読切小説
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求める者たち
 鬱蒼とした森の中を二人の男が歩いていた。
 視界は悪く、道も整備されていないので、男たちは何度も木々を回り込んで進んでいる。 茂った木々が太陽を隠しているが、長時間の移動による激しい疲労と、出口の見えない不安で、男たちは身体中ぐっしょりと汗をかいている。 後ろを歩いている若い男は、何度も袖口で顔を拭っていた。
 先を歩く男も、油断なく辺りを見渡しており、慎重に歩を進める。 少し歩いては立ち止まり周囲の気配を調べ、また歩いては、止まって後ろにいる男がついてきているか確認している。 慎重に慎重を重ねるが、決してそれは無意味なことではない。 季節は秋。 ここは腹を減らした野生の狼や獰猛な猪、冬眠に向けて食糧を胃に貯め込もうとする熊が出る危険な森であった。


「うし、今日はここで野宿だ。 ナーレン、よく頑張ったな」
 先に根を上げたのは30半ばの年嵩の男だった。 かさばった荷物を地面に下ろし、自身も大地にあぐらをかく。
「はぁはぁ、ぜぇ……ラウドさん。 もう少し先に進みましょう」
 少し遅れてナーレンと呼ばれた20そこそこの男が、ラウドに提案する。
しかしラウドは首を振りナーレンを見据えて言った。
「もうすぐ日が暮れる。 これ以上歩いたらお前の身体が持たないし、唯一の休憩出来そうな場所を捨てるわけにもいかん」
「僕は大丈夫ですよ」
「医者の不養生とはよく言ったものだ。 鏡で今の自分の姿を見てみろ。 アカオニよりも顔が真っ赤だぞ」
 その言葉にナーレンは苦笑する。 この叔父が誇張して物事を言うのはよくある事だが、心配してもらえるのはありがたい。 実際にナーレン自分もすでに限界近かったので、頑なに意地を張らず大人しく叔父の言う事に従う。
 ナーレンは膨れ上がっている荷物からコップを二つだし、疲労を取る効果のある粉末を入れてラウドに差し出した。 ラウドは露骨に嫌そうな顔をしたが、ナーレンはしてやったりとばかりに笑顔を浮かべ、ラウドの手に握らせる。
「これ苦いんだよなぁ」
「ジパングに良薬口に苦しという諺があります。 その分効果は保証しますよ」
「まぁ仕方ねえかぁ」
 叔父のまじぃという言葉を聞きつつ、ナーレンも口をつける。 苦みと独特の青臭さが口中に広がるが、彼自身も疲労が濃い時に何度か飲んだ事あるので、構わず飲み干す。
「うー、気分がわりぃや」
「気のせいです」
「ひでぇ医者がいるもんだ。 目の前で苦しみ病人を見て見ぬ振りしやがる」
「まだ見習いですよ。 それにラウドさん、病気にかかった事ないじゃないですか。 うちに来たのは、遊びにか奥さんが産気づいたとき時ぐらいしかないですよ」
 そう言ってナーレンも地面に腰を下ろす。 そして腰に吊り下げていた口紐のついた小さな袋を開くと、ラウドもそれに気づいたのか、ベルトに吊けたナーレンと同じ袋を取り出す。 ラウドのそれは、幼い子供が書いたような、決して上手くはないが温かみのある3人の親子の絵が描かれている。 裏側には小さな文字で「パパ、頑張って」と書かれていた。
「だいぶ匂いが落ちているな」
 ラウドが眼前でぷらぷらと袋を揺らす。 その日の午前には酷い臭気を放っていた魔物避けも、下げて半日も経った今、匂いもかなり薄れていた。
「半日吊り下げていましたからね。 火の用意をお願いします」
 ラウドから袋を受け取り、両方の袋から中身を取り出す。 中身は粉末状で、少量の水をしみ込ませた後、手で揉みほぐし始めた。
「いいぞ」
 ラウドが薪にしっかり火がついた様子を確認し、低い声で言った。
 ナーレンは固形状になった粉末を細長く伸ばした後床に置き、慎重にそれの先に火をともす。 ゆっくりと小さな煙が上がり、周囲に鼻を刺すような匂いが広がる。
「くっせぇ! さっきの青汁の10倍は臭いぞ!」
「僕もこれは慣れないです……」
 二人は涙目で悶えながら、鼻が匂いに慣れるのを待った。


「どれぐらい進みました?」
「およそ道程の8割ってとこか。 明日には森を抜けてアテカ草原にでるぞ。」
 なんとか匂いに慣れ始め軽く食事を取った後、二人は明日の予定を確認する。
「やっこさんの居場所は?」
「日が当たりつつ、乾燥のしていないところ。 後、おそらくですが人があまり来なさそうなところですね」
「そうか。 見つかると――いや、明日は絶対に見つけないといかんな」
 そう言って、ラウドは黙り込んだ。 ナーレンもラウドの気持ちを理解しているのか、彼の邪魔をしないように、焚き火に視線を移した。 パチパチと火花が踊るのをぼんやりと眺めながら、ラウドはポツリとつぶやく。
「ロッテは、大丈夫だろうか」
「……薬はまだあります。 兄が診ているので、ロッテくんも、村の皆もまだ大丈夫なはずです」
「そうか」
 ラウドは無事という言葉だけ聞きたかったのだろう。 おもむろに立ち上がり、身体をほぐし始める。 適度に柔軟運動をした後、カバンから寝袋を取り出し横になった。
「やっぱくせぇなぁ」
「虫避けと動物避け、魔物娘避けですからね。 嗅覚に優れる彼女たちは、さすがにこの匂いの元には近づきたくないでしょう。 匂いさえ我慢すれば、明日の朝まで十分に持ちます」
 少しずつ燃え続ける固形状のそれを眺めて、ナーレンは律義にラウドの独り言とも言える呟きに応える。
「――お前が来るって言ったとき正直足手まといと思ったが、なかなか根性もあるし知識も道具も役に立ってる。 すまんかった」
「いえ……」
「俺は寝る。 明日もはえぇぞ」
 そう言ってラウドは頭から寝袋を被った。 おそらくこの叔父は照れているのだろうとナーレンは確信したが、口には出さない。
 夜空の星を眺め、ナーレンはこれまでの事を思い出していた。




