読切小説
[TOP]
宵闇夢怪譚【心中の跡】
「お助けくださいまし、陰陽様。」

穢れた陰陽師はそこにいた。
肥後と豊後の境界に位置する山奥の朽ちた神社を根城にしていた。
聞けば母は狐だったとか。
若くして朝廷に仕えた陰陽師だったとか。
そして己の抑え切れぬ邪心に負け、かの殺生石より悪狐を解き放った咎により身分を剥奪されて朝廷を、京の都を追放されて流れ流れて、この朽ち果てた神社に流れ着いたとか。
年の頃は二十七。
噂される来歴があまりに祀られし神に似ていたために、人々は穢れた陰陽師を『再来様』『小はるあきら』と呼んで時に村々の祭事を執り行ってもらい、時に悪鬼に魅入られし者たちの苦しみを祓う拝み屋として男を敬った。

その陰陽師。
名を、沢木真紅狼と云う。

嵐の夜だった。
穢れた陰陽師は別段何ら変わりなく、閉め切った神殿の中で外から死霊の悲鳴のような太い風の音を肴に、雅な趣を醸し出す朱塗りの杯で濁り酒を傾けている。
ゆらゆらと蝋燭の炎が揺れ、神殿を覆う闇が陰陽師の姿を侵食していく。
「桜香(ろうが)様、お寛ぎのところ申し訳御座いません。」
桜香というのは穢れた陰陽師のもう一つの名である。
神殿の閉め切った扉の向こうから澄んだ声が彼を呼ぶ。
名前を変えて呼ぶのには意味があった。
もしも『真紅狼』と呼ぶ時は何事もないのだが、『桜香』の名で呼ばれた時は何かしらの面倒事が起きたり、面倒事を抱えた来客が来た合図なのである。
陰陽師は呼びかけた声から、それが後者の来客であることを見抜くと事情も聞かずに『こちらへお通ししてくれ給え』と溜息交じりに言いながら、名残惜しそうに濁り酒を載せた膳を蝋燭の灯かりも届かぬ暗がりへと押し遣った。
衣服を正して、陰陽師は藁で編んだ座布団の上で正座をして待つ。
目を閉じて身動き一つしないその姿は、一見眠っているようにも見える。

