連載小説
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01.蟻さんと邂逅
あんまりいそいでこっつんこ
ありさんとありさんが――

 歌が聞こえる。
 陽気な子供のような歌声だ。そういえば子供の頃歌ったこともあったっけなあ。人生の
最期に聞くには、悪くない。
 木々の隙間からごく僅かに覗く夕焼け空を見上げながら、僕は意識を手放した。
   :   :
「あーりさんとあーりさんが」
 深く暗い森の中。人間からは「迷いの森」と呼ばれ、彼女たちは「その辺」と呼んでい
る暗苔の世界。その中を、彼女たちは一列に並んで歌いながら歩く。
 苔むした大地とそこから伸びる背の低い草を鋭い三対の脚で踏みつけるさくっ、さくっ
という音が、絶妙なバランスで歌のリズムと調和していた。
「こっつん……お?」
歌を続けようとした先頭の娘が、驚きと共に立ち止まった。次いで後ろの娘たちが急に立
ち止まった前の娘にぶつかり、次々と止まっていく。
「アイー! 急に止まんなー!」
「そーいん! そーいんきんきゅーじたい!」
続く後続の文句に半ば被せつつ、先頭の娘が慌てた様子で叫んだ。他の娘たちが何事かと
横へ並ぶと、ざわめきが次々に伝播していく。
 そして最後尾の一人が目の前の「もの」を確認すると、全員揃って大声で叫んだ。
「うわーっ人間だーっ!」
そこにいたのは、仰向けになって倒れている人間の男。両足が複数箇所大きく折れ曲がっ
ていて、服の上から血がじっとりと滲んできている。意識も無く、完全に虫の息だ。
「どうしよう! どうしよう!」
慌てた様子で彼女たちは倒れた男を取り囲み、まるで男を中心に円陣を組むような形にな
った。彼女たちに先ほどまでの息の整った統率ぶりはまるで見られず、口々に動揺混じり
のとりとめのない言葉を発していく。
「倒れてる! 意識無いみたい!」
「結構いけてるね」
「カワイイ系だねー」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
「死んでるの? 生きてるの?」
「わかんない!」
「調べようよ! 何だっけほら、脈とか見て」
「誰がやる?」
「わたしが!」
「わ、わたしも」
「いや私!」
「私やりま……ああちょっとココノちゃん! ずるい!」
「脈ある、生きてる」
「ほんと? やった!」
「でも足とかすごいことになってる! めちゃくちゃ!」
「あそこから落ちたのかな?」
「よく生きてたねー」
「連れて帰って手当てしよう!」
「おー!」
意思の統一が完了した彼女たちは即座に男を連れて帰るかと思えばそうではなく、誰が男
を運ぶかで再び一悶着起こしてからようやく男を抱えて行進を再開した。
 森の中に、再び彼女たちの歌声が響き始める。
   :   :
 ひんやりとした冷たい空気が頬を撫でた。やおら瞼を開くと、荒く削り出された土作り
の天井が視界に広がる。全く見覚えの無い景色だ。
「ここ……どこだ?」
 周囲の景色を確認する為に起き上がりかけたその時。足に、鋭い痛みが走った。思わず
うめき声をあげて倒れ込み、頭だけ起こして自分の足へと視線を向けた。
 そこにあったのは、灰色の包帯でぐるぐる巻きにされた自分の両足。それを見た瞬間、
それまでの経緯が脳裏に鮮やかに蘇る。
 重い病に倒れた弟の具合が悪化してきたこと。その病を治す為にはとある薬草が必要な
こと。
 しかしその薬草は凶暴な魔物が棲む迷いの森の奥深くに生えていて、入手の難しさは並
大抵ではないということ。
 顔馴染みの兵士や街に滞在していた冒険者たちに頼み込むも、全く取り合ってくれなか
ったこと。
