連載小説
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下っ端役人と胃痛と妖精女王

今まさに、世界は転換期にある。


先代魔王を討った勇者と、一人の魔物。
先代魔王の時代が終わり、その魔物が新たな魔王として世界に君臨した。
現魔王は、まさに異質の魔王。無二の魔王。
彼女は、まさしく世界を塗り替えたのだ。

世界の転換期、争いの転換期。
長く続いてきた戦争は、人間と魔物どちらが生き残るかの戦いから、人間がどのように生きていくかの戦いに変わった。
今も、世界のどこかでは教団と魔物が悲喜こもごもに睨み合っているのだろう。
戦いの結末がどうなるにしても、きっと彼らの戦いは後世に長く語り継がれていく。

しかし、語り継がれていく戦いの裏で、ひっそりと戦っている者たちが居る。
剣も握らず、策謀を巡らす訳でもなく、それでも、間違いなく世界のために戦う者たちが。
かく言う俺も、その一人。


「はい、ローディ君。追加の書類ねー。」


無駄に壮大なモノローグで現実逃避していた俺を、無理矢理に現実へ引き戻す声。
同時に、机の上にうず高く積み上げられた書類の摩天楼。
俺を現実へ引き戻すついでに地獄に叩き落とした男を、恨みがましく見る。

「…追加というのは、書類が倍増する時の表現ではないと思いますがね。」

隠す気もない怨嗟の念を一切介する事もなく、男は禿げた頭をピシャリと叩いて呵々と笑った。

「はっはっは、いやぁ、すまんね。
 まさかこんなに移住申請が来るとは、お偉いさん達も予想してなかったんだろうねぇ。」

飄々と言う上司に溜息を零し、書類の一枚を上から捲る。
書類には微笑む美女の顔写真。
ただし、彼女の頭には人ならざる者の象徴である一対の角。

下部の記入欄には、丸っこい字で彼女の過去の経歴がつらつらと書き連ねられている。
自己アピール欄に、でかでかとスリーサイズが書かれているのは、魔界流のジョークという奴だろうか。

「上の尻拭いは全部下っ端役人の役目という事ですか。
 全く、俺でもこうなる事は分かりきってたって言うのに…」

「まぁまぁ、そう言わないでくれよ。
 上には上の苦労ってのがあるんだろうさ。多分ね。」

半年前、激変する世界の荒波が、小国である我が国にもやってきた。
世界を二分する巨大勢力の板挟みに遭い、選択を迫られたのだ。
すなわち、親魔物国となるか、反魔物国となるかの選択である。

結論から言えば、我が国は魔物と共に生きていく事を選んだ。
辺境の小国だけあり、教団との結びつきも弱かったので、これが自然な選択だったのだ。
一部の教団一派との小競り合いは今も各地で続いているが、比較的スムーズな変革だったと言われている。
…表面上は。


考えてもみて欲しい。
争いの枠から外れ、のほほんと過ごしてきた小国が、巨大勢力の板挟みになった時の内政の混乱を。
大規模な変革を余儀なくされた国の、役人たちの苦労を。

忘れないでほしい。
変革の陰には、剣ではなくペンで戦う戦士たちが居るのだと。
血は流さないが、人間として大事な何かを確実に削りながら戦う者たちが居るのだと。
我々のような名もなき下っ端役人たちの戦いはまだ始まったばかりなのだという事を。


またしても壮大なモノローグで現実から目を逸らしつつ、一番上の書類を手に取る。
この書類は、全て魔物娘の移住申請書だ。
国の親魔物化に併せて、大規模な移住募集が行われたのである。
魔界へ親魔物化のアピールを行おうという意図があったらしい。

我が国の上層部は、こんな国に移住する魔物娘は少ないだろうという見込みだった。
大した国力も、人口もない我が国には移住するほどの魅力はないだろうと考えたらしい。
しかし、その予想は見事に裏切られることになる。