スッと、音もなく神殿の扉が厳かに開けられた。

そこには袈裟も破れ、髭は汚らしく伸び、丸めた頭も雑草のようにだらしなく髪が伸びた修行僧らしき男が、まるで幽鬼のようにゆらりとした佇まいで頭を垂れ、どこか力の入らないと云った様子で正座をして陰陽師を見ていた。
痩せこけて頬の肉はなく、眼下も窪んで一目で憔悴し切っている。
こちらへ、と陰陽師は手の平を見せて神殿へと促す。
いつの間に出したのだろうか、穢れた陰陽師の座る藁座布団よりかは少し上等そうな丸い座布団が、まるで初めからそこに存在していたかのように陰陽師の目の前に敷かれている。
修行僧らしき男は、やはり力なくゆらゆらとした足取りでその座布団の上に座った。
さて、お伺いしましょう……と陰陽師が口を開くと、修行僧は震える声で言う。
「お助けくださいまし、陰陽様。女が……女が私を苛むのです…。」
「ほう。」
穢れた陰陽師はフッと微笑った。
修行僧の言葉を戯言と受け取ったのではない。
彼の言葉が真実であると見抜いた上で、興味深いと感じ入って微笑ったのである。
追い詰められている修行僧はそんな陰陽師の変化に気が付くことなく、まるで催眠術にでも掛かったかのようにポツリポツリと言葉を紡いで苦しい心の内を訴え続けた。
「……手前、以前は播磨の国にて主に仕えし武士で御座いました。何不自由のない日々、こうして僧としての生を歩もうなどとは夢にも思わぬ人生だったのです。しかし、手前は………おお……許されざる恋に身を…焦がしたのです。」
修行僧が語るには、男は道ならぬ恋に堕ちてしまったのだと云う。
相手は主人のお手付き。
理性では諦めなければと理解していても心は追い付かず。
いつしか思いを抑え切れず、互いに意識し合う仲になったとは言え、その関係が主人の知るところとなれば、当事者たる二人だけでなく、家族一族にも何かしらの累が及ぶところとなる。
そして二人は辿り着いてしまった。
この世で一緒になることが許されぬのであらば……と。
「心中で御座いました。二人して滝壺へと石を抱いて……。」
「……何の因果か、あなただけが生き残った。」
その通りです、と男は言った。
「武士を捨て、僧となって菩提を弔おうと決心し修行に明け暮れました。ですが先々月のことなのです。彼女は毎夜、夢に現れては手前を苛むのです。御仏の慈悲に縋り申した。南蛮の神なれば助けてくれるだろうと聞けばセミナリヨの門を叩き申した。しかし彼女は毎夜毎夜、手前の苦しみを嘲笑うかのように夢に現れるのです。私は、彼女がとても恐ろしいのです。」
おお、と修行僧は泣き始めた。
穢れた陰陽師は薄笑いの表情を崩さず、黙してその様を眺めている。
「最早御縋り出来るのは陰陽様だけなのです。どうか、どうかこの苦しみを」
祓って頂きたいのです、と修行僧は訴えた。
穢れた陰陽師は、何の返事もしない。
ただ深く目を閉じて何事か考えている。
「陰陽様!」
「…………………まずは」
蝋燭の炎がゆらりと揺れる。
修行僧が気が付くと、彼の目の前に陰陽師は立っていた。
薄笑いを浮かべたまま、陰陽師は修行僧を見下ろしている。
何を、と修行僧が言い終わる前に彼は言葉を失った。
梵字にも似た、何やら禍々しい雰囲気漂う呪文が埋め尽くされた呪札が、修行僧の顔を隠すようにべったりと貼られ、修行僧は陰陽師の木偶人形にでもなったかのように意識を失い、糸が切れた操り人形のように力なくダラリと床に堕ちた。

まずは覗かせて頂きましょう。その夢とやらを……。

クックック…………。

穢れた陰陽師は堪え切れぬ邪悪な笑みを浮かべている。
沢木真紅狼が指で印を作り、まるで読経のように低い唸り声のような呪文を唱えると、陰陽師に逆らわぬ木偶人形になってしまった修行僧は、人形に相応しく感情も抑揚もない耳障りな声で語り始めた。

それは聞くも淫らで妖しい告白であった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――


そこはまるで無間地獄だったので御座います。

ひやりと冷たい石造りの迷宮を私は息を切らせて走っておりました。

どこまで走っても出口は見えず

いくつもの道が交差する無機質な世界が続いていたのです。

遥か南蛮ではラビリンスなどと申すようです。

私は逃げていたのです。

心中を誓っておりながら、結果的に彼女を裏切った報いで御座いましょう。

石造りの暗闇で、私は肉食獣に追われる憐れな小動物が如く追われていたの御座います。


冷たい石の上を男は走り続けていた。
どこまで行っても途切れることのない迷宮で、躓き転がりながら走る。
すでに足の感覚はない。
足の感覚はなくとも僅かでも距離を離したかったのである。

ひたっ…………ひたっ………

男の耳に嫌な音が届いた拍子に、恐ろしさのあまり男は転んでしまった。
まるで誰かが濡れた裸足でゆっくりと近付いてくる音。
その音に怯えた男は、表情を歪ませて四つん這いで再び逃走を始めた。

許してくれ……許してくれ…

まるで念仏のように唱えて体勢を崩しながら逃げるが、男の祈りを嘲笑うかのように冷たい足音は濃密な暗闇の向こうから追跡を止めないのである。
やがて男の足も限界を迎えた時、逃げ切れぬと悟った男は物陰に隠れてやり過ごそうと角を曲がり、壁伝いに足音を立てず、息を殺して僅かに身を隠せる柱の陰で様子を伺った。

