に被った彼女の姿があった。



 車を走らせて十分ほど。
 僕たちが廃墟から離れて国道まで出ると、時計はちょうど午後一時頃を指していた。

「なんだ。じゃあ、触手も一つ目も肌の色も、見えないようにできるんだね」
「ああ。ほれ、こっち見てみろよ。
 あたしの魔法なら、こーやってニンゲンに化けるぐらい朝飯前だ。
 ……ま、こんなめんどくせえコト、そうそうやらねェけどな」

 僕がちらと目線をやると、彼女の姿はまるっきり変わっていた。
 そこに居たのは僕のコートを着た普通の黒髪の少女で、目もちゃんと二つに見える。

「確かに。コートの中に畳むんじゃすごい不自然だからね。
 そろそろお昼ご飯にしようと思うんだけど、何か食べたいものとかある?」
「ゴハン? ああ、あたしはどっちでもいいぜ。
 オトコの精がありゃ、ニンゲンが食べるモンなんて別にいらねェよ」
「さっきもそんな事言ってたけど……それって、」
「もちろん、オマエから貰うんだよ」

 どことなく、楽しそうな口調の彼女。
 車を運転しながら僕が横目で彼女を見ると、彼女はまた一つ目の、元の姿に戻っていた。

「……どれくらい」
「大した量じゃないぜ、強いて言えばあたしの気が済むまで、かなァ?
 あたしとしちゃどこでオマエを犯したって構わないんだけど、初めてはベッドの上がいいだろ?」
「は、初めて、って、」
「ばぁか、オマエのドーテイのコトだよ」

 もちろん僕は、彼女が言う事なんて全部冗談だと思っていた。
 実際にその日の夜、彼女と交わるまでは。



「――なァに恥ずかしがってんだ。
 散々言ってやったのに、まだ分かってなかったのか?」

 日が暮れて僕のアパートに着いた後、僕が部屋着に着替えようとすると、彼女にどんと背中を押されて体勢を崩してしまう。
 そのまま僕はベッドに押し倒されていた。

「い、いや。でも今日、初めて会ったばかりなのに」
「あたしにはこれが食事なんだ、オマエだって昼間はなんか食べてたよな?
 それと同じだ……おい、あんまり動くなよ、脱がしにくいだろ」
「こ……心の準備が、」
「はん、オンナみてえなコト言いやがって。
 ま、これからオマエはあたしに犯されるんだけどな、オンナみたいに?」
「でも、こういうのは――んむっ、」

 口を挟もうとした瞬間、唇を唇で塞がれて、僕の息が止まる。
 くっついてしまいそうなほど近くにある赤い一つ目が、僕の脳裏に刻みこまれた。

「――ぷはぁ。まったく、うるさい口だな。
 だいたい、本気で嫌がってるならあたしのカラダぐらい引っぺがせるだろ?
 それにこっちは、さっきからあたしの太ももをツンツンしてるじゃないか……ほぉら」

 彼女の黒い手が僕の股間を擦る。
 自分以外の誰かに性器を触られる刺激に、僕はぞくっとした。
 
「……あたしとするの、イヤか?」
「えっ、と」

 僕は目を逸らしながら、小さい声で言う。

「そうじゃ……ないけど」
「なら、いいだろ?」
 ああもう、ガマンできねェ。焦らされた分、たっぷり責めてやるからなっ」

 ほんの少しだけ僕は抵抗したけれど、結局は流されるように彼女と身を重ねた。
 つまり。僕は会ったその日の夜から彼女に押し倒された。
 僕も満更ではなかったとはいえ、いくらなんでも早過ぎる話だ。

「――はぁっ、はぁっ。なんだ、意外と体力あるじゃないか。
 美味いぜ、オマエのセイエキ」
「あ……避妊具も何もつけてなかったけど……子供とか、もしかして……」
「心配すんな、産むかどうかはあたしのさじ加減でどうにかできるよ。
 ……オマエが欲しいっていうなら、今からだっていいぜ?」
「なっ、そっ、そんな、突然……?!」
「わぁーってるって、あたしだってもうちょい一人占めしてたいからな。オマエの身体をよ」



