連載小説
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デート/水族館
夏真っ盛り。
ニュースなど見なくても日差しだけで30℃を超えていることは分かる、そんな日。
駅前の広場には人が溢れている。


「髪、跳ねてないかな。」



鏡は無いので手に意識を集中させて自身の髪を弄る。男の名前は幸谷 泰華(さちたに たいか)。
今は恋人との待ち合わせをしていた。


「笑われないようにしないと…」


2個年上の恋人は自分のことをよくからかってくる。
一応、デートと称されるものなので格好つけては見たものの、寸前になって身だしなみが気になりだしたのだ。


「何してんだよ♪」


前髪をツンツンとした形に整えていると、突然声をかけられ、それと同時に後ろから頭をくしゃくしゃと撫でられた。


「わっ!待って待って!髪型が崩れます!」


慌てて両手を出し、頭に触れている大きな手の静止を試みるが、撫でているのとは逆の手に封じられる。曲がりなりにも成人男性の両手を片手で封じてしまう、そんな輩に小柄な泰華は成す術がなかった。


「茜華さん!ワックス付いてるんですから止めてくださいよぉ!」


必死に会話でストップを求める。
男は既に泣きそうな声を出す。精神的にも、さほど強くない小柄な泰華は、恋人である名里籐 茜華(なりとう せんか)に訴えかける。


「せっかく調えてきたのに…ボサボサじゃありませんか?」


とっさに、確認のため髪を弄る。
先ほどの堅苦しい印象だったものから、まとまりは無いが若者っぽくなった。それともカジュアルになったと表現するべきか。と言っても、どちらにしろ張本人の泰華には見えてないが。


「変に固まってた髪を梳かしてやったんだろう。ほら、格好良くなったぞ♪」


抑えていた泰華の両手を開放し、頭を愛でるのを止めた茜華。
それに乗じて泰華も流石に文句を言ってやろうと、後ろを振り返る。だが、恋人の格好を見てしまい口ごもることとなる。

茜華の格好は上が白と水色のボーダー柄タンクトップに下はポットパンツ。スニカーにレディースのベースボールキャップ。ショルダーバックを斜めにかけている。


「ん?どうした?」


女は少しニヤけた顔で聞き、赤い二つの目で泰華の瞳を覗き込もう近づいてくる。


「い、いえ何でもありません。」


キャップからはみ出た耳はピコピコと楽しげだ。

そう、彼女は人間ではない。

ヘルハウンドという魔物娘だ。
漆のように黒い肌、業火のように赤い目。大きな手足。頭の上についた耳。
人間に犬の特徴を持たせたような姿かたちをしている。
性格は基本、凶暴だと思って間違いないだろう。しかし、他の種族同様、現代社会に馴染んでいる、つまりは人間と共存しているので警戒する必要までは無い。

話を戻すと、人間にあるまじき肉体美を持つ茜華の格好は、ホットパンツでムチムチの太ももが強調され、タンクトップは大きな胸で張り裂けんばかりだ。
恋人故に、すでに裸を見ている泰華も中途半端に隠れている分、意識をして目のやり場に困ってしまう。


「ふーん、あたしはてっきりこの格好に欲情したのかと思ったぞ。」


妙に嬉しそうな顔をして泰華の耳元で囁く。
妖艶な感じを醸し出すも残念ながら、今の泰華には効いていない。


「エッチな格好って自覚があるなら自重してくださいよ!ほかの男の人たちも見られるんですよ!」


快晴の昼前。
もう一度言うが、駅前なので家族連れや学生のグループ、カップルと多くの人でごった返している。
その中でも肌は黒く、スタイル抜群な茜華は嫌でも目立つだろう。


「ん?嫉妬か?全く可愛い彼氏を持つと参るなぁ。でもさ、泰華だって髪の毛格好つけてたじゃないか。」


ククっと喉を鳴らす。今は無き髪型をからかっているのだ。

さてどう出てくるかな。さらに怒るか、それとも泣き顔で甘えるか。
茜華にはとにかく、泰華をからかうのが一つのライフワーク的なところがある。

しかし、ここは意外にも素直に行く泰華。


「…僕は嫌です。そりゃ、茜華さんは綺麗なんですからいくらでも言い寄られますよ。僕に勝ち目のない人が話しかけてきたらどうするんですか。」


本心、心からの。

ヘルハウンドの茜華は傍から見ても整った顔立ち、長身のスタイル抜群だ。放っておかない男はいくらでもいるだろう。
目に見えてテンションが下がる愛しい男。茜華は少し困ると共に、さらにからかいたくなる。
が、恋人の声のトーン的に今回はお預けだ。


