嵐と踊る死神

夏の雨は時に強く降る。部屋の中にいて猶辺りの音を掻き消すほどに降る雨は、世界を飲み込もうとしているようにすら思える。
そんな轟音を斬り裂いて響くは、金属の打ち、当たる音。テンポ良く重なる音は、武器を重ねる者同士が相当の手練れである事を物語っていた。
時刻は間もなく日付の変わりを告げる。
深夜の部屋には明かり一つなく、まともな視界なぞ有る筈もなかった。のだが……両者の動きに惑う様子は皆無。
落雷。色を失っていた世界が、僅かな時間だけその姿を見せる。
二人は僅かな間合いを取り対峙していた。
一人はYシャツとズボンというシンプルな出で立ちに、赤毛の長い髪を後ろにまとめた身の丈150センチほどの小柄な少年。
もう一人は少年を一回り大きくした体格の良い女。肩で切り揃えた金色の髪と、熟れた肢体を強調させる煽情的な赤黒いドレスに、似つかわしくない黒のマントを纏っていた。
光の収まった部屋はまたその姿を闇に隠す。そんな中唯一取り残されたのが、女の瞳。赤く輝くソレは、目の前の敵を射殺さんばかりに鋭く光る。恐怖の象徴に睨まれたにもかかわらず、少年にたじろぐ様子は無い。刃先を的確に女の眉間へ合わせると、躊躇無く女の懐へ踏み込む! 
襲い掛かる刃
対する女の手には得物らしきものは握られていない。が、美しく伸びた爪で一撃を逸らし、返す刀で少年の喉元めがけ腕を振り下ろした。
キンッ! と、金属音にも似た音と同時、大理石を敷き詰めた床に青白い火花が走る。通過点にあった物体が例外無く膾切りの目に遭った。
「チッ!」舌打ちをしたのは女の方だった。手応えが無い。肉塊を切り刻む柔らかくも弾ける様な快感も、新しい血の心蕩かせる香りもしない。
(こいつ、本当に人間か?)
10分の一秒にも満たない瞬撃を少年はかわしたというのだ。かつてベルゼバブの翅すら斬り落としたこの爪を、何の能力も無い人の子が避けるなぞ有り得る話ではない。
一縷の隙。それを少年が見落とす筈がなかった。踏み込むと同時、手にした剣を逆手に持ち替え、振り下ろされた腕目掛け剣を突き立てる。
「ぐッ!」低い呻き声は  少年のものだった。
避けられる事を予見し、女は蹴りを重ねていた。細くも強靭な足が少年の胸板を強襲する! 数ミリの僅差で女の足が勝った瞬間だった。
少年は象にでも蹴り飛ばされたかの如く一直線、20メートルは離れた壁に叩き付けられた。
だが少年も吹き飛ばされる刹那、腰に差していた短剣を女目掛けて投げ付けていた。見事短剣は女の脇腹に命中する。
微かな呻き声を上げる女。
「見上げたものだ……」
突き刺さった短剣に目をやると、躊躇無く剣を抜き取った。女の体からは僅かな血しか流れない。致命傷とはいかずとも、それなりのダメージが残る筈だった一撃は、女の驚異的な回復力の前に意味を成さなかった。
「まともな体ではキツかろうが、私には通用せんよ……」
女の勝利宣言とも取れる言葉が、雨音に掻き消されようとしていた。
「しかし……」女の表情は晴れない。先ほどの一撃といい、人としてはあまりにかけ離れた身体能力もそうだが……女の視線は少年の体に向かう。何か、言い知れない違和感。
「まだ……終わって……いませんよ」
「何!?」
再びの戦闘宣言に、女は驚愕の色を隠せない。私の一撃をまともに受けたのだ。肋は既に粉々になっていてもおかしくない。まともに息をすることすら辛い筈なのに!
正に、想定外。少年は壁に半分めり込んだ体を強引に引き摺りだす。これではどちらが化け物か分りはしない。
「貴様、化け物か!?」率直な感想が女の口から洩れる。
「貴方にだけは言われたくないですね。これほど長く続いたのは今回が初めてですよ」
服に付いた埃を払いながら、少年は乱れた服を直す。
「??」またも違和感。何かが引っ掛かる。
(何なのだ、一体!)
頭を振り雑念を振り払う。余計な事に気を取られて太刀打ちできるような半端者でない事は、今までの手合わせで重々承知している。
(さて、このままでは埒があかんな……それに)
女は少年を見据える。あれだけのダメージを受けて猶、少年の息は殆ど上がっていなかった。対してこちらは少しだが乱れが出てきている。
かれこれ四時間は互いの命をかけたゲームをしているのだ、イイ加減スタミナ切れを起こしてもおかしくない。その分析通り自分は疲弊を始めたが、目の前にいる人間はどうだ、まるで疲れた様子を見せていないではないか。
(このまま続ければ私の方が不利、か……)
嘗て経験した事の無い結論に、女はどうしても笑いを抑える事が出来なかった。
(私がここまで追い詰められるとは……まるで死神を相手にしているようだ。そういえば……)