 そして早まった僕は一人で森へと飛び込んで……崖に足を滑らせてこうなった。
 足が痛まないように慎重に上半身を起こして、周囲の光景に目を向けた。ここは土中を
掘り進んで作られた、地下室か何かのようだ。壁には淡い光を放つ不思議な白い花が光源
として活けられており、僕はそこに分厚い布一枚を敷かれた状態で横になっている。
 きっと森に隠れ住んでいた仙人か何かに偶然見つかって、助けて貰えたのだろう。地中
に部屋を作っているのも、恐らくは魔物に見つからないようにしているからだ。
 そう結論付けて一人頷いていると、正面にある木製の扉の向こうから足音が聞こえてき
た。丁度いい、助けてもらったことへのお礼を言わなければ。
 足音は次第に近づいてきて、そして扉が開く。そこにいたのは……
「おー、もう目覚めてるねー」
上半身は、まるで年若い少女のようだ。やや尖った耳と頭に生える二本の触角以外は、殆
ど十代前半の少女と言っても差し支え無い。
 しかし、腰から下は明らかに人とは異なる異形の姿をしている。まるでぬめりを帯びて
いるかのように輝く、おぞましい紺色の蟻の胴体。節のある六本の足は、器用に、且つ不
気味に規則正しく動いている。
 ジャイアントアント。おぞましい蟻の化け物だ。こいつらも他の魔物たち同様、少女の
姿で人を騙して食い殺すのだと教会で聞いている。
 そんな奴らが、一匹、二匹、三匹……数え切れないほど部屋へと入ってきて、僕を囲ん
でいく。尖った甲殻の足でかしかしと地面を踏み鳴らす足音が、今となってはとてつもな
く不気味だ。
「ば、化け物! 来るな!」
咄嗟に腰に吊られていた剣を抜いて、そいつらへと突きつけた。半狂乱で剣を振り回すと、
驚いた様子で蟻どもは僕から一歩離れる。喰われてたまるか、僕はこんな所で死ぬ訳には
いかないんだ。
 蟻どもは揃って目を丸くして僕を見つめ……それから一匹が突然叫んだ。
「しゅーごー! しゅーごー!」
その途端蟻どもは僕の前から距離をとり、部屋の入り口の前でまるで円陣を組むように密
集した。何か喋っているようだが話の内容までは聞き取れない。僕は上半身を起こして剣
を構えたままの姿勢で、警戒を解かずに奴らを睨み続ける。奴らは一体何の話をしている
のだろうか。僕を食い殺す為の算段でもしているのか?
(ねえ何か怯えてない?)
(怯えてるっていうか憎まれてるっていうか)
(なんで? 助けたのになんで?)
(あ、そっか!)
(どしたのフィー?)
(あの子ずっと気絶してたから私たちが助けたって知らないんだよ!)
(つ……つまり?)
(まずは説明からってことだよね!)
(そ、そっか! よし! じゃあ誰がする?)
(はいはいわたし!)
(いやここは私が)
(わ、わた……ああっココノちゃんずるい!)
相談が終わったのか、一匹の蟻がずずいと僕の目の前へと出てきた。誇らしげな表情で、
こちらを見ている。いわゆるどや顔という奴だろうか。なんだか無意味に腹が立つ。
 そしてその蟻が、満を持して口を開いた。
「ワタシタチィ、オマエ、タスゥケタ。ワタシタチィ、オンジィン。カンシャー、トウゼ
ーン」
「……は?」
その瞬間。どや顔の蟻が後ろの蟻どもに一瞬にして引き戻され、円陣の中央へと放り込ま
れた。突然のことに、理解が追いつかない。口を半開きにしたまま、思わず数度瞬きをし
た。
(ちょっとココノ! 何で片言なの!)
(あの子きょとんとしてるじゃない! 文字通りきょとんって!)
(……いざあの子の前に立ってみたら恥ずかしくて頭混乱しちゃって)
(じゃあ何で我先に前に出たの!)
(あの子可愛いし、ちょっとでも印象付けておこうと思って)
(あんたはもうおばかキャラとして認識されてるよ! ばか! ココノばか! もういい
あたしが行く!)