「仕方ないだろう?あたしは暑いのが苦手なんだ。それにささやかながら腕っぷしはあるからな、問題ないさ。武器を持たれてても同時に15人くらいなら相手してやるよ。」


ニカっと笑い、泰華の頭を愛しい男を撫でるやり方で愛でる。
そして何よりも大切なことを付け加えた。


「でも、あたしのことを一人で相手しちまう男がいるんだよなぁ。ワイルドな髪型の。」


どこの誰だろうなぁと言って太陽のような笑顔を泰華へと向ける。
真剣に悩んでいた男の表情も多少柔らかくなるも、まだ不安は拭いきれていないようだ。


「…ちゃんと一緒にいてくださいね。」


意地の悪い恋人に念を押す、と同時に自分を撫でる手を取って恋人繋ぎにした。
ここで不覚にもときめいた茜華。いつもからかう側だがはっきりデレられると反応が少し鈍くなる。ドキッとしたのがばれないよう、別に何ら問題は無いんだが、話題を逸らす。


「ところで、今日はどこに行くんだ?」


「水族館です。町から少し離れてますが涼しいだろうし、茜華さん魚好きでしたよね!」


からかっていた相手は、暑いのが苦手で生き物が好きな自分のことを考えてくれていた。別に反省はしないがヤリすぎは注意だと自分に言い聞かせる。


「おう、ならさっさと行こう!頭上のあいつが核融合を起こして、あたしを苛めてくるんだ。」


「お日様に文句言っても仕方ないですよ。それじゃ、行きましょうか。」


茜華は太陽を指し、恨めしそうに言うと泰華を引っ張て駅の中へと歩いていくのであった。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


電車とバスに揺られて30分。二人の住む地域では大きめの水族館へ到着した。


「長かったなぁ」


対して長くない移動にコメントする茜華。
それほど長くはない時間だったので泰華は不思議に感じながらも、体の構造が違う恋人を気遣うことにした。


「どこかで休みますか?」


「おいおい、“休む”って、泰華。今日はデートなんだからな。もちろん最後は“ヤって”やるが、まずは水族館だぞ。“休む”のはそのあとだ♪」


ヘルハウンドは気の優しい泰華の反応を予測して、そのように言ったのである。からかわれた側は顔を赤くして怒った。


「僕そんなこと考えてませんよ!もう、茜華さんなんて知りません!」


同族民の平均に届いていない身長で、プンすか!というように怒っても、それは茜華には愉快の一言で片付く。
一人で入場ゲートの方へと歩いていく恋人を見て、ククッと喉を鳴らし茜華も後を追うのであった。


≪水族館≫

【水辺コーナー】

薄暗く冷房が良く利いていて過ごしやすい空間。

そこまで大きくはないが、たくさん水槽がある。
二人はとりあえずルートにある水槽を順番に見ていこうということで回り始めた。

序盤は小さな甲殻類や水辺に生息する虫のコーナーだった。


「僕、タガメとかゲンゴロウって初めて見ました。」


「そうなのか?」


「タガメ格好良いですね。」


「まぁ男はこう言うの好きかもな。サソリとかデザインでも使われてるし。ちなみに、タガメは獲物に消化液を流し込んで溶かしてから食べるんだぞ。」


「そ、そうなんですか…急に怖くなってきました。」


ホラーやグロテスクが嫌いな泰華は露骨に青くなる。茜華も今回は単に知識を出しただけなので、間髪入れずにフォローする。


「こういうの苦手な奴って想像力があるんだよな。よし泰華!前回の夜、あの時のあたしの格好を思い出してみろ!」


前に…夜…茜華さんの格好…。
ボッと効果音がつくくらい、泰華は顔を赤くする。


「今日もすごいぞ、なんたって…」


「つ、次いきますよ!」


慌てて次のコーナーへ向かう泰華だった。


【大水槽への道】

メインとなる大水槽の前はトンネル形式で、いくつかの水槽と大水槽の一部が窓の形式で見られるところだ。


「チョウザメってキャビアが取れる鮫ですよね!」


ここぞとばかりに得意げになっている泰華。


「そうだなぁ。そのおかげで乱獲されて今はかなり手厚く保護されてるらしいな。人間って勝手だよなぁホント。ちなみに、鮫っていってもチョウザメ科だから正確には鮫ではないんだ。」