女は記憶の中の言葉に辿り着く。
……確かアズラエルとかいう堕天使が零した言葉
―――私達魔族は欲望に執り付かれるのだけど、時に人は死に執り付かれる事があるわ―――と。
何を馬鹿な、と一笑に伏したものだったが、今こうして死に直面すると弥が上にもその言葉が現実味を帯びて来る。
―――執り付かれた者は、辺り構わず死を振り撒き、そして全く死を恐れようとしなくなる―――
今目の前にいる少年は正にそのものの様相。何の躊躇も感じられない剣の軌道には、目の前に佇む死を恐れないからこその、あまりにも真っ直ぐな狂気が宿っていた。そして、その狂気に触れた我が執事は死出の道筋へ。
「死神か……」女の声に同調をするかの如く、少年は剣を構える。得物が違うにせよ、目の前にいるのは死神と呼ぶに相応しい『化け物』だった。
「ならば、こちらもそれ相応の出迎えをすべきであったな……」
女の覚悟を見抜いた少年は、再び間合いを詰める。そう、これだ。相手の間合いへ何の躊躇も無く踏み込んでくる。死に執り付かれソレに対する恐怖を失ったものだけが行うことのできる行動。これに惑わされていた。
走り込む少年の体は徐々に体制を低く落し、剣を床に走らせる。女の手前僅か数十センチの所で思い切り踏み込んだ少年は、渾身の力を込め白刃を振り上げた。
孤月の軌跡を取り、部屋を斬る様に大きな動きで辺りの物を全て両断する死の暴力。少年渾身の技は、確かに女の体を捕えていた。
が、少年が見ていたものは、女の影、いや……女の欲望の形。
「少年、汝に栄誉を与えよう。この私、エレナ・クリステアの手により、死の恐怖という栄誉を」
声は遥か頭上、高い天井へ重力を無視し逆様に立つ女。不気味に光る赤い眼は更にその深度を増し、美しさすら携える。マントの合間から出された手からパチンと指を鳴らす。それだけで部屋中に有った蝋燭に火が灯る。
そこでエレナと名乗った女は、我が目を疑う景色に遭遇した。
瞳を開けていない!? 
少年は完全に瞼を閉じ気配だけで自分へ挑みかかっていたのだ。最早人の所業はおろか魔物でも数えるほどしかできない超高等技法を駆使する達人を只の剣士と侮っていては、まともな勝負になる筈が無い。
天井にぶら下がったまま、エレナは声を上げて笑った。
「いや……ククッ……これ程とは。私はお主をあまりに低く見すぎていたようだ。それは詫びるとしよう。寧ろ私は嬉しいぞ。今この時にお主の様な兵と相まみえる事が出来ようとは。ただ惜しむらくは……お主が女であったなら」
微かに少年の眉が動く。
「何時までそこで休んでいるおつもりですか? それとも夜を象徴する眷族様は、餌に追い立てられ逃げ遂せるのを美徳とされるのですか」
「何を!」
自らのプライドを酷く傷付けられたエレナは激高し天井から跳び降りる。その速度は光の揺らめきより早く、人の感知できる速度を超えていた。
目の前に瞬間移動したかの如く現れたエレナに、少年は構える間も無く剣を持つ腕を掴まれ吊るし上げられた。
筈であった。
正に神業。手にした剣を落とすと同時、靴を脱ぎ捨て足の指で剣の柄を握ると、手を振るように剣を振り上げる。強襲されたエレナは少年を離し後ろへ飛び退く。剣は勢い良く宙を舞い、少年の掌へ舞い戻る。重ねてその高さからの斬撃一閃!
だがそれは、エレナにとって予見された行動でしかなかった。彼が神業の様な剣術を持つのと同様、彼女もまた長い時をあらゆる剣術・体術の修練に当ててきたのだ。右手の爪で剣をいなすと左の拳で刀身を殴り、見事彼の手から剣を離す事に成功したのであった。返す刀で少年の首を掴み力任せに持ち上げる。どこにそんな力があるのかと思わせる位軽々と。
「伯爵であるこの私にあれだけ盾突き、そして愚弄したのだ。只では済まさぬ。まずはその血を以て、我に懺悔と恐怖を捧げるが  !!」が、再びエレナが困惑の表情を浮かべる。今度は更に強く。
この香りは……!? 首に立てようとした牙が止まる。
「殺せ……私は、貴様を、愚弄したのだ。万死に、値するので、あろう?」
何とか声を上げる少年。今や自らの死を望むのみ。
「喧しい! 静かにしておるがよい!!」そんな少年をエレナは一喝する。
「御主」真剣な眼差しを少年に突き刺すエレナ。その空気を読み、少年は閉じていた眼を開く。薄い青。空の色をした瞳が彼の純粋さを伝えて来る。
「少年、非礼を先に詫びる」エレナは、何故か勝った相手に詫びを入れる。
そして
少年の服を破り捨てた!
絶叫
「見るなああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」