魔物娘にとってみれば、魔物化したての国は恋のライバルの少ない魅力的な土地である。
おまけに、教団の影響の少ない我が国は戦争に巻き込まれる危険も少ない。
そもそも、国の国力など魔物娘にとってみれば知ったこっちゃないというのが実情らしい。
結果として、俺の目の前に魔物娘の移住申請書類が積みあがるハメになった訳である。

「いやーそれにしても、美人ばかりだねぇ。
 僕も親魔物国家になってから生まれたかったもんだ。」

同じように書類を捌いている上司のハラルドさんが軽口を叩く。

「奥さんに言いつけますよ。旦那さんが魔物に色目使ってましたって。」

「お、おいおい、勘弁してよローディ君…」

おおげさに慄くハラルドさんだが、彼の目にも深いクマが浮かんでいる。
此処で働いてる人員は揃いも揃って寝不足だ。
無駄口もそこそこにして、多種多様な魔物娘の魔物娘の経歴や移住理由が書き込まれた書類を捌いていく。
初めは、書類に載った美女の写真に癒されたものだが、その段階はとうに過ぎた。

移住申請をしている魔物娘は、魔界からの者もいれば、親魔物国家から移住しようとしているものも居る。
特に個性的なのは、それぞれの移住理由である。


『魔界の喫茶店で働いていました。移住して、自分の店と共同経営者(男)を見つけたいです。』

『理想のおにいちゃんを探す旅をしていました。この国で、私だけのおにいちゃんを見つけたいです!』

『魔物化により、里を追い出されてしまった。人間の国に頼るのは癪だが仕方ない。』

『私がお仕えするご主人様を求めています。炊事洗濯夜の供までお任せ下さい。』

『妖精の国で女王をしています。最近、妖精さん達が旦那さんと遊んでばかりで羨ましいのです。』

『繁殖期が来た。もう我慢できない。』

『この国からは清らかな童貞さんの匂いがします。』

『…素敵な旦那さん、欲しい。』


適当に何枚か見繕っただけでも、真っ当な理由から頭が痛くなるようなものまで様々だ。
大抵が男絡みなのも魔物娘らしい。
経歴に至っては、魔界で普通に働いていた者から女王まで…


…女王?

女王というのはつまり、鞭とボンテージが似合う類の職業のことだろうか。
それは職業と呼んで良いモノなのか。
思わず、作業の手を止め、件の書類に目を通す。

『名前:ターニア・フェアリエ・ティタニアス
 居住地:東の妖精の国王宮
 職業:女王
 
 移住理由:
 妖精の国で女王をしているのですが、最近、人間の旦那さんを持つ妖精さんが増えてきました。
 みんなとても楽しそうで、羨ましくて仕方がありません。
 魔界のリっちゃんに相談したところ、このお手紙を出せば人間の旦那さんが見つかるかもと教えてくれました。
 私も、素敵な旦那さんと楽しく遊んでみたいのです。
 妖精さん達も、嬉しそうにいってらっしゃいと言ってくれました。
 どうか、よろしくお願い致します。
 
 自己アピール:
 おっぱいがとっても大きいです。ふわふわ柔らかです。
 妖精さん達が、こう書いておけば間違いないと教えてくれました。合っているでしょうか?』

…頭が痛くなってきた。
書類には、優しげに微笑む美女の顔写真。
なるほど、確かに気品のある美しさである。
書類を見つめたまま、ハラルドさんに声を掛ける。

「…ハラルドさん、東の妖精の国って、ご存知ですか?」

「んー?おぉ、知ってるよ。僕たちが世話になってる魔界と懇意なんだってさ。
 まあ、我が国としては頭の上がらない相手って所かなー。」

「そこの女王については?」

「女王?間違いなく居るんだろうけど、詳しい事は知らないなぁ。
 あ、けど、魔界の責任者のリリム知ってる?
 彼女と妖精の国の女王が友人関係だっていうのが、あの二国の友好のきっかけなんだとさ。
 仲良き事は美しきかな。ウチのお偉いさんもリリムと友達だったら良かったのにね。」