ひたっ……ひたっ……と足音は同じ間隔で迷宮に響く。

気付かないでくれ、と男は神仏に心の中で祈り続ける。
やがて足音は男のいる曲がり角を通り過ぎて、ゆっくりと彼方へと通り過ぎていった。
祈りが通じたのだ、と男は危機は去ったと安堵して、ずるずると柱に背中を預け、まるで腰を抜かしたかのように冷たい石造りの床に腰を下ろした。
だがその瞬間、男は思い出した。

夢はいつも、ここで捕まっているのだと。

逃げなければ、と男が腰を浮かそうとした瞬間、凍えるように冷たい無数の蒼白くぐっしょりと濡れた女の細い腕が、男の背中と柱の隙間からまるで触手のように姿を現し、逃げようとした男の身体を女郎蜘蛛の糸の如く絡め取って動きを完全に封じてしまった。
「ひっ…!?」
悲鳴を上げようとした口も背後から塞がれる。
ガタガタと震える男は必死にもがき、脱出を試みるが万力で挟まれたように身動き一つ出来ず、あまりの恐怖で目を見開いて涙を流し、情けないことに失禁していることすらも気が付いていなかった。

すぅ、と濃厚な闇の中から何かが男の目の前で揺らめいた。

それは煙のようであり、薄い絹糸のように滑らかに揺れる。
やがて徐々に形作っていき、それは透き通る女の姿となって男を見下ろしている。
この世の者にあらぬ所以に足先は見えない。

――おとよ

声なき男の口が、女をそう呼んだ。
透き通る女は男の反応を見下ろして唇の端を歪めた。
喜んでいるのか蔑んでいるのかわからぬ微妙な表情だった。
「おとよ、許してくれ!私はお前と一緒に逝くつもりだったんだ…!!」
やっとのことで口元の手を振り払って男は叫ぶが、おとよと呼ばれた女は何も答えない。
見下す視線が冷たく、それでいて艶かしい。
その妖しい艶かしさに、男は謝罪も申し開きも忘れて生唾を飲んだ。
仏門に降って久しく忘れていた劣情が、男は己の胸に蘇り戻って来ていることを恥じた。
目の前にいるのは死者なのだ。
かつて愛した幻影なのだ。
それがかくも儚く美しい。
死者に劣情を催したことに恥じ、男は神仏に祈ったのだが心に蘇ったそれは消えることはなく、むしろ男の意思に反してより強くなって、目の前の死者の幻影に対する欲情が男の心を支配していった。
それは目に見える形で現れる。
種の本能は死の間際に子孫を残そうとするのだと云う。
男の意思とは無関係だとは言い難いが、かつて目の前のおとよを抱いた記憶と結び付き、生前よりも艶かしくなり、透き通るような儚い美しさを手に入れたおとよを前にした男は、全身がビクリと跳ねるほど興奮し、今にも精を吐き出してしまわんばかりに男根は着物の奥で激しく隆起している。
男の中から、神仏は忘却の彼方へと消え去った。
にこり、とおとよは初めて微笑った。
そしてまるでおとよの意思で動いているかのように、男の身体を拘束する蒼白い腕がずるずると這いずり回り、男の着物を起用に剥ぎ取っていく。
裸にされた男の身体は、濡れた腕に這いずり回られたことでヌラヌラとした光を放ち、痛いほどに勃起した男根はまるで慰めてくれと懇願するように跳ね上がる。
その願いを叶えるかのように、蒼白い腕の一つが男の男根を優しく握った。
有機物とも無機物とも判断の付かない体温のない手の感触に、男は喘ぐような短い悲鳴を上げて、上下に行き来する屈辱的な快楽に身を委ねていた。
その光景におとよは舌なめずりしていた。
男の恥辱に塗れる姿。
快楽を貪る浅ましい姿。
そんな男の姿に嗜虐的な笑みを浮かべたおとよは、未だ男根を手淫にて苛みながらも絶頂に誘ってはもらえぬ切ない表情を浮かべる男の頬を優しく手の平で包み込むと、男の耳の側へと顔を近付けて吐息のような声で囁いた。