「そうなんですかぁ。こっちのクエってのはデカいですね!」


「高級魚だな。重さは50キロにもなって天然ものだとすげぇ高いんだよ。あたしも一回しか食ったことないけど鍋にすると最高だ。」


「今度、一緒に食べに行きたいですね!」


「そうだな。冬が旬だから、またその時期になったらな♪」


他愛ない会話が、緩やかでゆったりとした時間を作り出す。
恋人繋ぎの手を前後に揺らし、ニコやかな雰囲気で進んでいく。


【大水槽】

泰華が無邪気に話題を作り、茜華は適度な知識を語る。基本はこんな流れで大水槽まで来た。
巨大な水の塊は、10メートルは超えているだろうガラスの向こうで様々な生き物を包み込でいる。


「デカい水槽ですねぇ。鰯がいっぱいいます。」


「まぁ、分かるだろうが1匹1匹じゃ簡単に捕食されるから群れで泳ぐんだ。」

まぁマグロなんかが突っ込んで、結局食べられることに変わりはないがな、と茜華。
泰華からほうほうと相槌が入る。


「だから魚辺に弱いなんですよね。」


「正確には稚魚の時に食べられるからとか、足が早いからとか諸説あるようだ。」


「足が早い?」


相槌役だった泰華から魚の足?と疑問が出てくる。
意味が通じていないようで、ん?と小首をかしげる恋人を茜華は愛しく思う。それと同時にからかいたくなるのが彼女だ。


「知らないのか?鰯ってえらで走るんだぞ。」


「えっ!そうなんですか!?」


もちろん、信じている泰華はリアルに驚く。
茜華を見る目がキラキラしており、その頭の中ではハゼのようなエラの発達した魚が、水面を走るトカゲのように全力疾走している絵が浮かんでいた。
単純すぎて、その映像が見えているかのような気分になる茜華は愉快愉快と言わんばかりにネタバラシをする。


「ぷっ、ククッ。ウソに決まってるだろ。腐るのが早いってことだよ。」


口を押えているが笑いが漏れている。
平日ゆえに人はそこまでいない。静かな空間を壊さないが、しかして、確実に小馬鹿にしているのが伝わってくる。

「…酷いです。」


純粋な心を弄ばれたことにグサリと傷つく。
そんな泰華の目には涙が。

茜華は根っからのサディストと言うわけではないが、からかった後の泰華の反応を見ていると下腹の当たりが疼くのを感じた。

今の泣き目にも少しゾクゾクしている。
しかしフォローを入れなければ、いじけた小さい頑固者の完成なので、ここで緩めることにする。
茜華もデートと言う体を壊してまで、欲望を満たそうとは思わない。