「…もし、その女王がウチの国にやってくるとしたら?」

「そりゃあ、大事な国賓扱いだろうなぁ。我々の仕事がまた増えるぞ。
 どうしたんだい?妖精族の移住申請でもあったか?」

「もし、万が一、何かの間違いで、その女王がウチに移住を希望しているとしたら?」

「……はっはっは、相変わらず冗談が下手だねローディ君。」

「冗談でもなんでもないとしたら、どうなります?」

「………」

いつもは飄々としているハラルドさんの眉間にしわが寄る。
気持ちは分かる。
俺も、頭を抱えこみそうになるのを必死で抑えているのだから。

「…ローディ君。」

「はい?」

「残業決定だ。
 ついでに、国際問題の危機だ。」

ついに我慢しきれず、頭を抱えて深いため息を吐いた。



__________________________


『今回の妖精女王の移住申請について、当魔界では一切認知しておりません。
 また、東の妖精国と我々はあくまで友好的関係にあるだけであり、かの国の人事・施政に関与する権利は我々にありません。
 この問題は、東の妖精国と貴国間の問題であり、あくまでも二国間での解決を望むものです。
 なお、二国間の連絡の橋渡し等、我々に出来る協力は惜しみません。
 魔物娘と共に歩むことを決めて下さった貴国の処置を期待してお待ちいたします。
 
 追伸:
 私個人としては、是非移住の許可を出していただきたいわ。
 とても面白いことになりそうだし。あの娘、とってもいい娘よ?』
 


これは、妖精女王の移住申請後に、魔界へ説明を要求した書類の返事である。
驚いたことに、書状の名義は魔界の責任者であるリリムだ。
事態を重く受け止めてくれたのかと期待したが、書状の中身はご覧の有様。
要するに、『知ったこっちゃないけど、面白そうだからいいんじゃない?』という内容である。

ええい、魔界というのはトップまでが適当なのか!
と憤ったものだが、次の書面を見て考えが変わる事になる。



『魔物移住政策担当官 ローディ・グラントさんへ

 お手紙ありがとうございました。
 殿方からお手紙を貰うなんて、初めての経験です。
 なんだかウキウキしちゃいました。妖精さん達が旦那さん大好きなのもよく分かりますね。
 
 移住の事ですが、こんなに早くお知らせしてもらえるとは思ってませんでした。
 妖精の国の事だったら大丈夫です!
 私のお仕事は、妖精さん達のお姉さん役をすることなのです。
 だけど、最近は妖精さん達には素敵な旦那さんが居ます。
 もう、私が居なくったってなんにも問題はありません。
 
 魔界のリっちゃんも、「素敵な旦那さん見つけなさいな」って言ってくれました。
 あ、リっちゃんというのは魔界の偉いリリムちゃんの事です。
 とっても綺麗で優しい娘なんですよ?ローディさんにも会って欲しいなぁ。
 
 お返事待ってます。
 
 東の妖精国女王 ターニア・フェアリエス・ティターニア』



要するに、魔界のトップのリリス様はまだマシな方だったのである。
これが仮にも国を預かる女王の正式な書状の文面か。

机に置きっぱなしの胃薬を、一掴みして口に放り込む。
お陰様で俺の胃はもうボロボロである。
この砕けた文面の書状が、国際問題の種になりかねないシロモノだと誰が分かるだろう。



『ローディさんへ
 
 お返事ありがとうございました!
 お返事がとても早くてとても嬉しかったです。
 そうそう、女王様、なんて畏まった呼び方やめてくださいな。ターニアで構いません。
 あ、私はローディさんの事をなんとお呼びしましょう?
 呼び捨てでローディとか、わ、ちょっと、照れちゃいますね。
 ローディ君とか…うん、これで行きましょう!
 