エレナが目を覚ましたのは既に日も落ちた午後7時。
執事達の手際の良い着替えと朝食に出された甘く馨る童貞の血に、寝起きのボンヤリ感も漸く抜ける。エレナは満足げに外を見、何故か不満そうに振り返った。
外は雨。しかもかなり強く。これでは外に出られない。久しぶりに狩りを楽しもうと思っていたのに、とエレナは溜息を落とした。
退屈な一日になる。
幾度目かの溜息を落としたその時、不意に楽しみが訪れたのであった。
けたたましく鳴る玄関の戸。執事が慌てて戸を開ける。
そこにはフードを羽織った子供らしき姿が一人。
「誠に恐れ入りますが、こちらの主人にお目通りを願えませんでしょうか?」
ずぶ濡れになった小さな訪問者に、執事は「ここは君のような子供が来る所じゃないぞ」と引き返すよう声をかける。
「私は此処の主人に用が有るのです」
頑として執事の忠告を聞き入れぬ訪問者に、執事が力ずくでと手を上げ
「良いではないか、その者は私に用があるというのであろう?」
頭上から声がかかる。
玄関の二人が視線を上げる。
いつの間にか階段の踊り場に美しき主人が佇んでいた。煽情的な赤いドレスに身を包みその上から黒い象徴的なマントを羽織った女主人は、恐れの象徴たる牙を隠そうともせず人間の訪問者を見下ろす。普通ならそれだけで人間は逃げ出すか卒倒ものだ。しかし訪問者はたじろぐ様子すら見せずに館の主を見据える。
「ほう……」女主人は感興をそそられた眼差しで訪問者を見る。
女主人を見上げた訪問者のフードが落ち素顔が顕になる。
(これは……)感付かれぬよう僅かに舌舐めずりをするエレナ。視線の先には見目麗しい15・6歳の少女が立っていた。いや……少し重みの付いた声質からして少年かもしれない。判断を惑うほどに中性的で美しかった。
隣にいた従者が息を飲む。完全にその危うい色気に中てられている。
牙が疼く。今すぐにでもあの首筋に牙を付き立て、その血を味わいたい。さぞかし甘く美味な事だろう。その思いをやっとの事で押し止め、エレナは「来るがよい」と、声をかけマントを翻す。
近付いた訪問者から微かな汗の匂いが立つ。その匂いにエレナは驚く。後に続く訪問者に悟られぬよう小さな感嘆の声を上げた。「男か……」間違いない。この匂い……この甘い香りは『女を知らぬ無垢な男』のもの。
(これは、思いがけず良い食料が手に入った)満足げな笑みを零すエレナ。
……まさかこの後、トンデモナイ事態になるとは予測もせずに。
応接間へ通された訪問者は進められた椅子に座る事なく主から離れた位置に立つ。
「どうした、私が恐ろしいか?」
運ばれてきた東方由来の茶が柔らかい湯気を立てる。茶自体に興味は無かったが、この香りをエレナは好んだ。何故ならこの香りと童貞の血の香りは良くマッチしたからだ。
フードを脱ぎ捨てた訪問者は、エレナの予想を超える若い色香を振り撒いた。「?」何かおかしなものも感じたが。
「いえ……突然の訪問にもかかわらずのご配慮に感謝します。私の名はマリウス・デュミトルと申します」
柔らかい物腰に、丁寧な口調。猶エレナの趣味に合う。痺れを切らしたエレナがズイとマリウスと名乗った少年に歩み寄る。
「今日は何の用向きでこんな所まで来たのだ?」―――わざわざ私の所まで、と心の中で付け足して。
「ええ……それは……」口籠るマリウス。
思わせぶりなマリウスに、エレナの感覚は限界寸前。「ええい! ハッキリせぬか!!」声を荒げ「そちらが言わぬのなら、私から願いを叶えてやろう!」
だが……その動きは僅かな距離も詰めずに停止する。
少年の手にはその身に不釣り合いな剣……片身の珍しい形をしている……が握られていた。
「ほう……用向きとは、私を狩る事か……しかし、私の正体を知っての狼藉か?」
エレナはさぞ面白いものを見たと言わんばかりに笑いながら、指を鳴らす。それだけで、控えていた従者達が一斉に襲い掛かる! 
「……」無言のまま剣を構えるマリウス。
「! ま 言葉は全て紡がれない。ソレが無駄だと気付いたから。
10秒とかからぬ内に、従者だったモノは無残な肉塊に姿を変えていた。
流石に驚きを隠せないエレナ。仮にも魔力を受け人の世とは隔絶した力を得た者達をこうも簡単に斬り伏せられるものなのか、と。戦う時に魔力を感じなかった事からも、人なのは間違いないのだが……
「……私は……死合いをしたいのです。貴方のような力を持った者と」
「……よかろう。切り捨てられた者達の弔いもある……」
エレナは近くにあったグラスを手にする。
瞳の色が一層輝くと、部屋や従者達の体から血という血が宙に集まりだす。やがてソレは自ら圧縮を始め小さな水滴へと姿を変えると、グラスへ滴り落ちた。
エレナは落ちた血を愛おしげに飲み干す。
彼女の体に恐るべき力が籠るのをマリウスは感じていた。特徴的だったのは両手の爪。女性的だった爪は、まるで猛禽類のように鋭く伸びた。
「さあ、始めようか、死のゲームを!」
声と同時、彼女から発せられた魔力が突風となって部屋を駆け巡る。
部屋を照らしていた蝋燭が絶命し、部屋の命は二つだけになった。
時刻は夜8時を回っていた。
刻一刻と雨は強くなってゆく……