「すまんすまん、悪かったよ。ハゼみたいなのだっているもんなぁ。よしよし。」


人目を憚らず泰華を抱き寄せ頭を優しく撫でる。
こうすれば甘えてくるだろう、ある種の勝算を胸に行動を選択した。


「許してな。可愛い子は苛めたくなるんだよ。もちろん、苛めてるんではなく可愛がっているんだが♪」


こうして甘い言葉も添えてやれば完璧だ、とここまでは茜華の計算。


「茜華さん!僕恥ずかしいです、こんな所で抱っこしないで下さい!子供じゃないです!」


目の前の男は想像とは異なる反応で目の潤みが増している。
茜華はまた怒らせてしまったかと、計算が狂い若干焦るが…。
一転、泰華が大きめの声を上げる。


「あっ!茜華さん、あっち見て下さい!デッカい魚がいますよ!」


走っては危ないと小走りで目的の水槽へ向かう男。


「お、おう。んじゃ、行くか。」


聞こえているか怪しいが、なんだかバツが悪いので一応返事を返す。
これだけ切り替えが早いと自分がからかわれているのではないかと感じるヘルハウンドであった。


【熱帯水槽】


「このデカくて偉そうな魚は…」


「ピラルクーだな。最大で4〜5メートルになるのもいるらしい。」


さっきの涙はどこへやら。
若干焦った茜華だったが、機嫌が直ったならいいかと切り替え、すかさず情報を入れる。


「この手前の子、腰が曲がってますね。」


「4メートルくらいあるな。成長したが水槽が狭いのか、どこかにぶつけたかで骨が曲がったんだろう。」


「可哀想ですね…」


これまた分かりやすく泰華は落ち込む。
コロコロ変わる表情は茜華を楽しませるが、悲しい部類は必要ない。


「まぁ、先天性ってのもあるだろうしな。仕方ないさ。ほら、あっちにはペンギンが…」


茜華が話し終わるころにはそちらへ向かっている泰華。
少し行くとガラス越しに泳いでいるペンギンやラッコが間近で見られるコーナーがあった。



「茜華さん。皇帝ペンギンですって!大きいですね!」


「さっきから、デカいって感想が多くないか?まぁ良いけどさ、ペンギンは何といっても一夫一妻制って珍しい生き物なんだよ。」


「へぇ〜、純愛を貫くんですね!」


「少し声のボリュームを下げような。実際、繁殖期にはパートナーを変えるとかも聞くが…。あとこの水槽、上に開けてて外からも見えるみたいだな。」


「ぜひ行きましょう!」


ピンポーンパンポーン。
ここでイルカショーを告げる放送がなった。


「茜華さん!イルカショー行きますよね!」


瞬時に目的地が変わるが、茜華は泰華の赴くままについていくので全く問題ない。二つ返事で了承する。


「そうだな。定番だし、行ってみるか。あたしはその前にお手洗いに行くが、泰華はどーする?」


「僕は良いです。あっ、荷物は持っておきますよ。」


当然だが、普段は茜華にベタベタな泰華も流石にトイレまではついていかない。茜華のショルダーバックを預かり、先にイルカショーへ向けて歩いていった。


「さっさと終えて合流するかな。」


泰華と別れてトイレへ向かった茜華。
用事を済ませ、案内板にて外に抜ける一番早い道を探す。
すると子供の声が聞こえてきた。



ママぁ〜、どこぉ?ママぁ〜。


「…」


あぁ〜、もう。仕方ねぇな。


【イルカショー】


『次に三匹同時でジャンプしまぁす!見事成功したら大きな拍手お願いします!!!』

ざっぱぁ〜ん。瞬間に会場全体に拍手が爆発する。
しかし、全く反応していない男が一人。


「茜華さん、遅いなぁ。薄着だったし冷えちゃったんじゃないかな…」


スマホを取り出そうとして気づく。茜華のショルダーバックを預かっており、恐らく自分が二台所持していることに。

目の前でイルカ達は縦横無尽にジャンプし、道具を使用した芸を次々披露している。
だが、泰華の頭は茜華のことでいっぱいだった。



『今日はお越しいただいて本当にありがとうございましたぁ!またいつか、皆さんに会えることを心よりお待ちしております!!!』

司会進行の女性が深く頭を下げると最後の拍手が始まる。
ついに、茜華はショーの時間内に現れなかった。


ショーが終わると見物人たちは一斉に動き、イルカと写真撮影をするために並んでいる人達がいる。
その中で泰華は茜華を探していた。単純に自分を見つけられていないだけか、でなければ具合が悪くてどこかで休んでいるのかもしれない。
最悪のことが浮かぶが、茜華は自分より賢く体も強い。


「大丈夫だ、きっと」


とりあえず、館内を探すため案内板でトイレの位置を確認していると聞きなれた声で名前と呼ばれる。


「すまん!泰華!」


血相を変えて、実際には肌が黒いため表現があっているかは分からないが、茜華は泰華へと近寄る。
息を切らせて、肩で呼吸している。


「茜華さん!具合は大丈夫ですか!?」


まさに体調を崩した恋人を想像していたため心配が漏れ出る泰華。しかし、茜華は息を整えながら、勢い良く否定する。


「すまん、本当にすまん!あたしは大丈夫なんだ。実はトイレの前に迷子がいてな…」

案内係に預けてすぐに来ようと思ったんだが…。その子が、あたしが離れようとするとぐずっちまってさ、関わった以上中途半端にできなくてな。

「悪かった。」


ここでの謝罪は単純なものではない。
髪型のこと。ウソをついてからかったこと。意図していないとはいえショーを一緒に見れなかったこと。先ほどは流れに救われたが、これは本気で怒られても仕様のないことだと覚悟を決める。