 その次の日に目覚めた時、僕は全部が夢のように思えた。
 でも隣を見るとベッドには、僕の脳裏に焼き付いた、赤い一つ目の彼女が寝ていたのだ。
 誰が見ても、決して人間足り得ないその姿。
 けれど静かに寝ているのを見ると、僕より一回り小さい彼女は、ただの幼気な女の子にも見えた。
 彼女が目を覚ますのを待って、僕は声を掛ける。

「きっ、昨日は、その」
「ああ、良かったぜ。オマエも嬉しそうだったもんな、あたしに好き勝手されてたのに」
「……」
「おいおい、そんな不機嫌そうなツラするなよ、冗談だって。
 で、どっちがいいんだ」
「どっち?」
「これからは、あたしを犯すか、あたしに犯されるか、オマエに決めさせてやるよ」
「いやだから、そういうコトじゃなくて……つまり、これから僕の家に住むってこと?」
「そりゃそうさ。 ま、しばらく世話んなるぜ」
「……」

 こうして僕は彼女と出会った日から、特別に深い理由もなく彼女と暮らすようになった。




「なあ、前から気になってたけど、なんでオマエ他のヤツと目を合わせないんだ?
 あたしの目はじろじろ見るクセによ」
 
 信号待ちをしていると、車の助手席に座った彼女が言った。
 人間の姿になった彼女と外を出歩くようになってから一週間が経ったけれど、僕たちの関係は自分でもよく分からないまま続いている。
 彼女は、僕にどれぐらい心を許してくれているのだろう。

「うーんと……」

 僕は答えに詰まって、ちらっと彼女の方を見てみる。返事の代わりに彼女は意地悪そうに笑った。
 信号が変わり、僕はアクセルを踏んでゆっくりと車を走らせる。

「なんていうか……昔から、人の目を見るのが怖くて」
「ふーん。そのクセにあたしの目は怖くないってか。
 やっぱりヘンなヤツだな」
「……ねえ。『僕は相手の心の中が分かるんだ』って言ったら信じる?」
「なんだって?」
「じっと目を見つめていると、相手がどう思っているのか分かっちゃう、ってことだよ」
「じゃ、あたしがオマエをどう思ってるかも分かるってのか?」
「いや。分からないんだ」
「なに?」
「分からないから、安心できるんだ。だから、こうやって一緒に居たくなるのかも」
「ったく、面白くない冗談だな……けど、オマエの言う通りだ。
 相手がどう思うのか分かってたら、面白くもなんともねェよ。
 あたしだって、そう思うさ」

 彼女は長い黒髪をしきりに指で触っている。運転中なのでじっと見ることはできなかったけど、どこか落ち着かないようにも見えた。
 
「……じゃあ、もしだ。
 あたしが『誰でも好きにさせられる』って言ったら、どうする?」
「えっ?」
「あたしは目を見るだけで相手を好きにさせられる――なあんてあたしが言ったら、どう思う?」

 触手の動きがさっきよりも大きくなっていて、彼女の声は心なしか小さく聞こえる。
 
「会った時から不思議だったから、それが本当でもあんまり驚かないけど。
 けど、そうだね。 もしそれが本当なら、」
「……本当なら?」
「一緒に居ると安心するのも、僕の気のせいじゃないって思うよ」

 僕がそう言った時、彼女は窓から外を見ていて、表情は覗けなかった。
 
「い……言っとくけど、さっきのは冗談だからな。本気にすんなよ」

 にゅっと伸びてきた彼女の触手が僕の肩に当たって、ぺしっと音を立てる。
 彼女はまだ外を眺めていて、長い黒髪がその小さな顔を隠していた。

「そうだよね。あ、晩ごはん買って帰るけど、何か食べたい物ある?」

 いつものように僕は彼女に聞く。返ってくるのはいつもの言葉だった。

「ばぁか、あたしの晩ごはんはオマエだろ」

14/09/17 20:58更新 / しおやき

■作者メッセージ
素直じゃない子がすきです。
でも素直な子もすきです。

可愛さとは何なのでしょう。皆様教えてください。

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