連載小説
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第十六話『酒宴』
 「・・・・・・・・・」
 右の瞼だけを緩慢に上げたレム。
 (頭部、オレンジ、腕部、イエロー・・・脚部、イエロー・・・胴体部、オレンジ・・・動力部、イエロー)
 自身の満身創痍ぶりを確認した彼女は、ヒビだらけの体を軋ませながらベッドの上で体を起こした。指を動かす度に、ギシギシ、ビキビキと鈍い音が関節部から漏れ、塗装が剥がれ落ちていく。
 空気の質感や温度から現在は夜である事を確かめたレムは、電源が落ちてしまっていた間にズレてしまった体内時間を調節する。
 (私は二日半も・・・・・・)
 愕然としつつ、レムは周囲に一本だけの視線を巡らせた。
 ゆったりとした広さのある部屋の中には、調度品は最低限の衣服を入れる為の蔓で編まれている小さな棚と、素朴な味が出ている、足を伸ばして食事をするのに適した高さのテーブル。
 そして、窓際にはキサラギが枠に腰を下ろして、陶製の猪口を傾けて酒を飲みながら、星一つ浮かんでいない夜空で唯一、淡く儚い光を弱々しく放っている弓にも似た三日月を愛でていた。
 月を肴にして酒を飲む、ただそれだけの姿が、実に絵になる男だった、キサラギは。
 (何て綺麗な横顔)
 体の芯にまだ残っているダメージから来る、『痛み』を示す不快な電気信号すら遮断されるほど、キサラギにレムは見惚れてしまう。ダメージが抜け切っていない頭部に熱が篭もってきてしまったのを感じた彼女は慌てて、手で頭を扇ぐ。
 「ん? 目、覚ましたのか・・・・・・何やってんだ、お前、起きて早々」
 熱っぽい視線にくすぐったさを覚えたのか、猪口にサファイア色の酒を注ぎつつ、レムの方に顔を向けたキサラギは彼女が体を起こしているのに気付いて口の端を緩めるも、激しく手を動かしているのを見て、訝しげに眉根を寄せた。
 「い、いえ、何でもありません」
 「そうは見えないがな・・・もう大丈夫なのか、起きて」
 枠から腰を上げたキサラギは猪口と酒瓶で両手を塞いだままで、居住まいを正そうとしているレムに寄る。
 「はい、大丈夫っっ」
 答えを返そうとした途端、胸部と大腿部に貫かれたような痛みが駆け抜け、レムは元より白い顔を更に青くして、口許を醜く歪めてしまう。
 「あんま無理するな。横になってろよ、レム」
 猪口を空にしたキサラギは、首を横に振ろうとして余計に歪みを強くした彼女の肩をそっと押して、ベッドに強引に横たわらせる。
 「本来、自分よりも大きい岩すら砕く、アマゾネスの一撃必砕のパンチを、あんだけ貰っちまってるんだ。
 ダメージが残ってて当然だ。一応、外面の大きな疵は塞いだが、内部は俺の技術じゃ下手には弄れなくてな。
 どうだ? 手持ちの道具だけで修復できそうか?」
 「はい、問題ありません・・・ですが、一日二日では」
 レムが申し訳無さそうに顔を伏せると、ござを敷いた床に胡坐をかいたキサラギは「気にするな」と微笑み、酒が縁に留まって危なげに揺れている猪口を傾ける。
 「ここの長は、何日いても構わないって言ってくれてる。
 これからの旅に支障が出たら困るからな、むしろ、じっくり丁寧にやってくれや」
 彼の淡々とした調子での言葉に、顔をハッと上げたレムは息が詰まってしまう。そうして、しばらく逡巡してから、彼女は意を決し、声を震わせながら彼に尋ねた。
 「マスター・・・私は、これからも、お傍にいても、構わないのでしょうか?」
 そんな問いをぶつけられたキサラギは一つばかり、小さな溜息を漏らして酒瓶を床に置く。その「カタン」と言う音にすら、俯いたレムは肩を大きく揺らしてしまう。
 「レム、面ぁ、上げろ」
 キサラギにそう言われても、レムはじっと俯いたままでいたが、もう一度「上げろ」と語気を強めて言われ、そろそろと顔を上げ、申し訳なさ気に彼と目を合わせる。
 勝ちもせず、負けもせず、ただ自分が出せる全力を惜しまずに出し切ったロトス・レマルゴスを見るキサラギの目こそ厳しかったが、表情はいつになく穏やかで、瞳の奥には優しそうな光が確かに灯っていた。
