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第十五話『交拳』
 キサラギの右腕の輪郭がわずかに歪んだのを目視したのと同時に、五指をまるで肉食獣の爪を真似るかのように開かせながら彼へ襲い掛かった何人かのアマゾネスが宙で意識を失い、一斉に地面へと落ちる。グッタリとしている彼女達の形の良い顎には小さな痣が刻まれていた。
 彼は四方八方から襲ってくるアマゾネスらの拳打、蹴撃を逸らし、弾き、躱し、自分に触れさせない。そうして、最小限の力で彼女達の体制を崩し、その一瞬で自分の攻撃を急所へと叩き込む。
 魔王軍勇者部隊、そして、騎士団で教わった乱戦を制するコツは四つ。
 一つ、大振りな攻撃はなるべく繰り出さず、極力、コンパクトに纏める。
 短く息を吐き、肋骨の隙間に貫手を食い込ませるキサラギ。鍛え抜かれた指の先で、肺を強打されて酸素を強制的に抜かれたアマゾネスはその場に膝を落としてしまう。
 一つ、一人だけの動きを捉われず、視界に入りきる相手の目だけを見て、一手先だけの攻撃を読み透かす。
 自分の軸足を額が地面に擦れそうなほど低いタックルで刈りに来たアマゾネスの顔面に、どんピシャなタイミングのカウンターで膝を叩き込んだキサラギ。続いて、突っ込んできた二人目の放ってきた跳び回し蹴りを半身を開いて避けた彼は、宙でバランスを崩した彼女の鎖骨を振り下ろした手刀でヘシ折った。
 一つ、大技を繰り出していいのは、十分に敵の数と士気を削げた時、もしくは、窮地を引っ繰り返す時のみ。
 さすがに密林の戦士、アマゾネス。スタミナが半端じゃなかった。生半可な攻撃では意識を切れず、倒れようともすぐに立ち上がって襲い掛かってくる。度を越えて、心身が予想以上に頑丈なアマゾネスに驚きつつ、キサラギは更に速度を上げる。
 三本指での目潰しを危なげなく避けた彼は、ガラ空きの鳩尾へと肘を手首が内側に捻れるようにして叩き込んだ。
 「疾っ」
 胃液を撒き散らした仲間を目隠しにし、脇腹狙いのミドルキックを放ってきたアマゾネスの左足を難なく掴んだキサラギ。
 彼はニヤリと笑うと、アキレス腱固めを立ったままで決めた。当然、とんでもない激痛が頭で一気に駆け抜けた彼女は悲鳴を上げてしまう。
 「$(#=ΘдΘ>>ШΠ!?!」
 しかし、甲高い悲鳴を聞かされた程度で、攻撃を切るほどキサラギは甘ちゃんでない。更に、口の端を吊り上げた彼は半ば悶絶してしまっているアマゾネスの足首を指が食い込むほど握り締める。当然、骨は軋み、彼女は意識を手放してしまうが、彼は右手だけで力任せに気絶した彼女を振り回し、周囲のアマゾネスを次々と殴り倒していく。
 一つ、もっとも大切なのは自分の強さを1gとして疑ったりしない事。
 わずかに息を乱したキサラギは、全身痣だらけになってしまったアマゾネスの足首を離すと、残っている最後の一人に汗一つ滲み出ていない顔を向けた。
 イスヒス族ナンバー3に君臨しているアマゾネスの、キサラギを見つめる瞳には剣呑な光が輝いている。
 変色しきった無数の傷で覆われている、アマゾネスの身体から滲み出ている、これまでの者とは格の違う危険な雰囲気に肌を打たれたキサラギ。
 彼は楽しそうに喉を鳴らし、気持ちを改めて切り替えるように乱れた髪を撫で付けた。
 「我が名はリンセ。行くぞ、異国の強き男よ!!」
 リンセが先に攻撃を繰り出してきた。
 キサラギはギリギリで彼女の放った右フックを避けたが、拳圧で頬がザックリと切られてしまい、血潮が舞った。
 リンセは自分の頬を汚した彼のまだ熱い血を舌先で舐め取った。