「レアード先生、家内は大丈夫ですか!」
「落ち着いて下さい、パドリックさん。 症状は治まっていますので、しばらく安静にして抑制剤を服用してください」
「治るんですね! あぁ、よかった……」
 心底ほっとしているパドリックの様子を不憫に思いながらもレアードは首を振り、出来る限り不安を与えないように告げる。
「今は症状が出ないようにしているだけです。 まだ抑制剤はありますが、薬が足らないのです」
「そんな、なんとかならないのですか?」
 パドリックの悲痛な訴えにレアードはなおも首を振る。
「薬の作り方は知っています。 ですが、核となる材料が一種だけ、どうしても足りなくて。 王都に材料と薬を要請しているのですが、あちらでも貴重な薬を出すのに二の足を踏んでいるので……旅の商人を待つ状態です」
「材料は何です? 私が直接王都に出向き、買ってきますので!」
 レアードは心底申し訳なさそうに言った。
「マンドラゴラの根、です」
 パドリックの表情が絶望に染まるのを見て、レアードは目をそっと伏せた。


「兄さん」
 パドリックが肩を落として立ち去った後、ナーレンがやるせない表情のレアードに声をかけた。
「ナーレンか。 仕事中はレアード先生と呼べと言っているだろう――ロッテくんの容体はどうだ?」
 軽くナーレンを窘めた後、レアードは彼の受け持ちの幼い少年の容体を尋ねる。 まだ5歳の少年は、二週間ほど前から咳と酷い熱が出るという事で、当初は時期外れの風邪と思われた。 しかし事態は一週間前に急転する。
「駄目だ、やっぱりあの子も感染してるよ」
「やはりか。 これで7人目だ」


 原因は不明であった。 風邪と思われた症状は一週間経ってもその脅威を衰えさせず、二週、三週とわたって患者を苦しめ続けた。 村医者のレアードとナーレンは、過去現在の医術書を幾冊も読み漁り、原因を究明しようとした。 そしてある日、たまたまこの地で布教しようとした魔族の幼女(見た目にそぐわない年齢だが)バフォメットが言った。
「これは、魔気病じゃな」
「まき、病ですか?」
「うむ、体内では生み出される精の量が決まっているのじゃが、子供と女はどうしても人間の男と比べ、精を生み出す力が劣っておる。 魔気病は精の少ないものにかかりやすいんじゃ。 しかしけっこう昔に絶えたはずなんじゃがなぁ」
 長く生きているであろうバフォメットがけっこうなどと言うからには、とんでもなく昔の事なのであろう。 そんな事より、二人は聞きたい事があったので単刀直入に聞いた。
「治す方法は?」
「ある、だが難しいぞ? オリバーの葉、トメトの実、ギューブの肉、ガジャンボを柔らかく煮込み、一日ほど涼しいところに保存する」
「それほど難しくはないような。 材料も今では結構比較的手に入りやすいものだし」
「ナーレン、黙っとけ」
「んー、あとは……そうじゃ。 マンドラゴラの根が必要じゃ。 火にかける直前に摩り下ろして入れんといけん」
「マンドラゴラ!?」
 ナーレンは驚いて声を上げた。 魔界の万能薬とも言われるそれはとても貴重なものであり、一欠片が黄金ののべ棒一枚にも値すると言われる。 貧しいとはいわないが、裕福でもないこの病院にとって、酷い出費になりそうだった。
「仕方ない、人命を優先せねば」
「えぇ、早速王都にハーピー便を出しておきます」
 そうしてその場は終わったのだが。


「まさか、王都の方でも流行っていたとは」
「明らかに誰かの陰謀ですよね」
 専用の休憩室で、レアードとナーレンはコーヒーを飲みながらポツリと言った。
 王都でも同じ病気が発生しており、材料のマンドラゴラの値段は何倍にも値上がっていた。 買い付けを自ら志願して行ったパドリックも買えずにいたが、涙をこらえ今も妻に治る、治ると自分にも言い聞かせるように声をかけている。
「人事を尽くして天命を待つとは言いますが、天命に任せるのがこんなに辛いなんて」
「それが医者だ。 やれる事はやった、後は本人の生きる力を信じるしかない」
 コップを軽く水で濯ぎ、裏返しにしてタオルの上に置いたレアードは、話しは終わりとばかりに、ナーレンに背を向け歩きはじめる。 その時背後から思わぬ声がかかる。

「それはねぇんじゃないかい」

 低い声をした男がレアードとナーレンの言葉に待ったをかける。 レアードとナーレンは驚いて振り返ると、一人の無精髭を生やした、高めの身長を持つレアードよりも一回り大きい体格の男が立っていた。
「ラウドさ」
「ラウドさん、ここは関係者以外立ち入り禁止のはずです」
 ナーレンの言葉を遮り、レアードが鋭くラウドと呼ばれる男に釘をさす。 それを無視してラウドは言った。
「人事はまだ尽くしていねぇだろう。 薬がなければ作ればいい。 材料がなければ買えばいい。 買う金がなければ探せばいい」
「マンドラゴラの価値はあなたもご存じでしょう。 根っこの欠片一つが金ののべ棒一本です。 あなたが言ってるのはマンドラゴラの根ではなく、マンドラゴラそのものを探せとそう言ってるのですよ? 金ののべ棒を一本どころか、金の卵を産むようなそれを」
 レアードはラウドの言葉をばっさりと切り捨てた。 ナーレンもレアードの言葉にその通りだと内心で頷く。 ラウドの言う事は余りにも現実味がない。
「出来るか出来ないかの問題じゃねぇ。 目の前で俺の息子が苦しんでいるんだぞ、やるしかねぇんだろうが」
「貴方がそれを取ってくると? どこにあるかもわからない、材料を手に入れても本当に効果があるか疑わしいそれを」
「あぁ」
「途中で怪我を、下手をしたら命を落とすかもしれないのですよ? 元冒険者と言っても、今では日用品の店を開いて何年も経っている、錆びついた腕の持ち主なのですから」
「わかってらぁ、だがこのままじゃ俺の息子が確実に死んじまうだろう。 お前の言いたい事はだいたいわかってんだから、勿体ぶらずにさっさと言え」
 ラウドの言葉にレアードは、普段はガサツだが第六感の鋭い叔父に見抜かれた事に苦笑した。 レアードも好きでこんな事を言ったわけではない。 一人の人間として、この敬愛する叔父の甥っ子として、危険に向かう事を止めなければならない立場にあるのだ。
 だからあえて言った。
「南南西の方角にあるコムレス高原を真っ直ぐ越えて、ルンチェカの森を抜けます。 そうするとアテカ草原に出ます。 魔界に近いそこなら、マンドレイクが生えている可能性があるはずです――あと、ナーレンも連れて行って下さい。 医師としてまだ未熟で、見習いの札もまだ取れてはいませんが知識はあるので、いるとそれなりに役に立つはずです」
「兄さん!?」
 そのレアードの突拍子のない言葉にナーレンは驚いた。 まさか自分が指名されるとは思ってもみなかった。 医院の人手も足りないし、何より旅に出た事のない自分は、間違いなく足手まといになるであろう。 ラウドも難しい顔をしているので、おそらくその判断は間違っていない。 そう考えたゆえに断ろうとする。
 しかし医師として誇り高い兄、レアードが頭を下げてラウドに深々とお願いをするさまを見て、ナーレンは口をつぐませる。
「どうか、よろしくお願いします。 ラウド叔父さん、俺は貴方に死んでほしくはない。 皆を、弟を、守ってやってください」
 医院の中では決して人に見せない、素のレアードの姿に、ラウドとナーレンは揃って了承の意味を含めて眼を伏せるしかなかった。