 「今回ばかりは、勝ち負けは大して関係ねぇ。
 本気で戦ったお前を誰も責めない。
 何度も言うが、俺はお前の主人じゃない、相棒って関係だと思ってる。
 だから、お前はお前のしたいようにすればいい。
 俺はお前が出した答えを肯定も否定しねぇよ」
 そう笑い、立ち上がったキサラギは再び、酒瓶を手に窓際へと戻っていく。
 彼が窓枠に腰を下ろすまで、グッと唇を噛み締めたレムは声を腹の底から絞り出すようにして発した。
 「私は、この体が壊れてしまうまで、貴方と一緒にいたい」
 しかし、キサラギは先の台詞通り、レムの言葉に対し、首を縦にも横にも動かさなかった。ただ、「お前はお前の好きにしていいんだ。生きるも死ぬも、戦うも逃げるも、お前の自由だ」と氷のような鋭い冷たさが滲む横顔をまるで動かさずに呟いただけだった。
 レムは、偶然とは言え、自分を『目覚めさせ』たマスターとしての責任などまるで抱いていない、投げ遣りにも見える、キサラギの態度にもショックを受けた様子もなく、姿勢をベッドの上で正し、「これからもよろしくお願いします」と丁寧に頭を垂れた。
 やはり、キサラギはうんともすんとも言わずに、月を見上げて酒を静かに飲むだけ。
 気は済んだと言うように緊張を解いたレムへ、キサラギは唐突に言葉をかけてきた。
 「さっさと眠って、体力を回復しちまえ」と温かな響きが篭もった優しい声で。

 翌日、キサラギはリンセに、集落を案内してもらった。
 彼自身はレムの修理を手伝う気でいたのだが、頬を赤らめた彼女に「内部構造を見られるのは、いくらマスターでも恥ずかしいので」と半ば追い出されるような形で部屋を後にさせられてしまった。
 集落でもトップクラスの戦士に勝った事、また、昨日の内にネムルが「手出し無用」の命令を下してくれていたのか、アマゾネス達はキサラギに対して、友好的な態度で接してくれた。
 自分達の恋人、女房を痛い目に遭わされた男衆はさすがに敵意を剥き出しにしていたが、キサラギに負けたら酒の一気飲みと言う罰ゲームを設けた腕相撲勝負を持ちかけられ、善戦も空しく全敗を喫して毒気を抜かれたか、最終的には十年来の友人のように下世話な話の華を咲かせていた。
 一時間も経たない内に、男衆と打ち解けてしまったキサラギに改めて脱帽させられたリンセ達は酒宴を開き、部族に伝わる淫靡な舞踊を彼に惜しげもなく披露した。
 途中、我慢できなくなったキサラギも踊りの輪に飛び込み、宴は更に盛り上がった。

 昼過ぎ、キサラギと片手で数えられる者だけが潰れずに酒を酌み交わしていると、ネムルの使者が彼を呼びに来た。
 冷水で顔を洗って、久しぶりに火照った頬を冷やし、体内の酒気を綺麗に抜いたキサラギは集落の中心に建てられていた、ネムルの邸へ足を運んだ。
 部屋に通されたキサラギは胡坐でネムルが来るのを待つ。
 十数分が立ち、退屈さを覚えたキサラギが皿に盛られていた果物に手慰みで飾り切りを施していると、湯上りと思わしきネムルがやってきた。
 「ほぉ、器用だな、見掛けに似合って」
 「こんなのは練習次第さ」と照れ臭そうに笑ったキサラギは、皮に虎を彫りこんだ林檎を宙に放り投げ、ナイフを素早く走らせた。その林檎は皿に落ちる寸前で、十六に割れ、大輪の花に広がった。思わず、周りのアマゾネスが感嘆の声を漏らしてしまい、慌てて口許を手で隠す。
 「随分と盛り上がっていたな」
 「久しぶりに気持ちいい酒を飲んだ」
 「それは良かった」と嬉しそうに微笑んだ彼女は、「まだ飲めるか?」とキサラギに尋ねた。「あんま強いのはゴメンだぜ」と彼が答えるとネムルは「では、軽めの物を持ってこさせよう」と手を打った。
 しばらくして、侍女がパイナップルの形をした酒瓶を乗せた盆を手にやってきた。音も立てずに緩やかな足運びで彼女はキサラギの傍らに近づき、そっと腰を下ろす。
 「どうぞ」
 「あざっす」
 小さく頭を下げ、キサラギは侍女に酒を注いで貰う。今一度、「あざっす」と礼を口にした彼は透明の液体を一気に飲み干す。
 (少し辛目だが、口当たりは軽いな。それに、喉を爽やかさを残しながら通っていく)
 「・・・・・・美味い」
 「それは良かった」