 ローディ君との文通が最近は楽しくて仕方ないんですよ?
 ついついリっちゃんにも自慢しちゃったりしています。
 リっちゃんならすぐに素敵な旦那も見つかると思うんですが、偉い人だけになかなか大変みたいです。
 
 ちょっと話がそれてしまいました。
 移住についての会議、というのは私の面接ということでいいのでしょうか?
 妖精の国には、こういう時の担当さんというのが居ないので、私が直接伺うことになります。
 面接は、ローディ君も来てくれるのでしょうか。
 是非、ローディ君に直接会ってお話してみたいです。
 あぁ、楽しみで夜も寝られなくなりそうです。
 いつも妖精さん達に早寝早起きするように言っているのに、これじゃあお姉さん失格ですね。
 
 それでは、面接の日を心待ちにしています。
 
 あなたのターニアより
 
 追伸:リっちゃんに勧められたので、「あなたの」なんて書いちゃいました。
 どうですか?ドキドキしました?』



これが、一番最近の書状である。
事が事であるので、何度も書状のやり取りをしているのだが、彼女にとっては「文通」であるらしい。

…まぁ、正直、あの美人さんと文通と考えれば役得でもある。彼女流に言えば、ドキドキもする。
しかし、相手は魔界での影響力の強い妖精女王。
おまけに、文面には頻繁にリっちゃんこと魔界の最高責任者の名が上がるのだ。
これが俺の頭痛ならびに胃痛の種になるのは当然の事である。


そして今日が、件の面接もとい会議の日。

役所の会議室で、俺一人で妖精女王を待ち構えている。
本来はもっと大人数で、かつ俺よりもお偉いさんが担当するはずだったのだが、女王からの直々の指名という事で、俺一人で臨むこととなった。
あくまでも、妖精の国の担当者との会議。
その担当者が妖精女王その人だと知るのはごく一部。
ある意味、俺の戦いの天王山である。

深く深呼吸して、天井を見上げる。
今日の成果如何に、我々役人一同の安眠が懸かっている。
頬を軽く叩き、気合を入れなおすと、会議室のドアがノックされた。

「ローディさん、お客様です。」

「…どうぞ。」

短く返事を返すと、ドアが開き、女性が二人入室して…

瞬間、世界に色彩が満ちる。

最初に入室してきた女性の周りだけ、異世界が展開されているような圧倒的な存在感。
思わず息を呑む。
顔写真で、美人である事は重々承知していたが、これは美しいなんてちゃちなもんじゃない。

昔話の女神様のような慈愛に満ちた表情。
薄手のゆったりとした衣服に包まれた女性らしさの極地のような肢体。
白いのに血色のよさを感じる肌が眩しい。
美しいグラデーションのかかった蝶のような羽根が揺れると、小さな光がキラキラと零れ、心地よい花の香りが、俺を柔らかく包む。