「抜けたな」
「はい」
目覚めてすぐ顔を洗い、携帯食で腹を膨らます。 眠気が少し残っていたが、薬湯のおかげなのか疲労自体はほとんど残っていなかった。 そうして朝の早くから歩きだし、昼前にはアテカ草原とルンチェカの森の境界線に立っていた。
「もっとおどろおどろしい場所をイメージしてたんだが、こうやって見ると普通の草原にしか見えないよなぁ」
「ただ、空が暗いですね。 雲があるわけでもないのに」
「俺も魔界だけは近づかないようにしてたからな。 魔物娘が嫌いなんじゃなく、単純にサレナが良い顔をしなかったからな」
 ナーレンはラウドの妻の顔を思い出した。 ラウドよりも十も年下で、髪の長い美しい女性だ。 いつもにこにこと笑っている姿しか見た事のないナーレンは、よくこのガサツな叔父と一緒になったものだとレアードに言ってたしなめられたこともある。
「それじゃ早速探すか。 あまり離れるなよ」
「はい、見つけてもすぐに抜こうとしないでくださいね。 引っこ抜いたらどうなるかはご存知ですよね?」
「悲鳴をあげて、理性を無くした俺達や、それを聞きつけた魔物娘たちに襲われるんだろう。 さすがにそうなっちまうとこれも意味をなさねぇだろうな」
 ベルトに下げた袋をラウドは軽く持ち上げた。 その様子を見て、ナーレンも頷く。
「本当は今それを使いたくないんですけどね。 マンドラゴラの花弁からは甘い香りがすると本に書いてあったので、嗅覚が使い物にならない今はあまり良くないんです」
「あぁ、わかった。 それじゃ始めるか」
 二人は注意深く辺りを観察し始めた。


「人間だ、人間だ」
「若い男とでっかいおじさんだー」
「こんなところに珍しい」
「さらっちゃえ、身ぐるみはいじゃえ」
「待ちなよ、慎重にいこう」


 二人がマンドラゴラ探し始めて3時間。 何度か魔物娘に遭遇するが、ミノタウロス等の獣人の魔物は、なまじ匂いに敏感なせいで近寄ろうとせず、サキュバス等高位の魔物もこの匂いではする気にならないのか、嫌そうな顔をして離れていく。 匂いに鈍感なスライムに不意を突かれ襲われそうになった時はひやりとしたが、ラウドと事前に示し合わせておいたように、二手に分かれて走る。 足が遅く、獲物が左右に分かれ、どちらを追おうと混乱するスライムから逃げ出す事はそう難しくなかった。
「これは、相当魔物娘の数が多いですね」
「魔界化の影響で、魔物娘たちの数がのっぴきならなくなってきたからな。 もうちょい奥に進むぞ」


「こっちに近づいてきてるよ」
「まだ駄目かな? そろそろいいと思うんだけどー?」
「あの若い男の人、僕が最初に貰っていいよね?」
「それじゃ、あたしがあのおじさんの方先に貰うよ。 あとで若い方貸してもらうからな」
「まだだよ、もう少し慎重にいこう」


「おい、ナーレン。 あれじゃねぇのか?」
「……いえ、違います。 あれは魔界化の影響を受けたチョーセンアサガオでしょう。 あれも麻酔とかに使われて結構貴重な植物なんですが、あそこまで魔改造が進んでいれば、とても使えないでしょう。 魔界化の影響さえ受けてなければ、持って帰りたいところなんですがね」
「……あっちのは?」
「ハエトリソウ、ですかね? さすがに2メートル近いサイズのは見た事ないですけど。 あのサイズだと、明らかに昆虫をターゲットにしてないですね。 まるで僕たちがアレのご飯のような」
「まぁ植物だし、近づかなければ大丈――」
 もぞもぞと根を使い、二人に向かって這い寄るハエトリソウ。
「動きましたね」
「植物って自分で歩行出来たっけ」
「いえ、伸びたり縮んだりは出来る個体もありますが、歩行は無理です。 さすが魔界化が進んでいるだけありますね」
「感心してる場合か。 どんどんこっちにきてやがる。 さっさと逃げるぞ!」


「もう少しでテリトリーに入るよ」
「やった、こっちには都合のいい事にあれが生えてるしー」
「抜いてくれるかな、気付いてくれるかな」
「あれが抜かれたら、すぐに奪っちゃえばいい。 私たちにはそれが出来る力がある」
「もう少しだ。 慎重にいこう」


「おい、ナーレン。 見ろ!」
 ラウドが突如大声を出し、何事か叫ぶ。 視線の先には 人間の頭よりも巨大な花が咲いていた。 ナーレンはすぐさま駆け寄り、花には触らずルーペで様々な部分を確認する。
「間違いない、マンドラゴラだ……」
 ナーレンが茫然とした表情で言った。
彼自身、見つけてみせるとは思っていたが、それでも実際に見つかると酷く自分が高揚しているのがわかった。 心内では半ば見つからないのだろうという諦めがあったのかもしれない。
 ラウドは何とも云えない顔をしている。
「それじゃあ処置にはいりますね」
「大丈夫か?」
「えぇ、でも一応離れておいた方がいいかもしれません。 万が一の事もありますので、合図したら耳栓を付けて、さらに耳をふさいでおいてください」
「お前はどうすんだ?」
「一応耳栓はつけます。 まぁこんな至近距離じゃほとんど気休めですけどね。 ようは悲鳴を上げさせなければいいんですよ」
 そう言ってナーレンは花のすぐ傍の土に、透明な液のはいったシリンジを突き刺す。 中身をゆっくりと地面に染み込ませていき、空になると新しいシリンジを取り出す。 それを三度繰り返した。
「これでいいかな。」
 ナーレンは液が全て無くなったのを確認し、ラウドに向かって手を上げた。 彼が耳栓を付け地面に伏せて、耳を押さえたを確認した後、ナーレンも耳栓をつけた。
ナーレンに若干の緊張感が走る。 失敗したら周囲にいる理性の失った魔物娘に襲われるだろう。 ラウドは逃げ切れるだろうが、おそらく自分では逃げ切れまい。 捕まってしまった事を思い手が震えるが、これは決して避けられない事だと理解していた。
「えぇい、成るがままよ!」
 自らに勇気を奮い立たせるかのように、彼は力いっぱいマンドラゴラを引き抜いた。