 キサラギの短いが心からの感想に頷き返したネムルは、その酒を瓶で飲んでいた。
 「連れの具合はどうじゃ?」
 「まぁ、イイとは言えないな。
 しばらくの間、世話になっちまうと思う」
 次の酒を注ごうとした侍女を手で制し、杯を床に置いたキサラギは膝の上に手を置くと、干し肉を豪快に噛み千切ったネムルに深々と首を垂れた。
 「構わんよ、昨日も言ったが、娘の婿になる意思が無いとは言え、我が戦士達に勝っている以上、お前は客だ。
 ゆるりと体を休め、長旅の疲れを少しでも癒すと良い」
 ネムルから改めて、滞在の許可を得られたキサラギは杯を手に取り直した。優しく微笑んだ侍女は、流れるような動作で彼の持つ杯へ酒を注ぐ。
 「心の広い言葉、感謝する。
 だが、のんびりとするのも俺の性には合っていない。
 明日からは狩りを手伝わせてくれ。丁度、俺も薬草採取の依頼を受けてて、狩りのついでに、この密林を案内してくれると助かる」
 「リンセに伝えておこう」
 「頼む・・・・・・娘さんの様子は?」
 「元気じゃぞ。
 マミーのような格好になっている上に、まだ起き上がれる状態でもないが、『次こそ勝つ』と息巻いておる。
 さすが、わしとスフィダンテの子じゃ」
 娘の勝気な性格に、ネムルは嬉しそうだ。そんな彼女の笑顔を見ていたキサラギはふと、果物を摘む手を止める。
 「―――・・・・・・ちなみに、『不屈の鷲』は?
 先程は会えなかったんだが」
 「スフィダンテならば、今は街に行っておる。
 時代も時代じゃからな、狩りだけで、その日、食べるだけの物を得られるが、あれば便利な日常品は作れる物と作れぬ物がある。
 じゃから、スフィダンテは得物の手入れの片手間に作っている彫刻に目をつけた。
 今では、それを街で定期的に開かれる小さな市で売っておる」
 ネムルは手元にあった、製作途中の作品をキサラギへ投げて寄越した。豹になるのであろうそれは、確かに町人の家の窓枠に置かれていた物だった。しかも、置いているのは一軒や二軒ではなかった。
 「わしらは単に手慰みで、獣の姿を模して作っているだけなんじゃが、街の人間は無病息災を願う物だと勘違いしてるらしく、病魔が家の中に入ってこれないよう、窓際や玄関に置いているようだ」
 表情からキサラギが考えていた事を読み取れたのか、ネムルは彼が尋ねる前に答えを口にする。
 「最近では、持ち運べるようにサイズを小さくしてくれと頼まれている」
 若干、うんざりしている面持ちでネムルは酒を乱暴に飲む。しかし、街中で何度も見るほどだ、人気があり、それなりの稼ぎになっているのだろう。となれば、部族を導く長としては、それを蔑ろにする訳にも行かないのだろう。また、騎士団の隊長と引き分けるほどの実力者でも、惚れた男の頼みは断れないのか。
 「ま、明日の昼には帰ってくる
 何じゃ、やはり、戦いたくなったか?」
 「・・・・・・」とキサラギは不敵に口の端を吊り上げ、それも杯を傾けて、すぐに隠してしまったが、ネムルには彼がウズウズしているのが丸解りだった。「ククク」と喉を鳴らした彼女は「男と言う生き物はまったく、しょうがないな」と漏らし、侍女に新しい酒を持ってくるよう命じた。

 翌朝、キサラギは今週の狩りを担当しているアマゾネスと森に入った。
 中には、彼が倒した者もいたが、アマゾネス特有のサバサバした性格なのか、誰もそれに関しては気にしていないようだった。キサラギもキサラギで、先日の負けに関して因縁をつけてきたら、迷わずにまた叩き伏せる気でいたので、彼女達の自分に対する態度には少し安心した。
 草を分けながら歩いている間、キサラギが気配をなるべく抑えていたおかげもあって、肉は十分な量を得られた。彼もまた、目当ての薬草をアマゾネスに取って貰えた。
 帰路の途中、巨大な虎こそ姿を見せたが、武器を構えて戦り合う気満々のアマゾネスと柄に手をそっと置いているキサラギの、冷たい眼光に怯み、巨体を小さくしてそそくさと逃げ出していった。
 虎の逃げっぷりに、皆は大きな笑い声を上げた。

 「っつ!?」
 獲った得物を担いで集落に帰る途中、隻眼の男とキサラギ達は出くわした。