声が、出ない。

見惚れるというのは、こういう事か。
彼女が中に居るだけで、無機質な会議室が、鮮やかな花園に変わってしまうような錯覚に陥る。


「初めまして、東の妖精の国女王のターニア・フェアリエス・ティターニアです。」

落ち着いた上品な声が掛けられて、慌てて背筋を伸ばす。
書状の文面から、一体どんな女王なのかと不安になっていたが、彼女からはまさに女王に相応しい気品を感じる。

「あ、は、はい!移住政策担当官のローディ・グラントです。」

なんとか体裁を整えて、自己紹介をする。
どうにも、顔を合わせづらいが、何とか彼女の眼を見ると、気品に溢れた顔が、一瞬で少女のような顔に変わる。

「わあ!ローディ君!嬉しい!
 やっと会えましたね!」

落ち着いた印象だった声音も急変し、彼女が目を輝かせながら俺の手を取った。
ぶんぶんと、両手で俺の手を上下に振る。
余りの豹変に、またしても言葉を失ってしまう。

「あ、あの…」

「ふふっ!想像した通りの真面目そうな方で安心しました!
 けれど、目にクマがありますよ?お疲れなんでしょうか?
 きちんとお休みはしないと…」
 
「いや、あの、女王様…」

「あー!駄目ですよローディ君!
 私の事は女王様ではなくターニアと呼ぶように約束したじゃないですか。
 約束破ったら、めっ!です。」

「う、うぁ…」

女王様は少し頬を膨らませて、俺の額を人差し指で小突く。
だ、駄目だ、完全に向こうのペースに呑まれてしまう。


「ほら、ターニア、その辺にしときなさいな。
 彼が困ってるじゃない。」


突如として掛けられたもう一つの声が助け舟に入る。
女王様と一緒に入室してきた女性だ。
人間向けの礼装をした女性だが、女王様に引けを取らないほどの美人。
凛とした声が響くと、女王様は渋々と言った様子で俺から一歩離れた。
つい、女王様に気を取られていたが、この女性は何者だろう。
事前の予定では、女王一人での面談だったはずだ。

「ねぇローディさん?
 この部屋に、他の人間が入ってくる可能性はあるのかしら?」

「え?いえ、女王様が訪れる事は極秘になってますので、部屋は閉め切っています。
 誰も入ってこないはずですが…」

不意に掛けられた問いに、反射的に応えてしまう。
彼女の声には、どこか有無を言わせない力のようなものを感じる。

「そう、ありがとう。
 ようやくこの格好も終わりね。」

「は…?」

言葉の意味を理解出来ずにいると、彼女が突然上着を脱ぎ去った。

「え?いや、なにを…?」

直後、彼女の背に、悪魔のような羽根が現れる。
一体どのようにあの大きさの羽を隠していたのか。
呆気にとられて、彼女の顔を見ると、頭には大きな角。

「初めまして、魔界の責任者です♥」

「…はぁ!?」

「あー!ローディ君誘惑したら駄目ですよリっちゃん!」

「えー、良いじゃない。思ったよりもいい男なんだもの。私だって旦那さんが欲しいわ。」

「だめですー!」

理解がついていかない。
妖精女王だけでも手に余るというのに、おまけに魔界の責任者であるリリムまでがこの部屋に来ているというのか。

「ふふ、どう?驚いた?」

「え、いや、あの、本物ですか?」

「あら、私の偽物が居るなら是非お会いしてみたいわね。」

なんとか絞り出した問いも、あっけらかんと応えられてしまう。
何故。
どうして。
そんな単語がぐるぐると頭の中を回っていく。

「魔力を隠して行動するのも楽じゃないわねぇ。
 人間の服はどうにも動きづらいし…」

そう言いながら、リリム様は服のボタンを上から外していく。
白い肌が、危険なほどに露わになって、反射的に目を逸らす。

「あら?ふふ、可愛いわね。私の胸が気になる?」

「だからダメですってば!
 もう!ローディ君もリっちゃんに見惚れてちゃ嫌です!」

「ご、ごめんなさい…?」

つい反射的に謝ってしまうが、状況は未だに理解できない。

「あ、あの、何故リリム様が此処に…?」

「お友達の付き添いよ。ターニアだけだと会議にならないでしょう?」

「えぇ、リっちゃんがどうしてもついていきたいと言うので、一緒に来てもらいました。
 リっちゃんはとても賢いですから、頼りになりますよ?」

確かに、付き添いとしてはこれ以上強力なカードは居ないだろうが、あまりにも強力すぎる。
仮に此処にリリム様が居る事が露見すれば、只事ではすまないのだ。
正直、生きた心地がしない。

「さあ、早く始めましょう。
 あまり長い事魔力を抑えておくのも大変なのよ。」

「は、はい…」

状況としては最悪だが、こうなれば俺に出来るのは円滑かつ迅速にこの場を乗り切るだけだ。
冷や汗を拭って、背筋を伸ばす。
腹の奥に力を込めて、なんとか声を出す。

「…まず、女王様の移住についてですが…」

「ターニアです。」

「あの、女王様…?」

「ターニア。」

「…た、ターニアさん?」

「はい!なんですか、ローディ君?」

満面の笑みを浮かべる女王様もといターニアさんと、隣で笑いを堪えているリリム様。
あぁ、この会議が終わったら、不敬罪とかで捕まらない事を祈るばかりだ。

「…ターニアさんの移住の件ですが、問題は大きく二つです。
 一つは、ターニアさんの不在による妖精国での影響。
 もう一つは、妖精女王が常駐する事での我が国への影響です。」