 一旦、体重を感じさせないステップでバックしたリンセ。
 次の瞬間だった、彼女の怒涛の連続打撃が幕を切ったのは。
 四肢全てを使って急所を容赦なく、半瞬すら止まることなく攻撃してくるリンセ。キサラギは彼女の攻撃を避けるので精一杯で、反撃に転じる事などまるで叶わない。
 リンセの剃刀を思わせる拳が、キサラギの肌を切り裂いていき、彼の服へ次第に大きな赤い染みがいくつも出来上がっていく。
 血が止まりかけていた頬の傷も再び開かれてしまい、先程よりも派手に血が跳ぶ。
 鋭い痛み、反撃に転じる事が叶わないストレス、また、歪んだ高揚感が、彼の頭に登り出していた血を熱くさせる。
 そして、キサラギの中で張り詰めていた一本の糸が静かに切れてしまった刹那、彼の視界が一変した。
 彼を中心に、全ての生物、無機物の動きが凍りついたように停止したのだ。
 もちろん、本当に『凍って』しまった訳ではない。背中を焼かれるような極度の緊張により、肉体の限界を一時的に超えて、精神が加速状態に入った事により、逆に周囲の動きが止まって見えるようになる、超一流のアスリートに起こる「ゾーン現象」が今、キサラギにも起こっていた。
 この現象に突入しているのは、緊張が良い意味で高まりきった当の本人だけなので、周囲の者がこの世界を見る事はできないのだが、もし、鮮明に見られるのなら、止まっているのではなく緩やかに動いている事を確認できるだろう。
 これまでの訓練や戦いで、これに近い感覚に陥った事が一度や二度ではないキサラギだったが、『止まって』見えるのは初めてだった。
 だが、驚いている暇は半瞬すらないと経験で知っているキサラギの肉体は弾丸よりも疾く相手に迫る。
 自分の喉を狙って突き出されていた右腕に左の掌を軽く押し当てて軌道を逸らすのと同時に、リンセの懐へと長身を丸めるようにして潜り込んだキサラギは、右の肘で無防備な彼女の顎を一切の躊躇なく打ち上げた。
 まともに顎を肘で打ち抜かれてしまったアマゾネスの脳が揺さぶられ、頭蓋骨の内部に幾度も叩きつけられる。
 自分が攻撃を食らってしまった事も気付かぬまま、彼女は意識を奪われ、地面に大の字を描くように倒れ伏した。
 最後の一人を倒したのと同時に、キサラギの視界が元に戻る。瞬間、熱した針を脳に突き刺されたような激痛に襲われた彼は「ぐっ」と低い呻き声を漏らしたが、勝者の意地で膝を崩さずに立ち続けた。
 「さて、あっちはどうなったかな」と、頬の血を指先で拭い飛ばし、白い湯気が立ち昇っている肩を大きく上下させながらキサラギが視線を、レムとパンティラスへと向ければ、彼女達のタイマンもクライマックスを迎えようとしていた。
 何度目になるかも判らぬ、クロスカウンターが決まり、今までになく上体が反れ、二人は何歩か後退してしまう。
 それでも、勝つのは自分だと出せない声を大にして叫ぶようにギリギリの所で踏み止まると、今度は蹴りを繰り出す。
 「ああああ」
 「アアアア」
 レムの右ミドルキックはパンティラスの左側の肋骨をヘシ折り、パンティラスの左ハイキックはレムの顎骨に亀裂を入れた。
 足跡だらけの地面を血反吐が汚す。
 既に足元があぶなっかしい二人は満身創痍の肉体に残っている、わずかな体力をこめるようにして拳を固めようとした。
 しかし、レムも、パンティラスも、半端に指を折り曲げた所で動きが止まった。
 二人は脊髄反射すら起こらないくらい、力を使い果たしていたのだろう、咄嗟に腕を出して体を支える事すらできず、顔面から地面に突っ込んでしまう。 上がった鈍い音に、ネムルは眉を顰めてしまう。