「やった、抜いた!」
「行くよ、もう待てないよー」
「久しぶりの人間だ。 待ってて、僕のお婿さん」
「鳥の目からは逃げられないよ。 もう理性はないだろうけどね」
「あれ、なんだかおかしいな」


「ラウドさん、もう大丈夫ですよ」
 目を閉じ、固く蹲っているラウドの肩を叩き、ナーレンは言った。 見るとナーレンの肩には、12、3歳程度の少女が、気持ちよさそうにすやすやと眠っていた。
「お、おいおい。 こんな小さい子が、あのマンドラゴラっていうのかよ」
 ラウドは驚愕の視線で少女を見つめた。 ラウドの想像していたマンドラゴラは、しなびた人間のような形をしているものだと思っていた。 それが完全に人間の、しかも少女の姿をしているとは、さすがに彼も思いもよらなかったようだ。
「僕も驚きました。 文献で、ある日を境に女性の姿をとるようになったと書いていましたが、実物を見るのはこれが初めてなもので」
 驚いた表情を見せるラウドの姿に、ナーレンは笑って言った。
「とりあえず目的は果たしました。 すぐに帰りましょう」
「あ、あぁ……」
「ご心配なく、マンドラゴラの根の部分は痛覚が通っていません。 切り取ってもまた伸びてきますので大丈夫ですよ」
 ラウドの言いたい事はわかっていた。 彼は自分たちの都合で、一方的に少女を傷つけるのを良しとはしない。 だからナーレンもレナードもマンドラゴラが少女の形をしている事を黙っていたのだ。 だが、ラウドにはもう一つ、気がかりな事があった。
「この子はここに残しておくべきじゃねぇか?」
「……この子は無力です。 実際の年齢は知りませんが、マンドラゴラという魔物娘は、引き抜かれた瞬間に魔力を失い、外見年齢が固定されるそうです。 この場にこの少女を残していく事は、生きる術を知らない少女を見捨てていくという事になります」
「それだけか?」
 追及するラウドの視線。 彼の言いたい事はわかっている。 ナーレンは落ち着いて答える。
「この子を金儲けに利用しようとしたら、その瞬間僕は医師を辞めます。 それは兄も同じでしょう」
「よく言った。 その言葉を忘れるなよ」
 ラウドも彼とレナードが本気でそんな事をするとは信じていない。 これは便宜上の確認みたいなものであった。
「うし、帰るか」
「ここに辿り着くまでに5日かかりました。 薬の量もだいぶ目減りしてますので、急ぎましょう」
「あぁ、この子は俺が担ぐ。 お前はそっちの荷物を――」

「その必要はないさ」

 ラウドの言葉は中断される。
声は空から。 顔を向けると、彼らの前に降り立つ10の黒い翼。
「だって、君たちはもう帰れないんだから」
「マンドラゴラが抜かれたのに悲鳴を上げないのは驚いたけどー」
「まぁこの際地力づくだ」
「抵抗してもいいよ? その方が私たちも楽しめるし」
「お婿さんになってもらうよ。 慎重に選別してね」
 降り立ったのは美しい5人の少女であった。 年齢はまちまちだが、5人とも短く切りそろえた黒い髪はさらさらと流れ、切れ長の赤い視線は少女たちの風貌に合っており、睨まれると恐ろしくも可愛らしいであろう。 露出は激しく、胸は布を巻きつけただけで、短いズボンは惜しげもなく瑞々しい太股をさらしている。 ただ、腕と足だけは人間とは違う異形のそれであった。
「ブラックハーピー……」
 ラウドは茫然と呟く。 堕ちたハーピーとも空賊とも呼ばれる空の支配者だ。 本来はドラゴン種が空の支配者に相応しいと言われるが、彼女は地上の王者である。 力では全魔物娘中、最高峰を誇るドラゴンで、凶暴とは言えブラックハーピーとは比べるまでもない。 それなのになぜブラックハーピーが空の支配者を名乗る事が出来るか。
 ブラックハーピーの恐ろしさはその集団性にある。 横のつながりが広いブラックハーピーは仲間が一人やられると、集団でやり返す。 集団がやられると、どこからか別のブラックハーピーが現れ、またその別のブラックハーピーの集団が襲いかかる。 それもやられるとまた別の集団が……と、延々と続くわけである。 これにはさすがにドラゴンも辟易するだろう。
 とんでもないものに見つかってしまったと、ラウドとナーレンは顔を青ざめた。

「ふふん、それじゃ僕たちのおうちにご招待しようか」
「ほら、そこのマンドラゴラの子も起きなって」
 ブラックハーピーの一人が、マンドラゴラの少女の身体を揺する。 身じろぎした後、少女は目を覚ます。
「ふあぁ……わああああぁぁぁ! 人間だああああぁぁぁ」
 魔力は霧散しているのだが、二人の男にとっては気が気ではない。 馬鹿でかい悲鳴とともに、襲われるのではないかと目をきつく閉じ、身体を震わせた。
「……あれ?」
 マンドラゴラの少女は、ナーレンの肩におぶさったまま首をかしげた。
「ふふっ、もうこの子に魔力はないよ」
「まぁあったらあったで良かったけどね。 ここで楽しめばいいだけだし」
 嗜虐的な瞳で、ブラックハーピーの少女はナーレンに視線を向ける。 背中に氷を入れられたような鋭い寒気を感じ、ナーレンの身体が震える。
「な、なんで……魔物避けの匂い袋を持ってるのに」
「んー、この妙な匂いの事?」
「私たちハーピー種はね、あまり嗅覚は発達してないんだよ。 人間レベルの嗅覚しか持ってないの。 でも視覚は発達していて、あっちの街の尖塔の先まで見えるけどねー」
「あぁ、だからみんな君たちを避けてたんだね。 運がいいなぁ、僕たち」
 街なんてさっぱり見えないし、こっちの運は最悪だと律義にナーレンは思ったが、口には出さない。 今はここから逃げ出す事に全神経を尖らせるべきだ。 自身には手がないが、ラウドにならどうにか出来るかもしれないので、小さな声で確認する。
「ラウドさん、有効な武器とかありますか?」
「一応懐剣は持ってるが、それで相手を斬りつけるのは駄目だな。 集団でやり返されて下手したら殺される。 閃光弾が二つあるが、隙を見てそれを使って逃げるしかねぇ」
 この子を背負って、しかもブラックハーピーの眼を掻い潜って逃げるのがどれほど難しいか二人はわかっていた。
「交渉は?」
 話し合いで解決できるならそれがベストだ。 わずかな希望をかけ交渉を持ちかける。
「出来る立場だと思う? まぁ話しならベッドの上でもできるさ」
 一縷の望みをかけるものの、にべもなく切り捨てられる。 彼女たちが欲しいのは彼らであり、他の何も交渉の材料とはならない。
「さ、それじゃ行こうか」
「ラキねぇ、そっちのおじさん持って」
「はいはい。 シセルはそっちの若い方ね。 この娘はどうする?」
「え、えーと。 私は……」
「まぁ面倒臭いけど、連れて行こう。 後で責任持って街まで送って行ってあげるよ。 こんな何もないところで放りだすのもなんだし」
「は、はぁ……」
「それじゃ、行くよー」
 そう言って少女たちは力強く羽ばたき、鋭い鉤爪でラウドとナーレン、マンドラゴラの少女の肩を掴んだ。
「は、はなせ!」
「ほらほら、暴れないの」
 ラウドが抵抗するが、暴れる相手を抑えるのは慣れているのか、そのまま気にせずに空に舞い上がる。 さすがにある程度の高さまで飛ぶと、暴れるのは危険と判断したのかラウドは抵抗を止めた。 しかし、帰り道を忘れないよう食い入るように森を睨みつけていた。