「もう……おとよを愛しては下さらぬのかえ?」

女は耳元で男の名を囁いた。
男の口が微かに動く。
いくら悔やんでも、いくら仏門に降っておとよの冥福を祈っても、心中をするほどまで愛した人の脳が蕩けるように囁く甘い声と、発射寸前を維持し続けられ男根の刺激と、全身を痙攣させられ、思考力を奪い去る快感に男の理性は、快楽に完全に屈服してしまった。
ただ頭の中にあるのは獣のような欲情だけ。
おとよはそんな男の心の内を感じ取り、蔑みと慈愛の混ざったような眼差しで愛しそうに男の首に腕を絡めると、物寂しそうに何かを求めている男の唇に自らの唇を押し付けた。
長い髪が垂れている。
乱れた髪が何とも艶かしい。
体温を感じない冷たい口付けは、理性が弾け飛んだ男にとって更なる獣欲を呼ぶ。
蒼白い腕に嬲られる男根は、男の意思に答えるように激しく脈打つのである。
ついっ……とそのそそり立つ男根の先端をおとよは指でなぞる。
「あぁ……っ!」
たったそれだけで精を放ちそうになり、男が声なき悲鳴を上げる。
その様子をおとよは妖しげな微笑みを浮かべながら、指先を濡らす男の垂れ流した粘液を軟らかそうな舌で舐め取ると、今度は指全体を唾液で満遍なく濡らし、爪で引っ掻くような指使いで脈打つ男根に追撃のように耐え難い苦痛を与えていく。
男はまるで女のような喘ぎ声を上げて逃げようと身動ぎするも、触手のように絡み付いた無数の蒼白い腕は、しっかりと男を傷付けぬように逃がさぬようにより強くしがみ付き、おとよの指使いに呼応するようにズルズルといきり立つ男根付近を這いずり回る。

これで精を吐き出してしまわば………私は堕ちる…

理性はもうとっくに焼き切れていて、思考らしき思考も出来てはいなかったのだが、本能と云うべきか、男は快楽に脳内を支配されていきながらもそんな確信めいた予感を感じていた。
射精寸前を何度も味わったために血管の浮き上がった男根。
絶頂を待ち侘びた亀頭は赤黒く充血している。
おとよはそんな男の情けない姿を見て満足そうな表情を浮かべると強く乱暴に抱き締め、男の唇に唾液塗れのズルズルとした口付けで貪るように吸い付くと、するりと着物の裾を捲くり上げる。
白く柔らかそうな尻が露わになると、おとよの太股にはとろりとした液体が流れていた。
「…………俊成様、今宵もおとよを慰めてくださいまし。」
「………お……と………よ…。」
男・俊成は言葉を紡ぐことが出来なかった。
最早意識は霧の向こう側にあり、ただおとよの中で果てたいと云う願望のみが支配している。
おとよの冷たい手がそっと俊成の男根を握る。
そのまま俊成に跨ると、俊成の男根を自分の膣の入り口へと宛がった。
「…………あ…………あ……あ…。」
まだ堕ちたくない、と俊成は言おうとしたのだが、やはり美味く言葉が出て来ない。
それどころか俊成はすでに堕ちていたのだと気が付いていなかった。
「お………犯してくれ…………もっと………は…………はげし……!」
その言葉を待っていたかのように、おとよは容赦なく血管の浮き上がった俊成の男根を、無慈悲に自らの中へと押し込むように受け入れた。
まるで豚のような無様な喘ぎ声とも悲鳴とも取れぬ声を上げた俊成は、おとよの生者に在らざる背徳的な冷たい膣内の感触に酔い、顔の穴という穴から汁を垂れ流しながら、虚ろな視線でおとよを見詰めている。
おとよもまた受け入れた俊成の男根が彼女の子宮を押し上げる圧迫感に、天を仰いで止め処なく溢れる涎を垂れ流しながら、脳に響く快感に身を委ねて蕩けた表情を浮かべていた。
僅かな時間差があって、おとよの膣の中で俊成の精が弾けた。
絶頂の瞬間はほぼ同時であった。
挿れられた瞬間に俊成は達し、おとよもまた精が弾けた瞬間に達したのである。
そしてほぼ暴発とも云える射精でも俊成の男根は萎えることはなく、むしろおとよの、死者の膣内で精を吐き出してしまったという僅かに残った理性が感じた背徳感でより一層硬くいきり立っておとよを求める。
そこには菩提を弔う修行僧の姿はない。
ただ欲望に屈した壊れた獣がいる。
おとよもまた、目の前の獣に堕ちた俊成を愛しそうに見詰めると、焼けるような熱い精液を潤滑油として、にちゃにちゃと音を立てながら騎乗位で腰を上下して快楽を貪る。