蝋燭の薄明かりに照らし出された少年・マリウスの体は、人として有り得ない構造をしていた。
少年……に似つかわしくない、豊饒な乳房、括れた腰。美しい曲線美は女性固有の形。だがその中心、股間にはその姿にあまりにも不釣り合いな男性器が聳え立っていた。
両性具有。
魔族ですら先天的な事例は圧倒的に少ない。殆どは後天的に魔力や改造によって付けられた物だ。まして人の身に現れるなと、長いエレナの記憶でも指折り数えるしかなかった。またソレは醜さへとなってしまった例しか記憶にない。ここまで完璧な両性具有は初めてと言っても差し支えない。
エレナが感じていた違和感の正体もこれだった。
童貞の男性器が発する香りと、発情前の女が持つ柔らかくも爛れた匂い。重なるソレは普通の人からは決してしない媚薬の様な香りを漂わせる。エレナ自身もその香りに中てられていたのだ。
「頼む、見ないでくれ……」
それまでの豪気は何処へ、弱々しくエレナへ視姦を止めるよう訴えるマリウス。
「………………」
エレナからの言葉は無い。今やされるがまま、マリウスは項垂れ瞳からは涙が溢れる。
「!」
不意の行動にマリウスは声も出ない。
締め付けられていた首が緩み床へ丁寧に下ろされる。
その刹那、頬を舐められた。
余りの出来事に対応できず、マリウスは顔を真っ赤にして蹲った。
「……美しい」
エレナから微かに声が零れる。その視線は驚きと畏敬に溢れたものだった。
「な、何を馬鹿な!!」混乱する頭でエレナの返事を否定するマリウス。「こんな醜い体のどこが
唐突に途切れる声。そして叩き付けられる音。マリウスは再び首根っこを掴まれると、猛スピードで壁に叩き付けられていた。
「それ以上その体を否定するような事をほざくなら、今すぐ引導を渡してくれる」
怒りに満ちたエレナの態度に、マリウスは威圧され声を詰まらせた。が、更に訥々と声を上げる。
「私は……この体の所為で、全てを……失った、んだ……」
大粒の涙
「私は! この体の所為で、家族も! 親も! 名誉も! 全てを失ったんだ!! どうしてこの体を好きになれる!!!」震えながら、威嚇するエレナに向かって黒い感情を吐露するマリウス。
すると、エレナから怒りが消え、替って憐れみにも似た表情が浮かび上がる。
「何と愚かな……福音を否定するとは……人とはどこまで哀れなのだ」
「福音だと! 馬鹿馬鹿しい!! これは『呪い』なのだぞ!!」
「何? 呪いだと!?」
再び床へマリウスを下ろしたエレナは自らのマントを彼女に掛ける。そして、エレナを椅子に座るよう促す。
「マリウスよ、その呪いとは如何なるものなのだ? 話してみるがよい。さすれば、少しは気も晴れよう」
エレナはマリウスの瞳を覗き込みながら、彼女の意識を解きほぐすよう語りかける。今までの警戒心が少し解かれたマリウスは、ゆっくりと己の過去を話し始めた……