「あうぅ、気持ちよく土の中でお休みしてたのに、まさか目が覚めて突然空の旅をするなんて思ってもみませんでした」
 マンドラゴラの少女はポツリと呟く。 周囲の都合で引き抜かれ、攫われ、少女にとっては散々であろう。 遠ざかる草原を悲しそうな瞳で眺めていた。 また、ラウドとナーレンはリュックサック型の鞄と厚い服で覆われているため肩は全く痛みはないが、植物の少女の方は剥き出しの肩のため、痛みが走るのか偶に辛そうな顔をしている。
「あー、嬢ちゃん。 ほんとにすまねぇ。 俺達も帰る事が出来たら、必ず責任はとるからよ」
「後で肩の治療をしましょう。 マンドラゴラ相手に効くかどうかわかりませんが、一応軽い治療ぐらいなら出来ますので」
「い、いえ。 その、はい……ありがとう、ございます」
痛ましいほどに少女は恐縮して答える。 無理もないだろう、少女は初めて人と接するのだ。 ナーレンは
「嬢ちゃんはいつから土の中に?」
「わかりません……」
「何かしたい事とかはありますか?」
「出来る事とか、あるんでしょうか?」
 こんな異形でなんの力も持たない自分に、と少女が言った。 その言葉に二人は何も言えなかった。 狩る立場で知り合い、会ってまだほとんど時間も経っていない。 会話などこれが最初だ。
「もう着くよ」
 羽音のみが響く中、ブラックハーピーの一人が言った。


 ナーレンが視線をうつすと、魔界の中心部に近づいてきたのか、先ほどよりもさらに薄暗くなっていた。 ブラックハーピーも徐々に高度を落とし始め、数多くの山から目当ての一つの山を見つける。
「とーちゃく!」
 見た感じ一番幼いブラックハーピーの少女が嬉しそうに言った。
「さて、ここが私たちの住処だ」
「今日から私と君たちの愛の巣になるんだけどねー」
 小高い山の一つに人が一人通れるか通れないか程度の穴が開いており、そこをこのブラックハーピー5姉妹たちはねぐらにしていた。 山は幾重にも鋭い崖になっており、自力脱出は難しそうだ。
「逃げれるとは思わない方がいいよ」
「そうそう。 落ちれば怪我だけじゃ済まないだろうし、僕たちも君たちが傷つくとこを見たくないから、一応目は光らせておくしね」
「うぅ、高い。 怖い……」
「あぁ、泣くなって。 お前はすぐに降りれるさ」
「そうですよ。 後でこの子たちも街に送って行くって言ってるじゃないですか」
「聞いてよ、ねぇ」
 ラウドは高所に怯える少女の手を握り、ナーレンも葉の髪に当たる部分をなでる。 ブラックハーピーたちの言葉も勿論聞いているが、年長者として怯える少女を宥める方が先だ。
「ありがとうございます、えぇと……」
 マンドラゴラの少女はお礼を言った後、交互にラウドとナーレンを見た。 そう言えば名乗ってなかったと今更になって思い当たる。
「ラウド・マクシュミ。 雑貨屋主人だ。 ラウドって呼べ」
「ナーレン・ルグワーフです。 医者を職業にしています。 ナーレンと呼んでください」
「ナーレンとラウドね。 覚えた」
「いえ、貴女方ではなく」
「ありがとうございます……ラウドおじさん、ナーレンお兄さん」
「あ、ずりぃぞ、ナーレン。 なんでお前だけお兄さんで俺はおじさんなんだ」
「品性の差だと思います」
 ナーレンとラウドか……他の姉妹たちもナーレンとラウドの名前はしっかりと記憶した。
 彼女たちはぎゃいぎゃいと騒ぐ彼らを見て、この女だけの家に新しい家族が出来たのを純粋に喜んでいた。 しかし笑いながら、どうやってこの二人の心を堕とそうか考えている。
「ほら、入るよ」
 その中でブラックハーピーの長女だけは別の事を考えていた。 これは、少しまずいかもしれない、と。