その営みはいつ果てるともなく続く。

男を縛る迷宮は淫靡な香りに包まれ、二人は獣の如く愛し合う。

その夢は何度も繰り返すのです。

そう男は告白して、再び穢れた陰陽師の下へと還ってきたのであった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


「お話はわかりました。」
穢れた陰陽師はそう言ったきり口を閉ざした。
修行僧は穢れた陰陽師に掛けられた術が強すぎたのか、ぼんやりと口をだらしなく開き、暗闇を定まらぬ視線で眺めながら心ここに在らずという様相で陰陽師の言葉を待っていた。
陰陽師の術で淫夢を追体験した修行僧・俊成の心は未だ夢の中にいるのだろう。
生気のない顔をしていたものの、袈裟の奥では男根が痛いほど隆起し、夢精と呼ぶにはあまりに激しい射精をしたためなのか、その表情はどこか恍惚としたものが漂っていた。
「…………結論から言いますと。」
穢れた陰陽師は苦々しそうな声でやっと声を発した。
「結論から言いますと御坊、あなたには何も憑いておりません。憑いていないものを私は祓うことも除くことも出来ません。」
「……しかし私は………おとよをこの手で殺め、おとよは怨みを晴らさんと私を毎夜苛み…。」
そこです、と陰陽師は俊成の言葉を遮った。
「殺めたとは申せ、たまたまあなたが生き残っただけのこと。その罪悪感と愛情が混ざり合い、かつて身体を重ねた記憶があなたを苦しめる淫夢を作り上げた。御坊、よろしいですかな。死者は怨まないのです。余程酷い殺され方をすれば怨念遺恨の類は残すかもしれない。しかし」

怨むのは生きた人間なのです。

穢れた陰陽師は言った。
おとよなる女は俊成を怨んですらいない。
それはすべて俊成の作り出した幻であり、願望なのだと陰陽師は諭した。
「怨んで欲しいと願っているのはあなたです。彼女の幻影を淫らに穢すことで更なる罪悪感で追い詰め、いつか耐え切れなくなって再び自ら命を絶つ口実を探しているに過ぎない。」
俊成は陰陽師の言葉に、すぅっと涙を流した。
言われてみればそうなのかもしれない、と俊成は言った。
「………私は陰陽様の仰るようにまた死にたかったのかもしれません。私はおとよのいない時間が怖かったのです。この腕が彼女を抱いた重みを忘れられず、この鼻が彼女の甘い香りを忘れられない。」
「……御坊、私は忘れなさいとは言いません。今後もあなたの中の罪悪感が、彼女の幻影を夢をして見せるでしょうが受け入れておやりなさい。夢が見せる彼女はあなた自身なのですから。ゆっくりと、そう………川底の石が丸くなるような時間を掛けて、彼女の死を悼みながら強く生きていきなさい。」