相談を終え、再び蟻の一匹が僕の前へと進み出る。僕はもう何だか馬鹿らしくなって、構
えた剣を下げてしまった。
 だって、今回の相談は声が大きくて殆ど聞こえてたし。
「よっ、こんちゃ!」
「ああ、うん……こんにちは」
片手を挙げて気さくな挨拶をしてきた蟻に、思わず生返事を返す。
「さっきは悪かったね、うちの妹が変なこと言って」
「いや……いいよ。一応何を言ってたかは理解出来たし。君たちが助けてくれたのか?」
「おっ、なんだ話通じてるじゃん! ナイス、ココノナイス!」
僕の言葉を聞いて、手を叩いて笑う目の前の蟻。そして後ろへ呼びかけると、群れの中の
一匹、先ほど片言を言った個体が再び腰に手をあてどや顔をし始めて、他の蟻にもみくち
ゃにされていた。
 魔物とは思えない冗談のようなひょうきんぶりに、敵意がみるみる内に萎えていく。
「それで? 何で魔物のお前たちが僕のことを助けたりしたんだ? お前たちは僕のこと
を喰い殺すつもりじゃないのか?」
殺す。僕がそう言った途端。蟻たちは驚いた様子で顔を見合わせた。それから慌てて目の
前の一匹が詰め寄ってくる。
「いやいやいや、そんなことする訳ないじゃん物騒だなあ! ただ怪我してたから手当て
してあげただけだよ! こういうのなんて言うんだっけ、えーっと、そうだ、困った時は
お互い様、でしょ?」
正直に言えば、かなり胡散臭い。とはいえ僕を助けてくれた事は事実のようだし、喰い殺
す気なら手当てなどしないだろう。僕は小さく息を吐いて、剣を鞘へしまった。
「分かったよ。君たちの好意は素直に受け取る、ありがとう。無礼な真似をしてすまなか
った。僕の名前はレイと言うんだ。君たちの名前は?」
「あたしの名前は……」
僕の問いかけに、目の前の蟻が答えようとしたその時。
「はいはいわたしトーコって言いまーす! よろしくレイ君!」
「わたしはココノだよ、さっきの事は忘れてね。よろしく」
「私はフィー! フィーです! よろしくねレイ君!」
「わ、私は……」
「私はねー」
「わたしはー」
やんややんやと騒ぎ群がる蟻の群れ。蟻の胴体を器用に動かして囲まれるのは、先ほどと
比べればほんの僅か慣れたとはいえ、今でもまだ嫌悪感がある。
「あっ、ちょっ、待っ……」
「皆いい加減にしろよな! レイ君が困ってるじゃんか!」
先ほどまで話をしていた蟻が一喝すると、周りの蟻が渋々といった面持ちで後ろへ下がっ
ていく。僅かながら落ち着いたので改めて目の前の蟻に礼を言おうとすると、その蟻の顔
がぽっ、と赤く染まった。
「それで、あ、あたしはアイって言うんだけど、レイ君って彼女とかいるのかな? い、
いないならさ、あ、あたしとか、立候補しちゃうよ?」
「あーっ! ずーるーいー! アイずるいよーっ!」
もうどうしようもない。今度こそ、地下室は収拾がつかない大騒ぎになった。
   :   :
 結局彼女たちの騒動に決着が付くことは無いまま、仕事だと言って一匹を除いた全ての
蟻は渋々部屋を出て行った。
 その一匹も、僕に色々と説明をしてから、やはり仕事だと言って部屋を出た。今この部
屋には、僕一人しかいない。
 ここは、彼女たちジャイアントアントの巣らしい。最近元の巣から枝分かれしたばかり
の小規模な巣で、働き蟻の数は十九匹と少なめ。そして皆若い。……年齢の話は、説明役
の蟻が聞いていないのに力説してくれた。
 彼女たちは普段は森を歩いて食料を集めたり、土中を掘り進め巣を拡張して暮らしてい
る。そして食料調達班が巣へと帰る途中に倒れている僕を発見し、連れて帰ったのが昨日
の夕方。僕が目覚めた今が早朝で、彼女たちは各々の仕事をしに行った。ということのよ
うだ。毎日早朝から晩まで仕事に励んでいるらしく、彼女たちは実に働き者だ。その点は
尊敬に値する。
 僕の足の治療は魔物仲間から融通して貰った魔法の薬を使って、添え木と包帯で行われ
ている。結構重傷らしいのだが、魔法の薬を使っている為数日もすれば何とか歩ける位に