 すぐに、キサラギは彼が『不屈の鷲』ことスフィダンテだと解った。彼に二つ名にも入っている、鷲を思わせる眼光で一瞥され、キサラギは思わず、体を一瞬、硬くしてしまった。
 村では見た事のない男とアマゾネスが仲良さ気にしているのが不思議だったのだろう、スフィダンテは鷲鼻に皺を寄せていた。
 慌てて、キサラギは首を垂れ、丁寧な口調で名乗り、ネムルの好意で村に滞在させて貰っている事を説明した。
 彼の言葉に首を傾げたスフィダンテは隣のアマゾネスに目線で問う。彼女が「彼の言っている事は事実です」と、先日の敗北を思い出したか、少し頬を赤らめながら頷くと、ようやく納得したようで、未だに荒事に首を突っ込んでいる事を窺わせる無骨な手をキサラギに無言で差し出してきた。
 彼は大急ぎで、掌に浮かんでいた大粒の汗をシャツの裾で拭い、彼の手を握り返した。
 その瞬間、スフィダンテが今まで経験してきた戦いの一端が自分の中に流れ込んできたような、不思議な錯覚に捉われたキサラギ。同じ感覚を抱いたのか、眉間に一円玉すら挟めそうな皺をスフィダンテは浮かべて、自分の手を興奮の面持ちで見つめている、自分より遥かに若い青年の顔を観察する。
 
 大収穫とスフィダンテの帰宅を祝うように、集落では再び、ドンチャン騒ぎが始まった。キサラギはアマゾネスと言う魔物娘は暇さえあれば、密林を跋扈して男を探しているものだと思い込んでいたので、事ある度に盛り上がっている彼女達に驚かされた。
 騎士団にもアマゾネスはいた。しかし、彼女はどちらかと言えば寡黙な方で、常に真一文字に結んだ口には、人間の肺には重すぎる煙草を咥えて、ラベンダー色の煙を燻らせていた。面倒見は悪くなく、ぶすっと不機嫌そうな面持ちで部下の訓練の様子を眺め、時折、しゃがれた低い声で「膝が曲がってない」や「タイミングが一拍速い」など、的確なアドバイスをしていた。キサラギも彼女に組み手に付き合って貰った事が何度かある。相手のタイミングを崩すような戦い方を得意とし、彼女の投げ技の初動を見切るのは隊長ですら難しいと噂されていた。

 アマゾネスらに引っ張られ、宴の輪の中心に座らされた彼は常人なら一杯で潰されるような強酒を、まるでジュースのように飲み干していく。
 「イイ呑みっぷり!!」
 「次、行ってみよう!!」
 男衆はキサラギの杯に酒を注ぎ、逆に注がれ、次々と潰されていく。それは、アマゾネスらも同じで、用意された料理と酒が残り少なくなった頃には、呂律が回っている者はいなくなってしまう。
 「やれやれ」と肩を回したキサラギは、少し火照った頬を擦りながら、見張り台の方に足を向けた。
 誰かに呼ばれた、と感じた通り、見張り台の柱にはスフィダンテが背中を預けていた。キサラギが来るのが分かっていたのか、彼はキサラギの姿を確認すると小さく手を振ってきた。キサラギはそれに、ガメてきた酒瓶を持ち上げて返す。
 スフィダンテはやって来たキサラギに、地面に敷いた茣蓙の上に腰を下ろすよう視線で促した。
 小さく頷き返したキサラギは彼に続いて座り、すぐに杯に酒を注いでスフィダンテに差し出す。
 二人は酒を縁まで注いだ杯を軽くぶつけて、一気に煽る。五臓六腑を焼くような熱に、頬が真っ赤になった彼等は思わず息を勢い良く吐き出してしまう。
 「よろしいんすか?」
 「ん? 何がだね」と口の端を拭い、不思議そうな顔でスフィダンテは聞き返す。
 「長の夫が宴に参加しなくて」
 「昔ならいざ知らず、勧められるままに飲んでいたら死んでしまうからね」
 苦笑いを漏らした彼は肝臓の辺りを擦る。
 「最近はめっきり弱くなってしまったよ。
 ここに来た頃は、ネムルにも負けなかったんだが」
 彼はキサラギが注いでくれた酒をチビチビと呑む。
 「―――・・・ところで、君は私と戦いたい、とネムルに言ったそうだね」
 途端、キサラギは酒を霧状に噴き出してしまう。
 背中を丸めてゴホゴホと激しく咳き込んでいる彼を、スフィダンテは女教師に対しての悪戯が成功したような悪童のような笑みを漏らしている。
12/01/14 10:06更新 / 『黒狗』ノ優樹
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