陰陽師の言葉を理解したのかわからないが、俊成はそのまま泣き崩れる。

それは心中をした後悔なのか、

それとも恋人を二度とその腕に抱けぬ悲しみなのか、

穢れた陰陽師はその心情を理解出来ずに、ただ冷めた目で俊成を見ていた。



















俊成は陰陽師に見料を払って帰っていった。
ここに辿り着いた時よりかは幾分か軽い足取りで、真っ暗な道へと帰っていっく。
穢れた陰陽師・沢木真紅狼はその背中を見送ると、神殿の奥に戻り、飲みかけの濁り酒の乗った四方膳を再び取り出し、杯を舐めるように飲み干すと微かではあったが唇の端を歪めて目を閉じた。
「真紅狼、入るえ。」
神殿を照らす蝋燭の炎が揺れる。
炎が揺れて現れた影の中から現れたのは年端も行かぬ水干姿の童子であった。
「ああ、御前様。」
真紅狼はその童子を『御前様』と呼ぶ。
再び炎が揺れて闇が現れる。
そして闇が再び炎に照らされると水干姿の童子はどこにもおらず、代わりにそこには細長い煙管を手にした色鮮やかな十二単を纏う狐の絶世の美女が、笑みを浮かべて立っていた。
背後には九本の尾が揺れている。
「御前様、御坊の案内御苦労様でした。」
「気にするなかれ。わらわは好きでそなたの役に立ちたいだけじゃ。」
御前様と呼ばれた狐の美女は、普段その姿を変えて真紅狼に仕えている。
この日も童子の姿を借りて真紅狼の弟子の振りをして、穢れた陰陽師の根城である神社に助けを求めてきた俊成を招き入れたり、真紅狼の掛けた術を陰ながら手助けしたのである。
「御前様、お一つ如何ですか。」
「頂こう、わらわはそなたの酌で飲む酒が好きじゃからな。」
四方膳を挟んで、二人は向き合うように座った。
手にしていた煙管を四方膳の端に置くと、狐の美女の手に朱塗りの杯が手渡され、真紅狼はその杯に濁り酒をゆっくりと静かに注いでいく。
注がれた濁り酒を狐の美女は、やや唇が厚ぼったくて可愛らしい口に優美な仕草で杯を運ぶと、こくり、こくり、と喉を慣らして濁り酒を飲み干していった。
ほう、と狐の美女が溜息を吐く。
頬はほんのり桜色に染まり、まつげの長い目がとろん、と気持ち良さそうにしている。
「玉藻御前、安い酒ですが如何でしたか。」
真紅狼は女を玉藻御前と呼んだ。
殺生石に封じられていた悪狐である。
朝廷に仕えていた頃、真紅狼は好奇心と狐女(きつねめ)に育てられた慕情に駆られて、解けば忽ち邪悪なるものが解き放たれ、この世に闇をもたらすが故に解いてはならぬときつく言われていた封印を解いてしまったのである。
その封印から目覚めたのがこの御前なのであるが、彼女は長年に渡る封印で毒が抜けていたのか、態度こそ尊大ではあったものの、その魂は悪と呼ぶには程遠く、封印を解いた咎で朝廷を追われた真紅狼に恩を感じ、こうして彼の側で陰ながら手助けをしているのである。
「美味なる味よ………っと真紅狼。わらわはこんなことのためにそなたに声を掛けたのではなかった。そなた、何故本当のことを言わなんだ。」