「親御さんは見つかったんですか!?」


想像とは斜め上の、しかも質問が飛んできた。茜華の思考は一瞬止まるが、難しい問題ではなくすぐに答える。


「あ、あぁ。親は外まで探しに行ってたみたいで。館内で警備員伝えに連絡が来て、あとはすぐだった。」


「なら、良かったです!」


目の前の男はホッと胸をなでおろしていた。
恋人の表情からは安堵以外見受けられない。ただ一人、気分的に落ちない茜華は付け加える。


「…怒っても良いんだぞ?仕方がなかったなんて言い訳はしない。」


他にも人が大勢いたため、茜華がわざわざ関わらなくても、別に周りの人が助けるだろうという選択肢を取ることもできた。
子供がぐずったのを無視すれば半分近くは一緒にショーを見れただろう。



「そんなこと言わないでください。僕はそこで助ける方を選んでくれる、優しい茜華さんを好きになったんです。」


イルカショーは全く頭に入って来なかったですけどね、と泰華は苦笑する。
ここで泰華がショーを楽しんでくれていればそれで良かったが、そうではない裏も取れてしまった。


「…はぁ」


大水槽前の時とは違う意味での抱擁。
泰華は抱かれると身長の差的に茜華の胸に顔がくる。したがって、茜華の顔は見えない。
だが、あまり色々なことに敏感ではない泰華も流石に感じる恋人の反省。罪悪を感じている恋人に何もしないのは男ではないだろう。


「次、いきましょう。僕、茜華さんとクラゲ見たかったんですよ。」


とびきりの笑顔で茜華を見上げる。


「そう、だな。挽回しないとな。ショーだって日程的にまだあるだろうし。」


そう言って館内へと向かう二人。
ただ、イルカの健康診断でその日のショーはもうないということは、張り紙によってすぐに知ることになったのだ。



【クラゲ水槽】

今にも蕩けそうなフワフワした生き物は、大小さまざまに水槽で揺らめいている。より薄暗い環境で恋人達にとって、雰囲気は最高だろう。


「綺麗ですね。なんか少し前からクラゲ流行りですよね。」


泰華も恋人ときているため、もちろんロマンチックな雰囲気を楽しんでいる。
一方、今日はもうショーを見ることができないと知ってか、恋人には声が届いていなかった。


「茜華さん?」


泰華は、普段自分より歩くのが早い、後ろにいる恋人に声をかける。


「ん?どうした?」


呆けているわけではないが、やはり上の空。
思考は目の前の幻想的な生き物ではなく、はたまた恋人の声かけでもなく、あの場での最善の選択肢はなんだったのかという一本だった。
子供も泰華も、もちろん自分も傷つかない最善。今思いついても意味のないことだが考えずにはいられなかった。


「僕は大丈夫ですから、元気出してください。」


泰華は小さい声でそういうと自分の後ろで悶々とした表情の、愛しいヘルハウンドの手を取る。
そして再び恋人繋ぎの形をとり、話続けた。


「僕、これ以上落ち込むなら怒りますよ。今、一緒に居るんですからそれで良いじゃないですか。自信満々な茜華さんで、自信のない僕をからかってくれる茜華さんで、こんな僕でも一緒に居てくれる茜華さんで。僕はそれで充分なんですから。」