「中は広いんですね」
「私たち5人が暮らすからにはある程度のスペースが必要だからね」
 洞穴は入り口と比べ、進めば進むほど広くなっていた。 中は暗いと思われたが、聞くところによると群生しているヒカリゴケが、ある程度室内を明るく照らしてくれているとの事。 本来ヒカリゴケは、ちょっとした環境変化で死滅するが、魔界の魔力を帯びたヒカリゴケなので通常よりも光を放ち死ににくいのだという。
「ここが生活する場所だよ」
「ほぉ……」
 洞窟ゆえに地面と壁はごつごつしているが、部屋の中には大きな絨毯が敷かれており、テーブルや椅子、料理台や巨大なベッドといった生活に必要な物は一通り揃っていた。 一部屋に全ての生活空間を押し込めているようだが、広さがあるので手狭な感じはしない。 見ると、壁に竹を刺しており、そこから水が湧き出ている。
「湧水もあるのか」
「良い物件だろう? 誰かが昔暮らしていたんだろうけど、私たちがここを見つけた時にはもう誰もいなかったんだ。 それを私たちなりにちょこちょこ改造して使わせてもらってるのさ」
「それって乗っ取ったんじゃ……ブラックハーピーと争いたい人なんていないんだろうし」
 偶々出かけていて、帰ったらブラックハーピーたちが部屋の模様替えをしていたとか、家を奪われた元住人が不憫すぎる。 ナーレンとラウドは心の中でご愁傷さまと呟いた。
 そして、ひと際大きなベッドの傍まで案内される。 荷物を下ろされ、準備万端といった状態で少女は宣言する。
「さーて。 それじゃ早速やるかな?」
 ギラリと5人の少女の眼が光る。 二人の男とマンドラゴラの少女は異様な雰囲気に気圧され、後ずさる。
「初めての獲物……」
「どきどきするねー」
「ナーレンは僕が最初だからね」
「自分から脱ぐかい? まぁあたしとしては脱がす方が好みだけどさ」
「まぁ最初だし優しく慎重にいこう。 自制出来たら」
 じりじりと迫る5人の少女。 マンドラゴラの少女は襲われるわけでもないのに怯えていた。
「ま、待った! 俺はお前さんたちの名前を聞いてねぇ!」
「!? そうです、お互いの事を知りあうにはまず名前からだと思います!」
 ラウドのやぶれかぶれの質問に、ナーレンも慌てて同調した。 マンドラゴラの少女も何度も頷く。
 ブラックハーピーの少女たちもその言葉には一理あると思ったのか、動きを止め腕を組んだ。 そして恥ずかしそうに咳払いをし、先ほどの様子と打って変わって、大人しそうな姿でナーレンたちに向き合う。
「えーと、だ。 それじゃ軽く自己紹介を」
 この子が5姉妹の纏め役なのだろうとナーレンは思った。 会話の主導権を握ろうとしたが、あえなくかわされる。
「ナーレンさんとラウドさんはもうさっき聞いたからいらないよ。 まずは私たちの末妹、ルア。 まぁ見た目も言動も一番幼い子で少し危なっかしい」
「初めまして、ナーレンおにい――ナーレンさん。 ラウドさん」
 長女の鋭い視線を受けて慌てて名前を言いなおすルアに、ラウドはからかうようにナーレンの脇腹を小突いた。
「なんかお前とレアードみたいだな」
「……否定できません」
 よろしく、とだけ無難に返す。
「四女、ユズリ」
「よろしくお願いしますー」
「まぁ、基本的にのんびりした子だ。 言動もどこか間延びした感じで、よく日向ぼっこをしている。 次、三女。 シセル」
「よろしくなー、ナーレン。 ラウド」
「ハハハ、よろしく」
 明らかに見た目が自分よりも年下なのにため口かと思ったが、魔物娘は外見と実年齢が比例していないので、突っ込めない。
「まぁやんちゃな子だ。 女らしさを捨てて僕とか言う子だが、根は結構女の子してる。 たぶん、一番お嫁さんとかに憧れているんじゃないだろうか」
 シセルは顔を赤くし、説明役の姉に詰め寄る。 それを軽く受け流しながら彼女は説明に戻る。
「次女のラキ。 んー、一番行動的だけど、後先をあまり考えない。 タイマンでやられたらタイマンでやり返す。 この中で一番ブラックハーピーっぽくて、ブラックハーピーらしくない子かな」
「酷い言われようだ……」
「どことなくラウドさんに近いですね」
「ナーレン、後で覚えておけよ」
 ラウドの恨みがましい視線を浴びながら、ナーレンは次女によろしくと返した。
「さて、最後は私だな。 私は――」
「このさっきから喋り続けているのはピーラって言って、私たち5姉妹の長女なの」
「説明好きで理論好きなんです。 よく本とか呼んでますよー」
「堅苦しくて偶に毒舌な、クールな姉だ」
「まぁあたしらの纏め役だし、後料理担当」
「――貴方達、今日のおかずは一品減る事を覚悟しなさい」
 先ほどの紹介で気に食わないところがあったのか、妹4人はこれ幸いとばかりにピーラの紹介を始める――多分の毒を含めて。 ぎゃいぎゃい言いあっているが根本的に仲が良いのだろう。 お互いに嫌いだからからかってるわけでもなく、気安さから口が軽くなっているのだとナーレンは思った。
 自分とラウドやレアードも同じようなものだ、とナーレンは笑い、ふと気がついた。 マンドラゴラの少女についてだ。 ナーレンが彼女に視線を移すと、すでにラウドが膝をついてマンドラゴラの少女の頭を撫でていた。
「それじゃ、自己紹介終わりかしら?」
「まだだ、この子の事は聞けてない」
「えっと、私は……」
 少女は何かを言おうとするが、途中で言葉を詰まらせる。 生まれた時から暗い土の中で眠っており、他の魔物どころか父や母の姿など見た事もない少女に、話せることなどあるわけがなかった。
「抜かれて1時間ちょっとのマンドラゴラに名前も何もあるわけないよ」
「もし、この子が貴方たちの奥さんだったら、手を出さなかったけどね。 まだ何もすんでない状態で奥さんとは言えないからねぇ」
「家族を大事にするあたしたちは、家庭を壊すのだけはご法度だから」
 そう言って、ラキは胸の布を外した。 もう問答は無用という事だろう。 鳥人型らしく、控え目な乳房が二人の眼に晒し出される
 そして、ルアとシセルの体重を乗せたタックルを受け押し倒された二人は、ゆうに5人が一緒に眠れるであろうベッドに仰向けに倒れ込んだ。 マンドラゴラの少女は絨毯に尻餅をついて驚愕の視線でその様子を見ている。
「さって、それじゃ服を脱ごうか?」
 欲情に染まった眼でラウドを見つめる。 ラウドは流されたら負けだと言わんばかりに抵抗するが、ルアにがっちりと抑え込まれた状態では、ろくすっぽ動く事が出来ない。
「ま、待て。 自分で脱ぐ!」
「……やっぱやめた。 お預けされたんだ、私が脱がす」
 そう言ってブラックハーピーの次女は鋭い爪で、丈夫な服をズボンのベルトごと斬り裂いた。 ラウドはナーレンの方に視線を向けると、彼もまた同じように服を裂かれ、下着だけの状態となっていた。 抵抗も空しく、ラウドはズボンも斬り裂かれ、ベッドに投げ捨てられる。
「さーて、お楽しみの時間だ」
 5人の見目麗しい少女たちに押し倒されて、本来なら非常に嬉しい状態なのだが、二人には帰るべき場所があり、待っている人がいる。 流されれてしまえば楽なのに、今まで共に過ごしてきた人々の姿が目に浮かび、それが最後の一線を踏みとどまらせている。 だが、思うだけでは何も変えることはできない。 こうしている間にも少しずつブラックハーピーの顔が近付いてくる。 解放されるのは期待できないだろう。
 これまでかと思い、目を閉じた瞬間。 思わぬところから第三者による声が聞こえた。