一度、口が回り始めれば、後は何とか続いていく。

「まず、妖精国での問題ですが…
 本当に、ターニアさんが不在でも妖精の国は大丈夫なのですか?」

「はい、お手紙で説明した通りです。私のお仕事は妖精さん達のお姉さんですから。
 私が居なくても、彼女たちは楽しく過ごしていけるでしょうし、何より今は旦那さん達が居ますもの。」

「それに関しては、私も保証するわ。
 妖精の国の運営を、人間の常識で考えても無駄よ。
 その問題については、そういうものだと理解してもらう他ないわね。」

ここまでは、大体予想通りの流れである。
問題はこの後。

「では、やはり、問題になるのは我が国での影響ですね。」

「えーと、私が移住するのが、そんなにも影響があるのでしょうか…?」

「えぇ、今回の移住政策では、国民たちの魔物娘が傍に居る生活への適応を目指しています。
 ですので、比較的メジャーな種族、力の強すぎない種族の移住を優先する予定だったのです。
 女王さ…ターニアさんほどの有力な方の移住となると、様々な問題が発生しかねません。
 例えば、安全の問題です。
 未だに、国内では積極的に親魔物化に抗議する教団寄りの団体もあります。
 今は暴力に訴えるような事件は起きていませんが、妖精女王が移住となれば、どんな暴挙にでるか分かりません。
 移住後の住居についても、自由にしていただくことは難しいでしょう。
 我が国の上層部にとっても、常にターニアさんの行動は把握しておきたいはずですし…
 必要以上に、妖精女王の存在を吹聴する輩が居ないとも限りません。」

「う、うぅ…」

長々と説明すると、ターニアさんが少し俯いてしまう。
どうにも心が痛むが、実際問題解決しなくてはならない問題は山積みであり、どれも無視するわけにはいかない。

「それで?具体的に、今回の移住について、そちらの意見を伺おうかしら?」

「…率直に言って、危険すぎると思います。
 何より、時期早々かと。」

未だに余裕の表情を崩さないリリム様に、はっきりと返答する。
隣で、今にも沈んだ表情を浮かべるターニアさんが気になって仕方ない。

「なるほど、つまりこういう事ね?
 ターニアの安全が保障出来て、なおかつ彼女が早い時期に移住する正当な理由があれば、何も問題はないと?」

「え?えぇ、まぁ…しかしそんな簡単には…」

さも簡単な事のように言い放つリリム様。
つい食い下がってしまうが、彼女の余裕の笑みは一切揺るがない。

「あら?簡単な事じゃない。
 ターニアの安全の保障に関しては、魔王軍の精鋭を数名一緒に移住させるわ。
 教団の残党なんて相手にならないわよ。」
 
「なっ…、いや、しかし、魔界は今回の移住には無関与の姿勢なのでは…?」

「えぇ、魔界は妖精女王の移住には関与しないわ。
 ただ、『偶然に』魔界の特使が妖精女王と一緒のタイミングで移住するだけ。
 魔界は、貴国との友好な関係構築を図るための特使を送る。
 たまたま、妖精の国も、同様のタイミングで特使を送り込む。
 教団派のヘイトも、ターニアではなく魔界の特使に向かうでしょう。」

「えぇ!?リっちゃん、本当にいいんですか?」

何故か、一番に驚いたのはターニアさんである。
俺も開いた口が塞がらない状態ではあるが。

「もちろん。何の問題もないわ。
 魔界の独身の娘達は移住したい娘達の方が多いだろうし、歓迎されるくらいよ。
 それに、こうすれば、早い時期にターニアが移住する理由にもなるでしょう?
 二国間の友好のため。とってもそれらしい理由じゃないかしら。」
 
 「いや、しかし、特使と妖精女王では立場が違いすぎます…!」

「ええ、そうね。
 だから、どちらにしても、ターニアが妖精女王だというのは伏せておく必要があるわ。
 あくまでも、東の妖精の国からの特使という立場で移住にしましょう。」