 しばらく経っても、彼女達は起き上がっては来なかった。
 「――――――・・・・・・相打ち(ダブルノックアウト)か」
 「良い勝負であった。久しぶりに心臓が昂ぶった」
 ネムルの感慨深げな台詞に、キサラギは肯き返す。
 「青年、貴様も中々、出来るな。
 今日、ここに連れて来ていたのは我が部族の中でも、一等に腕が立つ戦士ばかりだったんだがな」
 たった一人の、しかも、何の武器も使わなかった青年に完膚なきまでに負かされ、地を舐めている戦士たちを彼女は少々、残念そうな面持ちで見つめていたものの、ふと視線を上げて傷の具合を確かめているキサラギに声をかける。
 「だが、この『ニホントー』を使えば、もう少し楽に勝てただろうに。
 どうして、わざわざ自分に不利な状況を貫いた、終いまで」
 キサラギがどんな答えを返してくるか、実際には見当が付いていそうな笑みを浮かべているネムル。彼女のそんな態度にキサラギは一瞬だけ苛立ちかけたが、無言でいるのも気分が悪いと思ったのか、彼女を見ないまま獣が唸るような声で答えた。
 「メインの二人が素手でやってるんだ。
 俺が得物を使ったら、示しが付かない」
 「やはりな」と言わんばかりに笑みを濃くしたネムル。馬鹿正直に答えてしまった自分が恥ずかしくなった彼は、それを誤魔化すように低い舌打ちを放つ。
 「さて、本来なら、敗北の味をじっくりと噛み締めさせて自省を促したい所ではあるが、そう言う訳にもいくまい」
 やれやれ、と肩を回しながら腰を上げたネムル。
 そして、彼女は肺いっぱいに息を吸い込むと、腹の底から声を出した。
 「皆の者、起きよっっっっ!!」
 雷鳴にも似た、ネムルの大気を烈しく打ち震わせた『一喝』。
 ネムルの声に打たれ、身を一つ、大きくブルンと震わせたアマゾネスらは、起き上がる速度に個人差こそあったが、一人また一人と立ち上がりだした。
 キサラギは、再び輿に座ったネムルを、驚愕に目をコレでもかと見開いて見つめてしまう。
 (おいおい、『力ある言葉』まで使えるのかよ、このオバさんはよぉ)
 言葉に魔力を籠め、勢いのある声として放つ事により、その言葉を聞いた者を強制的に命令に従わせる事が出来る、魔術とも呼べないし、術の名すら付けられていない力技。
 キサラギはこれを実際に使える者は、騎士団の隊長・シンセロしか知らなかった。
 単騎での殿を引き受けた彼女は「跪け」と言う一喝で、追撃の任務を負っていた教団軍の百人近い兵士を一斉に跪かせたのだ。シンセロの命令を無視して、彼女を助勢すべく戻ってきたキサラギもその瞬間、地面に膝を落としてしまった。距離があったからか、さすがに額を地面に擦り付けるような様にはならず、数秒もしない内に立ち上がれたが、ただの一喝だけで敵を止めて見せたシンセロを、彼は息をするのも忘れて、熱い眼差しで見つめた。
 自分を恋愛の対象ではなく、超えるべき敵に近い『存在』として見ているキサラギに気付いたシンセロは呆れ果てた。
 城へと戻り、魔王に今回の顛末を説明した後、シンセロは自分の命令を無視して戻ってきたキサラギを修練場へと呼び出し、石畳の上に正座をさせた上、彼の逞しい両肩にミノタウロスやグリズリーですら五分で音を上げる重力魔術を施して、懇々と説教をした。
 その間、彼は全身の骨を押し潰されるような鈍痛に耐えて汗だくになっていたが、作りの整った顔に浮かんでいる表情は厳しかったが、少なくとも苦痛の色ではなかった。
 ようやく、説教が終わったとなるや、キサラギは逆に疲れ果てているシンセロに詰め寄り、あの一喝についてしつこく聞き始めた。