は回復するらしい。それまでは、この巣に滞在させて貰うしかないだろう。
 彼女たちの生活様式や価値観は、僕が教会で教わった内容とは全く異なっている。凶暴
でも無ければ堕落している訳でもないし、人間も食べないと言っている。それを言ったら
猛烈に否定された。曰く森に自生している芋や果物がここ最近の主食らしい。……教会の
お偉方と比べると、よっぽど清い生活だ。
 全ての魔物がこうなのかは分からない。たまたまこの巣の蟻たちがそうだっただけで、
他のジャイアントアントはやはり凶暴なのかもしれない。……だけど、少なくとも彼女た
ちのことは信用してもいい気がする。
 土の天井を眺めながら物思いに耽っていると、扉が開く音がした。起き上がって扉の方
へ目を向けると、そこには一匹の蟻。両手に物を抱えている。
「レイ君、具合はどうですか……? 足は……?」
消極的で小さな声。そして、頭の左右から伸びる二本の長い三つ編みお下げ。この子は、
今朝僕に色々説明してくれた時と同じ蟻だろう。
 今の所、蟻たちの区別はまだあまりはっきりとしていない。彼女たちも人間同様髪形や
口調は細かい差異があった筈なので、それを頼りに覚えていこう。
「君は……ナナ、だよね。足は大丈夫、今の所痛くはないよ」
「そう、よかった」
ほんのりと微笑むナナ。かしょかしょと足音を鳴らして僕のすぐ横まで歩み寄り、抱えて
いた食料を並べていく。
「食べ物、持ってきました」
芋、芋、果物。少し前の彼女の発言通り、今の主食は芋と果物らしい。どちらも今まで見
たことが無いものだ。迷いの森の固有種だろうか。
「あ、ああ、うん……ありがとう……」
しかし果物はともかく、芋を生でごろんと転がされるのは正直困る。結構大きいし。
 ちらりとナナの顔を盗み見た。はにかみがちに小さく微笑んでいるところを見ると、少
なくとも悪意があってそうしている訳ではなさそうだ。彼女たちは、普段からこの芋は生
で食べているのだろう。
「あ、あの、私お仕事がありますので! それでは、レイ君!」
こっそり盗み見るだけのつもりが、いつの間にか真正面からじっと目を合わせる形になっ
てしまっていたようだ。顔を赤らめ、ナナは逃げるように去っていく。彼女は結構な恥ず
かしがり屋だ。
 決死の思いで生で食べた芋は一応、そう一応は食べれなくもなかった。
   :   :
 食事を終えた後。僕はまた横になって、ただぼんやりとしていた。暇だ。
 この部屋には光源の白い花以外何も物が無いし、空の景色も分からない。歩くことも出
来ないから、今が何時なのかも分からない。
 両手を広げ大の字になって天井を眺めながら、弟のこと、両親のこと、職場の人間のこ
となどを考えていた。すると、かしかしと聞き覚えのある沢山の足音が遠くから響いてく
る。今だから分かるが、人間の足音とは似ても似つかない。彼女たちが仕事から帰ってき
たのだろう。
 叩きつけるような勢いで扉が開かれ、汗だくになった蟻たちが一斉になだれ込んできた。
 その瞬間、部屋の雰囲気が一変する。
(なんだ……これ)
部屋内に濃密で、甘酸っぱい熟れた果実のような臭いが充満した。あまりの濃さに、まる
で立ち眩みを起こした時のように意識が遠のく。すぐに立ち直り、慌てて服の袖で鼻を押
さえた。
「いやあ疲れたなー、レイ君どう? 具合悪くなってない? 折れた足から熱とか出たら
大変だよ」
食料を抱えた蟻の一匹が、僕の横に腰を下ろした。脚を折り畳んで、蟻の胴体を地に着け
る。他の蟻たちも、次々と僕を中心に群がるように座り込んでいく。
「い、いや……大丈夫」
「そっかー」
何気ない素振りで会話をしている体を装っているけれど、蟻たちの雰囲気は今までのもの
とまるで違う。よく観察すると皆息が荒く、頬も赤い。笑顔でごまかしているが視線が僕
に釘付けだ。
 僕の直感が、危険信号を伝えている。しかし、足を怪我している僕には、どうすること
も出来ない。ただ警戒心を募らせるだけだ。