魔界の特使がやってきたとて、根本的な問題が解決するわけではない。
しかし我が国は、魔界側が特使を送り込むのを反対出来る立場ではないのだ。
魔界の特使は受け入れて、妖精の国の特使は受け入れないとなれば、余計な角が立つ。
ぐうの音も出ないというのが本音であるが、なんとか喰らいついて質問を投げかける。

「…我が国としては、ある程度、ターニアさんの動向を掴み続けておく必要があるのですが、それはどうなさるおつもりですか?」

「あら、それこそ、とぉっても簡単じゃない?」

俺を見ながらそう言うと、リリム様の余裕の笑みが更に深くなる。
嫌な予感がする。
頭痛の種が増える予感が。

「私、貴方のお国の役人で、有能で、おまけにターニアからの信頼も厚い男性を一人知ってるわ。
 その人のお家に転がり込めば、万事解決だと思わない?」
 
「あっ…!」

リリム様が言うなり、ターニアさんが目を輝かせて俺を見る。
まさか。

「ほら、ターニア、正念場よ。
 あなたが、一番信頼してる人間の男性に聞いてみなさいな。」
 
ターニアさんの熱い視線が、俺に突き刺さる。
これは、ひょっとすると、非常にマズイ展開かもしれない。

「あの、ローディ君?」

「…なんでしょう?」

「私、まだ人間さんの事を何も知りません。
 だから、これから、沢山知りたいんです。
 素敵な旦那さんも欲しいし、人間さんのお友達も欲しいんです。
 それで、今、私が一番知りたいのは、ローディ君の事です。
 文通、とっても楽しかったから、もっともっと、ローディ君とお話したいんです。
 移住は、不安も多いですが、ローディ君と一緒なら、きっと楽しいだろうなと思います。
 だからですね。その、ローディ君さえ良かったら、
 私を…居候させてください!!」


あぁ、なんてこった。
会議は、想定の斜め上の結末に着地しようとしてる。
哀しいかな、所詮一市民である俺には既にどうしようもない。
完全に逃げ場を封殺されてしまっている。
俺の意思がどうあれ、我が国の立場を鑑みれば、あり得る回答はただ一つ。
こんな結末、お偉いさん達に一体どう説明すればいいのだ。
恐るべし、魔界の最高責任者。

「…はい、謹んでお受け致します…」

「え、ほ、本当ですか!?わぁ!嬉しい!」

言うなり、ターニアさんは俺の腕を抱きしめる様に抱えて、身体を摺り寄せてくる。
突然のスキンシップに思考が停止する。
なんだこの柔らかさは。
なんだこのいい匂いは。
あ、ターニアさんまつ毛長いな。

「ほーらー、ターニア、早速イチャつかないの。」

リリム様の声でまたしても現実に引き戻される。

「ローディさん。色々頼っちゃって、悪いわね。
 貴方の国の上層部には、話を私から通しておいてあげる。
 これ以上、魔界の責任者としての協力は出来ないけど、ターニアの友達としての協力は惜しまないわ。」

「…分かりました。また、何かあったらお願いします。」

「ええ、リリム様に任せておきなさいな。
 …あ、そうそう、一つだけ言い忘れてたわ。
 ターニア、ちょっとだけ耳塞いでてちょうだい。」

「あ、はーい。」

言われるなり、ターニアさんはとがった耳を手で塞いだ。
同時に、目も硬く閉じているのは何故だろう。
リリム様はそれを見ると、俺の耳元に口を寄せる。

「ローディさん。今、ターニアは妖精から魔物に変わりつつある状態なの。」

「え…?」

「私や、魔物化した妖精達の魔力で、徐々に魔物化が進んでいるのよ。
 まだ完全に魔物化した訳ではないんだけど、早い話が欲求不満の状態なの。
 欲望はどんどん高まっているのに、発散の方法を彼女はほとんど知らないから。
 方法はお任せするけど、どうにか、楽にしてあげて欲しいの。」
 