「ま、待って下さい」

 それは気弱なマンドラゴラの少女だった。
 力はそこいらの人間にも勝てず、魔力は自身に宿っていながらも何一つ使う事が出来ず、変形した根は歩行に適さず、見つかれば真っ先に狩られてしまうだけの存在。 そんな力を持たない少女は、両手で大切そうに何かを持って、勇気を振り絞り言った。
「ラウドさんは、お父さんです」
「はぁ? あんたがラウドさんの父親になるって言うの?」
 マンドラゴラの少女の言葉に、シーラは耳を疑う。 しかしピーラがそのマンドラゴラの少女の言葉をばっさりと切り捨てる。
「残念ながら、この人が父親になっても、私はこの人を犯すよ? 娘になるなら私の娘とも言えるようになるし歓迎はするが、夫婦の情愛には口を出す権利はないよ?」
 誰が夫婦だとナーレンとラウドと叫ぶが、他の少女たちは気にも留めない。
「それで、あんたも混ざりたいのかい?」
「私たちが終わってからでいいなら、別に構わないよ。 親子でそういう事するのも結構多いらしいからね」
 からかうようにシセルとラキが言う。 7人の眼がマンドラゴラの少女の眼に集中し、心が折れそうになるが、少女は優しくしてくれた二人が嫌がる目にあう事を良しとはしなかった。
「ラウドさんは、私のお父さんじゃなくて、奥さんのいる本当のお父さんなんです」
 少女が差し出したのは、小さな袋。 3人の男女の絵が描かれた匂い袋。 それをユズリが受け取り、様々な角度から眺める。
「随分可愛い絵ですねー。 これが……」
 間延びしたユズリの声がぴたりと止まる。 そして、それはないでしょうと呟き、目に見える程肩を落として、ラウドに手渡した。
「らきねえさん、シセルねえさん。 ナーレンさんとラウドさんを解放してください」
「お、おぅ」
「えーと、まさか本当に?」
「そのまさかです」
 袋に書かれた「パパ、頑張って」と言う文字がユズリの眼に止まったとき、勝敗はいともあっさりと決したのだった。


「えーと、その。 申し訳ない」
 深々とお辞儀をする5人のブラックハーピーの少女たち。 皆、すでに服を身につけており、ナーレンとラウドはバツが悪そうに頭をぽりぽりと掻いた。
「いや、あの俺たちも事情なりなんなり言えばよかった。 思えばチャンスはあったんだよな」
「すみません、ブラックハーピーは空賊とか蔑称がありまして、取引も通じなさそうだったので、意味をなさないものかと。 正直、飽きて解放されるか、隙を見て逃げる手段しか考えてませんでした」
 思えば相手が家族を大事にすると言ってた時点で、ラウドが結婚していると言えば良かったのだが、あの時点でそこまで頭が回らなかったようだ。 これは完全に自分の失態である。 ナーレンもラウドも同じような事を考えており、どうにも強く出る事が出来なかったのである。
「と、とりあえず皆待っているので帰りましょうか」
「あぁ、さっさと薬を調合しないとまずい。 マンドラゴラを手に入れておきながら、間に合わず助かりませんでしたなんて、話しにならねぇ」
 そうして急いで荷物を背負いこむ。 せめて崖下まで下ろしてもらおうとナーレンはピーラに提案をもちかける。
「えっと、そのですね。 お詫びと言ってはなんだけど、道さえ教えてもらえれば村まで送らせてもらいます」
「たぶん、一両日には村に着くかと」
 ナーレンはえらく下手にでる彼女たちを不思議に思い聞いてみた。 そしてなるほどと思う。 彼女たちが言うには、仲間を愛するブラックハーピーが、他の仲間(家族)の絆を壊そうとするのは決して許される事ではなく、もしそんな事をすれば、良くて袋叩き、悪くて追放もありえるとの事らしい。
「それじゃ、行きましょうか」
 ナーレンはラウドに出発しようと声をかけるが、ラウドに反応がない。
 見ると、ラウドはマンドラゴラの少女の頭を撫でていた。 嬉しそうに彼女は笑って、ラウドに抱きつく。
「ラウドさん?」
「おう、ナーレン。 この子の名前はミナだ。 今日から俺の娘になった」
「えぇ!?」
 突拍子もないラウドの言葉に驚く。
「えっと、お父さんに名前をつけてもらったんです。 後、一緒に暮さないかって」
「そ、そうですか。 その、これからよろしくお願いします」
 ミナが嬉しそうによろしくお願いしますと返す。 思えばラウドは最初からそのつもりだったのであろう。 面倒見のいい彼は、ミナが不自由なく暮らしていけるように、自分たちの事情でミナが苦しまないようにするつもりだったのだ。 その優しい叔父の気配りに、ナーレンの頬も緩む。
「それじゃ、行きますよー」
 ユズリの緊張感のない呼び声が聞こえる。
「わかりました。 でもちょっとだけ待って下さい」
 応急治療キットを取り出し、ミナの肩に綿を当てる。 そして包帯を取り出し軽く巻く。 ラウドも治療が終わったのを見て、小型の鞄を背負わせる。 これで彼女たちに運んでもらうとき、爪が食い込んで痛む事もないはずだ。 良し、と出来に満足して、ナーレンは洞窟の外に向けて足を進める。
 ありがとうございますと照れながら言うマンドラゴラの少女に、ラウドとナーレンは、その日初めて声を上げ笑った。