ここより遥か東の小国。マリウスはそこの王子として生を受けた。
彼が生まれる少し前、一つの悲劇が王室を襲った。
前妃の一粒種だった王女が暗殺されたのだ。その差し金は己の子供に権威を継がせたい母・現妃によるものであった。
その時、王女は恐るべき一言を残した。
『次に生れ来る男児に呪いを残す。ソレは人として有るまじき形に子を孕ませようぞ』
と……
そして、マリウスは生まれる。
初めの内は何の変化も無く少年時代を過ごしてきたマリウスは、間もなく成人式を迎える頃になって、その呪いの意味を知る事となった。
筋肉が付き鍛えた体が美しい肉体美を構築する筈が、身体つきはどんどん柔らかく曲線的になり、何よりも乳房の発達が顕著となってゆく。
そしてその日、体を割かれる痛みに目を覚ましたマリウスは、己の股間に見慣れぬ穴ができあがっている事に気付く。
医者の見立てでソレが女性器と知った時、マリウスは絶望のあまり自ら命を断つ決心をしたのだった。
だが、死ねなかった。
恐らくは呪いの所為なのだろう、自らの命を断とうとすると、異様なまでに体が火照り慰みをしなくては収まりが付かなくなる。
それを何度も繰り返している内に、彼に更なる不幸が訪れたのであった。
跡取りの誕生。
自分以外女子しか生まれなかった妃に、待望の男児が生まれたのだ。
だがこれはマリウスの排除を決定付けるものとなった。人として見苦しい体を持つ上に、今まで男子として公表されてきた者が実は……などとは冗談でも通用する筈が無い。
今やマリウスは邪魔者以外の何物でも無くなってしまった。
更に不幸は続く。
男として鍛えてきた彼には一つの才能が備わっていた。ヴァンパイアをも苦しめる程の剣術の才能。国にマリウスと同等に渡り合える者など居なくなっていた。
だからこそ彼は激戦の地へと送り込まれた。事実上の死刑宣告。
彼はそこで国を捨てる。
流浪を繰り返した彼は、やがて最大の悲劇と対峙する事となった。有らぬ罪で国家の敵として祭り上げられたのだ。
マリウスは指名手配され、国中を奔走し、兵士を殺し、賞金稼ぎを殺し、やがて麻痺してゆく感覚で、遂に彼は自らの意思で指名手配を解く術を行ってしまったのである。
自分を手配した者、即ち自らの親殺し。
その時、彼は笑っていたという……
以来、マリウスは『死神』として各戦場を渡り歩き、恐れられる存在となっていった。
その間にも彼の体は女性化が進み、四季が二度巡る頃にはモノ以外全て女性化してしまっていた。
そして彼……彼女は二つの悪夢と対峙する事となる。
性欲と殺人欲。
女性として高まる体は浅ましく男を求めてしまう。幾度となく男と交わり、時に凌辱された。
それにも増して殺人欲は凄まじく、欲求が高まると自らの意志では止まれなくなる事もしばし起こった。何の罪もない一つの村を滅ぼしかけた事もあった。
それを防ぐために彼は『賞金稼ぎ』と『魔物退治』に手を染めていった。良民を襲う犯罪者や魔物を駆るとなれば、ほぼ合法的に殺人を行える。
日に日に重篤化する欲求は、皮肉な事にマリウスを更に美しく狂わせたのだ。
そして……今日を迎えたのである。