何故、何も憑いておらぬと嘘を吐いた。

玉藻御前の問い掛けに、真紅狼は特に気にする様子もなく、御前が口付けた杯に手酌で濁り酒を注いで飲み干すと静かに語り始めた。
「祓おうと思えば祓えました………が、しかしそれが本当に解決になるでしょうか。」
真紅狼は言った。
俊成は祓ってくれと自分の門を叩いたが、心の奥底ではそう望んでいなかったのだと。
「想い合っているのですよ、彼らは。死して尚我が心変わらず、募る想いはついに淫夢という形で実り、彼女の魂は無垢なる淫魔邪鬼の類となって彼の側にいつもいる。」
「それでは何故、憑いているとは申さなんだか。」
そこが彼の人間としての弱さなのです、と真紅狼は言った。
「怨んで欲しい、苛んで欲しいと望んでいた一方で、彼の心は超常現象に対して完全に疲弊していた。淫魔に生まれ変わった彼女に夢という形で堕とされていながら、彼自身自覚出来ないほど僅かな理性が、死者が自分の側にいるなど認めたくなかったのですよ。……………真実を語って信じ込ませる自信はあった。ですが、それでは駄目なのです。おそらくその場合、彼は再び命を絶つ。」
それでは意味がない、と苦々しそうに真紅狼は言った。
人間として本来持ち合わせている防衛本能。
目に見えないものを信じていながら、いざ目に見えない世界を認識してしまうと、人間は狂ってしまうか、思考や常識が壊れながら苦しむか、最悪の場合は耐え切れずに命を絶ってしまう、と真紅狼が語る。
「………左様であったか。それならば、かの僧は死者を受け入れられぬ心弱き者だと云うことなのだな。わらわの目には見えておった。かの僧に蛇の如く纏わり憑く情念の塊がな。」
「だから私は敢えて彼に言ったのです。それはすべて幻であると。罪悪感が見せる幻、いずれ時が解決してくれると教えたのです。それ以外に彼が現実を受け止める手段がなかった。」
受け入れられないのなら、それは不幸でしかないのです。
そう吐き捨てる真紅狼の頬を御前は優しく撫でる。
「わらわは幸せぞ。そなたは悪名轟くわらわを受け入れてくれた。」
受け入れる、受け入れない、というたった二つの選択が違うだけでこうも違うのか。
真紅狼も玉藻御前も同じ遣る瀬無さがその胸に去来していたのであった。


闇に怯え、闇に憧れる。

それは人間誰しも持つ自然な感情である。

だがすべての人間が闇を受け入れられる訳ではなく、誰もが魔に堕ちていく訳でもない。

女は淫夢で愛し合う。

己が妄念が生み出した迷宮でただ愛しい人を待ち続ける。

男は淫夢に裁かれる。

己が消えぬ罪悪感に押し潰されて愛しい死者に溺れていく。

されどそれは現実に非ずと、心の何処かに安全圏を作って日々を過ごす。

人間の弱さ故に。

正常なる理性故に。

さりとて抗えぬ獣欲は毎夜二人を解き放つ。

女はその魂を淫魔へと変貌させ、男は邪魔な理性を食い千切る化け物となる。

不幸なる死は転じて幸福の迷宮となりせば

永久に続く二人だけの淫靡なるエデンとなろう。

死が二人を分かつことはなく、死も所詮始まりでしかないというのなれば…。

12/12/24 02:07更新 / 宿利京祐

■作者メッセージ
エロありなんて、短期間じゃ無理だよ!!
こんばんわ、泣き言全開の宿利です。
年末ですねぇ、忘年会シーズンですねぇ………今週だけで3件あったなぁ…。
さて、唐突に話は変わりますが今回はゴーストを題材にお送りしました。
魔物(この場合は怪異と呼べば良いでしょうか?)を誰もが受け入れられる訳ではない。
そんなことをふと思って、今回も実験的に書かせていただきました。
この物語がチクリとあなたの心に刺さると良いなと思ったり思わなかったり…。

それでは最後になりましたが
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
そして日付も変わってしまいましたので叫ばしてください。

メリークリ(わんわん♪)ス!!! ではでは(^^)ノシ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33