 行きは五日かかった道程を帰りは二日に短縮し、ナーレンたちは村に帰郷した。
そして休む暇なく治療薬が作られ、村中に配られる。 効果は抜群で、すぐさま王都の病院にも薬は送られ、無償で薬は配布される。
 夕日が落ちていく中、パドリックと妻が何度も頭を下げて医院から遠ざかる姿を眺め、ナーレンは大きく伸びをした。 今日の診察は終了、明日は休みだし今日はのんびりしようと、診療中の札を裏返しにしたその時。
「ナーレン」
 背中から声がかけられる。 ナーレンが振り向くと、店のエプロンを着たラウドと服を着たミナがいた。 ミナの背は根を切ったせいで低くなっており、以前よりも幼く見える。 ラウドの奥さんもミナと初めてあったとき、怒りをあらわにして一悶着があったようだが、今では自分の息子と変わらず、お腹を痛めた娘のように可愛がっているそうだ。
「まず遅くなったがまず礼を言わせてくれ。 ロッテの命を救ってくれてありがとうな」
「医者として人の命を救おうとするのは当然の事ですよ。 それにラウドさんがいなければ助ける事が出来なかったかもしれません。 村の人も、王都の人も」
「いや、俺が一人で行ってたら、間違いなく途中で野垂れ死んでたか、別の魔物娘に連れ去られてるかしてただろうさ。 そう考えたら、あのブラックハーピーに会えたのは幸運だっただろう。 ミナにも会えなかっただろうしな」
「ナーレンさん、本当にありがとうございました」
 頭を下げる二人に、ナーレンはとんでもないと言わんばかりに手を振る。 年長者と年下の女の子に頭を下げられるのは、医師としても非常に気恥かしい。
「俺も良い経験をさせてもらいました。 いろんな話を聞かせてもらえましたし、ミナちゃんにも会えました。 村のみんなも助かりましたし、医者の見習いの札も取れたんですよ。 ほら」
 以前には見習いのラインが入っていた医師プレートには線が抜かれていた。 それはこの者を一介の医師として認めるという意味。
「まだ未熟ですが、僕もこれで一人のちゃんとした医師になりました。 正直旅をして、帰ったら医師としての資格が認められるとは思ってもみなかったので――」
「あぁ、それはな」
 レアードがナーレンの言葉を遮る。
「あ、兄さ――」
「勤務時間は終わったからそれでいいが、就業時間はそう呼ぶなよ。 とりあえずお前にお客さんだ」
 そう言って疲れたようにため息をついたレアードは、親指で空を指差す。
「へ?」
 何もない空間を指差されてナーレンは間の抜けた声をあげる。 いや、何もないわけではない。 ナーレンが目を細め、正体を探ろうとする。
「ナーレーンー!」
 声が聞こえた。 聞き覚えのある声に、ナーレンは近づいてきた者の正体に気付く。 逃げ出そうとするが、レアードがそれを許さない。 ナーレンの肩を掴んで無理やり動きを止める。
「お前があいつらを連れてきてから、業務に何度も差し障りが出てな……やれ、ナーレンを出せだの、盗難が多発してるだの、あいつらの羽で喘息の患者が急増したりだの。 ここには魔気病の患者だけじゃなく、他にも様々な病気を抱える人たちがいるわけでな」
「俺もミナの件はすぐ片付いたんだが、あいつらに押し倒されたのが気に食わなかったらしい。 サレナが笑いながらキレる姿なんて初めてみたぞ。 正直ビビった」
 レナードは思い出すだけで怒りがこみ上げてくるようで、知らず肩を握る手に力が入る。 ナーレンは痛みに悲鳴を上げそうになるが、これ以上刺激しないように歯を食いしばって我慢をする。 それとは真逆にラウドの顔は青ざめていた。 普段微笑んだ顔しか見せない彼の妻が、血管と笑みを浮かべ淡々と詰め寄ってくる姿が浮かび、ナーレンは顔をひき攣らせた。
「えっと、それは、とは?」
 この話を続けるのは精神衛生上良くないと判断したナーレンは、話を戻そうと先ほどレアードが言ったセリフについて追及する。 レアードも怒りに我を忘れていたのに気がついたのか、普段の冷静さを取り戻すべく咳払いをして手の力を緩めた。 しかし真剣な目をして離そうとはしない彼に、ナーレンは本題はここからとだと思い、気を引き締める。
「お前も見習いの文字が取れて一人の医師となった。 兄として、一人の先輩医師として、誇らしく思う。 お前のこれからの活躍に期待している」
「ありがとうございます。 兄さ――レアード先生の指導の賜物です」
 兄から褒めてもらえるのは何年振りだろうか。 ナーレンは思い出そうとするが、どう考えても、医師を志す前ほどだったような気がしてならない。 よくめげずに医師になれたものだ。
「これからもお前は様々な患者と直面するだろう。 酷く苦しむ患者に何度も罵られる事もあるだろう。 最善を尽くした結果でも上手くいかない事があるだろう。 大切な人が亡くなる姿を見る事もあるだろう」
「覚悟しています」
 闘病の末亡くなった両親を思い出す。 以前ここで勤務していた受け持ちの医師に、幼かった自分と兄は何度も怒りをぶつけ、罵倒した。 あの時の医師は幼かった自分たちの言葉を、何を思って聞いていたのだろう。 答えは出ない。
「今回の症例の時、お前は寝る間も惜しんで書物を読み、治療法を模索した。 知識は医師の頼れる武器であり、経験は医師としての堅固な盾となる。 その事を踏まえ、お前はまだ武器しか持っていない未熟者だと言える」
 黙って頷く。 確かに自分はまだ年も若く、見習いが取れたばかりであるし臨床などの経験はほとんどない。 ナーレン自身もその事はその通りだと理解していた。
「知識は本を読めば手に入るが、経験は場数を踏まない限り、成長する事はない。 病人が多い方が望ましいと言ってるわけではない。 ただ、歩みを止めるのが問題なのだ。 幸いここはそれほど大きな村ではない。 ああいった特殊なケースが発生しない限り、俺一人と数名の看護員だけでも十分に回るだろう。」
ナーレンは兄が言いたい事をなんとなく理解した。 この兄は冗談を言うタイプではない。
「言ってる事はわかるな?」
「ナーレン!」
「ぐふぅ!?」
 黒い翼の三女が身体ごとナーレンの脇腹に飛び込む。 兄との話にすっかり気が逸れていたナーレンは、不意打ちとも言えるそれに対処できず、くぐもった声を上げて吹き飛ばされ尻餅をついた。 それを見ながらゆっくり降り立ってくる4人の少女たち。
 その様子を見て、レアードは淡々と言う。
「ナーレン、お前はここを出てさらに知識と経験を重ねた方がいいと判断した。 あぁ、王都には行くな。 その少女たちはお前に付いていくだろうし、他の患者や住人にも迷惑になるだろうからな」
「げほっ。 そ、そんな。 見習い上がりの5人の魔物娘付きの医師なんて、どこも雇ってくれないよ。 それこそ魔界にでも行くしか……」
「この間のバフォメットの邂逅で判った事だが、どうも魔界はかなり知識の宝庫らしい。 人間以外にも様々な人種もいるらしく、数多くの経験を得るのにも申し分ない。 また、手に入りにくい秘薬とか治療器具等も比較的手に入りやすいと聞いた事がある。 良い事尽くめじゃないか」
「追い出される俺の立場はどうなるんですか!」
「その辺は知らん。 まあ責任は取れという事だ。」
「謀られた……」
 周囲を見てみると、夫婦喧嘩の理由を聞いて頭を下げているピーラの姿が見えた。 その傍で、ミアとユズリが仲良くお喋りをしている。 大人しいミアと欲望に駆られていなければ温和なユズリとは波長が合ったようだ。 ルアとラキはどっちが先にナーレンとするか、人目もはばからず話し合っていた。
「ナーレーン」
 じゃれついてくる三女が非常に鬱陶しいが、はねのけるわけにもいかずに、ナーレンは空を見上げた。 吹きつける風が気持ちいいが、これからの事を考えると頭が痛くなる。 何もかも面倒臭くなって、そのうちナーレンは考えるのを止めた。




 とある魔界の一角に、一人の新人の医師と5人の黒い羽を持つ妻たちが現れるのはそれほど遠くない話であった。


11/08/07 23:29更新 / 松月

■作者メッセージ
2作目です。
当初はブラックハーピーの出番は無かったのですが、指が勝手に。
SSを書くのは難しいですね。

8月7日改訂しました。

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