 彼女はお前にはまだ速いと怒鳴り返そうとも思ったが、ここで退いたって他のメンバーにしつこく尋ねるだけだろう、と半ば諦めて、溜息を低く吐き出した。シンセロは『力のある言葉』について説明をしてやった。
 そうして、最後、拳を握って肩を震わせているキサラギにこう言ってやった。
 「まぁ、お前は人間としては、相当、筋が良い方だ。
 このまま、惜しみない研鑽を続けていけば、六十を越える頃には使えるようになるだろう」と。
 言葉の内容と声の抑揚で、相手に幻覚を見せ付ける術はあるが、それは実力の劣る者にしか通用しないし、運よく、自分と大して変わらない実力の持ち主を幻術に陥らせる事ができても、すぐに破られてしまう。
 しかし、この『力ある言葉』は相手の心に一瞬の隙さえ出来ていれば、確実に決まる。そもそも、前述の通り、『力ある言葉』は相当な実力者にしか使えないので、前提が正しくないのだが、自分より強い者にも、発する内容によっては有効となる。
 「ん? どうした、呆けた顔で」
 「いや、久しぶりに聞いたと思ってよ」
 苦笑いを浮かべながら、キサラギは未だに痺れている脳を鎮めるように頭を擦る。もし、リンセにこれ以上の傷を負わされていたら、言葉に籠められていた魔力に打たれたショックで、周囲のアマゾネスとは逆に起きれなくなっていたかも知れない。
 「ほぉ、やはり、世界は広いな。
 私以外にも使い手がいるのか」
 「ま、今ん所、俺も一人しか知らんが」
 「種族は何だ?」
 「デュラハンだよ」
 「なるほど。奴等なら使えても不思議ではあるまい。
 以前、剣を交えた事があるが、実に楽しい苦戦を強いられた」
 そう笑い、ネムルは胸当てをわずかにずらし、右の乳房に残っている刺し傷を、キサラギに見える。
 「これは、その時の名誉の負傷じゃ。
 ちなみに、私は奴の右脇腹を切り裂いてやったがな」
 そう笑い、自分の脇腹を「ザクッとの」と言いながら指でなぞった彼女の勝気な言葉に、キサラギは一瞬、ドキッとさせられる。
 (右脇腹の前から横へ斜め上に走ってる刀傷って・・・まさか、隊長か?)
 キサラギはシンセロに何度も負けを喫している。その敗戦の歴史の中には、寝技勝負もあり、彼はシンセロの体に刻まれて、重なりすぎて変色している傷を何度も見ている。
 確かに、シンセロの右脇腹には、ネムルが指を動かした通りの傷が薄くではあるが残っていた。
 元々、幼い顔立ちではあるので年齢不肖な所もあったデュラハンではあったが、他のメンバーから教えてもらった話から考えれば、同年代と思われるネムルと一戦を交えていても、何ら不思議ではない。逆に、『力ある言葉』を使える域に達しているアマゾネスと、武者修行で世界を巡っていたと言うシンセロが戦っていない方がおかしい。
 (強者は強者を知る、って訳だ)
 「男、本来なら、村に入っていいのは我等の婿となる者だけだが、お前はこれだけの戦士を相手にして、見事に武器を使わず勝った。
 よって、特例で入村と滞在を許可しよう。
 ゴーレムともども、ゆっくりと体を癒すと良いだろう」
 「あざっす」とキサラギは頭を深々と下げる。そうして、彼はぐったりとし、瞼が完全には閉じきっていないレムを背負い上げ、村へと戻るアマゾネスたちの後ろを歩き出した。
11/12/16 17:36更新 / 『黒狗』ノ優樹
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読んでいただけるだけでも十分ではありますが、感想、心よりお待ちしてます

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