そんなに落ち込んだら迷子だった子も可哀想じゃないですか。せっかく困っている人を助けて、茜華さんに大事がなかったんです。僕はそれで良い。

「…そうだな。泰華がこんだけ言ってくれてんのに情けないな。」


茜華は真っすぐ泰華を見ると目が合う。
その場の雰囲気もあって、泰華は照れながら微笑みがちに言う。


「情けない茜華さんも好きです。ギャップ萌えってホントにあるんですね!」


普段あまり言わないことまで言って慰めてくれる小さい恋人。その気持ちに答えようと大きなヘルハウンドも切り替える。


「そんなこと言う奴は今夜ベットの上でもっと情けない姿にしてやろうかぁ♪」


繋いだ手を引っ張り、体を寄せ合う。照明が薄く暗くさっきよりは目立ってないだろう。
クーラーの効いた空間でも間違いなく温かい。


「それも良いですけど今はデートを楽しみましょう。」


握った手に力を込めて泰華は言った。


「もちろん♪」


やっと振り切った茜華に泰華も安堵する。せっかくのデートで誰も気にしていないことを悩んでいる茜華。それは泰華のことが大切ゆえ、愛されている本人が一番理解していた。


「で、クラゲってなぜ流行ってるんですかね?」


泰華は再び先ほどの質問を投げかける。
もちろん、答えは先ほどと違う元気な声で返ってきた。


「あ〜、それはな、日本で潰れそうになっていた水族館がクラゲでギネスを…」


ーーーーーーーーーーーーーーーー


二人はそのあと、遅めの昼食を取り、早いものでもう生き物のコーナーは終わり、残りはお土産が並ぶ物品コーナーだけだった。


「何買いますかねぇ、迷っちゃいますよ!」


既にタガメのシールにピラルクーのぬいぐるみを抱え、なおも目移りしている泰華。


「ほどほどにしとけよぉ。」


苦笑しつつ、はしゃぐ恋人を見守る。
茜華も商品の棚をゆっくり眺めていると後ろから元気な声をかけられた。


「おねぇちゃん!」
「先ほどは本当にありがとうございました。」


元迷子とその母親であった。


「さっきはありがとう!」
「お礼も言えないままですみません。」


「いや、私も急いでたし、気にしないでください。」


先ほどは母親が見つかった途端、茜華は人にぶつからないよう全速力で、人ではないヘルハウンドの全速力、駆けだしてしまっておりお礼などは言われていなかった。
茜華自身、別に自分の好きでやったことだと理解しておりお礼など欲していなかった。


「茜華さぁん!良いもの見つけましたよ!」


ふっと泰華がこちらへ来た。


「あっ、旦那様、先ほどは奥様にお世話になりまして。本当にありがとうございました。」


「えっ、旦那?ぼ、僕は、そのただの恋人で。あっ!お母さん見つかって良かったねぇ。」


笑顔で子供に語り掛ける。ありがとう!と返ってきた屈託ない笑顔に泰華も満足げだ。
それもつかの間、あっ!パパトイレから出てきた!と子供が駆けていく。


「ちょっと待って!で、では、重ねてありがとうございました。失礼いたします。」


母親も父親に合流し、何かを話す。すると男も申し訳なさそうにこちらを向いて頭を下げた。茜華は軽く手をあげ、それに答える。
そして泰華の方へ眼をむけた。
泰華はまだ子供に手を振っており、そして何の考えも打算も無い率直な感想を述べる。


「子供さん可愛いかったですね。茜華さん本当にいいことをしましたねぇ。」


うんうんと勝手に感慨深くなっている男。
慰めではなく、単なる称賛にむず痒さを感じ話を逸らす茜華。


「そーいや、さっき何を見つけたんだ?」


泰華に何を持っているのか尋ねる。
するとこれまた満面の笑みで見せてくる。


「皇帝ペンギンストラップです!」


手の上には二つのキーホルダー。
デフォルメされた二匹のペンギンがハートの片割れを持っている。一方は眉が濃く、一方はまつ毛が立っている。シンメトリーになっており合わせるとハートができるというものだ。


「純愛まっしぐらな僕と茜華さんにぴったりです!これ二人で付けたいです!」


これ以上なく、喜んでいることが分かる。普段なら恥ずかしいことを大きな声で言うなと静止を試みる所だが今は違う。
断れるはずもないし、理由もない。


「それ良いな!じゃ、私がこっちかな。」


そう言って眉が濃いほうをとる。暗に女々しいと言われた泰華は例によって意味のない反発をするのであった。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



閑散としている帰りのバス。
隣り合って寄り添っている二人は小さな声で話す。


「楽しかったですねぇ。僕、幸せです。」


「そりゃ良かった。でもホントにショーのことはごめんな。」


そう言って泰華の頭を寄せ、撫でる。


「そうですよ。僕許してないんですからね。」


肩に頭を乗せた小さい男は上目使いで茜華を見上げる。


「だから、また必ず来ましょう。他にも動物園に遊園地。温泉も良いですね。海外は…僕、言葉通じないの怖いです。」


残念そうにいう泰華に苦笑する茜華。


「私がどうにかするさ。泰華は楽しんでくれればいいんだ。そんな泰華が見れればあたしも幸せだし。」


自分より小さい手を握り、話を続ける。


「今日のも良い思い出だが、こんなもんじゃ無いからな。もっともっと幸せにしてやるぞぉ。覚悟しろよ♪」


そう言って笑いあう二人。
バスの動きにつられ、2匹のペンギンも揺れているのだった。
21/08/03 17:28更新 / 1783
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■作者メッセージ
一話目です。そうです、だいたい頭の悪い甘々で進みます。お付き合いいただいた方、本当にありがとうございました。
また次もお願いします。

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