「今日も一日いっぱい働いて疲れちゃったねー」
「ねー」
二匹の蟻が互いに顔を合わせ、それからにちゃっとした、粘りのある微笑みで僕を見つめ
る。思わず怖気が走った。
 それにしても臭う。一体何の臭いなんだこれは。
「ふー暑い暑い」
また別の蟻が、そう言って着ていたタンクトップの襟をつまんで中へと風を送り込んでい
る。なだらかで丘陵の希薄な、彼女の幼い胸元。汗に濡れてぴっちりと張り付いた灰色の
タンクトップから、二つの突起が透けて見える。思わず数秒凝視してから、慌てて目を顔
ごと逸らした。僕は何を考えているんだ。相手は魔物なのに。
 僕の理性とは裏腹に、一度意識してしまうとどうしてもそちらから意識を剥がせない。
 汗で張り付き、透ける服。その向こうにある大きさのまばらな、しかし一様に控えめな
大きさの膨らみ。汗でてかりを帯びて、艶かしく輝く腋。真っ赤に染まった、彼女たちの
微笑み。
 そして、この臭い。熟したクランベリーをじっくり煮詰めたかのような、きつい甘さの
中に酸味の混じった濃いピンク色を思わせる臭気。
 彼女たちは未だに取り留めの無い話を続けているが、言葉の意味を咀嚼するだけの余裕
が無い。
 下を向いて荒く息をしながら、気分を整えようとしていたその矢先。横から伸びてきた
一本の手が、僕の顎を捕らえた。
 その手の持ち主は、見覚えのある一匹の蟻。今朝いきなり片言を披露して僕を唖然とさ
せた彼女だ。名前は確か、ココノ。うなじを隠す程度の長さの癖の無い、しかしややボリ
ュームのあるセミロングの髪。それにいわゆるジト目と呼ばれるような胡乱げな三白眼が
特徴的だ。今も顔は真っ赤に染まりながらも、その目は変わらない。口元だけがにたりと
笑みと湛えていた。
 そんなココノは僕の顎を掴んで顔を向き合わせると、すぐさま唇を重ね合わせてきた。
「んむぅ」
 一切の躊躇なく舌が挿し込まれ、地上で暴れる魚のように激しくのたうつココノの舌に
よって僕の口内が陵辱される。その時ようやく、あの甘ったるい臭いが彼女たちの汗の匂
いだと気付いた。
 ココノが僕に口付けをしていたのはほんの一瞬だけで、彼女はすぐに他の蟻によって僕
の前から引き剥がされている。しかし今の僕には、もう何かを考えるだけの余裕が無い。
「あーっ! ココノがまた抜け駆けしてる!」
息が荒い。
「むふん、これでレイ君は私のもの」
口元を押さえることにまで意識が回らない。肺一杯に詰まったあの甘ったるい蟻の体臭が、
体内から僕の思考を染めていく。
「何言ってんのよそんなの許せる訳ないでしょ!」
「そうだそうだ!」
頭の中がぐちゃぐちゃで、そのぐちゃぐちゃな中でさっきの口付けの感触だけがはっきり
と脳内に染み付いている。
「じゃあどうする?」
「どうするって……そりゃ」
口内に残るココノの唾液までもが、甘く感じられる。粘りのあるシロップか、それとも水
飴か。
「……どうする?」
「……はい」
「ナナ! 何か意見が!」
甘い。何もかもが甘い。
「共有しましょう」
蟻たちの喧騒が、突然止んだ。荒い呼吸の中視線を上げると、全ての蟻が僕のことを見据
えている。
「……共有」
「……シェア」
かしっ、かしっ。蟻たちが一歩ずつ僕に詰め寄ってくる。皆僕と同じように、赤い頬と荒
い息を伴って。
 僕はそれを、拒むことも受け入れることも出来ずただ呆然と見つめていた。
「……みんなで」
「たのしむ」
一匹、また一匹と服を脱いで放り投げていく。殆ど揺れる事の無い小さな膨らみと、なめ
らかな腹部へと続く曲線が露になる。
「大丈夫、大丈夫だよレイ君」
「足の怪我はちゃんと気をつけるからね」
蟻たちが、欲にまみれた顔で笑った。
「さ、みんなでこっつんこしようね」

 拝啓。父様、母様。僕は汚れてしまいました。
14/01/19 22:13更新 / nmn
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