静かにマリウスの告解を聞いていたエレナが、フウ、と溜息を落とす。
「全く、私達魔族が可愛く見えるな」失笑にも近い声を上げる。
「我々とて人を襲う。無論自らの生きる糧を得るためと、欲望を叶えるために。だが、自らの身の破滅を招くような馬鹿はそうおるまい。これではアズラエルが言っていた通り死に執り付かれているとしか思えん。とんだ馬鹿者だな、お主も、お主の眷族も」
「私だって、好きでこうなった訳ではない……」
ポツリと、愚痴をこぼすマリウス。視線を逸らし目尻に涙を溜める姿は、どう見たって可憐な少女でしかない。
「……先程までの威勢は何処へ行った? 性別云々の前に、剣を握っていない時の性格を何とかせねばいかんな」
目を細め生暖かい視線でマリウスを見るエレナ。
「覚えておくがよいマリウスよ。お前のその体は、力を求める物にとって最も望むべき姿。神の輩は両性を謳歌し、我等魔族には栄えの象徴として『福音』とまで呼ばれるのだ。お主にとっての最大の不幸は、人として生まれてしまったことだ。自分と違う、ただそれだけで排除しようとする人間なぞに生まれたからこそ、お主は不幸となったのだ」
「何を馬鹿な……」マリウスは呟く。ならば自分は生まれてくるべきではなかったと言われているようなものではないか。魔族にまで馬鹿にされそして否定されるなど、最早自分に生きている価値は無い。
「勘違いをしておるようなので訂正をさせてもらうぞ。お主は生まれが不幸だっただけで、不幸に生きる事を義務付けられてはおらぬという事だ」
「だが……このまま生き続けたとしても……」
「人として、ならばな」
「オカシナ事を言う。人として生まれたからには、人として人生を全うするのが筋ではないか。他に何か術が有るとでも……」
そこまで言って、マリウスの言葉が止まる。いや、押し留められる。
目の前にいるのは……
赤い瞳と 白き牙を持ちし 闇の眷属
ヴァンパイア
雨の中、赤い三日月が浮かぶ。白き牙を携えた美しくも陰惨な月が、こちらを向いて笑って いる。
「そうだ、生まれは変えられぬ。だが、『生き方は変えられる』のではないか……?」
何と言う事だろう。目の前にこれまでの不幸を帳消しに、そしてこれからの世界を薔薇色にしてくれる術があろうとは……
「マリウス。お主は魔族として生きるべき存在だ。闇に在りて欲望を叶える存在となるべき者だ」
白い指が少女の頬を撫で、顎を掴む。持ち上げられた視線の先に、心奪われるほど美しき魔族の姿。
引き込まれた深紅の瞳に己の姿が映る。雌雄の性を誇り、美しさと快楽を得た魔族の姿が。