「どうにかって…具体的にはどうすれば…」

「あら、分からない?
 まあ、一緒に暮らしていればその内分かるわ。楽しみね?」

「…あの、何故、リリム様がここまでするんです?
 魔界の立場を考えたら、静観するのが一番のはずですよね?」
 
「ふふっ、友達だから、ではダメかしら?」

「い、いえ、そんな事は…」

「大丈夫。それこそ、一緒に過ごしていれば、理由も分かるわ。
 彼女、とっても素敵な娘よ?ふふふ。」

そう言って、リリム様は話を切り上げる。

「さあ、ターニア帰りましょうか。」

「え、もうちょっとだけローディ君とお話ししたいです…。」

「駄目よ。彼だって忙しいんだから。
 もうすぐ毎日会えるんだから今は我慢しなさいな。」

「うぅ…分かりました。
 ローディ君、今日はありがとうございました。
 直接会えて、とても嬉しかったですよ。
 また、お手紙書いて下さいね?」
 
今日、出会った時と同じように、俺の片手を両手で包み、ターニアさんが微笑む。
先程までの少女のような仕草からは想像もつかない上品な所作。
そのギャップに混乱を隠せない。
一体、どちらが彼女の素なのだろう。

「…は、はい、色々決定したらご連絡します。」

「ふふ、嬉しい…!」

次の瞬間、二人の姿はまるで元からそこに居なかったかのように消え去ってしまった。
残ったのは、花の香りだけ。
転移魔法という奴だろうか。全く、底が知れないお二人だ。

「ふぅ…」

思わず、深く溜息をついて椅子に腰掛ける。
酷く疲れた。三日分の業務を、一気に終わらせたかのような疲労感。
会議は想像など出来る訳もない結末に終わり、正直今後どうすればいいのかさっぱりだ。

「あぁ…どうやって上司に報告しよう…」

小さなボヤキは、誰も居ない会議室の無機質な壁に溶けて消えた。




***************************************


「リっちゃん、本当にありがとうございました。」

妖精の国の王宮。
花柄のファンシーなティーカップを片手に、妖精女王は目の前の魔物に礼を述べた。

「いいのよ。ターニアが礼を言わないといけないのは、私じゃなくてローディさんよ。
 彼、これから大変よ?なるべく厚遇するように連絡はしておいたけどね。」
 
「そ、そうですよね…。次のお手紙でしっかりお礼を言っておきます。
 これで嫌われたりしないかな…」

不安そうに顔を伏せるターニアには、女王然とした雰囲気は全くない。

「まぁ、大丈夫よ。絶対。」

「え?なんで分かるんです?」

「…魔物娘の勘よ。」

適当にはぐらかしたのがバレバレであるが、ターニアは「凄いですねー!」とひとしきり感心している。
どうやら、少しは安心したらしい。

(魔力を抑えていたとはいえ、リリムを前にしてあれだけ理性的だった理由は一つ。
 ローディさんがターニアに、私を遥かに超える魅力を感じていたから…
 なーんて、本人に言っちゃうのは面白くないわよねぇ。)

リリムは内心でにやりと笑いつつ、ティーカップを口元に運ぶ。

「あーあ、ターニアが羨ましいわ。私も移住しちゃおうかしら。」

「わぁ!いいですね!一緒にローディ君のお家にお邪魔しましょう!」

流石に彼の胃に穴が開いちゃうわよ、と思いつつも、

「ふふ、それは楽しそうね。」

とリリムは笑った。

15/10/25 06:37更新 / 小屋
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■作者メッセージ
書いてみたかったティターニアさんで、連載を組んでみる事にしました。
一話目は、リリム様の方が目立ってしまった気もしますが、次回からはターニアちゃんも本気出してくれるはずです。多分!

だいぶ駆け足の導入ですが、あくまでフレーバーとして理解して頂ければいいかと思います。
この連載で書きたいのは、ティターニアさんの魅力ただ一点。

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