                      さあ 選ぶがよい

 人として苦悩を甘受するか                   魔として喜びを謳歌するか


疑問を挟む余地など、初めから有りはしない。

―――私は、

マリウスは 跪く


「私は、幸せになりたい」



「お主に新たな名を与えよう。これからは『マリア』と名乗るがよい」
マリウスは生き残った従者に髪を梳かれていた。その横で嬉しそうにマリウスを眺めるエレナが、少年に新たな名前を授けたのだった。
「マリア……私の、名前……」マリウスがウットリと与えられた名を呟く。
「そうだ。人としての過去を捨て我が眷族となるお前を祝福する名だ。これからはマリア・クリステアとして永遠の悦楽を享受するがよい」
「はい……エレナ……」ジッとエレナを見つめるマリウスの瞳は濡れ、深い蒼を携える。
「その瞳が間もなく赤き欲望に染まる。ああ……考えただけでも牙が疼く」
「お館様、準備整いましてございます」それまで無口だった従者の男がポツリと呟く。
「おお!」爛々と目を輝かせ、エレナはマリウスを見つめる。「見姿を」エレナは指示を出す。「承知しました」従者は見姿を取りに部屋を後にする。
「美しい……何と、美しい」
視線の先にはマリウス……いや、完全に女性の姿をしたマリアが佇む。彼女を包む純白のドレスは意図的に女性を強調するよう、胸を下半分だけを覆い隠し、腰は括れ、足はレースになり美しい脚線美を際立たせる。長い赤毛はシニヨンを編み込み、そして唇には鮮血を思わせる真っ赤な口紅が引かれていた。
「見姿、用意できましてございます」
「ご苦労。見るがよいマリアよ。これがお前だ」
「……これ、が……私……?」
鏡に映る美しき女性の姿に、今までの自分が浅ましく、そして汚らわしい物だと書き換えられるのをマリアはハッキリと意識した。これからは美しい女性として永遠の快楽を味わうのだ。
「その美しき姿を永遠に止め、私を愛し、そして永遠の悦楽を楽しむがよい」
静かに、皮膚を突き破る白い牙。
美しき悲鳴が。
青い瞳は、その色を波紋のように赤く染め上げられる……

彼女が実際に魔物へと変貌するには暫くの時間を要した。何故ならば、正に彼女の存在意義ともいえる両性が魔族化を阻んだのである。特に鍛え上げられた肉体が有する男性としての機能は凄まじく、全ての精を抜き取るまでに5カ月を要する事となったのである。普通の男子が交われば数日〜1週間もあれば十分である事を考えれば、それは異常事態と言っても過言ではなかったのである。

今夜は雪。真水の苦手なヴァンパイアにとっては外出禁止令を出されたにも等しい。が……今のエレナにはさして苦痛にならない。
何故なら
ス〜ス〜 光の差し込まぬ地下の部屋。最も豪華に装飾されたその部屋の真ん中にキングサイズのベッドが置かれていた。
(最近は棺桶で寝ておらんな……)傍に置かれた棺桶を見て、そんな事を思う。
ス〜ス〜ス〜 「おい、いい加減起きんか」ペシッ
「ふえ?」 デコピンをされ、少し不満そうに起き上ったのは長い白髪の少女。
「何をしておる。もう既に8時を回っておるのだぞ、マリア」
「へ? まだ早い〜」
「全く、ねぼすけを嫁に持つと苦労するな」
「そんなこと言わなくてもイイじゃない〜」頬を膨らますその顔は確かにマリアであった。
5か月に及ぶ魔力注入と精の抜き出しは、彼女の身体つきを更に女性的にすると同時に一つの変化をもたらしていた。
それは髪の色の変化であった。
まるで彼女の人としての心が抜けて行くのを示すようにマリアの髪は色を失っていった。そして彼女が魔へと堕ちたその日、髪の色も完全に白く変色したのだ……
まるで銀髪のような髪を振り乱し、マリアは拗ねる。
「おなかすいた〜!」
おまけに性格も幼児退行したように我儘に……それまでのあまりに悲愴な世界から解放されたのだ。仕方のない事だと、エレナは思う。
「コレ、みっともない。貴族ともあろうものがはしたない事を言うでない」
エレナに無作法を咎められ、再び拗ねるマリア。
「イイもんイイもん! そんな事言うエレナには」
そう言って彼女はネグリジェを捲り上げる。
「コレ、あげないんだから」
ゴクリ、と、唾を飲み込む音が響く。
ネグリジェの中心、花園の上には……逞しい男のシンボルが聳え立つ。人であった頃より更に二回りは大きく成長したソレを誇張するマリア。
「お前という奴は……」ネグリジェを掴むと強引に下げ、そしてマリアの唇を奪う。
「ン……ク……」隙間から赤い筋が垂れる。口移しで血を分け与えたのだ。
「プハ! エヘヘ〜アリガト、エレナ」少し惚けながら、マリアはエレナを抱きしめる。
仕方ないなとエレナは溜息を付き、マリアをお姫様抱っこする。
「ワ〜イ、お姫様抱っこだ〜」無邪気にはしゃぐ恋人を、エレナは心底嬉しそうに見つめる。
「ほら、朝ごはんに行くぞ」
「ウン!」
「そうしたら、今日はタップリとお前をいただくからな。覚悟しておけ」
「イイヨ! だって私、エレナの事大好きだもん!」
「……そうか……」少し照れくさそうに頬を掻くエレナ。
階段を上る彼女の足取りは軽い。
二人の蜜月はまだ始まったばかり。

―おしまい―


ここまでありがとうございます。またも長文になってしまいました。
性的な表現は有りますが、実質エロは封印です。
この二人のエロスも書いてみたい気もしますが……
皆様のご意見如何によっては、頑張るかもしれません。

8/27 感想ありがとうございました。
   本当に拙い文章でスンマセン。
   改行もしてみましたが、上手くいった気がしないのは、何故?
   エロ有り続編は現在執筆中です。何時できるやら…

11/08/27 02:37 DOBON

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